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1570年8月〜12月、第一次信長包囲網
坂本の戦い
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【竹中重治、少し今孔明の実力を出した説、採用】
【朝倉景鏡、証拠を入手して浅井政元の罪を暴く説、採用】
【浅井久政、織田への内応疑惑で次男の政元を小谷城の京極丸に蟄居させた説、採用】
【坂本の戦い、浅井・朝倉連合軍2万5000人説、採用】
【坂本の戦い、宇佐山城軍2000人説、採用】
【坂本の戦い、初激突は夜襲説、採用】
【坂本の戦い、浅井軍、士気が上がらない説、採用】
【坂本の戦い、織田援軍2700人説、採用】
【青地茂網、1538年生まれ説、採用】
【比叡山延暦寺、座主の覚恕の決定で信長包囲網に参戦した説、採用】
【第一次織田包囲網は足利義昭の無自覚のヤラカシ説、採用】
朝倉の援軍2万全軍が北近江の小谷城に到着したのは九月十三日。
なのに、翌日の九月十四日に直ちに織田領に出発とはいかなかった。
北近江の小谷城内が大変な事態になっていたからだ。
浅井家当主である長政の弟、浅井政元の「織田への内通、それも長政殺害による浅井家生き残りの模索」が判明した事で。
それも、その裏切りを発見したのが浅井家の陣営ではなく、姑息で有名な朝倉景鏡という図式である。
この余りのお膳立てに、誰もが「織田による離反の計だ」と直観的に思ったが、証拠の書状が本物の為、本当に大変な事になっていた。
九月十四日の北近江の小谷城の評定の席にて、出陣の陣決めを発表する予定が、
「その前に一つ、はっきりとさせたい事があるのだが、これを見ていただきたい」
朝倉景鏡が密書を披露した。
暴露された書状は浅井政元が織田信長に宛てた本物の書状で、その内容は、
長政を殺害する代わりに浅井家を許してくれ。
というものだった。
この書状は六月の姉川への織田の進軍を遅らせる為に信長に宛てた正真正銘の本物である。
それと織田方からの、
良かろう。浅井家の家督の相続と賊軍赦免を認めよう。
との返書の二通が披露されていた。
この書状の肝は、両方ともが「本物である」という事だ。
「に、偽物だ、こんなものっ!」
長政がそう叫んで否定したが、景鏡は憎たらしいくらいの余裕の顔で、
「残念ながら本物ですよ。朝倉家に宛てた御舎弟の字と花押が同じなのですから」
浅井陣営の武将達の顔を見回して、
「ですよな、政元殿?」
「御冗談を。織田方が仕掛けた稚拙な『離反の計』かと」
21歳ながら政元は堂々と嘘をついたが、対峙した景鏡は余裕綽々で、
「つまりは否定されるのかな?」
「ええ」
「では、京の関白、二条晴良殿に公方様に赦免の口利きをした謝礼の銀二百枚も届けていないと?」
それには浅井家の重臣達も疑惑の眼を政元に向けた。
何故なら銀二百枚を浅井家から京の二条家に届けていたからだ。
「待たれよ。それは謝礼ではなく、関白様への端午の節句の祝金であろうが」
「四月の誕生日には何も贈らず、なのに節句祝いに銀を二百枚も? そんな作り話、いったい誰が信用するのだね?」
勝ち誇ったように笑う景鏡が、
「我らが殿は二条殿とは昵懇の間柄でな。二条殿からも心配されてこのような書状が届いておるのだよ」
更に書状を出した。
今度のは二条晴良の書状である。
それも朝倉の当主の義景も初めて見る。
内容は長々と公家言葉で書かれてるが要約すれば、
朝倉と臣従同盟をしてる浅井の弟が兄を殺して家を乗っ取るつもりのようだ。余り浅井を信用されぬように朝倉殿に伝えておいてくれ。
との警告の手紙だった。
政元が片眉を上げながら、
(朝倉が偽書を用意した? いや違うな。織田が関白様に偽書を書かせた、か。そして朝倉に織田が踊らされてる、ってところか)
「ど、どうなんだ、政元? 嘘だよな?」
三枚目の書状を見て、あっさりと信じた長政が顔面蒼白になって尋ねるが、政元は平然と、
「織田が関白様を脅迫して書かせたのでしょうよ」
「関白様が嘘を書く訳がないだろうが。いい加減、白状されえ」
景鏡がやらしい笑い方をして勝ち誇るが、政元は素知らぬ顔で、
「もしくは織田に内通した者が愚か者をふりをして私を陥れようとしているか。例えば、六月に兵を退かれた愚か者とか。直後に織田が攻めてきたところを見ると密約でもされていたのかな?」
「なっ、私が愚か者だと?」
「いえ、裏切り者だと」
「裏切ってるのはおまえだろうがっ!」
「まさか、潔白な私を捕まえて何をおっしゃっておられるので?」
「貴様っ! これだけの証拠があるのにすっとぼける気かっ!」
「すっとぼけるも何も銀二百枚を贈った以外は全部嘘ですから。それよりもこちらも六月の越前撤退の釈明をしていただきたいのですが」
「何の釈明だ? 織田が攻めてきたら兵を派遣すると約束し、ちゃんと兵を派遣したであろうが」
「すぐに逃げ帰りましたがね」
と政元が言った瞬間、上座の久政と義景が同時に、
「そこまでだ、政元」
「見苦しい。止めぬか。双方とも」
と割って入った。
これ以上の罵り合いは浅井と朝倉の関係にしこりが残る。
「申し訳ない、朝倉殿。うちの愚息が」
「こちらも一族が不作法な事をしてすまなかった」
大人の対応を見せて久政と義景が謝罪したが、景鏡が、
「これらの書状は総て本物ですぞ、義景殿?」
「もう良い」
「後方から裏切った味方に攻められるとかは御免なのですが」
「黙っておれ」
義景と景鏡が言い合ってるのを受けて、
「うちの愚息は小谷城の京極丸にでも蟄居させますので御安心を」
「父上、私は潔白ですぞ」
「怪しまれるような行動を取ったおまえが悪い」
「というと?」
「銀二百枚だ」
「あれは京の情勢を教えていただく為の手付け金で兄上と父上も許可を・・・」
「この戦が終わるまでは入っておいれ」
「・・・分かりました」
不貞腐れた様子で政元は答え、これで政元の内応疑惑は決着したが、その日は出陣とはならず浅井軍と朝倉軍の間ではしこりが生じたのだった。
◇
翌九月十五日にようやく小谷城を出発である。
姉川の戦いで織田に敗北していながらも、まだ余力があるのか、
浅井軍が5000人。
朝倉軍が2万人。
兵数はこうなっていた。
それも秀吉の籠もる横山城ではなく、浅井・朝倉軍は琵琶湖の北側を西に向かって移動し始めた。
京に入る為であるが、これは完全に朝倉の都合である。
その浅井・朝倉軍の動きを察した宇佐山城王の森可成は城兵2000人の内、800人を連れて直ちに外へと出陣した。
森可成が出発時に森家の家臣の各務元正に、
「兵庫、京へも知らせておけ」
「はっ、宇佐山城はお任せ下さいませ」
と承ったが、可成に気に入られた事で新参だが厚遇を受けている元正が心配して、
「殿、無茶はされませぬように。傳兵衛様の元に行こうなどとは・・・」
「こらこら、兵庫。オレが死に急ぐように見えるか。出発前に縁起の悪い事を言うでないわ」
そう苦笑して可成は出陣していった。
元正は直ちに京に向けて援軍を要請し、
宇佐山城からの援軍要請の早馬はその日の内に京の織田陣営に駆け込んだのだった。
京に残っていた織田陣営は、
京奉行の村井貞勝。
京奉行の明智光秀。
内裏交渉担当の朝山日乗。
そして京にのぼった織田軍から2000の兵を預けられて京の警護を任された津田(織田)信治。
これらだった。
尾張出身の貞勝、信治の二人は森可成が信長のお気に入りだと知っていたので、出陣したと聞いて、
(可成殿が討ち死にでもしようものなら絶対にとばっちりを喰らうぞ、これ)
と瞬時に思い、信治がすぐさま、
「援軍として出陣するな、村井殿」
と発言した。
だが、津田信治は今でこそ津田姓を名乗るが元々は織田弾正家の血筋で、信長の弟である。
勝手に出陣などさせられず、貞勝が慌てて、
「いけません、信治様自らの出陣は」
「しかし誰かが行かねばなるまい」
「明智殿、行ってくれますか?」
「待たれよ、村井殿。我らは京の防衛を・・・」
光秀は森可成が信長に気に入られてる事を知らずにそう否定したが、貞勝が、
「三左殿が死んだら我ら全員が信長様より咎を受けるのですよ」
「というと?」
「三左殿は信長様のお気に入りでしてね」
「池田殿のように?」
「勝三郎は別格ですが、古参なのでその次くらいには」
「では私が・・・ですが森殿が私を信用されますでしょうか?」
と光秀が考えたので、
「やはりオレが行こう。村井殿は兄上にこの事を伝えてくれ」
こうして信治が兵2000人を率いて京より宇佐山城に出発したのだった。
そして九月十六日、「坂本の戦い」が勃発した。
坂本口の地形がいくら狭まっていて守りに適しているとはいえ、800人で2万5000人の浅井・朝倉軍を相手に何度も突撃するような命知らずな事はさすがの森可成でもしない。
やるとしたら奇襲しかなく。
初戦は夜陰に紛れての坂本の更に東の堅田まで移動し、城に入り切れずに外で就寝していた浅井・朝倉軍への夜襲となった。
その日時が九月十六日の未明なのである。
少勢の敵の攻撃など想定していなかった浅井・朝倉軍はまともに夜襲を喰らい、
「朝倉の寝返りだっ!」
「浅井が寝返ったぞっ!」
と流言までさせたので錯乱状態となり、夜なので同士討ちも少しあり、被害が1500人も出て、森隊800人の完全勝利で幕を閉じた。
十六日の日が昇ってから浅井・朝倉軍が宇佐山城へと兵を進めてきたが、森可成は兵を率いて城の北側の坂本口で迎え討った。
互角以上に織田が押していた。
森隊が猛者揃いの上、道が狭く浅井・朝倉連合軍が大軍を展開出来ず、奮戦した森隊が凄いと言えば凄いのだが。
攻める浅井・朝倉軍の方は臣従同盟で服従してる浅井軍が先鋒だったのが災いしていた。
浅井軍は今回、士気が異常に低かったのである。
原因は朝倉軍への不信感だ。
姉川の戦いの前の朝倉軍の兵の織田領への侵攻拒否、兵の撤退。
姉川の戦いでの敗因となった朝倉軍の総崩れ。
今回の出陣前の小谷城の評定で、政元が朝倉側から因縁を付けられての蟄居。
進軍先が包囲されてる佐和山城や奪われた横山城ではなくて、京。
更にこの度の先鋒。
小さい物では戦での兵糧の提供。
それらが積み重なって、浅井軍の雑兵達は、
(包囲されてる味方の佐和山城を助けなくていいのか?)
(どうして京に向かってるんだ?)
(朝倉側の要請らしい)
(なのに、オレ達が先鋒なのか?)
士気が上がらず、戦でもやる気が感じられず、戦ってる森可成が、
「何だ、弱いな。深追いはするなよっ! こっちは兵が少ないんだからっ!」
撃退する結果となった。
この九月十六日には京以外にも発せられた援軍要請を受けて近江の国衆、青地茂綱が、
「援軍として参りました」
宇佐山城に兵700人と一緒にやってきた。
城代の各務元正が出迎え、
「良く来て下さいました」
援軍の到着を歓迎した。
この青地茂綱は青地姓だが、蒲生定秀の次男だ。つまりは兄は蒲生賢秀だった。
南近江の蒲生賢秀の御曹司が信長の娘婿に決まった話は有名なので、蒲生一族は織田家では信用されており、宇佐山城も喜んで迎え入れたのだった。
続いて翌九月十七日には京より津田信治が兵2000人を率いて宇佐山城に入った。
「御舎弟様、よくぞ来て下さいました」
城代の各務元正は森家の家臣である事から、織田家とは縁深く、新参ながら(織田の旗印と共に)顔を見ただけで津田信治だと気付いて挨拶した。
横に居た青地茂綱が小声で、
「(各務殿、御舎弟様とは?)」
「(津田姓ですが信長様の弟様です)」
「某は青地茂綱でござる」
弟だと教えられて茂綱も慌てて挨拶をした。
信治は信長の実弟なのだ。
それだけで宇佐山城に籠もる織田軍の士気は上がった。
「宇佐山城が信長に見捨てられていない」と確約されたも同然なのだから。
「ん? 三左殿は?」
信治が周囲を見渡して尋ね、言いにくそうに各務が、
「殿は城を出て戦っておりまする」
「では、我らも向かうぞ」
信治がそう命令を下し、
「えっと」
「駄目なのでは?」
元正と茂綱も焦ったが、
「よい、向かうぞ」
と出ていき、信長の弟に「駄目だ」と言える者が宇佐山城に居なかったので、そのまま坂本口まで出陣となり、
「では私も」
茂綱も兵700人を連れて出陣し、
坂本口の織田の陣にて、
「おお、よくぞ来て下さいました、信治殿」
援軍にやってきた津田信治を森可成が歓迎した。
「そちらは?」
「青地茂網です。近江衆の蒲生家の」
「よくぞ参られた」
勝ち戦だったので森可成も信治に帰れとは言わず、そのまま信治と茂綱も坂本口の戦いに参戦したのだった。
津田信治が坂本口に向かった事で、信治直属の織田の援軍2000人も坂本口に参陣し、青地茂網も信治だけを出陣させる訳にはいかず、坂本口に出向いたので麾下の700人も加わり、
援軍を得た織田軍は3500人に膨れ上がっていた。
浅井・朝倉連合軍は数が減って2万4000人。
「坂本の戦い」はその後も織田軍有利で進んだ。
夕方には堅田まで撤退してくれるので、夜襲の心配もない。
初日の夜襲がよっぽど堪えたのか、浅井・朝倉軍も夜襲する隙を作らなかったが。
だが、それでも先鋒の浅井軍の士気はどんどん低下している。
いくら先鋒大将の海北綱親が、
「戦えっ! 皆の者っ!」
と喚き散らしても、雑兵達の動きは遅い。
織田軍が面白いように浅井軍を圧倒したのだった。
◇
戦の流れが変わったのは朝倉義景が、
「明日よりは朝倉軍が先鋒を務める。よろしいな、長政殿?」
と浅井長政(久政は小谷城を守備)に申し出、
「お待ちを、朝倉殿。我が軍が必ずや坂本を突破して・・・」
「もう待てぬ。朝倉の戦の仕方を見られるが良い」
渋る長政から先鋒の権利を分捕った事と、
時を同じくして石山本願寺からの書状が比叡山延暦寺に届いていた事にあった。
それも本願寺顕如直筆の書状だったので、延暦寺の座主、覚恕の手まで。
覚恕は現帝、正親町天皇の実の弟である。
なので出家後、比叡山延暦寺の座主にもなれたのだが、覚恕は延暦寺の座手主である自身の現状に大いに不満を持っていた。
血統が血統だ。
産まれてくるのが、もう早ければ自分が天皇になれたからである。
なので、覚恕は比叡山延暦寺の座主になってからも、内裏が困ってても見捨てていたのに、織田が足利義昭を奉じてからは京は治安を取り戻し、内裏も平穏を取り戻している。
それが気に入らないと思っていたところに、
「『仏敵、足利義昭を討つ協力をしていただきたい』か」
覚恕の手許に石山本願寺より協力要請の書状が届いた。
石山本願寺も石山本願寺で実は気に入らない。
日の本の寺社の頂点は比叡山延暦寺なのは古より決まっている。
なのに、どうも最近、調子に乗っていて。
「どう見る、豪盛?」
下座の正覚院豪盛に覚恕が問うと、
「今の公方殿は大和国の興福寺で幼少より修業を積んだにしては物の道理を弁えていない御仁かと。比叡山に対して矢銭1万貫を要求しておりますれば」
「あったな、そんな事も。比叡山延暦寺が思い通りにならぬ事は『大天狗』の代から決まり事だというのに、それも知らぬと見える。物を知らぬ公方殿に教えて演るのも比叡山の務めか。よし、裾野でやってる戦、織田と敵対してる連中に味方してやれ」
「はっ」
こうして比叡山延暦寺までが織田の敵として参戦が決まったのだった。
事前通告があれば、対処出来るのだが、他勢力の参戦の初手は当然、奇襲となる。
九月二十日。
坂本口の陣の後方から比叡山延暦寺の僧兵1000人の強襲を受けた。
一番安全な後陣には当然、討たれては困る津田信治が布陣していた訳だが、
「ぐああ」
「ぎゃああ」
後方から悲鳴が聞こえて、何事か、と振り返れば、敵が迫ってきていた。
それも僧兵である。
琵琶湖の北沿岸の西側で寺と言えば、まず最初に思い浮かぶのが比叡山延暦寺である。
「まさか、延暦寺が介入しただと? 馬鹿な、あり得ん。俗世の事など無関心なはずだろうが」
そう理不尽さを叫んだが、僧兵が迫り、周囲が、
「お逃げ下さいっ!」
「信治様っ!」
そう退却を勧めるが、
「逃げられるかっ! 信長の弟が逃げたなど言われてみろっ! 兄上に申し訳が立たんわっ! 全軍、迎撃だっ!」
号令を下して僧兵に突撃したのだった。
最前線の戦場にも織田の陣の後方からの鬨の声が聞こえてきて、
「何だ?」
最前線で戦ってる森可成が不思議がってると、後方からの伝令が、
「後方にて延暦寺の僧兵が織田方を攻撃しておりまする」
と報告をしてきた。
拙い、と思ったのは背後を遮断されて逃走経路が塞がれたからではない。
後陣に津田信治が布陣してたからだ。
「全軍撤退だ。というか、信長様の弟君を助けるぞっ!」
そう言って兵を退いたが、戦ってた朝倉軍がそれを許す訳もなく、
「敵が逃げたぞ、追い討ちを掛けよっ!」
朝倉景建が命令を下して、逃げる森隊を追撃したのだった。
逃亡戦ほど大変な事はない。
逃げると背中から攻撃されるのだから。
それでも後方の敵を追い払いながら退却していると、中軍の織田兵が森隊を追い越して追撃してくる朝倉軍に突撃した。
「森殿、殿は我らが」
青地茂網が殿を買って出て、
「おお、青地殿。すまん、借りておくぞ」
礼を言いながら、森可成は更に後退したのだった。
森可成が後陣に到着した時には津田信治は首の根元を槍で突かれて虫の息だった。
「・・・ぜえ、ぜえ、よう、三左殿」
(これはもう助からん)
そう思いながら可成が、
「遅れて申し訳ございません」
「・・・後は頼んだぞ」
その言葉を最後に信治は事切れて、
「クソ」
森可成は信治の首を取られる訳には行かず遺体を背負って、宇佐山城を目指した。
周囲の敵は森隊の精鋭が倒したが、比叡山延暦寺の僧兵も弓矢を所有しており、矢が雨のように降ってきて、
「くそっ! 坊主どもめっ!」
矢を浴びながらも撤退を続けたのだった。
坂本口の異変に気付いて宇佐山城から300人を率いて打って出た城代の各務元正が、
「殿、御無事ですか?」
森可成と合流した時には矢を何本も浴びて瀕死の重傷だった。
「おお、兵庫。良くきてくれた。御舎弟殿の遺体を頼んだ。首を取らせるなよ」
その言葉を最後に森可成も力尽きた。
その後、二人の遺体は宇佐山城に運ばれたが、殿部隊を指揮していた青地茂網の討ち死にも伝わり、逃げてきた織田軍の兵を入れた後、宇佐山城の城門は固く閉ざされたのだった。
登場人物、1570年度
各務元正(28)・・・森家の家臣。清和源氏義光流武田氏源清光の四男、加賀美遠光を始祖とする。斎藤家滅亡後に森家に仕える。新参なので城で留守番。
能力値、武功多きの元正A、鬼兵庫S、二君に仕えずS、可成への忠誠C、可成からの信頼S、森家臣団での待遇B
津田信治(21)・・・織田一門衆。信長の弟。織田信秀の五男。尾張野府城主。通称、九郎。京と防衛任務として2000人を預けられる。
能力値、血気盛んな信治B、実は侍大将は初S、織田一門衆B、戦働きに憧れるC、信長の弟はつらいよS、本日の運勢最悪★★★
青地茂網(32)・・・織田家の家臣。通称、勝兵衛。受領名、駿河守。父は蒲生定秀。兄は蒲生賢秀。六角氏式目に署名者。大津代官直属の警備隊長。
能力値、先駆けの茂綱B、蒲生一族S、甥のお陰で織田家で優遇A、織田家への忠誠B、信長からの信頼、本日の運勢最悪★★★
覚恕(49)・・・皇族。天台宗の僧。比叡山延暦寺の天台座主。父は後奈良天皇。母は壬生雅久の娘、伊予局(三位局)。異母兄は正親町天皇。織田を軽く見て参戦する。
能力値、世が世なら天皇の覚恕☆、延暦寺は日本一の寺☆、内裏を憎む★、本願寺嫌いA、世俗知らず★★★、幕府の権威を物ともしない☆
正覚院豪盛(55)・・・延暦寺の高僧。酒を飲み、鮎を喰らう悪僧。贅沢好き。黄金を好む。織田と幕府に延暦寺が刃向かう事に賛同する。
能力値、贅沢好きの豪盛S、延暦寺は日本一の寺☆☆、高僧にして悪僧★、朝廷に顔が利くB、世俗知らずA、延暦寺の地位S
【朝倉景鏡、証拠を入手して浅井政元の罪を暴く説、採用】
【浅井久政、織田への内応疑惑で次男の政元を小谷城の京極丸に蟄居させた説、採用】
【坂本の戦い、浅井・朝倉連合軍2万5000人説、採用】
【坂本の戦い、宇佐山城軍2000人説、採用】
【坂本の戦い、初激突は夜襲説、採用】
【坂本の戦い、浅井軍、士気が上がらない説、採用】
【坂本の戦い、織田援軍2700人説、採用】
【青地茂網、1538年生まれ説、採用】
【比叡山延暦寺、座主の覚恕の決定で信長包囲網に参戦した説、採用】
【第一次織田包囲網は足利義昭の無自覚のヤラカシ説、採用】
朝倉の援軍2万全軍が北近江の小谷城に到着したのは九月十三日。
なのに、翌日の九月十四日に直ちに織田領に出発とはいかなかった。
北近江の小谷城内が大変な事態になっていたからだ。
浅井家当主である長政の弟、浅井政元の「織田への内通、それも長政殺害による浅井家生き残りの模索」が判明した事で。
それも、その裏切りを発見したのが浅井家の陣営ではなく、姑息で有名な朝倉景鏡という図式である。
この余りのお膳立てに、誰もが「織田による離反の計だ」と直観的に思ったが、証拠の書状が本物の為、本当に大変な事になっていた。
九月十四日の北近江の小谷城の評定の席にて、出陣の陣決めを発表する予定が、
「その前に一つ、はっきりとさせたい事があるのだが、これを見ていただきたい」
朝倉景鏡が密書を披露した。
暴露された書状は浅井政元が織田信長に宛てた本物の書状で、その内容は、
長政を殺害する代わりに浅井家を許してくれ。
というものだった。
この書状は六月の姉川への織田の進軍を遅らせる為に信長に宛てた正真正銘の本物である。
それと織田方からの、
良かろう。浅井家の家督の相続と賊軍赦免を認めよう。
との返書の二通が披露されていた。
この書状の肝は、両方ともが「本物である」という事だ。
「に、偽物だ、こんなものっ!」
長政がそう叫んで否定したが、景鏡は憎たらしいくらいの余裕の顔で、
「残念ながら本物ですよ。朝倉家に宛てた御舎弟の字と花押が同じなのですから」
浅井陣営の武将達の顔を見回して、
「ですよな、政元殿?」
「御冗談を。織田方が仕掛けた稚拙な『離反の計』かと」
21歳ながら政元は堂々と嘘をついたが、対峙した景鏡は余裕綽々で、
「つまりは否定されるのかな?」
「ええ」
「では、京の関白、二条晴良殿に公方様に赦免の口利きをした謝礼の銀二百枚も届けていないと?」
それには浅井家の重臣達も疑惑の眼を政元に向けた。
何故なら銀二百枚を浅井家から京の二条家に届けていたからだ。
「待たれよ。それは謝礼ではなく、関白様への端午の節句の祝金であろうが」
「四月の誕生日には何も贈らず、なのに節句祝いに銀を二百枚も? そんな作り話、いったい誰が信用するのだね?」
勝ち誇ったように笑う景鏡が、
「我らが殿は二条殿とは昵懇の間柄でな。二条殿からも心配されてこのような書状が届いておるのだよ」
更に書状を出した。
今度のは二条晴良の書状である。
それも朝倉の当主の義景も初めて見る。
内容は長々と公家言葉で書かれてるが要約すれば、
朝倉と臣従同盟をしてる浅井の弟が兄を殺して家を乗っ取るつもりのようだ。余り浅井を信用されぬように朝倉殿に伝えておいてくれ。
との警告の手紙だった。
政元が片眉を上げながら、
(朝倉が偽書を用意した? いや違うな。織田が関白様に偽書を書かせた、か。そして朝倉に織田が踊らされてる、ってところか)
「ど、どうなんだ、政元? 嘘だよな?」
三枚目の書状を見て、あっさりと信じた長政が顔面蒼白になって尋ねるが、政元は平然と、
「織田が関白様を脅迫して書かせたのでしょうよ」
「関白様が嘘を書く訳がないだろうが。いい加減、白状されえ」
景鏡がやらしい笑い方をして勝ち誇るが、政元は素知らぬ顔で、
「もしくは織田に内通した者が愚か者をふりをして私を陥れようとしているか。例えば、六月に兵を退かれた愚か者とか。直後に織田が攻めてきたところを見ると密約でもされていたのかな?」
「なっ、私が愚か者だと?」
「いえ、裏切り者だと」
「裏切ってるのはおまえだろうがっ!」
「まさか、潔白な私を捕まえて何をおっしゃっておられるので?」
「貴様っ! これだけの証拠があるのにすっとぼける気かっ!」
「すっとぼけるも何も銀二百枚を贈った以外は全部嘘ですから。それよりもこちらも六月の越前撤退の釈明をしていただきたいのですが」
「何の釈明だ? 織田が攻めてきたら兵を派遣すると約束し、ちゃんと兵を派遣したであろうが」
「すぐに逃げ帰りましたがね」
と政元が言った瞬間、上座の久政と義景が同時に、
「そこまでだ、政元」
「見苦しい。止めぬか。双方とも」
と割って入った。
これ以上の罵り合いは浅井と朝倉の関係にしこりが残る。
「申し訳ない、朝倉殿。うちの愚息が」
「こちらも一族が不作法な事をしてすまなかった」
大人の対応を見せて久政と義景が謝罪したが、景鏡が、
「これらの書状は総て本物ですぞ、義景殿?」
「もう良い」
「後方から裏切った味方に攻められるとかは御免なのですが」
「黙っておれ」
義景と景鏡が言い合ってるのを受けて、
「うちの愚息は小谷城の京極丸にでも蟄居させますので御安心を」
「父上、私は潔白ですぞ」
「怪しまれるような行動を取ったおまえが悪い」
「というと?」
「銀二百枚だ」
「あれは京の情勢を教えていただく為の手付け金で兄上と父上も許可を・・・」
「この戦が終わるまでは入っておいれ」
「・・・分かりました」
不貞腐れた様子で政元は答え、これで政元の内応疑惑は決着したが、その日は出陣とはならず浅井軍と朝倉軍の間ではしこりが生じたのだった。
◇
翌九月十五日にようやく小谷城を出発である。
姉川の戦いで織田に敗北していながらも、まだ余力があるのか、
浅井軍が5000人。
朝倉軍が2万人。
兵数はこうなっていた。
それも秀吉の籠もる横山城ではなく、浅井・朝倉軍は琵琶湖の北側を西に向かって移動し始めた。
京に入る為であるが、これは完全に朝倉の都合である。
その浅井・朝倉軍の動きを察した宇佐山城王の森可成は城兵2000人の内、800人を連れて直ちに外へと出陣した。
森可成が出発時に森家の家臣の各務元正に、
「兵庫、京へも知らせておけ」
「はっ、宇佐山城はお任せ下さいませ」
と承ったが、可成に気に入られた事で新参だが厚遇を受けている元正が心配して、
「殿、無茶はされませぬように。傳兵衛様の元に行こうなどとは・・・」
「こらこら、兵庫。オレが死に急ぐように見えるか。出発前に縁起の悪い事を言うでないわ」
そう苦笑して可成は出陣していった。
元正は直ちに京に向けて援軍を要請し、
宇佐山城からの援軍要請の早馬はその日の内に京の織田陣営に駆け込んだのだった。
京に残っていた織田陣営は、
京奉行の村井貞勝。
京奉行の明智光秀。
内裏交渉担当の朝山日乗。
そして京にのぼった織田軍から2000の兵を預けられて京の警護を任された津田(織田)信治。
これらだった。
尾張出身の貞勝、信治の二人は森可成が信長のお気に入りだと知っていたので、出陣したと聞いて、
(可成殿が討ち死にでもしようものなら絶対にとばっちりを喰らうぞ、これ)
と瞬時に思い、信治がすぐさま、
「援軍として出陣するな、村井殿」
と発言した。
だが、津田信治は今でこそ津田姓を名乗るが元々は織田弾正家の血筋で、信長の弟である。
勝手に出陣などさせられず、貞勝が慌てて、
「いけません、信治様自らの出陣は」
「しかし誰かが行かねばなるまい」
「明智殿、行ってくれますか?」
「待たれよ、村井殿。我らは京の防衛を・・・」
光秀は森可成が信長に気に入られてる事を知らずにそう否定したが、貞勝が、
「三左殿が死んだら我ら全員が信長様より咎を受けるのですよ」
「というと?」
「三左殿は信長様のお気に入りでしてね」
「池田殿のように?」
「勝三郎は別格ですが、古参なのでその次くらいには」
「では私が・・・ですが森殿が私を信用されますでしょうか?」
と光秀が考えたので、
「やはりオレが行こう。村井殿は兄上にこの事を伝えてくれ」
こうして信治が兵2000人を率いて京より宇佐山城に出発したのだった。
そして九月十六日、「坂本の戦い」が勃発した。
坂本口の地形がいくら狭まっていて守りに適しているとはいえ、800人で2万5000人の浅井・朝倉軍を相手に何度も突撃するような命知らずな事はさすがの森可成でもしない。
やるとしたら奇襲しかなく。
初戦は夜陰に紛れての坂本の更に東の堅田まで移動し、城に入り切れずに外で就寝していた浅井・朝倉軍への夜襲となった。
その日時が九月十六日の未明なのである。
少勢の敵の攻撃など想定していなかった浅井・朝倉軍はまともに夜襲を喰らい、
「朝倉の寝返りだっ!」
「浅井が寝返ったぞっ!」
と流言までさせたので錯乱状態となり、夜なので同士討ちも少しあり、被害が1500人も出て、森隊800人の完全勝利で幕を閉じた。
十六日の日が昇ってから浅井・朝倉軍が宇佐山城へと兵を進めてきたが、森可成は兵を率いて城の北側の坂本口で迎え討った。
互角以上に織田が押していた。
森隊が猛者揃いの上、道が狭く浅井・朝倉連合軍が大軍を展開出来ず、奮戦した森隊が凄いと言えば凄いのだが。
攻める浅井・朝倉軍の方は臣従同盟で服従してる浅井軍が先鋒だったのが災いしていた。
浅井軍は今回、士気が異常に低かったのである。
原因は朝倉軍への不信感だ。
姉川の戦いの前の朝倉軍の兵の織田領への侵攻拒否、兵の撤退。
姉川の戦いでの敗因となった朝倉軍の総崩れ。
今回の出陣前の小谷城の評定で、政元が朝倉側から因縁を付けられての蟄居。
進軍先が包囲されてる佐和山城や奪われた横山城ではなくて、京。
更にこの度の先鋒。
小さい物では戦での兵糧の提供。
それらが積み重なって、浅井軍の雑兵達は、
(包囲されてる味方の佐和山城を助けなくていいのか?)
(どうして京に向かってるんだ?)
(朝倉側の要請らしい)
(なのに、オレ達が先鋒なのか?)
士気が上がらず、戦でもやる気が感じられず、戦ってる森可成が、
「何だ、弱いな。深追いはするなよっ! こっちは兵が少ないんだからっ!」
撃退する結果となった。
この九月十六日には京以外にも発せられた援軍要請を受けて近江の国衆、青地茂綱が、
「援軍として参りました」
宇佐山城に兵700人と一緒にやってきた。
城代の各務元正が出迎え、
「良く来て下さいました」
援軍の到着を歓迎した。
この青地茂綱は青地姓だが、蒲生定秀の次男だ。つまりは兄は蒲生賢秀だった。
南近江の蒲生賢秀の御曹司が信長の娘婿に決まった話は有名なので、蒲生一族は織田家では信用されており、宇佐山城も喜んで迎え入れたのだった。
続いて翌九月十七日には京より津田信治が兵2000人を率いて宇佐山城に入った。
「御舎弟様、よくぞ来て下さいました」
城代の各務元正は森家の家臣である事から、織田家とは縁深く、新参ながら(織田の旗印と共に)顔を見ただけで津田信治だと気付いて挨拶した。
横に居た青地茂綱が小声で、
「(各務殿、御舎弟様とは?)」
「(津田姓ですが信長様の弟様です)」
「某は青地茂綱でござる」
弟だと教えられて茂綱も慌てて挨拶をした。
信治は信長の実弟なのだ。
それだけで宇佐山城に籠もる織田軍の士気は上がった。
「宇佐山城が信長に見捨てられていない」と確約されたも同然なのだから。
「ん? 三左殿は?」
信治が周囲を見渡して尋ね、言いにくそうに各務が、
「殿は城を出て戦っておりまする」
「では、我らも向かうぞ」
信治がそう命令を下し、
「えっと」
「駄目なのでは?」
元正と茂綱も焦ったが、
「よい、向かうぞ」
と出ていき、信長の弟に「駄目だ」と言える者が宇佐山城に居なかったので、そのまま坂本口まで出陣となり、
「では私も」
茂綱も兵700人を連れて出陣し、
坂本口の織田の陣にて、
「おお、よくぞ来て下さいました、信治殿」
援軍にやってきた津田信治を森可成が歓迎した。
「そちらは?」
「青地茂網です。近江衆の蒲生家の」
「よくぞ参られた」
勝ち戦だったので森可成も信治に帰れとは言わず、そのまま信治と茂綱も坂本口の戦いに参戦したのだった。
津田信治が坂本口に向かった事で、信治直属の織田の援軍2000人も坂本口に参陣し、青地茂網も信治だけを出陣させる訳にはいかず、坂本口に出向いたので麾下の700人も加わり、
援軍を得た織田軍は3500人に膨れ上がっていた。
浅井・朝倉連合軍は数が減って2万4000人。
「坂本の戦い」はその後も織田軍有利で進んだ。
夕方には堅田まで撤退してくれるので、夜襲の心配もない。
初日の夜襲がよっぽど堪えたのか、浅井・朝倉軍も夜襲する隙を作らなかったが。
だが、それでも先鋒の浅井軍の士気はどんどん低下している。
いくら先鋒大将の海北綱親が、
「戦えっ! 皆の者っ!」
と喚き散らしても、雑兵達の動きは遅い。
織田軍が面白いように浅井軍を圧倒したのだった。
◇
戦の流れが変わったのは朝倉義景が、
「明日よりは朝倉軍が先鋒を務める。よろしいな、長政殿?」
と浅井長政(久政は小谷城を守備)に申し出、
「お待ちを、朝倉殿。我が軍が必ずや坂本を突破して・・・」
「もう待てぬ。朝倉の戦の仕方を見られるが良い」
渋る長政から先鋒の権利を分捕った事と、
時を同じくして石山本願寺からの書状が比叡山延暦寺に届いていた事にあった。
それも本願寺顕如直筆の書状だったので、延暦寺の座主、覚恕の手まで。
覚恕は現帝、正親町天皇の実の弟である。
なので出家後、比叡山延暦寺の座主にもなれたのだが、覚恕は延暦寺の座手主である自身の現状に大いに不満を持っていた。
血統が血統だ。
産まれてくるのが、もう早ければ自分が天皇になれたからである。
なので、覚恕は比叡山延暦寺の座主になってからも、内裏が困ってても見捨てていたのに、織田が足利義昭を奉じてからは京は治安を取り戻し、内裏も平穏を取り戻している。
それが気に入らないと思っていたところに、
「『仏敵、足利義昭を討つ協力をしていただきたい』か」
覚恕の手許に石山本願寺より協力要請の書状が届いた。
石山本願寺も石山本願寺で実は気に入らない。
日の本の寺社の頂点は比叡山延暦寺なのは古より決まっている。
なのに、どうも最近、調子に乗っていて。
「どう見る、豪盛?」
下座の正覚院豪盛に覚恕が問うと、
「今の公方殿は大和国の興福寺で幼少より修業を積んだにしては物の道理を弁えていない御仁かと。比叡山に対して矢銭1万貫を要求しておりますれば」
「あったな、そんな事も。比叡山延暦寺が思い通りにならぬ事は『大天狗』の代から決まり事だというのに、それも知らぬと見える。物を知らぬ公方殿に教えて演るのも比叡山の務めか。よし、裾野でやってる戦、織田と敵対してる連中に味方してやれ」
「はっ」
こうして比叡山延暦寺までが織田の敵として参戦が決まったのだった。
事前通告があれば、対処出来るのだが、他勢力の参戦の初手は当然、奇襲となる。
九月二十日。
坂本口の陣の後方から比叡山延暦寺の僧兵1000人の強襲を受けた。
一番安全な後陣には当然、討たれては困る津田信治が布陣していた訳だが、
「ぐああ」
「ぎゃああ」
後方から悲鳴が聞こえて、何事か、と振り返れば、敵が迫ってきていた。
それも僧兵である。
琵琶湖の北沿岸の西側で寺と言えば、まず最初に思い浮かぶのが比叡山延暦寺である。
「まさか、延暦寺が介入しただと? 馬鹿な、あり得ん。俗世の事など無関心なはずだろうが」
そう理不尽さを叫んだが、僧兵が迫り、周囲が、
「お逃げ下さいっ!」
「信治様っ!」
そう退却を勧めるが、
「逃げられるかっ! 信長の弟が逃げたなど言われてみろっ! 兄上に申し訳が立たんわっ! 全軍、迎撃だっ!」
号令を下して僧兵に突撃したのだった。
最前線の戦場にも織田の陣の後方からの鬨の声が聞こえてきて、
「何だ?」
最前線で戦ってる森可成が不思議がってると、後方からの伝令が、
「後方にて延暦寺の僧兵が織田方を攻撃しておりまする」
と報告をしてきた。
拙い、と思ったのは背後を遮断されて逃走経路が塞がれたからではない。
後陣に津田信治が布陣してたからだ。
「全軍撤退だ。というか、信長様の弟君を助けるぞっ!」
そう言って兵を退いたが、戦ってた朝倉軍がそれを許す訳もなく、
「敵が逃げたぞ、追い討ちを掛けよっ!」
朝倉景建が命令を下して、逃げる森隊を追撃したのだった。
逃亡戦ほど大変な事はない。
逃げると背中から攻撃されるのだから。
それでも後方の敵を追い払いながら退却していると、中軍の織田兵が森隊を追い越して追撃してくる朝倉軍に突撃した。
「森殿、殿は我らが」
青地茂網が殿を買って出て、
「おお、青地殿。すまん、借りておくぞ」
礼を言いながら、森可成は更に後退したのだった。
森可成が後陣に到着した時には津田信治は首の根元を槍で突かれて虫の息だった。
「・・・ぜえ、ぜえ、よう、三左殿」
(これはもう助からん)
そう思いながら可成が、
「遅れて申し訳ございません」
「・・・後は頼んだぞ」
その言葉を最後に信治は事切れて、
「クソ」
森可成は信治の首を取られる訳には行かず遺体を背負って、宇佐山城を目指した。
周囲の敵は森隊の精鋭が倒したが、比叡山延暦寺の僧兵も弓矢を所有しており、矢が雨のように降ってきて、
「くそっ! 坊主どもめっ!」
矢を浴びながらも撤退を続けたのだった。
坂本口の異変に気付いて宇佐山城から300人を率いて打って出た城代の各務元正が、
「殿、御無事ですか?」
森可成と合流した時には矢を何本も浴びて瀕死の重傷だった。
「おお、兵庫。良くきてくれた。御舎弟殿の遺体を頼んだ。首を取らせるなよ」
その言葉を最後に森可成も力尽きた。
その後、二人の遺体は宇佐山城に運ばれたが、殿部隊を指揮していた青地茂網の討ち死にも伝わり、逃げてきた織田軍の兵を入れた後、宇佐山城の城門は固く閉ざされたのだった。
登場人物、1570年度
各務元正(28)・・・森家の家臣。清和源氏義光流武田氏源清光の四男、加賀美遠光を始祖とする。斎藤家滅亡後に森家に仕える。新参なので城で留守番。
能力値、武功多きの元正A、鬼兵庫S、二君に仕えずS、可成への忠誠C、可成からの信頼S、森家臣団での待遇B
津田信治(21)・・・織田一門衆。信長の弟。織田信秀の五男。尾張野府城主。通称、九郎。京と防衛任務として2000人を預けられる。
能力値、血気盛んな信治B、実は侍大将は初S、織田一門衆B、戦働きに憧れるC、信長の弟はつらいよS、本日の運勢最悪★★★
青地茂網(32)・・・織田家の家臣。通称、勝兵衛。受領名、駿河守。父は蒲生定秀。兄は蒲生賢秀。六角氏式目に署名者。大津代官直属の警備隊長。
能力値、先駆けの茂綱B、蒲生一族S、甥のお陰で織田家で優遇A、織田家への忠誠B、信長からの信頼、本日の運勢最悪★★★
覚恕(49)・・・皇族。天台宗の僧。比叡山延暦寺の天台座主。父は後奈良天皇。母は壬生雅久の娘、伊予局(三位局)。異母兄は正親町天皇。織田を軽く見て参戦する。
能力値、世が世なら天皇の覚恕☆、延暦寺は日本一の寺☆、内裏を憎む★、本願寺嫌いA、世俗知らず★★★、幕府の権威を物ともしない☆
正覚院豪盛(55)・・・延暦寺の高僧。酒を飲み、鮎を喰らう悪僧。贅沢好き。黄金を好む。織田と幕府に延暦寺が刃向かう事に賛同する。
能力値、贅沢好きの豪盛S、延暦寺は日本一の寺☆☆、高僧にして悪僧★、朝廷に顔が利くB、世俗知らずA、延暦寺の地位S
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