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1570年8月〜12月、第一次信長包囲網
石山本願寺、参戦
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【足利義昭、再度本願寺に矢銭10万貫を催促する書状を書いた説、採用】
【本願寺顕如、仏敵に対して兵を挙げる事を覚悟した説、採用】
【野田城・福島城の戦い、事前報告なしで足利義昭が到着説、採用】
【野田城・福島城の戦い、根来衆を始めとした紀伊方面から僧兵2万人が合流した説、採用】
【織田信長、紀伊守護の畠山秋高の評価を改めた説、採用】
【朝倉義景、近衛前久の書状に乗せられた出陣した説、採用】
【野田城・福島城の戦い、本願寺が突如参戦した説、採用】
【明智光秀、本願寺が抜いた理由を知った説、採用】
織田軍が初手の内応工作と同時にやったのは川止めである。
野田城と福島城の前を流れる小川を堰き止めた。
つまりは普請(土木作業)だ。
後に秀吉なども中国地方や関東地方でやる事になるが、始まりはここである。
普請嫌いの恒興はやらなかったが。
同時に三好三人衆と元仲間の松永久秀が名のなる武将、名のない侍大将に対して流言と内応の書状を乱発した。
三好為三が寝返った後だけに、野田城と福島城の三好三人衆軍内は疑心暗鬼に陥っており、
「岩成殿が長殿の首と引き換えに赦免を公方様に求めたらしいぞ」
「それよりも美濃から流れてきた斎藤龍興だ。あの男、信長の室の甥で赦免が出てるらしいぞ、もう」
「いやいや、オレが聞いた話では後詰めで畿内に上陸予定の阿波三好だ。何でも十河存保殿が居て、存保殿は十河の血を引いていない養子だからそれほどでもないが十河の家臣共が一存様を殺した三好三人衆を殺しに来るって」
名のある武将だけでも信憑性のある噂が飛び交い、名もない侍大将にまでその流言が流されたので、もう完全に疑心暗鬼の状態になっていて、
軍議の席でも、
「妙な噂が流れておるがワシは気にしておらぬぞ、友通」
(ワシの首はやらんぞ)
三好長逸が白々しく機嫌を取りながら内心ではそんな事を考えており、
「どうせ松永の仕業でしょうよ」
(その顔はオレが裏切ると思ってる顔だな。ったく、耄碌したな、長逸殿も)
などと本音と建前は全然違い、
「それよりも目の前に居る織田をさっさと蹴散らしましょうぞ」
織田と内通の噂など歯牙にも掛けない斎藤龍興がそう提案するも、
「まだその時ではないのでな」
(織田と内通してる癖にぬけぬけと。我らを城の外に出して城を乗っ取るつもりなのは分かっておるぞ)
「長逸殿の言われる通り」
(白々しい)
龍興に関する流言を長逸と友通は信じており、籠城が続行される事となった。
松永久秀の工作によって、野田城と福島城に籠もる三好三人衆軍はもう戦が出来る状況ではなくなっていた。
お陰で織田軍はその間にせっせと堤防を作って小川を堰き止めたのだった。
そして九月一日、京奉行の一人、明智光秀の使いが京よりやってきた。
何事かと信長が書状を読めば「義昭が出陣準備をしてる」との内容だった。
「公方(呼び捨て)が摂津の戦場に来る事、勝は知っていたか?」
「いえ、二条御所では話題にもなりませんでした。もしや上洛した時の畿内平定のような楽な戦だと考えている可能性はありますね。あの時は散々公方様を煽てましたので」
「面倒な事だな」
と信長は気楽に考えていたが、
◇
足利義昭は京から発つ前にあり得ない事をしていた。
本願寺に対して最終通告とばかりに、
「矢銭10万貫を出すように。出さねば織田と攻め滅ぼす事も辞さず」
と脅迫としか思えない書状を送り付けていたのだから。
それも義昭と政所執事の摂津晴門の二人しか関与していないと秘密性を保持して。
結果、その書状の存在は他の幕臣達には一切知らされない事態となっていた。
足利義昭が摂津の中嶋城に到着するのは九月三日だったので、矢銭10万貫の催促の書状の方が先に摂津の石山本願寺に到着した。
一度目は偽書扱いした下間頼廉だったが、今回は本願寺顕如にまで書状を届けた。
「本願寺に10万貫を出せと? 幕府は正気ですか?」
書状を読んだ顕如が幕府の真意を疑ったが、
「いえ、これは本願寺を潰す為の何癖かと。今の公方殿は大和の僧の出なので本願寺嫌いだと伺っておりますれば」
「大和で道場を建てようとした事をまだ根に持っていると?」
「そのようです」
「無視したら今、摂津に集まっている幕府方の軍が攻めてくると思いますか?」
「今の幕府ならその暴挙をし兼ねる危険があるかと」
「仕方ありませんね。仏敵撃退の決起の準備を。雑賀衆にも連絡を」
「よろしいのですね、法主様?」
「総ては御仏の御意です。戦いなさい」
書状を燃やしながらそう顕如は決起を決意したのだった。
石山本願寺には京を追われた公家の中の公家、近衛前久も滞在しており、
「この度、幕府と敵対する事となりました。近衛様には本願寺に協力していただきたく」
顕如自らが助力を求め、
「分かりました。京の知り合いの公家達に書状を送りましょう」
前久も同意して書状をばら撒いたのだった。
そして本願寺顕如がその決定を下した翌日には、織田家の家老、佐久間信盛が石山本願寺に使者としてきていた。
佐久間信盛は本願寺懐柔の命令を受けており、既に頻繁に石山本願寺に来ていた訳だが。
本願寺の内部では「事が露見したのか」と緊張が走ったほどである。
それでもちゃんと信盛を出迎えて、いつものように坊官の下間頼照が目的を探る為、会っていた。
「頻繁にすみませんな、下間殿。これも役目ですので」
「いえいえ、お勤め御苦労様です、佐久間殿。本日はどのような?」
「実は近々公方様が摂津に来られる事になりましてな。公方様はその、本願寺の事をどうも良く思われてないらしく。それを改善する為に兵糧などを贈られて本願寺の印象を良くされてはと思いまして」
(何をぬけぬけと。10万貫の矢銭を払わねば本願寺を潰すと言っておいて)
と思いながらも頼照は、
「おお、確かに。仔細承知致しました。公方様と織田様の為に兵糧を御用意致しますね」
表向きは色良い返事をして、帰り際には、
「これはいつもの物です。戦の足しにでもお使い下さい」
信盛個人に賄賂まで送って、
「いつもお心使い痛み入ります。では、兵糧の件、お願いしますな」
信盛は気を良くして帰っていったのだった。
当然、佐久間信盛は天王寺城の信長に、
「本願寺がこちらの提案をのみ、兵糧の提供を約束してくれました」
そう報告し、信長もまさか二枚目の矢銭10万貫催促の書状が義昭から送り付けられているとは知らず、
「そうか、よくやった」
と信盛を褒めたのだった。
九月三日。
足利義昭は本当に奉公衆2000人を率いて、細川藤賢が守る摂津の中嶋城に着陣した。
義昭は神輿とはいえ、征夷大将軍である。
信長も遭いに行かねばならない。
仕方なく出向き、
「出陣するとは聞いておりませぬが?」
「何、兄を殺した三好三人衆の死にざまを見ようと思ってな」
義昭は本当にそう軽く物見遊山でもするように答え、信長は、
(自分の身が危険になるとは考えていないらしいな)
ますます義昭の事が嫌いになった。
それでも幾つかの確認事項をせねばならず、
「軍の指揮は私が取りますぞ、公方様」
「うむ、信長に任そう」
「勝も私の馬廻りゆえ公方様の許には、戦場では置きませぬゆえ」
「分かっておる」
「代わりにこの者を置きますので何かあった際にはお申し付け下さい」
と義昭付きとして紹介されたのは尾張最高血統の飯尾尚清だった。
「飯尾尚清と申します」
挨拶するが、義昭は正直者なので、
「血筋は?」
単刀直入だが興味無く尋ねた。
寧ろ、嫌味の方が強かったが。
「姓は斯波氏の一族。血は父方は織田大和守家の系譜、母は細川晴元の娘です」
良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりにすらすらと尚清が答えると、義昭以下重臣全員の飯尾尚清を見る目が変わった。
「本当なのか、その母方の血筋?」
義昭が尋ね、
「はい。調べて貰えれば分かるかと」
尚清は答えたのだった。
「そうか、その方か。恒興が言っていた尾張の最高血統とは。そしてその方の嫡子の嫁は恒興が育ってる織田の姫」
「その予定です」
「よかろう、信長。その者を余の傍に置くように」
「はっ。では、私はこれで」
信長はそう言いながら、
(さすがは尾張の最高血統と言われてるだけの事はある。公方(呼び捨て)も黙らせるか)
満足したのだった。
◇
水面下で本願寺が攻勢に出るべく準備しているとは知らない織田軍に(本当は幕府軍に)、九月十二日、根来衆を筆頭とした2万人の援軍が加わった。
お陰で摂津の戦況は、
三好三人衆・池田軍1万3000人。
織田・幕府軍6万人。
と圧勝の戦況となった。
信長もその援軍の到着には喜んだが、同時に警戒するように、
「勝、あの僧兵2万の参戦は紀伊守護の畠山の手柄なのだよな?」
「はい、信長様。紀伊国は坊主の楽園らしいですので」
「その紀伊守護の畠山は織田が抑えねばならぬのう」
つまり信長は足利義昭から畠山秋高を引き剥がすと言っており、恒興が、
「縁組がよろしいかと」
「織田の姫は全員、嫁ぎ先が決まっているぞ」
「では養女ですね」
「ふむ」
などと会話し、三好三人衆軍も更に包囲する敵兵が増員した事で「さすがに勝てない」と踏んで、その日の内に和議を申し込んできたが、
「ふん、もう圧勝なのだから攻め滅ぼすに決まってるだろうが」
信長は強気で突っ撥ねたのだが、
◇
二日遡った九月十日。
越前一乗谷朝倉舘では朝倉義景が、
「これより浅井と合流して織田を攻めるぞ」
当主席で宣言していた。
評定に参加した全員が「ん?」と上座の義景を見た。
兵は既に集められているが「加賀の一向一揆攻めだ」と聞かされていたからだ。
「御冗談を。七月に浅井の為に援軍を出し、何も得られなかったというのに。まあ、織田が畿内に居る隙に美濃を掠め取ろうとする策は悪くはありませんが」
一門衆筆頭の朝倉景恒を切腹に追い込んで今や一門衆筆頭に昇格した朝倉景鏡がそう評し、
「織田の領土は今や広大ですぞ。どこまで切り取るおつもりなのです?」
同じく一門衆次席に昇格した朝倉景建が問うと、
「織田の領地なんぞは切り取らん。まずは京に入る」
義景が堂々と宣言した。
「はあ?」
「どういう?」
「前関白の近衛前久殿より知らせが届いた」
書状を手でヒラヒラさせながら、
「京での我が烏帽子子の義昭殿を蔑ろにする織田の悪行に民はもちろん、公家、幕府、寺社、総ての者がそっぽを向き、遂には『帝までが京より織田を追い出せ』と内示を下されたとある。我が烏帽子子が困り、帝までが嘆いておられているとあらば、この朝倉義景、出向かぬ訳にはいかぬからな」
と自身の言葉に酔い痴れたが、これは朝倉を蜂起させる為の近衛前久が書いた(本物の書状だが、内容は)嘘っぱちである。
その為、織田が京で嫌われてるなどの情報を一切聞いていない景鏡と景健が顔を見合わせて、
(知ってたか?)
(いや、そんな報告は一切ないぞ)
と視線で会話した後、
「お待ちを、義景殿。その書状、本物なのでしょうな?」
「最近では公方様の偽書が出回っておりますので確認をした方が・・・」
との制止の言葉は、
「本物に決まっておろうが。摂津の石山本願寺からの『加賀から越前へは攻めぬ』との確約の書状も付いておるのに」
その一言で完全に封殺された。
摂津の石山本願寺からの書状も本物である。
本願寺顕如が織田と敵対すると決めたので、他の仲間を募る為に書かれていた。
「これより京にのぼり織田を討つぞ。兵数は2万。一門衆は全員参加だ。よいな。出陣するぞ」
既に加賀攻めの為に朝倉軍は2万人が動員されている。
攻める場所を変えるだけなので出来なくはなかったが、朝倉景鏡と朝倉健はこの時、まだ織田の調略を受けてはいなかったので、
「お待ちを。今集まってる兵は加賀に向かうと信じておりますぞ」
「京までは遠く、間もなく越前では米の収穫が・・・」
「また私の邪魔をする気かっ! 出陣はする。織田相手に不甲斐無い戦をしたおまえ達もだ」
強弁する義景を前に二人が黙った為、朝倉軍の織田攻めは決定したのだった。
◇
翌九月十三日の深夜、石山本願寺が蜂起した為、織田が優勢の摂津の戦況が逆転とまでは言わないが、それでも拮抗まで押し戻した。
何せ、初手が不意討ちの夜襲で本願寺の僧兵が小川を堰き止めた堤防を破壊したのだから織田軍としては堪らない。
お陰で水び出しになり、寝ていた信長の許に伝令兵が、
「本願寺が織田に対して蜂起しました」
「・・・どうして本願寺がここで出てくるっ! クソ、信盛を呼べっ!」
寝起きも手伝って信長は当たり散らし、別の陣に居た信盛が駆け付ければ、
「信盛、おまえはこれまで長々とどんな交渉をしていたのだ、本願寺とっ!」
「そ、それが私も寝耳に水でして・・・」
「賄賂を出してたので服従してると思ってました」とは言えず、信盛が弁明し、
「クソ、これで伊勢長島も・・・そうだ、すぐに尾張の久秀に防備を固めさせる書状を送らねばっ!」
信長はその事に気付いて書状を右筆に書かせたのだった。
そして足利義昭にも本願寺の蜂起が伝わったのだが、
(これで本願寺を攻め滅ぼせる訳か。10万貫を支払わなかっただけで滅ぶとはとんだ「門跡」だのう)
内心で本願寺が漬せれると喜んだのだった。
同日同刻、南近江の横山城は夜ながら臨戦態勢に入っていた。
理由は浅井の本拠地、小谷城に赤々と篝火が焚かれていたからだ。
そして小谷城には九月十一日に朝倉軍の前触れ500騎が到着し、その後には続々と後続の朝倉軍が到着して、九月十三日の段階で2万の朝倉軍が小谷城とその周囲に集結していた。
十二日の段階で総大将が朝倉義景である事も判明している。
よって、横山城は、いつ、浅井・朝倉連合軍に攻められてもおかしくない状況となっていた。
横山城が臨戦態勢の中、秀吉も気負っていたが、竹中重治の方は自然体で、
「気負わずともよろしいですよ、秀吉殿。この横山城は落ちませぬから」
「どうしてそう言えるのだ、竹中殿?」
「京と美濃を繋ぐ織田家の重要拠点だからですよ。横山城は美濃にも近く、美濃から援軍がすぐに来ますから。それに上様にいただいた策もございますれば」
と答えた重治だったが、朝倉が動員した兵の多さから、
(朝倉軍の兵が多過ぎる。加賀の一向一揆と和議をしたか。摂津で本願寺を抑えるのに失敗した訳か。これは・・・少し本気を出すか)
そんな事を考えたのだった。
◇
信長はさっさと、
三好三人衆軍の野田城・福島城。
蜂起した石山本願寺。
を攻めたかったのだが、堰が壊されて水び出しになった事で沼地と化して攻められなかった。
仕方なく鉄砲を撃ってる訳だが、本願寺が叛いた翌九月十四日には近江の横山城から伝令が到着した。
北近江の小谷城に朝倉軍2万が到着。
書状の日付は九月十二日で、総大将には朝倉義景が自ら出て来てる、とも記されてあった。
「チッ。朝倉がちょろちょろと」
書状に目を通した恒興が、
「横山城は岐阜に近いので守り切れますが、佐和山城の囲んでる五郎左はもしかすると・・・」
「ああ、分かってる」
「一軍を向かわせますか?」
「本願寺が叛いて摂津の戦況が悪化したのに退ける訳がなかろうが」
そう信長は恒興の提案を却下したのだった。
同日の九月十四日。
京も慌ただしくなり始めた。
東の隣国、近江では朝倉の援軍が小谷城に到着。
西の隣国、摂津では本願寺が幕府軍に反逆。
京奉行の一人、明智光秀は二条御所に出向き、二条御所の留守を預かる政所執事の摂津晴門と遭っていた。
幕府との意志疎通の為だ。
「門跡の本願寺までが公方様に叛くとは困りましたな」
どこか他人事のように明智光秀が話すと、晴門がさらっと、
「最終通告を無視したのだから仕方あるまい」
「というと?」
「出陣前に公方様が出されたのだ。矢銭10万貫を払わねば兵で潰すとの旨の書状を」
「・・・なるほど、それで叛いた訳ですか」
「これで本願寺も終わりであろうさ」
晴門は幕府軍が本願寺を潰すと疑わなかったが、光秀は違い、
すぐさま書状を信長に届けた、
天王寺城で光秀の書状を受け取った信長が、
「公方(呼び捨て)がっ! どこまでオレの足を引っ張れば気が済むんだっ!」
そう言って書状を投げ捨てており、それを拾った恒興が、
「えっ、また出してたの、矢銭10万貫の催促の書状を。それも払わねば漬すと脅迫して? それで蜂起した? ちょっと~、何をやってくれてるの~、公方様~」
呆れ果てた。
怒り任せに信長が、
「勝、公方(呼び捨て)を殺して来い」
「分かりました」
即答した恒興が本当に殺しに向かおうと部屋を出ようとしたので、信長の方が冷静になって、
「待て。今のはなしだ」
「公方様はオレを信用してるので余裕で出来ますが」
「なしと言ったぞ、勝」
「はっ」
仕方なく恒興が部屋に戻った。
「勝、オレが機嫌が良くなる事を言え」
褒めろ、と言っているのではない。
信長が機嫌が良くなる策を献じろ、と言っているのだ。
「本願寺を潰しても領地が手に入る訳でもなく、和議がよろしいかと」
「どうやって?」
「『門跡』ならば公家の出番ですね。まあ、内裏に居る帝ですが」
「・・・断れば?」
「『門跡』剥奪でいいかと」
「ふむ。朝倉と三好三人衆、どっちを先に潰す?」
「朝倉ですね。美濃と近江の道を遮断されたままでは織田の兵が動揺しますし。それに伊勢長島の願証寺もありますから。本願寺と和議をしても『聞いてない』とか抵抗されたら面倒ですし。一端、兵を美濃に戻すべきかと」
恒興の言葉に信長は、
「勝、おまえもまだまだのう」
「というと?」
「関東攻めを行っていた越後の上杉は雪が降る前に必ず兵を退いていたとか。朝倉もそれに倣うであろうから先に三好三人衆を叩くぞ」
その信長の決定で引き続き摂津で三好三人衆軍と対陣する事が決まったのだった。
登場人物、1570年度
岩成友通(51)・・・三好三人衆。六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。泥船から降りられない。
能力値、六悪人の友通★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
本願寺顕如(27)・・・浄土真宗本願寺派第11世宗主。石山本願寺住職。師は証如。九条植通の猶子。妻は六角定頼の猶子、如春尼(三条家)。幕府に対して弓を引く。
能力値、最盛期を終わらす顕如S、門跡の本願寺☆☆、南無阿弥陀仏☆、甲斐の武田信玄は義兄S、石山本願寺は要害☆、信長包囲網の一角A
下間頼照(54)・・・本願寺の坊官衆。戦国時代の武将。官位は筑後守。外交僧。加賀に派遣されるまでは石山本願寺に居た。
能力値、外交僧の頼照A、下間氏は本願寺の守護兵A、公家の九条家とは昵懇B、延暦寺とも顔見知りS、南無阿弥陀仏S、石山本願寺での待遇☆☆
飯尾尚清(42)・・・織田家の家臣。織田大和守家の飯尾氏。通称、茂助。母親が細川晴元の娘。北島城主、正室しばと死別してるが、信長の義弟扱い。
能力値、尾張最高血統SS、細川晴元の孫S、織田家で知らぬ者なしA、信長への忠誠B、信長からの信頼B、信長家臣団での待遇S
【本願寺顕如、仏敵に対して兵を挙げる事を覚悟した説、採用】
【野田城・福島城の戦い、事前報告なしで足利義昭が到着説、採用】
【野田城・福島城の戦い、根来衆を始めとした紀伊方面から僧兵2万人が合流した説、採用】
【織田信長、紀伊守護の畠山秋高の評価を改めた説、採用】
【朝倉義景、近衛前久の書状に乗せられた出陣した説、採用】
【野田城・福島城の戦い、本願寺が突如参戦した説、採用】
【明智光秀、本願寺が抜いた理由を知った説、採用】
織田軍が初手の内応工作と同時にやったのは川止めである。
野田城と福島城の前を流れる小川を堰き止めた。
つまりは普請(土木作業)だ。
後に秀吉なども中国地方や関東地方でやる事になるが、始まりはここである。
普請嫌いの恒興はやらなかったが。
同時に三好三人衆と元仲間の松永久秀が名のなる武将、名のない侍大将に対して流言と内応の書状を乱発した。
三好為三が寝返った後だけに、野田城と福島城の三好三人衆軍内は疑心暗鬼に陥っており、
「岩成殿が長殿の首と引き換えに赦免を公方様に求めたらしいぞ」
「それよりも美濃から流れてきた斎藤龍興だ。あの男、信長の室の甥で赦免が出てるらしいぞ、もう」
「いやいや、オレが聞いた話では後詰めで畿内に上陸予定の阿波三好だ。何でも十河存保殿が居て、存保殿は十河の血を引いていない養子だからそれほどでもないが十河の家臣共が一存様を殺した三好三人衆を殺しに来るって」
名のある武将だけでも信憑性のある噂が飛び交い、名もない侍大将にまでその流言が流されたので、もう完全に疑心暗鬼の状態になっていて、
軍議の席でも、
「妙な噂が流れておるがワシは気にしておらぬぞ、友通」
(ワシの首はやらんぞ)
三好長逸が白々しく機嫌を取りながら内心ではそんな事を考えており、
「どうせ松永の仕業でしょうよ」
(その顔はオレが裏切ると思ってる顔だな。ったく、耄碌したな、長逸殿も)
などと本音と建前は全然違い、
「それよりも目の前に居る織田をさっさと蹴散らしましょうぞ」
織田と内通の噂など歯牙にも掛けない斎藤龍興がそう提案するも、
「まだその時ではないのでな」
(織田と内通してる癖にぬけぬけと。我らを城の外に出して城を乗っ取るつもりなのは分かっておるぞ)
「長逸殿の言われる通り」
(白々しい)
龍興に関する流言を長逸と友通は信じており、籠城が続行される事となった。
松永久秀の工作によって、野田城と福島城に籠もる三好三人衆軍はもう戦が出来る状況ではなくなっていた。
お陰で織田軍はその間にせっせと堤防を作って小川を堰き止めたのだった。
そして九月一日、京奉行の一人、明智光秀の使いが京よりやってきた。
何事かと信長が書状を読めば「義昭が出陣準備をしてる」との内容だった。
「公方(呼び捨て)が摂津の戦場に来る事、勝は知っていたか?」
「いえ、二条御所では話題にもなりませんでした。もしや上洛した時の畿内平定のような楽な戦だと考えている可能性はありますね。あの時は散々公方様を煽てましたので」
「面倒な事だな」
と信長は気楽に考えていたが、
◇
足利義昭は京から発つ前にあり得ない事をしていた。
本願寺に対して最終通告とばかりに、
「矢銭10万貫を出すように。出さねば織田と攻め滅ぼす事も辞さず」
と脅迫としか思えない書状を送り付けていたのだから。
それも義昭と政所執事の摂津晴門の二人しか関与していないと秘密性を保持して。
結果、その書状の存在は他の幕臣達には一切知らされない事態となっていた。
足利義昭が摂津の中嶋城に到着するのは九月三日だったので、矢銭10万貫の催促の書状の方が先に摂津の石山本願寺に到着した。
一度目は偽書扱いした下間頼廉だったが、今回は本願寺顕如にまで書状を届けた。
「本願寺に10万貫を出せと? 幕府は正気ですか?」
書状を読んだ顕如が幕府の真意を疑ったが、
「いえ、これは本願寺を潰す為の何癖かと。今の公方殿は大和の僧の出なので本願寺嫌いだと伺っておりますれば」
「大和で道場を建てようとした事をまだ根に持っていると?」
「そのようです」
「無視したら今、摂津に集まっている幕府方の軍が攻めてくると思いますか?」
「今の幕府ならその暴挙をし兼ねる危険があるかと」
「仕方ありませんね。仏敵撃退の決起の準備を。雑賀衆にも連絡を」
「よろしいのですね、法主様?」
「総ては御仏の御意です。戦いなさい」
書状を燃やしながらそう顕如は決起を決意したのだった。
石山本願寺には京を追われた公家の中の公家、近衛前久も滞在しており、
「この度、幕府と敵対する事となりました。近衛様には本願寺に協力していただきたく」
顕如自らが助力を求め、
「分かりました。京の知り合いの公家達に書状を送りましょう」
前久も同意して書状をばら撒いたのだった。
そして本願寺顕如がその決定を下した翌日には、織田家の家老、佐久間信盛が石山本願寺に使者としてきていた。
佐久間信盛は本願寺懐柔の命令を受けており、既に頻繁に石山本願寺に来ていた訳だが。
本願寺の内部では「事が露見したのか」と緊張が走ったほどである。
それでもちゃんと信盛を出迎えて、いつものように坊官の下間頼照が目的を探る為、会っていた。
「頻繁にすみませんな、下間殿。これも役目ですので」
「いえいえ、お勤め御苦労様です、佐久間殿。本日はどのような?」
「実は近々公方様が摂津に来られる事になりましてな。公方様はその、本願寺の事をどうも良く思われてないらしく。それを改善する為に兵糧などを贈られて本願寺の印象を良くされてはと思いまして」
(何をぬけぬけと。10万貫の矢銭を払わねば本願寺を潰すと言っておいて)
と思いながらも頼照は、
「おお、確かに。仔細承知致しました。公方様と織田様の為に兵糧を御用意致しますね」
表向きは色良い返事をして、帰り際には、
「これはいつもの物です。戦の足しにでもお使い下さい」
信盛個人に賄賂まで送って、
「いつもお心使い痛み入ります。では、兵糧の件、お願いしますな」
信盛は気を良くして帰っていったのだった。
当然、佐久間信盛は天王寺城の信長に、
「本願寺がこちらの提案をのみ、兵糧の提供を約束してくれました」
そう報告し、信長もまさか二枚目の矢銭10万貫催促の書状が義昭から送り付けられているとは知らず、
「そうか、よくやった」
と信盛を褒めたのだった。
九月三日。
足利義昭は本当に奉公衆2000人を率いて、細川藤賢が守る摂津の中嶋城に着陣した。
義昭は神輿とはいえ、征夷大将軍である。
信長も遭いに行かねばならない。
仕方なく出向き、
「出陣するとは聞いておりませぬが?」
「何、兄を殺した三好三人衆の死にざまを見ようと思ってな」
義昭は本当にそう軽く物見遊山でもするように答え、信長は、
(自分の身が危険になるとは考えていないらしいな)
ますます義昭の事が嫌いになった。
それでも幾つかの確認事項をせねばならず、
「軍の指揮は私が取りますぞ、公方様」
「うむ、信長に任そう」
「勝も私の馬廻りゆえ公方様の許には、戦場では置きませぬゆえ」
「分かっておる」
「代わりにこの者を置きますので何かあった際にはお申し付け下さい」
と義昭付きとして紹介されたのは尾張最高血統の飯尾尚清だった。
「飯尾尚清と申します」
挨拶するが、義昭は正直者なので、
「血筋は?」
単刀直入だが興味無く尋ねた。
寧ろ、嫌味の方が強かったが。
「姓は斯波氏の一族。血は父方は織田大和守家の系譜、母は細川晴元の娘です」
良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりにすらすらと尚清が答えると、義昭以下重臣全員の飯尾尚清を見る目が変わった。
「本当なのか、その母方の血筋?」
義昭が尋ね、
「はい。調べて貰えれば分かるかと」
尚清は答えたのだった。
「そうか、その方か。恒興が言っていた尾張の最高血統とは。そしてその方の嫡子の嫁は恒興が育ってる織田の姫」
「その予定です」
「よかろう、信長。その者を余の傍に置くように」
「はっ。では、私はこれで」
信長はそう言いながら、
(さすがは尾張の最高血統と言われてるだけの事はある。公方(呼び捨て)も黙らせるか)
満足したのだった。
◇
水面下で本願寺が攻勢に出るべく準備しているとは知らない織田軍に(本当は幕府軍に)、九月十二日、根来衆を筆頭とした2万人の援軍が加わった。
お陰で摂津の戦況は、
三好三人衆・池田軍1万3000人。
織田・幕府軍6万人。
と圧勝の戦況となった。
信長もその援軍の到着には喜んだが、同時に警戒するように、
「勝、あの僧兵2万の参戦は紀伊守護の畠山の手柄なのだよな?」
「はい、信長様。紀伊国は坊主の楽園らしいですので」
「その紀伊守護の畠山は織田が抑えねばならぬのう」
つまり信長は足利義昭から畠山秋高を引き剥がすと言っており、恒興が、
「縁組がよろしいかと」
「織田の姫は全員、嫁ぎ先が決まっているぞ」
「では養女ですね」
「ふむ」
などと会話し、三好三人衆軍も更に包囲する敵兵が増員した事で「さすがに勝てない」と踏んで、その日の内に和議を申し込んできたが、
「ふん、もう圧勝なのだから攻め滅ぼすに決まってるだろうが」
信長は強気で突っ撥ねたのだが、
◇
二日遡った九月十日。
越前一乗谷朝倉舘では朝倉義景が、
「これより浅井と合流して織田を攻めるぞ」
当主席で宣言していた。
評定に参加した全員が「ん?」と上座の義景を見た。
兵は既に集められているが「加賀の一向一揆攻めだ」と聞かされていたからだ。
「御冗談を。七月に浅井の為に援軍を出し、何も得られなかったというのに。まあ、織田が畿内に居る隙に美濃を掠め取ろうとする策は悪くはありませんが」
一門衆筆頭の朝倉景恒を切腹に追い込んで今や一門衆筆頭に昇格した朝倉景鏡がそう評し、
「織田の領土は今や広大ですぞ。どこまで切り取るおつもりなのです?」
同じく一門衆次席に昇格した朝倉景建が問うと、
「織田の領地なんぞは切り取らん。まずは京に入る」
義景が堂々と宣言した。
「はあ?」
「どういう?」
「前関白の近衛前久殿より知らせが届いた」
書状を手でヒラヒラさせながら、
「京での我が烏帽子子の義昭殿を蔑ろにする織田の悪行に民はもちろん、公家、幕府、寺社、総ての者がそっぽを向き、遂には『帝までが京より織田を追い出せ』と内示を下されたとある。我が烏帽子子が困り、帝までが嘆いておられているとあらば、この朝倉義景、出向かぬ訳にはいかぬからな」
と自身の言葉に酔い痴れたが、これは朝倉を蜂起させる為の近衛前久が書いた(本物の書状だが、内容は)嘘っぱちである。
その為、織田が京で嫌われてるなどの情報を一切聞いていない景鏡と景健が顔を見合わせて、
(知ってたか?)
(いや、そんな報告は一切ないぞ)
と視線で会話した後、
「お待ちを、義景殿。その書状、本物なのでしょうな?」
「最近では公方様の偽書が出回っておりますので確認をした方が・・・」
との制止の言葉は、
「本物に決まっておろうが。摂津の石山本願寺からの『加賀から越前へは攻めぬ』との確約の書状も付いておるのに」
その一言で完全に封殺された。
摂津の石山本願寺からの書状も本物である。
本願寺顕如が織田と敵対すると決めたので、他の仲間を募る為に書かれていた。
「これより京にのぼり織田を討つぞ。兵数は2万。一門衆は全員参加だ。よいな。出陣するぞ」
既に加賀攻めの為に朝倉軍は2万人が動員されている。
攻める場所を変えるだけなので出来なくはなかったが、朝倉景鏡と朝倉健はこの時、まだ織田の調略を受けてはいなかったので、
「お待ちを。今集まってる兵は加賀に向かうと信じておりますぞ」
「京までは遠く、間もなく越前では米の収穫が・・・」
「また私の邪魔をする気かっ! 出陣はする。織田相手に不甲斐無い戦をしたおまえ達もだ」
強弁する義景を前に二人が黙った為、朝倉軍の織田攻めは決定したのだった。
◇
翌九月十三日の深夜、石山本願寺が蜂起した為、織田が優勢の摂津の戦況が逆転とまでは言わないが、それでも拮抗まで押し戻した。
何せ、初手が不意討ちの夜襲で本願寺の僧兵が小川を堰き止めた堤防を破壊したのだから織田軍としては堪らない。
お陰で水び出しになり、寝ていた信長の許に伝令兵が、
「本願寺が織田に対して蜂起しました」
「・・・どうして本願寺がここで出てくるっ! クソ、信盛を呼べっ!」
寝起きも手伝って信長は当たり散らし、別の陣に居た信盛が駆け付ければ、
「信盛、おまえはこれまで長々とどんな交渉をしていたのだ、本願寺とっ!」
「そ、それが私も寝耳に水でして・・・」
「賄賂を出してたので服従してると思ってました」とは言えず、信盛が弁明し、
「クソ、これで伊勢長島も・・・そうだ、すぐに尾張の久秀に防備を固めさせる書状を送らねばっ!」
信長はその事に気付いて書状を右筆に書かせたのだった。
そして足利義昭にも本願寺の蜂起が伝わったのだが、
(これで本願寺を攻め滅ぼせる訳か。10万貫を支払わなかっただけで滅ぶとはとんだ「門跡」だのう)
内心で本願寺が漬せれると喜んだのだった。
同日同刻、南近江の横山城は夜ながら臨戦態勢に入っていた。
理由は浅井の本拠地、小谷城に赤々と篝火が焚かれていたからだ。
そして小谷城には九月十一日に朝倉軍の前触れ500騎が到着し、その後には続々と後続の朝倉軍が到着して、九月十三日の段階で2万の朝倉軍が小谷城とその周囲に集結していた。
十二日の段階で総大将が朝倉義景である事も判明している。
よって、横山城は、いつ、浅井・朝倉連合軍に攻められてもおかしくない状況となっていた。
横山城が臨戦態勢の中、秀吉も気負っていたが、竹中重治の方は自然体で、
「気負わずともよろしいですよ、秀吉殿。この横山城は落ちませぬから」
「どうしてそう言えるのだ、竹中殿?」
「京と美濃を繋ぐ織田家の重要拠点だからですよ。横山城は美濃にも近く、美濃から援軍がすぐに来ますから。それに上様にいただいた策もございますれば」
と答えた重治だったが、朝倉が動員した兵の多さから、
(朝倉軍の兵が多過ぎる。加賀の一向一揆と和議をしたか。摂津で本願寺を抑えるのに失敗した訳か。これは・・・少し本気を出すか)
そんな事を考えたのだった。
◇
信長はさっさと、
三好三人衆軍の野田城・福島城。
蜂起した石山本願寺。
を攻めたかったのだが、堰が壊されて水び出しになった事で沼地と化して攻められなかった。
仕方なく鉄砲を撃ってる訳だが、本願寺が叛いた翌九月十四日には近江の横山城から伝令が到着した。
北近江の小谷城に朝倉軍2万が到着。
書状の日付は九月十二日で、総大将には朝倉義景が自ら出て来てる、とも記されてあった。
「チッ。朝倉がちょろちょろと」
書状に目を通した恒興が、
「横山城は岐阜に近いので守り切れますが、佐和山城の囲んでる五郎左はもしかすると・・・」
「ああ、分かってる」
「一軍を向かわせますか?」
「本願寺が叛いて摂津の戦況が悪化したのに退ける訳がなかろうが」
そう信長は恒興の提案を却下したのだった。
同日の九月十四日。
京も慌ただしくなり始めた。
東の隣国、近江では朝倉の援軍が小谷城に到着。
西の隣国、摂津では本願寺が幕府軍に反逆。
京奉行の一人、明智光秀は二条御所に出向き、二条御所の留守を預かる政所執事の摂津晴門と遭っていた。
幕府との意志疎通の為だ。
「門跡の本願寺までが公方様に叛くとは困りましたな」
どこか他人事のように明智光秀が話すと、晴門がさらっと、
「最終通告を無視したのだから仕方あるまい」
「というと?」
「出陣前に公方様が出されたのだ。矢銭10万貫を払わねば兵で潰すとの旨の書状を」
「・・・なるほど、それで叛いた訳ですか」
「これで本願寺も終わりであろうさ」
晴門は幕府軍が本願寺を潰すと疑わなかったが、光秀は違い、
すぐさま書状を信長に届けた、
天王寺城で光秀の書状を受け取った信長が、
「公方(呼び捨て)がっ! どこまでオレの足を引っ張れば気が済むんだっ!」
そう言って書状を投げ捨てており、それを拾った恒興が、
「えっ、また出してたの、矢銭10万貫の催促の書状を。それも払わねば漬すと脅迫して? それで蜂起した? ちょっと~、何をやってくれてるの~、公方様~」
呆れ果てた。
怒り任せに信長が、
「勝、公方(呼び捨て)を殺して来い」
「分かりました」
即答した恒興が本当に殺しに向かおうと部屋を出ようとしたので、信長の方が冷静になって、
「待て。今のはなしだ」
「公方様はオレを信用してるので余裕で出来ますが」
「なしと言ったぞ、勝」
「はっ」
仕方なく恒興が部屋に戻った。
「勝、オレが機嫌が良くなる事を言え」
褒めろ、と言っているのではない。
信長が機嫌が良くなる策を献じろ、と言っているのだ。
「本願寺を潰しても領地が手に入る訳でもなく、和議がよろしいかと」
「どうやって?」
「『門跡』ならば公家の出番ですね。まあ、内裏に居る帝ですが」
「・・・断れば?」
「『門跡』剥奪でいいかと」
「ふむ。朝倉と三好三人衆、どっちを先に潰す?」
「朝倉ですね。美濃と近江の道を遮断されたままでは織田の兵が動揺しますし。それに伊勢長島の願証寺もありますから。本願寺と和議をしても『聞いてない』とか抵抗されたら面倒ですし。一端、兵を美濃に戻すべきかと」
恒興の言葉に信長は、
「勝、おまえもまだまだのう」
「というと?」
「関東攻めを行っていた越後の上杉は雪が降る前に必ず兵を退いていたとか。朝倉もそれに倣うであろうから先に三好三人衆を叩くぞ」
その信長の決定で引き続き摂津で三好三人衆軍と対陣する事が決まったのだった。
登場人物、1570年度
岩成友通(51)・・・三好三人衆。六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。泥船から降りられない。
能力値、六悪人の友通★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
本願寺顕如(27)・・・浄土真宗本願寺派第11世宗主。石山本願寺住職。師は証如。九条植通の猶子。妻は六角定頼の猶子、如春尼(三条家)。幕府に対して弓を引く。
能力値、最盛期を終わらす顕如S、門跡の本願寺☆☆、南無阿弥陀仏☆、甲斐の武田信玄は義兄S、石山本願寺は要害☆、信長包囲網の一角A
下間頼照(54)・・・本願寺の坊官衆。戦国時代の武将。官位は筑後守。外交僧。加賀に派遣されるまでは石山本願寺に居た。
能力値、外交僧の頼照A、下間氏は本願寺の守護兵A、公家の九条家とは昵懇B、延暦寺とも顔見知りS、南無阿弥陀仏S、石山本願寺での待遇☆☆
飯尾尚清(42)・・・織田家の家臣。織田大和守家の飯尾氏。通称、茂助。母親が細川晴元の娘。北島城主、正室しばと死別してるが、信長の義弟扱い。
能力値、尾張最高血統SS、細川晴元の孫S、織田家で知らぬ者なしA、信長への忠誠B、信長からの信頼B、信長家臣団での待遇S
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