池田恒興

竹井ゴールド

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1570年8月〜12月、第一次信長包囲網

野田城、福島城の戦い

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 【織田軍、京までの移動は近江を横断し、浅井軍の動向を探って慎重説、採用】

 【幕府、目を離した隙に少し大変な事になってる説、採用】

 【公家の間で比叡山延暦寺がケチで有名だった説、採用】

 【足利義昭、三好為三に赦免状を書いた説、採用】

 【野田城・福島城の戦い、三好三人衆軍9000人説、採用】

 【野田城・福島城の戦い、池田軍4000人説、採用】

 【野田城・福島城の戦い、織田軍2万8000人説、採用】

 【野田城・福島城の戦い、幕府軍1万2000人説、採用】

 【野田城・福島城の戦い、三好方から寝返りがあった説、採用】

 【香西長信、1537年生まれ説、採用】





 八月になった。

 八月と言えば、織田軍が(敵の兵糧が少なくなってるところを狙い澄まして)いくさを仕掛ける時期だ。

 だが、織田軍は今年はまだ動けずにいた。





 畿内の摂津で三好三人衆軍8000人。

 それに摂津三守護の一角を乗っ取った池田知正が率いる池田軍4000人。

 他にも畿内で雇った牢人衆1000人。

 計1万3000人が好き勝手に暴れているというのに。





 信長が岐阜城に釘付けにされている理由は越前朝倉との敵対にある。

 越前は美濃と隣接しており、織田軍が美濃から畿内に遠征に出たら、朝倉軍が信長が留守の美濃を攻めるのは火を見るよりも明らかだったからだ。

 その為、美濃の北部方面(まあ、殆どが山なので大丈夫なのだが)、それでも西美濃の北側を強化する必要があり、その普請に追われていたのだ。





 恒興もその間、犬山城の城主として、犬山城の城壁の強化、木曽川総支配として木曽川の治水工事と技流での用水路の拡張工事、来年用の水田の区分け、舟水運の統括と色々とやっており、あっという間に日数が過ぎていた訳だが。





 ◇






 摂津の「野田城・福島城の戦い」は織田軍が到着せずに、現地に向かった幕府軍と三好三人衆軍の睨み合いが既に始まっていた。





 七月二十七日の段階で、大和国の信貴山城で準備を整えた松永久秀がいち早く、

「幕府に恩を売る好機じゃな。出陣するぞ」

 兵3000人を率いて摂津に出陣していた。

 大和国守護の久秀の軍が僅か3000人なのは大和国内で小競り合いを繰り返してる国衆対策である。

「よろしいのですか、父上? 我らが大和国から出陣しても。もし筒井が我らの留守中に兵を挙げれば大変な事になりますが」

 心配した息子の松永久通が問うと、

「分かっておらんな、彦六。ワシは幕府が認めた大和守護だぞ。弓を引いてくれた方が『筒井が三好三人衆に呼応した』と織田殿に泣き付けて都合が良かろうが」

 久秀は悪そうに笑った。

「つまり、それを狙って?」

「そういう事じゃ」

 久秀は堂々と摂津に出陣したのだった。





 八月二日には紀伊、並びに河内守護の畠山秋高の許に足利義昭から書簡が届き、「信長と合力して三人衆軍を倒せ」と命令を受けていた。

 畠山秋高の「秋」は足利義昭の前の名前の足利義秋のいみなである。

 上洛後に義昭の幕府に服した連中とは年季が違い、命令に応じ、

「出陣だっ! 三好三人衆の残り二人を討ち取るぞっ! 根来衆にも援軍の要請を頼んでおけっ!」

 紀伊国、そして河内半国守護の秋高は兵5000人を動員して摂津に向かって進軍したのだった。





 ◇





 河内守護の畠山秋高に書状が届いたという事は当然、美濃の岐阜城の信長の許にも足利義昭の書状は届いているという事だ。

 難しい事が長々と書いているが、簡単に一言にまとめれば、

「早く兵を率いて来て下され、信長殿~」

 となった。

(はん、1万3000の兵くらい、畿内の守護で倒せるだろうが。こっちはまだ越前対策用の防衛の準備が出来ておらぬというのに)

「いつ頃、来ていただけるのでしょうか?」

 幕府からの使者は信長も顔が分かる若狭武田氏の武田信景で、その信景が問うと、

「間もなくだ。美濃での越前の防備が整ったら出向く」

「出来るだけお早くお願いします」

「ん? 心配し過ぎではないか? 三好三人衆ぐらい畿内の守護達で簡単に片付くであろう」

 信長の問いに、「それは」と一瞬、口にするか迷った信景が、

「・・・矢銭10万貫の話は聞かれましたか?」

「さすがに虚偽であろう、あれは?」

 信長がそう試すと、信景が皮肉げな顔で、

「いえ、大変不名誉な事ながら、公方様が口にされるのを直接聞きました」

「・・・幕府の連中は何をやっているのだ?」

「幕臣の八割が『本願寺が出す』と本気で思っていた状態でして・・・出来れば池田殿だけでも京に先に派遣していただけないでしょうか?」

「勝は今、与えた城の整備をさせててな」

「ならば織田殿の重臣の誰かを派遣して幕府の暴走を止めてはいただけませんか」

「そんなに酷いのか? 三淵は何をしている?」

「それが公方様の不興を買ったらしく。最近は大和守の事を公方様も信頼しておられぬ様子でして」

「どうして不興を買った?」

「それが・・・河内守護の三好義継殿に公方様の妹姫を嫁がせる話の時に、血の繋がった妹姫を嫁がせるよう強弁されて・・・」

「ああ、それは怒るな。 三淵も何を考えているんだか」

 信長も納得し、

「間もなく向かうのでそう公方様に伝えてくれ」

 そう使者を返したのだが、





 ◇





 八月十七日。

 畿内では三好三人衆軍が幕府方の前線基地である三好義継の河内国の古橋城を攻撃した。

 松永軍3000人、畠山軍5000人、三好義継軍4000人が、摂津の三好三人衆方の野田城や福島城と睨み当てる隙に別動隊2000人を河内国に攻めさせて。

 別動隊を率いていたのは斉藤龍興で、

「降伏を許すなっ! 皆殺しにしてやれっ!」

 河内の古橋城には三好義継の兵300人程が籠もっていたが、全滅に近い形で(結城弥平次の逸話は省略)三好三人衆の軍に落とされたのだった。





 ◇





 その落城の報を受けて、

「城を落とされるとは。何をやってるんだ、畿内の連中は」

 信長は呆れながらも岐阜城に将兵を招集した。





 犬山城で内政をしていた恒興も呼び出されたので出向くと、

「畿内に出陣するぞ」

 信長の触れで織田軍は出陣したのだった。





 例によって馬廻りだけが先行する行軍な訳だが、道すがら新たに信長に貰った名馬に乗りながら恒興が、

「今年は北近江ではなかったのですか、信長様?」

「今年中に浅井を潰すのは諦めた。どうも畿内がきな臭い事になっててな」

「きな臭いとは?」

「幕府が矢銭10万貫を本願寺にねだったとかだ」

 犬山城に出向いてて、その話をまだ聞いていなかった恒興は、

「御冗談を、信長様。二月に畿内と近隣の大名達やその使者が上洛した際にどれだけの貢物が公方様に献じられたと思ってるんですか? あれもまだ使い切っていないのにねだる訳が」

 信長の冗談だと決め付けた。

 だが、信長がつまらなそうな顔で、

「と思うであろう、勝も? いったい何を考えておるのやら」

「えっ、本当なんですか? いくら公方様が本願寺嫌いとはいえ」

 義昭の本願寺嫌いの報告を思い出した信長が、

「そう言えばそんな事を言っていたな・・・それでか」

「その、信長様。まさかとは思いますが、本願寺は10万貫を支払ったんですか?」

「10万貫なんて払う訳がないだろ」

「いえいえ、分かりませんよ、本願寺なら。もし支払ってたら、その方が怖いですから」

「まあ、確かにそうだが」

 と信長が答えたところで、恒興も信長が本願寺を話題にした真意に気付いて、

「・・・えっ、もしかして幕府と本願寺って敵対してるんですか? でも伊勢長島の僧兵が一揆を起こしたなんて聞いてませんが?」

「まだ敵対はしておらん。な」

 冷めた怒り顔の信長を見て、

「なるほど、本願寺を繋ぎとめる為に畿内に出向く訳ですね」

 恒興はそう納得し、信長が更に、

「それと幕府の正常化だ。勝、そちらは任せたぞ」

「はっ」

 恒興はそう返事をしたのだった。





 織田軍の京までの道順は、

 美濃、南近江、京。

 である。

 木下秀吉が城番に入る横山城を織田方が抑え、丹羽長秀が包囲する佐和山城からの浅井軍の出陣を防ぐ事でどうにか南近江の横断が可能となっていた。

 但し、小谷城から浅井軍が出陣してこなければ、の話だが。





 そんな訳で移動は慎重を期す事となった。





 まずは横山城で一泊である。

 横山城に入れば城番の秀吉が、

「信長様、サルめも畿内について行ってもいいでしょうか?」

「駄目に決まってるだろうが」

 信長がぶっきらぼうに言い、恒興も、

「そうだぞ、秀吉。今回はかなり拙いっぽいからな。最悪、横山城だけは死守してくれよ」

 そう秀吉に念を押し、秀吉が重治に、

「どういう事だ、竹中殿」

「幕府か矢銭10万貫を要求した事で本願寺が敵に回りそうなのですよ」

「えっ、本願寺が敵に回ったら・・・伊勢長島も、ですよね?」

 秀吉が信長に問い、嫌な指摘をされた信長は無言で不機嫌そうに秀吉をジロリと睨んだ。

 秀吉が「出しゃばり過ぎた。殴られる」と思う中、信長が動く前に恒興が、

「最悪、滅茶苦茶になるって事さ。横山城は美濃への帰り道だ。絶対に浅井から死守しろよ、秀吉。信長様が畿内に向かった好機を見逃すほど浅井は馬鹿じゃないから」

 そう教えた事で信長は秀吉を殴る事なく奥に向かったのだった。





 信長公記曰く、横山城で更に一泊と記されている。

 浅井軍が妙な動きを見せたからではない。

 織田軍の美濃からの歩兵の集結を待つ為だ。

 とはいえ、いくさに突入しているのに無駄に一日を過ごす訳もなく、軍議に時を費やしていた。





 八月二十二日は長光寺城に入って柴田勝家はそのまま信長軍に合流。

 長光寺城の留守居役は柴田隊の中村文荷斎が務めた。





 八月二十三日には織田軍は京の本能寺に入った。

 当然、馬廻りだけが先行してだ。

 織田軍の歩兵はまだ近江を必死に歩いている。

 二条御所に信長が挨拶に出向くと、

「おお、よくぞ来てくれた、信長。畿内の三好三人衆どもの討伐は任せたぞ」

 義昭が気軽に言い、信長は、

(コイツだけは本当に・・・いや、今年は我慢だ)

 怒りそうになった自分に言い聞かせて、

「はっ、兵の到着を待って摂津に出陣致しまする」

「そうか。では今日は酒宴で信長をもてなそう」

「いえ。摂津の情報を把握する必要があり、本能寺で軍議を開きますので、私はこれで。そうそう、勝が何か公方様に聞きたい事があるそうなので残しますね」

 そう言って信長は早々に退席し、恒興だけが残されたのだった。

「久しぶりだな、恒興。七月に浅井、朝倉を近江で倒して信長が報告に来た時も京に来ておったのであろう? どうして二条御所に顔を出さなかった?」

「それが近江の姉川で逆賊、浅井長政と戦場いくさばまみえたのですが、討ち取れずにみすみす逃がしてしまい、公方様に会わせる顔がなく」

 (適当に)恒興がしおらしく答え、義昭は、

「そんな事を気にしておったのか?」

い奴め)

 と思ったが、

「だが手柄を立てて信長に城を貰ったのであろう?」

「はい、何やら浅井の舎弟を討ち果たしていたらしく」

 そう恒興は手柄を誇ったが、思い出したように、

「そうだ。その城主就任の祝儀で摂津守護の和田惟政殿から銀を1000枚以上いただきましたが、よろしかったのでしょうか?」

「ほう、伊賀守から。そんなに貯め込んでたのか、アヤツは」

「本当に貰っても・・・」

「ああ、よいぞ。だが何故そんな事を聞くのだ?」

「公方様って、その、今、お金に困ってるんですよね?」

「ん? 何の話だ?」

「だって本願寺に矢銭10万貫を出させようとしたって」

「ああ、あれか。軍費の足しに出させようとしただけだ。まあ、出さなかったがな。幕府を何だと思っておるんだ、本願寺は」

 義昭が本気で怒ってるのを見て、恒興は、

(酒に酔っ払ってないよな、今?)

 と本気で心配したが、

「いやいや、それは公方様が嫌いな本願寺にだけ失銭を課したのを知って出さなかったのだと思いますよ」

「恒興、それは誤解だぞ。延暦寺にも要求したのだからな」

 新情報が飛び出して、恒興が片眉を上げた。

「延暦寺って琵琶湖の北側の西の方にあって裏は鯖街道に面した、ですよね?」

「ああ、1万貫にまけてやったのに、それでも出さんかったのだぞ。延暦寺め、貯め込んでおる癖に。ケチ臭い連中だわい。酒宴に招いて余が面と向かって申し出たというのに」

 出さないのが間違ってる前提で義昭は話し、恒興の方は、

(延暦寺もかよ。ってか、信長様の「副状」を添える御掟は? 守っていない? 注意するべきか? いや、延暦寺の方は御掟に抵触しないように口頭にしてるんだから、公方様も一応は気にしてる訳かーーいや、違う。僧侶を招くのも駄目だってあったろ・・・もう、どうでもいいや。どうせ来年には切り捨てるんだから)

 指摘せずに、

「あのお寺はケチで有名ですからね~」

「ん? ケチで有名とは?」

「あれ、公方様は知りませんでしたか? 今の延暦寺の座主は帝の弟様ですのに、内裏の朽ちた塀を修築していなかったじゃないですか。公家の間では『弟様はケチだ』と陰口を叩かれてるらしいですよ」

「なるほど。京では延暦寺はケチで有名だったのか。恒興、そういう事は早く教えぬか。余が無駄な事をしてしまったではないか」

「てっきり公家の方々から聞いてるとばかり」

 などと喋ったのだった。





 久しぶりだったので二条御所にて恒興は長々と義昭と喋った。

 京を離れた後の姉川の戦いやら、犬山城での内政やらの雑談を面白おかしく。

 だが、恒興には信長から任された役目があり、

「そうだ、公方様。三好一族は全員皆殺しですよね、やっぱり?」

「当然であろうが」

「ですよね~」

 残念そうに恒興が言ったので、義昭が気になって、

「何かあるのか、恒興?」

「三好三人衆の一人、もう死にましたでしょう? 三好政康って名前のが」

「ああ、それが」

「その後を継いだ弟を許すかどうかを公方様に聞きたかったのですが」

「そんなの駄目に決まってるであろうが」

「恩赦を与えて内部分裂を誘うのも有効だと思ったのですが。三好三人衆の一角が崩れるんですから」

 興味を持った義昭が、

「ふむ、仲間割れを誘うか。なるほどのう」

「それに聞いた話では三好三人衆の三好政康を殺したのはその弟の手勢という噂ですし」

「ほう、それは見所があるのう。では『美濃尾張身の終わり』ならば良いぞ」

 義昭が気軽にさらっと言ったので、駄目元で頼んでいた恒興の方が驚いて、

「えっ? 本当に?」

 慌てて政所執事の摂津晴門を見て、

「中務殿、本当にいいんですか? 三好姓ですが?」

「公方様が良いとおっしゃれているのであれば」

「では一筆、お願い致します、公方様。直ちにその書状を調略に使いますので」

 恒興はこうして三好政康の弟、三好為三の恩赦を勝ち取ったのだった。





 恒興はその後も犬山城主の就任祝いに義昭から黄金三十枚を貰っていた。

 最初は、

「そうそう、恒興の城主就任祝いは何が良いかのう。そうだ、官位を斡旋してやろう」

 と義昭に気軽に言われて、

「いえいえ、出来れば銭でお願いします、公方様」

「そうなのか?」

「はい、貰った城壁の修築、自腹なんですから~。まだ禄が届いてなくて。他にも色々と入り用で城持ち貧乏になってて」

 と嘆いて、恒興は何とか黄金三十枚(120貫)に変えて貰い、受け取っていたのだった。





 そして二条御所から本能寺に戻って、恒興は信長に報告した。

「はあ? 延暦寺にも矢銭1万貫を打診してただと? それも二条御所での酒宴の席で口頭で?」

「はい。滅茶苦茶やってますよ、公方様」

「勝、どうにかせえ、を」

「もう手遅れですよ」

 恒興がさらっと言う中、

「だが、赦免の書状を貰ってきたのはよくやった」

「黄金三十枚は貰ってもいいですか?」

「ああ、構わんぞ」

 信長は義昭の行動をまだ気楽に考え、摂津の情勢に思いを馳せたのだった。





 ◇





 八月二十六日。

 摂津の野田城や福島城の傍の天王寺城に信長が率いる織田軍は到着した。

 その兵数は2万8000人である。

 義昭の上洛の時は7万人を動員したのに。

 別にこれは越前対策に4万の兵を領地に置いてきた訳ではなく、単に2万8000人でも勝てると踏んでたからだ。

 動員した際の兵糧も馬鹿にはならないので。





 天王寺城には摂津三守護の一人、和田惟政がおり、

「良く来て下された、織田殿」

「うむ。戦況は?」

「川があるので私の手勢だけでは攻められず」

「左様か。では後は任せよ。惟政にはオレの指揮下に入って貰うぞ」

「はっ」

 惟政が畏まり、信長が城の中に入る中、恒興が、

「城主の就任祝い、ありがとうございました、伊賀守殿」

「これで貸し借りは無しだからな」

「それはもう」

 禄高1万貫の半分の5000貫も貰ってるのだ。

 更に「寄越せ」とは図々しい恒興でもさすがに言えない。

「でもよくあれだけの銀を集められましたね?」

「貰ったんだよ、西国の大名やら豪商やらに。幕府への取次役をしてたかららしいが」

「へ~」

「弟の事もよろしく頼むな」

「ええ、もちろん。オレの方も頼りにしておりますので」

 惟政と喋りながら恒興も入城したのだった。





 天王寺城には他にも松永久秀が居て信長に挨拶した後、恒興の許に来て、

「実はワシ、公方様に嫌われておるようなのだが、池田殿は何故公方様がワシを嫌ってるか教えられておりますかな?」

 真顔でそう相談した。

 恒興の方は呆れながら背後の控えていた若者に視線をやって、

「そちらの凛々しい若武者は?」

「これは紹介が遅れました、息子の彦六です」

「松永久通です。今後ともよろしくお願いします、池田殿」

 久秀の紹介で久通が名乗る中、恒興は久秀を指差した指を上下に振りながら、

「違うでしょう~。そこは嘘でも死んだ弟さんの息子だと言わないと~。松永殿の御子息はは高野山に入ってるんですから~」

「えっと、何の話でしょうか?」

 久通が不思議そうに尋ねたので、

「あれ、久秀殿から聞いていませんか? 公方様が永禄の変で許したのは『大和に居た久秀殿』と『弱冠十六歳で三好の権限がなかった宗家の三好義継殿』の二人だけという事ですよ。貴殿は公方様の兄君を攻めてて許されず、高野山で蟄居を命じされているのですから。公方様が上洛した時に。なのに、のうのうと出歩いて・・・」

「そうだったのですか。父からはまったく聞かされておらず。ですが公方様の養女と縁組されたのですから義継様は許されたのですよね?」

「まだ若かったですからね。貴殿は義継殿よりも年が上でしょう? 公方様の眼前に出て赦免を求めませんように。掴まって殺されますぞ」

 恒興が久通に忠告する中、久秀が考えるように、

「もしかしてその事が露見して公方様の怒りに触れたのですか?」

「誰かが吹き込んだのでしょう。何か大和の国衆の坊主が公方様に近付いてると聞きますし」

「どうにかしていただけるのですよね、池田殿?」

「いやいや、オレは京にはずっとは居ませんので。このいくさで手柄を立てて松永殿が必要だと公方様に思わせるのが一番かと」

「では励みましょう」

 などと恒興は久秀と喋ったのだった。





 三好三人衆軍が籠もる野田城や福島城は川に囲まれた三角州にあった為、堅城で、信長もすぐに攻める事はしなかった。

 初手は内応工作である。

 狙いは二人。





 三好政康の家督を継いだ弟の三好為三。

 伊丹親興の軍の所為で池田城に釘付けの池田知正。





 三好為三は見所があり、14代将軍、足利義栄に与していない。

 そして政康の死にざまが伝わらない死。

 戦国の世で「死にざまが伝わらない死」は謀殺に決まっている。

 病死なら病死と伝わるのだから。

 死にざまが伝わっていない死なので真相は不明だが、恒興は不明なのをいい事に都合良く解釈して、足利義昭に赦免状を書かせている。

 本当に政康を殺してるなら内応する可能性はあった。





 兄を追放した摂津池田城の池田和正の方は三好方に「池田が織田に寝返った」と流言を広めるだけでいい。

 疑心暗鬼で潰し合うのだから。

 それと天王寺城の居た追放された池田勝正からの書状を池田城の重臣達にばら撒くだけで。

 それだけで、もう摂津の池田城は身動きが取れないのだから。





 その工作が当たり、信長の着陣の僅か二日後の八月二十八日には、





 三好為三。

 香西長信。





 この二将が織田軍に寝返ってきた。

 二将だけだ。

 信長公記には細川信良(昭元)も寝返ってきたとあるが、昭元はこの戦いの和睦後に義昭の寵愛を受けていたので、この時点では投降してきてはいない。

 後に信長の義弟となるので、公記の著者が気を利かせたのだろう。





 三好為三が野田城か福島城を乗っ取って信長に寝返ってくれたら更に良かったのだが、天王寺城に駆け込んできていた。

 それでも信長は喜び、

「良くぞ、我が陣営に来てくれた。歓迎するぞ」

「ははっ、これからは織田殿の為に尽くしまする」

「受け入れてくれてありがとうございます」

 三好為三、香西長信が信長の前でひれ伏し、信長は内心で、

(三好為三、使えなさそうな奴だのう。後、この香西、オレと名前が逆だから。投降する前に改名してこいよな)

 そう思ってたのだった。





 登場人物、1570年度





 松永久通(28)・・・松永家の当主。松永久秀の息子。大和多聞山城主。通称、彦六。官位、右衛門佐。家督は譲られたが久秀が実権を持つ。高野山で蟄居せず。

 能力値、父似の久通B、悪の華A、将軍殺しの悪名B、義昭の高野山での蟄居命令を知らず★、畿内では知らぬ者なし☆、松永家臣団での待遇☆☆

 畠山秋高(36)・・・河内半国守護及び紀伊国守護。高屋城主。通称、次郎四郎。父、畠山政国。秋は足利義昭の諱。根来衆を味方に引き入れる工作をして出陣した。

 能力値、紀伊の王は熊野大社A、南大和の王は高野山A、義昭贔屓の秋高A、鉄砲よりも弓矢B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠A

 三好為三(34)・・・三好氏傍流。摂津榎並城主。兄は三好政康。兄の家督と地位を継ぐ。真田十勇士の一人、三好伊三入道のモデル。政康を殺したのは十河一存の遺臣との噂。

 能力値、手切れの為三S、三好三人衆の末期状態に乗じて☆、阿波より摂津A、義昭からの赦免状A、勝ち馬に乗り替えるB、三好氏は傍流でも三好氏S

 香西長信(33)・・・三好為三の直臣。香西氏の一族。官位、越後守。丹後が拠点。為三の寝返りに同行。為三が政康を謀殺した十河の遺臣を殺すとするのを止めた。

 能力値、勝ち馬乗りの長信C、丹後通A、三人衆より宗家S、為三への忠誠A、為三からの信頼S、三好為三家臣団での待遇S
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颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

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