85 / 91
1570年5月〜7月、姉川の戦い
犬山城拝領
しおりを挟む
【織田軍、佐和山城の鹿垣を更に強化した説、採用】
【織田信長、訴訟を総て幕府に突き返した説、採用】
【足利義昭、信長に畿内平定を打診した説、採用】
【池田恒興、嫌々貧乏籤の犬山城主を押し付けられた説、採用】
【池田恒興、信長より蝶の旗印(池田蝶)を貰った説、採用】
【和田惟政、恒興の城主就任祝いとして賭け将棋の負債を返済した説、採用】
【銀と銭の価値は柔軟に(変更あり)説、採用】
【足利義昭、本願寺に矢銭10万貫をたかるも歴史の闇に消された説、採用】
姉川の戦いが終わり、横山城を陥落させても信長は美濃に退却しなかった。
七月一日には浅井陣営の南近江の佐和山城を包囲する鹿垣の視察に向かった。
佐和山城の東に位置する百々安信の屋敷を砦に修築して丹羽長秀を入れ、西側の彦根山にも砦を作り、河尻秀隆が配置された。
当然、南も北も砦が築かれる完全包囲で、北の山の砦には市橋長利、南の山の砦には水野元信が配置された。
織田軍の兵達にその砦建築の普請をさせながら、信長は馬廻りだけを連れて京へと向かった。
道中で馬を走らせる恒興が隣の信長に、
「(ええっと、信長様。公方様とは手切れなのでは?)」
「(手切れになるまでは悟られぬように奉公するさ)」
悪そうに信長が笑い、
「なるほど」
と納得して恒興も京まで付き合ったのだった。
七月六日、信長一行は入洛した。
定宿の本能寺に入ると京奉行の一人、村井貞勝が困った顔で、
「上様、幕府に回されるはずの訴訟がこちらに回されてるのですが」
信長の指示を仰いだ。
「幕府に差し戻せ」
「はっ」
「ったく。どうしてこんな事になるんだか」
不機嫌そうに呟く信長に、恒興が、
「訴訟を捌かずに酒宴をしてるからでしょ」
と教えた。
「どうにかならんのか、あれは?」
「無理ですね。公家や僧侶と酒を飲むのが仕事だと幕臣どもに教えられてますので」
「そしてその隙に幕臣どもが幕府を専横する訳か? やはり不要だな、もう」
信長はそう冷徹に呟いたのだった。
その日の内に、二条御所にて足利義昭と謁見した。
織田の勝利報告が既に入っていたのか、義昭は上機嫌で、
「浅井、朝倉に勝ったそうだな、信長」
「はっ」
「よくやった」
そう褒めた義昭は、
「摂津の話は聞いたか?」
「池田城ですね」
「ああ。織田の兵を回してくれ。摂津の治安を取り戻したい」
(気軽に言ってくれる。なるほど、勝が言った通りだな。戦を知らない、か」
信長はそう思いながら、
「兵を休ませた後にでも」
そう守るつもりのない空約束をした。
信長が義昭と二条御所で会見してる頃、恒興の方は内裏(帝御所)の普請現場に顔を出していた。
あれだけ京で普請の現場監督をやったのだ。
普請に興味のない恒興でもさすがに完成が気になって。
だが、まだまだ普請は続いていた。
本当にそれを確認しただけですぐに本能寺に戻る予定だったのだが、二条晴安を名乗る誠仁親王と遭い、
「池田、近江での戦に勝ったようだな」
「お陰様で」
「織田の記譜通り、浅井、朝倉を潰して終わりとなるのか?」
「いえ、そうは問屋が卸さないようでして。織田が京を離れた隙に幕府方の摂津の三守護の一人が城から追われた事から、畿内に三好三人衆の軍が入るのは確実でして」
「また京が襲われるのか?」
それは看過出来ず誠仁親王が尋ねたが、
「いえ、畿内の守護達が眼を光らせて防ぐかと」
「その間に織田の兵が畿内に戻ってくる訳か」
「はい」
「期待しているぞ」
そう言って誠仁親王は内裏内に帰っていき、恒興も本能寺に戻ったのだった。
そして入浴した直後から本能寺では公家達による「信長詣で」が起きており、
「公家達に会われませんので?」
「そんな暇があるか。美濃に帰るぞ」
嫌気が差した信長は七月八日にはさっさと岐阜城に向けて出発したのだった。
◇
岐阜城に戻った信長がした事は「姉川の戦い」の論功行賞である。
宿老と家老が並ぶ岐阜城の論功の場に池田恒興が改めて呼ばれ、尾張より美濃に来てる平手久秀が、
「馬廻り隊長、池田恒興。姉川の戦いでの戦功、実に見事である。褒美として犬山城と一万貫の禄高を与える」
一万貫とは二万石の事である。
「ええっと、姉川の戦いでは殆ど手柄も立てていないので要りませんけど」
恒興はそう固辞した。
確かに何人か倒したが、その首は拾っていない。
だが、馬廻りの証言から浅井軍の主だった上将をかなり斬り殺しており、指揮する馬廻りの別動隊300騎全体の手柄もかなり突出していたので、この褒美となった。
恒興が断ると思っていた上座の信長が不機嫌そうな笑みを浮かべて
「勝、受けよ。枝城の伊木山城も付けてやるから」
「嫌ですよ」
「駄目だ。受けよ。寄騎も含めてな」
信長がそう言った事で、宿老や家老が「ん?」と考える中、恒興が、
「中島豊後守、裏切りそうなんですか?」
そう名指しした事で論功の場の重臣は尾張出身の古参だらけだったので全員が「岩室重休の件をまだ恨んでるのか」と理解した。
「いいや。木曽川の総支配をやらそうと思ってな」
それは本当だ。
美濃の内政のテコ入れをする事を留守居役の林秀貞から提唱されて。
特に美濃と尾張の県境の木曽川の治水工事、並びに尾張と美濃が併合した事で国境が荒れる心配もなくなり田園開発をせねばならないのだが。
木曽川の水量では堰が作れないので、木曽川に流れる支流の郷瀬川(南域)や大安寺川(北域)に堰を作って用水路に水を流して水田を開発するのだが、それが現在遅れており、その開発を恒興に「やれ」と信長は言っているのだ。
他にも木曽川の舟の水運の等々の管理も。
面倒臭い事この上ない。
だが、信長の狙いはそれだけではない。
恒興も読めていたので、
「・・・二十日ですからね」
「何がだ?」
「武田の大軍に犬山城が包囲されても持つの。それまでに助けに来てくれないと、いくらオレでも投降しますから」
「四十日は持たせよ」
「ええ~、オレはともかく雑兵がそこまで持つ訳が・・・」
信長と恒興の問答を受けて、武田軍侵攻への備えに犬山城に恒興が配置された事を他の重臣達も知ったのだった。
改めて、
「犬山城の拝領を受けよ。良いな、勝」
信長の命令は織田家では絶対である。
恒興ならばもっとだ。
だが、恒興は信長にねだれる男だったので、しおらしい顔で、
「実は馬がそろそろ老いておりまして、岐阜城と犬山城の往復もままならず」
「そうであったな。馬も取らせるから」
「室を犬山城に入れるとして、岐阜城下の屋敷が空になり、出来れば那古野城の城下の武田の女中を入れたいのですが」
「ああ、そんなのも居たな。良かろう」
「後・・・」
恒興がまだ信長にねだろうとしたので、信長も、
「余り調子に乗るなよ、勝」
と怒る寸前となったが、恒興が間髪入れずに、
「いえいえ、信長様が忘れている子供の頃の約束を履行していただきたいだけで」
「?」
「先代の信秀様と将棋を指してオレが勝ったら『蝶の旗印をくれる』と言われてオレが勝ったのに『城持ちに出世するまでお預けだ』と信長様が取り上げた蝶の旗印ですよ。それをいただきたく」
これは幼少期を一緒に過ごした恒興と信長にしか分からない問答ーーではない。
織田の家中、それも重臣達の間では、有名な逸話だった。
十歳の恒興(当時、勝三郎)が先代の信秀から賭け将棋で蝶の旗印を巻き上げた話は。
何せ、恒興が禁じ手で勝っていたので。
「ああ、あったな」
さすがに覚えてた信長が怒りを苦笑いに変えて脱力し、平手久秀が代わりに怒りながら、
「ふざけるなよ、勝三郎。あれはイカサマ将棋であろうが」
「いえいえ、信秀様も『よい』とおっしゃられてましたので」
「ったく。仕方ない。約束したのも覚えてるからな。良かろう、勝。蝶の旗印の使用も許してやろう」
「ありがとうございます、信長様。池田恒興、謹んで犬山城主をお受け致しまする」
こうして恒興は犬山城と伊木山城と一万貫の禄高と名馬と池田蝶の旗印を貰ったのだった。
褒美を貰った直後の岐阜城の廊下にて、
「どうでした、勝様? どれほどの褒美を頂きました?」
木下秀吉が聞きにきた。
毎度の事だ。
秀吉は周囲の褒美を聞きたがる性格だったので。
人によっては教えないが、恒興は気軽に話せる性格だったので、
「一万貫の禄高と犬山城を貰っただけだよ」
「何と・・・城を? それも尾張の犬山城。さすがは勝様。凄いではないですか」
「凄くないんだよ。損な役回りを押し付けられてガッカリなんだからな」
「と言うと?」
「詳しくは竹中から聞けよ、秀吉」
「そう言わずに勝様のお口からお願いします」
と秀吉が言うので、
「ったく、徳川が武田に寝返って一緒に尾張を攻めたら水野も徳川に与して、 那古野城や清洲城では武田相手に防衛は無理だ。尾張の大半は取られて美濃の防衛線となるのが犬山城って事だよ」
「えっ? 織田と武田は婚姻同盟中では?」
「秀吉、おまえ、何を言ってるんだ? 武田はその婚姻同盟中の今川を潰してるだろうが」
「武田は今、北条と敵対していると聞きましたが?」
「一進一退なら北条よりも雑魚の徳川を潰す方が楽だと考えるだろうさ。武田が北条と和睦したら兵を西に向けるぞ、武田は。そして徳川の出方次第では尾張が戦場になる」
「それで犬山城は嫌な訳ですか」
「ああ、秀吉の横山城の方が断然得だな」
「浅井もまだ大変だと竹中殿が言ってましたが?」
「それは小谷城を攻めるには、だよ。横山城を守るのは簡単さ。じゃあな、オレは引っ越しがあるから。はぁ~、やってられない」
そう言って恒興は秀吉と別れて、
岐阜城下の池田屋敷に戻った。
身重の正室の善応院、長女の七条、次男の古新に伝えようとしたが、織田家嫡子、奇妙のお側衆をしてる池田家の長男の勘九郎も来ており、既に勝九郎の口から伝わったのか、
「犬山城の拝領、おめでとうございます」
声を揃えて祝われた。
「オレの口から言いたかったのだがな」
恒興が11歳の勝九郎を見ると、
「申し訳ございません、父上。奇妙丸様に教えていただいき、居ても立っても居られず」
「まあ、よかろう。そんな訳で吉日に犬山城に入るので皆、引っ越しの準備をするように。ああ、この屋敷は武田に貰った女中が使うけどいいよな?」
「好きになさいませ」
城主夫人になって喜んでる妻の善応院の了承を得て、恒興は好きにしたのだった。
尾張の犬山城。
尾張と美濃の国境の木曽川の南に聳える堅牢な犬山に聳える城である。
山城なので本城の頂上までが遠い。
妊娠中の善応院には少し険しい道のりだった。
そして天守閣が存在しない一の丸にて、恒興は、
「犬山城の城主となった池田恒興だ。オレは殆ど馬廻りとして信長様と出陣するので、城代の森寺秀勝の指示に従うように」
そう上座から挨拶したのだった。
池田家の重臣は、
池田家の家宰で、恒興の後見人で、犬山城の城代の森寺秀勝。
信長の近習から派遣された二番家宰で、枝城の伊木山城主の伊木忠次。
正室、善応院の実弟で、木田城主の荒尾善久。
秀勝の嫡子の森寺忠勝。
恒興の寄騎で、犬山城の枝城の小口城主で、岩室重休を殺してる中島豊後守。
恒興の寄騎で、犬山城の枝城の黒田城主で、和田惟政の実弟の和田定利。
これらが、
「ははっ」
と声を合わせて畏まったのだった。
当然、城主就任ともなれば、祝品なども織田家中から多数贈られてくる事になる。
尾張国の津島の豪商からも。
中には遠方の松永久秀からも贈られてきており、
「鉄砲を更に10挺ねえ」
恒興は興味無さそうに呟いた。セ
本当は城主就任の祝いに鉄砲10挺は破格なのだが、それ以上の祝品を贈り付けてきた者がいたからだ。
その贈り主は摂津の三守護の一人、和田惟政だった。
例の賭け将棋の4200貫の証文があったからか、実弟の和田定利の直属の上役になったからかは知らないが、
「銀1250枚って・・・幾らくらいだっけ?」
「銀1枚が4貫なので5000貫ちょうどかと」
城代の秀勝がさらっと答えた。
「ああ、賭け将棋の支払いの分も込みな訳か」
と呟きながらも、同時に摂津三守護の利権の凄さにも舌を巻いていた。
畿内で扱う銀と言えば、但馬国の生野銀山だ。
そこから流れたのだろう。
「殿、そんなに巻き上げられたのですか?」
秀勝が驚いた様子で尋ねた。
得意げに恒興が、
「まあね。接戦に持ち込むのがコツさ」
「ですが、これ、信長様に届け出ないと拙いのでは」
「?」
「摂津の和田惟政殿と言えば信長様の勘気に触れて一度蟄居になっておりますれば」
「ああ、あったな。若狭征伐前に許されてたが。必要ないと思うが、まあ、頼んだ」
恒興はそう秀勝の進言を採用したのだった。
次に恒興は用意された新たな旗印の図柄を確認していた。
信長から蝶の旗印を貰ったが、さすがに織田家の蝶の図柄と一緒では気が引ける。
その為、蝶の図柄を職人に描かせて、どれにするか決めていたのだ。
だが、どれも甲乙付けがたい。
三種類まで絞られたが、ずっと眺めていたら善し悪しが分からなくなり始めて、
「古新はどれがいい?」
と次男に選ばせて、
「これ」
と5歳の古新が選んだ一枚が採用されて、池田蝶の旗印となったのだった。
◇
七月二十一日。
三好三人衆軍8000人が遂に阿波から摂津の中島に進出してきた。
そして元々あった野田城と福島城の修築を始めた。
前回の退却時での失敗を踏まえて、今回は京までは進軍せず、この地で織田軍を迎え討とうと決めたらしい。
その三好三人衆軍の動きは当然、京の二条御所にも届き、
あり得ない事が起こった。
あり得なさ過ぎて書状が残っておらず、歴史の闇に一瞬で消える事となった出来事なのだが。
京の二条御所の評議の席で足利義昭が、
「三好三人衆の残る二人が攻めてきたか。よし、畿内の守護達に三好三人衆の軍を攻めて撃退するように命令書を出せ」
「はっ」
政所執事の摂津晴門が答えた後、
「公方様、その、矢銭がありませんが」
「本願寺に出させれば良かろう。10万貫ほど」
さらっと軽く言ったのである。
義昭が。
本当に軽く言った。
1万貫は2万石なので、10万貫だと20万石となるのに、その事を理解していないかのように。
だが、この時、義昭は「10万貫が20万石だ」と理解した上で今の言葉を口にしていた。
越前に滞在していた事もあり、本願寺が越前の隣国の加賀35万石を丸々支配している事を知っていたので。
そう。捻出しようと思えば捻出出来るのだ、本願寺は。
10万貫を。
幕府に忠誠を誓っていないのだから本願寺が払う訳はなかったが。
世間を知っていれば誰もがそう思うはずであるが、幕府の中に居て、幕府の権威を信じ切っている幕臣達は、
「えっ、出せますか?」
「加賀一国を治めているのだから出せるであろう」
「なるほど、さすがは公方様」
と真面目な顔で論じ始めた。
正常な思考を持つ三淵藤英は驚き、何が起こってるのか、上座や同僚の顔を注意深く観察した。
そして気付く。
(まさか、本気で言ってるのか? 本願寺が10万貫の矢銭を出すと? どうしてこのような事態に? 織田が矢銭2万貫を堺に出させて、五千貫を本願寺に出させたから、幕府ならもっと出させる事が出来ると思ってる?)
思考がまともな藤英は幕府の現状に涼やかな顔ながら内心で唖然とし、同じく唖然として顔を歪めてる武田信景からの助けを求めるような視線を浴びても涼やかに受け流したのだった。
そんな訳で、幕府は本当に10万貫を催促する書状を石山本願寺に送り付けたのだが。
摂津の石山本願寺で書状を見た下間頼廉は、
「偽書にしては出来が悪いな」
相手にもせず破ったので、歴史に残る事はなかった。
余りにも非現実的過ぎて日記等々にも。
そして、その情報は京奉行の明智光秀を通して美濃の織田信長の許にも届いた。
信長は「義昭が10万貫を本願寺にたかった」と聞いて、「義昭は狂ったのか」と本気で疑ったほどである。
だが、事態はもっと深刻だったらしく、まず近江の横山城に居た竹中重治が岐阜城に早馬で駆け込んできた。
「妙な噂を聞いたのですが」
「と言うと?」
「公方様が本願寺に対して矢銭10万貫を課した話です」
「ああ、それが?」
笑い話にしか聞こえず信長は苦笑したが、重治の方は至って真剣な顔で、
「本願寺が牙を剥いたら浅井は今年中に落とせませぬぞ」
「であるか」
信長が知的に眼を光らせて、勝ち筋を考え直した。
「それどころか織田五ヶ国(尾張、美濃、伊勢志摩、南近江)内で一向一揆が発生して身動きが取れなくなり、最悪、三好三人衆や浅井、朝倉にしてやられますぞ」
(大袈裟な事を。竹中らしくもない)
と信長はまだ軽く考えており、
「どう手を打つ?」
「幕府の手切れを伸ばす事をお勧めします」
「つまり、浅井を後回しにして畿内に出向いて公方(呼び捨て)の為に三好三人衆軍と戦えと?」
「はい。今、幕府まで手放したら織田はおしまいですから」
「・・・竹中の進言は考慮しよう」
信長はつまらなそうに返答したのだった。
時を同じくして岐阜城の信長の耳に、
「森殿の奥方が男子を産んだそうです」
との報告が入った。
「そうか。それはめでたいな」
と答えた信長だったが、問題は産み月である。
七月下旬ならば、子種は昨年八月の物となり、その頃、夫の森可成は伊勢へ出陣中だ。
という事は、となる。
但し、そう簡単に決め付けられない要因もあった。
日の本の暦が旧暦だったからだ。
旧暦は西暦と違い、正確さに欠けるので、父親が森可成の可能性もまだ残っていた。
だが、恒興のヤラカシ具合から見て、
(勝の子だよな、勝のこれまでのヤラカシを考えたら、やっぱり。露見したら三左が勝を殺すぞ。はぁ~)
無駄に気配りをする破目になったのだった。
恒興の方は、
(ふ~、オレの子じゃなくて一安心だな。助かった~)
産み月の計算を間違って覚えていたので、そう呑気に安堵しつつ、
「ほう、森殿の奥方が。隣の領地だから祝儀を贈らねばな。犬山城主らしい額で頼むぞ」
「はっ」
恒興は城代の秀勝に祝儀の手配を丸投げしたのだった。
登場人物、 1570年度
平手久秀(44)・・・織田家の第二家老。尾張総留守居。論功総奉行。平手政秀の長男。嫡子は汎秀。頑固者。父親に顔が似てる。弁舌軽やか。
能力値、尾張一国支配の久秀SS、父、平手政秀の信長への貢献A、信長に馬を譲らなかった逸話S、信長への忠誠A、信長からの信頼S、信長家臣団での待遇☆
池田勝九郎(11)・・・池田恒興の嫡男。母、善応院。許婚は道三の孫。織田奇妙のお側衆。恒興の出世を知って母親に伝える。
能力値、父は恒興A、織田奇妙のお側衆A、許嫁は道三の孫A
森寺秀勝(47)・・・池田家の第一家宰。犬山城の城代。織田信秀の重臣。幼少期の池田恒興の後見人。信長の命令で恒興の配下になる。
能力値、池田家の家宰A、熱田通の秀勝A、銭集めB、恒興への忠誠A、恒興からの信頼S、池田家臣団での待遇S
池田古新(5)・・・池田恒興の次男。母は織田しば。信長の甥。家紋の池田蝶の図柄を選んだ。
能力値、父は恒興B、織田一門と同格扱いA、大物に気に入られる何かA
【織田信長、訴訟を総て幕府に突き返した説、採用】
【足利義昭、信長に畿内平定を打診した説、採用】
【池田恒興、嫌々貧乏籤の犬山城主を押し付けられた説、採用】
【池田恒興、信長より蝶の旗印(池田蝶)を貰った説、採用】
【和田惟政、恒興の城主就任祝いとして賭け将棋の負債を返済した説、採用】
【銀と銭の価値は柔軟に(変更あり)説、採用】
【足利義昭、本願寺に矢銭10万貫をたかるも歴史の闇に消された説、採用】
姉川の戦いが終わり、横山城を陥落させても信長は美濃に退却しなかった。
七月一日には浅井陣営の南近江の佐和山城を包囲する鹿垣の視察に向かった。
佐和山城の東に位置する百々安信の屋敷を砦に修築して丹羽長秀を入れ、西側の彦根山にも砦を作り、河尻秀隆が配置された。
当然、南も北も砦が築かれる完全包囲で、北の山の砦には市橋長利、南の山の砦には水野元信が配置された。
織田軍の兵達にその砦建築の普請をさせながら、信長は馬廻りだけを連れて京へと向かった。
道中で馬を走らせる恒興が隣の信長に、
「(ええっと、信長様。公方様とは手切れなのでは?)」
「(手切れになるまでは悟られぬように奉公するさ)」
悪そうに信長が笑い、
「なるほど」
と納得して恒興も京まで付き合ったのだった。
七月六日、信長一行は入洛した。
定宿の本能寺に入ると京奉行の一人、村井貞勝が困った顔で、
「上様、幕府に回されるはずの訴訟がこちらに回されてるのですが」
信長の指示を仰いだ。
「幕府に差し戻せ」
「はっ」
「ったく。どうしてこんな事になるんだか」
不機嫌そうに呟く信長に、恒興が、
「訴訟を捌かずに酒宴をしてるからでしょ」
と教えた。
「どうにかならんのか、あれは?」
「無理ですね。公家や僧侶と酒を飲むのが仕事だと幕臣どもに教えられてますので」
「そしてその隙に幕臣どもが幕府を専横する訳か? やはり不要だな、もう」
信長はそう冷徹に呟いたのだった。
その日の内に、二条御所にて足利義昭と謁見した。
織田の勝利報告が既に入っていたのか、義昭は上機嫌で、
「浅井、朝倉に勝ったそうだな、信長」
「はっ」
「よくやった」
そう褒めた義昭は、
「摂津の話は聞いたか?」
「池田城ですね」
「ああ。織田の兵を回してくれ。摂津の治安を取り戻したい」
(気軽に言ってくれる。なるほど、勝が言った通りだな。戦を知らない、か」
信長はそう思いながら、
「兵を休ませた後にでも」
そう守るつもりのない空約束をした。
信長が義昭と二条御所で会見してる頃、恒興の方は内裏(帝御所)の普請現場に顔を出していた。
あれだけ京で普請の現場監督をやったのだ。
普請に興味のない恒興でもさすがに完成が気になって。
だが、まだまだ普請は続いていた。
本当にそれを確認しただけですぐに本能寺に戻る予定だったのだが、二条晴安を名乗る誠仁親王と遭い、
「池田、近江での戦に勝ったようだな」
「お陰様で」
「織田の記譜通り、浅井、朝倉を潰して終わりとなるのか?」
「いえ、そうは問屋が卸さないようでして。織田が京を離れた隙に幕府方の摂津の三守護の一人が城から追われた事から、畿内に三好三人衆の軍が入るのは確実でして」
「また京が襲われるのか?」
それは看過出来ず誠仁親王が尋ねたが、
「いえ、畿内の守護達が眼を光らせて防ぐかと」
「その間に織田の兵が畿内に戻ってくる訳か」
「はい」
「期待しているぞ」
そう言って誠仁親王は内裏内に帰っていき、恒興も本能寺に戻ったのだった。
そして入浴した直後から本能寺では公家達による「信長詣で」が起きており、
「公家達に会われませんので?」
「そんな暇があるか。美濃に帰るぞ」
嫌気が差した信長は七月八日にはさっさと岐阜城に向けて出発したのだった。
◇
岐阜城に戻った信長がした事は「姉川の戦い」の論功行賞である。
宿老と家老が並ぶ岐阜城の論功の場に池田恒興が改めて呼ばれ、尾張より美濃に来てる平手久秀が、
「馬廻り隊長、池田恒興。姉川の戦いでの戦功、実に見事である。褒美として犬山城と一万貫の禄高を与える」
一万貫とは二万石の事である。
「ええっと、姉川の戦いでは殆ど手柄も立てていないので要りませんけど」
恒興はそう固辞した。
確かに何人か倒したが、その首は拾っていない。
だが、馬廻りの証言から浅井軍の主だった上将をかなり斬り殺しており、指揮する馬廻りの別動隊300騎全体の手柄もかなり突出していたので、この褒美となった。
恒興が断ると思っていた上座の信長が不機嫌そうな笑みを浮かべて
「勝、受けよ。枝城の伊木山城も付けてやるから」
「嫌ですよ」
「駄目だ。受けよ。寄騎も含めてな」
信長がそう言った事で、宿老や家老が「ん?」と考える中、恒興が、
「中島豊後守、裏切りそうなんですか?」
そう名指しした事で論功の場の重臣は尾張出身の古参だらけだったので全員が「岩室重休の件をまだ恨んでるのか」と理解した。
「いいや。木曽川の総支配をやらそうと思ってな」
それは本当だ。
美濃の内政のテコ入れをする事を留守居役の林秀貞から提唱されて。
特に美濃と尾張の県境の木曽川の治水工事、並びに尾張と美濃が併合した事で国境が荒れる心配もなくなり田園開発をせねばならないのだが。
木曽川の水量では堰が作れないので、木曽川に流れる支流の郷瀬川(南域)や大安寺川(北域)に堰を作って用水路に水を流して水田を開発するのだが、それが現在遅れており、その開発を恒興に「やれ」と信長は言っているのだ。
他にも木曽川の舟の水運の等々の管理も。
面倒臭い事この上ない。
だが、信長の狙いはそれだけではない。
恒興も読めていたので、
「・・・二十日ですからね」
「何がだ?」
「武田の大軍に犬山城が包囲されても持つの。それまでに助けに来てくれないと、いくらオレでも投降しますから」
「四十日は持たせよ」
「ええ~、オレはともかく雑兵がそこまで持つ訳が・・・」
信長と恒興の問答を受けて、武田軍侵攻への備えに犬山城に恒興が配置された事を他の重臣達も知ったのだった。
改めて、
「犬山城の拝領を受けよ。良いな、勝」
信長の命令は織田家では絶対である。
恒興ならばもっとだ。
だが、恒興は信長にねだれる男だったので、しおらしい顔で、
「実は馬がそろそろ老いておりまして、岐阜城と犬山城の往復もままならず」
「そうであったな。馬も取らせるから」
「室を犬山城に入れるとして、岐阜城下の屋敷が空になり、出来れば那古野城の城下の武田の女中を入れたいのですが」
「ああ、そんなのも居たな。良かろう」
「後・・・」
恒興がまだ信長にねだろうとしたので、信長も、
「余り調子に乗るなよ、勝」
と怒る寸前となったが、恒興が間髪入れずに、
「いえいえ、信長様が忘れている子供の頃の約束を履行していただきたいだけで」
「?」
「先代の信秀様と将棋を指してオレが勝ったら『蝶の旗印をくれる』と言われてオレが勝ったのに『城持ちに出世するまでお預けだ』と信長様が取り上げた蝶の旗印ですよ。それをいただきたく」
これは幼少期を一緒に過ごした恒興と信長にしか分からない問答ーーではない。
織田の家中、それも重臣達の間では、有名な逸話だった。
十歳の恒興(当時、勝三郎)が先代の信秀から賭け将棋で蝶の旗印を巻き上げた話は。
何せ、恒興が禁じ手で勝っていたので。
「ああ、あったな」
さすがに覚えてた信長が怒りを苦笑いに変えて脱力し、平手久秀が代わりに怒りながら、
「ふざけるなよ、勝三郎。あれはイカサマ将棋であろうが」
「いえいえ、信秀様も『よい』とおっしゃられてましたので」
「ったく。仕方ない。約束したのも覚えてるからな。良かろう、勝。蝶の旗印の使用も許してやろう」
「ありがとうございます、信長様。池田恒興、謹んで犬山城主をお受け致しまする」
こうして恒興は犬山城と伊木山城と一万貫の禄高と名馬と池田蝶の旗印を貰ったのだった。
褒美を貰った直後の岐阜城の廊下にて、
「どうでした、勝様? どれほどの褒美を頂きました?」
木下秀吉が聞きにきた。
毎度の事だ。
秀吉は周囲の褒美を聞きたがる性格だったので。
人によっては教えないが、恒興は気軽に話せる性格だったので、
「一万貫の禄高と犬山城を貰っただけだよ」
「何と・・・城を? それも尾張の犬山城。さすがは勝様。凄いではないですか」
「凄くないんだよ。損な役回りを押し付けられてガッカリなんだからな」
「と言うと?」
「詳しくは竹中から聞けよ、秀吉」
「そう言わずに勝様のお口からお願いします」
と秀吉が言うので、
「ったく、徳川が武田に寝返って一緒に尾張を攻めたら水野も徳川に与して、 那古野城や清洲城では武田相手に防衛は無理だ。尾張の大半は取られて美濃の防衛線となるのが犬山城って事だよ」
「えっ? 織田と武田は婚姻同盟中では?」
「秀吉、おまえ、何を言ってるんだ? 武田はその婚姻同盟中の今川を潰してるだろうが」
「武田は今、北条と敵対していると聞きましたが?」
「一進一退なら北条よりも雑魚の徳川を潰す方が楽だと考えるだろうさ。武田が北条と和睦したら兵を西に向けるぞ、武田は。そして徳川の出方次第では尾張が戦場になる」
「それで犬山城は嫌な訳ですか」
「ああ、秀吉の横山城の方が断然得だな」
「浅井もまだ大変だと竹中殿が言ってましたが?」
「それは小谷城を攻めるには、だよ。横山城を守るのは簡単さ。じゃあな、オレは引っ越しがあるから。はぁ~、やってられない」
そう言って恒興は秀吉と別れて、
岐阜城下の池田屋敷に戻った。
身重の正室の善応院、長女の七条、次男の古新に伝えようとしたが、織田家嫡子、奇妙のお側衆をしてる池田家の長男の勘九郎も来ており、既に勝九郎の口から伝わったのか、
「犬山城の拝領、おめでとうございます」
声を揃えて祝われた。
「オレの口から言いたかったのだがな」
恒興が11歳の勝九郎を見ると、
「申し訳ございません、父上。奇妙丸様に教えていただいき、居ても立っても居られず」
「まあ、よかろう。そんな訳で吉日に犬山城に入るので皆、引っ越しの準備をするように。ああ、この屋敷は武田に貰った女中が使うけどいいよな?」
「好きになさいませ」
城主夫人になって喜んでる妻の善応院の了承を得て、恒興は好きにしたのだった。
尾張の犬山城。
尾張と美濃の国境の木曽川の南に聳える堅牢な犬山に聳える城である。
山城なので本城の頂上までが遠い。
妊娠中の善応院には少し険しい道のりだった。
そして天守閣が存在しない一の丸にて、恒興は、
「犬山城の城主となった池田恒興だ。オレは殆ど馬廻りとして信長様と出陣するので、城代の森寺秀勝の指示に従うように」
そう上座から挨拶したのだった。
池田家の重臣は、
池田家の家宰で、恒興の後見人で、犬山城の城代の森寺秀勝。
信長の近習から派遣された二番家宰で、枝城の伊木山城主の伊木忠次。
正室、善応院の実弟で、木田城主の荒尾善久。
秀勝の嫡子の森寺忠勝。
恒興の寄騎で、犬山城の枝城の小口城主で、岩室重休を殺してる中島豊後守。
恒興の寄騎で、犬山城の枝城の黒田城主で、和田惟政の実弟の和田定利。
これらが、
「ははっ」
と声を合わせて畏まったのだった。
当然、城主就任ともなれば、祝品なども織田家中から多数贈られてくる事になる。
尾張国の津島の豪商からも。
中には遠方の松永久秀からも贈られてきており、
「鉄砲を更に10挺ねえ」
恒興は興味無さそうに呟いた。セ
本当は城主就任の祝いに鉄砲10挺は破格なのだが、それ以上の祝品を贈り付けてきた者がいたからだ。
その贈り主は摂津の三守護の一人、和田惟政だった。
例の賭け将棋の4200貫の証文があったからか、実弟の和田定利の直属の上役になったからかは知らないが、
「銀1250枚って・・・幾らくらいだっけ?」
「銀1枚が4貫なので5000貫ちょうどかと」
城代の秀勝がさらっと答えた。
「ああ、賭け将棋の支払いの分も込みな訳か」
と呟きながらも、同時に摂津三守護の利権の凄さにも舌を巻いていた。
畿内で扱う銀と言えば、但馬国の生野銀山だ。
そこから流れたのだろう。
「殿、そんなに巻き上げられたのですか?」
秀勝が驚いた様子で尋ねた。
得意げに恒興が、
「まあね。接戦に持ち込むのがコツさ」
「ですが、これ、信長様に届け出ないと拙いのでは」
「?」
「摂津の和田惟政殿と言えば信長様の勘気に触れて一度蟄居になっておりますれば」
「ああ、あったな。若狭征伐前に許されてたが。必要ないと思うが、まあ、頼んだ」
恒興はそう秀勝の進言を採用したのだった。
次に恒興は用意された新たな旗印の図柄を確認していた。
信長から蝶の旗印を貰ったが、さすがに織田家の蝶の図柄と一緒では気が引ける。
その為、蝶の図柄を職人に描かせて、どれにするか決めていたのだ。
だが、どれも甲乙付けがたい。
三種類まで絞られたが、ずっと眺めていたら善し悪しが分からなくなり始めて、
「古新はどれがいい?」
と次男に選ばせて、
「これ」
と5歳の古新が選んだ一枚が採用されて、池田蝶の旗印となったのだった。
◇
七月二十一日。
三好三人衆軍8000人が遂に阿波から摂津の中島に進出してきた。
そして元々あった野田城と福島城の修築を始めた。
前回の退却時での失敗を踏まえて、今回は京までは進軍せず、この地で織田軍を迎え討とうと決めたらしい。
その三好三人衆軍の動きは当然、京の二条御所にも届き、
あり得ない事が起こった。
あり得なさ過ぎて書状が残っておらず、歴史の闇に一瞬で消える事となった出来事なのだが。
京の二条御所の評議の席で足利義昭が、
「三好三人衆の残る二人が攻めてきたか。よし、畿内の守護達に三好三人衆の軍を攻めて撃退するように命令書を出せ」
「はっ」
政所執事の摂津晴門が答えた後、
「公方様、その、矢銭がありませんが」
「本願寺に出させれば良かろう。10万貫ほど」
さらっと軽く言ったのである。
義昭が。
本当に軽く言った。
1万貫は2万石なので、10万貫だと20万石となるのに、その事を理解していないかのように。
だが、この時、義昭は「10万貫が20万石だ」と理解した上で今の言葉を口にしていた。
越前に滞在していた事もあり、本願寺が越前の隣国の加賀35万石を丸々支配している事を知っていたので。
そう。捻出しようと思えば捻出出来るのだ、本願寺は。
10万貫を。
幕府に忠誠を誓っていないのだから本願寺が払う訳はなかったが。
世間を知っていれば誰もがそう思うはずであるが、幕府の中に居て、幕府の権威を信じ切っている幕臣達は、
「えっ、出せますか?」
「加賀一国を治めているのだから出せるであろう」
「なるほど、さすがは公方様」
と真面目な顔で論じ始めた。
正常な思考を持つ三淵藤英は驚き、何が起こってるのか、上座や同僚の顔を注意深く観察した。
そして気付く。
(まさか、本気で言ってるのか? 本願寺が10万貫の矢銭を出すと? どうしてこのような事態に? 織田が矢銭2万貫を堺に出させて、五千貫を本願寺に出させたから、幕府ならもっと出させる事が出来ると思ってる?)
思考がまともな藤英は幕府の現状に涼やかな顔ながら内心で唖然とし、同じく唖然として顔を歪めてる武田信景からの助けを求めるような視線を浴びても涼やかに受け流したのだった。
そんな訳で、幕府は本当に10万貫を催促する書状を石山本願寺に送り付けたのだが。
摂津の石山本願寺で書状を見た下間頼廉は、
「偽書にしては出来が悪いな」
相手にもせず破ったので、歴史に残る事はなかった。
余りにも非現実的過ぎて日記等々にも。
そして、その情報は京奉行の明智光秀を通して美濃の織田信長の許にも届いた。
信長は「義昭が10万貫を本願寺にたかった」と聞いて、「義昭は狂ったのか」と本気で疑ったほどである。
だが、事態はもっと深刻だったらしく、まず近江の横山城に居た竹中重治が岐阜城に早馬で駆け込んできた。
「妙な噂を聞いたのですが」
「と言うと?」
「公方様が本願寺に対して矢銭10万貫を課した話です」
「ああ、それが?」
笑い話にしか聞こえず信長は苦笑したが、重治の方は至って真剣な顔で、
「本願寺が牙を剥いたら浅井は今年中に落とせませぬぞ」
「であるか」
信長が知的に眼を光らせて、勝ち筋を考え直した。
「それどころか織田五ヶ国(尾張、美濃、伊勢志摩、南近江)内で一向一揆が発生して身動きが取れなくなり、最悪、三好三人衆や浅井、朝倉にしてやられますぞ」
(大袈裟な事を。竹中らしくもない)
と信長はまだ軽く考えており、
「どう手を打つ?」
「幕府の手切れを伸ばす事をお勧めします」
「つまり、浅井を後回しにして畿内に出向いて公方(呼び捨て)の為に三好三人衆軍と戦えと?」
「はい。今、幕府まで手放したら織田はおしまいですから」
「・・・竹中の進言は考慮しよう」
信長はつまらなそうに返答したのだった。
時を同じくして岐阜城の信長の耳に、
「森殿の奥方が男子を産んだそうです」
との報告が入った。
「そうか。それはめでたいな」
と答えた信長だったが、問題は産み月である。
七月下旬ならば、子種は昨年八月の物となり、その頃、夫の森可成は伊勢へ出陣中だ。
という事は、となる。
但し、そう簡単に決め付けられない要因もあった。
日の本の暦が旧暦だったからだ。
旧暦は西暦と違い、正確さに欠けるので、父親が森可成の可能性もまだ残っていた。
だが、恒興のヤラカシ具合から見て、
(勝の子だよな、勝のこれまでのヤラカシを考えたら、やっぱり。露見したら三左が勝を殺すぞ。はぁ~)
無駄に気配りをする破目になったのだった。
恒興の方は、
(ふ~、オレの子じゃなくて一安心だな。助かった~)
産み月の計算を間違って覚えていたので、そう呑気に安堵しつつ、
「ほう、森殿の奥方が。隣の領地だから祝儀を贈らねばな。犬山城主らしい額で頼むぞ」
「はっ」
恒興は城代の秀勝に祝儀の手配を丸投げしたのだった。
登場人物、 1570年度
平手久秀(44)・・・織田家の第二家老。尾張総留守居。論功総奉行。平手政秀の長男。嫡子は汎秀。頑固者。父親に顔が似てる。弁舌軽やか。
能力値、尾張一国支配の久秀SS、父、平手政秀の信長への貢献A、信長に馬を譲らなかった逸話S、信長への忠誠A、信長からの信頼S、信長家臣団での待遇☆
池田勝九郎(11)・・・池田恒興の嫡男。母、善応院。許婚は道三の孫。織田奇妙のお側衆。恒興の出世を知って母親に伝える。
能力値、父は恒興A、織田奇妙のお側衆A、許嫁は道三の孫A
森寺秀勝(47)・・・池田家の第一家宰。犬山城の城代。織田信秀の重臣。幼少期の池田恒興の後見人。信長の命令で恒興の配下になる。
能力値、池田家の家宰A、熱田通の秀勝A、銭集めB、恒興への忠誠A、恒興からの信頼S、池田家臣団での待遇S
池田古新(5)・・・池田恒興の次男。母は織田しば。信長の甥。家紋の池田蝶の図柄を選んだ。
能力値、父は恒興B、織田一門と同格扱いA、大物に気に入られる何かA
10
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる