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1570年5月〜7月、姉川の戦い
奇襲
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【姉川の戦い、磯野員昌は佐和山城に釘付けで不参加なので十一段崩しは創作説、採用】
【姉川の戦い、織田軍3万8000人説、採用】
【姉川の戦い、浅井軍7000人説、採用】
【姉川の戦い、徳川軍5000人説、採用】
【姉川の戦い、朝倉軍8000人説、採用】
【姉川の戦い、浅井、朝倉連合軍の奇襲説、採用】
【姉川の戦い、織田軍、浅井軍の奇襲を看破してた説、採用】
【姉川の戦い、池田隊とは馬廻りの一隊説、採用】
朝倉の援軍が北近江の小谷城から撤退したのが偽装ではなく「本当だ」と判明した。
それを受けて浅井軍内に動揺が走ったのか、木下秀吉(まあ、本当は竹中重治なのだが)に調略をさせてた浅井領の、
長比城アルジャーノンに花束をの堀秀村。
苅安尾城主の樋口直房。
この二城主が織田方に投降した。
二人とも竹中重治と顔見知りだったのが大きい。
この二人の投降は別に恥でも何でもなかった。
何せ、浅井家は幕府軍に叛逆した賊軍なのだから。
信長達は岐阜城で呑気に留まっていた訳ではない。
浅井家に対しての流言も当然、仕掛けており、大々的に宣伝していた。
北近江の領民達も浅井が幕府に逆らった賊軍である事を知ってる状況である。
そして、二城主の投降を受けて、織田信長は六月十九日に岐阜城を発して長比城に入ったのだった。
その数は2万8000人だった。
北近江の小谷城の軍議の場にもその報告が伝わった。
「織田軍、美濃方面から領内に侵入しました。その数、2万以上」
「よし、長比城の堀の救援に向かうぞっ!」
当主席から立ち上がった浅井長政に対して、
「そ、それが・・・」
伝令が口ごもった。
「何だ?」
「もう織田軍が長比城に入りましてございまする」
「なっ!」
驚いた長政が、
「早過ぎるだろ。防備を固めたのに。もう落城したのか?」
(いや違う。もっと拙いな、これは)
政元が先読みする中、伝令が、
「いえ、それがーー長比城は織田に寝返ったらしく、戦わずして・・・」
最後まで聞かずに、
「何と恥知らずなっ! 堀の馬鹿者めっ!」
長政は憤り、
「まったく持って」
「裏切り者めがっ!」
他の重臣達も怒る中、新たな伝令が慌ててやってきて、
「報告、佐和山城が南近江の西から侵攻した織田軍に包囲されましたっ! 至急救援をお願いしますっ!」
そう伝えてきた。
(だよな。織田の国力ならば・・・オレなら琵琶湖の北沿岸からも攻めさせるが)
政元が冷めた顔で他人事のように納得する中、
「な、何だとっ!」
長政が仰天した。
当主の横に座る久政が、
「東西からの挟撃だと? 美濃から2万の兵が攻めて来てるのにーー織田はどれだけ兵が居るんだ?」
呟き、老臣達も、
「す、すぐに朝倉殿に援軍の要請を致しまするっ!」
「如何なさいますか」
狼狽していた。
(はぁ~、「オレが兄を殺して浅井を残す」という時間稼ぎの書状も黙殺されたようだし。隙を見て逃げるか)
政元はそう覚悟を決めたのだった。
南近江の浅井領の佐和山城は西から攻めてきた織田軍に完全に包囲されていた。
森可成、柴田勝家、佐久間信盛、中川重政の四将に加えて、南近江の国衆をまとめた蒲生賢秀の軍までが参加しているので、その数は8000人を軽く越えている。
織田軍の城攻めは無論、鹿垣囲みだ。
出入りを完全に封鎖していた。
その様子を佐和山城の見張り櫓から見下ろした城主の磯野員昌は配下に、
「米はどのくらいある?」
「一年は余裕で持つくらいは」
「ああ、そうだったな」
失念していた員昌は思い出して苦笑した。
織田が兵糧集めに失敗した二年前の上洛戦で、浅井からの提供予定の兵糧が最前線の佐和山城の米蔵の中に運び込まれており、織田が兵糧を現地調査した事で、運搬が無駄に終わった兵糧はそのまま佐和山城の米蔵の中に眠っていたのだ。
「但し、塩や味噌の方は一年持ちそうにありません」
「それくらいは我慢させろ」
「後、弾薬や矢の方も実はそれほどは・・・」
「まあ、大丈夫であろう。敵も籠城戦を狙ってるようだから。それまでに殿が助けにきてくれるさ」
こうして浅井軍の先駆けの磯野員昌は姉川の戦いに不参加となったのだった。
鹿垣を終えた後、中川重政を佐和山城攻めに残して、残りの三将は虎御前山に布陣した信長が居る本軍に合流した。
合流後の六月二十一日。
本陣にて、
「小谷城の城下を焼き討ちして、浅井を誘き出せ」
信長が厳命した。
この作戦はかなり良い。
城下を焼き討ちにされても小谷城から出てこないようでは「臆病者」と周囲に宣伝出来て更に浅井家の家臣の離反を誘えるからだ。
「畏まりました」
こうして小谷城の城下町は焼き討ちされた。
恒興は馬廻り(親衛隊)なので留守番である。
「どうだ、勝。これで北近江は今年で併合だ」
信長の言葉を受けて、恒興が驚きながら、
「えっ? 信長様の考えではそうなのですか?」
「どういう意味だ?」
「多分ですけど、公方様から『畿内を平定しろ』との命令が来て、浅井攻めは中断になりますよ」
恒興の言葉を聞いて、信長は険しい顔をしながら、
「続けろ。詳しくだ」
「摂津の池田の惣領家で勝正殿が三好三人衆に調略された家臣によって追われたのは信長様も聞いてますよね?」
「ああ。それが呼び水となって阿波の三好軍が再度畿内に進出する事も。だが、阿波の三好軍くらい摂津、河内の守護、それに松永の軍で十分撃退出来るであろうが、勝?」
「信長様は公方様が戦をした事がない僧侶上がりな事を忘れていますよ」
そこが恒興と信長の認識の違いだった。
「それに幕臣どもも二条御所内では偉そうにしていますが全然口だけな事も。あいつらは全員役立たずなんですから。すぐに援軍要請が矢のようにくると思いますよ」
信長は少し考えた後、
「木下隊の竹中を呼び戻せ」
そう命令を下したのだった。
しばらくして小谷城の焼き討ちに参加していた竹中重治が戻ってきた。
「何でしょうか?」
「浅井は最短で何年で滅ぼせる?」
「今年の冬にでも」
恒興を排除した選りすぐりの少数の家臣達との密議で事前に議論していた内容だったので「何を今更」と思いながら重治は答えた。
「それ、『公方(呼び捨て)からの畿内への援軍要請を断れば』の話だよな?」
「はい。もう織田には不要の長物ですので切り時かと」
しれっと重治が言い、信長も「ありだな」と思いながら、
「ふむ。援軍を断った後の展開は?」
「幕府が織田排除に動きますが、北近江、越前を得た織田に敵う者は畿内には居らず、甲斐武田は北条との交戦で釘付け。上杉は遠過ぎる。なりふり構わず兄を殺した三好三人衆を頼った公方様に正義はなく、どう料理しようと問題ないかと」
「だそうだぞ、勝。おまえの意見は」
「公方様側の非のある形でお願いしますよ。三好三人衆のような『将軍殺し』だけはされませんように」
「それくらいの分別はあるさ」
そう信長は笑い、この時は足利義昭との敵対を選んだのだった。
織田軍によって北近江の小谷城の城下町は盛大に焼かれた。
小谷城は名前に谷が入っていて紛らわしいが山城である。
なので、城下町が焼かれてる様子が城のどこからでも丸見えだった。
城下街を焼かれて怒った長政が、
「出陣だっ! 織田を蹴散らすぞっ!」
と息巻くが、老将の海北綱親と赤尾清綱が、
「朝倉の援軍が来るまで辛抱ですぞ、若殿っ!」
「そうです。それでは織田の思う壺です」
慌てて止めた。
「だがな」
「座っていろ、長政」
駄目押しとばかりに父親の久政に言われて、仕方なく長政は出陣を取り止めた。
その様子を見ていた政元は、
(誰が当主か分からないな、これは)
と思ったのだった。
織田軍の小谷城に籠もった浅井への挑発は更に続き、
六月二十四日には小谷城からも見える姉川を挟んだ横山城を包囲した。
信長自身は竜ヶ鼻に布陣している。
ここで、
「遅れて申し訳ございません」
徳川家康がようやく5000人の兵を引き連れて合流した。
「うむ。遅かったな、家康」
「はっ、尾張、美濃の川越えに手こずりまして」
家康の説明を聞いて、「嘘つけ」と思ったが、信長は戦を優先し、
「家康は横山城の西側を頼む」
「畏まりました」
こうして徳川軍も横山城攻めに加わったのだった。
対する浅井側にも越前からやってきた朝倉の援軍8000人が合流していた。
今回の総大将は朝倉景鏡ではなく、朝倉景建だった。
「お待たせ致した」
「ん? 景鏡殿は?」
長政のこの質問は「景鏡の方が良かった」という意味では決してない。
「あの男じゃなくて良かった」という意味だったのだが、逆に取った景健が、
「景鏡殿よりも格が落ちる某で悪うございましたな」
「いやいや、違いまする。景鏡殿とは相性が悪いので安堵したのであって、決してそのような意味では」
長政が必死に弁明する破目になった。
久政が話題を変える為に、
「兵数が8000人なのはどうしてです?」
「急な動員でしたので」
これは真実であり、嘘である。
「浅井への援軍は8000人で良かろう」
という当主義景の采配だったのだから。
つまりは臣従同盟の浅井の事を軽く見ていたのだ。
「そうでしたか。とりあえずこの戦場図を見て下され」
その後、浅井・朝倉連合軍の軍議が開かれたのだった。
朝倉の援軍が来た事で、織田側も小谷城側に兵を配置したが、浅井・朝倉連合軍が小谷城から出てきて決戦を仕掛けてくる事はなかった
当然である。
織田・徳川連合軍の方が圧倒的に兵数が多く、有利だったのだから。
そして決戦で一気に決着を付けたかった信長は、
「浅井の腰抜けが」
と吐き捨てたのだった。
◇
六月二十七日の夜の事である。
織田軍が包囲してる横山城内に籠もる浅井軍が門を開けて夜襲をしてきた。
織田軍からすれば寝ているところを起こされて鬱陶しい限りである。
当然、撃退したが。
それが「何を意味する」のか目聡い者達は気付いており、織田軍の本陣では対策の密議がされたのだった。
そして運命の六月二十八日となった訳だが。
軍記等々には「姉川の戦い」は早朝から始まったと残されている。
事実そうだろうが、それでは言葉足らずだ。
浅井・朝倉軍が横山城を包囲する織田軍の背後を奇襲したのだから。
戦は前日の深夜から既に動いており、浅井・朝倉軍が松明も付けずに移動をしーー
日の出と共に「姉川の戦い」は始まったのだ。
浅井・朝倉軍の奇襲戦として。
それを完全に読んでいたのが竹中重治、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興である。
竹中重治と池田恒興は、川中島よろしく前日の小谷城の炊飯煙の長さで看破していた。
柴田勝家は、横山城の無謀な夜襲で翌日に何か動きがあると読んだ。
丹羽長秀に至っては、浅井軍に密偵を潜り込ませており、作戦を盗ませて奇襲を知ったという顛末である。
他にも聡い者は居たかもしれないが、信長に進言したのはこの四人だった。
よって浅井軍の奇襲が成功し、横山城の一番外周に位置し、陣幕が張られた織田軍の本陣に浅井軍の先鋒が雪崩れ込んだが。
織田軍の本陣は無人だった。
「なっ、どういう事だ?」
磯野員昌が不参加なので浅井軍の先鋒を任されてた遠藤直経が驚く中、
「撃てぇ~」
との遠くからの声と共に、ダダダダンッと複数の火縄銃の轟音が鳴り響き、
「ぐあああ」
「ぎゃああ」
本陣に雪崩れ込んだ浅井軍の先鋒隊は火縄銃の餌食となった。
遠藤直経も乗ってた馬が被弾して馬と一緒に倒れる破目になった。
「クソ、罠かっ!」
馬を失いながら起き上った直後に、
「かかれっ!」
との声と共に突撃してきたのは織田軍の先鋒隊を任された坂井政尚が率いる部隊である。
「浅井に本当の戦を教えてやれっ!」
得意げに攻めてきたが、
「舐めるなよっ!」
浅井軍の先鋒隊の遠藤直経も剛の者で激戦となった。
この戦が始まった時、恒興はどこに居たのかというと。
夜の内に闇に紛れて移動した本隊中央の信長の傍には居なかった。
馬廻りの一部(300人)を率いて、織田軍の本陣に奇襲した浅井軍の背後に回り込んでいた。
馬廻り(親衛隊)の隊長が守るべき信長の傍を離れているのだから、当然、「信長の指図に従って」の軍事行動である。
本当に上手く浅井軍の後方に回り込んでいた。
相手に悟られていないのだから。
ここまで上手く背後を取れたのだ。
すぐに攻め掛かるような勿体無い事は当然しない。
森に隠れて息を潜めてたくらいだ。
「攻めないのですか?」
竹中重治の実弟の竹中重矩が問うも、
「まだな。狙うは大将首だから。浅井との戦はオレ達が終わらせるぞ」
そう馬廻り達に発破を掛けて、戦場の様子を見守ったのだった。
姉川の戦場は血みどろの様相を見せていた。
そして狙った訳ではないが、
織田軍と浅井軍。
徳川軍と朝倉軍。
これらが激戦を繰り広げていた。
織田軍2万3000人は、意外や浅井軍の5000人ごときに一進一退の展開を見せていた。
浅井軍側が「これに負けたら後がない」と本能的に悟って、持てる能力以上に奮起したからかもしれない。
対する援軍同士の徳川軍と朝倉軍では徳川軍が強いというよりは、朝倉軍のやる気の無さが悪目立ちするくらいに突出していた。
戦ってた徳川の兵でさえ、
「あれ、弱い」
と思ったくらいである。
なので、徳川にヨイショして書かれた軍紀等々の側面攻撃をする事もなく、正面突破だけで徳川軍5000人は朝倉軍8000人を蹴散らしたのだった。
「黒坂景久殿、討ち死に」
「前波新八郎殿、討ち死に」
負け戦のように続々と討ち死にの報告が本陣に届く。
徳川軍が朝倉の本陣に迫りそうな勢いだったので、総大将の朝倉景建は、
「ここまでで良かろう。越前に撤退するぞ」
そう言って、さっさと戦場から退却し始めたのだった。
「ちょ、本当にいいのか、退いて?」
と尋ねたのは中軍から本陣まで確認にやってきた真柄直隆である。
「ああ、貴殿も退かれよ。このような戦で無駄死にする必要はないからな」
「そんな訳には行くか。敵に目にもの見せてくれるわ」
そう言って真柄直隆は敵兵に向かって、
「うおおっ! 邪魔だ、邪魔だ」
と突撃していった。
朝倉一の豪傑の直隆は徳川軍の雑兵を薙ぎ倒しながら進んだが、進んだ先には本多忠勝が居て、
「ふん」
「ぐああ」
蜻蛉切の一撃で直隆を吹き飛ばした。
「この程度か。見かけ倒しめーーとどめを刺しておけ」
相手の弱さにガッカリした忠勝は直隆から興味を無くし、そう手勢に命令して、逃げる朝倉軍を追い掛けていった。
倒れた直隆に徳川軍の雑兵達が群がり、
「覚悟」
「げふっ・・・我が首を取って手柄とせよ」
直隆はとどめを刺されたのだった。
そして朝倉軍の総崩れと退却は、織田軍と浅井軍の戦の勝敗にも影響した。
「殿、朝倉軍が総崩れしました。このままでは織田の援軍が側面から――」
「くっ、ここまでか。退くぞ」
そう言って浅井長政は撤退を決めたのだが、騎馬と歩兵では移動速度が違う。
我先に逃げて突出した浅井軍の騎馬部隊が、後方の小谷城に向かって移動を始めた。
織田軍に突撃した味方を逃がす為に多数の騎兵が前線に移動した為、逃げてる騎兵の数は僅か50騎である。
小さな森からそれを見た恒興はニヤリと笑いながら、
「さすがは信長様だ。ここまで読んでるとはな」
と信長を褒めてから、
「狙うは浅井長政の首だが馬の足は止めるなよ。首なんか拾ってたら敵に囲まれて死ぬぞ。すれ違いざまに倒せ。いいな? では行くぞ。かかれっ!」
恒興の号令で、馬廻り300騎が小さな森から出撃した。
撤退中の浅井軍の騎馬隊50騎は前からの織田軍の奇襲に唖然である。
「なっ!」
「織田軍だと?」
「どうして前から?」
全員が驚き、そして、浅井軍の一部の兵が必死に、
「若をお守りしろっ!」
「絶対に近付けさせるなっ!」
上将を守る動きを見せた。
忠誠心は買うが、その動きで浅井長政の居場所は恒興達にも露見したと言える。
何せ、騎馬に乗る武者は全員が鎧兜を纏ってるので、どれもが上将に見えて遠目からでは分からなかったのだから。
その守られてる武者に注目すれば、確かに恒興も上洛戦で見た浅井長政が纏っていた鎧兜に似ていた。
馬も名馬の類だ。
長政に間違いない。
そんな訳で、
「長政はあそこだ。かかれっ!」
恒興が先頭駆けして、その浅井長政に一直線に突撃した。
馬ですれ違いながら、すれ違いざまに敵将の首を刀で撫でる。
正確には横に伸ばして馬の速度を利用して斬ってたのだが。
「ぐあああ」
長政の首に恒興の刀が入ったが、
「政之様っ!」
敵側近のその言葉で「長政じゃない」と気付き、
「影武者? いや、どっかの御曹司か。ちっ、若なんて紛らわしい呼び方をしやがってっ!」
と毒づいたが、恒興は実は四年前に国友村で浅井政之と遭っている。
気付かなかった恒興にも問題はあった。
その後もすれ違う浅井の騎馬隊の中からそれらしい上将を斬っていく。
「ぐああ」
「ぎゃあ」
すると、50騎の騎馬隊の最後の方の一人が、
「この・・・調子に乗るなよ」
威勢良く恒興に突っ掛かってきた。
擦れ違い様に刀を振るってくる。
「馬鹿が」
恒興が自慢の名刀で相手の刀を一撃でバキンッと圧し折って相手の腕を斬ると、
「ぐあああ」
「若殿っ!」
50騎の浅井軍の騎馬隊に動揺が走った。
数回しか会っておらず長政の顔もうろ覚えだったが、それでもその反応で、
(長政だっ!)
と恒興も悟るが、その時にはその「若殿」と呼ばれた武者とすれ違って離れ始めた後だったので、
「誰か、そいつを倒せっ! そいつが大将首だっ!」
馬の足を止める事なく振り返りながら叫んだ。
後続の馬廻りが挙って、
「喰らえっ!」
「このっ!」
と浅井長政を狙うが、
「させるかっ!」
「ぐああああ」
「若殿、お逃げを・・・」
浅井軍も必死に、それこそ身を呈して命を散らしながら長政を守りきった。
その為、長政はこれ以上傷付く事は無く、織田の奇襲部隊の中を突っ切って小谷城側に逃げれたのだった。
恒興は一瞬戻って追い討ちを掛けるか迷ったが、馬廻りの一人が、
「戻って追い掛けますか?」
と質問した時、撤退してきた他の浅井軍が、
「織田軍から殿をお守りしろっ!」
「うおおおっ!」
突進してきたので、
「いや。深追いは死を招くからな。戻るぞ」
恒興は撤退してくる浅井軍を避ける形で織田軍の本陣めがけて移動したのだった。
恒興が率いる織田軍の馬廻りのすれ違い攻撃の前に、長政の方は側近部隊が半壊である。
使える側近はことごとく失っており、
「御舎弟の政之様、今の攻撃でお討ち死にされました」
との報告までされた。
「クソ、こんなところに織田の伏兵が居たとは」
悔しがりながら長政は小谷城へと退いたのだった。
長政を討ち損ねた恒興と馬廻り300騎は、織田の本陣目指して帰ってる訳だが。
最初は浅井軍を避けて戻っていたが、最後の方では退却する浅井軍の歩兵の群れの中を突っ切っていた。
「ほらほら、邪魔だ、浅井軍っ! 退け、馬で踏み殺すぞっ!」
雑兵を蹴散らしながら帰還する。
別に弱い者虐めではない。
寧ろ、逆だ。
浅井軍の中でも強兵に属していたので数を減らそうと努めていた。
どうして強兵かと言えば、浅井軍の先鋒隊だったからだ。
先鋒隊に強い奴が集められるのはどこも同じだ。
そんな強くて、織田に恨みのある奴を逃がすと後が怖い。
だから倒していた。
「クソ、いいところまでいったのに朝倉軍が負けるからっ!」
先鋒ながら殿も務めていた遠藤直経の横を通り過ぎる瞬間に馬上から片目を斬りながら、
「後ろなんかを気にしてないで道を開けろよ、雑兵が」
恒興は振り返りもせずに通り過ぎて織田軍の本陣を目指した。
「ぐあああ」
片眼を斬られた直経が激痛で呻いて立ち止まったところを、恒興の後を追っていた竹中重矩がドスンッと馬で正面衝突して、
「あっ、悪い」
と謝罪するくらいの余裕があった。
この敵部隊は浅井軍の殿なので、ここを抜けると味方の陣なので。
味方の許に早く戻りたかった重矩が、そのまま通過しようとして、
「ん? 今の男。侍大将と見た」
恒興の命令を無視して引き返した。
敵部隊が浅井軍の殿(しんがり)だったので、浅井軍に囲まれる心配がなかったのもあるが。
そして下馬して対峙し、
「まさか、遠藤? その首、貰ったっ!」
片眼を失い、更には馬に体当たりされて、痛がって四つん這いになってる直経の首を刎ね、
「遠藤直経の首、この竹中重矩が討ち取ったりぃ~」
重矩は手柄名乗りを上げたのだった。
織田の本陣に戻った恒興は、
「申し訳ございません、信長様。浅井長政を討てませんでした」
信長に謝罪した。
信長の方は意外そうに、
「ん? そうなのか? 勝なら討ってくると思ったが」
これは嫌味などではなく、正真正銘、信長の本音である。
恒興は敵も味方も大物を引き当てる「持ってる男」なのだから。
「オレも討ったと思ったのですが人違いでして」
「? 誰を討ったのだ?」
「ええっと・・・」
思い出そうとしたが思い出せず、
「忘れましたよ。雑魚の名前なんて」
恒興はそう苦笑したのだった。
本陣に戻った竹中重矩は兄の重治を見つけて誇らしげに、
「兄上、浅井家の豪傑、遠藤直経を討ち取りましたよ」
「池田殿の采配のお陰だろ?」
重治はそう決め付けたが、その通りだったので、
「えっ、見てたんですか?」
そう重矩は聞き返す破目になった。
見てなかった重治が苦笑したが否定はせず、
「それよりも誰を討った。おまえではなく池田殿の方だぞ」
「弟の浅井政之と雨森の一族は確実に。すれ違いざまだったので首は取ってはいませんが」
「浅井長政には遭遇しなかったのか?」
「いえ、刀を折って腕を斬ってました。それもすれ違った一瞬で。ですが、後続が討てず」
「そうか」
(池田殿を持ってしても浅井長政は討てずか)
重治はそう熟慮をしたのだった。
◇
「姉川の戦い」が終わった後、織田軍はすぐに美濃に撤退した訳でも、小谷城に逃げた浅井軍を追撃した訳でもなかった。まあ、多少は追撃したが。
包囲してる横山城は落とさなければならない。
横山城は美濃と京を繋ぐ道を遮断する戦略上、織田軍にとって邪魔過ぎる城なのだから。
そして横山城は山城である。
姉川で味方が大敗したのを城から目撃しており、織田からの、
「城を明け渡せば命までは取らない」
との通達に、三田村国定、野村直隆、大野木秀俊の三将は合意の許、数日後には織田軍に横山城を明け渡して小谷城へと撤退したのだった。
その後、落城した横山城には、
「サル、おまえが城番だ。良いな。竹中の指示に従えよ」
「ははっ、この横山城の城番、このサルめが見事に努めて御覧に入れまする」
木下秀吉はそう大袈裟に喜んで横山城の城番となったのだった。
登場人物、1570年度
磯野員昌(47)・・・浅井家の家臣。浅井四翼。佐和山城主。浅井の先駆けだが、織田に先手を打たれて佐和山城で籠城。姉川の戦いは不参加。
能力値、突進の員昌S、浅井四翼A、六角の天敵B、長政への忠誠C、長政からの信頼A、浅井家臣団での待遇S
朝倉景建(34)・・・朝倉一門衆。席次は三席。別名、孫三郎。父は朝倉景隆。宗滴の後継の景建。根に持つ性質。姉川の戦いの援軍の総大将。
能力値、宗滴の後継の景建A、名将の器B、根に持つS、義景への忠誠C、義景からの信頼A、朝倉家臣団での待遇☆
遠藤直経(36)・・・浅井家の家臣。通称、喜右衛門。知勇兼備の謀将。忍び使いの直経。磯野員昌不在の為、姉川の戦いでは先駆けを担当。
能力値、忍び使いの直経SS、国友より刀A、必要とあらば毒をB、長政への忠誠A、長政からの信頼S、浅井家臣団での待遇C
坂井政尚(43)・・・織田家の家臣。馬廻りの幹部。古参美濃衆。坂井大膳亮、坂井利貞とは遠縁。姉川の戦いで嫡子を失う。
能力値、高名比類なきの政尚B、坂井氏は尾張では意外に名門A、川越え上手B、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇B
竹中重矩(24)・・・織田家の家臣。信長の近習。馬廻り。竹中重治の弟。兄と違い、頭の方はそれなり。姉川の戦いでは恒興の別動隊に所属。遠藤直経を討ち取る。
能力値、兄は今孔明S、怪力の重矩B、国友村通C、信長への忠誠C、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇B
真柄直隆(44)・・・朝倉家の客将。被官。越前国の真柄荘の国人。父、十郎左衛門家正。朝倉が誇る豪傑。太郎太刀を愛用。軍記や講談で語り継がれる。
能力値、太郎太刀の直隆B、朝倉が誇る豪傑A、名を残すA、義景への忠誠C、義景からの信頼S、本日の運勢最悪★★★
本多忠勝(22)・・・徳川家の家臣。徳川四天王の一人。通称、平八郎。父、本多忠高。妻は松平玄鉄の娘。蜻蛉切と鹿角脇立兜を愛用。真柄直隆を一撃で吹き飛ばす。
能力値、花も実も備えた武将A、家康に過ぎたるものA、正信嫌いSS、家康への忠誠A、家康からの信頼S、徳川家臣団での待遇B
浅井政之(21)・・・浅井一門衆。浅井久政の三男。官位、石見守。国友村の代官。刀集めが趣味。兄、長政から愛用の鎧兜を貰って姉川の戦いに出陣。無自覚で影武者になる。
能力値、刀狩りの政之B、国友の代官A、鉄砲は無知A、長政からの信頼S、兄から鎧兜を貰う★★★、本日の運勢最悪★★★
【姉川の戦い、織田軍3万8000人説、採用】
【姉川の戦い、浅井軍7000人説、採用】
【姉川の戦い、徳川軍5000人説、採用】
【姉川の戦い、朝倉軍8000人説、採用】
【姉川の戦い、浅井、朝倉連合軍の奇襲説、採用】
【姉川の戦い、織田軍、浅井軍の奇襲を看破してた説、採用】
【姉川の戦い、池田隊とは馬廻りの一隊説、採用】
朝倉の援軍が北近江の小谷城から撤退したのが偽装ではなく「本当だ」と判明した。
それを受けて浅井軍内に動揺が走ったのか、木下秀吉(まあ、本当は竹中重治なのだが)に調略をさせてた浅井領の、
長比城アルジャーノンに花束をの堀秀村。
苅安尾城主の樋口直房。
この二城主が織田方に投降した。
二人とも竹中重治と顔見知りだったのが大きい。
この二人の投降は別に恥でも何でもなかった。
何せ、浅井家は幕府軍に叛逆した賊軍なのだから。
信長達は岐阜城で呑気に留まっていた訳ではない。
浅井家に対しての流言も当然、仕掛けており、大々的に宣伝していた。
北近江の領民達も浅井が幕府に逆らった賊軍である事を知ってる状況である。
そして、二城主の投降を受けて、織田信長は六月十九日に岐阜城を発して長比城に入ったのだった。
その数は2万8000人だった。
北近江の小谷城の軍議の場にもその報告が伝わった。
「織田軍、美濃方面から領内に侵入しました。その数、2万以上」
「よし、長比城の堀の救援に向かうぞっ!」
当主席から立ち上がった浅井長政に対して、
「そ、それが・・・」
伝令が口ごもった。
「何だ?」
「もう織田軍が長比城に入りましてございまする」
「なっ!」
驚いた長政が、
「早過ぎるだろ。防備を固めたのに。もう落城したのか?」
(いや違う。もっと拙いな、これは)
政元が先読みする中、伝令が、
「いえ、それがーー長比城は織田に寝返ったらしく、戦わずして・・・」
最後まで聞かずに、
「何と恥知らずなっ! 堀の馬鹿者めっ!」
長政は憤り、
「まったく持って」
「裏切り者めがっ!」
他の重臣達も怒る中、新たな伝令が慌ててやってきて、
「報告、佐和山城が南近江の西から侵攻した織田軍に包囲されましたっ! 至急救援をお願いしますっ!」
そう伝えてきた。
(だよな。織田の国力ならば・・・オレなら琵琶湖の北沿岸からも攻めさせるが)
政元が冷めた顔で他人事のように納得する中、
「な、何だとっ!」
長政が仰天した。
当主の横に座る久政が、
「東西からの挟撃だと? 美濃から2万の兵が攻めて来てるのにーー織田はどれだけ兵が居るんだ?」
呟き、老臣達も、
「す、すぐに朝倉殿に援軍の要請を致しまするっ!」
「如何なさいますか」
狼狽していた。
(はぁ~、「オレが兄を殺して浅井を残す」という時間稼ぎの書状も黙殺されたようだし。隙を見て逃げるか)
政元はそう覚悟を決めたのだった。
南近江の浅井領の佐和山城は西から攻めてきた織田軍に完全に包囲されていた。
森可成、柴田勝家、佐久間信盛、中川重政の四将に加えて、南近江の国衆をまとめた蒲生賢秀の軍までが参加しているので、その数は8000人を軽く越えている。
織田軍の城攻めは無論、鹿垣囲みだ。
出入りを完全に封鎖していた。
その様子を佐和山城の見張り櫓から見下ろした城主の磯野員昌は配下に、
「米はどのくらいある?」
「一年は余裕で持つくらいは」
「ああ、そうだったな」
失念していた員昌は思い出して苦笑した。
織田が兵糧集めに失敗した二年前の上洛戦で、浅井からの提供予定の兵糧が最前線の佐和山城の米蔵の中に運び込まれており、織田が兵糧を現地調査した事で、運搬が無駄に終わった兵糧はそのまま佐和山城の米蔵の中に眠っていたのだ。
「但し、塩や味噌の方は一年持ちそうにありません」
「それくらいは我慢させろ」
「後、弾薬や矢の方も実はそれほどは・・・」
「まあ、大丈夫であろう。敵も籠城戦を狙ってるようだから。それまでに殿が助けにきてくれるさ」
こうして浅井軍の先駆けの磯野員昌は姉川の戦いに不参加となったのだった。
鹿垣を終えた後、中川重政を佐和山城攻めに残して、残りの三将は虎御前山に布陣した信長が居る本軍に合流した。
合流後の六月二十一日。
本陣にて、
「小谷城の城下を焼き討ちして、浅井を誘き出せ」
信長が厳命した。
この作戦はかなり良い。
城下を焼き討ちにされても小谷城から出てこないようでは「臆病者」と周囲に宣伝出来て更に浅井家の家臣の離反を誘えるからだ。
「畏まりました」
こうして小谷城の城下町は焼き討ちされた。
恒興は馬廻り(親衛隊)なので留守番である。
「どうだ、勝。これで北近江は今年で併合だ」
信長の言葉を受けて、恒興が驚きながら、
「えっ? 信長様の考えではそうなのですか?」
「どういう意味だ?」
「多分ですけど、公方様から『畿内を平定しろ』との命令が来て、浅井攻めは中断になりますよ」
恒興の言葉を聞いて、信長は険しい顔をしながら、
「続けろ。詳しくだ」
「摂津の池田の惣領家で勝正殿が三好三人衆に調略された家臣によって追われたのは信長様も聞いてますよね?」
「ああ。それが呼び水となって阿波の三好軍が再度畿内に進出する事も。だが、阿波の三好軍くらい摂津、河内の守護、それに松永の軍で十分撃退出来るであろうが、勝?」
「信長様は公方様が戦をした事がない僧侶上がりな事を忘れていますよ」
そこが恒興と信長の認識の違いだった。
「それに幕臣どもも二条御所内では偉そうにしていますが全然口だけな事も。あいつらは全員役立たずなんですから。すぐに援軍要請が矢のようにくると思いますよ」
信長は少し考えた後、
「木下隊の竹中を呼び戻せ」
そう命令を下したのだった。
しばらくして小谷城の焼き討ちに参加していた竹中重治が戻ってきた。
「何でしょうか?」
「浅井は最短で何年で滅ぼせる?」
「今年の冬にでも」
恒興を排除した選りすぐりの少数の家臣達との密議で事前に議論していた内容だったので「何を今更」と思いながら重治は答えた。
「それ、『公方(呼び捨て)からの畿内への援軍要請を断れば』の話だよな?」
「はい。もう織田には不要の長物ですので切り時かと」
しれっと重治が言い、信長も「ありだな」と思いながら、
「ふむ。援軍を断った後の展開は?」
「幕府が織田排除に動きますが、北近江、越前を得た織田に敵う者は畿内には居らず、甲斐武田は北条との交戦で釘付け。上杉は遠過ぎる。なりふり構わず兄を殺した三好三人衆を頼った公方様に正義はなく、どう料理しようと問題ないかと」
「だそうだぞ、勝。おまえの意見は」
「公方様側の非のある形でお願いしますよ。三好三人衆のような『将軍殺し』だけはされませんように」
「それくらいの分別はあるさ」
そう信長は笑い、この時は足利義昭との敵対を選んだのだった。
織田軍によって北近江の小谷城の城下町は盛大に焼かれた。
小谷城は名前に谷が入っていて紛らわしいが山城である。
なので、城下町が焼かれてる様子が城のどこからでも丸見えだった。
城下街を焼かれて怒った長政が、
「出陣だっ! 織田を蹴散らすぞっ!」
と息巻くが、老将の海北綱親と赤尾清綱が、
「朝倉の援軍が来るまで辛抱ですぞ、若殿っ!」
「そうです。それでは織田の思う壺です」
慌てて止めた。
「だがな」
「座っていろ、長政」
駄目押しとばかりに父親の久政に言われて、仕方なく長政は出陣を取り止めた。
その様子を見ていた政元は、
(誰が当主か分からないな、これは)
と思ったのだった。
織田軍の小谷城に籠もった浅井への挑発は更に続き、
六月二十四日には小谷城からも見える姉川を挟んだ横山城を包囲した。
信長自身は竜ヶ鼻に布陣している。
ここで、
「遅れて申し訳ございません」
徳川家康がようやく5000人の兵を引き連れて合流した。
「うむ。遅かったな、家康」
「はっ、尾張、美濃の川越えに手こずりまして」
家康の説明を聞いて、「嘘つけ」と思ったが、信長は戦を優先し、
「家康は横山城の西側を頼む」
「畏まりました」
こうして徳川軍も横山城攻めに加わったのだった。
対する浅井側にも越前からやってきた朝倉の援軍8000人が合流していた。
今回の総大将は朝倉景鏡ではなく、朝倉景建だった。
「お待たせ致した」
「ん? 景鏡殿は?」
長政のこの質問は「景鏡の方が良かった」という意味では決してない。
「あの男じゃなくて良かった」という意味だったのだが、逆に取った景健が、
「景鏡殿よりも格が落ちる某で悪うございましたな」
「いやいや、違いまする。景鏡殿とは相性が悪いので安堵したのであって、決してそのような意味では」
長政が必死に弁明する破目になった。
久政が話題を変える為に、
「兵数が8000人なのはどうしてです?」
「急な動員でしたので」
これは真実であり、嘘である。
「浅井への援軍は8000人で良かろう」
という当主義景の采配だったのだから。
つまりは臣従同盟の浅井の事を軽く見ていたのだ。
「そうでしたか。とりあえずこの戦場図を見て下され」
その後、浅井・朝倉連合軍の軍議が開かれたのだった。
朝倉の援軍が来た事で、織田側も小谷城側に兵を配置したが、浅井・朝倉連合軍が小谷城から出てきて決戦を仕掛けてくる事はなかった
当然である。
織田・徳川連合軍の方が圧倒的に兵数が多く、有利だったのだから。
そして決戦で一気に決着を付けたかった信長は、
「浅井の腰抜けが」
と吐き捨てたのだった。
◇
六月二十七日の夜の事である。
織田軍が包囲してる横山城内に籠もる浅井軍が門を開けて夜襲をしてきた。
織田軍からすれば寝ているところを起こされて鬱陶しい限りである。
当然、撃退したが。
それが「何を意味する」のか目聡い者達は気付いており、織田軍の本陣では対策の密議がされたのだった。
そして運命の六月二十八日となった訳だが。
軍記等々には「姉川の戦い」は早朝から始まったと残されている。
事実そうだろうが、それでは言葉足らずだ。
浅井・朝倉軍が横山城を包囲する織田軍の背後を奇襲したのだから。
戦は前日の深夜から既に動いており、浅井・朝倉軍が松明も付けずに移動をしーー
日の出と共に「姉川の戦い」は始まったのだ。
浅井・朝倉軍の奇襲戦として。
それを完全に読んでいたのが竹中重治、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興である。
竹中重治と池田恒興は、川中島よろしく前日の小谷城の炊飯煙の長さで看破していた。
柴田勝家は、横山城の無謀な夜襲で翌日に何か動きがあると読んだ。
丹羽長秀に至っては、浅井軍に密偵を潜り込ませており、作戦を盗ませて奇襲を知ったという顛末である。
他にも聡い者は居たかもしれないが、信長に進言したのはこの四人だった。
よって浅井軍の奇襲が成功し、横山城の一番外周に位置し、陣幕が張られた織田軍の本陣に浅井軍の先鋒が雪崩れ込んだが。
織田軍の本陣は無人だった。
「なっ、どういう事だ?」
磯野員昌が不参加なので浅井軍の先鋒を任されてた遠藤直経が驚く中、
「撃てぇ~」
との遠くからの声と共に、ダダダダンッと複数の火縄銃の轟音が鳴り響き、
「ぐあああ」
「ぎゃああ」
本陣に雪崩れ込んだ浅井軍の先鋒隊は火縄銃の餌食となった。
遠藤直経も乗ってた馬が被弾して馬と一緒に倒れる破目になった。
「クソ、罠かっ!」
馬を失いながら起き上った直後に、
「かかれっ!」
との声と共に突撃してきたのは織田軍の先鋒隊を任された坂井政尚が率いる部隊である。
「浅井に本当の戦を教えてやれっ!」
得意げに攻めてきたが、
「舐めるなよっ!」
浅井軍の先鋒隊の遠藤直経も剛の者で激戦となった。
この戦が始まった時、恒興はどこに居たのかというと。
夜の内に闇に紛れて移動した本隊中央の信長の傍には居なかった。
馬廻りの一部(300人)を率いて、織田軍の本陣に奇襲した浅井軍の背後に回り込んでいた。
馬廻り(親衛隊)の隊長が守るべき信長の傍を離れているのだから、当然、「信長の指図に従って」の軍事行動である。
本当に上手く浅井軍の後方に回り込んでいた。
相手に悟られていないのだから。
ここまで上手く背後を取れたのだ。
すぐに攻め掛かるような勿体無い事は当然しない。
森に隠れて息を潜めてたくらいだ。
「攻めないのですか?」
竹中重治の実弟の竹中重矩が問うも、
「まだな。狙うは大将首だから。浅井との戦はオレ達が終わらせるぞ」
そう馬廻り達に発破を掛けて、戦場の様子を見守ったのだった。
姉川の戦場は血みどろの様相を見せていた。
そして狙った訳ではないが、
織田軍と浅井軍。
徳川軍と朝倉軍。
これらが激戦を繰り広げていた。
織田軍2万3000人は、意外や浅井軍の5000人ごときに一進一退の展開を見せていた。
浅井軍側が「これに負けたら後がない」と本能的に悟って、持てる能力以上に奮起したからかもしれない。
対する援軍同士の徳川軍と朝倉軍では徳川軍が強いというよりは、朝倉軍のやる気の無さが悪目立ちするくらいに突出していた。
戦ってた徳川の兵でさえ、
「あれ、弱い」
と思ったくらいである。
なので、徳川にヨイショして書かれた軍紀等々の側面攻撃をする事もなく、正面突破だけで徳川軍5000人は朝倉軍8000人を蹴散らしたのだった。
「黒坂景久殿、討ち死に」
「前波新八郎殿、討ち死に」
負け戦のように続々と討ち死にの報告が本陣に届く。
徳川軍が朝倉の本陣に迫りそうな勢いだったので、総大将の朝倉景建は、
「ここまでで良かろう。越前に撤退するぞ」
そう言って、さっさと戦場から退却し始めたのだった。
「ちょ、本当にいいのか、退いて?」
と尋ねたのは中軍から本陣まで確認にやってきた真柄直隆である。
「ああ、貴殿も退かれよ。このような戦で無駄死にする必要はないからな」
「そんな訳には行くか。敵に目にもの見せてくれるわ」
そう言って真柄直隆は敵兵に向かって、
「うおおっ! 邪魔だ、邪魔だ」
と突撃していった。
朝倉一の豪傑の直隆は徳川軍の雑兵を薙ぎ倒しながら進んだが、進んだ先には本多忠勝が居て、
「ふん」
「ぐああ」
蜻蛉切の一撃で直隆を吹き飛ばした。
「この程度か。見かけ倒しめーーとどめを刺しておけ」
相手の弱さにガッカリした忠勝は直隆から興味を無くし、そう手勢に命令して、逃げる朝倉軍を追い掛けていった。
倒れた直隆に徳川軍の雑兵達が群がり、
「覚悟」
「げふっ・・・我が首を取って手柄とせよ」
直隆はとどめを刺されたのだった。
そして朝倉軍の総崩れと退却は、織田軍と浅井軍の戦の勝敗にも影響した。
「殿、朝倉軍が総崩れしました。このままでは織田の援軍が側面から――」
「くっ、ここまでか。退くぞ」
そう言って浅井長政は撤退を決めたのだが、騎馬と歩兵では移動速度が違う。
我先に逃げて突出した浅井軍の騎馬部隊が、後方の小谷城に向かって移動を始めた。
織田軍に突撃した味方を逃がす為に多数の騎兵が前線に移動した為、逃げてる騎兵の数は僅か50騎である。
小さな森からそれを見た恒興はニヤリと笑いながら、
「さすがは信長様だ。ここまで読んでるとはな」
と信長を褒めてから、
「狙うは浅井長政の首だが馬の足は止めるなよ。首なんか拾ってたら敵に囲まれて死ぬぞ。すれ違いざまに倒せ。いいな? では行くぞ。かかれっ!」
恒興の号令で、馬廻り300騎が小さな森から出撃した。
撤退中の浅井軍の騎馬隊50騎は前からの織田軍の奇襲に唖然である。
「なっ!」
「織田軍だと?」
「どうして前から?」
全員が驚き、そして、浅井軍の一部の兵が必死に、
「若をお守りしろっ!」
「絶対に近付けさせるなっ!」
上将を守る動きを見せた。
忠誠心は買うが、その動きで浅井長政の居場所は恒興達にも露見したと言える。
何せ、騎馬に乗る武者は全員が鎧兜を纏ってるので、どれもが上将に見えて遠目からでは分からなかったのだから。
その守られてる武者に注目すれば、確かに恒興も上洛戦で見た浅井長政が纏っていた鎧兜に似ていた。
馬も名馬の類だ。
長政に間違いない。
そんな訳で、
「長政はあそこだ。かかれっ!」
恒興が先頭駆けして、その浅井長政に一直線に突撃した。
馬ですれ違いながら、すれ違いざまに敵将の首を刀で撫でる。
正確には横に伸ばして馬の速度を利用して斬ってたのだが。
「ぐあああ」
長政の首に恒興の刀が入ったが、
「政之様っ!」
敵側近のその言葉で「長政じゃない」と気付き、
「影武者? いや、どっかの御曹司か。ちっ、若なんて紛らわしい呼び方をしやがってっ!」
と毒づいたが、恒興は実は四年前に国友村で浅井政之と遭っている。
気付かなかった恒興にも問題はあった。
その後もすれ違う浅井の騎馬隊の中からそれらしい上将を斬っていく。
「ぐああ」
「ぎゃあ」
すると、50騎の騎馬隊の最後の方の一人が、
「この・・・調子に乗るなよ」
威勢良く恒興に突っ掛かってきた。
擦れ違い様に刀を振るってくる。
「馬鹿が」
恒興が自慢の名刀で相手の刀を一撃でバキンッと圧し折って相手の腕を斬ると、
「ぐあああ」
「若殿っ!」
50騎の浅井軍の騎馬隊に動揺が走った。
数回しか会っておらず長政の顔もうろ覚えだったが、それでもその反応で、
(長政だっ!)
と恒興も悟るが、その時にはその「若殿」と呼ばれた武者とすれ違って離れ始めた後だったので、
「誰か、そいつを倒せっ! そいつが大将首だっ!」
馬の足を止める事なく振り返りながら叫んだ。
後続の馬廻りが挙って、
「喰らえっ!」
「このっ!」
と浅井長政を狙うが、
「させるかっ!」
「ぐああああ」
「若殿、お逃げを・・・」
浅井軍も必死に、それこそ身を呈して命を散らしながら長政を守りきった。
その為、長政はこれ以上傷付く事は無く、織田の奇襲部隊の中を突っ切って小谷城側に逃げれたのだった。
恒興は一瞬戻って追い討ちを掛けるか迷ったが、馬廻りの一人が、
「戻って追い掛けますか?」
と質問した時、撤退してきた他の浅井軍が、
「織田軍から殿をお守りしろっ!」
「うおおおっ!」
突進してきたので、
「いや。深追いは死を招くからな。戻るぞ」
恒興は撤退してくる浅井軍を避ける形で織田軍の本陣めがけて移動したのだった。
恒興が率いる織田軍の馬廻りのすれ違い攻撃の前に、長政の方は側近部隊が半壊である。
使える側近はことごとく失っており、
「御舎弟の政之様、今の攻撃でお討ち死にされました」
との報告までされた。
「クソ、こんなところに織田の伏兵が居たとは」
悔しがりながら長政は小谷城へと退いたのだった。
長政を討ち損ねた恒興と馬廻り300騎は、織田の本陣目指して帰ってる訳だが。
最初は浅井軍を避けて戻っていたが、最後の方では退却する浅井軍の歩兵の群れの中を突っ切っていた。
「ほらほら、邪魔だ、浅井軍っ! 退け、馬で踏み殺すぞっ!」
雑兵を蹴散らしながら帰還する。
別に弱い者虐めではない。
寧ろ、逆だ。
浅井軍の中でも強兵に属していたので数を減らそうと努めていた。
どうして強兵かと言えば、浅井軍の先鋒隊だったからだ。
先鋒隊に強い奴が集められるのはどこも同じだ。
そんな強くて、織田に恨みのある奴を逃がすと後が怖い。
だから倒していた。
「クソ、いいところまでいったのに朝倉軍が負けるからっ!」
先鋒ながら殿も務めていた遠藤直経の横を通り過ぎる瞬間に馬上から片目を斬りながら、
「後ろなんかを気にしてないで道を開けろよ、雑兵が」
恒興は振り返りもせずに通り過ぎて織田軍の本陣を目指した。
「ぐあああ」
片眼を斬られた直経が激痛で呻いて立ち止まったところを、恒興の後を追っていた竹中重矩がドスンッと馬で正面衝突して、
「あっ、悪い」
と謝罪するくらいの余裕があった。
この敵部隊は浅井軍の殿なので、ここを抜けると味方の陣なので。
味方の許に早く戻りたかった重矩が、そのまま通過しようとして、
「ん? 今の男。侍大将と見た」
恒興の命令を無視して引き返した。
敵部隊が浅井軍の殿(しんがり)だったので、浅井軍に囲まれる心配がなかったのもあるが。
そして下馬して対峙し、
「まさか、遠藤? その首、貰ったっ!」
片眼を失い、更には馬に体当たりされて、痛がって四つん這いになってる直経の首を刎ね、
「遠藤直経の首、この竹中重矩が討ち取ったりぃ~」
重矩は手柄名乗りを上げたのだった。
織田の本陣に戻った恒興は、
「申し訳ございません、信長様。浅井長政を討てませんでした」
信長に謝罪した。
信長の方は意外そうに、
「ん? そうなのか? 勝なら討ってくると思ったが」
これは嫌味などではなく、正真正銘、信長の本音である。
恒興は敵も味方も大物を引き当てる「持ってる男」なのだから。
「オレも討ったと思ったのですが人違いでして」
「? 誰を討ったのだ?」
「ええっと・・・」
思い出そうとしたが思い出せず、
「忘れましたよ。雑魚の名前なんて」
恒興はそう苦笑したのだった。
本陣に戻った竹中重矩は兄の重治を見つけて誇らしげに、
「兄上、浅井家の豪傑、遠藤直経を討ち取りましたよ」
「池田殿の采配のお陰だろ?」
重治はそう決め付けたが、その通りだったので、
「えっ、見てたんですか?」
そう重矩は聞き返す破目になった。
見てなかった重治が苦笑したが否定はせず、
「それよりも誰を討った。おまえではなく池田殿の方だぞ」
「弟の浅井政之と雨森の一族は確実に。すれ違いざまだったので首は取ってはいませんが」
「浅井長政には遭遇しなかったのか?」
「いえ、刀を折って腕を斬ってました。それもすれ違った一瞬で。ですが、後続が討てず」
「そうか」
(池田殿を持ってしても浅井長政は討てずか)
重治はそう熟慮をしたのだった。
◇
「姉川の戦い」が終わった後、織田軍はすぐに美濃に撤退した訳でも、小谷城に逃げた浅井軍を追撃した訳でもなかった。まあ、多少は追撃したが。
包囲してる横山城は落とさなければならない。
横山城は美濃と京を繋ぐ道を遮断する戦略上、織田軍にとって邪魔過ぎる城なのだから。
そして横山城は山城である。
姉川で味方が大敗したのを城から目撃しており、織田からの、
「城を明け渡せば命までは取らない」
との通達に、三田村国定、野村直隆、大野木秀俊の三将は合意の許、数日後には織田軍に横山城を明け渡して小谷城へと撤退したのだった。
その後、落城した横山城には、
「サル、おまえが城番だ。良いな。竹中の指示に従えよ」
「ははっ、この横山城の城番、このサルめが見事に努めて御覧に入れまする」
木下秀吉はそう大袈裟に喜んで横山城の城番となったのだった。
登場人物、1570年度
磯野員昌(47)・・・浅井家の家臣。浅井四翼。佐和山城主。浅井の先駆けだが、織田に先手を打たれて佐和山城で籠城。姉川の戦いは不参加。
能力値、突進の員昌S、浅井四翼A、六角の天敵B、長政への忠誠C、長政からの信頼A、浅井家臣団での待遇S
朝倉景建(34)・・・朝倉一門衆。席次は三席。別名、孫三郎。父は朝倉景隆。宗滴の後継の景建。根に持つ性質。姉川の戦いの援軍の総大将。
能力値、宗滴の後継の景建A、名将の器B、根に持つS、義景への忠誠C、義景からの信頼A、朝倉家臣団での待遇☆
遠藤直経(36)・・・浅井家の家臣。通称、喜右衛門。知勇兼備の謀将。忍び使いの直経。磯野員昌不在の為、姉川の戦いでは先駆けを担当。
能力値、忍び使いの直経SS、国友より刀A、必要とあらば毒をB、長政への忠誠A、長政からの信頼S、浅井家臣団での待遇C
坂井政尚(43)・・・織田家の家臣。馬廻りの幹部。古参美濃衆。坂井大膳亮、坂井利貞とは遠縁。姉川の戦いで嫡子を失う。
能力値、高名比類なきの政尚B、坂井氏は尾張では意外に名門A、川越え上手B、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇B
竹中重矩(24)・・・織田家の家臣。信長の近習。馬廻り。竹中重治の弟。兄と違い、頭の方はそれなり。姉川の戦いでは恒興の別動隊に所属。遠藤直経を討ち取る。
能力値、兄は今孔明S、怪力の重矩B、国友村通C、信長への忠誠C、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇B
真柄直隆(44)・・・朝倉家の客将。被官。越前国の真柄荘の国人。父、十郎左衛門家正。朝倉が誇る豪傑。太郎太刀を愛用。軍記や講談で語り継がれる。
能力値、太郎太刀の直隆B、朝倉が誇る豪傑A、名を残すA、義景への忠誠C、義景からの信頼S、本日の運勢最悪★★★
本多忠勝(22)・・・徳川家の家臣。徳川四天王の一人。通称、平八郎。父、本多忠高。妻は松平玄鉄の娘。蜻蛉切と鹿角脇立兜を愛用。真柄直隆を一撃で吹き飛ばす。
能力値、花も実も備えた武将A、家康に過ぎたるものA、正信嫌いSS、家康への忠誠A、家康からの信頼S、徳川家臣団での待遇B
浅井政之(21)・・・浅井一門衆。浅井久政の三男。官位、石見守。国友村の代官。刀集めが趣味。兄、長政から愛用の鎧兜を貰って姉川の戦いに出陣。無自覚で影武者になる。
能力値、刀狩りの政之B、国友の代官A、鉄砲は無知A、長政からの信頼S、兄から鎧兜を貰う★★★、本日の運勢最悪★★★
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【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
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