池田恒興

竹井ゴールド

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1570年5月〜7月、姉川の戦い

信長、天草峠で狙撃される

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 【若狭討伐軍の敗北、各地に伝わる説、採用】

 【各地の情勢、織田に有利だった説、採用】

 【朝倉義景、やはり時期を逸する説、採用】

 【日野輝資、義昭に織田の弱さを吹き込んだ説、採用】

 【浅井長政、朝倉の援軍待ちで好機を逸する説、採用】

 【朝倉景鏡が率いた援軍、1万2000人だった説、採用】

 【織田信長、帰還時に南近江で実は窮地だった説、採用】

 【朝倉景鏡、小谷城から動かず撤退した説、採用】

 【鈴木孫一、杉谷善住坊を名乗り、六角から信長暗殺の依頼を受けた説、採用】

 【織田信長、念の為に衣替えをして天草峠を越えた説、採用】

 【堀秀政、二発目の銃弾に当たる説、採用】





 ◇





 織田軍、金ヶ崎で敗れる。





 その報告を聞いた各国の反応は以下の通りだった。





 越前の一乗谷では朝倉義景が、

「ふん、織田など我が朝倉の下働きが似合いなのさ」

「それよりも早々に金ヶ崎城を明け渡した『不甲斐無い男』の処罰をしていただきたいのですが。朝倉一族の結束の為にも」

 ここぞとばかりに朝倉景鏡が言ったが、義景から言わせれば景鏡も怪しく、

「援軍が遅れたので落城したように私には見えたがのう」

「あれは兵の足並みが揃わなかっただけですよ」

「本当にか、景鏡? 織田と通じてはおらぬよな?」

「まさか、そのように疑われるとは。ならば援軍が遅れた責めは、織田攻めの功績で晴らして御覧に入れましょう」

「ふむ」

 義景は景鏡の処分は保留にしたのだった。





 北近江の小谷城では浅井長政が、

「織田が越前から兵を退いて京に逃げ帰ったぞ。皆の者よくやった」

「おお、やりましたなっ!」

「総ては若殿の武威の賜物かと」

 老臣達が勇ましく息巻く評定の席で、浅井政元だけは、

(浅井が兵を挙げた直後に一度も刃を交えずに撤退した? それも朽木谷では夜に松明での出迎えがあった?)

 織田軍の迅速な撤退の異常性に気付いており、

(これって、まさか、最初から浅井が裏切る事を見越して? 浅井が狙われた? どうして? 浅井は織田を怒らせるような事は・・・京からの帰郷の際の兄上の暴言か? あれを聞かれて朝倉と織田、どっちに味方するのか試され、まんまと乗せられた?)

 深刻な事態である事を理解したのだった。





 南近江の南の伊賀の某所では六角義賢が、

「織田が負けたか。ようやく、ようやくだ。散々根も葉もない流言を広めてくれた織田に対してようやく雪辱が果たせる。我が領国を取り返す好機がきた。六角の国衆を扇動して織田から六角の領地を奪い返すぞ」

 そう悔しさを爆発させていた。

 六角親子は二年前の「足利義昭の上洛戦」で籠城が一日持たなかった。

 そして逃亡。

 その事実を織田が大々的に宣伝しており、今や六角親子は「三国一の臆病者」として有名だったのだ。

 息子の六角義治が、

「父上、近江と美濃の境の山中(地名)に潜伏させている例の鉄砲撃ちはどうします?」

「場所を変えさせよ。浅井がそむいたのであればあの道は通れんはずだ」

「とはいっても、どこに?」

「伊勢攻めの後に織田が上洛の時に使用した伊勢と南近江の境の、ええっと、何と言ったかーー」

「天草峠ですか?」

「それだ。そこに待機させておけ」

「銭を更に要求してくると思いますが」

「チッ。生臭坊主が。払ってやれ」

「はっ」

 そう暗躍したのだった。





 阿波の勝瑞城では三好長逸が、篠原長房に、

「越前で織田が負けたとの報告が入ったぞ。これで織田に反感を持つ諸将も立ち上がろう。三好が再び京で覇を唱える好機だぞ、長房殿」

「公方様はどうするので? 幕府を攻めてはただの反逆ですぞ?」

 先代の三好長慶でさえ嫌った事だ。

 それを三好三人衆がやってしまい、現在、三好は畿内から追われてる訳だが。

 二人殺してる(と思われてる)長逸は、

「弱い将軍になど誰にもついていかんものさ。さあ、兵を挙げようぞ」

「『織田が京より撤退するのを待つ』が条件ですぞ」

 説得された篠原長房はそう承諾したのだった。





 まだ在京していた伊勢国司の前歴を持つ北畠具教は、

(抜かった~。伊勢に居れば、この敗戦情報で浮足立った国衆をまとめて再度兵を挙げられたものを。のうのうと京なんぞを見物していたから)

 そう悔しがったのだった。





 老人なので早駆けは無理で、まだのろのろと朽木谷を移動中の松永久秀は、

(今回は遠征に参加してて助かったわい。もし大和国に居て、この敗戦のほうを聞いていたら、織田の事を甘くみて謀反を起こしてるところだったからな。それにしても妹婿までに罠に掛けて潰そうと考えるとは。織田は怖いところだのう)

 そんな事を考えたのだった。





 摂津の石山本願寺では三好三人衆の使者の斎藤龍興が、

「織田を潰す好機ですぞ、下間殿」

 本願寺の僧兵を統括する下間頼廉と対面して、そう誘惑していた。

 だが、頼廉は高僧でもあるので、そのような誘惑に乗る訳もなく、

「潰すとかは良くないですぞ。我ら本願寺は門跡なのですから」

 善人ぶって返事をする始末だ。

 尚、「門跡」とは皇族や公家が出家した寺社の事を言った。

 つまりは「箔」がその辺の寺とは違うのだ。

 まあ、応仁の乱以降、貧乏生活が続く内裏(帝御所)に献金しまくって、二代に渡って摂関家である九条家の猶子になるなどし、ぶっちゃけ、銭で「門跡」を買ったのだが。

「ですが、織田はともかく、幕府の方は本願寺を目の敵にしているのでしょう? その内、何かしらの不利益はあるかと。先制攻撃は有効ですぞ」

 と勧誘したが、結局は下間頼廉を動かす事は出来なかった。





 但しである。





 この摂津の石山本願寺には流れ者の元大名、斉藤龍興が知らないだけで、京を追われた特別な公家、近衛前久も逗留しており、

「また公方殿が比叡山の高僧を二条御所に招いたそうですぞ」

「らしいですな」

「本願寺は呼ばれてませぬよね? 公方殿は本願寺がよほど嫌いと見える。公方殿の意を汲んで織田軍が兵を挙げる前に手を打った方がよいですぞ」

 前久も下間頼廉を説得していたのだった。





 そして駿河在住の武田信玄はと言えば、

「背後を突かれて撤退のう。妹婿の寝返りにも気付かぬとは意外に大した事がないな、織田も」

 そう呟いていた。

「織田は弱っており、美濃を切り取る好機ですが?」

 山県昌景が尋ねるも、

「冗談は止せ、孫四郎。今川の小悴を抱えて『旧今川領奪還』の大義名分を得た北条氏康が長尾(越後上杉の事)と同盟を結んで東から攻めて来てるというのに」

 と現状を口にした。

 武田は現在、三国同盟を一方的に破棄して今川領を攻め、今川の旧領の「駿河」と(徳川との今川攻めの盟約を破った事で得た)「遠江の一部」の領土を得ている。

 領土が拡大し、信玄の念願の海は手に入れたが、その代償として武田は現在、北条と上杉の同盟軍を相手にする破目になっていた。

 徳川が今川氏真を殺さずに相模に逃がしたのが地味に利いている。

 お陰で今川のもと家臣や旧領に眼を光らせなければならない。

 とてもではないが、西の織田まで攻めてる余裕はなかった。

(一年我慢していれば、勝頼の官位と足利家からの諱拝領の妨害をした織田を攻めれたが・・・ここまで巡り合わせが悪いとは。これは少し打ち筋を誤ったかのう)

 そう信玄は自問したのだった。





 ◇





 各国に様々な思惑がある中、信長はと言えば。

 越前から撤退して京に到着した翌日の五月一日には、信長公記にも記載されてるように、元気に完成した二条御所を見聞した。

 別にカラ元気でも何でもない。

 信長の中では越前からの退却は日程に入ってる織り込み済みの軍事行動なのだから。





 誤解がないように記すが、

 四月三十日に京に帰還したのは信長と織田軍の一部だけで(馬廻りや騎兵のみ)、他の兵は後日、続々と京に戻ってきているところだった。





 無論、ただ退却をしている訳ではない。

 若狭征伐の成果として若狭の国衆達から人質を出させ、それを丹羽長秀と明智光秀に護送させている。

 その人質全部を信長は足利義昭に、

「どうぞ、若狭の国衆の人質です。公方様にお預けします」

 引き渡していた。

 義昭の方はそんな人質よりも織田、浅井、朝倉の戦況が心配で、

「うむ。それよりも大丈夫なのか、信長? 怒った浅井・朝倉が京に攻めてくるような事はないのだな?」

「御安心ください。そうならぬように美濃に戻り、浅井を攻めますれば」

 と信長は自信満々に今後の軍事行動を教えたのだが、それが悪手となった。





 何せ、義昭との会見に同席していた三淵藤英がちゃんと浅井長政に教えるべく書状を送ったのだから。





 京から北近江の小谷城の浅井長政の許に書状が届き、

「ん? 三淵殿から? なになに、織田が態勢を立て直して北近江を攻めるだと? 果たして出来るかな」

 既に浅井家は同盟を結んでる朝倉家と連携して、織田に対して攻勢に出る事が決定していたのでそう鼻で笑ったのだった。





 その浅井家の使者は赤尾清綱で、老齢ながら自ら越前へと出向いたのだが。





 朝倉義景は時期を逸する「名人」である。





 すぐに兵を起こして南近江まで進出し、信長を岐阜城に帰還させる事なく南近江に釘付けにすれば十分、織田相手でも勝算があったのだが、そんな事を義景がする訳もなく、





 一度織田軍に制圧された敦賀地方に入って雑務をこなしていた。

 敦賀湊があるので敦賀地方の掌握は朝倉には必須で、義景の動きは順当ではあったのだが。





 同時に織田軍に降伏した金ヶ崎城主の朝倉景恒に対して、

「永平寺で蟄居するように」

 と処断を下している。

 但し、景恒は朝倉一門衆の筆頭な為に、

「ふざけないでいただこうっ! 援軍も寄越さずに三万の敵兵を前にどうすれば良かったというのだ?」

 そう正論を吐いて当主の義景の処断に異議を唱えていた。

「せめて半日は持ち堪えていたらのう」

「まったく持ってその通り。不甲斐無い。それでも朝倉一族なのかね?」

 当主の義景や援軍を遅らせた張本人の朝倉景鏡までが追及したが、

「孫八郎、貴様っ! 故意に援軍の歩みを遅めた癖してどの口で言ってるのだっ!」

「知りませんな。恥知らずはさっさと永平寺に向かいなされっ!」

「誰が向かうか。当主殿、納得のいく裁定をしていただこうっ! まずは援軍の遅延についてからだ。これが総ての元凶なのだからな。裁くのなら先に孫八郎であろうがっ!」

「責任転嫁も甚だしい」

「黙れ。どうせ織田と内通しているのであろうがっ!」

「そんな訳あるかっ!」

 景恒と景鏡が罵り合って揉めに揉めており、恐る恐る使者の清綱が義景に、

「あの、朝倉様。近江へ出兵していただけるのですよね?」

「少し時は掛かるが必ず兵を送るから安心せよ」

 そう義景は請け負ったのだが、時を逸し続けたのだった。





 ◇





 一方の足利義昭は心配症なのか、恒興や信長の言葉だけでは信用出来ず、同行してた昵近公家衆の日野輝資や摂津守護の池田勝正を呼び出そうとしたが、輝資は輿移動、勝正は殿しんがり担当でまだ京には帰還してはいなかった。

 仕方なく、傷跡が生々し過ぎて毛嫌いしてる明智光秀を二条御所に呼び出して、

「若狭で何があったのか、詳しく申せ」

 と問い質したのだが、光秀は既に幕府ではなく信長に忠誠を誓ってるので、

「越前攻めの最中に北近江の浅井が幕府に逆らい、そのまま戦っても倒せなくはありませんでしたが、怪しい動きを見せる松永の兵も幕府軍に従軍していた為、これ以上の裏切りを防ぐ為に撤退致しました。兵は損なっておりませんので安心して下さいませ」

「本当であろうな」

 義昭はそう呟いたのであった。





 ◇





 京への撤退ありきの越前攻めだったので、実は色々と事前に手は打ってある。

 例えば、南近江の守山には(若狭攻めには参加しなかった)西美濃三人衆の一人、稲葉良通が既に配置されていた。

 幕府軍の参加ではなく、守備なのだから良通は大いに不満で、その不満が手に取るように分かった信長は仕方なく、

「これはお主の目付の勝、コホン、池田にも内緒の話なのだがな。今回の若狭攻めは越前も含まれていて北近江の浅井を幕府にそむく可能性がある。叛いた場合はここが最前線となる訳だが、やってくれるな?」

「浅井が敵? 織田殿は妹婿を攻めるのですか?」

そむかねば攻めぬさ。その時は若狭と越前だけだ」

「しかし浅井と朝倉は同盟を結んでいる関係上、越前を攻めれば・・・」

 西美濃が領地なので情勢に詳しい良通は叛くと確信するが、

「織田を取らぬ浅井が悪い」

 きっぱりと信長が言い、

「・・・なるほど」

「やってくれるな」

「はっ」

 との会話で、良通の部隊は守山の守備に残っていた。





 なので、織田軍の敗戦のほうが広がると同時に、六角親子の扇動によって、

「織田から領地を奪い返せっ!」

「そうだ、織田は出ていけっ!」

 南近江で一揆を発生した。

「殿、一揆衆は根切りなのですよね?」

 娘婿の斎藤利三が問うと、

(浅井ではなく一揆か。これでは手柄にならんな)

「そうだ。全員、討ち取れっ!」

 稲葉隊が一揆を根こそぎ刈り取ったのだった。





 その稲葉良通の目付と言えば、恒興であるが、その恒興は、

「勝、小豆袋を台無しにした罰だ。内裏の普請の監督でもやっていろ」

 信長のその命令で、京に戻ってからは、撤退してくる織田軍の受け入れやらで大変だというのに、まさかの内裏(帝御所)の普請の現場監督をする破目になっていた。

 そんな訳で、例によって二条晴安を名乗る誠仁親王が、

「織田、負けたらしいな?」

「それならば良かったのですが」

「?」

「これはここだけの話ですぞ」

 と言ってペラペラと退却の顛末を話したのだった。

 まあ、その口の軽さが恒興の個性なのだが。

 信長も別に内裏に情報を流す為に恒興を普請現場に配置した訳ではない。

 これは完全に恒興のヤラカシなのだから。

 結果、内裏を安心させ、離反を防ぐという最高の朝廷工作となったが。

 話を聞き終えた誠仁親王が、

「つまり織田は北近江の領地欲しさに妹婿に罠を仕掛けた訳か?」

「どうもそうみたいです。表向きは『浅井は裏切り者、幕府に刃向かった賊軍』なのですが、人としては織田の方が最低ですよね」

 恒興の否定的な言葉に対して、誠仁親王は、

「そうなのか? 私の見解では『征夷大将軍の命を受けた幕府軍に剣槍を向けて反逆した浅井の方がおかしい』と思うが?」

「・・・もう少し詳しくお願いします」

「13代の義輝殿が三好に殺されてるがな、池田。そもそも征夷大将軍として帝が認めた武家の棟梁に逆らう方がおかしな話ではないか。幕府軍に逆らうという事は、征夷大将軍を認めた帝にも逆らうという事なのだからな」

「なるほど。心のモヤモヤが晴れたような気がします。ありがとございました、二条殿」

「うむ。では、またな」

 そう言って誠仁親王は去っていったのだった。





 池田恒興の内裏の普請奉行の補佐役は有名なのか、普請の監督をしていると、

「池田様ですね、これをお受け取り下さい」

 人夫のふりをして紛れ込んだ男に密書を渡された。

 密使の男はさっさと去っていき、恒興が書状を読めば、浅井政元で浅井は幕府軍には逆らうつもりは毛頭ない等々の言い訳と信長への取り成し依頼が記されてあった。

(まだこんな事を言ってるのか? 陰星とか言われてるからもっと優秀だと思ったが。まあ、信長様には一応届けるんだけどな~。竹中が上手く策謀に使うだろう)

 そう恒興は苦笑したのだった。





 ◇





 そしてようやく若狭討伐軍に従軍していた昵近公家衆として足利義昭に派遣されていた日野輝資が京に帰還した。

 すぐに義昭は二条御所に招いた訳だが、公家出身の上、弱冠15歳の日野輝資には負けいくさの撤退の恐怖は耐えられなかったのか、

「織田に任せて大丈夫なのですか、公方殿? いくさに負けるような織田は頼りになりませぬぞ」

 信長というか「織田の悪口」を言い始めた。

 織田を嫌う幕臣達からすれば輝資の進言は大歓迎だ。

(ふむ。織田は頼りにならぬか)

 と義昭も考えるようになったのだった。





 それからまもなくして若狭討伐軍の殿しんがり部隊を率いていた摂津三守護の一人、池田勝正が京に帰還した。

 足利義昭は勝正も二条御所に招き、

「敗北の原因は何だったのだ?」

 事情を聞いたのだが、勝正は義昭に忠誠を誓っているので正直に、

「今回の敗戦の原因は織田殿ですよ」

「?」

「つまりですな、公方様。織田殿は妹婿が寝返るのを見越して越前に侵攻し、浅井を賊軍に仕立て上げて退却した、という事です」

 勝正が知り得た情報から主観で報告したのだった。

「ん? 織田は負けたのではないのか?」

「勝てたのに『わざと負けた』ですよ、公方様」

「勝てたのか?」

「はい、ちゃんと準備をしていれば。いえ、浅井を寝返らぬように手を打っておけば。まあ、どうせ、体制を立て直した織田が浅井と朝倉を倒して終わりなのですがね」

「では、浅井と朝倉は気にしなくて良いのか?」

「はい。あのような弱兵。織田ならば一捻りでしょう」

 そう力強く勝正は頷いたので、

(どっちなのだ? 織田は強いのか弱いのか?)

 義昭は迷い、

(織田が池田殿にそう言わせてる? それとも本当に浅井を織田が嵌めた?)

(本当はどうなのだ? 情報が錯綜してて分からぬ)

 織田が敗北したと頭から決めつけていない幕臣達も考えたのだった。





 ◇

 殿しんがりが帰還し、数日休ませた五月九日。

 信長以下織田軍は京を発つ事となった。

「では、公方様(本人なので)。浅井、朝倉を平らげて参ります。三好三人衆が兵を挙げた際には摂津、河内、大和の兵を動員して下さりますように」

 二条御所で足利義昭に信長は出発の挨拶をし、

「うむ。畿内は任せよ。その分、浅井、朝倉は任せたぞ」

「はっ」

 こうして信長は京を出発したのだった。




 若狭征伐の出発をする前から、とっくに浅井が敵対する事は想定済みなので、

 南近江の宇佐山城に守将として森可成を入れた。

 とは言っても、琵琶湖の北側の要所なので、帰路の途中で森隊とは別れた訳だが。

「命の限り、宇佐山の地を守りまする」

 命じられた森可成は別れ際にそう真面目に答え、信長が、

「そこまで気負わずとも良いぞ、三左。それよりも浅井攻めの時には来るようにな」

「はっ」

 こうして別れた。





 他にも、

 永原城には佐久間信盛。

 長光寺城には柴田勝家。

 安土城には中川重政。

 これらを配置した。





 今回の帰路は「馬廻りだけが先に」という訳には行かず、織田軍の歩兵の速度に合わせて信長も進んだ。

 同時に新領の南近江で武威行動もした。

 六角親子の扇動に乗って、一部の南近江の国衆が寝返っていたからだ。

 もっとも、その被害はかなり少ない。

 南近江の統治が円滑に進むように六角義賢、六角義治の名声を貶める為の流言を織田が故意に散布し、今や六角親子は「戦わずに国を明け渡した武士の風上にも置けぬ三国一の臆病者」なのだから。

 津島商人、近江商人、堺商人。

 それらの全面協力なので、もうもと中が六角親子の悪評を知っていた。

 なので、一揆の規模は小さく、稲葉隊が綺麗に掃除している。

 それでも織田軍は、改めて織田に敵対した集落を焼き、六角の扇動に乗せられず織田に忠誠を誓った者達には信長が直接会って所領の安堵を改めて約束した。

 南近江の国衆達と会見をしながら、織田軍は尾張に向けて移動しており、その歩みは遅かった。

 とろとろと(いつでも戦えるように兵を疲労させずに)進む軍隊の中で恒興が、

「これも想定内なのですよね、信長様?」

 そう信長に問うと、

「ああ。朝倉軍を誘引して近江で討つところまでが竹中の策だ」

「なるほど。越前で一々籠城されるよりも断然お得な訳ですか、その方が。この兵数でやるんですか?」

「やっても良いが・・・出来れば一度、岐阜城に帰って態勢を立て直したいのう」

「ですが、さすがに京であれだけ時間を潰せば・・・」

「うむ。密偵の報告でも朝倉軍が小谷城まで来ておるらしいのう」

 信長が頷き、

(竹中が言うには大丈夫らしいが)

 竹中重治の読みを教えなかったので、恒興は美濃に帰還前の一戦を覚悟したのだった。





 ◇





 四月二十九日に織田軍が越前から撤退した「金ヶ崎の退き口」。

 それから十日以上の日数が経過した五月十一日。

 越前朝倉から大軍がようやく近江に向けて出陣した。

 大軍と称するのだから1万人は超えており、その兵数は1万2000人である。

 総大将は朝倉景鏡だった。

 当主の朝倉義景本人は出陣していない。

 理由は(加賀の一向一揆や若狭の動きも気になるが、最大の要因は)当然、織田軍の越前征伐の際に援軍を指揮した景鏡の行動に不明瞭な点があり、信用出来なかったからだ。

 もし景鏡か織田軍と内通していて裏切っていたら、義景からしたら越前に残すのも怖いし、一緒に従軍するのも怖い。

 なので総大将として送り出していた。





 大軍なので歩みが遅く、





 北近江の小谷城の浅井長政は、

「朝倉の兵の到着が遅過ぎる」

 いきどおっていた。

 元々、朝倉の事が嫌いな長政である。

 そして弟の政元の方は織田との講和を最後まで諦めておらず、

「兄上、今ならまだ織田との講和が間に合いますが?」

「くどいぞ、政元。織田は討ち、その織田領の総てを浅井の物とし、浅井が天下に覇を唱える。これはその為のいくさと心得よ」

(嘘だろ・・・聡明だった兄上がいつからこんな蒙昧もうまいに? 織田の上洛戦が呆気なさ過ぎたからか? それで浅井でも出来ると勘違いしてる?)

「現実を見て下さい、兄上。織田の領土は浅井の8倍以上ですぞ?」

「それを倒すのが醍醐味であろうが」

(駄目だ。自分に酔ってて話が通じない。どうする? 浅井が滅びるのが確定している以上、見捨てるなら早いに越した事はないが・・・)

 そう政元は悩んだのだった。





 越前朝倉家の援軍だが、三日後の五月十四日には越前の金ヶ崎城から北近江の小谷城に到着していた。

 五月十四日の段階で、織田信長は南近江の氷原城に滞在しており、織田軍の兵数は京、それに各城に2000人ずつ振り分けたので1万4000人を下回っている。

 浅井の動員兵数は8000人。

 朝倉の援軍は1万2000人。

 浅井・朝倉連合軍は2万人。

 対して南近江の信長が率いる織田軍は1万4000人。

 三河に帰還中の徳川家康が率いる徳川軍3000人。

 織田・徳川連合軍は1万7000人。

 まあ、浅井・朝倉軍か侵攻すれば、南近江の国衆の兵が織田方に合流して簡単に2万人以上となるのだが。

 それでも、潜伏してる六角親子が国衆を蜂起させれば織田軍の兵数は削れる。

 つまり、決戦を挑めば織田軍にかなりの確率で勝てたのだが。





 小谷城に到着した朝倉軍の総大将の朝倉景鏡は、能力云々うんぬん以前に、

「出迎え、御苦労。浅井の衆」

 嫌な性格の男であった。

 開口一番の挨拶が浅井家を臣下とみなしたなのだから。

 浅井長政は我慢しながら、

「景鏡殿、織田が南近江に居ります。直ちに決戦と参りましょう」

 提案するも、朝倉景鏡は武将としての能力も決して低くはなく、

「その織田から切り取った南近江の領土はどちらの所属になるのかな?」

「・・・む、無論、朝倉殿のです」

 長政が我慢してそう答えるも、

「越前からの飛び地など要らんのだがな、朝倉も。北近江の領土と交換して貰えたりすると有り難いのだが」

「どこが欲しいのです?」

「北国街道の終点、塩津と大浦だな」

「やれるかっ! 寝言は寝てから言えっ!」

 堪忍袋の緒が切れた長政は叫んだのだった。

 長政が怒ったのも当然だ。

 両方とも北国街道に通ずる琵琶湖水運の湊があり、金の成る木だったのだから。

 相手が怒る事が想定済みだったのか、景鏡が、

「何だと? 久政殿、貴殿は御子息をどのように教育しているのだっ!」

「これは申し訳ない。息子を奥へ連れていけ」

 その久政の指図で側近達が長政を連れていく中、久政が、

「近江に滞在中の織田を倒されませんので?」

「私が織田を相手に戦功を上げると越前の当主殿が良い顔をしないのでな。どうにか織田を浅井の領地に誘引出来ないのか? それならば守るとの理由で織田を叩けるのだが」

 素っ気無く景鏡は答え、その答えを聞いた久政は織田との早期決戦を諦めたのだった。





 景鏡の言葉通り、本当に朝倉軍は小谷城から南下しようとはしなかった。





 正確には「出来なかった」なのだが。

 と言うのも、浅井・朝倉連合軍が信長の居る南近江の氷原城まで出兵すれば、美濃側から(平手久秀が信長の命令で兵と一緒に岐阜城入りしている)兵が侵攻して挟撃されるからだ。

 挟撃程度の被害ならまだ許容出来るが、もし南近江遠征中に小谷城が攻められて落城したら目も当てられない。

 美濃と京の道を遮断する形で領土を持つ浅井家の地理は織田に取っても邪魔だが、浅井・朝倉連合軍からも見ても、これはこれで面倒な状況になっていた。

「浅井は全兵を南近江に派遣出来るのか?」

 確認の為に景鏡が問えば、

「いえ、最低限の守備の兵は残させていただきます」

 との答えが久政より戻ってきた。

(朝倉の援軍を当てにして戦うつもりか。どこまで役立たずだな、浅井は)

 このように浅井と朝倉でも温度差があったのだった。





 ◇





 その浅井・朝倉軍の動きを受けて、信長は悠然と岐阜城へと帰る事となったのだが、美濃と近江の境は浅井家の支配圏なので通れず、織田軍は伊勢と近江の境を通過して遠回りして美濃に帰る破目となり、





 伊勢と南近江の境の「天草峠」には十日以上前から信長の命を狙うべく待っていた者が居た。

 杉谷善住坊の名をかたる鈴木孫一である。

 名を騙ったのは悪事をするという自覚があるからではなく、前に名前を騙られた事があったのでそのお返しという軽い気持ちからだったのだが。

 もう天草峠の下調べは万全で、既に狙撃場所も決めてある。

 森の中を突き抜ける峠道で孫一の逃げ道も多い。





 そして、五月十九日。

 遂に織田軍がその天草峠にやってきた。

 もう既に織田軍の先発隊が天草峠を通過している。

(そろそろか)

 孫一は今年の京の相撲の興行の群衆の中から信長の顔を見て知っている

 正確には、六角からの狙撃依頼があり、その為に標的の顔を見に出向いていたのだが。

 よって顔は覚えてる。

「きた・・・あれか」

 明らかに名馬に乗った鎧を纏う大将が遠くから近付いてきたので、孫一は鉄砲を手にした。

 火縄に息を吹き掛けて火種を強める。

 念の為に火縄銃は2挺用意してある。

 両方の火縄を確認した。

 行列が近付いてきて、森の中で火縄銃を構えた孫一の視界に入る位置にまで信長が来た。

「!」

 そして顔を見た孫一は気付く。

(? ・・・違う、信長じゃない? 影武者?)

 それでも引き金を引いた。

 だが動揺しながら引き金を引いたからか、ダァンッと火縄銃を発射するも一発目は外れた。

 慌てて2挺目の火縄銃に持ち替える。

 その頃には狙撃されたと自覚した信長の影武者の馬が道を走り始めており、

「チッ」

 その後ろ姿めがけて鉄砲を撃ったが、他の騎馬武者に命中した。

「クソ、影武者なんか使いやがってっ!」

 そう毒づきながら孫一は森を捜索し始めた織田軍から逃げ出したのだった。





 暗殺され掛けた信長役の恒興はというと、

「だから嫌だって言ったのに~。信長様の影武者なんて命が幾つあっても足りないんたから~」

 そう文句を言いながら伊勢方面に馬を走らせていた。

 その横で馬を走らせる恒興役の信長が、

「影武者はオレを守るのが仕事だからな」

「ってか、二発目、誰かに当たりましたよね?」

「ああ、久太郎が肩に受けたようだ」

「おお。このを、身を呈して守るとは近習のかがみだな。後で褒美を取らせよう」

 信長役の恒興はそんな事を言いながら虎口を脱して美濃に逃げ帰ったのだった。





 登場人物、1570年度





 六角義賢(49)・・・六悪人の一人。南近江国守護。官位、左京大夫。正室、畠山義総の娘。吉田重政を師とした日置流の弓の名手。大名だったが牢人に。流言で笑い者。

 能力値、六悪人の義賢B、国譲りの六角★★、織田が流言を★、畿内の有名人★、弓の名手A、もと家臣達が言う事を聞かないA

 六角義治(25)・・・六悪人の一人。六角16代当主。六角義賢の嫡子。母は畠山義総の娘。23歳で南近江を失う。織田の流言で笑い者に。

 能力値、六悪人の義治A、国譲りの六角★★、織田が流言を★、父にも劣るD、牢人生活はもう嫌A、六悪人同盟A

 三好長逸(54)・・・六悪人の一人。三好三人衆の首魁。足利義輝殺害。足利義栄毒殺。三好義興と十河一存の殺害。罪多数で三好宗家を追放される。ボケ疑惑あり。

 能力値、六悪人の長逸★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★、将軍殺しよりも義興と一存殺害の悪評★★★、三好三人衆家臣団での待遇C

 篠原長房(35)・・・阿波三好家の執権。継室は本願寺蓮如の孫娘。細川真之、三好長治を抱える。天下に覇を唱える野心はある。

 能力値、共食い烏賊の長房A、阿波、讃岐の実力者A、本願寺贔屓B、三好長治への忠誠B、三好長治からの信頼A、阿波三好での待遇☆

 斎藤龍興(22)・・・六悪人の一人。元美濃斎藤家の当主。19歳で美濃を失う。蝮の血が覚醒。安藤守就に足の指を切断される。将軍義栄毒殺の黒幕。本願寺と交渉中。

 能力値、六悪人の龍興B、三代目蝮SS、部下は駒C、祖父と父の遺産A、移動に支障ありA、将軍義栄殺しの罪を三好三人衆になすり付けた★★★

 下間頼廉(33)・・・石山本願寺の坊官。父は下間頼康。母は下間頼次の娘。幼名は虎寿。通称は源十郎。織田と幕府と揉めるつもりは今のところない。

 能力値、大坂之左右之大将の頼廉☆、政務の方が得意☆、戦国時代への介入に反対A、南無阿弥陀仏A、石山本願寺への信仰A、石山本願寺での待遇☆☆

 近衛前久(34)・・・近衛家17代当主。父は近衛稙家。母は久我慶子。上杉輝虎は盟友。関東事情に詳しい。近衛家は公家の頂点。京を追われる。義昭の器を認めず。

 能力値、公家らしからぬ行動力の前久S、近衛家の異端児A、輝虎との血書の起請文A、戦国時代に終焉をS、総ては御上の為S、朝廷での待遇☆☆

 武田信玄(49)・・・甲斐の虎。甲斐源氏の嫡流。法名は徳栄軒信玄。織田と婚姻同盟中。駿河を奪取するも北条、上杉と敵対。西への領土拡大の余裕なし。勝頼が拙い事に。

 能力値、甲斐の虎SS、風林火山陰雷SS、家臣の層の厚さS、金山枯らしS、出身国の運の悪さS、勝頼が暗黒面に落ちるも気付かずA

 山県昌景(41)・・・武田家の家臣。譜代家老衆。武田四天王の一人。赤備えを率いる。旧名、飯富源四郎。武骨者で軍議は分かるが謀略は無理。義信殺害を勝頼だと決めつける。

 能力値、赤備えの山県S、一輪駆けの昌景S、風火雷B、信玄への忠誠S、信玄からの信頼A、武田家臣団での待遇A

 斎藤利三(36)・・・稲葉家の重臣。斎藤姓だが道三とは別系統。本来の美濃斎藤氏の一族。妻は稲葉良通の娘の安。娘は長宗我部元親の正室。勇猛だが主君運がない。

 能力値、主君運なしA、娘達は大成A、嘆きの利三A、良通への忠誠B、良通からの信頼D、稲葉家臣団での待遇D

 稲葉良通(54)・・・織田家の家臣。美濃国衆。別名、彦四郎。蝮の八の牙。きかん坊。誠の仁者。南近江の守山の守将任務で一揆を掃討する。

 能力値、蝮の八の牙の良通S、自領安泰を図るA、誠の仁者C、信長への忠誠C、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇C

 日野輝資(15)・・・日野家28代当主。藤原北家真夏流。初名、広橋兼保。足利義昭の昵近公家として朝廷より派遣される。系譜に日野富子が居る。足利義輝が当主に添えた。

 能力値、若輩の輝資A、応仁の乱の原因の日野★、足利義輝への恩義S、戦国時代に終焉をA、総ては御上の為A、朝廷での待遇B

 森可成(48)・・・織田家の第四家老。金山城主。宇佐山城の守将。織田二代に仕える。信長のお気に入り。織田軍先鋒。攻めの三左。政務能力皆無。

 能力値、攻めの三左S、豪傑が集うA、信長のお気に入りS、織田二代への忠誠S、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A

 鈴木孫一(36)・・・雑賀衆。雑賀党鈴木氏の棟梁。杉谷善住坊の名前を騙って六角氏の依頼を受ける。織田信長の狙撃の理由は仏敵、松永久秀と手を結んだから。

 能力値、鉄砲名人の孫一☆、傭兵集団の雑賀衆A、鉄砲の製造技術ありS、杉谷善住坊の名を騙って命拾い☆☆、松永久秀嫌い★、逃げ脚早しS
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