池田恒興

竹井ゴールド

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1570年1月〜4月、金ヶ崎の戦い

若狭征伐

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 【織田信長、今度は堺の豪商達から名物を召し上げた説、採用】

 【池田恒興、甲斐武田からの書状に反対した説、採用】

 【池田恒興、徳川家康と対面して別人だと知る説、採用】

 【池田恒興、曾我助乗から三淵藤英が暗躍してる事を教えられる説、採用】

 【若狭討伐軍は2万7000人に膨れ上がった説、採用】

 【若狭成敗など余裕説、採用】

 【武藤友益、1529年生まれ説、採用】

 【飛鳥井雅敦、1540年生まれ説、採用】

 【朝倉景恒、1538年生まれ説、採用】

 【浅井長政、織田軍が越前攻めをすると聞いて驚く説、採用】

 【浅井久政、表向きは隠居してるが実際には隠居してない説、採用】

 【浅井久政、偽書の追討令を本物だと思い込んでる説、採用】

 【その追討令の偽書、織田が作成した偽書の偽書説、採用】





 よっぽど暇だったのか。

 また信長が名物の召し上げをやった。

 正確には「買い付け」なのだが。

 京ではなく堺の会合衆からの。

 それも信長に味方する堺の会合衆や松永久秀から計四点だけ購入した。

 それでも、また「召し上げ」と京で悪評が付いたのだった。





 まあ、本当は信長は暇ではないのだが。

 信長が出した「触状」の上洛要請により、三月十三日以降は、多数の大名が京にのぼってきており「二条御所もうで」が行われたのだが、「芥川山城詣で」の時と同様に、信長もその義昭の会見に同席して笑顔で大名達と談笑していたのだから。

 信長の本音は、

(ああ、面倒臭い)

 だったのだが、義昭の方は嫌がりながらも有頂天で、

「おお、但馬の山名氏の使いとしてきたのか。遠いところからよくぞ参った。大変であったであろう」

 使者達をねぎらい、談笑したのだった。





 これこそが義昭が目指した理想とする幕府体制だったので、本当に義昭は有頂天であった。





 そして恒興はといえば、芥川山城の時と同様に、休憩室に屯させてまた問題を起こされたら敵わないので、その間、ずっと普請奉行補佐として内裏(帝御所)の塀の修築の現場監督をやらされていたのだった。





 恒興から言わせれば閑職の限りである。





 だが、二条晴安と名乗る誠仁親王と毎日のように、

「二条御所に各地から大名がやってきて貢物を献じてると聞いたが何故だ?」

「信長様が正月に『触状』を出して、それに従ったからかと」

「待て、池田。それだけの理由でやってきたのか?」

「まさか。まあ、武家ならば足利家の征夷大将軍に一生に一度くらい挨拶してもバチは当たらないとは思ってるとは思いますが、真の目的は京の情勢の確認でしょう」

「というと?」

「信長様が本当に公方様を奉じて幕府の為に働くのか。その織田の実力は。京での評判は。生き残る為には自分達はどう身を振ればいいのか。等々の」

「なるほどな。それで挨拶がてら」

 と会話しており、内裏の一部では織田家の池田恒興の名前が売れる破目になったのだった。





 ◇





 四月十日の事である。

 その日も内裏普請の職務があり、その空き時間に二条御所の足利義昭の許に通ったのだが、この日は幕府の外交に巻き込まれた。

 義昭の御前には一色藤長が居て、

「池田殿、良いところに」

「恒興、信長と甲斐武田の関係はどうなっておるのだ? これ、受けても良いのか?」

 と問われて、義昭、藤長経由で書状を渡された。

 読めば、武田信玄からの書状で、嫡子、武田勝頼への官途といみな拝領の願い、であった。

 恒興はさらっと、

「武田勝頼は兄の義信を殺して後継者の地位をかすめ取った極悪人ですぞ。そのような者に公方様のいみなを与えるなど言語道断です」

「おお、中務と同じ考えか、恒興も」

 恒興の返事に義昭がそう納得した。

「えっ? 『与える』との考えもあるのですか?」

「ああ、大和守がな」

「馬鹿な。大和守殿ほどの切れ者が知らぬ訳が・・・もしや甲州金を賄賂として貰っている?」

 根拠もないのに素でそう疑えるのが恒興の怖いところだ。

 それにより義昭が、

「ほう、賄賂か。清廉なふりをして大和守もなかなかやるではないか」

 賄賂を貰ってると決め付けた。

 そして、そこでは終わらず、

(・・・もしや、あの縁組。大和守め、我が妹を金でにっくき三好に売ろうとしたのか?)

 義昭はそう疑ったのだった。

「どうすれば?」

 藤長の問いに、

「与えぬでよろしいかと。兄を殺して家督を掠め取る男が幕府に服従する訳もなく、もし服従してもそれは表向きで隙あらば公方様の命を狙うという事なのですから」

 さらっと独断で恒興は拒否したのだった。

「だが、甲斐武田は織田殿の婚姻同盟の相手では?」

 藤長の質問に、

「正確には父親の信玄殿との同盟です。それにいくら同盟相手とはいえ、幕府に仇なす者を公方様に斡旋など出来ませぬので。今回の上洛命令も『遠い』との理由で断っていますでしょう、甲斐武田は? そういう事ですよ。それなのに官位といみなだけは貰おうなど恥知らず過ぎます。ってか、官位と諱の順番が逆でしょうに、普通は。官位が先って。完全に公方様の事を舐めてますよ」

「うむ。恒興、良くぞ申した。式部、『兄殺しにやる官位はない』と断りの書状を送ってやれ」

 義昭が決定して、

「ははっ」

 藤長も服従したのだった。





 ◇





 四月十四日は義昭の御座所である二条御所が完成した一周年だ。

 それを記念して義昭が盛大に会を催した。

 京での会と言えばのう観覧である。

 そして信長の副状付きの召喚命令によって各国から大名がやってきたので、

 飛騨国の姉小路頼綱。

 伊勢国の北畠具教。

 三河国の徳川家康。

 河内国の畠山秋高。

 丹後国の一色義道。

 河内国の三好義継。

 大和国の松永久秀。

 これらに京の公家達が加わり、能の観賞会が行われた。

 当然、信長も参加だ。

 能が始まる前には義昭は北畠具教から改めて、

「昨年は和議の使者、本当にありがとうございました。救われたこの命、公方様の為にお使いしますね」

 手厚く礼を言われる始末だった。

「いやいや、あれは・・・」

 さすがに本人を前に「あれはこちらの失策でな」とは言えず、

「北畠は名門ゆえ滅ぼすには忍びなくてな」

 適当な事をいう始末だった。

 そして能の鑑賞会が始まった訳だが、義昭が信長に、

「幕府の地位に就かせる事は諦めたが、もう少し高い官位を望んではどうだ、信長? 今回の会の席次を決める時に気付いたのだが、そなたが飛騨の姉小路や伊勢の北畠に官位で負けておるのは少し問題であろう?」

 そう囁いたが、

「弾正忠が気に入っておりますれば」

 信長はそう断ったのだった。





 今回の能の会は長々と続いた。





 恒興は義昭に気に入られていたので、義昭は恒興の席も用意しようとしたが、能なんて全く分からないので、

「いえいえ、公方様をお守りする為の警備をしてますので」

 そう断っていたのだった。





 二条御所内で催された能の鑑賞会だ。

 無論、何事も起こる訳もなく、





 と思ったのだが、恒興は騒動を引き寄せる引力でもあるのか、





 この日、能の観賞会が終わった後の二条御所の玄関へと続く廊下にて、遂には徳川家家康とばったりと対面してしまったのだった。

 (徳川家康の出席を純粋に忘れていて)思慮外の遭遇だったので、恒興は狼狽しながら、

「こ、これは徳川様に置かれましては・・・」

 声を裏返して口を開いていた。

 恒興が心臓バクバクなのは言うまでもない。

 動揺の理由はズバリ、子供の頃に信長の命令で火縄銃で家康の足の甲を撃ち抜いているからだが。

 そんな昔の事を蒸し返されて三河との同盟が破棄されて織田の敵に回ったら(まあ、今の織田なら余裕で倒せるが)それでも堪ったものではない。

 後々まで織田家中で恒興が色々と言われてしまう。

 なので、どう言い訳をしようかと考えていたが、家康の方は恒興を見ても、

「織田家中の方ですか。御苦労様です」

 と普通に挨拶してきた。

 背後に控える酒井忠次が、

「殿、織田殿の乳兄弟の池田殿です」

「おお、噂はかねがね聞き及んでおりますぞ。お初にお目に掛かる。徳川家康と申す。以後、お引き立てのほどを」

「は、はい。それはもちろん」

 恒興も挨拶をして、三河一行は二条屋敷から京の宿舎へと帰っていった。

 恒興は続いて廊下からやってきた信長の許に慌てて出向き、

「(信長様、徳川家康が影武者です)」

 耳元で囁いた。

(ようやく知ったか)

 真剣な顔をしてたので何事か、と聞き耳を立ててた信長が苦笑しながら小声で、

「(いや、勝。あれは別人なのさ)」

「(はい?)」

「(どうも別人臭くてな。あの狂犬が今や礼儀正しい常識人あれだぞ。笑えるだろ?)」

「(別人なのに、よろしいので)」

「(狂犬よりは使えるのでな。それに今や徳川は臣従同盟国だ。これ以上騒ぐでないぞ、勝)」

「(畏まりました)」

 恒興は初めて知った新事実に驚きながらもそう返事して帰路の警備に戻ったのだった。





 これだけではなく、実はもう一つ、特筆すべき出来事があった。





 実は能の鑑賞会の中盤で、警備をしてた恒興に密告してきた者がいたのだ。

 幕臣の曾我助乗だった。

 それもすれ違う際に囁くように、

「春の若狭討伐、気を付けられよ。大和守殿が織田殿を害そうと画策されておりますぞ」

 と恒興に教えてきた。

「忠言ありがたく」

「幕府軍の敗北などあってはなりませんからな」

 そう囁き、何事もなく助乗は歩いていき、

(若狭、越前討伐に負ける要素なんて一つもないんだがな。どうやって負かせる気なんだ?)

 恒興は頭をひねったのだった。





 ◇





 四月二十日。

 この日は義昭の命令による若狭攻めの出陣日だ

「行って参ります、公方様」

「うむ、任せたぞ、信長」

 義昭に出陣の挨拶をした後、信長は若狭の武藤友益の討伐の為に軍を発したのだった。

 その軍勢は織田軍2万人と、同盟国の徳川軍3000人を予定していたが、

「公方様の甥御様の為ならば」

 摂津国三守護の一人、池田勝正がそう申し出て3000人の兵と共に参加し、

「では、ワシも」

 伊勢侵攻の賭けで織田家の配下になった大和国の松永久秀の1000人までが加わる事となり、





 何故か、公家の日野輝資と飛鳥井雅敦までが従軍していた。





 兵は合計2万7000人となり、若狭でも帰順した国衆達が加わり、誰が数えたのか、討伐軍は3万人と称されたのだった。





 ◇





 細々と詳細が書かれた信長公記はともかくとして。





 京より発した若狭討伐軍は琵琶湖の北側沿いの街道を北東に進んだ。

 琵琶湖の北岸の西側は六角氏の領地だったので、今や信長の領地となっている。

 その織田の支配圏の坂本の地を進んだ時、最初に現れたのが宇佐山城であった。

「へぇ~、街道の傍に。結構な要衝ですね」

 初めてきたので本隊に居る恒興が通過する際にそう呟けば、

「ああ、良い立地だ。ここを封鎖すれば京には入れまい」

 信長がニヤリとした。

 恒興が耳聡く、

「誰が京に入るのですか?」

「な、何でもない」

 信長はそう誤魔化したのだった。





 続いて街道を進むと山側に現れたのが、日本最大の要塞寺、比叡山延暦寺だった。

 信長の隣に居る恒興は比叡山の歴史など知らずに、

「対岸から見た時も思いましたが、間近で見ても凄いですね、この山寺? 何万の軍勢が布陣出来るんだか」

「ああ、いざという時は接収するか」

 信長はそんな事を気軽に考えたのだった。





 続いては浅井家の領土に進軍なのだが、実はその前にやらねばならない事がある。

 それは近江の山を越えた北側の鯖街道の朽木城の説得工作である。

 何故ならば今回のいくさは撤退ありきなのだ。

 退却時には往路で使ってるこの琵琶湖の北沿いの街道は通れないので、若狭から京までは鯖街道を通らねばならない。

 「朽木越え」は必至なのだ。

 そこで重要となるのが松永久秀などではなく、従軍していた公家の飛鳥井雅敦だった。

 現朽木城主、朽木元綱の母親は公家の飛鳥井雅綱の娘で、雅敦の叔母。

 そう、系譜からも分かるように、飛鳥井雅敦と朽木元綱は従兄弟同士だったのだ。

 そして京の公家。

 懇意にしてるに決まっている。

 そもそも鯖街道の関所は金の成る木なのだ。

 京の公家達の金回りが良くなるのは信長が京を支配してからの事である。

 応仁の乱以降は公家は誰もがカラッケツ。

 つまりはその金目当てで公家の飛鳥井家は朽木家に娘を嫁がせており、当然、縁戚関係になってからは銭を無心しまくっていた。

「これ。麿は朽木城に居る従兄弟に挨拶に行ってくるのでな。誰か警護せよ」

「では、わたくしめが」

 と追従したのは織田家の家老の佐久間信盛だった。

 (信盛ほどの大物が付いていくのは通常ではありえないのだが)信盛の部隊の離脱は最初から予定されていた事なので、何ら問題はなかった。

 当然、そのまま朽木城に入城して鯖街道を制圧して逃亡路の安全を確保するのが目的である。





 こうして一部の兵が北へと向かった。





 その不自然な動きを察知した者は意外に多く、





 徳川軍の服部正蔵が徳川家康に、

「殿、織田が一部の兵を北に向けました。探りましょうか?」

「いらんよ」

 家康は興味無さそうに答え、





 松永軍の松永久秀は配下の竹内秀勝に、

「一部の兵が北に向かってるが、あの旗印は誰の物だ?」

「織田の三番家老の佐久間殿ですね」

「家老が別動隊として移動してる? ふ~ん」

 と久秀は思案を巡らせ、





 織田軍に従軍する明智光秀が、

「家老の佐久間殿が別行動をな。ふむ」

 と眼を光らせて呟いたのだった。





 因みに、本隊の信長の傍に居た恒興は佐久間信盛の兵が離脱した事に気付いてもいなかった。





 そして本隊から離脱して、近江を北上して谷に向かった佐久間隊2000人は朽木城に到着した。

 織田軍は足利義昭の幕府軍なので、朽木城主の朽木元綱も拒む事はせず、何より従兄弟の公家の飛鳥井雅敦の登場に、朽木元綱は笑顔で城門を開き、

「これは雅敦殿、正月の時以来ですね」

「うむ。いつも贈り物、悪いな。近くを通ったので寄ったぞ。それに・・・実は折り入っての重要な話もあってな。少し良いかな?」

「? 何でしょう?」

 こうして織田兵2000人も朽木城に入ったのだった。





 ◇





 続いて浅井家の領土を進軍して若狭に向かった。

 別に浅井からの苦情はない。

 若狭攻めは通達済みなので。

「そう言えば、信長様。浅井殿って今回、上洛していましたっけ?」

「ああ、来てたぞ。滞在一日ですぐに帰ったがな」

「えっ? どうしてです?」

「市が二人目を孕んでるそうだ」

「仲が良いのは結構な事ですね」

 などと答えて、恒興は気にも留めなかった。





 四月二十三日。

 若狭国に到着した討伐軍は若狭国で抵抗する国衆と小競り合いのいくさをする事となった。

 だが若狭一国は8万石だ。

 8万石の軍勢などたかが知れており(1万石で250人動員の計算なら、8万石なら2000人なので)、

 例え、小浜湊を所有し、大金を稼ごうとも、

 その金で武装して籠城しようとも、

 (全員が京からの討伐軍に反抗する訳でもなく、帰順した国衆も居た訳で)若狭で抵抗した国衆の城はあっという間に2万7000人の若狭討伐軍に蹴散らされる事となった。





 というか、若狭国で唯一抵抗したのが名指しされていた武藤友益だったが、勝てる訳もなく、軽く戦った後、降伏の使者の往来の後、

「降伏致しまする」

 兜を脱いで信長の前で平伏したのだった。

 馬廻り衆はこの時が一番緊張しており、妙な動きを見せた瞬間には信長を守り、敵に斬りかからなければならない訳だが、友益は妙な真似をする事もなく服従したのだった。





 そして、その翌日(京で四月二十三日の出来事だったが伝達の誤差で)。

 訳が分からない事が起こった。





 京奉行の村井貞勝からの早馬が京よりやってきて、

「公方様が年号を元亀に変えました」

 と報告してきたのだ。

「聞いていたか、勝?」

「いいえ。大方幕臣の入れ知恵でしょう。幕府での公方様の存在感を高める為の」

 信長に問われた恒興は正直に答えたのだった。





 ◇





 「金ヶ崎の戦い」の本番は若狭を平定したここからである。

 このいくさは元々、若狭討伐ではなく越前討伐なのだから。

 この事実を知ってる者は意外に多い。





 何せ、足利義昭が、

「越前領は信長が治めるように」

 と明言しているのだから。





 そして信長のこれ以上の躍進を快く思っていない京の幕臣の三淵藤英によって越前の朝倉側にもその通達はされていた。

 それゆえ越前の一乗谷朝倉館に、

「織田が国境を越えて越前に侵入しました」

 との報告がもたらされると、すぐに当主の義景は、

「よし、すぐに援軍を派遣しろ」

 決定を下し、

「はっ、直ちに」

 景鏡はそう命令を受けたのだが、





 その景鏡はあろう事か一乗谷から金ヶ崎城まで半日の距離を三日の日数を掛けて進んだのだった。





 何故、このような事が起こったのかと言えば(この時はまだ織田の調略の手は景鏡には伸びておらず)純粋な朝倉家中の内輪揉めだった。

 ぶっちゃければ、朝倉一門衆の席次争いである。

 援軍の総大将の朝倉景鏡は一門衆の二番手。

 金ヶ崎城主で敦賀湊を治める朝倉景恒は一門衆の首席。

 その上、景鏡は景恒の兄を切腹に追い込んでいる。

 兄を殺された景恒は景鏡を亡き者にしようと画策しており、その事を周囲に隠していない。

 そんな人間関係の中で、援軍を率いる総大将の朝倉景鏡が何をするかなど考えれば分かりそうなものだが、朝倉義景は世間知らずのお殿様なので下々の事など分からず、

「どうして、まだ景鏡はあのような場所に居るのだっ! さっさと進軍させろっ!」

 一乗谷の朝倉館でそう激を飛ばすが、自らが出陣するという考えには至らなかった。





 朝倉はそのような事になっていたのだが、織田は朝倉なんぞ目じゃない。

 織田信長の今回の第一目標は、市姫が嫁いだ義弟、浅井長政を反逆させる事なのだから。

 浅井の反逆によって、今回の討伐軍は越前を平定する事なく京へと帰還するのだ。

 そこまで織り込み済みの征伐軍だった。

 反逆した浅井は幕府に逆らった事で賊軍となる。

 既に(義昭の甥が統べる若狭に手を出し)賊軍認定の朝倉共々、態勢を立て直した織田軍が単独で、北近江、越前を平らげ、織田家は更なる躍進を遂げるのだ。





 それが信長を始めとした北近江攻めを目論む謀議に参加した少数の将達の考えだったが、





 恒興以下殆どの将が知らされておらず、越前攻めに突入した。





 問題は(三淵藤英の事前通達があったのにも関わらず、朝倉一門衆内の序列争いが起きて援軍が到着せず)越前朝倉の前線が弱過ぎた事だ。





 四月二十五日に、天筒山城が落城。

 城主の寺田采女正は戦死。

 攻め手では森可成の嫡男、森可隆が戦死。

 四月二十六日には、金ヶ崎城が落城。

 城主の朝倉景恒は腰抜け中の腰抜けで、兵力差もあったが幕府軍に帰順するならともかく、

「い、命ばかりはお助けを・・・城を明け渡しますので」

 命惜しさにあっさりと降伏して城を明け渡していた。





 何も知らない恒興などは、

「越前なんて楽勝ですね」

 そう笑うが、信長の方は、

(拙い。このまま越前深くまで攻めてから浅井が寝返っては退却出来なくなるぞ。だが、進軍せぬと味方はもちろん浅井にも怪しまれる)

 そう誤算に悩む事となった。





 ◇





 そしてその頃になってようやく北近江の小谷城には「織田軍が越前に侵攻した」という知らせが届いていた。

 評定の席で当主の浅井長政が驚きながら、

「なっ、話が違うではないか。若狭征伐のだけのはずであろうがっ!」

「これが織田の本心か」

 そう呟いたのは長政の横に座る隠居した父親の浅井久政である。

「これは我々も覚悟を決めねばならぬな」

 更にそう続けた。

 不穏な空気を感じ取ったのは次男の浅井政元で、

「お待ちを、父上。織田は幕府の命で動いているのですよ」

「安心せよ。この通り、ワシの許にも公方様より『織田を討て』との追討令が来ておる」

 そう言って誇らしげに見せた書状は、例の、





『余の命令と偽り、若狭、越前を討とうとする、幕府を専横する信長はもう見過ごせぬ。幕府に忠節を誓う心ある者達よ、織田信長を討て。足利義昭』





 という偽書だった。

「それ、偽物ですよ、父上?」

「そんな訳がなかろう」

「では京に確認して下さい」

「そんな時間などある訳がなかろうが」

 と京への確認を拒否し、更には、

「三将に問う。浅井はどうすれば良いと思う?」

 久政が下座に問うた。

 浅井家で三将と言えば、

 海北綱親。

 赤尾清綱。

 雨森清貞。

 この三人の事である。

「公方様からの追討令があるならば決まっているかと」

「婚儀の席で『朝倉に手を出さぬ』との約束を破ったのは織田ですので」

「織田を滅ぼすべし」

 綱親、清綱、清貞が答えた。

「待った。そんな事をすれば浅井はあっという間にーー」

 政元が反論するが、

「総ては公方様の為だ。織田を討つぞ」

 久政までがいくさを支持し、

「兄上は公方様や朝倉なんかの為に戦いませんよね?」

 政元が慌てて問う中、上座に座る当主の長政までが、

「あのにっくき織田を討てるのならば兵を挙げるのは厭わず」

(・・・暗愚極まりだ。それにこの老害共っ! こんな一方的な・・・ん? 少し一方的過ぎないか? 何かが変だ。誰かに何かを吹き込まれてる? 織田を嫌ってる幕臣か、もしや?)

 政元が背景を探る中、

「出陣だっ!」

 こうして浅井長政は織田信長に対して反旗を翻したのであった。





 登場人物、1570年度

 北畠具教(42)・・・伊勢国司北畠家の第8代当主。村上源氏。母は細川高国の娘。官位、権中納言。嫡子が信長の次男、茶筅を養子にする。

 能力値、剣豪の具教A、風流人の北畠C、伊勢湾は銭を生むS、伊勢は戦国時代にそぐわずB、肥満の息子に不満A、後の祭り★

 徳川家康(27)・・・三河徳川家の当主。未来の天下人。元の名は水野信政。正体を知る三河石川氏の抹殺の機会を窺う。正室、瀬名を遠ざける。

 能力値、秘密あり☆、徳川家康の傷痕を再現A、天下人の才気C、尾張水野贔屓SS、楽は自前でS、息子は狂犬A

 酒井忠次(43)・・・徳川家の重臣。徳川四天王の筆頭。正室は徳川家康の叔母、碓井姫。家康の片腕。海老すくい踊りが得意。薄々家康が別人だと気付いてるが黙認してる。

 能力値、海老すくい踊りの忠次S、家康の片腕B、軍略の酒井C、家康への忠誠A、家康からの信頼B、徳川家臣団での待遇A

 曾我助乗(39)・・・室町幕府の奉公衆。別名、又次郎。足利義晴、義輝、義昭に仕える。蘇我氏ではないがその姓の響きから高貴な出だと良く勘違いされる。織田贔屓。

 能力値、何故か好かれる助乗B、蘇我氏じゃない曾我氏S、隠れ恒興派A、幕府への忠誠A、義昭からの信頼S、幕府での待遇S

 池田勝正(31)・・・摂津三守護の一人。摂津池田氏当主。摂津源氏。池田城主。通称、八郎三郎。足利義昭に服従する。播磨に続き、若狭にも遠征。配下の不満が溜まってる。

 能力値、玉砕の勝正A、摂津の顔役B、源氏は武家のほまれA、馬よりも鉄砲B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠E

 松永久秀(62)・・・大和国守護。別名、弾正。城郭建築の第一人者。大欲深し。喰わせ者。永禄の変の黒幕。足利義昭に許される。名器「九十九髪」を信長に進呈する。

 能力値、大欲探しの久秀☆、悪の華☆、信長に九十九髪を進呈S、賭けで配下にA、どうも怪しい★、義昭からの信頼★

 服部正成(28)・・・三河家の家臣。別名、服部半蔵。桶狭間で松平元康本人を殺害。鬼の半蔵。石川数正とグル。

 能力値、鬼の半蔵B、伊賀への影響力E、冷酷な計算A、家康への忠誠E、家康からの信頼D、徳川家臣団での待遇C

 竹内秀勝(40)・・・松永久秀の腹心。買収が得意。各国の事情涌。そろそろ主に久秀に似てきた。織田家臣団に食い込み始める。

 能力値、松永久秀の使いの秀勝A、主に似てきたC、どこにでも出没A、各国の事情通C、松永家臣団での待遇SS、三好宗家家臣団での待遇S

 明智光秀(38)・・・足利義昭の幕臣。信長の家臣。京奉行の一人。別名、進士藤延。濃姫とは系譜は繋がっていない。

 能力値、頭の傷が疼く☆、落ちた麒麟A、三好憎しSS、信長への忠誠C、信長からの信頼B、幕府での待遇D

 武藤友益(41)・・・若狭武田家の家臣。石山城主。武田四老の一人。官位、上野介。

 能力値、朝倉の家臣の友益A、幕府からの追討令★、降伏して命拾いA、義景への忠誠D、義景からの信頼B、朝倉家臣団での待遇B

 飛鳥井雅敦(30)・・・飛鳥井家の貴公子。飛鳥井家11代当主雅春の息子。母は一色義清の娘。従兄弟に朽木元綱。家職は蹴鞠、和歌。信長の命令で朽木城まで出向く。

 能力値、幕府の密使の雅敦A、蹴鞠の飛鳥井SS、鯖街道の利権で生き長らえるB、織田にも貸しを作るC、総ては御上の為B、朝廷での待遇B

 朽木元綱(21)・・・織田の家臣。近江朽木谷を代々支配する国衆。父は朽木晴綱。母は飛鳥井雅綱の娘。従兄弟に飛鳥井雅敦。説得されて織田に味方する。

 能力値、鯖街道の元綱S、飛鳥井との繋がりA、織田に味方するA、信長への忠誠D、信長からの信頼E、織田家臣団での待遇E

 朝倉景鏡(41)・・・朝倉一門衆次席。通称、孫八郎。官位、式部大輔。父は朝倉景高。母は烏丸冬光の娘。朝倉義景の従兄。当主名代。朝倉軍の総大将。聡明で現実的。

 能力値、朝倉の陰の当主の景鏡A、京被れの朝倉B、否定的な流言多しC、義景への忠誠E、義景からの信頼E、朝倉家臣団での待遇☆

 朝倉景恒(32)・・・朝倉一門衆(まさかの)筆頭。金ヶ崎城主。敦賀郡司。父、朝倉景紀。朝倉景鏡に恨みあり。金ヶ崎の戦いで降伏するも後に「不甲斐無し」と言われ。

 能力値、問題児の景恒A、景鏡に恨みありS、幕府に恭順が裏目に★★★、朝倉一門衆S、義景からの信頼C、朝倉家臣団での待遇S

 浅井長政(25)・・・北近江の大名。通称、新九郎。流鏑馬の長政。火縄銃に詳しい。外交上手。朝倉嫌い。織田市と祝言を上げて織田一門衆に。織田にも怨みが。

 能力値、流鏑馬の長政A、国友村持ちの浅井A、国友で火縄銃を学ぶA、豊かな北近江B、足引っ張りの父S、信長憎しA

 浅井久政(44)・・・浅井家の先代当主。官位、左衛門尉。父は浅井亮政。母は尼子氏の娘。表向き隠居してるが浅井家の実権あり。

 能力値、小谷城の狸の久政A、表向き隠居S、火縄銃の重要性が今一S、父と子たちは優秀S、信長追討令(偽書)S、足引っ張りどころか地獄へ道ずれC

 浅井政元(21)・・・浅井一門衆。兄は浅井長政。浅井家の金庫番。北近江の舟奉行。銭産みの政元。10歳から浅井家の財務に関わる麒麟児。知る人ぞ知る浅井の陰星。

 能力値、銭産みの政元☆、浅井家の陰星S、麒麟の如くA、兄への忠誠SS、兄からの信頼B、浅井家臣団での待遇☆☆☆

 海北綱親(60)・・・浅井家の家宰。別名、善右衛門。浅井三将の一人。軍奉行。手柄飢えの綱親。

 能力値、手柄飢えの綱親S、弱肉強食は戦国の世A、主君の言う事を聞かずA、浅井三代への忠誠B、浅井家からの信頼A、浅井家臣団での待遇SS

 赤尾清綱(56)・・・浅井家の家臣。通称、孫三郎。受領名、美作守。小谷城の赤尾曲輪の番。軍目付。

 能力値、鬼の清綱S、浅井家の家宰B、朝倉との外交役A、浅井三代への忠誠A、浅井家からの信頼A、浅井家臣団での待遇SS

 雨森清貞(46)・・・浅井家の家臣。雨森城主。海赤雨の三将の一人。通称、弥兵衛尉。浅井の比叡山の交渉役。

 能力値、晴れ男の清貞B、槍の雨森S、比叡山と昵懇C、長政への忠誠S、長政からの信頼A、浅井家臣団での待遇S
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