池田恒興

竹井ゴールド

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1570年1月〜4月、金ヶ崎の戦い

内裏修築の普請奉行の補佐

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 【織田信長、この年は一月の段階で入洛説、採用】

 【池田恒興、追加された五力条の殿中御掟も説明出来た説、採用】

 【三淵藤英、偽書等々で織田潰しを裏で画策し始めてた説、採用】

 【織田信長、この年から織田一族に津田姓を名乗らせた説、採用】

 【後にこれが羽柴秀吉の織田家乗っ取りの原因となった説、採用】

 【森えい、孕んだ説、採用】

 【池田恒興、内裏(帝御所)普請奉行の補佐の役職が追加された説、採用】

 【池田恒興、普請見回り中に内裏からやってきた貴人の若者に出会う説、採用】

 【朝山日乗、1492年生まれ説、採用】





 激動の1570年が始まった。





 この年は本当に織田家にとっては最悪の年の一つである。

 誰もそんな事になろうとは知る由もないが。





 さて、信長公記には「この年の信長は二月二十五日に美濃を出発」とあるが、信長公記を記した作者の勘違いという事にして。





 まずは一月二十三日。

 入洛した信長は、昨年、義昭がヤラカシした伊勢の和議の落とし前を求めた。

 つまりは、





 一つ、諸国の大名に御内書を出す必要がある時は、必ず信長に報告して、信長の書状(副状)も添えて出す事。

 一つ、これまでに義昭が諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定める事。

 一つ、将軍家へ対して忠節を尽くした者には恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合を付けるようにする事。

 一つ、天下の政治は何事に付けてもこの信長に任せられたのだから(天下静謐の為の軍事的行動について信長は)誰に従う事なく、将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えるべきである。

 一つ、天下が泰平になったからには宮中に関わる儀式などを将軍が行って欲しい事。





 殿中御掟の五力条追加だ。





 京の二条御所にやってきた恒興に、義昭が情けない顔で、

「恒興、これはちときつくないか?」

「北畠の陥落直前に和議の使者を送られたのは公方様ですよ~?」

「それは確かにそうだが」

 との義昭の言葉を遮って、

「これは酷過ぎるであろうがっ!」

「やり過ぎだっ!」

 摂津晴門と上野秀政が噛み付いたが、

「いやいや、せっかく一ヶ月以上城を包囲して北畠家が頭を下げる寸前のところだったのに、使者として式部殿がやってきた所為で、北畠の先代当主がニヤニヤ顔で『では失礼』ですから。なのに『怒るな』ってのは幕府側の傲慢です。あん時の北畠の先代当主の勝ち誇った顔といったら。式部殿も見てましたよね?」

「まあ、少しニヤ付いていたかの~。ゲッソリ痩せてた割に」

 一色藤長も認め、

「ほらほら、四つ目の条項さえあったら公方様の和議を無視して北畠を滅ぼせたんですから~。皆さんもこれくらいは飲んで貰わないと困りますって」

 恒興はヤラカシした事、数知れず。

 その度に言い訳でけむに巻いてきた恒興の弁舌に勝てる幕臣は居らず、義昭が、

「わかった。そちらはもうよい。信長は春の若狭奪還をやってくれるのであろうのう?」

「それですが・・・実は困った事になってます」

 恒興がようやく本題に入れたと背筋を正した。

「何だ? また米集めに失敗したのか?」

「もっと酷い事になっております。偽書のバラマキです。それも公方様の花押を真似た」

 恒興のその言葉を聞いて、三淵藤英が片眉をピクリと動かした事に気付いた者は誰も居なかった。

 義昭がきょとんとして、

「はあ? 何だ、それは」

「これです」

 恒興が懐から三通の偽書を摂津晴門経由で義昭に献じた。

「なになに・・・」





『余の命令と偽り、若狭、越前を討とうとする、幕府を専横する信長はもう見過ごせぬ。幕府に忠節を誓う心ある者達よ、織田信長を討て。足利義昭』





「な、なんだ、これは? 確かに余の花押に似てなくもないが、全然違うぞ」

「はい、分かっております。ですが、これが今、あちこちに出回っており、公方様からの書状を受け取った事のない者達からしたら『それが本物だ』という事になっており、大変な事になっております」

「なっ」

 それにはさすがの義昭も驚き、そして怒るように、

「余の名を騙る不届き者はどこのどいつだっ!」

「それが・・・どうも、京の人間のようです」

 恒興の言葉に三淵藤英がドキリとする中、義昭が、

「どうして分かるのだ?」

「偽書に使われた紙と墨が高価過ぎます。まあ、公方様の密書に真似て作ってるので仕方がない事なのですが」

(いやいや、こちらが失念していただけだがな)

 藤英は素直に失策を認めた。

「誰がこんな事を?」

「そう言えば、公方様の妹を三好なんぞに嫁がせようと言い出したは大和守でしたっけ? 南伊勢で織田が苦戦と公方様に告げたのも?」

(なかなか鋭いではないか)

「それが?」

 涼やかな顔で藤英が問うと、

「ほどほどになさりませよ。公方様と信長様の仲を裂こうとする奴はこの恒興が成敗しますので。二条御所内、それも公方様の御前にて」

「これ、恒興。大和守がそのような事をする訳がなかろうが」

(してますよ、もう)

 と内心で藤英は答えながらも、涼やかに、

「無論です」

「そんな訳で殿中御掟に追加した一つ目と二つ目は早急に実施しないと拙い事になりまして」

「なるほどのう。追加のにも意味があったのか」

 義昭が納得するが、

「ならば三つ目のは?」

「昨年の十月に摂津三守護に播磨攻めを命令された、と聞きましたが?」

「うむ。三人とも良く働いてくれたぞ。それが?」

「その三守護に播磨の領地を与えたのではないですよね?」

「当然であろう。持ち主がおるのだから」

「つまりはただ働きという事です。公方様に忠誠を誓う三守護達はそれでも何ら問題はございませんが、配下のその日暮しの雑兵達には死活問題です。摂津で三好三人衆、おっと、一人欠けて二人衆になったんでしたっけ。それらが調略をするのは眼に見えておりますので褒美は必要かと」

「なるほどのう。その褒美を信長が出すと?」

「そうなります」

「ふむ。五つ目の宮中のは?」

「逃げた近衛という公家対策ですね。内裏にも眼を光らせてないと・・・『窮鼠猫を噛む』と言いますし。ですが、内裏なんてそう簡単に入れませんので。公方様自ら動いていただきたく。つまり、これだけが昨年の北畠の和議の責任という事になりますね」

「なるほどのう。そう考えれば今回の五力条もそれほど問題はないのう」

 義昭はそうひょうして、素直に受けたのだった。





 ◇





 同日。

 その新たな殿中御掟の五条の履行され、「触状」が各地に発せられる事となった。

 東は武田信玄、徳川家康。越中の神保氏。

 西は備前の浦上氏や出雲の尼子氏。

 それらに上洛を求めたのだった。

 この「触状」の肝は、信長の副状が付いている事だ。

 これより、信長の権威は更に高まったのだった。





 ◇





 そして、この年のこの月の京では。





 織田家で、とんでもない事が起こっていた。





 正確には、後に大問題となる事なのだが。





 というのも、信長は尾張に居た頃からずっと、とある不満を抱えていた。

 それは尾張に織田姓が多過ぎる事だ。

 信長の出身の三奉行の一つの織田弾正忠家は父、信秀が子供を産ませまくった所為で兄弟が馬鹿みたいに居る。





 他にも、尾張守護代の、

 清洲織田氏(大和守家)。

 岩倉織田氏(伊勢守家)。

 この二家があり、





 弾正忠家と同格の三奉行の、

 織田因幡守家。

 織田藤左衛門家。

 の二家が存在した。





 他にも血の繋がりのない家来に褒美として織田氏の姓を与えるというのまであった。





 有象無象が自身と同じ織田姓なのにうんざりしてた信長が京に入って、ある事実を知る。

 京の公家達が本家と分家で別の姓を使っていた事実だ。

 信長もそれに飛び付き、織田一門衆に、





「これからは津田姓を名乗るように」





 と言い出したのだ。





 その決定に衝撃を受けたのが、父親が手柄で織田姓を貰っており、自分も貰う気満々だった菅屋長頼と、尾張での領地が隣で実は内心で織田姓を貰おうと図々しい事を考えていた池田恒興で、





 二人して京の本能寺に居た信長に、

「ええっと、信長様。一門衆に津田姓を名乗らせるのはともかくとして、大きな手柄を立てたら織田姓が貰えるのですよね?」

 探り探り菅屋長頼が問うと、

「いいや、旗までだな。姓をやる気はないぞ」

「そんな~。密かに狙ってたのに。織田姓を貰うの」

 恒興も抗議を上げるが、

「諦めろ、九右衛門、勝。兄や弟達にも津田姓を名乗るのだからな」

「尾張の旧守護代や旧三奉行家もですか? それとも、そっちから織田姓を貰うのは・・・」

 恒興が別の方法を模索したが、

「駄目に決まってるであろうが。津田かは知らんが姓を織田から変えるように命令を出したばかりなのに」

「えっ、でも、特例で・・・」

「そんなものはない。二人とも諦めろ」

 恒興と長頼は、その信長の決定で「織田姓を貰う」という野望が断たれたのだった。





 そして、この信長の決定により、信長の織田家では一門衆の権威ががれまくり、





 ◇





 12年後の1582年の「本能寺の変、山崎の戦い」後の清洲会議では、一門衆に発言権が一切無く、「宿老達が織田家の行く末を決める」という他の家ではあり得ない事態に陥るのだった。





 だが、この時のこの決定が織田家の凋落の原因になろうとは、信長自身でさえ思ってもいなかったのだった。





 ◇





 この年は正月から恒興は京で牛馬のように働かされていた。

 理由は無論、昨年の金山城の一件だ。

 間の悪い事に森可成の正室えいが孕んでおり、産み月次第では信長の怒りが更に落ちる事になるのだが。

 そんな訳で、恒興に追加された役職は(信長も恒興が普請が嫌いなのを知っている癖に)京の内裏修築の普請奉行である村井貞勝、朝山日乗の補佐だった。

「しっかり頼むぞ、勝三郎」

 普請現場の内裏の塀の傍で奉行の村井貞勝に言われる中、恒興が、

「は~い。で、もう一人の坊様のお爺ちゃんは?」

「朝廷対策をやってるので滅多に顔を出す事はあるまい」

「やれやれですね」

 そう恒興は苦笑したのだった。





 普請奉行の補佐とは何をやればいいのか。

 ずばり、見回って大工達が怠けていないかの確認である。

 馬鹿馬鹿しい限りではあるが、やらねばなるまい。

 信長が可成の正室のえいに手を出した事に、かなりお怒りなので。

 恒興の論理では「えい殿から誘ってきたんだからオレは悪くないのに~」なのだが。

 だが、露見したら絶対に大事おおごとになるのは必定な訳で。

 恒興は渋々と普請補佐という名のをやらされたのだった。

 何せ、村井貞勝も忙しいので現場に出てこないので。

 現場では恒興が責任者になっていたのだから。

 内裏(帝御所)の普請の妨害をする者は京にはまずいないが、警戒も必要だ。

 そんな事をしていると、信じられない事が起こった。

「そこの者」

 と声を掛けられて視線を向ければ公家の服装の20歳にも満たない若者が声を掛けてきた。

 護衛はなし。

 それが問題だ。

 内裏の塀の内側からやってきたのだから。

 服装だけでくらいが当てられる程、恒興は京に精通していない。

「何でしょうか?」

 一応、敬語で応対した。

「いつぐらいに修築は終わるのだ?」

「悪いところは全部建て直すと聞いておりますので来年か再来年かと」

「織田が足利を越えて天下人になると思っていいのか?」

 物騒な事を公家が尋ねてきたので、恒興が、

「いえいえ、足利あっての織田ですので」

「足利など、もう物の役にも立つまい?」

「それでも主家は主家ですので。それが武士というものですから」

「ふむ、役立たずの足利を織田は立てるつもりか。良い事を聞いた。またな」

「はっ」

 恒興が返事をする中、その若い公家は内側に帰っていった。





 その後も信じられない事に毎日決まった時間にその若者は現れては、

「織田が上洛出来た原因は何だ?」

「南近江の六角氏が弱過ぎたからですかね。重臣を斬った事で南近江の国衆がそっぽを向き、更には織田家は京で殺された公方様の弟様を奉じてましたので。その国衆達が雪崩れを打って降伏してきましたから」

「そんな事くらいで?」

「この御時世、弱い大名は家臣に見放されるという事ですよ」

 とか、

「畿内を一続していた三好が想像以上に弱かったのは何故だ?」

「やはり三年前に当時の公方様を討った事が最大の原因でしょう。あれにより正義を失いましたから。お陰で奉じた14代の摂津の公方様も『偽公方』と言われて三好以外の大名は相手にしませんでしたし。織田が上洛して畿内を平定する為に兵を向けても、戦ったのは数回で他は戦わずして逃げましたから。まあ、その所為で昨年の正月には反撃されたのですが」

「三好は最初から戦わずに京を明け渡し、再上洛する戦略だった訳か?」

「まさか。京を失ったのは雑兵達の士気が低かったからでしょう。雑兵の士気が低くて再上洛も失敗してますし」

「ふむ」

 とか、

「足利義昭は二条御所で何をやっているのだ?」

「無論、二条御所で政務を・・・と言いたいところですが、公家や僧侶達が公方様に近付こうとの会見ばかりで酒宴をされておられますよ」

「酒宴? 将軍としての仕事は?」

「まあ、訴訟の裁許をしてるとは聞きませんね。信長様の方に訴訟が回ってきてるそうですから」

「それで良いのか?」

「これまで苦労されていたので今くらいは良いかと」

 などと質問されて、恒興も答えて懇意になっていき、





 そして、京での織田家登用組の朝山日乗とようやく恒興は会う事となった。

「おお、これは公方様の家臣になられた池田殿ですよね?」

「全然違いますが、周囲がそう思ってるのであれば、幸いです」

 ジロジロと恒興を値踏みしながら日乗が、

「ふむ。貴殿がのう」

「何か?」

「信長殿の側近だと聞いたのでな」

(信長殿ね~。自分はどれだけ偉いつもりなんだ、この爺さん? まあ、いいか。朝廷工作はまだ織田は不得手だ。信長様も当分はこいつにやらせる魂胆だろうから)

「いえいえ、側近などと。ただの馬廻り衆を率いてるだけですよ」

 と喋ってると、

「尾張武士」

 いつものように公家の若者がやってきた。

 何気なく視線を向けた日乗が、

「なっ」

 慌てて平伏する中、

「えっ、誰か知ってるの?」

「馬鹿者、知らぬのか。この御方はな・・・」

 日乗の言葉を遮るように公家の若者が、

「関白の息子、二条晴安だ。表を上げよ、朝山」

「・・・で、ですが」

「上げよと言ったぞ」

「はは~」

「へぇ~。偉いとは思ってましたが、今の関白の二条家の御曹司だったんですか?」

「まあな」

「なら、公方様に追放された公家の近衛を何とかしてくれません? 何か公方様と信長様を倒そうとしているらしいですから」

「ば、馬鹿者。口の利き方を・・・」

 日乗が恒興をたしなめようとするが、晴安が、

「よいよい」

「ですが」

「良いと言ったぞ」

「ははっ」

 などとのやり取りの後、恒興が、

「本日はどのような?」

「最近、『織田信長を討て』という書状を足利義昭が出しているそうだな?」

「ああ、それは偽書ですよ」

「そうなのか?」

「ええ、今は公方様の書状には総て信長様の副状が添えられる決まりですから」

「それでは幕府の監視ではないか? 足利義昭は良く許したな、それを」

「偽書対策ですからね。他にも昨年の北畠での失敗の罰もありますし」

「何だ、それは?」

「南伊勢の大河内城に追い詰めた北畠を兵糧攻めにして降伏する寸前まで追い詰めたのに、そこで和議の使者を京より送られまして。織田家は少々怒ってましてね」

「ん? 北畠に養子を出して北畠の名跡を織田が奪ったのではないのか?」

「北畠が名門だと知るのは京の人間だけで、尾張の出来星大名の織田では北畠ってのは、ただの弱い伊勢の大名ですよ」

「なるほど。では、またな」

 そう言って去ろうとする中、

「朝山、少し話がある。こちらへ」

「はっ」

 声を掛けられて日乗は一緒に奥へと入っていったのだった。





 そして、すぐに日乗は戻ってきたのだが、

「池田殿、では拙僧はこれで」

 無礼だった態度が正されており、礼儀正しい僧侶として去っていったのだった。

(何だ? まあ、いいか)

 恒興は気にしない事にしたのだが、





 当然、その日の内に朝山日乗は信長と面談した。

 日乗は朝廷担当なので、面談を申し込めば簡単に会えるのだ。

 それも人払いした状態で。

 日乗が老僧な事から危険もなく、信長の護衛もなしで。

「何だ? 朝廷で何かあったのか?」

「いえ。その、池田殿なのですが」

「何だ。また普請を怠けていたのか?」

 信長はそう決め付けたが、

「いえいえ、ちゃんと普請の現場におり、その、普請の現場で誠仁親王殿下と普通に話していました」

「誠仁親王? それは確か」

「帝の御世継様です」

 日乗の言葉に信長が眼を細めて、

(勝を使うのも考えものだのう。まさか、そんな大物を釣り上げるとは・・・)

「この事は他言無用だぞ」

「それは構いませんが、池田殿には伝えるべきでしょうか?」

「ん? 知らんのか、勝は?」

「はい、公家の二条家の御曹司だと思ってます」

「ではそう思わせておけ」

 そう信長は答えたのだった。





 登場人物、1570年度





 足利義昭(33)・・・室町幕府15代征夷大将軍。足利義輝の異母弟。母は近衛尚通の娘、慶寿院。将軍になって有頂天。義栄の関係者に嫌がらせ中。幕臣が好き勝手始めた。

 能力値、俗世知らずの義昭SS、征夷大将軍☆、迷惑な書状乱発A、忠誠を削る軽薄な声A、敵は許すまじSS、いくさが怖い★

 池田恒興(34)・・・主人公。織田家の重臣。信長の乳兄弟。義昭との連絡係。馬廻り(親衛隊)の隊長。兼山湊奉行。稲葉良通の目付。昨年の罰で内裏普請奉行の補佐も。

 能力値、信長と養徳院の教えS、大物に気に入られる何か☆、ヤラカシ伝説S、信長への絶対忠誠SS、信長からの信頼SS、織田家臣団での待遇S

 摂津晴門(61)・・・室町幕府の政所執事。官途奉行。官位、中務大輔。義輝、義昭の二代に渡って仕える。永禄の変を内裏に出向いて無傷で乗り切る。幕府で専横を始める。

 能力値、疑惑の晴門A、官途願いの摂津氏S、一に幕府、二に私腹B、幕府への忠誠A、義昭からの信頼B、幕府での待遇☆

 上野秀政(26)・・・室町幕府の奉公衆。別名、上野大和守。上野清信の養子。出自は真木島昭光の家臣。越前苦労組。義昭の寵臣となった恒興を敵視してる。

 能力値、虎の威を借りる秀政B、佞臣の如くS、反織田は恒興嫌いが原因A、幕府への忠誠A、義昭からの信頼B、幕府での待遇A

 一色藤長(49)・・・足利義秋の奉公衆。色部一色家出身。官位、式部少輔。一色の名跡を斎藤義龍に売る。いつの間にか無能に。北畠の和議の使者。

 能力値、足引っ張りの藤長A、信長の怒りを買うA、要領悪しC、義昭への忠誠C、義昭からの信頼C、幕府での待遇A

 三淵藤英(39)・・・足利義昭の幕臣。三淵晴員の子。異母弟に細川藤孝。官位、大和守は1568年に就任。涼やかな佇まい。義昭よりも幕府に忠義を尽くし始める。

 能力値、涼やかの藤英A、義昭よりも幕府に殉ずる☆、三好憎しS、義輝への義理S、義昭からの信頼D、幕府での待遇☆

 菅屋長頼(32)・・・織田家の家臣。通称、九右衛門。織田信房の次男。父親の織田姓は褒美。兄は小瀬清長。柴田天誅に署名。織田姓を賜る野心が潰える。頭角を現し始める。

 能力値、父親の七光りの長頼B、武芸は下手の横好きA、若き奉行S、信長への忠誠A、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇B

 織田信長(36)・・・将来の天下人。織田家当主。官位、弾正忠。天才肌。奇抜な事が好き。朝廷より古今無双の名将と称される。連枝衆に津田姓への変更を強要する。

 能力値、天下人の才気☆、古今無双の名将の信長S、幕府殿御父S、麒麟の如くS、奇抜な事好きS、新しい物好きSS

 村井貞勝(50)・・・織田家の重臣。京奉行の一人。京専任。御所普請奉行も兼務。村井閨閥あり。信長の信頼も厚い。朝廷工作にも関わる。

 能力値、織田家の京奉行の貞勝A、織田家で京で一番B、朝廷工作も担当B、織田二代への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A

 二条晴安(18)・・・本名、誠仁親王。皇族。父、正親町天皇。

 能力値、???

 朝山日乗(78)・・・織田家の家臣。日蓮宗の高僧。後奈良天皇から日乗上人の号を賜る。南蛮教は嫌い。人を上下で区別する俗物。怒りやすい。

 能力値、日蓮宗の日乗☆、太公望の如くD、南蛮教嫌いS、刀持ちの僧S、俗物の面ありC、織田家のお抱えSS
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