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1569年、伊勢、志摩、制圧
二条御所普請
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【織田信長、普請に託けて朝倉を呼び出そうとした説、採用】
【織田信長、二条屋敷の普請総奉行を自ら引き受けた説、採用】
【二条屋敷の堀普請は二月二日から説、採用】
【足利義昭、二条屋敷建築の悪名を被った説、採用】
【織田信長、朝廷からの副将軍就任要請を無言で躱した説、採用】
【池田恒興、当然、信長に怒られた説、採用】
【足利義昭、信長に朝倉攻めを打診した説、採用】
【織田信長、普請中なのに義昭と朝倉攻めの協議をした説、採用】
【石高の数字は柔軟に。変更あり説、採用】
【三淵藤英、三好義継を政略結婚で取り込もうとした説、採用】
【摂津晴門、古来の習いに従い、頓知を利かせた説、採用】
【三好義継、義昭の妹(血は繋がっていない)と祝言を上げた説、採用】
三好三人衆が正月に京に居る足利義昭を襲ったりするから、義昭の要請で信長は義昭の御座所を新しく建てる事となった。
派手好きな信長は一人では普請をせず、各国に号令を掛けた。
無論、足利義昭の名前でだ。
当然、狙いはある。
屋敷普請に託けて織田に臣従するかどうかを見極める為だ。
義昭の烏帽子親の越前朝倉も呼び付けていた。
来ないと分かっていて。
何せ、まだ二月だ。
北陸は雪が積もってて動けないのだから。
それでも呼び付ける信長の方も意地が悪いのだが。
その論理で、遠江の今川なんかも呼び付けていた。
昨年の十二月に武田が三国同盟を破棄して駿河に侵攻してて遠江に逃げて最後の抵抗を続けている最中に。
出向ける訳がないのが分かっていながら。
他にも阿波、讃岐の三好にも使者を送ってある。
来る訳もなかったが。
こうして京にやってきたのは、畿内(山城、大和、摂津、和泉、河内)、近江、美濃、尾張、伊勢、三河、丹波、丹後、若狭、播磨の十四カ国の大工や人夫となった。
お陰で大工やら人夫やらが集まって大普請となる予定だったが。
とはいえ、正月にいきなり「京に来い」と言っても来れるかどうか分からない。
国によっては京までの距離に差がある。
なので「二月下旬までに来い」と触れを出しており、その時期が工期の始まりと当初は予定していたが。
呼び出した後に二重の水濠を作る事を追加で計画した為に、
信長公記曰く、二月二十七日が着工日だが、僅か一月で二重の水堀までを完成出来る訳もなく、
よって二月二日には織田単独で堀を作り始め、各国から人夫が到着し次第、順次、堀作りに参加したのだった。
堀や石運びは力仕事なので人夫や雑兵がやったが、石積みからは専門職の大工達の指揮でやった。
時間があったので屋敷の設計はもう出来ている。
材料の木材や石やらも運び終えていた。
普請場所は義輝の二条御所があった場所だ。
つまりは元にあった屋敷を潰して建築していた。
二重の水濠を擁した二条屋敷は、もはや城だ。
そう呼ぶに相応しい立派で凄い屋敷が出来る予定だ。
建築速度重視の為、土枠の濠にしたかったが、さすがに公方様の御座所が土枠の濠では格好が付かない。
石枠の水濠となった。
それも二重の。
石材が足りなくて石仏を少し使ってるが、まあ、ご愛敬という奴だ。
二条御所に、義昭の今の御在所である本圀寺の建物を移築するのも。
細川京兆家の屋敷から立派な庭石も運ぶ予定だ。
というか、もう運んである。
名木も移す予定だが、樹木は生き物なのでまだだったが。
取られた方は堪ったものではないが。
だが、例え、悪名になろうとも、足利義昭の屋敷なのだから、悪名は全部、義昭が引き受けてくれた。
こうして二月から普請を始め(恒興は嫌で堺に向かい)、三月となったのだが、
いきなりケチがついた。
三月一日に朝廷の帝から勅旨が信長の許にやってきたからだ。
用向きは信長に対する「幕府の副将軍就任の要請」である。
副将軍になりたくなかった信長は勅使に対して無言を貫いていた訳だが(帝の要請を断る方法はこれだけで「断る」とは非礼になるので言えないのだ)。
無言だったのは朝廷の勅使の前だけだ。
勅使が帰った直後に、その皺寄せは当然、恒興にきて信長が不機嫌そうに、
「勝、公方(呼び捨て)に言っておけっ! 幕府の要職をオレに押し付けるのは諦めろってなっ!」
「でも信長様。公方様の仕業じゃないでしょ、今回のは。公方様は、その・・・」
「『マヌケで、朝廷を使うまで頭が回らない』か?」
不機嫌な信長が歯に衣着せぬ物言いをし、恒興もその点には触れず、
「幕臣ならありえますかね? もしくは公方様の周囲の公家?」
「なるほど、少し調べた方が良いかもな。勝、普請はいい。探って来い」
「はっ」
との指令を受けて、
信長が普請の総奉行だったので怠けられなかった恒興は堂々と義昭の許へと出向いて、
「公方様、酷いですよ~。朝廷を動かして副将軍の就任を要請するなんて~」
「ん? 何の事だ、知らぬぞ、余は?」
(だよね~)
恒興はそう思いながら、
「なら・・・公家が勝手に帝様に教えて勅使を出した?」
「であろうな。酒の席で余がよく二条殿に愚痴ってたから」
「あのですね~。信長様は尾張、美濃、北伊勢、南近江だけで手一杯なんですから、畿内の事までは無理ですって。幕府の事は公方様の配下の名家の者達にやらせて下さいよ~」
「わかったわかった」
「そうだ。聞きましたよ、大文字屋が茶器を三千貫で買い戻した話。公方様は何に使われるんですか、その三千貫」
「知らん。金蔵に入れておくよう言っておいた。どうせ宴会費用に消えるであろう」
意外に銭に無頓着な義昭がそう言い、恒興が、
「公方様は二条御所の普請、見物に行かれましたか?」
「いや、それが行っては駄目だと幕臣達が言ってな」
「まあ、公方様が普請現場に現れたら全員手を止めて平伏しますから作業になりませんものね」
「存外、将軍というのもつまらないものだのう」
なんて贅沢な事を言っていたが、さすがは義昭で、
「そうそう、信長の今年の伊勢攻め、中止に出来んか?」
言われた恒興は背筋を正した。
(だから気軽に言わないでよね~。言葉が軽いんだよ、この公方様は~)
そう呆れつつ、
「いやいや、もう動いてますから・・・どうしてです? まさか、今更『北畠を攻めるな』とか言わないで下さいよ」
(そんな事になったら幕府からは手を引くとか言い出すぞ、信長様なら)
「違う違う。信長に若狭に出兵して欲しくてな」
義昭が斜め上の発言をし始めた。
恒興が警戒しながら、
「若狭? 朝倉が滅ぼした若狭武田が何か?」
「ん? 恒興は知らなかったか? 実は余の妹が嫁いでいてな。妹が産んだ子供、つまりは余の甥だが、それが越前に連れて行かれたそうなのだ」
「それは酷いですね~」
恒興の素の感想に、
「であろう? 余の烏帽子親にしてやった恩も忘れおって、あの朝倉だけは」
義昭が沸々と怒り出し、
「若狭奪還のついでに朝倉討伐も信長にはして欲しいのだが」
(えっ? あれ?)
恒興は見落としがないか熟慮しながら、
(何か凄く織田家に都合の良い事を言ってるんだけど~)
「今から信長様の許に行って確認してきますね」
「いや、すぐじゃなくても・・・」
「兵糧や調略の関係もありますので、今からでも遅いくらいですから。では失礼します」
そう言って、恒興は本圀寺を後にし、
信長の許へと飛んで帰り、普請総奉行として忙しそうにしてる信長が恒興に、
「どうであった?」
「やはり勅使の件は知りませんでした。ってか、今、公方様に凄い事を頼まれましたよ、信長様」
「?」
「越前攻めです」
「何? 詳しく申せ」
一から十まで端折る事なく恒興は信長に説明した。
説明を聞き終えた信長が、
「公方様(周囲に人が居るので様付け)を担いで正解だったな」
義昭の利用価値を改めて痛感したのだった。
「ですが、さすがに今年は伊勢、志摩攻めですよね?」
「ああ。商人達に南伊勢の兵糧を買わせているのだから」
この発案の糸口は昨年の上洛の兵糧枯渇問題だ。
事前に購入しておけば兵糧攻めが楽になるとの。
「オレ自身が公方様(周囲に人が居るので様付け)に会わねばならんな、これは」
信長はそう呟いたのだった。
後日、義昭がちゃんと酒が抜けてる状態の時に信長は会見した。
正確には信長との会見があるから義昭も前日から酒を我慢したのだが。
本圀寺にて、信長と義昭、それに重臣や幕臣達が勢揃いする中で、
「何やら若狭に兵を向けてるよう言われているそうですが?」
信長が切り出して、義昭が信長の顔色を窺いながら、
「駄目か、信長? 妹の嫁ぎ先をどうにかしてやりたいのだが」
「確か、配下の武田殿の実家でしたな。家督はどうなるのでしょう?」
信長が問うと、義昭の背後に控える武田信景が、
「無論、公方様の甥御様が若狭武田家の当主となります」
「まだ七歳でしょう? 後見は・・・」
信長が信景を見ると、信景が、
「私が若狭に出向いてやります」
「結構。それで越前ですが・・・」
信長が水を向ければ、
「信長が治めよ。朝倉義景は余は好かん」
義昭が堂々と言い放った。
(な、何だと?)
会合の内容が若狭の件だけだと思っていた三淵藤英が慌てて、
「公方様、朝倉殿は烏帽子親ですぞ?」
「だからどうした? あの男は何もしない愚か者ではないか。信長が越前の領地を平定した方が良いに決まっている。それに加賀の一向一揆の件もある。当然、討伐してくれるのだよな、加賀の一向一揆を」
一向一揆とは本願寺の事である。
加賀は本願寺(一向一揆)が統治しており、義昭は本願寺が嫌いだったのだ。
その事を聞かされていた信長が苦笑しながら、
(本願寺との全面対決は時期尚早だのう)
「まあ、攻めてきたらですが」
「でどうであろう?」
「今年は無理ですが、来年正月から京で過ごしましょう。そして各国の兵を集めて公方様の命による若狭平定軍という事でしたら」
尾張、57万石。
美濃、60万石。遠山氏の領国を引いても54万国。
伊勢、60万石。北半国でも30万石。
志摩、1万石。
近江、77万石。南半国でも33万石。
越前、49万石。
(伊勢と越前を制圧したら織田の石高は二百万石を越える。幕府に素直に従うとはとても思えん)
藤英が危機感を募らせる中、義昭の方は、
「おお。では、それで」
「公方様も御出陣なされるのですか?」
信長が水を向けると、藤英が慌てて、
「それは駄目ですな。烏帽子親を攻めたとあらば公方様の名声に傷が付きますから」
「大和守、余は別に気になどせんが」
「駄目ですぞ、公方様」
「だそうだ、信長」
「なるほど」
こうして来年に行われる戦が、今年の三月に決められたのだった。
来年の事を語ると鬼が笑う、というのに。
だが、信長はすぐに二条屋敷の普請をしてる丹羽長秀と木下秀吉を呼んで、
「来年の朝倉攻めが決まった。二人とも若狭と越前で調略を始めろ」
丹羽長秀が少し考えながら、
「お待ちを、信長様。浅井との縁談の際に『朝倉は攻められぬように』と念を押された、と聞きましたが」
「非は公方(呼び捨て)の妹婿の若狭武田を攻めた朝倉にある。それくらいの分別は浅井にもあろう」
「北近江の調略もしますか、信長様?」
木下秀吉がそう進言し、
「北近江はバレぬ程度にな」
「はっ」
「担当はどうしましょう? 同じ相手を二人で調略してては二度手間ですし」
「ふむ。五郎左は若狭、サルは越前と北近江だ」
「えっ、サルの担当、広過ぎませんか?」
「手柄の立て甲斐があろう。竹中をこき使ってやれ」
「はっ」
そんな命令を下したのだった。
◇
そして織田の躍進を脅威に感じた三淵藤英の発議が全幕臣達を撒き込んでの大論争を巻き起こした。
三淵藤英が出した発議とは、
「公方様の妹様を三好宗家の三好義継殿に嫁がせてはどうでしょうか?」
これである。
無論、織田信長が幕府から離反した時に備えての畿内固めの政略結婚である。
信長が勅旨による「副将軍就任」を受けていれば、こんな発議はしなくて済んだのだが。
そう、三淵藤英こそが二条晴良を使って朝廷を動かした張本人だった。
だが、結果は固辞。
信長が足利義昭の下に付く気がない事があれではっきりした。
ならば、信長に対抗する勢力を構築しなければならない。
それで眼を付けたのが三好義継という訳だ。
河内半国守護の三好義継は若僧で使えないが、三好宗家を取り込める上、大和国の松永久秀も付いてくる、お得な政略結婚だった。
但し。
三好義継は御存知、義昭の兄、義輝を殺した三好軍を率いた総大将である。
例え、その時、齡十六のお飾りであったとしても幕臣は元より義昭自身が、
「大和守、お主、頭がどうかしてしまったのか? 兄を殺した奴だぞ、三好は? 『美濃尾張』にすると決めたであろうが?」
「ですが、これ以上の織田の躍進は幕府の存続すらを危うくし・・・」
藤英の意見は正論なのだが、感情が左右して支持は少なく、政所執事の摂津晴門が老獪にも、
「血の繋がっていない公方様の妹ならば問題ないのでは?」
と提案をしてきた。
「おお、それは名案ではありませんか」
上野秀政が賛同した事で、幕臣達の御前会議の流れは決まってしまい、
「違う。本物の妹姫でなければ三好を幕府に繋ぎ留めておく事などーー」
「よい、それでいく。適当な娘を見繕え。三好義継が織田の一門衆になって手が出せなくなるよりは断然良い」
義昭の決定で養妹が嫁ぐ事となり、そして三淵藤英は幕府での発言力を少し下げたのだった。
三好義継としては義昭との政略結婚は降って沸いた話だったが。
二条屋敷の普請の為、京に来ていた義継は普請の最中、松永久秀と小声で協議する破目となった。
「どうすれば良いのだ、松永?」
「正月に援軍が遅参した直後にこれですからな~。断れば『叛逆の意思あり』とみなされましょう。今は京に織田殿が居られるので断ると攻められますぞ」
「相手の娘の実家はどこなのだ?」
「伊勢氏です」
「ん? 案外良い?」
「いえいえ。偽公方、足利義栄の幕府に参上して干されてる伊勢氏ですので旨味は殆どなく」
「それでも結婚せねばならぬのだよな?」
「織田の姫が最良でしたが、こうなっては仕方ありません」
「祝言の日取りは?」
「それが早く次の吉日だそうです」
「何故、そのように早い?」
自分の祝言が勝手に決められて義継が怒る中、
「織田殿の横槍が入ると困るからでしょう」
「?」
「つまりですな。幕府内には織田殿を警戒する勢力がある、という事ですよ」
「何故だ?」
「今月の頭に副将軍就任の勅命を断ったからかと」
「・・・織田殿はどうして断ったのだ?」
「無論、先代の長慶様と同様に、幕府などただのお飾りだと思っているからでしょうな」
「それでは我らも幕府とは距離を取った方が良いのではないか?」
「はい、織田殿と行動を共にする事が肝心かと」
「なのに公方様の血の継がらぬ姫と祝言か。断る事は出来ぬのだよな?」
「はい。祝言おめでとうございまする」
こうして三好義継は話を受け、京で祝言を挙げたのだった。
それこそ大々的に。
登場人物、1569年度
丹羽長秀(34)・・・織田家の重臣。通称、五郎左。利説きの長秀。星回りが悪い。南近江国衆の総目付。二条屋敷の普請奉行の一人。若狭での調略の密命を受ける。
能力値、利説きの長秀A、米五郎左A、星回りの悪さA、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
木下秀吉(32)・・・将来の天下人。墨俣城主。出しゃばり。信長の傍に良く出没。竹中重治が木下隊を育成。槍働きも出来るように。北近江の調略は既にやっている。
能力値、天下人の才気S、人誑しの秀吉SS、知恵袋は今孔明S、信長への忠誠A、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇D
【織田信長、二条屋敷の普請総奉行を自ら引き受けた説、採用】
【二条屋敷の堀普請は二月二日から説、採用】
【足利義昭、二条屋敷建築の悪名を被った説、採用】
【織田信長、朝廷からの副将軍就任要請を無言で躱した説、採用】
【池田恒興、当然、信長に怒られた説、採用】
【足利義昭、信長に朝倉攻めを打診した説、採用】
【織田信長、普請中なのに義昭と朝倉攻めの協議をした説、採用】
【石高の数字は柔軟に。変更あり説、採用】
【三淵藤英、三好義継を政略結婚で取り込もうとした説、採用】
【摂津晴門、古来の習いに従い、頓知を利かせた説、採用】
【三好義継、義昭の妹(血は繋がっていない)と祝言を上げた説、採用】
三好三人衆が正月に京に居る足利義昭を襲ったりするから、義昭の要請で信長は義昭の御座所を新しく建てる事となった。
派手好きな信長は一人では普請をせず、各国に号令を掛けた。
無論、足利義昭の名前でだ。
当然、狙いはある。
屋敷普請に託けて織田に臣従するかどうかを見極める為だ。
義昭の烏帽子親の越前朝倉も呼び付けていた。
来ないと分かっていて。
何せ、まだ二月だ。
北陸は雪が積もってて動けないのだから。
それでも呼び付ける信長の方も意地が悪いのだが。
その論理で、遠江の今川なんかも呼び付けていた。
昨年の十二月に武田が三国同盟を破棄して駿河に侵攻してて遠江に逃げて最後の抵抗を続けている最中に。
出向ける訳がないのが分かっていながら。
他にも阿波、讃岐の三好にも使者を送ってある。
来る訳もなかったが。
こうして京にやってきたのは、畿内(山城、大和、摂津、和泉、河内)、近江、美濃、尾張、伊勢、三河、丹波、丹後、若狭、播磨の十四カ国の大工や人夫となった。
お陰で大工やら人夫やらが集まって大普請となる予定だったが。
とはいえ、正月にいきなり「京に来い」と言っても来れるかどうか分からない。
国によっては京までの距離に差がある。
なので「二月下旬までに来い」と触れを出しており、その時期が工期の始まりと当初は予定していたが。
呼び出した後に二重の水濠を作る事を追加で計画した為に、
信長公記曰く、二月二十七日が着工日だが、僅か一月で二重の水堀までを完成出来る訳もなく、
よって二月二日には織田単独で堀を作り始め、各国から人夫が到着し次第、順次、堀作りに参加したのだった。
堀や石運びは力仕事なので人夫や雑兵がやったが、石積みからは専門職の大工達の指揮でやった。
時間があったので屋敷の設計はもう出来ている。
材料の木材や石やらも運び終えていた。
普請場所は義輝の二条御所があった場所だ。
つまりは元にあった屋敷を潰して建築していた。
二重の水濠を擁した二条屋敷は、もはや城だ。
そう呼ぶに相応しい立派で凄い屋敷が出来る予定だ。
建築速度重視の為、土枠の濠にしたかったが、さすがに公方様の御座所が土枠の濠では格好が付かない。
石枠の水濠となった。
それも二重の。
石材が足りなくて石仏を少し使ってるが、まあ、ご愛敬という奴だ。
二条御所に、義昭の今の御在所である本圀寺の建物を移築するのも。
細川京兆家の屋敷から立派な庭石も運ぶ予定だ。
というか、もう運んである。
名木も移す予定だが、樹木は生き物なのでまだだったが。
取られた方は堪ったものではないが。
だが、例え、悪名になろうとも、足利義昭の屋敷なのだから、悪名は全部、義昭が引き受けてくれた。
こうして二月から普請を始め(恒興は嫌で堺に向かい)、三月となったのだが、
いきなりケチがついた。
三月一日に朝廷の帝から勅旨が信長の許にやってきたからだ。
用向きは信長に対する「幕府の副将軍就任の要請」である。
副将軍になりたくなかった信長は勅使に対して無言を貫いていた訳だが(帝の要請を断る方法はこれだけで「断る」とは非礼になるので言えないのだ)。
無言だったのは朝廷の勅使の前だけだ。
勅使が帰った直後に、その皺寄せは当然、恒興にきて信長が不機嫌そうに、
「勝、公方(呼び捨て)に言っておけっ! 幕府の要職をオレに押し付けるのは諦めろってなっ!」
「でも信長様。公方様の仕業じゃないでしょ、今回のは。公方様は、その・・・」
「『マヌケで、朝廷を使うまで頭が回らない』か?」
不機嫌な信長が歯に衣着せぬ物言いをし、恒興もその点には触れず、
「幕臣ならありえますかね? もしくは公方様の周囲の公家?」
「なるほど、少し調べた方が良いかもな。勝、普請はいい。探って来い」
「はっ」
との指令を受けて、
信長が普請の総奉行だったので怠けられなかった恒興は堂々と義昭の許へと出向いて、
「公方様、酷いですよ~。朝廷を動かして副将軍の就任を要請するなんて~」
「ん? 何の事だ、知らぬぞ、余は?」
(だよね~)
恒興はそう思いながら、
「なら・・・公家が勝手に帝様に教えて勅使を出した?」
「であろうな。酒の席で余がよく二条殿に愚痴ってたから」
「あのですね~。信長様は尾張、美濃、北伊勢、南近江だけで手一杯なんですから、畿内の事までは無理ですって。幕府の事は公方様の配下の名家の者達にやらせて下さいよ~」
「わかったわかった」
「そうだ。聞きましたよ、大文字屋が茶器を三千貫で買い戻した話。公方様は何に使われるんですか、その三千貫」
「知らん。金蔵に入れておくよう言っておいた。どうせ宴会費用に消えるであろう」
意外に銭に無頓着な義昭がそう言い、恒興が、
「公方様は二条御所の普請、見物に行かれましたか?」
「いや、それが行っては駄目だと幕臣達が言ってな」
「まあ、公方様が普請現場に現れたら全員手を止めて平伏しますから作業になりませんものね」
「存外、将軍というのもつまらないものだのう」
なんて贅沢な事を言っていたが、さすがは義昭で、
「そうそう、信長の今年の伊勢攻め、中止に出来んか?」
言われた恒興は背筋を正した。
(だから気軽に言わないでよね~。言葉が軽いんだよ、この公方様は~)
そう呆れつつ、
「いやいや、もう動いてますから・・・どうしてです? まさか、今更『北畠を攻めるな』とか言わないで下さいよ」
(そんな事になったら幕府からは手を引くとか言い出すぞ、信長様なら)
「違う違う。信長に若狭に出兵して欲しくてな」
義昭が斜め上の発言をし始めた。
恒興が警戒しながら、
「若狭? 朝倉が滅ぼした若狭武田が何か?」
「ん? 恒興は知らなかったか? 実は余の妹が嫁いでいてな。妹が産んだ子供、つまりは余の甥だが、それが越前に連れて行かれたそうなのだ」
「それは酷いですね~」
恒興の素の感想に、
「であろう? 余の烏帽子親にしてやった恩も忘れおって、あの朝倉だけは」
義昭が沸々と怒り出し、
「若狭奪還のついでに朝倉討伐も信長にはして欲しいのだが」
(えっ? あれ?)
恒興は見落としがないか熟慮しながら、
(何か凄く織田家に都合の良い事を言ってるんだけど~)
「今から信長様の許に行って確認してきますね」
「いや、すぐじゃなくても・・・」
「兵糧や調略の関係もありますので、今からでも遅いくらいですから。では失礼します」
そう言って、恒興は本圀寺を後にし、
信長の許へと飛んで帰り、普請総奉行として忙しそうにしてる信長が恒興に、
「どうであった?」
「やはり勅使の件は知りませんでした。ってか、今、公方様に凄い事を頼まれましたよ、信長様」
「?」
「越前攻めです」
「何? 詳しく申せ」
一から十まで端折る事なく恒興は信長に説明した。
説明を聞き終えた信長が、
「公方様(周囲に人が居るので様付け)を担いで正解だったな」
義昭の利用価値を改めて痛感したのだった。
「ですが、さすがに今年は伊勢、志摩攻めですよね?」
「ああ。商人達に南伊勢の兵糧を買わせているのだから」
この発案の糸口は昨年の上洛の兵糧枯渇問題だ。
事前に購入しておけば兵糧攻めが楽になるとの。
「オレ自身が公方様(周囲に人が居るので様付け)に会わねばならんな、これは」
信長はそう呟いたのだった。
後日、義昭がちゃんと酒が抜けてる状態の時に信長は会見した。
正確には信長との会見があるから義昭も前日から酒を我慢したのだが。
本圀寺にて、信長と義昭、それに重臣や幕臣達が勢揃いする中で、
「何やら若狭に兵を向けてるよう言われているそうですが?」
信長が切り出して、義昭が信長の顔色を窺いながら、
「駄目か、信長? 妹の嫁ぎ先をどうにかしてやりたいのだが」
「確か、配下の武田殿の実家でしたな。家督はどうなるのでしょう?」
信長が問うと、義昭の背後に控える武田信景が、
「無論、公方様の甥御様が若狭武田家の当主となります」
「まだ七歳でしょう? 後見は・・・」
信長が信景を見ると、信景が、
「私が若狭に出向いてやります」
「結構。それで越前ですが・・・」
信長が水を向ければ、
「信長が治めよ。朝倉義景は余は好かん」
義昭が堂々と言い放った。
(な、何だと?)
会合の内容が若狭の件だけだと思っていた三淵藤英が慌てて、
「公方様、朝倉殿は烏帽子親ですぞ?」
「だからどうした? あの男は何もしない愚か者ではないか。信長が越前の領地を平定した方が良いに決まっている。それに加賀の一向一揆の件もある。当然、討伐してくれるのだよな、加賀の一向一揆を」
一向一揆とは本願寺の事である。
加賀は本願寺(一向一揆)が統治しており、義昭は本願寺が嫌いだったのだ。
その事を聞かされていた信長が苦笑しながら、
(本願寺との全面対決は時期尚早だのう)
「まあ、攻めてきたらですが」
「でどうであろう?」
「今年は無理ですが、来年正月から京で過ごしましょう。そして各国の兵を集めて公方様の命による若狭平定軍という事でしたら」
尾張、57万石。
美濃、60万石。遠山氏の領国を引いても54万国。
伊勢、60万石。北半国でも30万石。
志摩、1万石。
近江、77万石。南半国でも33万石。
越前、49万石。
(伊勢と越前を制圧したら織田の石高は二百万石を越える。幕府に素直に従うとはとても思えん)
藤英が危機感を募らせる中、義昭の方は、
「おお。では、それで」
「公方様も御出陣なされるのですか?」
信長が水を向けると、藤英が慌てて、
「それは駄目ですな。烏帽子親を攻めたとあらば公方様の名声に傷が付きますから」
「大和守、余は別に気になどせんが」
「駄目ですぞ、公方様」
「だそうだ、信長」
「なるほど」
こうして来年に行われる戦が、今年の三月に決められたのだった。
来年の事を語ると鬼が笑う、というのに。
だが、信長はすぐに二条屋敷の普請をしてる丹羽長秀と木下秀吉を呼んで、
「来年の朝倉攻めが決まった。二人とも若狭と越前で調略を始めろ」
丹羽長秀が少し考えながら、
「お待ちを、信長様。浅井との縁談の際に『朝倉は攻められぬように』と念を押された、と聞きましたが」
「非は公方(呼び捨て)の妹婿の若狭武田を攻めた朝倉にある。それくらいの分別は浅井にもあろう」
「北近江の調略もしますか、信長様?」
木下秀吉がそう進言し、
「北近江はバレぬ程度にな」
「はっ」
「担当はどうしましょう? 同じ相手を二人で調略してては二度手間ですし」
「ふむ。五郎左は若狭、サルは越前と北近江だ」
「えっ、サルの担当、広過ぎませんか?」
「手柄の立て甲斐があろう。竹中をこき使ってやれ」
「はっ」
そんな命令を下したのだった。
◇
そして織田の躍進を脅威に感じた三淵藤英の発議が全幕臣達を撒き込んでの大論争を巻き起こした。
三淵藤英が出した発議とは、
「公方様の妹様を三好宗家の三好義継殿に嫁がせてはどうでしょうか?」
これである。
無論、織田信長が幕府から離反した時に備えての畿内固めの政略結婚である。
信長が勅旨による「副将軍就任」を受けていれば、こんな発議はしなくて済んだのだが。
そう、三淵藤英こそが二条晴良を使って朝廷を動かした張本人だった。
だが、結果は固辞。
信長が足利義昭の下に付く気がない事があれではっきりした。
ならば、信長に対抗する勢力を構築しなければならない。
それで眼を付けたのが三好義継という訳だ。
河内半国守護の三好義継は若僧で使えないが、三好宗家を取り込める上、大和国の松永久秀も付いてくる、お得な政略結婚だった。
但し。
三好義継は御存知、義昭の兄、義輝を殺した三好軍を率いた総大将である。
例え、その時、齡十六のお飾りであったとしても幕臣は元より義昭自身が、
「大和守、お主、頭がどうかしてしまったのか? 兄を殺した奴だぞ、三好は? 『美濃尾張』にすると決めたであろうが?」
「ですが、これ以上の織田の躍進は幕府の存続すらを危うくし・・・」
藤英の意見は正論なのだが、感情が左右して支持は少なく、政所執事の摂津晴門が老獪にも、
「血の繋がっていない公方様の妹ならば問題ないのでは?」
と提案をしてきた。
「おお、それは名案ではありませんか」
上野秀政が賛同した事で、幕臣達の御前会議の流れは決まってしまい、
「違う。本物の妹姫でなければ三好を幕府に繋ぎ留めておく事などーー」
「よい、それでいく。適当な娘を見繕え。三好義継が織田の一門衆になって手が出せなくなるよりは断然良い」
義昭の決定で養妹が嫁ぐ事となり、そして三淵藤英は幕府での発言力を少し下げたのだった。
三好義継としては義昭との政略結婚は降って沸いた話だったが。
二条屋敷の普請の為、京に来ていた義継は普請の最中、松永久秀と小声で協議する破目となった。
「どうすれば良いのだ、松永?」
「正月に援軍が遅参した直後にこれですからな~。断れば『叛逆の意思あり』とみなされましょう。今は京に織田殿が居られるので断ると攻められますぞ」
「相手の娘の実家はどこなのだ?」
「伊勢氏です」
「ん? 案外良い?」
「いえいえ。偽公方、足利義栄の幕府に参上して干されてる伊勢氏ですので旨味は殆どなく」
「それでも結婚せねばならぬのだよな?」
「織田の姫が最良でしたが、こうなっては仕方ありません」
「祝言の日取りは?」
「それが早く次の吉日だそうです」
「何故、そのように早い?」
自分の祝言が勝手に決められて義継が怒る中、
「織田殿の横槍が入ると困るからでしょう」
「?」
「つまりですな。幕府内には織田殿を警戒する勢力がある、という事ですよ」
「何故だ?」
「今月の頭に副将軍就任の勅命を断ったからかと」
「・・・織田殿はどうして断ったのだ?」
「無論、先代の長慶様と同様に、幕府などただのお飾りだと思っているからでしょうな」
「それでは我らも幕府とは距離を取った方が良いのではないか?」
「はい、織田殿と行動を共にする事が肝心かと」
「なのに公方様の血の継がらぬ姫と祝言か。断る事は出来ぬのだよな?」
「はい。祝言おめでとうございまする」
こうして三好義継は話を受け、京で祝言を挙げたのだった。
それこそ大々的に。
登場人物、1569年度
丹羽長秀(34)・・・織田家の重臣。通称、五郎左。利説きの長秀。星回りが悪い。南近江国衆の総目付。二条屋敷の普請奉行の一人。若狭での調略の密命を受ける。
能力値、利説きの長秀A、米五郎左A、星回りの悪さA、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
木下秀吉(32)・・・将来の天下人。墨俣城主。出しゃばり。信長の傍に良く出没。竹中重治が木下隊を育成。槍働きも出来るように。北近江の調略は既にやっている。
能力値、天下人の才気S、人誑しの秀吉SS、知恵袋は今孔明S、信長への忠誠A、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇D
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