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1569年、伊勢、志摩、制圧
本圀寺の戦い
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【本圀寺の戦い、前哨戦の家原城の戦いは十二月二十八日説、採用】
【本圀寺の戦い、三好三人衆軍、一月二日に堺を発って京に向かった説、採用】
【本圀寺の変、一月四日説、採用】
【本圀寺の戦い、初日の戦い、京の都に火を放って乱妨取りをしただけ説、採用】
【本圀寺の戦い、二日目の戦い、足利義昭を殺すべく戦った説、採用】
【本圀寺の戦い、三好三人衆軍8200人説、採用】
【本圀寺の戦い、防衛軍2000人説、採用】
【本圀寺の戦い、三日目はなかった説、採用】
【伊丹親興、1524年生まれ説、採用】
【織田信長、京への到着、一月八日説、採用】
【織田軍の京への到着、一月十日説、採用】
正月の元旦。
松永久秀は美濃の岐阜城に新年の挨拶に来ていた。
「新年明けましておめでとうございます。織田様におかれましては御壮健の限りであらされまして・・・」
「白々しい挨拶は止めよ、松永」
正月気分で機嫌の良い信長が下手な追従を許す中、恒興が意外そうに、
「あれ、一人だけなの? 三好の宗家様は?」
「無論、河内ですよ。今や河内二守護のお一人でおられますれば。気軽に領国を離れられませんからね」
と答えた松永久秀の方も意外そうに恒興を見て、
「そういう池田殿も京の公方様に年賀の挨拶に行かなくて良かったんですか?」
そう尋ねたが、尋ねられた恒興の方はきょとんとして、
「えっ? どうして?」
「『どうして』って京ではあれだけ公方様のところに出仕しておりましたから・・・」
恒興の京での立場は完全に「義昭のお気に入りの家臣」だった。
嘘ではない。
実際に義昭は恒興の事を気に入っている。
人間的にも。
織田家の情報をペラペラと喋ってくれてるので情報源としても。
かなり重宝していた。
その結果が信長への「弾正忠」の官位の斡旋なのだから。
織田家との物別れなど足利義昭からしたらあり得なく、信長の重臣の立場の恒興は利用するという意味でも役に立ち、あれだけ義昭の屋敷に出入りして義昭との親しいところを目撃されていたので、公家や高僧達も恒興の事を「公方様の家臣だ」と勘違いしていた。
それなのに、
「いやいや、あれは信長様の命令で仕方なくだよ」
それが恒興の感想だった。
実際に子供の頃から「信長の一の子分」である恒興からすればそうである。
「そうなのですか?」
「幕府の内情を探らないと駄目だからね」
「何か分かりましたか?」
「後から合流してきた幕臣達は公方様を使って『いい思いをする気満々だ』って事が分くらいは分かったかな?」
「それは確かに」
と久秀と恒興が喋る中、信長が、
「それよりも松永、おまえが献上した『九十九髪』、相当凄いらしいな」
「おっ、ようやく我が心が伝わりましたか」
「抜かせ。それよりも今年だからな、伊勢制圧は。延期になってた賭けの事も忘れるなよ」
「配下になる件ですね。当然でございます」
などとオペンチャラの新年の挨拶をした訳だが。
松永久秀の所領は大和国である。
美濃には一日では来れず、昨年の十二月下旬の段階で信長へ新年の挨拶をする為に美濃に向けて出発していた。
それはつまり、松永久秀の大和国の不在を意味する。
鼻が利き、大和の実力者の松永久秀の畿内不在は、足利義昭・織田信長連立政権と敵対する三好三人衆からすれば巻き返しを図る絶好の機会であった。
昨年の上洛軍の畿内制圧戦では、実は三好三人衆は余り兵力を失ってはいない。
理由は単純にして明快。
殆どが戦わずに逃げたからだ。
戦って兵力を失ったのは岩成友通の部隊くらいで、残りは畿内から四国に逃げていた。
そして四国にて足利義栄を失って帰国していた阿波三好の篠原長房と和解した三好三人衆は、阿波三好の支援を受けて畿内への再侵攻を計画していた。
そこに松永久秀の「美濃詣で」である。
こんな千載一遇の好機を見逃す訳がなく、畿内に潜伏していた斎藤龍興などは預かった三好三人衆の銭で牢人衆を掻き集めていた。
龍興の手足として働いているのは一緒に美濃から畿内まで逃げ落ちた長井道利である。
「殿、牢人衆が1000人ほど集まりました」
「さすがは畿内。牢人者で溢れてる。その数ならば問題無かろう」
「どこを攻められるのですか?」
「まずは和泉国であろうな」
「我々だけで?」
「そんな訳があるか。三好三人衆が四国からやってくるさ」
ニヤリと笑った龍興を見て、道利は、
(道三様にそっくりだな、もう)
そう思ったのだった。
◇
信長公記曰く「六条合戦(本圀寺の変)」は一月五日の事である。
だが、昨年の十二月二十八日の段階で三好三人衆の軍は堺の南方の和泉国に舟で上陸していた。
その数、8000人。
牢人衆を加えれば9000人に膨れ上がった。
最初に狙われたのが三好義継の家臣が治める和泉国の家原城である。
城を治めていた家臣の名前は記録に残ってない。
まあ、雑魚なのだろう。
もしくは城主が不在であったか。
年末だという事で三好義継の本城に詰めていて。
ともかく、十二月二十八日に攻めたら一刻も待たずに家原城は落城していた。
「何だ、話にもならないな」
城を落とした斎藤龍興はそう笑い、
「さすがは斎藤義龍殿の息子だな。戦上手だ」
傍に居た三好政康が褒めた。
だが、こんなのは悪手に決まっている。
三好三人衆軍が反撃に転じた事が宣伝されたのだから。
だが、河内国半国を任され、和泉国もどこまで任されたかは分からないが三好義継はこの時、20歳だ。
周囲に援軍を頼む事も出来ず、
「大和国の松永に使いを放て。三好三人衆が四国から攻めてきたと」
「確か、松永殿は美濃に年賀の挨拶に出向かれたはずですが」
金山長信改め金山信貞が指摘すると、
「では、どうすればいいのだ?」
「同じ河内守護の畠山殿に援軍を要請するべきかと」
「おお、それだ。すぐに致せ」
その後、使いが高屋城主の畠山秋高の許へと到着し、
「三好三人衆がもう戻ってきたのか。鬱陶しい。各城に使いを出して三好三人衆の襲来を知らせよ」
知らせを受けた秋高がそう命令した事で、
三好三人衆軍の反撃が畿内に知れ渡ったのだった。
そして一月二日に三好三人衆軍は京へ進軍したのだった。
足利義昭陣営の城を避けながら進んだのは言うまでもない。
一々、城攻めなどはしていられないので。
こうして一月四日。
京で「本圀寺の変の戦い」が勃発したのだった。
最初に三好三人衆軍の8200人がした事は京都に火を放っての乱妨取りをした事だった。
評判を気にする必要のない賊軍なので。
銭を奪って、女を抱いた。
そんな事をしているから、本命の足利義昭が籠もる本圀寺では迎撃態勢が完了していた。
本圀寺の防衛側は、
幕府軍300人。
織田軍900人。
若狭武田軍300人。
畿内衆500人。
合計2000人である。
指揮官の征夷大将軍の足利義昭は震え上がって米蔵に隠れており、
「ひいぃぃ、信長が美濃に帰った途端にこれか~。早く戻ってきてくれ、信長、恒興」
僧だった時の名残か念仏を唱えたのだった。
本圀寺内で「米蔵に隠れた」と聞いた細川藤孝は、
「またか」
と吐き捨てた。
藤孝が本圀寺に居たのは勝龍寺城から駆け付けたからではない。
年賀の挨拶の為に京にのぼり、そこで巻き込まれただけだった。
兄の三淵藤英が、
「私がどうにかしよう。日向守、防衛の指揮の方、任せたぞ」
「はっ」
と答えた明智光秀は頭の傷痕に痛みを感じながらも喜んでいた。
何せ、将軍義輝を殺した三好軍を殺せるのだから。
今回は戦国時代の最新兵器の火縄銃も200挺完備だ。
場所の本圀寺も意外と防衛に適している。
それが分かっていないのは米蔵に隠れた足利義昭だけだった。
三淵藤英が姿を見せると、義昭が、
「信長が来たのか?」
「いえ、美濃ですので数日は・・・」
「クソ、信長を美濃に帰すのではなかった。せめて恒興だけでも残しておけば」
「御安心ください、公方様。我らが居りますので」
藤英がそう励ましたが、
「おまえ達が居ても兄は死んだではないかっ!」
本人は悪気は全くなかったが本音を口にしてしまい、三淵藤英の心を簡単にポキッと折ったのだった。
それでも涼やかな顔で、
「・・・今回はお守りしますのでご安心ください」
「信長を呼べ、すぐにだっ!」
藤英の前でそう叫んだ事で、三淵藤英もさすがに忠誠心を削られたのだ。
そして翌日の一月五日に三好三人衆軍が本圀寺攻めを開始した。
無防備に近付く敵に、
「撃てぇ~っ!」
明智光秀の号令で、塀に隠れてた鉄砲隊が姿を見せてダダダダンッと迎撃する。
「ぐあああ」
「クソが」
「やられた~」
鉄砲200挺でまずは押し寄せた敵兵200人を撃破だ。
これが開戦の火蓋となった。
鉄砲隊が引っ込む中、今度は細川藤孝が、
「矢を馳走してやれっ!」
弓矢を射させる。
幕府軍は血統を重んじてるだけあり、名家出身揃いだ。
当然、弓も嗜んでおり、その辺の弓兵以上に弓矢が使えた。
「ぐああ」
「強いぞ」
「怯むな、進めっ!」
長井道利が雑兵を鼓舞する。
「将軍は刀も振れぬ僧上がりだ。御首級を挙げた者には大和国が貰えるらしいぞっ!」
欲で士気を高めるが、弾込めが完了した守備側の鉄砲隊が弓兵と入れ替わって、
「撃て~っ!」
明智光秀の号令で2射目を発射。
「ぐおお」
「げふっ」
また200人が死傷した。
「くっ、意外にしぶとい」
大将の三好長逸がそう悔しがる中、岩成友通は内心で、
(これで二人目。こんな事をして大丈夫なのか?)
動揺してたが、それでも戦には参加した。
3年前の前回の足利義輝を殺害した永禄の変が余裕過ぎたからだろうか。
三好三人衆側は今回も「余裕で将軍義昭を殺せる」と高を括っていた。
だが、蓋を開けてみれば今回の戦は血みどろの激戦となっている。
何せ、守衛側の幕府軍の士気が落ちない。
その理由は、
「援軍は明日には到着するから持ち堪えろっ! 五日後なら美濃からも援軍が来るぞっ!」
との掛け声だった。
永禄の変の時には将軍義輝に味方などいなかったが、今回の将軍義昭には織田信長という強過ぎる味方が居る。
何せ、6万人を動員するような大名だ。
また上洛されたら厄介な上に、摂津、河内、大和は今や足利義昭の味方だらけだった。
半日戦っても御座所が落ちないだけでも計算外なのに、三好三人衆軍の本陣に血相を変えてやってきた伝令が、
「摂津から公方方の援軍が京に向かって出発しました。数は不明」
要らぬ報告を持ってきた。
「はあ?」
「大丈夫ですよ、このまま続けましょう」
斎藤龍興がそう励ましたが、三好長逸は貧乏揺すりをして苛立ってる。
顔が拙い。負け顔だ。
(ったく、このジイさん。想像以上に使えないな)
「長逸殿、間もなく落城しますのでご安心を」
「分かっておるわ」
そう虚勢を張る長逸を見て、斎藤龍興は別の同盟者探しが必要な事を実感したのだった。
夕方になっても「本圀寺の変の戦い」は決着しなかった。
だが士気の差は歴然だ。
三好三人衆側は、
「1000人ちょっとしか居ないのに、どうして?」
「話が違うぞ。簡単に倒せるって言ってたのにっ!」
「味方は今日だけで何人くらい死んだんだ?」
「2000人は堅いと思うぞ」
とガッカリなのに対して、
幕府軍側は、
「夜襲もあるぞ。今の内に休んでおけ」
「握り飯だ」
「おう、味方が来るまで持ち堪えるぞっ!」
「矢をあるだけ持って来い」
「公方様に楯突いたらどうなるか教えてやれっ!」
更に滾っていた。
さすがに三好三人衆も将だ。
今回の戦が敗北なのを理解しており、
「撤退するぞ」
長逸が決定し、
「馬鹿な。明日にはこんな寺、落ちますぞ」
斎藤龍興がそう主張するも、
「いや、夜になったら我が軍の兵が脱走してこの戦自体終わりさ。その前に退くのが上策だろうて」
長逸が諭してきた。
実は斎藤龍興も「そうなる」と理解していたので、
「分かりました」
撤退に同意したのだった。
◇
さて、問題はここからである。
退くといっても京を攻めた三好三人衆軍はどこへ逃げるのか。
無論、「舟で三好の本拠地の四国に」である。
その為には内陸の京から、まずは海辺の摂津か、河内の西側の和泉に向かわなければならない。
問題は摂津と、和泉の手前の河内が完全に敵対する足利義昭の陣営だという事だ。
摂津には三守護。
河内には二守護。
それらが居る。
それどころか、撤退をのろのろしてた所為で(正確には京での略奪品の輸送に手こずってて遅くなった)一月六日に京の桂川で足利義昭の援軍にやってきた和田惟政、池田勝正、伊丹親興が率いる先発隊の摂津軍4100認識と遭遇してしまった。
対する三好三人衆軍は血みどろの激戦と夜の脱走で5800人までに減っている。
それも三好三人衆軍が渡河中に遭遇したので背水の陣となって先に対岸に進んだ1000人が、
「かかれっ!」
「もう三好の天下じゃない事を教えてやれっ!」
「遅れた分、少しでも首を挙げろっ!」
和田惟政、池田勝正、伊丹親興の号令で突撃されて簡単に蹴散らされたのだった。
もうこうなると、背後の本圀寺の幕府軍も追撃してくるのか気になってくる。
略奪品を捨てて、三好三人衆軍は這う這うの体で撤退していった。
こうして「本圀寺の戦い」は幕府軍側の勝利で終わったのだった。
◇
そして一月六日。
岐阜城にも京が三好三人衆軍に襲われてるとの報告が届いた。
この日の美濃の天気は珍しく大雪だった訳だが、
「松永、まさか、おまえ知っていたのか?」
報告を聞いた信長はそう深読みして目の前の松永久秀を睨み、
「滅相もない。知っていたらもう少し上手く立ち回ってます。本当です」
久秀は潔白を主張した。
まあ、今はどっちでもいい。
「出陣だ。京に向かうぞ」
信長がそう宣言し、
「こんな大雪の中を移動なんて嘘ですよね?」
皆を代表して恒興が嫌そうに問うと、ギロリンッと信長に睨まれて、
「はい、先頭はオレが走ります」
諦めて、鎧を纏って京に出陣したのだった。
信長が京に到着したのは一月八日の事である。
岐阜城から京までを僅か一日半で駆け抜けたのは信長が乗ってる馬が名馬だったからだ。
その信長の高速行軍に付いていけた馬廻りは僅か十人ほどである。
その中には当然、武田信玄から良馬を貰った恒興が居た訳だが、
「久太郎と汎秀も付いてきてるとはーー生意気な」
文字面とは裏腹に讃えるように笑い、
「名人久太郎と呼ばれておりますので」
「父に信長様の近習になった祝いにこの名馬を貰いましたから」
と二人がニヤリと笑う中、信長が、
「まずは公方(呼び捨て)の確認だ。行くぞ。勝、頼んだからな」
「はっ、御任せを」
こうして少数で本圀寺へと駆け込み、
足利義昭が信長の到着を聞いて、
「おお、遅いぞ。信長殿~」
本圀寺の玄関まで迎えに出てきたのだった。
京に駆け付けてくれた嬉しさの余り殿付けで信長を呼んでいる。
「遅れて申し訳ございません」
信長が詫び、
「恒興も遅いぞ」
義昭が恒興に文句を言う中、
「いやいや、早いですって。美濃から一日半で駆けてきたんですから」
「・・・そうなのか?」
「伊達に名馬に乗ってませんので。織田軍の後続は後からごまんとやってきますのでご安心ください」
「信長が来てくれれば心強いぞ」
義昭がそう信長達の到着を褒める中、恒興が、
「いやいや。今回、公方様を守ったのはこの寺に居る者達ですから。そちらを褒めるべきかと。聞けば明智殿と細川殿の活躍は京に鳴り響いたとか。それに和田殿、池田殿、伊丹殿の摂津三守護も逃げる三好三人衆軍の名のある武将達を散々討ち取られたとか」
そう秀吉並みに褒め始め、義昭の方は余り評価しておらず、
「そうは言うがな~」
「ちゃんと褒めるべきです、公方様。どっちが勝つか高みの見物をして援軍に来なかった連中を罰する為にも」
もはや佞臣の如く恒興が囁き、義昭が思い出したように、
「それよ、恒興。信長もその件で話がある。奥へ来てくれ」
「はっ」
こうして二人も本圀寺に入り、
奥座敷にて義昭が、
「河内の三好義継と北近江の浅井長政が今回援軍に来なかった。そして当然、大和国の松永久秀もだ」
「松永は岐阜に居ましたからね」
恒興がそう教え、
「どうして美濃に? まさか襲撃の件、知っておったのか?」
「正直、半々ですね」
純粋に考えれば、足利義昭に取り成してくれた礼なのだから。
穿った見方をすれば「襲撃を知っていて京から離れた」とも見れる。
「信長、もう殺していいよな? 松永と三好の若宗家」
「まだ駄目ですな」
信長が言い、恒興も渋い顔で、
「ギリギリ討てませぬな。討つと公方様の言いがかりと周囲からは見えて、他の将達からの反感を買ってしまいますから」
「・・・仕方がない。あの二人は見送ろう。浅井はどう対処すれば? 確か信長の妹婿であったよな?」
「こちらで叱り付けておきます」
信長が請け負った。
恒興が囁くように、
「それよりも活躍した者への褒美ですよ、公方様」
「金品ならないぞ」
正直に義昭が答える中、
「官位の斡旋や幕府内での地位を上げればよろしいかと。直接の声掛けや感謝状なども」
「なるほど、それくらいなら可能だが」
義昭も納得しながら、
「・・・それよりも信長、この御座所をどうにかしてくれ。防備が心許無いから」
「畏まりました」
義昭に頼まれて信長はそう答えたのだった。
登場人物、1569年度
松永久秀(61)・・・大和国守護。別名、弾正。城郭建築の第一人者。大欲深し。喰わせ者。永禄の変の黒幕。足利義昭に許される。名器「九十九髪」を信長に進呈する。
能力値、大欲深しの久秀☆、悪の華☆、信長に九十九髪を進呈S、信長と賭けをするA、どうも怪しい★、義昭からの信頼★
織田信長(35)・・・将来の天下人。織田家当主。官位、弾正忠。天才肌。奇抜な事が好き。朝廷より古今無双の名将と称される。足利義昭を奉じて上洛を果たす。
能力値、天下人の才気☆、古今無双の名将の信長S、幕府殿御父S、麒麟の如くS、奇抜な事好きS、新しい物好きSS
池田恒興(33)・・・主人公。信長の近習幹部。信長の乳兄弟。織田一門衆と同格扱い。義昭との連絡係。馬廻り(親衛隊)の隊長。兼山湊奉行。稲葉良通の目付。
能力値、信長と養徳院の教えS、大物に気に入られる何かS、ヤラカシ伝説S、信長への絶対忠誠SS、信長からの信頼SS、織田家臣団での待遇S
長井道利(48)・・・元斎藤家の家老。戦下手。斎藤家滅亡で龍興と一緒に畿内へ。三好三人衆に与する。道三の息子の噂は昔の事。
能力値、ですがの道利C、本当に戦下手★、長良川の戦いの元凶E、流れ流れて畿内へA、六悪人の手下の仲間入りA、龍興の御首級の価値に気付かない★
斎藤龍興(21)・・・六悪人の一人。元美濃斎藤家の当主。19歳で美濃を失う。蝮の血が覚醒。安藤守就に足の指を切断される。将軍義栄毒殺の黒幕。
能力値、六悪人の龍興B、三代目蝮SS、部下は駒C、祖父と父の遺産A、移動に支障ありA、将軍義栄殺しの罪を三好三人衆になすり付けた★★★
三好政康(41)・・・三好三人衆。六悪人の一人。別名、宗渭。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。今年五月に殺される。
能力値、六悪人の政康★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
三好義継(20)・・・河内半国守護。三好宗家の当主。父は十河一存。母は九条種通の娘。足利義昭に許される。援軍を出す前に本圀寺の変が終了する。
能力値、足利義昭の赦免S、劣った器量の義継A、結局、久秀の傀儡A、三好の天下は今は昔A、不運重なるE、援軍を出す前に本圀寺の変が終了★
金山長貞(21)・・・三好家の家臣。元は長信。義継の側近。母は義継の乳母。義継を第一に考え、松永久秀と結託する。
能力値、義継最後の忠臣の長信A、義継の乳兄弟A、松永を見誤るS、義継への忠誠S、義継からの信頼A、三好家臣団での待遇A
畠山秋高(35)・・・河内半国守護及び紀伊国守護。高屋城主。通称、次郎四郎。父、畠山政国。
能力値、紀伊の王は熊野大社A、南大和の王は高野山A、将軍贔屓の秋高A、鉄砲よりも弓矢B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠A
足利義昭(32)・・・室町幕府15代征夷大将軍。足利義輝の異母弟。母は近衛尚通の娘、慶寿院。信長に奉じられて上洛する。有頂天。義栄の関係者に嫌がらせ中。
能力値、俗世知らずの義昭SS、征夷大将軍☆、迷惑な書状乱発A、忠誠を削る軽薄な声A、敵は許すまじSS、戦が怖い★
細川藤孝(37)・・・足利義昭の幕臣。信長の家臣。勝龍寺城主。三淵晴員の子。別名、与一郎。武芸百般。牛投げの藤孝。信長に接近する。運悪く本圀寺に居合わす。
能力値、牛投げの藤孝B、武芸百般A、実は兄が嫌いC、信長への忠誠B、義昭からの信頼C、幕府での待遇A
三淵藤英(38)・・・足利義昭の幕臣。三淵晴員の子。異母弟に細川藤孝。官位、大和守は1568年に就任。涼やかな佇まい。義昭よりも幕府に忠義を尽くし始める。
能力値、涼やかの藤英A、義昭よりも幕府に殉ずる☆、三好憎しS、義輝への義理A、義昭からの信頼D、幕府での待遇☆
明智光秀(37)・・・足利義昭の幕臣。信長の家臣。京奉行の一人。別名、進士藤延。濃姫とは系譜は繋がっていない。
能力値、頭の傷が疼く☆、落ちた麒麟A、三好憎しSS、信長への忠誠C、信長からの信頼B、幕府での待遇D
三好長逸(53)・・・六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。六条合戦を引き起こす。ボケ疑惑あり。
能力値、六悪人の長逸★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆☆
岩成友通(50)・・・三好三人衆。六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。泥船から降りられない。
能力値、六悪人の友通★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
和田惟政(39)・・・足利義昭の御供衆。摂津三守護の一人。芥川山城主。官位、伊賀守。お調子者の惟政。義昭の謝罪状は家宝。恒興に賭け将棋でボロ負けする。
能力値、お調子者の惟政B、織田との交渉役B、芥川山城を拝領で御機嫌☆、義昭への忠誠SS、義昭からの信頼C、幕府での待遇S
池田勝正(30)・・・摂津池田氏当主。摂津源氏。摂津三守護の一人。池田城主。通称、八郎三郎。足利義昭に服従する。恒興が一方的に敬服してる。
能力値、玉砕の勝正A、摂津の顔役B、源氏は武家の誉A、馬よりも鉄砲B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠E
伊丹親興(45)・・・摂津三守護の一人。伊丹城主。官位、大和守(?)。通称、次郎。三好長慶の元部下。本願寺に頭上がらず。
能力値、勝ち馬の親興B、摂津の古狸A、三好は顔見知りB、摂津の王は本願寺A、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠C
堀秀政(16)・・・織田家の家臣。通称、久太郎。信長のお気に入りの小姓頭。信長の機嫌を直せる数少ない人物。遠駆けもお手の物。
能力値、機嫌直しの秀政C、名人久太郎B、文武両道B、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇C
平手汎秀(16)・・・織田家の家臣。平手久秀の嫡子。幼名、秀千代。別名、甚左衛門。近習として修業の日々。信長の速度に付いて京へ。
能力値、未来の織田家の柱石の汎秀C、祖父、父の信長への貢献B、平手家の御曹司A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
【本圀寺の戦い、三好三人衆軍、一月二日に堺を発って京に向かった説、採用】
【本圀寺の変、一月四日説、採用】
【本圀寺の戦い、初日の戦い、京の都に火を放って乱妨取りをしただけ説、採用】
【本圀寺の戦い、二日目の戦い、足利義昭を殺すべく戦った説、採用】
【本圀寺の戦い、三好三人衆軍8200人説、採用】
【本圀寺の戦い、防衛軍2000人説、採用】
【本圀寺の戦い、三日目はなかった説、採用】
【伊丹親興、1524年生まれ説、採用】
【織田信長、京への到着、一月八日説、採用】
【織田軍の京への到着、一月十日説、採用】
正月の元旦。
松永久秀は美濃の岐阜城に新年の挨拶に来ていた。
「新年明けましておめでとうございます。織田様におかれましては御壮健の限りであらされまして・・・」
「白々しい挨拶は止めよ、松永」
正月気分で機嫌の良い信長が下手な追従を許す中、恒興が意外そうに、
「あれ、一人だけなの? 三好の宗家様は?」
「無論、河内ですよ。今や河内二守護のお一人でおられますれば。気軽に領国を離れられませんからね」
と答えた松永久秀の方も意外そうに恒興を見て、
「そういう池田殿も京の公方様に年賀の挨拶に行かなくて良かったんですか?」
そう尋ねたが、尋ねられた恒興の方はきょとんとして、
「えっ? どうして?」
「『どうして』って京ではあれだけ公方様のところに出仕しておりましたから・・・」
恒興の京での立場は完全に「義昭のお気に入りの家臣」だった。
嘘ではない。
実際に義昭は恒興の事を気に入っている。
人間的にも。
織田家の情報をペラペラと喋ってくれてるので情報源としても。
かなり重宝していた。
その結果が信長への「弾正忠」の官位の斡旋なのだから。
織田家との物別れなど足利義昭からしたらあり得なく、信長の重臣の立場の恒興は利用するという意味でも役に立ち、あれだけ義昭の屋敷に出入りして義昭との親しいところを目撃されていたので、公家や高僧達も恒興の事を「公方様の家臣だ」と勘違いしていた。
それなのに、
「いやいや、あれは信長様の命令で仕方なくだよ」
それが恒興の感想だった。
実際に子供の頃から「信長の一の子分」である恒興からすればそうである。
「そうなのですか?」
「幕府の内情を探らないと駄目だからね」
「何か分かりましたか?」
「後から合流してきた幕臣達は公方様を使って『いい思いをする気満々だ』って事が分くらいは分かったかな?」
「それは確かに」
と久秀と恒興が喋る中、信長が、
「それよりも松永、おまえが献上した『九十九髪』、相当凄いらしいな」
「おっ、ようやく我が心が伝わりましたか」
「抜かせ。それよりも今年だからな、伊勢制圧は。延期になってた賭けの事も忘れるなよ」
「配下になる件ですね。当然でございます」
などとオペンチャラの新年の挨拶をした訳だが。
松永久秀の所領は大和国である。
美濃には一日では来れず、昨年の十二月下旬の段階で信長へ新年の挨拶をする為に美濃に向けて出発していた。
それはつまり、松永久秀の大和国の不在を意味する。
鼻が利き、大和の実力者の松永久秀の畿内不在は、足利義昭・織田信長連立政権と敵対する三好三人衆からすれば巻き返しを図る絶好の機会であった。
昨年の上洛軍の畿内制圧戦では、実は三好三人衆は余り兵力を失ってはいない。
理由は単純にして明快。
殆どが戦わずに逃げたからだ。
戦って兵力を失ったのは岩成友通の部隊くらいで、残りは畿内から四国に逃げていた。
そして四国にて足利義栄を失って帰国していた阿波三好の篠原長房と和解した三好三人衆は、阿波三好の支援を受けて畿内への再侵攻を計画していた。
そこに松永久秀の「美濃詣で」である。
こんな千載一遇の好機を見逃す訳がなく、畿内に潜伏していた斎藤龍興などは預かった三好三人衆の銭で牢人衆を掻き集めていた。
龍興の手足として働いているのは一緒に美濃から畿内まで逃げ落ちた長井道利である。
「殿、牢人衆が1000人ほど集まりました」
「さすがは畿内。牢人者で溢れてる。その数ならば問題無かろう」
「どこを攻められるのですか?」
「まずは和泉国であろうな」
「我々だけで?」
「そんな訳があるか。三好三人衆が四国からやってくるさ」
ニヤリと笑った龍興を見て、道利は、
(道三様にそっくりだな、もう)
そう思ったのだった。
◇
信長公記曰く「六条合戦(本圀寺の変)」は一月五日の事である。
だが、昨年の十二月二十八日の段階で三好三人衆の軍は堺の南方の和泉国に舟で上陸していた。
その数、8000人。
牢人衆を加えれば9000人に膨れ上がった。
最初に狙われたのが三好義継の家臣が治める和泉国の家原城である。
城を治めていた家臣の名前は記録に残ってない。
まあ、雑魚なのだろう。
もしくは城主が不在であったか。
年末だという事で三好義継の本城に詰めていて。
ともかく、十二月二十八日に攻めたら一刻も待たずに家原城は落城していた。
「何だ、話にもならないな」
城を落とした斎藤龍興はそう笑い、
「さすがは斎藤義龍殿の息子だな。戦上手だ」
傍に居た三好政康が褒めた。
だが、こんなのは悪手に決まっている。
三好三人衆軍が反撃に転じた事が宣伝されたのだから。
だが、河内国半国を任され、和泉国もどこまで任されたかは分からないが三好義継はこの時、20歳だ。
周囲に援軍を頼む事も出来ず、
「大和国の松永に使いを放て。三好三人衆が四国から攻めてきたと」
「確か、松永殿は美濃に年賀の挨拶に出向かれたはずですが」
金山長信改め金山信貞が指摘すると、
「では、どうすればいいのだ?」
「同じ河内守護の畠山殿に援軍を要請するべきかと」
「おお、それだ。すぐに致せ」
その後、使いが高屋城主の畠山秋高の許へと到着し、
「三好三人衆がもう戻ってきたのか。鬱陶しい。各城に使いを出して三好三人衆の襲来を知らせよ」
知らせを受けた秋高がそう命令した事で、
三好三人衆軍の反撃が畿内に知れ渡ったのだった。
そして一月二日に三好三人衆軍は京へ進軍したのだった。
足利義昭陣営の城を避けながら進んだのは言うまでもない。
一々、城攻めなどはしていられないので。
こうして一月四日。
京で「本圀寺の変の戦い」が勃発したのだった。
最初に三好三人衆軍の8200人がした事は京都に火を放っての乱妨取りをした事だった。
評判を気にする必要のない賊軍なので。
銭を奪って、女を抱いた。
そんな事をしているから、本命の足利義昭が籠もる本圀寺では迎撃態勢が完了していた。
本圀寺の防衛側は、
幕府軍300人。
織田軍900人。
若狭武田軍300人。
畿内衆500人。
合計2000人である。
指揮官の征夷大将軍の足利義昭は震え上がって米蔵に隠れており、
「ひいぃぃ、信長が美濃に帰った途端にこれか~。早く戻ってきてくれ、信長、恒興」
僧だった時の名残か念仏を唱えたのだった。
本圀寺内で「米蔵に隠れた」と聞いた細川藤孝は、
「またか」
と吐き捨てた。
藤孝が本圀寺に居たのは勝龍寺城から駆け付けたからではない。
年賀の挨拶の為に京にのぼり、そこで巻き込まれただけだった。
兄の三淵藤英が、
「私がどうにかしよう。日向守、防衛の指揮の方、任せたぞ」
「はっ」
と答えた明智光秀は頭の傷痕に痛みを感じながらも喜んでいた。
何せ、将軍義輝を殺した三好軍を殺せるのだから。
今回は戦国時代の最新兵器の火縄銃も200挺完備だ。
場所の本圀寺も意外と防衛に適している。
それが分かっていないのは米蔵に隠れた足利義昭だけだった。
三淵藤英が姿を見せると、義昭が、
「信長が来たのか?」
「いえ、美濃ですので数日は・・・」
「クソ、信長を美濃に帰すのではなかった。せめて恒興だけでも残しておけば」
「御安心ください、公方様。我らが居りますので」
藤英がそう励ましたが、
「おまえ達が居ても兄は死んだではないかっ!」
本人は悪気は全くなかったが本音を口にしてしまい、三淵藤英の心を簡単にポキッと折ったのだった。
それでも涼やかな顔で、
「・・・今回はお守りしますのでご安心ください」
「信長を呼べ、すぐにだっ!」
藤英の前でそう叫んだ事で、三淵藤英もさすがに忠誠心を削られたのだ。
そして翌日の一月五日に三好三人衆軍が本圀寺攻めを開始した。
無防備に近付く敵に、
「撃てぇ~っ!」
明智光秀の号令で、塀に隠れてた鉄砲隊が姿を見せてダダダダンッと迎撃する。
「ぐあああ」
「クソが」
「やられた~」
鉄砲200挺でまずは押し寄せた敵兵200人を撃破だ。
これが開戦の火蓋となった。
鉄砲隊が引っ込む中、今度は細川藤孝が、
「矢を馳走してやれっ!」
弓矢を射させる。
幕府軍は血統を重んじてるだけあり、名家出身揃いだ。
当然、弓も嗜んでおり、その辺の弓兵以上に弓矢が使えた。
「ぐああ」
「強いぞ」
「怯むな、進めっ!」
長井道利が雑兵を鼓舞する。
「将軍は刀も振れぬ僧上がりだ。御首級を挙げた者には大和国が貰えるらしいぞっ!」
欲で士気を高めるが、弾込めが完了した守備側の鉄砲隊が弓兵と入れ替わって、
「撃て~っ!」
明智光秀の号令で2射目を発射。
「ぐおお」
「げふっ」
また200人が死傷した。
「くっ、意外にしぶとい」
大将の三好長逸がそう悔しがる中、岩成友通は内心で、
(これで二人目。こんな事をして大丈夫なのか?)
動揺してたが、それでも戦には参加した。
3年前の前回の足利義輝を殺害した永禄の変が余裕過ぎたからだろうか。
三好三人衆側は今回も「余裕で将軍義昭を殺せる」と高を括っていた。
だが、蓋を開けてみれば今回の戦は血みどろの激戦となっている。
何せ、守衛側の幕府軍の士気が落ちない。
その理由は、
「援軍は明日には到着するから持ち堪えろっ! 五日後なら美濃からも援軍が来るぞっ!」
との掛け声だった。
永禄の変の時には将軍義輝に味方などいなかったが、今回の将軍義昭には織田信長という強過ぎる味方が居る。
何せ、6万人を動員するような大名だ。
また上洛されたら厄介な上に、摂津、河内、大和は今や足利義昭の味方だらけだった。
半日戦っても御座所が落ちないだけでも計算外なのに、三好三人衆軍の本陣に血相を変えてやってきた伝令が、
「摂津から公方方の援軍が京に向かって出発しました。数は不明」
要らぬ報告を持ってきた。
「はあ?」
「大丈夫ですよ、このまま続けましょう」
斎藤龍興がそう励ましたが、三好長逸は貧乏揺すりをして苛立ってる。
顔が拙い。負け顔だ。
(ったく、このジイさん。想像以上に使えないな)
「長逸殿、間もなく落城しますのでご安心を」
「分かっておるわ」
そう虚勢を張る長逸を見て、斎藤龍興は別の同盟者探しが必要な事を実感したのだった。
夕方になっても「本圀寺の変の戦い」は決着しなかった。
だが士気の差は歴然だ。
三好三人衆側は、
「1000人ちょっとしか居ないのに、どうして?」
「話が違うぞ。簡単に倒せるって言ってたのにっ!」
「味方は今日だけで何人くらい死んだんだ?」
「2000人は堅いと思うぞ」
とガッカリなのに対して、
幕府軍側は、
「夜襲もあるぞ。今の内に休んでおけ」
「握り飯だ」
「おう、味方が来るまで持ち堪えるぞっ!」
「矢をあるだけ持って来い」
「公方様に楯突いたらどうなるか教えてやれっ!」
更に滾っていた。
さすがに三好三人衆も将だ。
今回の戦が敗北なのを理解しており、
「撤退するぞ」
長逸が決定し、
「馬鹿な。明日にはこんな寺、落ちますぞ」
斎藤龍興がそう主張するも、
「いや、夜になったら我が軍の兵が脱走してこの戦自体終わりさ。その前に退くのが上策だろうて」
長逸が諭してきた。
実は斎藤龍興も「そうなる」と理解していたので、
「分かりました」
撤退に同意したのだった。
◇
さて、問題はここからである。
退くといっても京を攻めた三好三人衆軍はどこへ逃げるのか。
無論、「舟で三好の本拠地の四国に」である。
その為には内陸の京から、まずは海辺の摂津か、河内の西側の和泉に向かわなければならない。
問題は摂津と、和泉の手前の河内が完全に敵対する足利義昭の陣営だという事だ。
摂津には三守護。
河内には二守護。
それらが居る。
それどころか、撤退をのろのろしてた所為で(正確には京での略奪品の輸送に手こずってて遅くなった)一月六日に京の桂川で足利義昭の援軍にやってきた和田惟政、池田勝正、伊丹親興が率いる先発隊の摂津軍4100認識と遭遇してしまった。
対する三好三人衆軍は血みどろの激戦と夜の脱走で5800人までに減っている。
それも三好三人衆軍が渡河中に遭遇したので背水の陣となって先に対岸に進んだ1000人が、
「かかれっ!」
「もう三好の天下じゃない事を教えてやれっ!」
「遅れた分、少しでも首を挙げろっ!」
和田惟政、池田勝正、伊丹親興の号令で突撃されて簡単に蹴散らされたのだった。
もうこうなると、背後の本圀寺の幕府軍も追撃してくるのか気になってくる。
略奪品を捨てて、三好三人衆軍は這う這うの体で撤退していった。
こうして「本圀寺の戦い」は幕府軍側の勝利で終わったのだった。
◇
そして一月六日。
岐阜城にも京が三好三人衆軍に襲われてるとの報告が届いた。
この日の美濃の天気は珍しく大雪だった訳だが、
「松永、まさか、おまえ知っていたのか?」
報告を聞いた信長はそう深読みして目の前の松永久秀を睨み、
「滅相もない。知っていたらもう少し上手く立ち回ってます。本当です」
久秀は潔白を主張した。
まあ、今はどっちでもいい。
「出陣だ。京に向かうぞ」
信長がそう宣言し、
「こんな大雪の中を移動なんて嘘ですよね?」
皆を代表して恒興が嫌そうに問うと、ギロリンッと信長に睨まれて、
「はい、先頭はオレが走ります」
諦めて、鎧を纏って京に出陣したのだった。
信長が京に到着したのは一月八日の事である。
岐阜城から京までを僅か一日半で駆け抜けたのは信長が乗ってる馬が名馬だったからだ。
その信長の高速行軍に付いていけた馬廻りは僅か十人ほどである。
その中には当然、武田信玄から良馬を貰った恒興が居た訳だが、
「久太郎と汎秀も付いてきてるとはーー生意気な」
文字面とは裏腹に讃えるように笑い、
「名人久太郎と呼ばれておりますので」
「父に信長様の近習になった祝いにこの名馬を貰いましたから」
と二人がニヤリと笑う中、信長が、
「まずは公方(呼び捨て)の確認だ。行くぞ。勝、頼んだからな」
「はっ、御任せを」
こうして少数で本圀寺へと駆け込み、
足利義昭が信長の到着を聞いて、
「おお、遅いぞ。信長殿~」
本圀寺の玄関まで迎えに出てきたのだった。
京に駆け付けてくれた嬉しさの余り殿付けで信長を呼んでいる。
「遅れて申し訳ございません」
信長が詫び、
「恒興も遅いぞ」
義昭が恒興に文句を言う中、
「いやいや、早いですって。美濃から一日半で駆けてきたんですから」
「・・・そうなのか?」
「伊達に名馬に乗ってませんので。織田軍の後続は後からごまんとやってきますのでご安心ください」
「信長が来てくれれば心強いぞ」
義昭がそう信長達の到着を褒める中、恒興が、
「いやいや。今回、公方様を守ったのはこの寺に居る者達ですから。そちらを褒めるべきかと。聞けば明智殿と細川殿の活躍は京に鳴り響いたとか。それに和田殿、池田殿、伊丹殿の摂津三守護も逃げる三好三人衆軍の名のある武将達を散々討ち取られたとか」
そう秀吉並みに褒め始め、義昭の方は余り評価しておらず、
「そうは言うがな~」
「ちゃんと褒めるべきです、公方様。どっちが勝つか高みの見物をして援軍に来なかった連中を罰する為にも」
もはや佞臣の如く恒興が囁き、義昭が思い出したように、
「それよ、恒興。信長もその件で話がある。奥へ来てくれ」
「はっ」
こうして二人も本圀寺に入り、
奥座敷にて義昭が、
「河内の三好義継と北近江の浅井長政が今回援軍に来なかった。そして当然、大和国の松永久秀もだ」
「松永は岐阜に居ましたからね」
恒興がそう教え、
「どうして美濃に? まさか襲撃の件、知っておったのか?」
「正直、半々ですね」
純粋に考えれば、足利義昭に取り成してくれた礼なのだから。
穿った見方をすれば「襲撃を知っていて京から離れた」とも見れる。
「信長、もう殺していいよな? 松永と三好の若宗家」
「まだ駄目ですな」
信長が言い、恒興も渋い顔で、
「ギリギリ討てませぬな。討つと公方様の言いがかりと周囲からは見えて、他の将達からの反感を買ってしまいますから」
「・・・仕方がない。あの二人は見送ろう。浅井はどう対処すれば? 確か信長の妹婿であったよな?」
「こちらで叱り付けておきます」
信長が請け負った。
恒興が囁くように、
「それよりも活躍した者への褒美ですよ、公方様」
「金品ならないぞ」
正直に義昭が答える中、
「官位の斡旋や幕府内での地位を上げればよろしいかと。直接の声掛けや感謝状なども」
「なるほど、それくらいなら可能だが」
義昭も納得しながら、
「・・・それよりも信長、この御座所をどうにかしてくれ。防備が心許無いから」
「畏まりました」
義昭に頼まれて信長はそう答えたのだった。
登場人物、1569年度
松永久秀(61)・・・大和国守護。別名、弾正。城郭建築の第一人者。大欲深し。喰わせ者。永禄の変の黒幕。足利義昭に許される。名器「九十九髪」を信長に進呈する。
能力値、大欲深しの久秀☆、悪の華☆、信長に九十九髪を進呈S、信長と賭けをするA、どうも怪しい★、義昭からの信頼★
織田信長(35)・・・将来の天下人。織田家当主。官位、弾正忠。天才肌。奇抜な事が好き。朝廷より古今無双の名将と称される。足利義昭を奉じて上洛を果たす。
能力値、天下人の才気☆、古今無双の名将の信長S、幕府殿御父S、麒麟の如くS、奇抜な事好きS、新しい物好きSS
池田恒興(33)・・・主人公。信長の近習幹部。信長の乳兄弟。織田一門衆と同格扱い。義昭との連絡係。馬廻り(親衛隊)の隊長。兼山湊奉行。稲葉良通の目付。
能力値、信長と養徳院の教えS、大物に気に入られる何かS、ヤラカシ伝説S、信長への絶対忠誠SS、信長からの信頼SS、織田家臣団での待遇S
長井道利(48)・・・元斎藤家の家老。戦下手。斎藤家滅亡で龍興と一緒に畿内へ。三好三人衆に与する。道三の息子の噂は昔の事。
能力値、ですがの道利C、本当に戦下手★、長良川の戦いの元凶E、流れ流れて畿内へA、六悪人の手下の仲間入りA、龍興の御首級の価値に気付かない★
斎藤龍興(21)・・・六悪人の一人。元美濃斎藤家の当主。19歳で美濃を失う。蝮の血が覚醒。安藤守就に足の指を切断される。将軍義栄毒殺の黒幕。
能力値、六悪人の龍興B、三代目蝮SS、部下は駒C、祖父と父の遺産A、移動に支障ありA、将軍義栄殺しの罪を三好三人衆になすり付けた★★★
三好政康(41)・・・三好三人衆。六悪人の一人。別名、宗渭。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。今年五月に殺される。
能力値、六悪人の政康★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
三好義継(20)・・・河内半国守護。三好宗家の当主。父は十河一存。母は九条種通の娘。足利義昭に許される。援軍を出す前に本圀寺の変が終了する。
能力値、足利義昭の赦免S、劣った器量の義継A、結局、久秀の傀儡A、三好の天下は今は昔A、不運重なるE、援軍を出す前に本圀寺の変が終了★
金山長貞(21)・・・三好家の家臣。元は長信。義継の側近。母は義継の乳母。義継を第一に考え、松永久秀と結託する。
能力値、義継最後の忠臣の長信A、義継の乳兄弟A、松永を見誤るS、義継への忠誠S、義継からの信頼A、三好家臣団での待遇A
畠山秋高(35)・・・河内半国守護及び紀伊国守護。高屋城主。通称、次郎四郎。父、畠山政国。
能力値、紀伊の王は熊野大社A、南大和の王は高野山A、将軍贔屓の秋高A、鉄砲よりも弓矢B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠A
足利義昭(32)・・・室町幕府15代征夷大将軍。足利義輝の異母弟。母は近衛尚通の娘、慶寿院。信長に奉じられて上洛する。有頂天。義栄の関係者に嫌がらせ中。
能力値、俗世知らずの義昭SS、征夷大将軍☆、迷惑な書状乱発A、忠誠を削る軽薄な声A、敵は許すまじSS、戦が怖い★
細川藤孝(37)・・・足利義昭の幕臣。信長の家臣。勝龍寺城主。三淵晴員の子。別名、与一郎。武芸百般。牛投げの藤孝。信長に接近する。運悪く本圀寺に居合わす。
能力値、牛投げの藤孝B、武芸百般A、実は兄が嫌いC、信長への忠誠B、義昭からの信頼C、幕府での待遇A
三淵藤英(38)・・・足利義昭の幕臣。三淵晴員の子。異母弟に細川藤孝。官位、大和守は1568年に就任。涼やかな佇まい。義昭よりも幕府に忠義を尽くし始める。
能力値、涼やかの藤英A、義昭よりも幕府に殉ずる☆、三好憎しS、義輝への義理A、義昭からの信頼D、幕府での待遇☆
明智光秀(37)・・・足利義昭の幕臣。信長の家臣。京奉行の一人。別名、進士藤延。濃姫とは系譜は繋がっていない。
能力値、頭の傷が疼く☆、落ちた麒麟A、三好憎しSS、信長への忠誠C、信長からの信頼B、幕府での待遇D
三好長逸(53)・・・六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。六条合戦を引き起こす。ボケ疑惑あり。
能力値、六悪人の長逸★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆☆
岩成友通(50)・・・三好三人衆。六悪人の一人。足利義輝と足利義栄殺害。足利義昭殺害未遂。三好義興と十河一存の殺害。三好宗家追放。泥船から降りられない。
能力値、六悪人の友通★、二代続けての将軍殺し★、三好宗家追放★、足利義輝の祟り★★、将軍殺しは下剋上ではなく大罪★★★、三好三人衆家臣団での待遇☆
和田惟政(39)・・・足利義昭の御供衆。摂津三守護の一人。芥川山城主。官位、伊賀守。お調子者の惟政。義昭の謝罪状は家宝。恒興に賭け将棋でボロ負けする。
能力値、お調子者の惟政B、織田との交渉役B、芥川山城を拝領で御機嫌☆、義昭への忠誠SS、義昭からの信頼C、幕府での待遇S
池田勝正(30)・・・摂津池田氏当主。摂津源氏。摂津三守護の一人。池田城主。通称、八郎三郎。足利義昭に服従する。恒興が一方的に敬服してる。
能力値、玉砕の勝正A、摂津の顔役B、源氏は武家の誉A、馬よりも鉄砲B、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠E
伊丹親興(45)・・・摂津三守護の一人。伊丹城主。官位、大和守(?)。通称、次郎。三好長慶の元部下。本願寺に頭上がらず。
能力値、勝ち馬の親興B、摂津の古狸A、三好は顔見知りB、摂津の王は本願寺A、足利義昭への忠誠A、織田信長への忠誠C
堀秀政(16)・・・織田家の家臣。通称、久太郎。信長のお気に入りの小姓頭。信長の機嫌を直せる数少ない人物。遠駆けもお手の物。
能力値、機嫌直しの秀政C、名人久太郎B、文武両道B、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇C
平手汎秀(16)・・・織田家の家臣。平手久秀の嫡子。幼名、秀千代。別名、甚左衛門。近習として修業の日々。信長の速度に付いて京へ。
能力値、未来の織田家の柱石の汎秀C、祖父、父の信長への貢献B、平手家の御曹司A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
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ゆみすけ
歴史・時代
満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
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