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1568年、15代将軍、足利義昭
将軍宣下
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【三淵藤英、多忙で恒興の義昭への接近を許してしまう説、採用】
【池田恒興、ポロッと信長が弾正忠なら受け取ると義昭に教えた説、採用】
【二条晴良、近衛前久との権力争いが勝利だと確信してる説、採用】
【明智光秀、この時既に義昭を見限り信長に忠誠を誓ってる説、採用】
【細川藤孝、この時既に義昭を見限り信長に忠誠を誓ってる説、採用】
【足利義昭の将軍宣下、十月十八日、宣下、十月二十二日、参内の歴史を無視して、十月十八日に参内して宣下説、採用】
【織田信長、弾正忠の官位、堺、大津、草津を貰った説、採用】
【浅井長政、忘れられてて上洛に参加したのに褒美がなかった説、採用】
大和国の平定によって畿内の三好三人衆陣営は一掃された。
それを受けて足利義昭は信長と一緒に十月十四日には再び上洛したのだが、その移動する行列の義昭の輿の護衛役として義昭の指名によって横に侍たのは恒興で、
「次はいよいよ将軍宣下ですね、公方様」
「まあな」
「義栄とかいう偽将軍の14代目は無効なんですから14代を引き継ぐでいいんですか?」
「いや、指名した朝廷の顔も立てねばならんらしくてな。15代だそうだ」
「何ですか、それ? 朝廷に文句を言ってやりましょうよ」
「必要ない。まずは征夷大将軍だ」
「なるほど、実を取るという奴ですね。さすがは公方様」
「これ、追従が過ぎるぞ、恒興」
と窘めながらも義昭は愉快そうに笑った。
本来であれば、恒興のこの義昭への接近は義昭を見捨てていない幕臣達からすれば快く思われていないはずなのだが、
和田惟政と一色藤長は賭け将棋でコテンパンにやられた為に何も言えず、
他の幕臣達は織田信長のお陰で上洛出来、畿内を一統出来たのだからこれくらいは気にも留めず、
最後の砦の三淵藤英は将軍宣下の準備で多忙な為に既に京に前乗りして行列に不在で、恒興は更に足利義昭に食い込んだのだった。
◇
京での足利義昭の御座所は本圀寺となった。
池田恒興も気に入られたので義昭の許に出ずっぱりである。
「何か不足なものはございませんか、公方様? すぐに信長様に言って御用意させますが」
「ないない。強いてあげるなら信長に副将軍か管領を受けるように説得してくれ」
「無理ですよ~、さすがにそれは」
「では斯波氏の家督の継承は? それならば可能であろう」
(本当に軽い男だな。気軽に言ってくれて)
恒興が真面目な顔で、
「そっちの方がもっと無理ですよ、公方様~」
「どうしてだ?」
「それはですね。例えばですね。本当に例えばですからね~」
と前置きしてから、
「信長様が足利家を力尽くで継いだらどう思います?」
「ふざけるな。絶対に許さんぞっ!」
義昭が例え話でも怒る中、恒興がすぐさま、
「それです」
「?」
「足利家の場合は日の本中で皆が公方様のように激怒します。斯波の家督でさえ尾張中が。そうなるのに『斯波氏を継げ』は酷いですよ~」
「・・・なるほど。尾張で問題となる訳か」
「はい。信長様が喜ぶ官位は弾正忠ですが現在、弾正忠の官位は惟政殿が所有ですからね。どの官位も欲しがらないと思いますよ」
との恒興のボヤキを聞き咎めた義昭が、
「ん? 副将軍を嫌がってるのに弾正忠の官位なら信長が喜んで受けるとはどういう事だ、恒興?」
「えっ? 信長様の家系は織田弾正忠家と言いまして、その官位を初代が受けてーーあれ、言ってませんでしたっけ?」
「初耳だぞ」
(本当に? 公方様と信長様、全然、意思疎通が取れてないな。信長様も弾正忠を頼んでないし。切り捨てる気満々って事か)
「結構有名なので公方様も知ってると思って誰も教えなかったって事ですかね」
「弾正忠、従五位下ではないか。そんなもので良いのか?」
「と思いますけど、聞いておきましょうか?」
「いや、驚かせたいので黙っていろ」
「はっ」
と答えて、とるに足らない事だと思い、恒興も信長に黙っていたのだった。
勝つ者が居れば負ける者も居る。
朝廷内では二条晴良が御機嫌で、
「義昭殿の将軍宣下、まさか異論はないでしょうな、前久殿?」
「無論です」
表情一つ変えずに近衛前久は答えたのだった。
まだこの時、前久は京を追われてはいなかった。
義昭が牙を剥くのは征夷大将軍になってからなのだから。
「義昭殿の正室も二条家から出しても?」
「おや、年頃の姫は居られなかったと記憶してますが?」
「養女で構わんでしょう」
「それは異論が出ると思いますよ。何でしたら、出しましょうか、我が近衛の姫を二条家の養女に」
「ふざけないでいただこうか、前久殿」
そんな神経戦を二人はやっていたのだった。
そして信長の家臣の恒興が足利義昭に接近したのと同じように、義昭の家臣でありながら織田信長に接近した者がいた。
細川藤孝と明智光秀である。
この二人はもう完全に足利義昭を見限っており、自分達の将来の為だけに動いていた。
つまりは織田家への士官である。
明智光秀の方は義昭がその傷を嫌っていた為に「信長への出向」という形で既に士官していたが、細川藤孝の方は名門中の名門なので義昭も手離さず、更には兄、三淵藤英も仕えていたので簡単に仕官とはいかなかった。
「池田殿が公方様の屋敷に出ずっぱりですが、よろしいのですか?」
藤孝が取り込まれたのを心配して問うたが、信長は心配せず、
「よいよい、オレがやらせているのでな。それよりも藤孝、おまえは明智同様有能だ。公方(呼び捨て)に尽くして一緒に沈むのはもったいない。オレに仕えろ」
「そうしたいのは山々ですが出向すら敵わず」
渋い顔をする藤孝に続いて光秀が、
「せめて勝龍寺城に与一郎を入れれないでしょうか?」
「それくらいならば勝が公方(呼び捨て)にねだれば可能であろう」
「池田殿が? 本当に?」
「あやつの大物への気に入られ方は凄いからな。まあ、公方(呼び捨て)が大物かは分からんが」
信長はそう笑ったのだった。
◇
十月十八日吉日。
足利義昭は御所へと参内した。
さすがに恒興や信長はもちろん、幕臣達の付き添いもなしである。
正親町天皇と御簾越しに謁見し、(関白の近衛前久の欠席によって)二条晴良が、
「清和源義昭を室町十五代、征夷大将軍に任ずる~」
「ははっ、有り難き幸せ~」
「日の本の事、頼んだぞ」
御簾越しから正親町天皇自らの声が掛かり、
「はは~、必ずや日の本を一続して御覧に入れまする~」
さすがの義昭も舞い上がってしまい、そんな大言を吐いてしまったのだった。
征夷大将軍の他に従四位下、参議と左近衛中将も任じられたのは言うまでもない。
その日の内に、細川藤孝の屋敷で義昭と信長は能の観覧を行った。
さすがに十三番の演目は長過ぎるので信長が五番に短縮させたが。
この能の観覧はおまけである。
重要なのは能を見ながらの義昭と信長の会談で、
「信長、副将軍を受けてくれ」
「だからそれはお断りさせていただきましたではありませんか」
「管領も駄目なのか?」
「はい」
「管領代も?」
「ええ」
「斯波氏の家督も?」
「要りませんな」
「余の妹を正室に迎えるというのは・・・まあ、それは止めるか。信長に足利家の家督を乗っ取られたら敵わんからな、ハッハッハッ」
「ハハハ、そのような事する訳が・・・」
信長がそう笑いながら、
(チッ、それは少しありだったが。もしかして勝が何かを吹き込んだのか?)
「では、弾正忠の官位は?」
「いえ、いりま・・・」
断ろうとした信長がピクリと片眉を上げて固まった。
次にした事は周囲を見渡して恒興を探した事である。
だが能なんてつまらないものの見学で時間を浪費したくない恒興は居らず
(勝め。口を滑らせたな)
と憤りながら、
「弾正忠の官位は和田殿の官位だったと記憶しておりましたが?」
「とっくに伊賀守を与えて返上させた」
「公方様には敵いませんな。公方様の顔を立てて、弾正忠の官位であればありがたく」
「では、すぐに手筈を整えよう。他には何か欲しいものはないか? 正直、『上洛を手伝って貰ったのに何もいらない』では余の方が気持ち悪くてな」
「六角の領土の南近江だけで十分でございますよ」
「そう言わずに」
「そこまでおっしゃるのでしたら、堺、大津、草津に織田の代官を置く許可を下さい」
信長はさらりと頼んだ
正直、「貪欲極まり」である。
大津と草津に代官を置くという事は琵琶湖の京側の湖運を支配するという事で、堺の代官は南蛮、明の貿易船から税を取るという事なのだから。
はっきり言って滅茶苦茶儲かるのが目に見えていたのだが。
足利義昭は意味すら理解しておらず、
「ん? そんなもので良いのか」
「はい」
「では与えよう。足利家の桐紋と二引紋と一緒に」
旗の話は当初の予定では義昭自身も考えてもいなかった条件であった。
「旗はさすがに・・・」
「逆らう者が居たら余の名と共に滅ぼすがよい」
との大言を吐いたのは征夷大将軍になった直後だったからである。
何せ、本日、それも今さっき内裏の帝の前で征夷大将軍に任じられたのだ。
今、調子に乗らないで、いつ調子に乗ると言うのだ。
よって大言を吐いて旗の使用許可を与えた訳だが、信長の方は能を見ながらも知的に眼を光らせて、
(将軍の旗の使用許可か。さすがは勝だのう。欲しいものが総て手に入ったわい)
そう思いながら、
「では、ありがたく使わせていただきます」
信長はそう礼を言って義昭に頭を下げたのだった。
◇
将軍宣下の翌日から起こった事は当然、京の公家と京の寺社の高僧による「義昭詣で」である。
京なのだ。
公家も僧侶もごまんといる。
当然、二条晴良とその派閥がしっかりと義昭を離さなかったが。
今更「トンビに油揚げをさらわれる」訳にはいかなかったので。
義昭の屋敷では連日昼間っから酒宴が開かれており、今や当たり前のように義昭の御前まで出られる恒興が今日も昼間から酔っ払ってる義昭を見て、
「うわ、今日も宴会ですか、公方様?」
「おお、恒興か。征夷大将軍となったら皆が手のひらを返してすり寄ってきおってな」
「まあ、誰だって公方様に顔と名前を覚えて貰いたいですからね~」
恒興が納得し、
「そんなものか?」
「そうですよ。公方様に名前を呼ばれただけで一生自慢出来るんですから~。オレなんてもう自慢してますし」
「調子の良い奴め。それで今日は何の用だ?」
「実は征夷大将軍としての仕事をしていただきたく」
「公家や高僧を相手に酒を飲むのも仕事の一つだと聞いたが・・・何か火急な案件でもあったか」
「あるじゃないですか、三好三人衆から分捕った城の城主決めが」
「そんなの信長が決めてよいぞ」
(嘘、本当に信長様が決めていいの? いやいや、さすがに駄目だろ。幕臣達がいい顔をしないし)
「勘弁して下さい。三淵殿に怒られてしまいますから」
「ん? そうなのか?」
「そうですよ。南近江と和泉はともかく畿内の采配は公方様が決めていただかないと。特に三好三人衆が入っていた山城国の勝龍寺城と摂津国の芥川山城は早急に」
「信長の考えは?」
「公方様の側近が望ましい、と。でも一色殿は駄目ですからね。出来れば戦働きの出来る人を」
「なら、明智と和田で」
「明智殿は信長様への出向では? 誰か他の者を信長様の許に出向させるのですか? 例えば細川殿とか」
「細川をやる訳がなかろうが。そうだ、細川に任すか」
「では、その旨を三淵殿にお伝え下さい」
「恒興から伝えよ」
「公方様、それは駄目ですよ。三淵殿だっていつもは苦言ばっかり言ってますが、本当は公方様に声を掛けて貰いたいんですから。放っておくとすねちゃいますよ」
「やれやれだのう」
そう笑いながら義昭は三淵藤英に命令を出したのだった。
義昭が酒に酔っていたので幕府が論功行賞の素案を決めた。
その幕府の体制だが、
兄の義輝の時と同じく政所執事には摂津晴門を添え、
奉公衆には三淵藤英、細川藤孝、和田惟政、上野秀政、曾我助乗、伊丹親興、池田勝正を置いた。
それらが考えた配置を義昭が追認した事で、
摂津国は、
池田城主、池田勝正。
伊丹城主、伊丹親興。
芥川山城主、和田惟政。
この三人が所領の安堵や新たに領地を与えられ、「摂津三守護」となった。
河内国は、
高屋城主、畠山秋高(紀伊国守護も兼務)。
若江城主、三好義継。
この二人が半国ずつ統治し、「河内二守護」となり、
大和国では、
多聞山城主、松永久秀。
が切り取りを条件に「大和守護」としての一国支配が認められた。
山城国では守護を置かず、
京の伏見城主、三淵藤英。
勝龍寺城主、細川藤孝。
これらが配置されて「京の南部」を防衛した。
和泉国には堺がある。
信長が堺を望んだ事で守護は置かれず堺は信長の直轄領となり、家老の佐久間信盛が代官を派遣して、残る和泉国は三好三人衆の領土は没収の上、織田家の直轄領、他は所領安堵となったのだった。
その信長の宿泊先には美濃からの報告が多数届いていた。
武田信玄が甲斐と信濃で兵の動員を掛けたからだ。
駿河に攻めるのならば良いが、ガラ空きの美濃が狙われたら本当に拙い事になる。
それに予定していたよりも早く畿内の制圧が終わったので織田軍の帰国が可能となっていた。
まあ、美濃と北伊勢の兵は畿内に敵が居なくなった時点でさっさと帰国させているが。
美濃と北伊勢の雑兵は農民なので余り無理をさせると使い物にならなくなるので。
信長が十月二十四日に京より美濃に帰る事が決まり、
足利義昭からは信長を「幕府殿御父」と呼ぶ恥ずかしい書状が送られた。
その書状が後世まで残った事で、後世でも義昭は無能扱いされる事になるのだが。
ともかく帰国の日、前日の「義昭詣で」で二日酔いの義昭が、
「イタタ、まだ昨日の酒が抜けぬわ。見送らねばならんのか?」
「さすがに見送るくらいはせねば『薄情だ』と公方様の評判に傷が」
一色藤長の進言により、
「分かった。見送ろう」
そんな訳で見送る事となり、
「では、我らはこれで」
馬上から信長が発言し、
「うむ。またな、信長」
「はっ」
信長が返事をして後続の恒興が、
「では公方様」
「うむ、恒興も達者でな」
「はっ」
馬上よりお辞儀して東に帰っていったのだった。
本当に慌ただしい上洛戦だった。
その為、信長も、義昭も、恒興も、悪知恵の勝家も、幕府方の三淵藤英も、完全に見落としていた。
竹中重治だけは見落していなかったが、わざと黙っていた。
◇
何の事かと言うと、
織田軍の帰国部隊の行列に混じってる浅井軍の行列では浅井長政が、
「公方様の上洛を手伝ったのに褒美の一つもないなんてあり得るのかっ!」
行軍中でそう大声で文句を言っていた。
そうなのだ。
浅井長政はその他大勢に紛れていて完全に忘れられていた。
ちゃんと将軍宣下の日の細川藤孝の屋敷の能の会にも末席に座り、足利義昭の宴会にも数回ちゃんと出席してたのに。
信じられない事に褒美は何も貰えなかった。
実弟の浅井政元が、
「兄上、声が大きいですって」
「聞こえても構わんわっ、 恩知らずの公方(呼び捨て)めっ!」
「兄上、だから・・・」
「織田もだ。義弟殿とか言って持ち上げておいて褒美の斡旋も公方(呼び捨て)にせずにっ! 我が領内を通らねば上洛一つ出来なかった癖にっ! 自分だけ弾正忠の官位を貰ってっ!」
長政は意外とケチ臭い男であった。
「兄上、それ以上は・・・」
「構わん。織田も公方も絶対に許さんからなっ!」
そう吠え、政元は逆に冷静になって、
(織田に逆らう? 冗談じゃない。あの池田は異常だ。五回将棋を指して五回とも僅差で負かされたのだからな。後から来た一色殿なんてオレよりも下手な打ち手だったのにわざと僅差の勝負を演じていた。あんなのと戦ったら浅井は簡単に踏み潰されるぞ)
恒興と将棋を指して以降、織田に追従する方針に転換していたのだった。
ともかく、こうして浅井軍も帰っていた。
松平の援軍1000人も居たが、こちらは文句の一つも言わずに帰国したのだった。
◇
そして、である。
結構大変だった上洛も結果だけを外側から見れば、
岐阜から足利義昭を奉じて京に上洛。
瞬く間に畿内の五ヶ国(山城、大和、摂津、和泉、河内)を従えて、
僅か二月後には悠々と織田信長は岐阜に凱旋した訳で、外からは簡単にやってのけた風に見えてしまっていた。
越前の一乗谷の朝倉館では嫡子の阿君丸を失って放心状態だった朝倉義景がその報告を聞いて復活し、一門衆や家臣達に対して、
「おまえ達が反対ばかりするからだっ! 本来であれは烏帽子親の私が義昭殿を奉じて京に上洛して天下に号令を掛けていたものをっ! 二度と私の邪魔をするでないぞっ!」
そう喚き散らして当主権限を強くし、
甲斐の躑躅ヶ崎館では武田信玄が、
(織田が僅か二月で南近江、山城、大和、摂津、和泉、河内の6カ国を平らげて公方様を征夷大将軍に就けて美濃に凱旋とは。織田の兵が戻ったので美濃攻めはこれで不可能となり、駿河に攻めるしかない訳だが。駿河攻めに失敗したら笑い物だな。これは失敗は許されぬぞ)
ふんどしを締めて掛かる破目になったのだった。
登場人物、1568年度
正親町天皇(51)・・・第106代天皇。元号、弘治、永禄。関白、近衛前久。
能力値、???
【池田恒興、ポロッと信長が弾正忠なら受け取ると義昭に教えた説、採用】
【二条晴良、近衛前久との権力争いが勝利だと確信してる説、採用】
【明智光秀、この時既に義昭を見限り信長に忠誠を誓ってる説、採用】
【細川藤孝、この時既に義昭を見限り信長に忠誠を誓ってる説、採用】
【足利義昭の将軍宣下、十月十八日、宣下、十月二十二日、参内の歴史を無視して、十月十八日に参内して宣下説、採用】
【織田信長、弾正忠の官位、堺、大津、草津を貰った説、採用】
【浅井長政、忘れられてて上洛に参加したのに褒美がなかった説、採用】
大和国の平定によって畿内の三好三人衆陣営は一掃された。
それを受けて足利義昭は信長と一緒に十月十四日には再び上洛したのだが、その移動する行列の義昭の輿の護衛役として義昭の指名によって横に侍たのは恒興で、
「次はいよいよ将軍宣下ですね、公方様」
「まあな」
「義栄とかいう偽将軍の14代目は無効なんですから14代を引き継ぐでいいんですか?」
「いや、指名した朝廷の顔も立てねばならんらしくてな。15代だそうだ」
「何ですか、それ? 朝廷に文句を言ってやりましょうよ」
「必要ない。まずは征夷大将軍だ」
「なるほど、実を取るという奴ですね。さすがは公方様」
「これ、追従が過ぎるぞ、恒興」
と窘めながらも義昭は愉快そうに笑った。
本来であれば、恒興のこの義昭への接近は義昭を見捨てていない幕臣達からすれば快く思われていないはずなのだが、
和田惟政と一色藤長は賭け将棋でコテンパンにやられた為に何も言えず、
他の幕臣達は織田信長のお陰で上洛出来、畿内を一統出来たのだからこれくらいは気にも留めず、
最後の砦の三淵藤英は将軍宣下の準備で多忙な為に既に京に前乗りして行列に不在で、恒興は更に足利義昭に食い込んだのだった。
◇
京での足利義昭の御座所は本圀寺となった。
池田恒興も気に入られたので義昭の許に出ずっぱりである。
「何か不足なものはございませんか、公方様? すぐに信長様に言って御用意させますが」
「ないない。強いてあげるなら信長に副将軍か管領を受けるように説得してくれ」
「無理ですよ~、さすがにそれは」
「では斯波氏の家督の継承は? それならば可能であろう」
(本当に軽い男だな。気軽に言ってくれて)
恒興が真面目な顔で、
「そっちの方がもっと無理ですよ、公方様~」
「どうしてだ?」
「それはですね。例えばですね。本当に例えばですからね~」
と前置きしてから、
「信長様が足利家を力尽くで継いだらどう思います?」
「ふざけるな。絶対に許さんぞっ!」
義昭が例え話でも怒る中、恒興がすぐさま、
「それです」
「?」
「足利家の場合は日の本中で皆が公方様のように激怒します。斯波の家督でさえ尾張中が。そうなるのに『斯波氏を継げ』は酷いですよ~」
「・・・なるほど。尾張で問題となる訳か」
「はい。信長様が喜ぶ官位は弾正忠ですが現在、弾正忠の官位は惟政殿が所有ですからね。どの官位も欲しがらないと思いますよ」
との恒興のボヤキを聞き咎めた義昭が、
「ん? 副将軍を嫌がってるのに弾正忠の官位なら信長が喜んで受けるとはどういう事だ、恒興?」
「えっ? 信長様の家系は織田弾正忠家と言いまして、その官位を初代が受けてーーあれ、言ってませんでしたっけ?」
「初耳だぞ」
(本当に? 公方様と信長様、全然、意思疎通が取れてないな。信長様も弾正忠を頼んでないし。切り捨てる気満々って事か)
「結構有名なので公方様も知ってると思って誰も教えなかったって事ですかね」
「弾正忠、従五位下ではないか。そんなもので良いのか?」
「と思いますけど、聞いておきましょうか?」
「いや、驚かせたいので黙っていろ」
「はっ」
と答えて、とるに足らない事だと思い、恒興も信長に黙っていたのだった。
勝つ者が居れば負ける者も居る。
朝廷内では二条晴良が御機嫌で、
「義昭殿の将軍宣下、まさか異論はないでしょうな、前久殿?」
「無論です」
表情一つ変えずに近衛前久は答えたのだった。
まだこの時、前久は京を追われてはいなかった。
義昭が牙を剥くのは征夷大将軍になってからなのだから。
「義昭殿の正室も二条家から出しても?」
「おや、年頃の姫は居られなかったと記憶してますが?」
「養女で構わんでしょう」
「それは異論が出ると思いますよ。何でしたら、出しましょうか、我が近衛の姫を二条家の養女に」
「ふざけないでいただこうか、前久殿」
そんな神経戦を二人はやっていたのだった。
そして信長の家臣の恒興が足利義昭に接近したのと同じように、義昭の家臣でありながら織田信長に接近した者がいた。
細川藤孝と明智光秀である。
この二人はもう完全に足利義昭を見限っており、自分達の将来の為だけに動いていた。
つまりは織田家への士官である。
明智光秀の方は義昭がその傷を嫌っていた為に「信長への出向」という形で既に士官していたが、細川藤孝の方は名門中の名門なので義昭も手離さず、更には兄、三淵藤英も仕えていたので簡単に仕官とはいかなかった。
「池田殿が公方様の屋敷に出ずっぱりですが、よろしいのですか?」
藤孝が取り込まれたのを心配して問うたが、信長は心配せず、
「よいよい、オレがやらせているのでな。それよりも藤孝、おまえは明智同様有能だ。公方(呼び捨て)に尽くして一緒に沈むのはもったいない。オレに仕えろ」
「そうしたいのは山々ですが出向すら敵わず」
渋い顔をする藤孝に続いて光秀が、
「せめて勝龍寺城に与一郎を入れれないでしょうか?」
「それくらいならば勝が公方(呼び捨て)にねだれば可能であろう」
「池田殿が? 本当に?」
「あやつの大物への気に入られ方は凄いからな。まあ、公方(呼び捨て)が大物かは分からんが」
信長はそう笑ったのだった。
◇
十月十八日吉日。
足利義昭は御所へと参内した。
さすがに恒興や信長はもちろん、幕臣達の付き添いもなしである。
正親町天皇と御簾越しに謁見し、(関白の近衛前久の欠席によって)二条晴良が、
「清和源義昭を室町十五代、征夷大将軍に任ずる~」
「ははっ、有り難き幸せ~」
「日の本の事、頼んだぞ」
御簾越しから正親町天皇自らの声が掛かり、
「はは~、必ずや日の本を一続して御覧に入れまする~」
さすがの義昭も舞い上がってしまい、そんな大言を吐いてしまったのだった。
征夷大将軍の他に従四位下、参議と左近衛中将も任じられたのは言うまでもない。
その日の内に、細川藤孝の屋敷で義昭と信長は能の観覧を行った。
さすがに十三番の演目は長過ぎるので信長が五番に短縮させたが。
この能の観覧はおまけである。
重要なのは能を見ながらの義昭と信長の会談で、
「信長、副将軍を受けてくれ」
「だからそれはお断りさせていただきましたではありませんか」
「管領も駄目なのか?」
「はい」
「管領代も?」
「ええ」
「斯波氏の家督も?」
「要りませんな」
「余の妹を正室に迎えるというのは・・・まあ、それは止めるか。信長に足利家の家督を乗っ取られたら敵わんからな、ハッハッハッ」
「ハハハ、そのような事する訳が・・・」
信長がそう笑いながら、
(チッ、それは少しありだったが。もしかして勝が何かを吹き込んだのか?)
「では、弾正忠の官位は?」
「いえ、いりま・・・」
断ろうとした信長がピクリと片眉を上げて固まった。
次にした事は周囲を見渡して恒興を探した事である。
だが能なんてつまらないものの見学で時間を浪費したくない恒興は居らず
(勝め。口を滑らせたな)
と憤りながら、
「弾正忠の官位は和田殿の官位だったと記憶しておりましたが?」
「とっくに伊賀守を与えて返上させた」
「公方様には敵いませんな。公方様の顔を立てて、弾正忠の官位であればありがたく」
「では、すぐに手筈を整えよう。他には何か欲しいものはないか? 正直、『上洛を手伝って貰ったのに何もいらない』では余の方が気持ち悪くてな」
「六角の領土の南近江だけで十分でございますよ」
「そう言わずに」
「そこまでおっしゃるのでしたら、堺、大津、草津に織田の代官を置く許可を下さい」
信長はさらりと頼んだ
正直、「貪欲極まり」である。
大津と草津に代官を置くという事は琵琶湖の京側の湖運を支配するという事で、堺の代官は南蛮、明の貿易船から税を取るという事なのだから。
はっきり言って滅茶苦茶儲かるのが目に見えていたのだが。
足利義昭は意味すら理解しておらず、
「ん? そんなもので良いのか」
「はい」
「では与えよう。足利家の桐紋と二引紋と一緒に」
旗の話は当初の予定では義昭自身も考えてもいなかった条件であった。
「旗はさすがに・・・」
「逆らう者が居たら余の名と共に滅ぼすがよい」
との大言を吐いたのは征夷大将軍になった直後だったからである。
何せ、本日、それも今さっき内裏の帝の前で征夷大将軍に任じられたのだ。
今、調子に乗らないで、いつ調子に乗ると言うのだ。
よって大言を吐いて旗の使用許可を与えた訳だが、信長の方は能を見ながらも知的に眼を光らせて、
(将軍の旗の使用許可か。さすがは勝だのう。欲しいものが総て手に入ったわい)
そう思いながら、
「では、ありがたく使わせていただきます」
信長はそう礼を言って義昭に頭を下げたのだった。
◇
将軍宣下の翌日から起こった事は当然、京の公家と京の寺社の高僧による「義昭詣で」である。
京なのだ。
公家も僧侶もごまんといる。
当然、二条晴良とその派閥がしっかりと義昭を離さなかったが。
今更「トンビに油揚げをさらわれる」訳にはいかなかったので。
義昭の屋敷では連日昼間っから酒宴が開かれており、今や当たり前のように義昭の御前まで出られる恒興が今日も昼間から酔っ払ってる義昭を見て、
「うわ、今日も宴会ですか、公方様?」
「おお、恒興か。征夷大将軍となったら皆が手のひらを返してすり寄ってきおってな」
「まあ、誰だって公方様に顔と名前を覚えて貰いたいですからね~」
恒興が納得し、
「そんなものか?」
「そうですよ。公方様に名前を呼ばれただけで一生自慢出来るんですから~。オレなんてもう自慢してますし」
「調子の良い奴め。それで今日は何の用だ?」
「実は征夷大将軍としての仕事をしていただきたく」
「公家や高僧を相手に酒を飲むのも仕事の一つだと聞いたが・・・何か火急な案件でもあったか」
「あるじゃないですか、三好三人衆から分捕った城の城主決めが」
「そんなの信長が決めてよいぞ」
(嘘、本当に信長様が決めていいの? いやいや、さすがに駄目だろ。幕臣達がいい顔をしないし)
「勘弁して下さい。三淵殿に怒られてしまいますから」
「ん? そうなのか?」
「そうですよ。南近江と和泉はともかく畿内の采配は公方様が決めていただかないと。特に三好三人衆が入っていた山城国の勝龍寺城と摂津国の芥川山城は早急に」
「信長の考えは?」
「公方様の側近が望ましい、と。でも一色殿は駄目ですからね。出来れば戦働きの出来る人を」
「なら、明智と和田で」
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「細川をやる訳がなかろうが。そうだ、細川に任すか」
「では、その旨を三淵殿にお伝え下さい」
「恒興から伝えよ」
「公方様、それは駄目ですよ。三淵殿だっていつもは苦言ばっかり言ってますが、本当は公方様に声を掛けて貰いたいんですから。放っておくとすねちゃいますよ」
「やれやれだのう」
そう笑いながら義昭は三淵藤英に命令を出したのだった。
義昭が酒に酔っていたので幕府が論功行賞の素案を決めた。
その幕府の体制だが、
兄の義輝の時と同じく政所執事には摂津晴門を添え、
奉公衆には三淵藤英、細川藤孝、和田惟政、上野秀政、曾我助乗、伊丹親興、池田勝正を置いた。
それらが考えた配置を義昭が追認した事で、
摂津国は、
池田城主、池田勝正。
伊丹城主、伊丹親興。
芥川山城主、和田惟政。
この三人が所領の安堵や新たに領地を与えられ、「摂津三守護」となった。
河内国は、
高屋城主、畠山秋高(紀伊国守護も兼務)。
若江城主、三好義継。
この二人が半国ずつ統治し、「河内二守護」となり、
大和国では、
多聞山城主、松永久秀。
が切り取りを条件に「大和守護」としての一国支配が認められた。
山城国では守護を置かず、
京の伏見城主、三淵藤英。
勝龍寺城主、細川藤孝。
これらが配置されて「京の南部」を防衛した。
和泉国には堺がある。
信長が堺を望んだ事で守護は置かれず堺は信長の直轄領となり、家老の佐久間信盛が代官を派遣して、残る和泉国は三好三人衆の領土は没収の上、織田家の直轄領、他は所領安堵となったのだった。
その信長の宿泊先には美濃からの報告が多数届いていた。
武田信玄が甲斐と信濃で兵の動員を掛けたからだ。
駿河に攻めるのならば良いが、ガラ空きの美濃が狙われたら本当に拙い事になる。
それに予定していたよりも早く畿内の制圧が終わったので織田軍の帰国が可能となっていた。
まあ、美濃と北伊勢の兵は畿内に敵が居なくなった時点でさっさと帰国させているが。
美濃と北伊勢の雑兵は農民なので余り無理をさせると使い物にならなくなるので。
信長が十月二十四日に京より美濃に帰る事が決まり、
足利義昭からは信長を「幕府殿御父」と呼ぶ恥ずかしい書状が送られた。
その書状が後世まで残った事で、後世でも義昭は無能扱いされる事になるのだが。
ともかく帰国の日、前日の「義昭詣で」で二日酔いの義昭が、
「イタタ、まだ昨日の酒が抜けぬわ。見送らねばならんのか?」
「さすがに見送るくらいはせねば『薄情だ』と公方様の評判に傷が」
一色藤長の進言により、
「分かった。見送ろう」
そんな訳で見送る事となり、
「では、我らはこれで」
馬上から信長が発言し、
「うむ。またな、信長」
「はっ」
信長が返事をして後続の恒興が、
「では公方様」
「うむ、恒興も達者でな」
「はっ」
馬上よりお辞儀して東に帰っていったのだった。
本当に慌ただしい上洛戦だった。
その為、信長も、義昭も、恒興も、悪知恵の勝家も、幕府方の三淵藤英も、完全に見落としていた。
竹中重治だけは見落していなかったが、わざと黙っていた。
◇
何の事かと言うと、
織田軍の帰国部隊の行列に混じってる浅井軍の行列では浅井長政が、
「公方様の上洛を手伝ったのに褒美の一つもないなんてあり得るのかっ!」
行軍中でそう大声で文句を言っていた。
そうなのだ。
浅井長政はその他大勢に紛れていて完全に忘れられていた。
ちゃんと将軍宣下の日の細川藤孝の屋敷の能の会にも末席に座り、足利義昭の宴会にも数回ちゃんと出席してたのに。
信じられない事に褒美は何も貰えなかった。
実弟の浅井政元が、
「兄上、声が大きいですって」
「聞こえても構わんわっ、 恩知らずの公方(呼び捨て)めっ!」
「兄上、だから・・・」
「織田もだ。義弟殿とか言って持ち上げておいて褒美の斡旋も公方(呼び捨て)にせずにっ! 我が領内を通らねば上洛一つ出来なかった癖にっ! 自分だけ弾正忠の官位を貰ってっ!」
長政は意外とケチ臭い男であった。
「兄上、それ以上は・・・」
「構わん。織田も公方も絶対に許さんからなっ!」
そう吠え、政元は逆に冷静になって、
(織田に逆らう? 冗談じゃない。あの池田は異常だ。五回将棋を指して五回とも僅差で負かされたのだからな。後から来た一色殿なんてオレよりも下手な打ち手だったのにわざと僅差の勝負を演じていた。あんなのと戦ったら浅井は簡単に踏み潰されるぞ)
恒興と将棋を指して以降、織田に追従する方針に転換していたのだった。
ともかく、こうして浅井軍も帰っていた。
松平の援軍1000人も居たが、こちらは文句の一つも言わずに帰国したのだった。
◇
そして、である。
結構大変だった上洛も結果だけを外側から見れば、
岐阜から足利義昭を奉じて京に上洛。
瞬く間に畿内の五ヶ国(山城、大和、摂津、和泉、河内)を従えて、
僅か二月後には悠々と織田信長は岐阜に凱旋した訳で、外からは簡単にやってのけた風に見えてしまっていた。
越前の一乗谷の朝倉館では嫡子の阿君丸を失って放心状態だった朝倉義景がその報告を聞いて復活し、一門衆や家臣達に対して、
「おまえ達が反対ばかりするからだっ! 本来であれは烏帽子親の私が義昭殿を奉じて京に上洛して天下に号令を掛けていたものをっ! 二度と私の邪魔をするでないぞっ!」
そう喚き散らして当主権限を強くし、
甲斐の躑躅ヶ崎館では武田信玄が、
(織田が僅か二月で南近江、山城、大和、摂津、和泉、河内の6カ国を平らげて公方様を征夷大将軍に就けて美濃に凱旋とは。織田の兵が戻ったので美濃攻めはこれで不可能となり、駿河に攻めるしかない訳だが。駿河攻めに失敗したら笑い物だな。これは失敗は許されぬぞ)
ふんどしを締めて掛かる破目になったのだった。
登場人物、1568年度
正親町天皇(51)・・・第106代天皇。元号、弘治、永禄。関白、近衛前久。
能力値、???
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