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1568年、15代将軍、足利義昭
芥川山城詣で
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【織田信長、松永久秀と会見した説、説】
【足利義昭、松永久秀と三好義継を美濃尾張方針で一先ず許した説、採用】
【松永久秀、九十九髪茄子を義昭ではなく信長に進呈した説、採用】
【今井宗久、茶器を信長に進呈した説、採用】
【細川駿河入道、本物の織田信長に遭う事なく殴られて門前払いされた説、採用】
【池田恒興、賭け将棋でカモりまくった説、採用】
【池田恒興、賭け将棋でイカサマをする説、採用】
【池田恒興、賭けないと将棋が弱い説、採用】
【池田恒興、将棋に負けて足利義昭に気に入られた説、採用】
十月四日。
遂に大和国の松永久秀と三好義継が信長の滞在している芥川山城まで挨拶にやってきた。
「松永弾正久秀にございます」
「おお、その方が蝮の七掛け男か」
信長はそう笑い、
(なるほど、さすがは勝だ。確かに美濃の舅が十ならこやつは七だな。油断ならぬ)
「はい?」
「なに、我が配下がお主の事を美濃の斎藤道三を十としたら七と評したのでな」
「それは・・・美濃の道三殿と比べていただけただけで恐悦至極に存じまする」
「ふむ。それでそちらが」
「三好左京大夫義継と申します」
義継も挨拶した。
(こっちはまだ若僧で取るに足らんな)
「うむ、信長だ」
と尊大に挨拶してから、
「さて、松永。賭けの話は聞いておるか?」
「織田殿が伊勢を今年中に平らげたら配下になる話ですな」
「うむ。公方様の上洛を挟んだのでな。来年まで延ばせんか?」
「敵いませんな。では、それで」
と会話していると、同じ芥川山城に滞在中の足利義昭がやってきた。
「信長、きてやったぞ」
かなり不機嫌そうである。
当然だ。
松永久秀は兄の将軍義輝が死んだ時、大和国に居たので永禄の変には噛んでいない。
だが、三好義継の方は確実に噛んでいたのだから。
「若輩ゆえ許せ」と言われても困る。
というか、信長なら絶対に「そんなの関係あるか」と殺してるのに、それを足利義昭に強いているのだから。
「公方様のおなりだ」
信長がそう教えると、
「ははっ!」
「これは」
松永久秀が大袈裟に、三好義継が背筋を正して頭を下げた。
「こちらが松永久秀です」
(義昭の登場は最初から決まっていたので)開いてた最上位の上座に座った義昭に信長が教え、下座を睨んだ義昭が、
「うむ。この男が兄の死の際に大和国に居た事は判明しておる。許そう」
「ありがとうございまするっ!」
松永久秀は大袈裟に頭を下げて喜んだのだった。
「そしてこの者が三好宗家の当主、義継です」
「若いな。聞けば兄が死んだ時はまだ16だったとか」
「はっ」
「その際、おまえが三好軍に命令を下したのか?」
義昭のその質問で廊下から殺気が放たれ始めた。
(これは・・・返答次第で殺すつもりか)
久秀が片眉を上げる中、
「いえ、何の権限もありませんでした。こちらの松永が三好家から追放させられて以降は三好三人衆のお飾りでしたので」
「ふむ。どうしたものかのう?」
足利義昭がそう顎を指先で撫でた。
信長が、
「『助ける』というお約束のはずですが」
「兄を殺した三好三人衆の御首級がまだ届かんからな~。聞けば、岩成友通を取り逃がしたとか」
ちくちくと失態を義昭が責め、
(チッ、コイツ)
と思いながらも、
「仕えぬ部下を派遣して申し訳ございません」
信長が形ばかりの謝罪をしたのだった。
それを目撃した松永久秀が内心でニヤリとしながら、
(・・・頭こそ下げてはいるが眼は臣従しておらん、か)
「仕方ない。コヤツも許そう」
「ありがとうございます」
廊下の殺気に全く気付いていない三好義継が呑気にそう感謝したが、松永久秀の方は廊下の殺気が収まって安堵した。
「但し、三好三人衆は許さぬからな」
「ははっ」
「松永の息子もだ。高野山にでも預けよ」
「ははっ!」
久秀のその返事で、
「では、信長。後は任せたぞ」
義昭は席を立って奥に引っ込んでいった。
「そういう事となった。覚悟するようにな」
「そうそう、織田殿にはこれを」
「何だ、これは?」
「茶器『九十九髪茄子』にございまする」
「凄いのか?」
興味なさそうに信長が問い、久秀が悪そうな顔で、
「はい。京の帝にも自慢出来るほどに」
「ほう、それは凄い。貰っておこう」
信長は価値も分からずに茶器を貰ったのだった。
松永久秀や三好義継だけではない。
池田城主の池田勝正も挨拶にやってきており、足利義昭は内心では「面倒な」と思ったが、信長も同席の謁見で、
「余に味方してくれた事、嬉しく思うぞ、勝正」
(本当に弱そうだな。僧だったのならば仕方ないか)
と思いながらも、勝正は、
「ははっ、公方様の戦働きの先鋒はこの池田勝正にお申し付けくださりませ」
などと会見したのだった。
その他にも、近江、山城、摂津、河内、和泉、丹波、播磨の国衆達が挙って挨拶に来ていた。
これにより「五畿内と近国が将軍の御手に属す」などと噂されたのだった。
足利義昭にではなく織田信長個人に遭いきた者は更に居り、
武家に留まらず、堺の豪商、今井宗久も戦勝祝いにやっており、
「堺で商いをやらせていただいております、納屋の今井宗久と申します。この度は畿内平定、おめでとうございまする」
「ふむ、堺の商人のう」
信長はつまらなそうに宗久と会見した。
信長が商人ごときと遭ったのは尾張津島の商人達か侮れなかったからだが。
「こちらはお祝いの品でございます」
「ん? 茶器か?」
「はい。『松島』、それに『茄子』でございまする」
「また茄子か」
「またとは?」
「大和の松永にも貰ってな」
「松永殿の『茄子』? も、もしや、『九十九髪』では?」
「だったと思うが」
「見せていただいても?」
という訳で、小姓頭の堀秀政が持ってきたのを見て、
「ま、まさか、本物とは」
「これ、凄いのか?」
「はい、城が買え、京の帝にも自慢出来る程に。元々は足利三代、義満公の所蔵の品でして・・・」
その後も宗久が講釈を垂れて、信長もこの茶器が凄い事だけは理解したのだった。
武家や豪商だけではない。
幕臣も摂津の芥川山城にやってきていた。
それも14代将軍、足利義栄の遺臣、つまりは義昭陣営が「偽将軍」と称している者に仕えた裏切り者の幕臣が、である。
門前で織田兵に止められる中、
「よいのだ、ワシは。上総介とは昵熟なのだからな。嘘だと思うのならば聞いてみよ。馬鹿者、上総介とはお主らの主君の織田信長の事ではないか。それくらいの事は知っておけっ!」
そう騒いでるのは美濃で織田信長と会見して「美濃を斎藤龍興に返せ」と言ってきた細川駿河入道である。
その時、遭った信長は池田恒興だったのだが、沈んだ幕府から新たな幕府に乗り換えるべくやってきており、
その話はすぐに義昭へ挨拶に来ていた国衆と会見中の信長の耳にも入り、
「公方様、偽将軍の幕臣が芥川山城にやってきて公方様との謁見を求めておりますが、如何取り計らいましょう?」
それには足利義昭が不機嫌そうに、
「会う訳がなかろうが。追い返せ、信長」
「こちらでは本当に幕臣かも分からず。三淵殿をお借りしても」
「ああ。大和守、追い返してこい」
「はっ」
廊下に控えていた三淵藤英が命令を受けて城門の前まで出向き、
城門で足止めされてる細川駿河入道の前に現れた。
「おお、三淵家の息子か。久しぶりだのう、立派になって」
「これは細川入道殿。偽公方に与していたと聞きましたが、何かこちらの公方様に御用ですかな?」
「無論、お味方したく参上をーー」
「公方様のお言葉はこうです。『義栄に仕えた者など配下に加える訳がなかろうが。いつ寝首を掻かれるのか分からんのに。追い返せ』。ですので、どうぞ、お引き取りを、細川殿」
「それは狭量というものだぞ。ワシの方から公方様に説明するので遭わせては・・・」
「必要ありませんな。何をしてる。叩き出せ。おっと、20回槍の柄で殴ってからな」
爽やかな顔で藤英が織田兵に命令した。
余りの爽やかさに門番の兵が驚きながら、
「よ、よろしいのですか?」
「偽将軍に与したのだぞ、良いに決まってるではないか。さっさとやるとよい」
偶然、城外の用事(兵糧の輸送)を終えて戻ってきて城門の騒動に居合わせた家老の柴田勝家が、
「構わん、やれ」
追認したので門番の兵が遠慮なく、
「なっ、待て。ワシはもう老人・・・ぐぼっ! ぐげえぇっ! ワシと上総介は昵懇の間柄だぞ。後で罰するよう・・・ぐびゃああ」
20発槍の柄で殴ったのだった。
老人なのでピクリとも動かなくなったが。
三淵藤英が勝家に、
「本当にこの男と織田殿は昵懇だったので?」
「まさか」
そう笑った勝家が小声で、
「(偽将軍の使いに偽信長を会わせただけです。今年の二月に『美濃を斎藤龍興に返せ』と来ました際に)」
「(偽信長とは?)」
「(信長様の傍の池田というのが居りますでしょう? あの男が信長様のふりをして遭い、その際に調子良く相手をしたものですから。あの幕臣も昵熟だと勘違いしたのでしょう)」
「なるほど」
得心がいったとばかりに藤英は奥へと戻っていったのだった。
◇
多数の会見が行われたその裏で恒興はちゃんとヤラカシていた。
公方、足利義昭と昵懇になってしまったのだ。
事の起こりは将棋である。
各地の国衆との会見の最中に廊下に控えて取り次ぎをする役など馬鹿らしく、別室で恒興と和田惟政が息抜きをしており、
「今日は後、何組でしたっけ?」
「事前の申請は17家だが、まだまだ増えるだろうな」
「うんざりですね」
「全くだ。そうだ、ここに将棋があるんだが池田殿は打てるか、将棋は?」
誘ったのは和田惟政の方である。
「ええ、多少は」
嘘である。
尾張で池田恒興に将棋を挑む奴はいない。
絶対に恒興と将棋をやってはいけない事は尾張の人間ならば誰もが知っている事なのだから。
だが、和田惟政は知らずに、
「一勝負しますか?」
そして将棋が始まったのだが、言葉巧みに恒興が、
「何かを賭けましょうか?」
「じゃあ、五十文」
こうして賭け将棋が始まり、
八回連続で恒興が将棋に勝った結果、
「ちくしょう、持ってけ泥棒っ!」
和田惟政はふんどし一丁の状態で着ていた着物を恒興に投げ付けていた。
二本差しはとっくに巻き上げられている。
「おや、もう止めるんですか、惟政殿? 今回もギリギリの良い勝負だったのに? 五百貫支払うという証文でも構いませんよ。オレが1回負ければ全部をお返ししますから」
「言ったな、恒興っ! 受けてやる、その勝負っ!」
完全にカモられてる和田惟政が更に勝負に乗り、
騒動を聞き付けた信長がその部屋に乱入し、
「こら、勝っ! オレがやりたくもない見ず知らずの畿内の国衆と会見してるってのに、何を遊んで・・・」
室内を見渡せば、部屋の片隅でふんどし姿の惟政が魂が抜けた放心状態で座って天井をぼんやりと眺めており、将棋盤の横側では浅井政元がふんどし姿で青ざめて座っており、恒興と将棋盤を挟んだ対面では一色藤長が着物こそ着ていたが青ざめながら敗北した盤面を見詰めて座っていた。
「勝、この三人からどれだけカモったんだ?」
「銭はたったの4200貫ですよ、信長様。浅井政元殿からは鉄砲70挺、一色殿からは官位の式部少輔と年頃の娘一人をいただきましたけど」
恒興の言葉を聞いて信長は一瞬、立ち眩みを覚えた。
正々堂々と将棋を打ち、実力で勝ったのならばまだいい。
だが、恒興はバレなければズルをしてもいいという考えの持ち主なので、
二歩すり替え(歩を打てる場合、二歩だと打てないので盤上の歩を抜く事)は当たり前。
相手が視線を外した隙に盤上の駒を動かす事も平気でやった。
将棋でカモった相手は幕臣二人と、浅井家当主の実弟だ。
素で打ってればいいがイカサマをしてて「イカサマをした」とバレたら大変な事になる。
「オレが会見をしてるのに遊んでた罰だ」
信長が8枚の証文を奪い、
「まあ、ある時に渡してくれればいいですから」
恒興が優しく三人に声を掛けたが、信長がきっぱりと、
「これは上洛祝いとしてオレが貰っておく」
「ええ~、信長様、それはさすがに御無体・・・」
澄ました静かな信長の顔色を見て、「あっ、怒った」と気付いた恒興は黙り込んだ。
「何でもありません。進呈します」
「当然だ。ほら、行くぞ」
こうして恒興は信長に連れられて部屋を出たのだが、
狭く、そして噂に飢えた芥川山城の城内だ。
あっという間に足利義昭の耳にも入り、恒興は御前に呼ばれた。
「池田、その方、将棋が強いらしいな」
「いえ、あれらの勝利は偶然の産物でして」
「余と一局、勝負せよ」
「勝ったら紀伊守に推挙して下さいね」
「それは駄目だな。誰かが持っておったから」
「ええ~」
「ほれ、勝負だ」
将棋盤が用意され、勝負をしたのだが、恒興は何かを賭けてないと本気になれず弱いのでコテンパンに負けたのだった。
「さすがは公方様ですね。こんなに強い人と対戦したのは初めてですよ」
褒められて悪い気はしない義昭が、
(なかなか可愛げがあるではないか)
と思ってしまい、気付けば、
「池田、おまえを余の配下にしてやっても良いぞ」
と言っていた。
だが、恒興の返事は、
「そんな事になったら前の公方様が夢枕に立って『余には二番と言った癖に弟に仕えるとは何事だ』とお怒りになられますので、それだけは御容赦ください」
「そう言えば、そんな話もあったな。周囲から聞いたが塀から落ちたのが池田なのであろう?」
「そうなんですよ。いきなり瓦が落ちる変な仕掛けがされてて。その上、明智殿が斬ろうとするんですから大変でしたよ、あの時は」
「京はそんなに危険なのか?」
「大和の偽公方陣営に与する敵を片付ける為に別動隊が派遣されるそうですので、それを倒せば大丈夫だと思いますよ」
「余が征夷大将軍になったら、信長には副将軍か管領代になって貰おうと思ったのだが『要らん』と言われた。どうしてだ?」
相談事もされた。
恒興は内心で、
(もっと感謝しながら渡さないからだろ。渡し方が軽いんだよ)
と呆れたが、口では、
「織田は出来星大名ですからね。副将軍や管領代なんて貰ったら他の大名達から敵視されますし。遠慮したのでしょ、きっと」
「そんなものか?」
「そうですよ。それにそろそろ我々は美濃に帰りますし」
「んっ? ずっと京に居るのではないのか?」
「居たいのですが・・・まあ、公方様になら教えてもいいか。ここだけの話、問題がありまして」
「? どんな?」
「甲斐の武田ですよ。極秘に兵を徴集してるとの噂が立っていますので」
「武田は今川を攻めると大和守に聞いたが?」
「そう油断させておいて美濃の可能性もあり、防衛の為に美濃に戻る事になるかと」
「上杉との和議を斡旋してやったのに。恩知らずな奴だな、武田は」
「まったくですよ。織田に従うように命令書を送り付けてやって下さい、公方様。後、兄殺しを跡目に添えるな、とも」
「何だ、それは?」
「武田の嫡子が妙な死に方をしているのですよ。前の公方様から義の字をいただいた義信殿が」
世間話風に甲斐武田の悪口を吹き込んだのだった。
芥川山城の義昭の部屋で恒興が談笑しているのを庭越しの廊下から見た木下秀吉が、
「うひゃ~、さすがは勝様。速きこと風の如しだな~」
と称賛し、隣に居た寄騎の竹中重治が、
「本来ならば秀吉殿がやらねばならなかった事ですよ、あれは」
「そうなのか、竹中殿?」
「ええ、池田殿は嘘が下手ですから。余り近付け過ぎると織田の情報が筒抜けになる恐れがありますからね」
「勝様は口が軽いからな~」
秀吉はそう納得したのだった。
◇
十月六日の事である。
遂に京の朝廷から芥川山城に戦勝奉賀の勅使、万里小路輔房がやってきた。
「御上は大層喜んでおじゃりまする。義昭殿には太刀を、織田殿に十肴十荷を与えるとの事でおじゃりまする」
「ははっ!」
「ありがとうございまする」
義昭と信長は下賜された物をそれぞれ受け取ったのだった。
義昭にベッタリなのは信長の命令でもあるので、勅使との会見を終えた義昭との別室にて恒興が、
「京の帝から刀を貰うなんてさすがですね、公方様は」
「そうか? 刀なんて要らんのだがな」
「うわ~、凄い事言ってますよ、公方様、今」
「内緒だぞ」
「はい、無論」
恒興が今、気付いたとばかりに、
「あれ、そう言えば三淵殿は?」
「勅使を接待しておる。というかこちらの要望を伝えておるのだろう」
「将軍宣下の日程の調整に入った訳ですね」
「まあな。京に戻ってからだろうがな。信長はいつ京へ戻るのだ?」
「別動隊が北大和を制圧してからだと思いますよ」
「勝てるのだよな?」
真面目な顔をして義昭が質問したので、恒興が笑いながら、
「負ける方が難しいですよ、もう」
「どうしてだ?」
「公方様の御威光がありますからね、今の織田軍には」
「そういうオベンチャラはいらんぞ」
「いえ、本当です。我が一族の御本家、摂津池田の総領家の使いが戦場で言っていたでしょう。『聞いた事もない田舎大名の織田なんぞには恥ずかしくて降れないが、足利にならいくら降っても恥ではない』と。それが日の本の武将達の共通認識ですから。みんな、公方様になら簡単に降ってくれますから」
「つまり余のお陰という訳か」
「はい。公方様が居るだけで簡単に勝利が出来るんですから、もう負ける方が難しいんですよ」
そんなオベンチャラを恒興が言った所為で、足利義昭は後日、盛大な勘違いをやらかす事になる訳だが。
十月八日。
松永久秀の要請により、足利義昭からは細川藤孝と和田惟政が、信長からは佐久間信盛が2万の援軍を率いて大和国に出陣した。
実は十月五日の段階で、大和国からも筒井順慶、井戸良弘を始めとして多数の大和国の国衆が芥川山城にやってきて信長と義昭に会見を求めたのだが、
前日に会見した松永久秀が茶器「九十九髪茄子」を渡した直後に、
「大和国を貰えるのならば大和国の他の国衆に会わないでいただければ今後の展開が楽なのですが」
「そこは嘘でも『偽将軍の陣営に加わった反逆者だから遭わないで下され』と言わんか、松永」
「実際に偽公方陣営に加わっておりますぞ、そやつらは。『ワシを攻撃した』という事は『三好三人衆に与した』という事なのですから」
「ならば最初からそう言え」
信長が久秀の提案を承諾した為に、
偽将軍陣営扱いされて大和国の国衆は誰も会えなかったのだ。
そして、これらの大和国の国衆達は朝敵として攻められ、(松永久秀と三好義継の軍が合流して)3万の兵を相手に勝てる訳もなく、そもそも最初から足利義昭陣営とは戦う気もなかったので呆気なく次々と降伏し、大和国を任された松永久秀に人質を出して、大和国制圧戦は誰も抵抗する事なくあっという間に終了したのだった。
登場人物、1568年度
今井宗久(48)・・・堺の豪商。通称、彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。茶湯の天下三宗匠の一人。銭の嗅覚が異常。
能力値、銭嗅ぎの宗久、堺の顔役、茶の名人S、信長を買うSS、賄賂贈り☆、義昭も抑える☆
万里小路輔房(26)・・・公卿。官位は参議。父は万里小路惟房。母は畠山家俊の娘。戦勝の勅使として名を残す。おじゃる言葉は仕事の時だけ。貧困公家。
能力値、公家以外を見下しの輔房B、畠山派閥A、貧困公家C、おじゃる言葉は仕事の時だけSS、総ては御上の為B、朝廷での待遇B
【足利義昭、松永久秀と三好義継を美濃尾張方針で一先ず許した説、採用】
【松永久秀、九十九髪茄子を義昭ではなく信長に進呈した説、採用】
【今井宗久、茶器を信長に進呈した説、採用】
【細川駿河入道、本物の織田信長に遭う事なく殴られて門前払いされた説、採用】
【池田恒興、賭け将棋でカモりまくった説、採用】
【池田恒興、賭け将棋でイカサマをする説、採用】
【池田恒興、賭けないと将棋が弱い説、採用】
【池田恒興、将棋に負けて足利義昭に気に入られた説、採用】
十月四日。
遂に大和国の松永久秀と三好義継が信長の滞在している芥川山城まで挨拶にやってきた。
「松永弾正久秀にございます」
「おお、その方が蝮の七掛け男か」
信長はそう笑い、
(なるほど、さすがは勝だ。確かに美濃の舅が十ならこやつは七だな。油断ならぬ)
「はい?」
「なに、我が配下がお主の事を美濃の斎藤道三を十としたら七と評したのでな」
「それは・・・美濃の道三殿と比べていただけただけで恐悦至極に存じまする」
「ふむ。それでそちらが」
「三好左京大夫義継と申します」
義継も挨拶した。
(こっちはまだ若僧で取るに足らんな)
「うむ、信長だ」
と尊大に挨拶してから、
「さて、松永。賭けの話は聞いておるか?」
「織田殿が伊勢を今年中に平らげたら配下になる話ですな」
「うむ。公方様の上洛を挟んだのでな。来年まで延ばせんか?」
「敵いませんな。では、それで」
と会話していると、同じ芥川山城に滞在中の足利義昭がやってきた。
「信長、きてやったぞ」
かなり不機嫌そうである。
当然だ。
松永久秀は兄の将軍義輝が死んだ時、大和国に居たので永禄の変には噛んでいない。
だが、三好義継の方は確実に噛んでいたのだから。
「若輩ゆえ許せ」と言われても困る。
というか、信長なら絶対に「そんなの関係あるか」と殺してるのに、それを足利義昭に強いているのだから。
「公方様のおなりだ」
信長がそう教えると、
「ははっ!」
「これは」
松永久秀が大袈裟に、三好義継が背筋を正して頭を下げた。
「こちらが松永久秀です」
(義昭の登場は最初から決まっていたので)開いてた最上位の上座に座った義昭に信長が教え、下座を睨んだ義昭が、
「うむ。この男が兄の死の際に大和国に居た事は判明しておる。許そう」
「ありがとうございまするっ!」
松永久秀は大袈裟に頭を下げて喜んだのだった。
「そしてこの者が三好宗家の当主、義継です」
「若いな。聞けば兄が死んだ時はまだ16だったとか」
「はっ」
「その際、おまえが三好軍に命令を下したのか?」
義昭のその質問で廊下から殺気が放たれ始めた。
(これは・・・返答次第で殺すつもりか)
久秀が片眉を上げる中、
「いえ、何の権限もありませんでした。こちらの松永が三好家から追放させられて以降は三好三人衆のお飾りでしたので」
「ふむ。どうしたものかのう?」
足利義昭がそう顎を指先で撫でた。
信長が、
「『助ける』というお約束のはずですが」
「兄を殺した三好三人衆の御首級がまだ届かんからな~。聞けば、岩成友通を取り逃がしたとか」
ちくちくと失態を義昭が責め、
(チッ、コイツ)
と思いながらも、
「仕えぬ部下を派遣して申し訳ございません」
信長が形ばかりの謝罪をしたのだった。
それを目撃した松永久秀が内心でニヤリとしながら、
(・・・頭こそ下げてはいるが眼は臣従しておらん、か)
「仕方ない。コヤツも許そう」
「ありがとうございます」
廊下の殺気に全く気付いていない三好義継が呑気にそう感謝したが、松永久秀の方は廊下の殺気が収まって安堵した。
「但し、三好三人衆は許さぬからな」
「ははっ」
「松永の息子もだ。高野山にでも預けよ」
「ははっ!」
久秀のその返事で、
「では、信長。後は任せたぞ」
義昭は席を立って奥に引っ込んでいった。
「そういう事となった。覚悟するようにな」
「そうそう、織田殿にはこれを」
「何だ、これは?」
「茶器『九十九髪茄子』にございまする」
「凄いのか?」
興味なさそうに信長が問い、久秀が悪そうな顔で、
「はい。京の帝にも自慢出来るほどに」
「ほう、それは凄い。貰っておこう」
信長は価値も分からずに茶器を貰ったのだった。
松永久秀や三好義継だけではない。
池田城主の池田勝正も挨拶にやってきており、足利義昭は内心では「面倒な」と思ったが、信長も同席の謁見で、
「余に味方してくれた事、嬉しく思うぞ、勝正」
(本当に弱そうだな。僧だったのならば仕方ないか)
と思いながらも、勝正は、
「ははっ、公方様の戦働きの先鋒はこの池田勝正にお申し付けくださりませ」
などと会見したのだった。
その他にも、近江、山城、摂津、河内、和泉、丹波、播磨の国衆達が挙って挨拶に来ていた。
これにより「五畿内と近国が将軍の御手に属す」などと噂されたのだった。
足利義昭にではなく織田信長個人に遭いきた者は更に居り、
武家に留まらず、堺の豪商、今井宗久も戦勝祝いにやっており、
「堺で商いをやらせていただいております、納屋の今井宗久と申します。この度は畿内平定、おめでとうございまする」
「ふむ、堺の商人のう」
信長はつまらなそうに宗久と会見した。
信長が商人ごときと遭ったのは尾張津島の商人達か侮れなかったからだが。
「こちらはお祝いの品でございます」
「ん? 茶器か?」
「はい。『松島』、それに『茄子』でございまする」
「また茄子か」
「またとは?」
「大和の松永にも貰ってな」
「松永殿の『茄子』? も、もしや、『九十九髪』では?」
「だったと思うが」
「見せていただいても?」
という訳で、小姓頭の堀秀政が持ってきたのを見て、
「ま、まさか、本物とは」
「これ、凄いのか?」
「はい、城が買え、京の帝にも自慢出来る程に。元々は足利三代、義満公の所蔵の品でして・・・」
その後も宗久が講釈を垂れて、信長もこの茶器が凄い事だけは理解したのだった。
武家や豪商だけではない。
幕臣も摂津の芥川山城にやってきていた。
それも14代将軍、足利義栄の遺臣、つまりは義昭陣営が「偽将軍」と称している者に仕えた裏切り者の幕臣が、である。
門前で織田兵に止められる中、
「よいのだ、ワシは。上総介とは昵熟なのだからな。嘘だと思うのならば聞いてみよ。馬鹿者、上総介とはお主らの主君の織田信長の事ではないか。それくらいの事は知っておけっ!」
そう騒いでるのは美濃で織田信長と会見して「美濃を斎藤龍興に返せ」と言ってきた細川駿河入道である。
その時、遭った信長は池田恒興だったのだが、沈んだ幕府から新たな幕府に乗り換えるべくやってきており、
その話はすぐに義昭へ挨拶に来ていた国衆と会見中の信長の耳にも入り、
「公方様、偽将軍の幕臣が芥川山城にやってきて公方様との謁見を求めておりますが、如何取り計らいましょう?」
それには足利義昭が不機嫌そうに、
「会う訳がなかろうが。追い返せ、信長」
「こちらでは本当に幕臣かも分からず。三淵殿をお借りしても」
「ああ。大和守、追い返してこい」
「はっ」
廊下に控えていた三淵藤英が命令を受けて城門の前まで出向き、
城門で足止めされてる細川駿河入道の前に現れた。
「おお、三淵家の息子か。久しぶりだのう、立派になって」
「これは細川入道殿。偽公方に与していたと聞きましたが、何かこちらの公方様に御用ですかな?」
「無論、お味方したく参上をーー」
「公方様のお言葉はこうです。『義栄に仕えた者など配下に加える訳がなかろうが。いつ寝首を掻かれるのか分からんのに。追い返せ』。ですので、どうぞ、お引き取りを、細川殿」
「それは狭量というものだぞ。ワシの方から公方様に説明するので遭わせては・・・」
「必要ありませんな。何をしてる。叩き出せ。おっと、20回槍の柄で殴ってからな」
爽やかな顔で藤英が織田兵に命令した。
余りの爽やかさに門番の兵が驚きながら、
「よ、よろしいのですか?」
「偽将軍に与したのだぞ、良いに決まってるではないか。さっさとやるとよい」
偶然、城外の用事(兵糧の輸送)を終えて戻ってきて城門の騒動に居合わせた家老の柴田勝家が、
「構わん、やれ」
追認したので門番の兵が遠慮なく、
「なっ、待て。ワシはもう老人・・・ぐぼっ! ぐげえぇっ! ワシと上総介は昵懇の間柄だぞ。後で罰するよう・・・ぐびゃああ」
20発槍の柄で殴ったのだった。
老人なのでピクリとも動かなくなったが。
三淵藤英が勝家に、
「本当にこの男と織田殿は昵懇だったので?」
「まさか」
そう笑った勝家が小声で、
「(偽将軍の使いに偽信長を会わせただけです。今年の二月に『美濃を斎藤龍興に返せ』と来ました際に)」
「(偽信長とは?)」
「(信長様の傍の池田というのが居りますでしょう? あの男が信長様のふりをして遭い、その際に調子良く相手をしたものですから。あの幕臣も昵熟だと勘違いしたのでしょう)」
「なるほど」
得心がいったとばかりに藤英は奥へと戻っていったのだった。
◇
多数の会見が行われたその裏で恒興はちゃんとヤラカシていた。
公方、足利義昭と昵懇になってしまったのだ。
事の起こりは将棋である。
各地の国衆との会見の最中に廊下に控えて取り次ぎをする役など馬鹿らしく、別室で恒興と和田惟政が息抜きをしており、
「今日は後、何組でしたっけ?」
「事前の申請は17家だが、まだまだ増えるだろうな」
「うんざりですね」
「全くだ。そうだ、ここに将棋があるんだが池田殿は打てるか、将棋は?」
誘ったのは和田惟政の方である。
「ええ、多少は」
嘘である。
尾張で池田恒興に将棋を挑む奴はいない。
絶対に恒興と将棋をやってはいけない事は尾張の人間ならば誰もが知っている事なのだから。
だが、和田惟政は知らずに、
「一勝負しますか?」
そして将棋が始まったのだが、言葉巧みに恒興が、
「何かを賭けましょうか?」
「じゃあ、五十文」
こうして賭け将棋が始まり、
八回連続で恒興が将棋に勝った結果、
「ちくしょう、持ってけ泥棒っ!」
和田惟政はふんどし一丁の状態で着ていた着物を恒興に投げ付けていた。
二本差しはとっくに巻き上げられている。
「おや、もう止めるんですか、惟政殿? 今回もギリギリの良い勝負だったのに? 五百貫支払うという証文でも構いませんよ。オレが1回負ければ全部をお返ししますから」
「言ったな、恒興っ! 受けてやる、その勝負っ!」
完全にカモられてる和田惟政が更に勝負に乗り、
騒動を聞き付けた信長がその部屋に乱入し、
「こら、勝っ! オレがやりたくもない見ず知らずの畿内の国衆と会見してるってのに、何を遊んで・・・」
室内を見渡せば、部屋の片隅でふんどし姿の惟政が魂が抜けた放心状態で座って天井をぼんやりと眺めており、将棋盤の横側では浅井政元がふんどし姿で青ざめて座っており、恒興と将棋盤を挟んだ対面では一色藤長が着物こそ着ていたが青ざめながら敗北した盤面を見詰めて座っていた。
「勝、この三人からどれだけカモったんだ?」
「銭はたったの4200貫ですよ、信長様。浅井政元殿からは鉄砲70挺、一色殿からは官位の式部少輔と年頃の娘一人をいただきましたけど」
恒興の言葉を聞いて信長は一瞬、立ち眩みを覚えた。
正々堂々と将棋を打ち、実力で勝ったのならばまだいい。
だが、恒興はバレなければズルをしてもいいという考えの持ち主なので、
二歩すり替え(歩を打てる場合、二歩だと打てないので盤上の歩を抜く事)は当たり前。
相手が視線を外した隙に盤上の駒を動かす事も平気でやった。
将棋でカモった相手は幕臣二人と、浅井家当主の実弟だ。
素で打ってればいいがイカサマをしてて「イカサマをした」とバレたら大変な事になる。
「オレが会見をしてるのに遊んでた罰だ」
信長が8枚の証文を奪い、
「まあ、ある時に渡してくれればいいですから」
恒興が優しく三人に声を掛けたが、信長がきっぱりと、
「これは上洛祝いとしてオレが貰っておく」
「ええ~、信長様、それはさすがに御無体・・・」
澄ました静かな信長の顔色を見て、「あっ、怒った」と気付いた恒興は黙り込んだ。
「何でもありません。進呈します」
「当然だ。ほら、行くぞ」
こうして恒興は信長に連れられて部屋を出たのだが、
狭く、そして噂に飢えた芥川山城の城内だ。
あっという間に足利義昭の耳にも入り、恒興は御前に呼ばれた。
「池田、その方、将棋が強いらしいな」
「いえ、あれらの勝利は偶然の産物でして」
「余と一局、勝負せよ」
「勝ったら紀伊守に推挙して下さいね」
「それは駄目だな。誰かが持っておったから」
「ええ~」
「ほれ、勝負だ」
将棋盤が用意され、勝負をしたのだが、恒興は何かを賭けてないと本気になれず弱いのでコテンパンに負けたのだった。
「さすがは公方様ですね。こんなに強い人と対戦したのは初めてですよ」
褒められて悪い気はしない義昭が、
(なかなか可愛げがあるではないか)
と思ってしまい、気付けば、
「池田、おまえを余の配下にしてやっても良いぞ」
と言っていた。
だが、恒興の返事は、
「そんな事になったら前の公方様が夢枕に立って『余には二番と言った癖に弟に仕えるとは何事だ』とお怒りになられますので、それだけは御容赦ください」
「そう言えば、そんな話もあったな。周囲から聞いたが塀から落ちたのが池田なのであろう?」
「そうなんですよ。いきなり瓦が落ちる変な仕掛けがされてて。その上、明智殿が斬ろうとするんですから大変でしたよ、あの時は」
「京はそんなに危険なのか?」
「大和の偽公方陣営に与する敵を片付ける為に別動隊が派遣されるそうですので、それを倒せば大丈夫だと思いますよ」
「余が征夷大将軍になったら、信長には副将軍か管領代になって貰おうと思ったのだが『要らん』と言われた。どうしてだ?」
相談事もされた。
恒興は内心で、
(もっと感謝しながら渡さないからだろ。渡し方が軽いんだよ)
と呆れたが、口では、
「織田は出来星大名ですからね。副将軍や管領代なんて貰ったら他の大名達から敵視されますし。遠慮したのでしょ、きっと」
「そんなものか?」
「そうですよ。それにそろそろ我々は美濃に帰りますし」
「んっ? ずっと京に居るのではないのか?」
「居たいのですが・・・まあ、公方様になら教えてもいいか。ここだけの話、問題がありまして」
「? どんな?」
「甲斐の武田ですよ。極秘に兵を徴集してるとの噂が立っていますので」
「武田は今川を攻めると大和守に聞いたが?」
「そう油断させておいて美濃の可能性もあり、防衛の為に美濃に戻る事になるかと」
「上杉との和議を斡旋してやったのに。恩知らずな奴だな、武田は」
「まったくですよ。織田に従うように命令書を送り付けてやって下さい、公方様。後、兄殺しを跡目に添えるな、とも」
「何だ、それは?」
「武田の嫡子が妙な死に方をしているのですよ。前の公方様から義の字をいただいた義信殿が」
世間話風に甲斐武田の悪口を吹き込んだのだった。
芥川山城の義昭の部屋で恒興が談笑しているのを庭越しの廊下から見た木下秀吉が、
「うひゃ~、さすがは勝様。速きこと風の如しだな~」
と称賛し、隣に居た寄騎の竹中重治が、
「本来ならば秀吉殿がやらねばならなかった事ですよ、あれは」
「そうなのか、竹中殿?」
「ええ、池田殿は嘘が下手ですから。余り近付け過ぎると織田の情報が筒抜けになる恐れがありますからね」
「勝様は口が軽いからな~」
秀吉はそう納得したのだった。
◇
十月六日の事である。
遂に京の朝廷から芥川山城に戦勝奉賀の勅使、万里小路輔房がやってきた。
「御上は大層喜んでおじゃりまする。義昭殿には太刀を、織田殿に十肴十荷を与えるとの事でおじゃりまする」
「ははっ!」
「ありがとうございまする」
義昭と信長は下賜された物をそれぞれ受け取ったのだった。
義昭にベッタリなのは信長の命令でもあるので、勅使との会見を終えた義昭との別室にて恒興が、
「京の帝から刀を貰うなんてさすがですね、公方様は」
「そうか? 刀なんて要らんのだがな」
「うわ~、凄い事言ってますよ、公方様、今」
「内緒だぞ」
「はい、無論」
恒興が今、気付いたとばかりに、
「あれ、そう言えば三淵殿は?」
「勅使を接待しておる。というかこちらの要望を伝えておるのだろう」
「将軍宣下の日程の調整に入った訳ですね」
「まあな。京に戻ってからだろうがな。信長はいつ京へ戻るのだ?」
「別動隊が北大和を制圧してからだと思いますよ」
「勝てるのだよな?」
真面目な顔をして義昭が質問したので、恒興が笑いながら、
「負ける方が難しいですよ、もう」
「どうしてだ?」
「公方様の御威光がありますからね、今の織田軍には」
「そういうオベンチャラはいらんぞ」
「いえ、本当です。我が一族の御本家、摂津池田の総領家の使いが戦場で言っていたでしょう。『聞いた事もない田舎大名の織田なんぞには恥ずかしくて降れないが、足利にならいくら降っても恥ではない』と。それが日の本の武将達の共通認識ですから。みんな、公方様になら簡単に降ってくれますから」
「つまり余のお陰という訳か」
「はい。公方様が居るだけで簡単に勝利が出来るんですから、もう負ける方が難しいんですよ」
そんなオベンチャラを恒興が言った所為で、足利義昭は後日、盛大な勘違いをやらかす事になる訳だが。
十月八日。
松永久秀の要請により、足利義昭からは細川藤孝と和田惟政が、信長からは佐久間信盛が2万の援軍を率いて大和国に出陣した。
実は十月五日の段階で、大和国からも筒井順慶、井戸良弘を始めとして多数の大和国の国衆が芥川山城にやってきて信長と義昭に会見を求めたのだが、
前日に会見した松永久秀が茶器「九十九髪茄子」を渡した直後に、
「大和国を貰えるのならば大和国の他の国衆に会わないでいただければ今後の展開が楽なのですが」
「そこは嘘でも『偽将軍の陣営に加わった反逆者だから遭わないで下され』と言わんか、松永」
「実際に偽公方陣営に加わっておりますぞ、そやつらは。『ワシを攻撃した』という事は『三好三人衆に与した』という事なのですから」
「ならば最初からそう言え」
信長が久秀の提案を承諾した為に、
偽将軍陣営扱いされて大和国の国衆は誰も会えなかったのだ。
そして、これらの大和国の国衆達は朝敵として攻められ、(松永久秀と三好義継の軍が合流して)3万の兵を相手に勝てる訳もなく、そもそも最初から足利義昭陣営とは戦う気もなかったので呆気なく次々と降伏し、大和国を任された松永久秀に人質を出して、大和国制圧戦は誰も抵抗する事なくあっという間に終了したのだった。
登場人物、1568年度
今井宗久(48)・・・堺の豪商。通称、彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。茶湯の天下三宗匠の一人。銭の嗅覚が異常。
能力値、銭嗅ぎの宗久、堺の顔役、茶の名人S、信長を買うSS、賄賂贈り☆、義昭も抑える☆
万里小路輔房(26)・・・公卿。官位は参議。父は万里小路惟房。母は畠山家俊の娘。戦勝の勅使として名を残す。おじゃる言葉は仕事の時だけ。貧困公家。
能力値、公家以外を見下しの輔房B、畠山派閥A、貧困公家C、おじゃる言葉は仕事の時だけSS、総ては御上の為B、朝廷での待遇B
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