池田恒興

竹井ゴールド

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1568年、15代将軍、足利義昭

観音寺城の戦い

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 【織田上洛軍、公式には6万人だが、実際には7万人を動員していた説、採用】

 【織田上洛軍、兵糧の確保に失敗してた説、採用】

 【伊勢貞知、1524年生まれ説、採用】

 【足利義栄、フグ毒から回復せず重体説、採用】

 【観音寺城の戦い、何の山場もなく一日で決着説、採用】

 【織田上洛軍、六角の城々から兵糧を徴収してた説、採用】

 【足利義栄、死亡日、九月十三日説、採用】

 【阿波三好軍、足利義栄の崩御と共に織田軍が上洛する前に四国に帰国した説、採用】

 【足利義栄の死亡日が分からないのは阿波三好軍が遺体を阿波に運んだから説、採用】

 【不破光治、1529年生まれ説、採用】

 【足利義昭、南近江平定後に美濃から出発した説、採用】

 【柴田勝家、武田の為に上洛する織田軍の足を引っ張ろうと画策しようとしていた説、採用】

 【中村文荷斎、日野城の投降を阻止する為に高飛車に交渉した説、採用】

 【三好三人衆、足利義栄の死も犯人にされた説、採用】 

 【神戸友盛、1540年生まれ説、採用】

 【蒲生鶴千代、初対面で織田信長に気に入られた説、採用】






 この年の九月は日の本にとっての転換期の始まりとなった。





 信長公記曰く、九月七日。

 美濃の立政寺では信長が出陣の挨拶を足利義昭にしていた。

「これより南近江に攻め入り、公方様の上洛を邪魔する六角親子を蹴散らして參りまする」

「うむ、頼りにしてるぞ、信長」

「はっ、上洛の準備をしておいてくだされ。すぐに掃除致しますので」

 信長はそう言って颯爽と出陣し、義昭の方は、

「大言を吐きおって。そんなに簡単に上洛出来るのであれば苦労はしておらんわ」

 懐疑的に吐き捨てたのだった。





 信長公記曰く、九月八日には織田信長は高宮まで到着していた。

 高宮とは彦根市の事で、佐和山城からもその軍勢が見えた。

 佐和山城は後に丹羽長秀、堀秀政、石田三成が拝領するだけあり、近江国の重要拠点の一つである。

 軍事よりも経済面での。

 だが奪われたら困るので軍事的にも強化されてるが、佐和山城の物見櫓から到着した織田軍のまずは3万人を見下ろした浅井長政は、

「これが尾張、美濃、北伊勢を統治する織田の軍勢か。なんて兵力だ」

「心配せずとも大丈夫ですよ、兄上。織田軍は兵糧の確保に失敗しておりますれば。二十日もすれば浅井家に泣き付いてくるので、その際に浅井家の財力を思い知らせてやればよろしいでしょう」

 弟の浅井政元が軍兵の多さに飲まれた兄を慰めた。

「兵糧がない? まさか・・・」

「いえ、本当です。堺の商人が動いたそうですから。やったのは偽将軍の幕府の御供衆らしいですが」

「では、兵糧が足らなくなったら恩を着せればよいか」

 などと企んでおり、





 摂津の普門御所では老人の伊勢貞助が悪そうに、

「尾張の出来星大名が義昭を奉じて上洛ね~。米もないのに出来る訳が無かろうが」

 笑ったが、息子で義栄の御供衆の伊勢貞知が、

「父上、そちらに擦り寄る用意もした方が良いのではありませんか?」

「しっ、誰が聞いてるか分からぬのだ。不用意な事は言わぬように」

「はっ」

 貞知が畏まった。

 現在の普門御所は足利義昭の上洛軍の動向以上に神経を尖らせてる事があったのだ。

 ずばり14代将軍、足利義栄の健康状態である。

 フグ毒を盛られて治療して一命は取り留めた。

 これは確実である。

 だが、助かったとは言い難い。

 病床で寝たきりなのだから。

(せっかく将軍に就任させたのに・・・三好三人衆め、どこまでも祟ってくれる)

 そう貞助は溜息をついたのだった。





 ◇





 信長公記曰く、九月十二日。

 箕作城への攻撃が開始された。

 「観音寺城の戦い」の始まりである。

 織田軍の指揮官が佐久間信盛。

 麾下には丹羽長秀、木下秀吉の隊が居た。

 織田の箕作城方面軍の兵数は7300人。

 それに浅井政澄が指揮する浅井の援軍500人が居た。

 防衛側の将は六角親子ではない。

 それどころか記録に名前すら残っていなかった。

 とるに足らない武将だったのだろう。

 箕作城側の兵数は900人。

 念の為に言っておくと、この兵数は織田軍に不意を突かれたからではない。

 南近江の六角家特有のものだった。

 当主権限を削る六角氏式目を迫るような国衆が居るような土地柄だ。

 すぐには兵は集まらない。

 そもそも九月は稲刈りの季節だ。

 農民の事も考えねばならず、それを大義名分に国衆が兵を送らなかったのである。

 自分の持ち城を優先して。

 よって、この900人の動員がこの時の箕作城では最大だったのだ。

 7800人対900人だ。

 最初から勝負にならなかった。

 ーーと思いきや実はそうではない。

 野戦ならば勝負にならない兵力差でも籠城戦だと勝負になるのだ。

 というのも籠城戦だと戦闘場所が限定される為、大軍であっても戦う人数が少数に限定されて。

 なので籠城戦だと城に籠もる兵が少数でも戦えるのだ。

 そして籠城戦は守兵側の方が圧倒的に有利だ。

 城壁の上から漬物石を落としただけでも攻撃になるのだから。





 そんな訳で箕作城の戦いは一進一退の戦闘が続いていた。





 その様子を箕作城方面軍の後方の織田本陣から気軽に眺めていた信長が、

「いつ落城すると思う、義弟殿は?」

 本陣で同席している浅井長政に質問した。

「三日後でしょうか?」

「義弟殿の弟は?」

「四日後かと」

 話を振られた浅井政元が答え、今度は長政が信長に、

「義兄殿はいつだとお思いで?」

「遅くても明日であろうな」

 信長が気楽にそうひょうし、恒興を見て、

「勝は?」

「無論、本日の夜半ですな。城に籠もった六角の兵が脱走して終わりかと」

 興味無さそうに答えた。

 本当に興味がなかったのだ。

 勝ちの決まったいくさには。

 それよりも恒興が今、興味があるのは武田の動向である。

 織田軍が南近江に遠征してる現時点で、武田軍が同盟を破棄して美濃に雪崩れ込んで美濃に滞在中の足利義昭を甲斐に掻っ攫っていったりしたら本当に笑えないのだから。

 恒興は武田に攻められても防げるように、今回の上洛では後続部隊を申し出たくらいだ。

 馬廻り(親衛隊)の隊長だったので信長が許さずに恒興を連れてきていたが。

「何故、脱走すると?」

 政元が興味を覚えて問うと、恒興が、

「八月の六角との交渉が物別れに終わった段階で『六角が偽将軍に味方した』と流言を広めた、と聞いておりますから。誰だって悪に加担するのは嫌ですからね」

「・・・もし、一日で箕作城が落城したら観音寺城も一日で落城ですな」

 政元がそう水を向けるように相槌を打つと、武田の事を考えた恒興が、

「いえ、箕作城が一日で落城したら南近江の国衆達が戦わずして全員降伏ですよ。そして降伏した南近江の国衆から兵糧を徴収。織田軍は京までの兵糧を確保し、上洛後は京で米を購入。米不足も解消し、今回は実に簡単な上洛となる訳ですよ」

 ペラペラと今後の展開を喋ってしまった。

 完全にヤラカシである。

 軍事機密である織田軍の兵糧不足までもを浅井家に露呈しているのだから。

 尚、偉そうに予言めいた事を言ってるが予想の出所は竹中重治だった。

「まさか、それはさすがに都合が良過ぎるのでは」

「まあ。明日になれば分かりますよ」

 そんな事を気に喋ったのだった。





 木下秀吉の寄騎の竹中重治はつまらなそうに戦場を見ていた。

 重治の軍略を披露するまでもない。

 このいくさは前準備の段階で勝敗が決している。

 この戦局からの逆転は、武田軍が美濃を電撃強襲して足利義昭を確保する、以外にはあり得なかった。

 そして武田は上杉の睨みがあり、上杉が動けなくなる雪が降るまで動く事が出来ない。

「つまらないいくさだな」

 重治はそう呟き、





 日中には「箕作城の戦い」は勝敗が着かなかった。

 夜、織田軍の読み通り、六角軍の兵の一部が箕作城から脱走しようとして、それを待ち構えていた丹羽隊が鉄砲隊で攻撃。

 その銃声を合図に木下隊が夜の城攻めを再開。

 昼間の戦いで疲れていた箕作城の守兵達は夜に攻撃されるとは思っておらず、後手に回り、その夜の内に箕作城は落城したのだった。





 そしてその夜の内に観音寺城に居る六角義賢、六角義治親子の許にその落城の報告が届いた。

 眠っていたところを叩き起こされはしなかったが、揺すり起こされて、

「・・・何だ?」

 不機嫌そうに義賢が問うと、

「箕作城がたった今、落城しました」

「なぬ?」

「本当です。物見櫓から御覧になって下さい」

 そんな訳で確認すれば本当に篝火が焚かれた箕作城に織田の旗が立っていた。

(ま、拙い・・・こんなところで城を枕に討ち死になんぞ御免だぞ)

 六角義賢は正直な男であった。

 「逃げるは武士の恥」というような論理も持ち合わせてはいない。

 何故ならば六角家は過去に2回、室町幕府から追討を受けている。

 その際も御先祖様が逃げて生き延びているのだから。

 立派な六角家に伝わる戦術だ。

 そんな訳で夜陰に紛れて、さっさと六角義賢は逃げ、義治に至っては父親が逃げる前に観音寺城から逃げていた。





 初戦の「箕作城の戦い」が上洛戦の南近江での最大の激戦となり、翌日の「観音寺城の戦い」では六角親子が逃げた事で残された将兵が戦う事なく開城した。

 織田軍は観音寺城の米蔵の兵糧を無傷で手に入れたのだった。





 ◇





 南近江の箕作城の落城は、翌日の観音寺城の落城した日には京に伝わる事となった。

 そして京の都は騒然となった。

 三好三人衆に殺された将軍足利義輝の弟の義昭が軍と共に上洛してきてるのだ。

 三好三人衆が成敗されるのは決定事項で、最悪、京の都も戦場いくさばとなりうる。

 応仁の乱以降、京は頻繁にいくさに巻き込まれてきたので。

「どうなるんだ?」

「さあ。織田なんて聞いた事もないし」

「早くも逃げてる連中が居るぞ」

 本当に京とは騒然となり、





 朝廷の御所内でも、勝ち誇った二条晴良が、

「三好を追い出したら義昭殿を征夷大将軍にしてよろしいですな、前久殿?」

「いいのではないですかな」

 と答えた近衛前久は、

(摂津から連絡が途絶えて久しい。義栄殿が急病との事だが・・・まさか、重病ではないだろうな?)

 毒を盛られた事を知らず、そう考えていた。





 そして摂津の普門御所である。

 南近江の観音寺城の落城した九月十三日。

 日本の歴史を残る出来事が摂津でも発生していた。

 室町幕府14代将軍足利義栄の崩御である。

 結局は三好三人衆のフグ毒に盛られて以降(本当は盛ったのは斎藤龍興)、体調が戻る事はなく、そのまま御臨終した訳だが。

 普門御所の足利義栄の許に集っていた幕臣達は全員絶句である。

 何せ、将軍になった足利義栄の許で甘い汁を吸おうと目論んでいたのだから。

 その中の一人、阿波三好氏の執権の篠原長房は、

「伊勢殿、我らは四国に帰らせて貰う。よろしいな?」

 ここにはもう用はない、とばかりにさっさと逃げを打った。

「待たれよ。公方様を毒殺した三好三人衆の御首級を・・・」

 伊勢貞助が慌ててそう引き留めたが、足利義栄が崩御した今となっては阿波三好軍に摂津に留まる理由もなく、更には阿波三好氏に三好三人衆と争う理由もなくなったので、

「兵達が故郷を恋しがってますので悪しからず」

「せめて公方様の葬儀だけでも・・・」

「特別ですぞ」

 と長房は答えたが、これが義栄の死亡した日を曖昧にした元凶となった。

 貞助は普門寺で盛大に葬儀を挙げようと思っていたのだが、阿波三好軍が義栄が住み慣れた阿波に遺体の輸送を始めたからだ。

 それも阿波三好の末端には義栄が死んだ事を伏せて。

「な、何の真似だ、長房殿?」

「だから阿波で葬儀をあげるのだろうが」

「御冗談を。公方様はここでーー」

「ええい、邪魔だっ!」

 60代の貞助を足蹴にした長房が足利義栄の遺体の阿波護送を強行した為に、





 足利義栄の死んだ日が曖昧となり、





 それでも足利義栄の死の話が広がると、三好三人衆による義栄毒殺の風聞が一気に拡散されたのだった。





 その二代続けて将軍殺しの汚名を着せられた三好三人衆はと言えば、その時、軍を起こして大和国に居た。

 にっくき松永久秀を追い詰めていたのだが、そこに届いた情報は南近江の六角が簡単に敗北した知らせだった。

「はあ? 六角がもう負けて、間もなく織田軍が京にのぼってくるだと?」

「上洛軍は6万人? 待て。兵糧をどうしたんだ? 入手出来ていないはずなのに」

(これは・・・さっさと降伏するに越した事はないな)

 三好長逸、三好政康、岩成友通は三者三様に考え、

「ともかく、もう松永と争ってる場合ではない。撤退だ」

 大和国からさっさと撤退しようとしたのだが、戦場いくさばではどこにでも間諜が存在し、松永久秀は三好三人衆の軍の情報を通じて織田軍の上洛を知ったのだった。

「織田がもう六角を? 少し早過ぎないか?」

 久秀が織田軍の事を少し脅威に感じつつも、戦況を正確に把握し、撤退する三好三人衆の軍の後方から、

「かかれっ!」

 追撃して被害を与えたのだった。

 久々の勝ちいくさに満足した久秀は、

(織田がもし強過ぎた場合、ちと困る事になるかのう。ワシの価値が下がって)

 織田に取り入る方法を考えたのだった。





 南近江にも六角義賢、六角義治の脆弱さに驚いていた者が居た。

 織田家家老の柴田勝家である。

 蒲生氏が立て籠もる日野城を蜂屋頼隆と包囲していたら、六角家の主城の観音寺城の陥落が伝わり、南近江の情勢を確認すれば南近江の国衆が雪崩れを打って織田家に投降を始めている。

(脆過ぎるだろ、六角。雪が降り上杉が動けなくなった段階で武田軍に空になった美濃を進呈する予定が)

 織田家の不利になるよう動こうと考えていた勝家がそう内心で呆れ果てる中、蜂屋頼隆が、

「信長様から攻撃停止と籠城する敵への投降交渉命令が来ていますよ、柴田殿」

「では、そのようにしよう。文荷斎、行って来てくれ」

「はっ」

 こうして中村文荷斎が日野城に出向いた訳だが、





 文荷斎も勝家の企みを知っていたので、投降させない為に高飛車に、

「腰抜けの六角親子は既に観音寺城を明け渡した。貴殿らも投降されよ。所領は没収だが命だけは助けてやるから」

 ヤラしいニヤニヤ顔で交渉し、

「誰がっ! こうなっては城を枕に討ち死にするのみっ! 帰られいっ!」

 日野城主の蒲生賢秀が徹底抗戦を叫び、それを聞いた文荷斎はニヤリとしたのだった。





 ◇





 九月十四日に南近江から発った不破光治は数日後には美濃の立政寺に到着していた。

 当然、足利義昭に出陣を促す為である。

「南近江を平定しましたので上洛をお願いします」

 と出立を願い出たが、

「冗談は止せ。まだ出陣して数日ではないか」

 というのが足利義昭の返事だった。

 不破光治は誇るように、

「いえ、本当です。一日で箕作城が落城し、翌日には観音寺城に入りましたので」

 さすがに三淵藤英が真偽を確かめる為に、

「本当に六角を倒したのか?」

「倒す以前に逃げましたよ、あの腰抜け連中は」

「逃げた・・・公方様」

 あり得ると納得した藤英が義昭に出陣を促し、

「うむ、出立する。準備をするから二、三日待て」

 本当に呑気な者達で、足利義昭が出立したのは三日が過ぎた更に数日後の事だった。





 そして京の朝廷の御所内では、足利義栄の死亡情報を得て更に勝ち誇った二条晴良が近衛前久に、

「摂津の公方殿は御隠れになられたようですな」

 「御隠れ」とは「死んだ」という意味だ。

「確認の使者を送ったところなので未確認な情報で一喜一憂するのは止した方がよろしいかと」

「確かに。我々は南近江の義昭殿の方に使者を送らせていただきますぞ」

「どうぞ、ご自由に」

 朝廷での権力争いが続いていた。





 ◇





 足利義昭の到着を待つまでの間、織田軍は南近江で待機していたが、何もしないで待っていた訳ではない。

 南近江の降伏してきた国衆と面会し、人質と一緒に米を出させたりと忙しく働いていた。

 そんな中、稲葉良通が池田恒興の許にやってきて、

「てっきり昨年麾下に加えた美濃衆に先陣が任されると思っていたのだがな」

 疑問を恒興にぶつけたのだった。

「それはないでしょう」

「?」

「上洛軍の先鋒の栄誉を新参の美濃衆にくれてやるほど織田は優しくありませんよ。この上洛は末代まで自慢出来るほどの出来事なのですから。先鋒は尾張衆で独占です」

「なるほど」

 恒興の言葉に納得した良通がニヤリとしたが、実は方便だった。

 美濃衆にダラダラ攻められて時と米を費やすのも嫌だったし、最悪、攻め手の美濃衆が箕作城に駆け込む寝返りもあり得たので。

 眼前でそんな事をやられたら日には士気の低下は免れない。

 それらを防ぐ為の措置として古参の部隊が先鋒を独占していたのだ。

 まあ、手柄の為でもあったが。

「それで、いつ頃、出立するのだ?」

「公方様が到着し次第、すぐにでも京へ」

 恒興はその後の行軍日程を教えたのだった。





 恒興の予言通り(本当は竹中重治の予測)、南近江の国衆達が次々に降伏し、織田軍に人質を差し出して、更には米を上洛軍に提供してる様子を横目に見た浅井政元は、

「こんな簡単に南近江を手に入れるとは・・・兵糧も稲の刈り入れの来月までは十分持つ。その後は尾張、美濃、近江の新米が出回り、織田軍が兵糧に困る事もない、か」

 織田軍の認識を改め直した。

 特にあの男だ。

(池田恒興・・・織田を調べた時には『当主の乳兄弟という縁故だけで馬廻りの隊長になった男』としか報告になかったが。あの男ではないか、織田が躍進した中核の将は。それを巧妙に隠し、他国に知られないようにしているなんて。織田は相当な喰わせ者の集団だぞ)

 そう勘違いした政元は恒興を異常なまでに高評価したのだった。





 木下秀吉が信長の許を訪れて、

「まだ来ないのですか、公方様は?」

「馬に乗れぬらしいからな」

「輿で移動してるのですか? 今川義元と一緒な訳ですね」

「その方がこちらとしても何かと都合が良いがな。それよりもサル、竹中の指揮はどうであった?」

「問題なく。手柄はこのサルめの総取りでよろしいのですよね?」

「木下隊の手柄だからな」

「では、この度の手柄でどちらの領地をいただけますので」

 調子に乗った秀吉の額を上機嫌の信長が扇子でピシッと優しく叩きながら、

「竹中は何と言っていた?」

「横山城を貰えると」

 それは西美濃の隣の北近江の浅井陣営の城である。

 つまり近々領地の支配権の変動があると竹中重治は示唆していた。

「あの男は。聡明過ぎるのも問題だな」

 美濃から京までの道を遮断する浅井の領土が邪魔だ、と考えていた信長がそう呟きながら、

「サル、浅井家の家臣とは仲良くしておくのだぞ」

「特に美濃の国境に城を持つ皆様とは、ですな」

「そういう事だ。それとくれぐれも勝には内緒だぞ。勝はすぐに口を滑らせるからな」

「畏まりました」

 信長と秀吉はそう悪巧みをしたのだった。





 河内の飯盛山城に戻った三好長逸は信じられない報告を斎藤龍興から聞いて、

「ぬなああにいいい? 摂津の公方様が死んでワシらが毒殺の犯人にされているだとおおおおっ?」

 大激怒していた。

 身に覚えがないだけに、三好政康と岩成友通は絶句である。

 尚、義栄を毒殺した張本人は三人の眼の前で三好三人衆に同情げな顔を向けている龍興であった。

「松永めぇぇぇっ! やりたい放題やりおってからにぃぃぃぃっ!」

 そう三好長逸が吠える中、龍興が、

「篠原殿も阿波三好の軍勢を連れて四国に帰国されました。如何しましょう?」

「兵を掻き集めよ。上洛してくる織田と命運を賭けた決戦だ」

 何も見えていない三好長逸はそう吠えたのだった。

 南近江の国衆が次々と投降する中、最後まで粘ったのが中村文荷斎が煽った事で態度を硬化させた日野城主の蒲生賢秀である。

 六角氏が逃亡するも居城の日野城に1000人で籠もり、抵抗を続けていたが。

 二月に攻められて織田軍に属していた北伊勢の神戸友盛が信長の指示で日野城の投降公渉役として派遣されてきた。

(無理無理、散々馬鹿にしてやったんだから)

 チラッと友盛を見た中村文荷斎はそう高を括っていたが。

 この友盛は蒲生賢秀の妹と結婚しており、賢秀とは義理の兄弟であった。

 なので、日野城に乗り込んで、

「降伏されよ。今回のいくさは織田の侵略ではなく公方様の上洛戦なのだから。賊軍の汚名を着る事になりますぞ。それとも、まさか、将軍殺しの三好三人衆に与する訳ではないでしょうな? さすがにあちらに味方をするというのであれば神戸家は親戚付き合いを止めさせていただきますぞ」

 道理を説いて説得を始めた。

 今年の二月に服従させられたばかりの織田家の為に神戸友盛が動いているのは、織田信長の三男、三七を養子に貰っているからである。

 神戸家は織田家がそれくらいの待遇を与える北伊勢では有力な国衆だった。

「だがな。領地召し上げでは降伏など出来ぬぞ」

 蒲生賢秀が本音を語るも、

「ないない。所領は安堵ですから」

「だが確かに最初の交渉役の男が・・・」

「ははは、手柄を挙げたくて息巻いただけでしょうよ」

「本当に所領は安堵されるのか?」

「ええ。受け持ちますよ」

「だが、すぐに開城したら近江の国衆としての面子が・・・」

「公方様が美濃から近江に到着した後の方が面子が立ちませんぞ」

「分かった。人質を出そう」

 と説得されて、





 信長の許へ神戸友盛、蒲生賢秀、そして人質となる元服前の蒲生鶴千代が姿を見せて、

「どうも日野城を囲んだ織田軍の交渉役が勇み足で所領を召し上げると申したらしく」

 友盛が抵抗を続けていた事情を説明した。

 信長の隣に居た恒興が、

「ああ、悪知恵の柴田の差し金。もしかしていくさを長引かせてるつもりだったのか? 三好や偽将軍とつるんでる? ありそうだな」

 思った事を口にして勝手に納得した。

 信長は恒興の意見に耳を傾けながらも人質の鶴千代を見ており、賢秀が、

「蒲生賢秀にございまする。織田家臣従の証としてこちらの嫡男、鶴千代を預けまする」

 そう鶴千代を人質として差し出した。

「ほう。さすがは近江国で名高い蒲生の嫡子。面構えが違うな。どう見る、勝?」

 信長が恒興に尋ね、

「将来有望は確実かと」

「だな。良かろう。その方の嫡子には我が娘を与える。よいな?」

「はあ? ええっと」

「ありがとうございまする」

 蒲生賢秀が困惑する中、鶴千代が先に答えて、

「ありがとうございまする」

 賢秀も承諾したので蒲生鶴千代と信長の娘の婚姻がこの場で決まったのだった。





 登場人物、1568年度





 伊勢貞知(44)・・・足利義栄の御供衆。父、伊勢貞助。親三好政権派。好き勝手に私腹を肥やしてる。

 能力値、普門御所の子狸の貞知A、永禄の変では父に従い、唐櫃を持って逃亡A、伊勢氏は室町幕府では凄いA、将軍義栄への忠誠E、将軍義栄からの信頼B、普門御所での待遇☆

 不破光治(39)・・・織田家の家臣。美濃衆。西保城主。西美濃四人衆として括られる事もある。足利義昭担当。柴田勝家の目付。織田市の嫁入り行列の付添人。

 能力値、蝮の牙には劣る光治A、何故か大役ばかりC、それなりに他国に顔が利くB、信長への忠誠D、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇C

 蜂屋頼隆(34)・・・織田家の家臣。美濃衆。黒母衣衆。馬廻り幹部を経て部隊長。日野城攻めの副将。連歌に傾倒したのは恒興への対抗心。

 能力値、焼き討ちの頼隆S、連歌初心者A、出陣時の馬泥棒S、信長への忠誠S、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇B

 中村文荷斎(34)・・・勝家の重臣。勝家の子飼い。勝家の知恵袋。正室は柴田勝家の養女。日野城の投降使者として出向き、逆に蒲生賢秀に籠城を決意させる。

 能力値、勝家への忠誠SS、知恵袋の文荷斎B、槍働きC、他人が馬鹿に見えるA、信勝が勝てば良かったと思ってるS、頓馬の文荷斎E

 神戸友盛(28)・・・織田家の家臣。伊勢衆。妻は蒲生賢秀の妹。信長の三男、三七を養子にする。通称、蔵人丈夫。官位、下総守。北畠具教の弟の噂あり。

 能力値、押付聟貰いの友盛B、伊勢では裏切り者扱いC、近江に顔が利くD、信長への忠誠D、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇B

 蒲生賢秀(34)・・・六角家の重臣。日野城主。通称、藤太郎。官位、佐兵衛大夫。妻、後藤賢富の妹。妹が神戸友盛の妻。

 能力値、頑固の賢秀C、両藤に次ぐ蒲生A、有能一族B、六角家への忠誠C、六角からの信頼B、六角家臣団での待遇A

 蒲生鶴千代(12)・・・蒲生賢秀の嫡子。後の氏郷。眼光鋭し。

 能力値、麒麟児の鶴千代A、未来の武勇の将B、信長の娘を貰うA
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歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

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