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1568年、15代将軍、足利義昭
義昭の美濃入り
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【足利義昭、遂に朝倉義景を見限った説、採用】
【朝倉阿君丸、その死は無断で動いた幕臣と朝倉一門衆の共同陰謀説、採用】
【朝倉家臣団、厄介者を国外追放出来るので足利義昭の脱出に協力した説、採用】
【浅井長政、越前を脱出して岐阜に向かう足利義昭と対面する説、採用】
【織田信長、一目見て足利義昭が使い物にならないと看破した説、採用】
【織田信長、それでも一千貫は安い買い物だと思った説、採用】
【池田恒興、今回はちゃんとハシゴを用意して塀から覗いた説、採用】
【死んだ足利義輝、永禄の変で三百人斬り伝説が流布されてる説、採用】
【足利義昭、松永久秀と三好義継の義昭陣営への参加を認めた説、採用】
【六角義賢、実は足利義昭の味方をしようと思っていた説、採用】
五月、六月が過ぎて七月となった。
永禄十一年七月十三日。
越前から朝倉義景を見限った足利義昭が織田信長を頼るべく美濃に出発した。
そして足利義昭が越前朝倉家の当主、義景を見限ったのが、その約十八日前の六月二十五日にあった七歳の嫡子、阿君丸の死である。
元々上洛には消極的な立場の義景であったが、溺愛していた嫡子の死で意気消沈して更に兵を起こす気力を失ったのだ。
それを見て、足利義昭も遂には朝倉義景を見限るに至る。
息子を失って義景の意気消沈の隙を突いて足利義昭は越前からの脱出を強行したのだった。
「兵を出してお止めせよ」
意気消沈してたが、それでも足利義昭の利用価値くらいは分かっていた義景が兵を動かすように命令したが、(義昭と密約を交わした)一族衆や家臣団が一斉に、
「いけませんぞ、公方様を幽閉しようなどと考えては」
「それでは朝倉が反逆者になってしまいます」
「どうぞ、御再考を」
反発した。
義景は、面倒臭い、と思ったのか、当主の強権を発動する事なく、
「分かった。越前から無事国外へ送り届けよ」
と引き下がり、義昭は邪魔される事なく悠々と越前を発ったのだった。
当然、この二つの出来事は連動しており、阿君丸の死も偶然起こったものではない。
軍記物に描かれてる「おさし」という女中が乳母になる栄誉を得ようと乳母を毒殺した余波でもなかった。
真相は朝倉を見捨て切れない足利義昭を見兼ねて無断で動いた幕臣と朝倉当主を狙う朝倉一門衆の共同陰謀であり、越前からの恙無い脱出と嫡子の地位を空位にするだけの為に朝倉阿君丸は毒殺されたのだった。
越前と北近江の国境まで朝倉景鏡の命令で護衛をした富田長繁が、
「では皆様、私はここで」
「ああ、見送り御苦労でござったな」
三淵藤英がそう感謝の意を述べたが、
(見送り? 厄介者の国外追放なだけなのだが。越前で死なれたりしたら困るし。どこまでも勘違いした連中だな)
と思いながらも、
「いえいえ、当然の事をしたまでですよ。では、これで」
そう挨拶して、長繁は兵と共にさっさと一乗谷へと帰っていったのだった。
そしてこの越前脱出は入念に信長と幕臣達が連絡を取り合っていたので、北近江では信長の妹婿の浅井長政が当主を務める浅井家の家臣の出迎えがあり、
「これよりは我らが護衛を担当致しまする」
海北綱親が兵と共に護衛をして、小谷城でも浅井長政が自ら接待した。
「ようこそお越し下さいました」
長政が見た足利義昭の評価は、
(これが公方様? 武家の棟梁には見えんが)
このように低かった。
対する義昭の方は、
(京極家を下剋上した浅井ね~)
さすがは落ちぶれても足利で浅井の事など歯牙にも掛けなかったのは言うまでもない。
よって、この時はただの挨拶に留まったのだった。
足利義昭と浅井長政の二人は、であるが。
家臣団は違い、浅井家の陰の当主の浅井政元と足利義昭陣営の実質的な統括者の三淵藤英は秘密裏に会見を行い、
「大和守殿、今後ともよしなに」
「当主殿もそうですが、若いですな」
「弟ですから」
「ですが北近江の浅井を牛耳ってるのは浅井の陰星、貴殿でいいのですよね?」
「財政面だけは、ですが。軍部の方はまだ老人達が頑張っていますよ」
これが失言になろうとは政元も思ってはいなかった。
気付くのは老人達が暴走した後日の事である。
「貴殿は織田殿をどのように認識されておられます?」
「うつけの噂は周囲を油断させる嘘です。今川義元を倒し、美濃を併合し、北伊勢まで制圧しているのですから能力は高いかと」
「公方様に忠誠を誓うと思いますか?」
「・・・ははは、それは」
政元でさえ忠誠を誓う気が失せる相手だったので即答を避けたが、
「なるほど、貴殿も無理な訳か」
「大和守殿はどうして忠誠を?」
「足利家に忠誠を誓うのが三淵家の運命ですので」
「例え『沈む』と分かっていても?」
踏み込んで政元が問うと、
「ええ、貴殿も浅井家が滅びを迎える時に分かりますよ」
「物騒な事を言わないで下さいよ。浅井家は私が繁栄させるのですから」
そのような会話がされて、この時は政元から浅井家の上洛の全面協力を引き出すに留まったのだった。
◇
北近江から美濃までも恙無く足利義昭は移動し、美濃の立政寺まで信長が出迎えて、義昭と会見となった。
因みに恒興は岐阜城で留守番である。
理由は義昭相手にヤラカシて不興を買うと信長が凄く困るからだ。
お陰で信長はまともな家臣団を連れて会見したが、見た瞬間に、
(騙された)
と悟った。
細川藤孝が「足利義輝を十としたら弟の義昭は八」と称してたので期待していたら、こんな贅肉だらけの男が出てきたのだから。
(勝を連れてこなくて正解だったな。影武者だと決め付けて無礼な事を言ったかもしれんし)
と苦笑しつつも、
(それに、これはこれで使い勝手があるか。軽い方が神輿を担ぐ方としては楽だからな)
それでも御機嫌に、
「遠路遥々ようこそ美濃へお立ち寄り下さいました」
「うむ。出迎え御苦労、信長とやら」
「はっ」
第一声を聞いて更に「まぬけだ」と見抜いた信長が最終確認をするように、
「そうそう、こちらは上洛の際にでもお使い下さい。それと些少ではございますが岐阜での滞在費をご用意させていただきました」
その言葉で近習達が襖を開いた。
名刀や弓、鎧兜などの武具が飾られており、その他にも木箱が積まれてあった。
一色藤長が木箱の中を確認し、
「こ、これは」
「どうした、式部?」
義昭が問うと、
「銭でございます」
藤長が答えて、信長が補足するように、
「一千貫ご用意させていただきました。公方様のお好きなようにお使い下さいませ」
「うむ。受け取ろう」
と言っただけで、名刀や武具の数々には目もくれなかったのを見て、
(・・・所詮は坊主上がりか。オレが京にのぼる神輿までだな)
信長は義昭を担ぐ前からあっさりと切り捨てたのだった。
その後、立政寺に義昭一行は滞在した訳だが、
恒興が速攻でヤラカした。
ハシゴを持参して義昭滞在の立政寺の塀に立て掛けて義昭の見物に来たのだから。
警備の人間も織田家の兵なだけに恒興が織田家の重臣だと知っており、止める事も出来ず対処に困る中、岐阜の城下見物をして立政寺に戻ってきた義昭一行とばったりと塀の外で遭遇していた。
幕臣達が慌てて不審者をハシゴから降ろそうとする中、興味を覚えた義昭が手で制して、
「これ、何をしておるのだ?」
と質問し、恒興は警備の兵だと思ったのか足元には視線もくれず、
「ああ、気にせず警備を続けろ。ちょっと前の公方様の八掛けの弟君の見学に来てるだけだからさ」
そう邪険に手を振っただけで立政寺の境内を熱心に見ていた。
興味を覚えた義昭が、
「八掛けの弟君とは?」
「公方様の配下の細川殿が『前の将軍様を十としたら弟様は八』と称したので八掛けという訳さ。和田殿は『九』と称してたが、まあ、まだ将軍にも就任していないのに九は言い過ぎだろうからな」
恒興は視線も向けずにそう答えた。
義昭に同行してる藤孝は他の幕臣達から注目を浴びてばつが悪そうだったが。
「見学してどうするつもりだ?」
「前の公方様に『一番に信長様、二番に将軍様に忠誠を尽くす』と約束したからな。見てから忠誠を誓うか決めようと思って」
「ん? 前の公方様に遭った事があるのか?」
「当然。喋った事だってあるんだぜ、オレ。庭からだったが。刀だって貰ってるんだからさ~。それにしても出てこないな~。昼間っから部屋の中で何をしてるんだ? 誰か茶でも運べよな。その時に襖が開いて中の様子が見えるかもしれないのに」
なんて恒興が都合の良い事を呟いてると、困り果てた警備兵が岐阜城に居た義昭滞在中の警備担当の責任者の佐久間信盛に伝え、慌てて信盛が岐阜城から馬に乗って飛んできて、
「こら、勝三郎、何をやってるんだ?」
「げっ、佐久間殿だ。拙い」
ハシゴを降りた恒興がその場しのぎで、
「違うんです、こちらの怪しげな男が公方様の境内を覗こうとしていたので・・・」
「馬鹿、勝三郎っ! その御方が公方様だっ!」
「へっ?」
そこで初めて恒興は義昭を見た。
立派な着物を着ていたが、太った男だった。
とても武家の貴人だった義輝の弟とは思えない。
「嘘だ~」
恒興は正直な感想を口にした。
「本当だぞ」
胸を張って義昭が言い、恒興は空気が読めたので、
(どこが八だ。一以外だろうが)
と藤孝に喰って掛かる事はなく、
「ははっ! お見それ致しました」
その場で片膝を付いて臣下の礼を取った。
「どうだ? 余は兄と比べて?」
「八は言い過ぎですな。細川殿も公方様には甘いようで」
「そうなのか?」
「えっ、お会いした事がないのですか?」
「最後に会ったのは子供の頃だったからな」
「大変ですね。高貴な家柄もそれはそれで」
「それで兄が十だとしたら余はいくつだ?」
面白そうに追及してきた。
本当は一以下だが、
「六ですな」
さらりと恒興は言い放った。
「低くないか?」
少し不機嫌そうに義昭が問うも、
「いやいや、前の公方様は剣の達人ですぞ? 三好軍に攻められた最後の戦では三百人を一人で斬り伏せたという伝説まであり・・・」
恒興がそう義輝公を褒めると、
「その話、余も聞いた事があるな。嘘っぽいが」
「それで弟様は剣術の方は?」
「兄が死ぬまで僧侶だったのだぞ。からっきしに決まっておろうが」
(正直だな。京では生きていけぬだろう、これでは)
恒興でさえ、そう心配しながら、
「征夷大将軍は武家の棟梁ですぞ。少しは刀を振ってくださらぬと」
進言しながら、下手に強くなられても困るが、と思いつつ、
「まあ、戦働きは我らがしますので、天下泰平の方よろしくお願いします」
「うむ。時に、いつになったら京に向かうのだ、信長は?」
「六角が南近江の通行を許可したら、すぐにでも」
「・・・許可せんのか?」
「それどころか公方様の御首級を偽将軍に届ける気満々で待ち構えてるとの事です。攻め滅ぼした方が早いのですが、弟様が六角を従えたいとおっしゃられてるので交渉を」
「ふむ。余からも六角に書状を書こう」
「ありがとうございます」
「では、またな、ハシゴ男」
「はっ」
義昭はこうして立政寺の中に入っていき、逃げようとした恒興は信盛に捕まり岐阜城に連行されていったのだった。
岐阜城内の信長の前で、
「今度はハシゴか、勝?」
「それよりもどうして教えてくれなかったんですか、信長様?」
「何がだ?」
「八じゃなくて一以下だって事をです。『何が立派な御方だった』ですか」
「勝に本当の事を言ってもどうにかなるような事ではないからな」
「それにしたって、あれは酷過ぎるでしょう。本当にあれを担いで京に出向くんですか?」
「これ、勝。言葉使いに気を付けよ」
信長がそう窘めながら、
「京にのぼるのには必要な神輿だからな。現に武田との交渉も上手くいってる。浅井も徳川も上洛に兵を出すと言ってるし」
「武田も兵を出すと言ってるんですか?」
恒興が確認の為に尋ねれば、
「頼む訳ないだろ。そんな事をしたら上杉がへそを曲げて、織田と上杉の同盟が破綻するわ」
信長は笑って否定したのだった。
「それよりも六角だ。越前から公方(呼び捨て)が岐阜に移動したのを察した三好と接触しておる」
「いいじゃないですか。公方様の上洛の名の下に邪魔者全部を潰して領地を召し上げられるのですから」
「まあな」
信長はそう笑ったのだった。
◇
義昭の越前脱出を受けて畿内は慌ただしくなっていた。
義昭は義輝の実弟だけに正統性が14代将軍、義栄よりもある。
そして、その義栄は毒を盛られて一命は取り留めたものの、体調不慮に見舞われていた。
三好三人衆の方は怒って、というか身の潔白を証明する為に松永久秀が居る大和に攻撃し、六月の段階で「信貴山城の戦い」に勝っている。
その後、多聞山城に籠もった三好義継が、
「大丈夫なのか、松永?」
「無論ですよ。総てこの弾正にお任せ下さい。この不利な戦況を逆転して御覧に入れましょう」
と松永久秀が起死回生の一手として放ったのが信長と足利義昭への接近だった。
美濃の公方滞在の立政寺では信長の命を受けた池田恒興が信長の使いとして足利義昭と会見し、
「先日は失礼致しました」
「誰だ?」
真面目な顔で義昭が問うたので、忘れてたのなら言わなきゃよかった、と思いながらも恒興は仕方なく、
「ハシゴ男です」
「おお、あの時の。何か用か?」
「大和の松永久秀なる者が『公方様の上洛に手助けする』と言ってきており、その承諾を公方様にいただきたく・・・」
との言葉は、会見に同席していた幕臣達の、
「ふざけるなっ! あの男が義輝公の死の黒幕ではないかっ!」
「生前、義輝公を散々苦しめた三好長慶の右腕だった男だぞ。絶対に許さんっ!」
「馬鹿も休み休み言えっ!」
一斉の反発に描き消えた。
義昭も僧侶出身だけあって松永久秀が東大寺の大仏を焼いた事を聞いていたので、
「そういう事なので駄目だな」
「ですが噛んでませんよね、義輝公殺しにその男は」
「? どうしてそう思う?」
「公方様は大和の興福寺に居られたのでしょう」
「それがどうした?」
「義輝公の死に噛んでたら弟の公方様も絶対に殺してますから」
恒興の言葉に、一理ある、と思った義昭がそれでも、
「興福寺に遠慮したのではないのか?」
「東大寺の大仏を焼いた男が遠慮ですか? 遠慮などとは無縁の男だと思いますが」
恒興の指摘に、義昭も「確かに」と説得されてしまい、
「その松永を敵に回した場合、上洛はどうなる?」
「長引きますね。正確には南近江を通って京までは上洛出来ますが、その後、大和を支配する松永が攻撃をしてきた場合、摂津、和泉、河内の三好の成敗に時間が掛かり・・・」
「どうにかならんのか?」
義昭が不機嫌そうに問う中、恒興が、
「これは私の独り言なのですが」
と前置きしてから、
「源平の時代に『長田忠致』という男が居たそうです」
そう水を向けた。
長田忠致の逸話は尾張や美濃では有名なのだ。
だが、何の事か分からず義昭が、
「そやつがどうかしたのか?」
と問うと、幕臣の三淵藤英が、
「その昔、長田忠致は源頼朝公の実父を殺しておきながら、頼朝公の挙兵を聞くと素知らぬ顔をして兵を率いて麾下に加わっております。その際に頼朝公も寛大に『懸命に働いたならば美濃尾張をやろう』と言って、それを信じ、忠致も懸命に働きましたが、日の本を統一して用済みになった後に『約束通り、身の終わりをくれてやる』と処刑しておりまして」
合点がいった義昭が恒興を見て、
「日の本を統一するまで松永を『使い潰せ』と言っておるのか?」
答え合わせを求めたが、恒興は素知らぬ顔で、
「まさか、征夷大将軍になるような立派な公方様がそのような悪い事をするはずが・・・」
「征夷大将軍になった頼朝公が現にしてるではないか」
「そうでした」
恒興は茶目っ気たっぷりにおどけた。
義昭が少し考えてから、
「ふむ。良かろう。許してやる」
「では許可の書状を。ついでに三好義継の分も」
そう恒興が図々しく言うと、
「またんかっ! そやつは義輝公を殺した三好軍の総大将であろうがっ!」
さすがに傷痕を残す明智光秀が吠えたが、
「その者の当時の年齢は御存知なので?」
「十六であろう。それがどうした?」
「十六の小僧ごときが指揮する軍で義輝公が討てる訳がないでしょうが。他の者、この場合は三好三人衆ですが、それらが指揮してたに決まっているではないですか」
「だとしてもけじめは付けねばならんだろうが。というか、おまえ、あの時、前の公方様の前で言ったよな。『三好を殺す』って。あれは嘘だったのか?」
「いえ、本気でしたし、今だってやる気はあります。ですが物事には優先順位というのがあるんですよ」
「仇討ちよりも先にやらねばならぬ事などあろうはずがないだろうが」
「ありますよ。公方様の上落、そして将軍就任が。今、この日の本には偽将軍が蔓延っているんですよ? さっさとそれをどうにかしないと。その為には公方様の上洛は必須で、将軍就任以外は我慢していただかないと。そうでなくても一年も越前で刻を無駄にされているのですから」
恒興に言いくるめられた光秀が黙り、征夷大将軍になりたい義昭が考えるように、
「良かろう。但し、松永と三好の若当主を許すのは一年以内に余が上洛した場合の条件付きでだ。それと松永の息子の方は許さぬからな」
「それで十分でございまする」
恒興はこうして義昭の署名入りの松永久秀と三好義継の両名に対する義昭の上洛参加の許可書を貰ったのだった。
◇
一方の三好三人衆の方は首魁の三好長逸が六角義賢の居城である南近江の観音寺城に直接出向いていた。
「何か御用で?」
長逸を出迎えた六角義賢が警戒しながら問う中、長逸が、
「美濃に越前の公方様が入ったのは知っておるよな?」
「それが?」
「六角がそろそろどちらに味方するのか聞いておこうと思ってな。ああ、この返答は普門御所の公方様にも伝えるからそのおつもりで」
「ん? 公方様の毒殺未遂を起こして普門御所から手配されてると聞いたが?」
それは事実である。
だが、普門御所の兵は阿波三好の兵の為、畿内までやってこず実際に命が狙われる事はなかった。
そもそも長逸は斎藤龍興に完全に騙されており、
「あれも松永だぞ、黒幕は」
と弁明し、六角義賢に内心で、
(そんな嘘が通ると本当に思っているのか? もしやボケ始めてる?)
失笑を買う破目になった。
「おや、そうなので?」
「そうだよ。それに普門御所の兵は阿波三好だけだからな。同じ三好だから何の問題もないのだよ」
「――なるほど」
と言いながら、
(ならば、ここで捕縛して普門御所に差し出すか・・・いや、駄目だ。京を通って摂津までの護送の間に奪還される。首だけなら大丈夫だろうが三好の重鎮だからな。殺して他の三好を敵に回すのは面倒臭い。今の南近江の国衆がやりたい放題やってる状況では勝てんだろうからな。美濃の公方様にコヤツを差し出して怒った三人衆の兵が南近江を攻めてきても困るし、う~ん)
「それで? どちらに味方されるので? おっと、これを渡すのを忘れていた」
そう白々しく言って長逸は義腎に書状を渡した。
これは普門御所から正式に六角義賢に出されたものである。
それが阿波三好経由で三好三人衆の手に渡り、こうして手渡されていた。
「ほう、お味方すれば・・・幕府から管領代ではなく正真正銘の管領がいただけると?」
義賢は冷めた目で書状を見据えた。
室町幕府後期では幕府が地位で大名を動かすのが常套手段だったからだ。
今ではこんなのに引っ掛かるのは田舎大名くらいだ。
京に近い六角家には通用せず、長逸の眼の前で書状を破りながら、
「お話になりませんな」
「よろしいので? 幕府を敵に回しても?」
「義輝公を殺した三好三人衆が担ぐ偽公方に味方など出来ませんのでね」
「そうですか。まあ、無理にとは言いませんが。では帰って報告させていただくな」
長逸は席を立って観音寺城を出ていったが、門前で、
(断ろうとも息子は既にこちらの味方なのだよ)
そう笑って帰っていったのだった。
登場人物、1568年度
海北綱親(58)・・・浅井家の家宰。別名、善右衛門。浅井三将の一人。軍奉行。手柄飢えの綱親。
能力値、手柄飢えの綱親S、弱肉強食は戦国の世A、主君の言う事を聞かずA、浅井三代への忠誠B、浅井家からの信頼A、浅井家臣団での待遇SS
三好義継(19)・・・三好家の当主。父は十河一存。母が九条植通の娘。松永久秀と裏取引して当主となる。永禄の変の将軍殺しに巻き込まれる。三人衆と内紛中。
能力値、将軍殺しの悪名C、劣った器量の義継A、結局、久秀の傀儡A、重過ぎる三好当主の地位A、反逆する家臣達★、不運重なるE
明智光秀(36)・・・足利義輝の遺臣。別名、進士藤延。三淵藤英の所為で明智姓を名乗る破目に。濃姫とは当然、系譜は繋がっていない。
能力値、頭の傷が疼くA、落ちた麒麟B、三好憎しB、義輝への義理A、義昭からの信頼E、美濃での待遇B
【朝倉阿君丸、その死は無断で動いた幕臣と朝倉一門衆の共同陰謀説、採用】
【朝倉家臣団、厄介者を国外追放出来るので足利義昭の脱出に協力した説、採用】
【浅井長政、越前を脱出して岐阜に向かう足利義昭と対面する説、採用】
【織田信長、一目見て足利義昭が使い物にならないと看破した説、採用】
【織田信長、それでも一千貫は安い買い物だと思った説、採用】
【池田恒興、今回はちゃんとハシゴを用意して塀から覗いた説、採用】
【死んだ足利義輝、永禄の変で三百人斬り伝説が流布されてる説、採用】
【足利義昭、松永久秀と三好義継の義昭陣営への参加を認めた説、採用】
【六角義賢、実は足利義昭の味方をしようと思っていた説、採用】
五月、六月が過ぎて七月となった。
永禄十一年七月十三日。
越前から朝倉義景を見限った足利義昭が織田信長を頼るべく美濃に出発した。
そして足利義昭が越前朝倉家の当主、義景を見限ったのが、その約十八日前の六月二十五日にあった七歳の嫡子、阿君丸の死である。
元々上洛には消極的な立場の義景であったが、溺愛していた嫡子の死で意気消沈して更に兵を起こす気力を失ったのだ。
それを見て、足利義昭も遂には朝倉義景を見限るに至る。
息子を失って義景の意気消沈の隙を突いて足利義昭は越前からの脱出を強行したのだった。
「兵を出してお止めせよ」
意気消沈してたが、それでも足利義昭の利用価値くらいは分かっていた義景が兵を動かすように命令したが、(義昭と密約を交わした)一族衆や家臣団が一斉に、
「いけませんぞ、公方様を幽閉しようなどと考えては」
「それでは朝倉が反逆者になってしまいます」
「どうぞ、御再考を」
反発した。
義景は、面倒臭い、と思ったのか、当主の強権を発動する事なく、
「分かった。越前から無事国外へ送り届けよ」
と引き下がり、義昭は邪魔される事なく悠々と越前を発ったのだった。
当然、この二つの出来事は連動しており、阿君丸の死も偶然起こったものではない。
軍記物に描かれてる「おさし」という女中が乳母になる栄誉を得ようと乳母を毒殺した余波でもなかった。
真相は朝倉を見捨て切れない足利義昭を見兼ねて無断で動いた幕臣と朝倉当主を狙う朝倉一門衆の共同陰謀であり、越前からの恙無い脱出と嫡子の地位を空位にするだけの為に朝倉阿君丸は毒殺されたのだった。
越前と北近江の国境まで朝倉景鏡の命令で護衛をした富田長繁が、
「では皆様、私はここで」
「ああ、見送り御苦労でござったな」
三淵藤英がそう感謝の意を述べたが、
(見送り? 厄介者の国外追放なだけなのだが。越前で死なれたりしたら困るし。どこまでも勘違いした連中だな)
と思いながらも、
「いえいえ、当然の事をしたまでですよ。では、これで」
そう挨拶して、長繁は兵と共にさっさと一乗谷へと帰っていったのだった。
そしてこの越前脱出は入念に信長と幕臣達が連絡を取り合っていたので、北近江では信長の妹婿の浅井長政が当主を務める浅井家の家臣の出迎えがあり、
「これよりは我らが護衛を担当致しまする」
海北綱親が兵と共に護衛をして、小谷城でも浅井長政が自ら接待した。
「ようこそお越し下さいました」
長政が見た足利義昭の評価は、
(これが公方様? 武家の棟梁には見えんが)
このように低かった。
対する義昭の方は、
(京極家を下剋上した浅井ね~)
さすがは落ちぶれても足利で浅井の事など歯牙にも掛けなかったのは言うまでもない。
よって、この時はただの挨拶に留まったのだった。
足利義昭と浅井長政の二人は、であるが。
家臣団は違い、浅井家の陰の当主の浅井政元と足利義昭陣営の実質的な統括者の三淵藤英は秘密裏に会見を行い、
「大和守殿、今後ともよしなに」
「当主殿もそうですが、若いですな」
「弟ですから」
「ですが北近江の浅井を牛耳ってるのは浅井の陰星、貴殿でいいのですよね?」
「財政面だけは、ですが。軍部の方はまだ老人達が頑張っていますよ」
これが失言になろうとは政元も思ってはいなかった。
気付くのは老人達が暴走した後日の事である。
「貴殿は織田殿をどのように認識されておられます?」
「うつけの噂は周囲を油断させる嘘です。今川義元を倒し、美濃を併合し、北伊勢まで制圧しているのですから能力は高いかと」
「公方様に忠誠を誓うと思いますか?」
「・・・ははは、それは」
政元でさえ忠誠を誓う気が失せる相手だったので即答を避けたが、
「なるほど、貴殿も無理な訳か」
「大和守殿はどうして忠誠を?」
「足利家に忠誠を誓うのが三淵家の運命ですので」
「例え『沈む』と分かっていても?」
踏み込んで政元が問うと、
「ええ、貴殿も浅井家が滅びを迎える時に分かりますよ」
「物騒な事を言わないで下さいよ。浅井家は私が繁栄させるのですから」
そのような会話がされて、この時は政元から浅井家の上洛の全面協力を引き出すに留まったのだった。
◇
北近江から美濃までも恙無く足利義昭は移動し、美濃の立政寺まで信長が出迎えて、義昭と会見となった。
因みに恒興は岐阜城で留守番である。
理由は義昭相手にヤラカシて不興を買うと信長が凄く困るからだ。
お陰で信長はまともな家臣団を連れて会見したが、見た瞬間に、
(騙された)
と悟った。
細川藤孝が「足利義輝を十としたら弟の義昭は八」と称してたので期待していたら、こんな贅肉だらけの男が出てきたのだから。
(勝を連れてこなくて正解だったな。影武者だと決め付けて無礼な事を言ったかもしれんし)
と苦笑しつつも、
(それに、これはこれで使い勝手があるか。軽い方が神輿を担ぐ方としては楽だからな)
それでも御機嫌に、
「遠路遥々ようこそ美濃へお立ち寄り下さいました」
「うむ。出迎え御苦労、信長とやら」
「はっ」
第一声を聞いて更に「まぬけだ」と見抜いた信長が最終確認をするように、
「そうそう、こちらは上洛の際にでもお使い下さい。それと些少ではございますが岐阜での滞在費をご用意させていただきました」
その言葉で近習達が襖を開いた。
名刀や弓、鎧兜などの武具が飾られており、その他にも木箱が積まれてあった。
一色藤長が木箱の中を確認し、
「こ、これは」
「どうした、式部?」
義昭が問うと、
「銭でございます」
藤長が答えて、信長が補足するように、
「一千貫ご用意させていただきました。公方様のお好きなようにお使い下さいませ」
「うむ。受け取ろう」
と言っただけで、名刀や武具の数々には目もくれなかったのを見て、
(・・・所詮は坊主上がりか。オレが京にのぼる神輿までだな)
信長は義昭を担ぐ前からあっさりと切り捨てたのだった。
その後、立政寺に義昭一行は滞在した訳だが、
恒興が速攻でヤラカした。
ハシゴを持参して義昭滞在の立政寺の塀に立て掛けて義昭の見物に来たのだから。
警備の人間も織田家の兵なだけに恒興が織田家の重臣だと知っており、止める事も出来ず対処に困る中、岐阜の城下見物をして立政寺に戻ってきた義昭一行とばったりと塀の外で遭遇していた。
幕臣達が慌てて不審者をハシゴから降ろそうとする中、興味を覚えた義昭が手で制して、
「これ、何をしておるのだ?」
と質問し、恒興は警備の兵だと思ったのか足元には視線もくれず、
「ああ、気にせず警備を続けろ。ちょっと前の公方様の八掛けの弟君の見学に来てるだけだからさ」
そう邪険に手を振っただけで立政寺の境内を熱心に見ていた。
興味を覚えた義昭が、
「八掛けの弟君とは?」
「公方様の配下の細川殿が『前の将軍様を十としたら弟様は八』と称したので八掛けという訳さ。和田殿は『九』と称してたが、まあ、まだ将軍にも就任していないのに九は言い過ぎだろうからな」
恒興は視線も向けずにそう答えた。
義昭に同行してる藤孝は他の幕臣達から注目を浴びてばつが悪そうだったが。
「見学してどうするつもりだ?」
「前の公方様に『一番に信長様、二番に将軍様に忠誠を尽くす』と約束したからな。見てから忠誠を誓うか決めようと思って」
「ん? 前の公方様に遭った事があるのか?」
「当然。喋った事だってあるんだぜ、オレ。庭からだったが。刀だって貰ってるんだからさ~。それにしても出てこないな~。昼間っから部屋の中で何をしてるんだ? 誰か茶でも運べよな。その時に襖が開いて中の様子が見えるかもしれないのに」
なんて恒興が都合の良い事を呟いてると、困り果てた警備兵が岐阜城に居た義昭滞在中の警備担当の責任者の佐久間信盛に伝え、慌てて信盛が岐阜城から馬に乗って飛んできて、
「こら、勝三郎、何をやってるんだ?」
「げっ、佐久間殿だ。拙い」
ハシゴを降りた恒興がその場しのぎで、
「違うんです、こちらの怪しげな男が公方様の境内を覗こうとしていたので・・・」
「馬鹿、勝三郎っ! その御方が公方様だっ!」
「へっ?」
そこで初めて恒興は義昭を見た。
立派な着物を着ていたが、太った男だった。
とても武家の貴人だった義輝の弟とは思えない。
「嘘だ~」
恒興は正直な感想を口にした。
「本当だぞ」
胸を張って義昭が言い、恒興は空気が読めたので、
(どこが八だ。一以外だろうが)
と藤孝に喰って掛かる事はなく、
「ははっ! お見それ致しました」
その場で片膝を付いて臣下の礼を取った。
「どうだ? 余は兄と比べて?」
「八は言い過ぎですな。細川殿も公方様には甘いようで」
「そうなのか?」
「えっ、お会いした事がないのですか?」
「最後に会ったのは子供の頃だったからな」
「大変ですね。高貴な家柄もそれはそれで」
「それで兄が十だとしたら余はいくつだ?」
面白そうに追及してきた。
本当は一以下だが、
「六ですな」
さらりと恒興は言い放った。
「低くないか?」
少し不機嫌そうに義昭が問うも、
「いやいや、前の公方様は剣の達人ですぞ? 三好軍に攻められた最後の戦では三百人を一人で斬り伏せたという伝説まであり・・・」
恒興がそう義輝公を褒めると、
「その話、余も聞いた事があるな。嘘っぽいが」
「それで弟様は剣術の方は?」
「兄が死ぬまで僧侶だったのだぞ。からっきしに決まっておろうが」
(正直だな。京では生きていけぬだろう、これでは)
恒興でさえ、そう心配しながら、
「征夷大将軍は武家の棟梁ですぞ。少しは刀を振ってくださらぬと」
進言しながら、下手に強くなられても困るが、と思いつつ、
「まあ、戦働きは我らがしますので、天下泰平の方よろしくお願いします」
「うむ。時に、いつになったら京に向かうのだ、信長は?」
「六角が南近江の通行を許可したら、すぐにでも」
「・・・許可せんのか?」
「それどころか公方様の御首級を偽将軍に届ける気満々で待ち構えてるとの事です。攻め滅ぼした方が早いのですが、弟様が六角を従えたいとおっしゃられてるので交渉を」
「ふむ。余からも六角に書状を書こう」
「ありがとうございます」
「では、またな、ハシゴ男」
「はっ」
義昭はこうして立政寺の中に入っていき、逃げようとした恒興は信盛に捕まり岐阜城に連行されていったのだった。
岐阜城内の信長の前で、
「今度はハシゴか、勝?」
「それよりもどうして教えてくれなかったんですか、信長様?」
「何がだ?」
「八じゃなくて一以下だって事をです。『何が立派な御方だった』ですか」
「勝に本当の事を言ってもどうにかなるような事ではないからな」
「それにしたって、あれは酷過ぎるでしょう。本当にあれを担いで京に出向くんですか?」
「これ、勝。言葉使いに気を付けよ」
信長がそう窘めながら、
「京にのぼるのには必要な神輿だからな。現に武田との交渉も上手くいってる。浅井も徳川も上洛に兵を出すと言ってるし」
「武田も兵を出すと言ってるんですか?」
恒興が確認の為に尋ねれば、
「頼む訳ないだろ。そんな事をしたら上杉がへそを曲げて、織田と上杉の同盟が破綻するわ」
信長は笑って否定したのだった。
「それよりも六角だ。越前から公方(呼び捨て)が岐阜に移動したのを察した三好と接触しておる」
「いいじゃないですか。公方様の上洛の名の下に邪魔者全部を潰して領地を召し上げられるのですから」
「まあな」
信長はそう笑ったのだった。
◇
義昭の越前脱出を受けて畿内は慌ただしくなっていた。
義昭は義輝の実弟だけに正統性が14代将軍、義栄よりもある。
そして、その義栄は毒を盛られて一命は取り留めたものの、体調不慮に見舞われていた。
三好三人衆の方は怒って、というか身の潔白を証明する為に松永久秀が居る大和に攻撃し、六月の段階で「信貴山城の戦い」に勝っている。
その後、多聞山城に籠もった三好義継が、
「大丈夫なのか、松永?」
「無論ですよ。総てこの弾正にお任せ下さい。この不利な戦況を逆転して御覧に入れましょう」
と松永久秀が起死回生の一手として放ったのが信長と足利義昭への接近だった。
美濃の公方滞在の立政寺では信長の命を受けた池田恒興が信長の使いとして足利義昭と会見し、
「先日は失礼致しました」
「誰だ?」
真面目な顔で義昭が問うたので、忘れてたのなら言わなきゃよかった、と思いながらも恒興は仕方なく、
「ハシゴ男です」
「おお、あの時の。何か用か?」
「大和の松永久秀なる者が『公方様の上洛に手助けする』と言ってきており、その承諾を公方様にいただきたく・・・」
との言葉は、会見に同席していた幕臣達の、
「ふざけるなっ! あの男が義輝公の死の黒幕ではないかっ!」
「生前、義輝公を散々苦しめた三好長慶の右腕だった男だぞ。絶対に許さんっ!」
「馬鹿も休み休み言えっ!」
一斉の反発に描き消えた。
義昭も僧侶出身だけあって松永久秀が東大寺の大仏を焼いた事を聞いていたので、
「そういう事なので駄目だな」
「ですが噛んでませんよね、義輝公殺しにその男は」
「? どうしてそう思う?」
「公方様は大和の興福寺に居られたのでしょう」
「それがどうした?」
「義輝公の死に噛んでたら弟の公方様も絶対に殺してますから」
恒興の言葉に、一理ある、と思った義昭がそれでも、
「興福寺に遠慮したのではないのか?」
「東大寺の大仏を焼いた男が遠慮ですか? 遠慮などとは無縁の男だと思いますが」
恒興の指摘に、義昭も「確かに」と説得されてしまい、
「その松永を敵に回した場合、上洛はどうなる?」
「長引きますね。正確には南近江を通って京までは上洛出来ますが、その後、大和を支配する松永が攻撃をしてきた場合、摂津、和泉、河内の三好の成敗に時間が掛かり・・・」
「どうにかならんのか?」
義昭が不機嫌そうに問う中、恒興が、
「これは私の独り言なのですが」
と前置きしてから、
「源平の時代に『長田忠致』という男が居たそうです」
そう水を向けた。
長田忠致の逸話は尾張や美濃では有名なのだ。
だが、何の事か分からず義昭が、
「そやつがどうかしたのか?」
と問うと、幕臣の三淵藤英が、
「その昔、長田忠致は源頼朝公の実父を殺しておきながら、頼朝公の挙兵を聞くと素知らぬ顔をして兵を率いて麾下に加わっております。その際に頼朝公も寛大に『懸命に働いたならば美濃尾張をやろう』と言って、それを信じ、忠致も懸命に働きましたが、日の本を統一して用済みになった後に『約束通り、身の終わりをくれてやる』と処刑しておりまして」
合点がいった義昭が恒興を見て、
「日の本を統一するまで松永を『使い潰せ』と言っておるのか?」
答え合わせを求めたが、恒興は素知らぬ顔で、
「まさか、征夷大将軍になるような立派な公方様がそのような悪い事をするはずが・・・」
「征夷大将軍になった頼朝公が現にしてるではないか」
「そうでした」
恒興は茶目っ気たっぷりにおどけた。
義昭が少し考えてから、
「ふむ。良かろう。許してやる」
「では許可の書状を。ついでに三好義継の分も」
そう恒興が図々しく言うと、
「またんかっ! そやつは義輝公を殺した三好軍の総大将であろうがっ!」
さすがに傷痕を残す明智光秀が吠えたが、
「その者の当時の年齢は御存知なので?」
「十六であろう。それがどうした?」
「十六の小僧ごときが指揮する軍で義輝公が討てる訳がないでしょうが。他の者、この場合は三好三人衆ですが、それらが指揮してたに決まっているではないですか」
「だとしてもけじめは付けねばならんだろうが。というか、おまえ、あの時、前の公方様の前で言ったよな。『三好を殺す』って。あれは嘘だったのか?」
「いえ、本気でしたし、今だってやる気はあります。ですが物事には優先順位というのがあるんですよ」
「仇討ちよりも先にやらねばならぬ事などあろうはずがないだろうが」
「ありますよ。公方様の上落、そして将軍就任が。今、この日の本には偽将軍が蔓延っているんですよ? さっさとそれをどうにかしないと。その為には公方様の上洛は必須で、将軍就任以外は我慢していただかないと。そうでなくても一年も越前で刻を無駄にされているのですから」
恒興に言いくるめられた光秀が黙り、征夷大将軍になりたい義昭が考えるように、
「良かろう。但し、松永と三好の若当主を許すのは一年以内に余が上洛した場合の条件付きでだ。それと松永の息子の方は許さぬからな」
「それで十分でございまする」
恒興はこうして義昭の署名入りの松永久秀と三好義継の両名に対する義昭の上洛参加の許可書を貰ったのだった。
◇
一方の三好三人衆の方は首魁の三好長逸が六角義賢の居城である南近江の観音寺城に直接出向いていた。
「何か御用で?」
長逸を出迎えた六角義賢が警戒しながら問う中、長逸が、
「美濃に越前の公方様が入ったのは知っておるよな?」
「それが?」
「六角がそろそろどちらに味方するのか聞いておこうと思ってな。ああ、この返答は普門御所の公方様にも伝えるからそのおつもりで」
「ん? 公方様の毒殺未遂を起こして普門御所から手配されてると聞いたが?」
それは事実である。
だが、普門御所の兵は阿波三好の兵の為、畿内までやってこず実際に命が狙われる事はなかった。
そもそも長逸は斎藤龍興に完全に騙されており、
「あれも松永だぞ、黒幕は」
と弁明し、六角義賢に内心で、
(そんな嘘が通ると本当に思っているのか? もしやボケ始めてる?)
失笑を買う破目になった。
「おや、そうなので?」
「そうだよ。それに普門御所の兵は阿波三好だけだからな。同じ三好だから何の問題もないのだよ」
「――なるほど」
と言いながら、
(ならば、ここで捕縛して普門御所に差し出すか・・・いや、駄目だ。京を通って摂津までの護送の間に奪還される。首だけなら大丈夫だろうが三好の重鎮だからな。殺して他の三好を敵に回すのは面倒臭い。今の南近江の国衆がやりたい放題やってる状況では勝てんだろうからな。美濃の公方様にコヤツを差し出して怒った三人衆の兵が南近江を攻めてきても困るし、う~ん)
「それで? どちらに味方されるので? おっと、これを渡すのを忘れていた」
そう白々しく言って長逸は義腎に書状を渡した。
これは普門御所から正式に六角義賢に出されたものである。
それが阿波三好経由で三好三人衆の手に渡り、こうして手渡されていた。
「ほう、お味方すれば・・・幕府から管領代ではなく正真正銘の管領がいただけると?」
義賢は冷めた目で書状を見据えた。
室町幕府後期では幕府が地位で大名を動かすのが常套手段だったからだ。
今ではこんなのに引っ掛かるのは田舎大名くらいだ。
京に近い六角家には通用せず、長逸の眼の前で書状を破りながら、
「お話になりませんな」
「よろしいので? 幕府を敵に回しても?」
「義輝公を殺した三好三人衆が担ぐ偽公方に味方など出来ませんのでね」
「そうですか。まあ、無理にとは言いませんが。では帰って報告させていただくな」
長逸は席を立って観音寺城を出ていったが、門前で、
(断ろうとも息子は既にこちらの味方なのだよ)
そう笑って帰っていったのだった。
登場人物、1568年度
海北綱親(58)・・・浅井家の家宰。別名、善右衛門。浅井三将の一人。軍奉行。手柄飢えの綱親。
能力値、手柄飢えの綱親S、弱肉強食は戦国の世A、主君の言う事を聞かずA、浅井三代への忠誠B、浅井家からの信頼A、浅井家臣団での待遇SS
三好義継(19)・・・三好家の当主。父は十河一存。母が九条植通の娘。松永久秀と裏取引して当主となる。永禄の変の将軍殺しに巻き込まれる。三人衆と内紛中。
能力値、将軍殺しの悪名C、劣った器量の義継A、結局、久秀の傀儡A、重過ぎる三好当主の地位A、反逆する家臣達★、不運重なるE
明智光秀(36)・・・足利義輝の遺臣。別名、進士藤延。三淵藤英の所為で明智姓を名乗る破目に。濃姫とは当然、系譜は繋がっていない。
能力値、頭の傷が疼くA、落ちた麒麟B、三好憎しB、義輝への義理A、義昭からの信頼E、美濃での待遇B
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