池田恒興

竹井ゴールド

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1567年、美濃制圧

市姫の嫁入り

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 【織田家、美濃国獲得でやる事が山積み説、採用】

 【平手汎秀、父親の許可なく14歳で近習になる説、採用】

 【織田市、1567年に浅井長政と視言を挙げた説、採用】

 【雨森清貞、1523年生まれ説、採用】

 【沢彦宗恩、信長だけではなく恒興も教育した説、採用】

 【沢彦宗恩、1512年生まれ説、採用】

 【織田信長、岐阜に改名する説、採用】

 【上杉輝虎、塩を適正料金で武田に売る説、採用】

 【三好三人衆、東大寺の大仏殿を焼いた説、採用】

 【松永久秀、濡れ衣で大仏殿焼失の犯人にされた説、採用】

 【篠原長房、三好三人衆からの離反を模索する説、採用】

 【池田恒興、森可成の領地運営をやらされる説、採用】





 美濃稲葉山城の天守閣にて、

「おお、美濃が一望ですね、信長様」

 恒興は美濃の景色を見渡して素直に感動した。

 信長も満更ではなく、

「まあな」

「念願の美濃を手に入れられた御感想は?」

「そりゃあ、嬉しいに決まってるだろうが。だが、これからだぞ、忙しいのは。勝にも働いて貰うからな」

 美濃を手に入れた信長はそう宣言した。





 ◇





 信長が最初にした事は拠点を尾張の小牧山城から美濃の稲葉山城に移した事である。

 攻める際に稲葉山城の城下を盛大に燃やしたのに。

 つまりは美濃を手に入れた直後から、一からの城下町造りとなり、その縄張りをする事となった。

 ちょうど燃えて無くなってるので、重臣の武家屋敷を大きく確保しての。

 その縄張りが決まると大工を集めて建築だ。

 何せ、織田家は銭を山ほど持ってる。

 そして美濃は山だらけだ。

 材木の原料の木々は長良川や木曽川の上流に山ほどあるので伐採して活用した。





 それと外交だ。

 美濃を制圧した直後に北近江の浅井の方から同盟の確認の接触があった。

 北近江の浅井家とは確かに同盟を結んでいたが、それは斎藤家に対する軍事同盟だ。

 領地が隣接すると領土の境界線の確認等々の別の同盟が必要となり、北近江を取り込みたい織田家の都合で市姫を嫁がせる事となった。

 信長は一々、妹の祝言なんかに出席したりはしない。

 何回かの使者の往復の後、尾張から呼び寄せた市姫を北近江の浅井に嫁がせる事が決まった。





 いくさの後始末もある。

 斎藤龍興が逃げており、出来れば後腐れがないように討ち取りたい。

 柴田勝家が隊を率いて龍興が逃げた先の伊勢長島を攻撃していた。





 正直言えば、恒興もどちらかに噛みたかったが、恒興には恒興の仕事がある。

 新たな馬廻りの選抜だ。

 どういう事かと言うと、織田家は美濃を制圧した。

 その際に織田家に寝返った国衆達の領土も安堵している。

 落城まで投降しなかった連中は知らんが。

 だが、寝返り組の国衆を信用するのか、と言えば、また別の話だ。

 当然、戦国の習いに従って人質を取る訳だが、信長は人質の人選からして違う。

 女子供や老人ではなく、跡継ぎの嫡男以外の次男以後の戦える男を人質として出させ、織田家の為に働かせた。

 そして、使える奴はどんどん近習に登用して仕事を覚えさせて幹部候補にする。

 恒興を含めて信長世代の殆どの幹部達がその部類だった。





 そんな訳で、大量に増えた美濃出身の近習や小姓候補に一から仕事を教え、同時に馬廻りに使えそうな奴を探すのだが、それが恒興の仕事となり、

「おらぁぁっ! さっさと付いて来い。所有する馬の良し悪しも馬廻りの採用基準だからなっ! 信長様は貧相な馬はお嫌いなんだからっ!」

 馬の遠駆けの訓練と選抜、それに治安維持を兼ねて美濃中を走り回っていた。

 はっきり言って馬鹿馬鹿しい限りだが。

(クソ~。どうしてオレがこんな事を~。城下建築の普請は嫌だが、それでも市姫の嫁入りか、伊勢に逃げた斎藤龍興の追跡に噛みたかったぜ~)

 なんて思いながら恒興は馬廻り選抜試験を続けたのだった。





 因みに、この遠駆けの選抜試験では一人だけ突き抜けた合格者が出た。

 武田信玄から拝領された名馬に乗る恒興の左側で楽々と並走し、

「池田のお兄ぃ、オレは合格だよね?」

 そう質問してきたのは、何故か試験に紛れ込んでいた平手久秀の嫡子の平手秀千代だった。

 平手久秀の息子なのだ。

 当然、汎秀が生まれた時から恒興も顔見知りである。

 そして馬も名馬を所有していた。

 父親の久秀の馬を勝手に乗り回してる可能性の方が高かったが。

「元服前のわっぱは駄目に決まってるだろ、秀千代」

「十四で元服だってしてるってば。今は平手汎秀なんだからさ。元服祝いだって池田家から送られてきてたのに」

「あれ、そうだっけ?」

 雑用は正室と池田家の家臣に丸投げだから全く覚えていない。

「そうだよ」

「仕方ない。信長様に聞いてみてやる」

 と約束して、





 稲葉山城に登城した際に信長と遭い、

「おっ、勝、どうだった? 今日は遠駆けの訓練だったな? 見所があるのはいたか?」

「一人、段違いなのが。控えの間で待たせてますが」

「勝にそこまで言わせるなら合格だな。会おう。連れて来い」

「まあ、いいですけど」

 恒興が渋い顔をしたので、

「ん? 何か問題があるのか?」

「会えば分かりますよ、信長様」

 信長の指図通りに小姓の堀秀政が連れてきたのが平手汎秀で、

「お久しぶりです、信長様」

「おっ、もしかして秀千代か? 平手の?」

 信長も当然、顔見知りなので名前を言い当てた。

「はい、近習にしていただけるんですよね?」

 そう問われて、信長が恒興を見て、

「・・・勝、どういう事だ? 嫡子は省いたはずだろうが?」

「どうやら勝手に紛れ込んでたみたいで。当然ですが出自、実力、共に問題ありません。どうしましょう?」

「秀千代、久秀の許可は取ってあるのか?」

「も、もちろんですよ」

 と言いながら眼を泳がせたので嘘だと丸分かりだ。

 信長が苦笑しながら、

「まあ、良かろう。尾張の総留守居では息子の教育までは手が回らんだろうからな。預かろう」

 許可を出したので平手汎秀が近習に加わったのだった。





 ◇





 北近江の小谷城にて、浅井長政と市姫の祝言が執り行われた。

 浅井長政、22歳。

 織田市、20歳。

 (織田信長と織田市の年齢差が13歳なのは確定事項なので)戦国の世ではさすがに市姫のこの年での結婚は遅く思えるが「諸説あり」という事として。





 祝言に列席した浅井家の重臣、磯野員昌が、

「いや~、実にめでたい。これで浅井家も安泰ですな~」

 と喜んだが、隣の席の雨森清貞が、

「どこがだ。相手は尾張、美濃を従えた大国だぞ。浅井家が臣従させられるのは目に見えておるのに」

「では戦いますので? 返り討ちですぞ」

いくさはやってみなければ分からんだろうが。聞けば織田の兵は弱いと聞くぞ」

「いやいや、弱い兵で今川の大将を討ち、美濃を平定出来る訳がないではありませんか。その流言こそが『敵の油断を誘う』織田の作戦ですよ」

 などと喋っており、

 花嫁側に列席した織田家の長兄の織田信広は隣の金森可近に小声で、

「正室腹の妹をやる価値が小国の北近江の浅井にあると思うか?」

「殿は伊勢、南近江を狙っておりますのであるかと」

「ふむ」

 などと喋ってると、花婿の浅井長政自らが酒を注いで回っており、

「ささ、織田の家中の皆様もお酒を」

「おお、これは浅井の当主殿自ら」

「ありがとうございます」

 信広と可近が恐縮しながら盃を受けた。

「今後とも浅井とはより良い関係をお願いします」

「それはこちらこそ」

「越前に居る公方様を掲げて上洛をするのですか?」

 長政がキラリと眼を光らせて問う中、一門衆の信広が適当な事を言っては後々問題になるので素早く可近が、

「それは公方様次第かと」

「公方様の要請があれば?」

「はい、そうなると思いますよ。まあ、難しい話はまた別日に。本日は祝いの席ですので」

「そうですな」

 酒で茶を濁し、祝言を楽しんだのだった。





 ◇





 新たな織田家の首都となった稲葉山城に池田恒興が登城した時の事。

 廊下で嫌な相手にばったりと出食わして、

「おっと、忘れ物をした」

 慌てて廊下を戻ろうとしたが、その相手に左耳を掴まれて、

「どこへ行くつもりだ~?」

「イタタタタ」

 逃亡に失敗した。

 耳を掴んだのは信長の教育係で、恒興にも勉学を教えた沢彦宗恩だった。

「このいたずら坊主は大人になっても師に挨拶も出来んのか?」

「オレの師匠は信長様ですから・・・イテテテテ」

 更に耳を引っ張られる。

 正直、凄く痛い。

「ん? 何か言ったかな?」

「いい加減にしろよ、もうオレは大人なんだぞ。いつまでも子供扱い・・・イタタタ、誰か助けてくれ~っ!」

 痛みに負けて廊下で情けなく助勢を頼む破目になった。

 だが、宗恩が信長の師である事を知ってる尾張出身の者達は誰も手を貸さないし、新参の美濃出身者は見るからに違い僧侶だったので重臣の恒興の言葉でも躊躇した。

「こちらにおいででしたか。信長様がお待ちです」

 堀秀政が呼びに来て、

「おお、悪いね、小姓殿」

 と言って、宗恩も廊下を歩き出した。

 恒興の耳をつまんだまま。

「ちょ、嘘でしょ? ・・・イタタタタ」

「ほら、さっさと付いて来い」

 こうして恒興を信長の許に連れていかれ、





 既に部屋に居た信長が二人の様子を見て、

「何をやってるんだ、勝?」

「この暴力和尚がいきなりオレの耳を・・・」

「ははん?」

「イタタタタ」

 座ってもまだ耳を掴まれてるので恒興は観念して、

「分かりましたよ、オレが悪かったですから」

「何が悪かったんだ?」

「挨拶をしなかった事・・・」

「全然違うわっ! まだ信勝様が謀反を起こした元凶の津々木蔵人を倒してない事だっ!」

「あっ、それ、倒しましたよ」

 恒興が得意げに言い、

「もしかして耳をつねられ損?」

 その反応には宗恩が、

「そうなので、信長殿?」

「まあな」

「どうしてワシに報告しない、坊主?」

 ようやく恒興の耳を離した宗恩が尋ね、

「倒してない事になりましたので」

「はん? 詳しく申せ」

「桶狭間で『今川義元以外の首は要らん』と信長様が言われたのに、倒した津々木蔵人の首を持って鼻高々に戻ったら、怒られてーー」

「もう良い。分かった」

 そう呆れられながら、宗恩は改めて信長に、

「それで本日はどのような?」

「その前に謝ーー」

 文句を言おうとした恒興だったがジロリッと宗恩に睨まれて、

「って貰えたら嬉しかったかも~」

 語尾が尻窄みとなった。

 恒興はその後、大人しく黙ったので信長と宗恩の会話が始まり、

「稲葉山城の城下の井ノ口を改名したいのだが、何か良い名はないか?」

「では、周の故事にならい、『岐山、岐陽、岐阜』から選ばれればよろしいかと」

 当然、信長が選んだのは、義父と同じ読みの、

「岐阜にしよう」

 道三を偲んだ訳ではないが、縁を感じて。





 こうして稲葉山城はこの日から岐阜城と呼ばれる事となったのだった。





 ◇





 十月となり、色々な事が各地で起こった。





 まずは尾張から南信濃の木曽に運んでいた五倍の値の塩だが、

「運んできていただいて大変恐縮なのですが、お持ち帰り願いないでしょうか」

 受け取りを木曽の家臣が断ってきた。

「もうよろしいのですか?」

 武田への塩輸送担当の菅屋長頼が問うと、満面の顔でその木曽の家臣が、

「はい、越後より通常値で購入出来るようになりまして」

「? 越後って関東管領の? 敵ですよね?」

「越前に居る公方様の口添えのお陰と聞いております」

「へ~」

 そう言って引き下がり、





 当然、帰りに長頼は岐阜城によって信長に報告した。

「ほう、越後が塩を。それも越前の公方の仲立ちで」

 どこまでが本当か分かったものではないが。

「まあ、向こうが要らぬと言うのであれば運ぶ事は無かろう。九右衛門、よくやった」

 そう長頼を労ったのだった。





 越後春日山城には関東遠征を終えて冬前に城に戻った上杉輝虎が武田の内情を知り、

「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ。塩は適正価格で売るようにしてやれ」

「よろしいのですか、それで?」

 そう尋ねたのは上杉家の財務部門のそう総奉行の直江景綱だ。

 輝虎不在中は留守居役権限で当然、北信濃方面への塩の流通は総て止めていたが。

「苦しむのは民だからな」

(やれやれ、甘過ぎる。いや浮世離れし過ぎてる、か)

 と思いながらもその命令に従ったのだった。





 甲斐の躑躅ヶ崎館では武田信玄が、

「まさか、長尾(上杉とは呼ばない)に助けられる事になるとはな」

「何が狙いでしょうか、少し気味が悪いですね」

 報告した弟の武田信廉が真面目な顔で言い、

(本当に使えぬな、孫六はりあの男の行動に裏などないぞ。評判を上げる為なら可愛いのたがーーは損得を考えないでやれる奴だからな。読もうと思っても読めぬのだよ)

 と信玄は思いながらも、

「何にせよ、助かったわ。織田の馬鹿高い塩なんぞをいつまでも買ってたら甲斐が干上がるからな」

 そう笑い、





 相模小田原城では北条氏康が報告を聞き、

「越後の塩が安値で信濃に流れてる?」

「はい、それも大量に。間違いございません」

 風魔小太郎がそう報告した。

 つまり、それは、

「北条と今川に対抗する為に武田が上杉と同盟を結んだという事か?」

 だとしたら大変だ。

 北条と今川、上杉と武田ではどちらが勝つかは目に見えてる。

「いいえ、どうも塩だけでそのような素振りは見えません」

「?」

「関東管領ですので恰好を付けたのかと」

「ありそうだな。あの目立ちたがりの上杉輝虎なら」

 と納得した氏康だったが、

「だが、塩止めを上杉に妨害されるとは・・・武田は兵の動員はしておらんよな?」

「はい」

「武田が動いたらすぐに知らせよ」

 そう命令した氏康は思案を巡らせたのだった。





 ◇





 この年の十月で一番の出来事と言えば・・・





 ゴオオオオオオオっ。





 大和国のある場所でが燃えていた。





 東大寺の大仏殿の大仏である。





 燃やしたのは「東大寺大仏殿の戦い」で大仏殿に陣取っていた三好三人衆の軍に居たキリシタンの雑兵だったのだが。





 今回は何故か、

「東大寺の大仏を松永が燃やしたそうだ」

「何と恐れ多い。仏罰が下るぞ」

 松永久秀の所為となった。





 いくさの後、その噂を聞いた久秀が、

「どうしてワシの所為になっておるんじゃっ! 東大寺に陣取っていたのは三人衆の軍じゃというのにっ!」

 と怒る破目になった。





 三好三人衆の方は、

「ふふふ、ざまあみろ、松永め」

「将軍殺しの悪名を着せたお返しだ」

 三好長逸と三好政康が悪そうに笑ったのに対して、何も聞かされていない岩成友通が、

「えっ、まさか、御二人が指図をして?」

 と問い、更には三好三人衆側に加担した篠原長房が、

「う、嘘ですよね?」

「いやいや、当然であろうが」

「戦略的にも必要な事だからな。これで大和にある寺全部が松永に味方する事はなくなったぞ」

 そう三好長逸と三好政康は笑ったが、それを見た篠原長房は、

(・・・こんな連中だったのか、三好三人衆って? 手を切らねばこちらまで悪名を着させれるぞ、これは)

 と戦慄したのだった。





 ◇





 岐阜城の城下では武家屋敷がどんどんと建築されていた。

 動員された大工や兵士が数千人と多く、何より平屋建築なので作るのも早い。

 畳や塀の完成よりも屋敷の完成の方が早いくらいだった。

 恒興は重臣なので、城下の一等地に完成した池田屋敷を見物に来ていると、

「えっ、またお隣なんですか?」

「信長様の采配だろ」

 そう答えたのは森可成だった。

「ってか、そっちの屋敷、小さくありませんか?」

「正式に東美濃の金山城を貰ったからな。家族は金山城に住んでるし。こっちは仮屋敷扱いだからこの広さなら問題無かろう」

「そうですか」

「そんな訳で当分は食事の用意をよろしくな」

「ったく」

「それと、うちの領地開発を手伝うようにな、勝三郎」

「はあ? 何でオレが?」

「織田家の発展の為だろうが。東美濃は武田の最前線でもあるし。ってか、金山城を貰っても領地経営なんぞ勝手が分からん。忙しい久秀殿に頼む訳にもいくまい?」

 いくさ馬鹿の可成が素直に白状したので、

「あのですね~、木曽川に面した兼山湊があるんですから、河運を利用して商圏を広げていって・・・」

「待った。詳しくは専門の家臣の前で頼む」

「少しは考えましょうよ」

 呆れつつも恒興は仕方なく統治というか銭の稼ぎ方を教える破目になったのだった。





 岐阜城下での池田屋敷の完成を待って、尾張清洲城下の池田屋敷から恒興の家族が岐阜に引っ越してきた。

 とは言っても本家のみで、

 室の善応院。

 養女の七条。

 次男の古新。

 となり、一宮つると名乗る武田の女中とその娘のせんは居なかった。

 清洲の屋敷に務めていた使用人達や警備の兵も引き連れての大移動で、清洲の方の池田屋敷は引き払っていた。

 尚、長男の勝九郎は織田家の嫡子、奇妙のお側衆なので奇妙の岐阜城入りと一緒に岐阜城に既に入っている。

「おお、良くきたな」

「これからは美濃に住むんですか?」

「あの岐阜城が信長様が住む城となるからな。まだ再建が始まったところだが、その内、嫌というほど栄えるさ」

 そう恒興は笑って家族を迎え入れたのだった。





 登場人物、1567年度





 平手汎秀(14)・・・織田家の家臣。平手久秀の嫡子。幼名、秀千代。別名、堪左衛門。親に内緒で近習選抜に参加する。

 能力値、未来の織田家の柱石の汎秀C、祖父、父二代の信長への貢献B、平手家の御曹司A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A

 磯野員昌(44)・・・浅井家の家臣。浅井四翼。佐和山城主。六角攻めの先鋒。

 能力値、突進の員昌S、浅井四翼A、六角の天敵B、長政への忠誠C、長政からの信頼A、浅井家臣団での待遇S

 雨森清貞(43)・・・浅井家の家臣。雨森城主。海赤雨の三将の一人。通称、弥兵衛尉。浅井の比叡山の交渉役。

 能力値、晴れ男の清貞B、槍の雨森S、比叡山と昵懇C、長政への忠誠S、長政からの信頼A、浅井家臣団での待遇S

 織田信広(36)・・・織田の一門衆。信長の兄。通称、三郎五郎。信秀の遺言は、死にたくなければ信長に逆らうな。

 能力値、織田一門衆S、母親の地位の低さSS、信秀の遺言B、織田家の家督に未練D、信長より恒興が怖いA、お人好しA

 金森可近(43)・・・織田家の家臣。美濃源氏土岐氏の支流。金森定近の次男。後の長近。尻尾振りの可近。

 能力値、尻尾振りの可近A、格下には別の顔S、お坊ちゃん育ちA、信長への忠誠C、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇D

 浅井長政(22)・・・北近江の大名。通称、新九郎。流鏑馬の長政。火縄銃に詳しい。外交上手。朝倉が嫌い。織田市と祝言を上げて織田一門衆に。

 能力値、流鏑馬の長政A、国友村持ちの浅井A、国友で火縄銃を学ぶA、豊かな北近江B、足引っ張りの父S、外交上手A

 沢彦宗恩(55)・・・織田家の家臣。臨済宗妙心寺派の僧。幼少の信長の教育係。信長の参謀。

 能力値、信長の師の宗恩A、名が残るA、教育係としての賛否分かれるC、信長への忠誠C、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇SS

 上杉輝虎(37)・・・山内上杉家の養子にして当主。室町幕府の関東管領。越後の今義経。強運持ちで有名で「毘沙門天の加護がある」との噂が立つほど。武田に塩を売る。

 能力値、山内上杉家を継承A、越後の龍S、毘沙門天の加護オン・ベイシラマンダヤ・ソワカSS、雲を愛するA、俗世嫌いB、先頭駆けの今義経A

 直江景綱(58)・・・上杉家の宿老。上杉四天王の一人。本与坂城王。政務全権を与えられてる。膨大な軍費を捻出する越後経済の申し子。

 能力値、越後経済の景綱SS、毎年戦をする大将の為に莫大な軍費を賄う苦労人A、軍兵から不満続出B、輝虎への忠誠C、輝虎からの信頼B、上杉家臣団での待遇SS

 善応院(28)・・・恒興の正室。前夫は信長の異母兄の織田信時。前夫との間に娘、七条あり。池田勝九郎の母親。池田古新の母で納得する。

 能力値、再婚は信長の命令B、姑に頭上がらずSS、政治に口を挟まずA、実家にウンザリA、子育てA、今の生活に満足C
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