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1565年、一乗院覚慶、逃げる
中美濃制圧戦
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【加治田城の戦い、織田軍420人説、採用】
【加治田城の戦い、斎藤軍2200人説、採用】
【加治田城の戦い、斎藤利治の援軍500人説、採用】
【加治田城の戦い、旗印を使った奇襲説、採用】
【関城で長井道利の切腹で将兵が助かる密議がされてた説、採用】
【羽淵吉正、1534年生まれ説、採用】
【長井道勝、1538年生まれ説、採用】
【久々利頼興、1523年生まれ説、採用】
信長の出陣による今年の美濃への侵攻はここまでである。
信長はそのまま秀吉が城代の宇留間城から尾張へと戻っていった。
だが、戦に信長が出なかっただけで、まだ中美濃侵攻の戦は続いている。
織田軍は寝返った加治田城と多数の犠牲を払って落城させた堂洞城を自軍の城に出来て満足だったが、
斎藤軍側からすれば裏切り者の加治田城の佐藤を許す事は出来ず、信長を討ち洩らした斎藤龍興が長井道利に、
「加治田城を落とせ、良いな」
そう命令して帰ったのだった。
命令された長井道利は失点続きだ。
三城盟約の岸信周は道利が見殺しにした事になっての討ち死に。
もう一人の佐藤忠能に至っては離反である。
この佐藤忠能を野放しにすると「長井も裏切るのではないか」との流言が広められる破目になる。
今の斎藤龍興は暗愚の時よりも厄介で、処罰が薪割り斧での人体欠損である。
安藤定治などは家老職なのに片腕を落とされていた。
道利は絶対に片腕落としなど嫌だったので、
「攻めろっ! 絶対に加治田城の裏切り者を許すな~っ!」
攻め立てたのだった。
攻められた加治田城の兵は少数ながら、その士気は信長の宿泊効果でかなり高い。
信長に信頼されてると思ってるのだから。
「持ち堪えろっ! すぐに織田からの援軍が来るのだからなっ!」
城主の佐藤忠能がそう雑兵を鼓舞し、本当に織田軍からの援軍がすぐに来た。
攻め落としたばかりの堂洞城に入っていた斎藤利治、斎藤利尭兄弟が率いる織田軍500である。
たった500と思うなかれ。
加治田城を攻める長井道利が率いる斎藤軍は2200。その内1500は斎藤龍興や負傷した竹腰尚光軍から借りた兵だ。
加治田城に籠もる佐藤忠能が率いる織田軍は420。
一応は挟撃の形となった。
ここで注目すべき点は斎藤利治、斎藤利尭の旗印が「何か」である。
斎藤道三の息子なのだから当然、斎藤軍と同じ「撫子」であった。
それが堂洞城からではなく、迂回して稲葉山城から進軍してきた味方のふりをして、長井道利が率いる斎藤軍の背後にゆっくりと着陣したのである。
「後詰めのお味方500が到着」
「おお、殿の御指図か。ありがたい」
報告を受けて道利はそう喜んだが、敵である。
斎藤利治、斎藤利尭の兄弟の父親は美濃の蝮と恐れられた斎藤道三である。
戦国の世で「不意討ちが汚い」などというズレた事は言わない。
旗印を利用して堂々と背後に近付き、
「かかれっ!」
斎藤利治の命令で攻撃した。
敵味方が分かるように隠していた織田軍の旗も上げさせる。
「なっ、織田軍だと?」
その一撃で味方は総崩れとなり、加治田城からすれば、
「おお、織田軍だったのか」
「でも、どうして斎藤の旗を・・・」
「確か道三様のお子が織田軍に居たはずだが」
「では、お助けせねば」
加治田城からも佐藤忠康が突っ込み、挟撃となった。
斎藤軍は2200と兵数は勝っていたが錯乱状態である。
そして、最も悪手を放ったのが長井道利だった。
城攻めの一番後ろに居た為、背後からの攻撃の最前線に立たされる事になった道利が、
「くっ、仕方がない。関城に戻って出直しだっ!」
捨て台詞を吐いて逃亡したのである。
総大将が真っ先に逃亡したのだ。
百姓で構成された雑兵が命を賭けて戦う訳がない。
「長井様、逃亡」
その一報で斎藤軍2200は総崩れとなって逃亡を始めた。
背を向けた相手を倒す戦ほど楽なものはない。
矢を放ち、槍で突き、敵を面白いように倒して、織田軍が勝利したのだった。
斎藤軍の撤退後、
「援軍ありがとうございます、斎藤利治様ですよね?」
「まあな。尾張の義兄上より加治田城に入って守るように言われた。よろしいか?」
「ええ、どうぞ。中へ」
こうして織田軍は加治田城に常駐する事になったのだった。
◇
一方で何とか関城まで無事に逃げ切った長井道利は更なる窮地に陥っていた。
関城から反転攻勢をするつもりだったのだが、廊下を歩いていたら、
「このままでは我々も稲葉山城からお叱りを受けるのではないか?」
「だから織田軍を倒すのだろう?」
「それよりも良い方法があるぞ」
「どのような?」
「知れた事。殿にお腹を召して貰うのよ」
「道利様がそんな潔い真似する訳がないだろ。戦場から一番に逃げるような御仁だぞ」
「だから、そこはそれ。『立派な最後であった』と」
「待て。我らで誅殺する気か?」
「これ、声を落とせ。誅殺などと人聞きの悪い。道利様なら関城の皆の為に喜んでお腹を召されるさ」
なんて密議が聞こえてきたからだ。
「誰だ、そんな事を言ったのは」
と強く出れる性格ではない道利がそっと廊下の角から庭を覗くと30人以上の兵士達が密談していた。
演説をしてるのが、織田軍と内通している羽淵吉正で、それが周囲を煽るように演説していた。
そして驚くべき事に誰もその不穏な会話を咎めない。
会話の流れは道利の切腹で固まっていた。
(冗談ではないぞ)
その日の内に、長井道利は関城を抜け出して、
稲葉山城に到着したが、その稲葉山城でも窮地が待っており、
「加治田城攻めの際に兵を置いて真っ先に逃げたそうだな」
斎藤龍興がつまらなそうな眼を道利に向けたのだった。
左右に控える氏家直元、日根野弘就も呆れ果てており、とても責任転嫁は出来ず、
「申し訳ございません」
「それで関城に居るはずの長井がどうして稲葉山城に登城しておるのだ」
追い詰められた道利は仕方なく短刀を抜いて、
「まずは堂洞城を失った責任を取らせていただきます」
足袋を脱いで左足の小指を一本切断した。
痛くて血が出血してるが、そんな事は言ってられない。
「続いて、加治田城攻めから逃げた責任を」
足の薬指を切断すると、
「宇留間城の奪還失敗もだな」
龍興がさらっと言ったので、
「では、それも」
覚悟を決めた道利は左足の中指まで切断したのだった。
それを見守った龍興が、
「おまえの忠誠は受け取った。何をしてる、ジイ。医師を呼んでやれ」
「はっ」
こうして道利は最小限の被害で事無きを得たが、
関城の方には織田軍の丹羽隊1200が詰め寄せていた。
関城は長井道利が不在で息子の長井道勝が守っていたが、城兵には織田方の鼻薬を嗅がされた者達が多く居る上、士気も低く、
「お逃げ下さい、道勝様。既に関城内にも織田に内応する者が複数居り、籠城しても勝ち目はございません」
側近達でさえ開戦を望んでいなかった。
「くっ、稲葉山城に撤退する」
道勝は無念に思いながらも撤退し、丹羽隊が容易く空き城を拾ったのだった。
信長不在の織田軍の美濃制圧は止まらない。
烏ヶ峰城。
久々利城。
この二城も狙われ、その二城の支配者だった「土岐悪五郎」と悪名高い久々利頼興が織田軍の森隊1000人が兵を進めると、
「お待ちしておりました。織田様に降伏させていただきまする」
あっさりと投降を願い出ていた。
確かに丹羽長秀が調略しており、返事も貰っているが、この男は信用出来ない。
「本当に従うのだな?」
「無論です」
「更なる寝返りは死を招くぞ」
そう森可成が念を押してから久々利頼興の投降を受け入れる事となったのだった。
小牧山城で中美濃、東美濃の制圧状況を聞いた信長は、
「昨年の竹中の稲葉山城の乗っ取りが思いの外、利いておるな」
そう喜んだが、恒興が心配そうに、
「信長様、ずっと上の空なの気付いておられます?」
「仕方なかろう、勝。南近江と伊賀の国境が面白い事になっておるのだから。それも犬山城の家老の和田定利の兄も噛んでおるのだぞ? 上手く事が運べば次の征夷大将軍が尾張に来る事となる。それで気にせん方がおかしいであろうが」
書状をヒラヒラと見せびらかす信長に恒興が、
「そちらも大事ですが、武田との縁組の方も手抜かりなくお願いしますね」
「分かっておるわ。任せよ」
信長も請け負ったのだった。
◇
さて。
逃げた一乗院覚慶一行は和田惟政の叔父が統治する南近江の甲賀の和田城に入っており、織田家の使者として選ばれたのは当然、和田惟政の実弟で犬山城の家老だった和田定利だった。
「織田の殿より、まずは公方様に滞在費の一千貫、お納め下さいますように」
「うむ。御苦労であった」
軽薄な声で答え、直後に手を軽く振った事で、上座に控えていた一色藤長が、
「御苦労であったな。弾正忠の弟だとか。兄弟で話されたか?」
「いえ、役目が大事でしたので。公方様との謁見が終わってからと」
「では、話されると良かろう」
そう言って退席を促されて、定利は退室して惟政と遭った。
久しぶりの兄弟の再会だったが、
「私がお会いしたのが御本人様で間違いないのですか? 影武者とかではなくて」
「ああ、あれが一乗院覚慶様だ」
「何というか武芸とは無縁の方のようですね」
「当然であろう。興福寺で修業されていたのだからな」
「兄上、尾張には木曽川という大川が流れておりましてな」
「それが?」
「沈む舟には乗らぬ事です」
「喧嘩を売ってるのか、新助?」
「いえ、兄上だから教えているのですよ」
「余計な御世話だっ!」
「そうそう、公方様に貼り付くように尾張の殿に言われてますのでお口添えの方よろしくお願いしますね。ああ、御安心を。逃げる時は一人でさっさと逃げますので」
「ったく」
そんな内容が和田兄弟の間で語られたのだった。
一乗院覚慶一行が逃げた先の南近江は六角義賢が統治していたが、こちらはこちらで大変だった。
1563年に家臣筆頭格の後藤賢豊を謀殺するという観音寺騒動を起こしているのだから。
六角家に尽くした忠臣を咎無く謀殺。
他の家臣達からすれば、次は自分がそうなるのでは、と疑う事となり、六角家臣団は騒然となっていたのだ。
そんな折に、将軍義輝の実弟の一乗院覚慶が南近江に転がり込んできた事は幸運でもあり、不幸でもあった。
幸運なのは将軍の威光を背景に、六角家の家臣達の鎮静化と、家を更に高みへと上げる事が出来るからで、
不幸なのは速攻で三好家から、
「そちらに公方の弟が御滞在とか。引き渡して貰おうか」
と使者が来たからだ。
それも三好三人衆の一人、三好政康本人が直接、南近江の観音寺城まで乗り込んできていた。
それだけ三好家も必死という事だが。
「知りませんが」
義賢はすっとぼけていた。
「おとぼけを。そちらも家臣がいう事を聞かずに大変なのでしょう? 預かりますよ」
「いえいえ、役に立たない若い当主と、あの松永にやりたい放題されてる、そちら程ではありませんよ。後、公方の弟とか知りませんから」
「とぼけるなよ、腰抜け。密書を乱発してる癖に。潰すぞ」
「出来るのかね? 近江までの遠征を今の三好に? 遠征中に背後で松永が何をしても知りませんぞ、公方殺しの三好殿」
「チッ」
「ではお帰りはあちらで」
この時はまだ六角は三好の圧力を押し返すだけの気概があった。
三好三人衆の方はそれで片付いたが、公方候補に逃げられた松永久秀の方は三好三人衆とは出来が違う。
今回は武家の恰好の竹内秀勝が松永久秀の名代として観音寺城にやってきて、
「松永が申すには、公方様の弟君を擁立される時は六角様の御仲間に加えていただきたいと」
「・・・知りませんが、弟君など」
顔見知りの秀勝を相手に六角義賢はそうとぼけたが、
「またまた、おとぼけを。あれだけ書状を乱発してるのに」
「知らんと言ったぞ」
最後まで「知らん」を突き通す義督に、秀勝が話題を変えるように、
「それはそうと、松永が心配しておりましたよ」
「何をだね?」
「伊勢の国境近くの甲賀なんぞに公方様の弟君を住まわせていますでしょう。甲賀は確かに要害ですが伊勢の北畠家に奪われたら洒落になりませんので琵琶湖の畔に場所を提供されてはどうかと」
(・・・なるほど、確かにのう)
一理あると思いながら、六角義賢が、
「公方様の弟君など知りませんが」
「そろそろ正直になりましょうよ、六角様。独り占めはよくありませんぞ」
「独り占めなどと人聞きが悪いな」
「皆で良い思いをしませんと。松永もそのお仲間に加えて下さいませ。ねえ?」
「良い思いなどしておらんが?」
「本当ですか?」
「無論だ、さっさと帰れ」
「分かりました。今回は引き下がります。困った際にはどうぞ遠慮なく松永をお頼り下さいませ」
その言葉を残して秀勝は帰っていったのだった。
登場人物、1565年度
斎藤利治(24)・・・織田家の家臣。斎藤道三の末子。同腹の濃姫の弟。信長の義弟。通称、新五郎。道三の美濃国譲り状を信長に渡す。
能力値、蝮の血B、比興の才覚を美顔で隠すS、正直者のふりA、信長への忠誠B、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇B
羽淵吉正(31)・・・長井家の家臣。織田から鼻薬を貰ってる。
能力値、道利が弱将だと薄々気付いてたA、自分の出世の為にS、美濃では下剋上は常識S、長井への忠誠E、長井からの信頼C、長井家臣団での待遇B
長井道勝(27)・・・長井道利の息子。長良川の戦いで道三を捕縛寸前まで追い詰める。道三を手本とする。
能力値、蝮手本の道勝C、星周りが悪いB、恥ずかしい父が居るA、龍興への忠誠C、龍興からの信頼D、斎藤家臣団での待遇E
久々利頼興(42)・・・斎藤家の家臣。東美濃の実力者。別名、土岐悪五郎。道三の命令で道三の養子で近衛家の血筋の斎藤正義を謀殺。城二つを手土産に織田に投降する。
能力値、蝮の四の牙の頼興A、土岐悪五郎C、東美濃の顔役C、龍興への忠誠E、龍興からの信頼E、斎藤家臣団での待遇A
和田定利(33)・・・織田家の家臣。織田信清の元家老。元黒田城主。兄に幕臣の和田雅が居る。逃げた一乗院覚慶に張り付く。
能力値、信長の使いの定利B、兄が幕臣C、覚慶は沈む舟A、信長への忠誠E、信長からの信頼E、織田家臣団での待遇D
六角義賢(44)・・・近江国守護。官位、左京大夫。正室、畠山義総の娘。吉田重政を師とした日置流の弓の名手。観音寺城騒動で困ってるところに一乗院覚慶がやってくる。
能力値、弓名人の義賢A、逃げ鼠の六角A、畿内の有名人A、観音寺城騒動で家臣が言う事を聞かずA、凶を引くC、珠を拾うA
竹内秀勝(35)・・・松永久秀の若き腹心。買収が得意。六角と会見して一乗院覚慶が伊勢に逃げないように助言する。
能力値、松永久秀の使いの秀勝A、どこにでも出没A、ピンハネC、松永家臣団での待遇SS、三好家臣団での待遇A、上司の久秀嫌いD
【加治田城の戦い、斎藤軍2200人説、採用】
【加治田城の戦い、斎藤利治の援軍500人説、採用】
【加治田城の戦い、旗印を使った奇襲説、採用】
【関城で長井道利の切腹で将兵が助かる密議がされてた説、採用】
【羽淵吉正、1534年生まれ説、採用】
【長井道勝、1538年生まれ説、採用】
【久々利頼興、1523年生まれ説、採用】
信長の出陣による今年の美濃への侵攻はここまでである。
信長はそのまま秀吉が城代の宇留間城から尾張へと戻っていった。
だが、戦に信長が出なかっただけで、まだ中美濃侵攻の戦は続いている。
織田軍は寝返った加治田城と多数の犠牲を払って落城させた堂洞城を自軍の城に出来て満足だったが、
斎藤軍側からすれば裏切り者の加治田城の佐藤を許す事は出来ず、信長を討ち洩らした斎藤龍興が長井道利に、
「加治田城を落とせ、良いな」
そう命令して帰ったのだった。
命令された長井道利は失点続きだ。
三城盟約の岸信周は道利が見殺しにした事になっての討ち死に。
もう一人の佐藤忠能に至っては離反である。
この佐藤忠能を野放しにすると「長井も裏切るのではないか」との流言が広められる破目になる。
今の斎藤龍興は暗愚の時よりも厄介で、処罰が薪割り斧での人体欠損である。
安藤定治などは家老職なのに片腕を落とされていた。
道利は絶対に片腕落としなど嫌だったので、
「攻めろっ! 絶対に加治田城の裏切り者を許すな~っ!」
攻め立てたのだった。
攻められた加治田城の兵は少数ながら、その士気は信長の宿泊効果でかなり高い。
信長に信頼されてると思ってるのだから。
「持ち堪えろっ! すぐに織田からの援軍が来るのだからなっ!」
城主の佐藤忠能がそう雑兵を鼓舞し、本当に織田軍からの援軍がすぐに来た。
攻め落としたばかりの堂洞城に入っていた斎藤利治、斎藤利尭兄弟が率いる織田軍500である。
たった500と思うなかれ。
加治田城を攻める長井道利が率いる斎藤軍は2200。その内1500は斎藤龍興や負傷した竹腰尚光軍から借りた兵だ。
加治田城に籠もる佐藤忠能が率いる織田軍は420。
一応は挟撃の形となった。
ここで注目すべき点は斎藤利治、斎藤利尭の旗印が「何か」である。
斎藤道三の息子なのだから当然、斎藤軍と同じ「撫子」であった。
それが堂洞城からではなく、迂回して稲葉山城から進軍してきた味方のふりをして、長井道利が率いる斎藤軍の背後にゆっくりと着陣したのである。
「後詰めのお味方500が到着」
「おお、殿の御指図か。ありがたい」
報告を受けて道利はそう喜んだが、敵である。
斎藤利治、斎藤利尭の兄弟の父親は美濃の蝮と恐れられた斎藤道三である。
戦国の世で「不意討ちが汚い」などというズレた事は言わない。
旗印を利用して堂々と背後に近付き、
「かかれっ!」
斎藤利治の命令で攻撃した。
敵味方が分かるように隠していた織田軍の旗も上げさせる。
「なっ、織田軍だと?」
その一撃で味方は総崩れとなり、加治田城からすれば、
「おお、織田軍だったのか」
「でも、どうして斎藤の旗を・・・」
「確か道三様のお子が織田軍に居たはずだが」
「では、お助けせねば」
加治田城からも佐藤忠康が突っ込み、挟撃となった。
斎藤軍は2200と兵数は勝っていたが錯乱状態である。
そして、最も悪手を放ったのが長井道利だった。
城攻めの一番後ろに居た為、背後からの攻撃の最前線に立たされる事になった道利が、
「くっ、仕方がない。関城に戻って出直しだっ!」
捨て台詞を吐いて逃亡したのである。
総大将が真っ先に逃亡したのだ。
百姓で構成された雑兵が命を賭けて戦う訳がない。
「長井様、逃亡」
その一報で斎藤軍2200は総崩れとなって逃亡を始めた。
背を向けた相手を倒す戦ほど楽なものはない。
矢を放ち、槍で突き、敵を面白いように倒して、織田軍が勝利したのだった。
斎藤軍の撤退後、
「援軍ありがとうございます、斎藤利治様ですよね?」
「まあな。尾張の義兄上より加治田城に入って守るように言われた。よろしいか?」
「ええ、どうぞ。中へ」
こうして織田軍は加治田城に常駐する事になったのだった。
◇
一方で何とか関城まで無事に逃げ切った長井道利は更なる窮地に陥っていた。
関城から反転攻勢をするつもりだったのだが、廊下を歩いていたら、
「このままでは我々も稲葉山城からお叱りを受けるのではないか?」
「だから織田軍を倒すのだろう?」
「それよりも良い方法があるぞ」
「どのような?」
「知れた事。殿にお腹を召して貰うのよ」
「道利様がそんな潔い真似する訳がないだろ。戦場から一番に逃げるような御仁だぞ」
「だから、そこはそれ。『立派な最後であった』と」
「待て。我らで誅殺する気か?」
「これ、声を落とせ。誅殺などと人聞きの悪い。道利様なら関城の皆の為に喜んでお腹を召されるさ」
なんて密議が聞こえてきたからだ。
「誰だ、そんな事を言ったのは」
と強く出れる性格ではない道利がそっと廊下の角から庭を覗くと30人以上の兵士達が密談していた。
演説をしてるのが、織田軍と内通している羽淵吉正で、それが周囲を煽るように演説していた。
そして驚くべき事に誰もその不穏な会話を咎めない。
会話の流れは道利の切腹で固まっていた。
(冗談ではないぞ)
その日の内に、長井道利は関城を抜け出して、
稲葉山城に到着したが、その稲葉山城でも窮地が待っており、
「加治田城攻めの際に兵を置いて真っ先に逃げたそうだな」
斎藤龍興がつまらなそうな眼を道利に向けたのだった。
左右に控える氏家直元、日根野弘就も呆れ果てており、とても責任転嫁は出来ず、
「申し訳ございません」
「それで関城に居るはずの長井がどうして稲葉山城に登城しておるのだ」
追い詰められた道利は仕方なく短刀を抜いて、
「まずは堂洞城を失った責任を取らせていただきます」
足袋を脱いで左足の小指を一本切断した。
痛くて血が出血してるが、そんな事は言ってられない。
「続いて、加治田城攻めから逃げた責任を」
足の薬指を切断すると、
「宇留間城の奪還失敗もだな」
龍興がさらっと言ったので、
「では、それも」
覚悟を決めた道利は左足の中指まで切断したのだった。
それを見守った龍興が、
「おまえの忠誠は受け取った。何をしてる、ジイ。医師を呼んでやれ」
「はっ」
こうして道利は最小限の被害で事無きを得たが、
関城の方には織田軍の丹羽隊1200が詰め寄せていた。
関城は長井道利が不在で息子の長井道勝が守っていたが、城兵には織田方の鼻薬を嗅がされた者達が多く居る上、士気も低く、
「お逃げ下さい、道勝様。既に関城内にも織田に内応する者が複数居り、籠城しても勝ち目はございません」
側近達でさえ開戦を望んでいなかった。
「くっ、稲葉山城に撤退する」
道勝は無念に思いながらも撤退し、丹羽隊が容易く空き城を拾ったのだった。
信長不在の織田軍の美濃制圧は止まらない。
烏ヶ峰城。
久々利城。
この二城も狙われ、その二城の支配者だった「土岐悪五郎」と悪名高い久々利頼興が織田軍の森隊1000人が兵を進めると、
「お待ちしておりました。織田様に降伏させていただきまする」
あっさりと投降を願い出ていた。
確かに丹羽長秀が調略しており、返事も貰っているが、この男は信用出来ない。
「本当に従うのだな?」
「無論です」
「更なる寝返りは死を招くぞ」
そう森可成が念を押してから久々利頼興の投降を受け入れる事となったのだった。
小牧山城で中美濃、東美濃の制圧状況を聞いた信長は、
「昨年の竹中の稲葉山城の乗っ取りが思いの外、利いておるな」
そう喜んだが、恒興が心配そうに、
「信長様、ずっと上の空なの気付いておられます?」
「仕方なかろう、勝。南近江と伊賀の国境が面白い事になっておるのだから。それも犬山城の家老の和田定利の兄も噛んでおるのだぞ? 上手く事が運べば次の征夷大将軍が尾張に来る事となる。それで気にせん方がおかしいであろうが」
書状をヒラヒラと見せびらかす信長に恒興が、
「そちらも大事ですが、武田との縁組の方も手抜かりなくお願いしますね」
「分かっておるわ。任せよ」
信長も請け負ったのだった。
◇
さて。
逃げた一乗院覚慶一行は和田惟政の叔父が統治する南近江の甲賀の和田城に入っており、織田家の使者として選ばれたのは当然、和田惟政の実弟で犬山城の家老だった和田定利だった。
「織田の殿より、まずは公方様に滞在費の一千貫、お納め下さいますように」
「うむ。御苦労であった」
軽薄な声で答え、直後に手を軽く振った事で、上座に控えていた一色藤長が、
「御苦労であったな。弾正忠の弟だとか。兄弟で話されたか?」
「いえ、役目が大事でしたので。公方様との謁見が終わってからと」
「では、話されると良かろう」
そう言って退席を促されて、定利は退室して惟政と遭った。
久しぶりの兄弟の再会だったが、
「私がお会いしたのが御本人様で間違いないのですか? 影武者とかではなくて」
「ああ、あれが一乗院覚慶様だ」
「何というか武芸とは無縁の方のようですね」
「当然であろう。興福寺で修業されていたのだからな」
「兄上、尾張には木曽川という大川が流れておりましてな」
「それが?」
「沈む舟には乗らぬ事です」
「喧嘩を売ってるのか、新助?」
「いえ、兄上だから教えているのですよ」
「余計な御世話だっ!」
「そうそう、公方様に貼り付くように尾張の殿に言われてますのでお口添えの方よろしくお願いしますね。ああ、御安心を。逃げる時は一人でさっさと逃げますので」
「ったく」
そんな内容が和田兄弟の間で語られたのだった。
一乗院覚慶一行が逃げた先の南近江は六角義賢が統治していたが、こちらはこちらで大変だった。
1563年に家臣筆頭格の後藤賢豊を謀殺するという観音寺騒動を起こしているのだから。
六角家に尽くした忠臣を咎無く謀殺。
他の家臣達からすれば、次は自分がそうなるのでは、と疑う事となり、六角家臣団は騒然となっていたのだ。
そんな折に、将軍義輝の実弟の一乗院覚慶が南近江に転がり込んできた事は幸運でもあり、不幸でもあった。
幸運なのは将軍の威光を背景に、六角家の家臣達の鎮静化と、家を更に高みへと上げる事が出来るからで、
不幸なのは速攻で三好家から、
「そちらに公方の弟が御滞在とか。引き渡して貰おうか」
と使者が来たからだ。
それも三好三人衆の一人、三好政康本人が直接、南近江の観音寺城まで乗り込んできていた。
それだけ三好家も必死という事だが。
「知りませんが」
義賢はすっとぼけていた。
「おとぼけを。そちらも家臣がいう事を聞かずに大変なのでしょう? 預かりますよ」
「いえいえ、役に立たない若い当主と、あの松永にやりたい放題されてる、そちら程ではありませんよ。後、公方の弟とか知りませんから」
「とぼけるなよ、腰抜け。密書を乱発してる癖に。潰すぞ」
「出来るのかね? 近江までの遠征を今の三好に? 遠征中に背後で松永が何をしても知りませんぞ、公方殺しの三好殿」
「チッ」
「ではお帰りはあちらで」
この時はまだ六角は三好の圧力を押し返すだけの気概があった。
三好三人衆の方はそれで片付いたが、公方候補に逃げられた松永久秀の方は三好三人衆とは出来が違う。
今回は武家の恰好の竹内秀勝が松永久秀の名代として観音寺城にやってきて、
「松永が申すには、公方様の弟君を擁立される時は六角様の御仲間に加えていただきたいと」
「・・・知りませんが、弟君など」
顔見知りの秀勝を相手に六角義賢はそうとぼけたが、
「またまた、おとぼけを。あれだけ書状を乱発してるのに」
「知らんと言ったぞ」
最後まで「知らん」を突き通す義督に、秀勝が話題を変えるように、
「それはそうと、松永が心配しておりましたよ」
「何をだね?」
「伊勢の国境近くの甲賀なんぞに公方様の弟君を住まわせていますでしょう。甲賀は確かに要害ですが伊勢の北畠家に奪われたら洒落になりませんので琵琶湖の畔に場所を提供されてはどうかと」
(・・・なるほど、確かにのう)
一理あると思いながら、六角義賢が、
「公方様の弟君など知りませんが」
「そろそろ正直になりましょうよ、六角様。独り占めはよくありませんぞ」
「独り占めなどと人聞きが悪いな」
「皆で良い思いをしませんと。松永もそのお仲間に加えて下さいませ。ねえ?」
「良い思いなどしておらんが?」
「本当ですか?」
「無論だ、さっさと帰れ」
「分かりました。今回は引き下がります。困った際にはどうぞ遠慮なく松永をお頼り下さいませ」
その言葉を残して秀勝は帰っていったのだった。
登場人物、1565年度
斎藤利治(24)・・・織田家の家臣。斎藤道三の末子。同腹の濃姫の弟。信長の義弟。通称、新五郎。道三の美濃国譲り状を信長に渡す。
能力値、蝮の血B、比興の才覚を美顔で隠すS、正直者のふりA、信長への忠誠B、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇B
羽淵吉正(31)・・・長井家の家臣。織田から鼻薬を貰ってる。
能力値、道利が弱将だと薄々気付いてたA、自分の出世の為にS、美濃では下剋上は常識S、長井への忠誠E、長井からの信頼C、長井家臣団での待遇B
長井道勝(27)・・・長井道利の息子。長良川の戦いで道三を捕縛寸前まで追い詰める。道三を手本とする。
能力値、蝮手本の道勝C、星周りが悪いB、恥ずかしい父が居るA、龍興への忠誠C、龍興からの信頼D、斎藤家臣団での待遇E
久々利頼興(42)・・・斎藤家の家臣。東美濃の実力者。別名、土岐悪五郎。道三の命令で道三の養子で近衛家の血筋の斎藤正義を謀殺。城二つを手土産に織田に投降する。
能力値、蝮の四の牙の頼興A、土岐悪五郎C、東美濃の顔役C、龍興への忠誠E、龍興からの信頼E、斎藤家臣団での待遇A
和田定利(33)・・・織田家の家臣。織田信清の元家老。元黒田城主。兄に幕臣の和田雅が居る。逃げた一乗院覚慶に張り付く。
能力値、信長の使いの定利B、兄が幕臣C、覚慶は沈む舟A、信長への忠誠E、信長からの信頼E、織田家臣団での待遇D
六角義賢(44)・・・近江国守護。官位、左京大夫。正室、畠山義総の娘。吉田重政を師とした日置流の弓の名手。観音寺城騒動で困ってるところに一乗院覚慶がやってくる。
能力値、弓名人の義賢A、逃げ鼠の六角A、畿内の有名人A、観音寺城騒動で家臣が言う事を聞かずA、凶を引くC、珠を拾うA
竹内秀勝(35)・・・松永久秀の若き腹心。買収が得意。六角と会見して一乗院覚慶が伊勢に逃げないように助言する。
能力値、松永久秀の使いの秀勝A、どこにでも出没A、ピンハネC、松永家臣団での待遇SS、三好家臣団での待遇A、上司の久秀嫌いD
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