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1565年、一乗院覚慶、逃げる
堂洞合戦
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【堂洞合戦、織田軍8500人説、採用】
【佐藤忠康、1537年生まれ説、採用】
【佐藤昌信、1540年生まれ説、採用】
【堂洞合戦、寝返った加治田城主の佐藤忠能の兵500人説、採用】
【堂洞城、守兵700人説、採用】
【関城からの援軍500人説、採用】
【岸信房、1544年生まれ説、採用】
【岸信近、1559年生まれ説、採用】
【斎藤龍興、都合の良い事を考えて援軍を出すのを送らせる説、採用】
【織田信長、加治田城で一泊する説、採用】
【佐藤昌信、信長の寝首を掻こうとしたが父、忠能に止められた説、採用】
【織田信長、帰路に斎藤軍の援軍3500人と遭遇する説、採用】
信長本軍が遂に中美濃に侵攻した。
中美濃と遠山氏の領地以外の東美濃を平らげるつもりなのでその数は6900人。
夏だ。
増水してない普通の水量の木曽川なら兵も余裕で泳いで渡れた。
兵糧や火薬は濡らせられないが、そもそもそれらは一緒に運んではいない。
事前に伊木山城と宇留間城に輸送済みだった。
その信長本軍に先鋒隊の丹羽隊や木下隊が合流し、織田軍は8500人に膨れ上がった。
そして、信長の侵攻に呼応する形で、昨年からの盟約により加治田城主の佐藤忠能が織田軍へと寝返る。
この寝返りには少し問題が起こり、直前まで寝返る事を聞かされていなかった佐藤忠能の次男の佐藤昌信が、
「はあ? 織田に寝返るなど聞いてはおりませんぞ、父上っ!」
「父上が一々おまえごときの了承を取る訳がなかろうが」
嫡男の斎藤忠康が制し、
「では岸家に送った八重緑はどうなるのですか?」
「武家の掟に従うのみであろうよ」
「父上と兄上は死ぬと分かってて妹を送り出したのか?」
「五月蠅いぞ、昌信。これ以上、士気が下がるような事は言うな」
渋々と今回は従ったが、遺恨が残る結果となっていた。
こうして織田・佐藤軍は合計9000人にまで膨れ上がり、
◇
対する堂洞城の守兵は500人。
それと猿啄城から堂洞城へと逃げた多治見修理の兵が200人の計700人だった。
その為、織田・佐藤軍9000人が包囲した段階で堂洞城は降伏すると思われたが、
美濃源氏土岐氏というだけで使者に選ばれた金森可近(後の長近)が大誤算で、浪人崩れで尾張に拾われたはずが高位氏族特有のむかつくニヤニヤ顔で、
「悪いようにせんから降伏されよ、んん?」
高飛車に迫り、
「断る」
武辺者の岸信が断ると、
「貴殿の意地に付き合わされる息子殿達の事も考えられよ、のう?」
そう息子の岸信房に水を向けたら、その息子の信房が、
「信近、ちこう」
「何ですか、父上?」
近付いたまだ六歳の息子の信近の首をズシャッと一刀で刎ね、
「この岸家は例え、滅びようと織田には仕えぬっ! そう伝えいっ!」
「ひ、ひぃええええ」
腰を抜かしながら可近は逃げ帰る事となり、
信長の前で、
「む、息子の信房が、じ、自分の息子の首を刎ねて『織田には下らぬ』と・・・」
返り血を浴びた可近はそう報告する破目になり、
「チッ、どういう説得の仕方をしたんだ、おまえは?」
降伏する、と高を括っていたのに抗戦され、舐められた信長が当たり散らし、
「攻め殺せっ!」
信長の下知で堂洞城への攻撃が始まった。
堂洞城の西と南より丹羽長秀、河尻秀隆、森可成の部隊が、北より加治田城より合流した佐藤忠能の部隊が攻撃した。
信長の本隊3000人は高畑山に本陣を置き、三城盟約により関城から堂洞城へ援軍に向かう長井道利が率いる援軍500人を待ち伏せした。
何せ、道利の部隊の中に織田方に通じてる内通者が居るので動きは丸分かりで、道筋までを教えてくれたのだから、完全な待ち伏せとなり、
織田軍が兵を伏せる高畑の林の目の前を道利の軍が通過し、
「やれ、勝」
信長の指図を受けて臨時の鉄砲奉行も務める池田恒興が、
「鉄砲隊、撃てっ!」
号令し、鉄砲隊200人が一斉に林から射撃した。
その一撃で道利の部隊の500人の3分の1が被弾。
「弓隊も矢を射っ! 騎兵は突撃だっ!」
との恒興の命令を待たずに一騎が突撃し、それが信長だったので、
「って、ちょっと、馬廻り(親衛隊)は信長様を追えっ! 絶対に信長様に傷を負わすなっ!」
そう命令して恒興も馬に乗って信長の後を追い掛けたのだった。
攻撃をされた道利の方は、
「クッ、待ち伏せだとっ! これでは堂洞城に向かえん。やもえん、撤退だっ!」
元々援軍など送りたくはなかったが、三城盟約の言いだしっぺだった事もあり、渋々援軍に向かっていたところを攻撃されたので、これ幸いにと兵を退いたのだった。
逃げる道利の軍を見送りながら、信長は、
「ふん、話にならんな。堂洞城に戻るぞっ!」
その指示で本軍も堂洞城の包囲へと戻ったのだった。
この堂洞合戦は信長公記の著者の太田牛一という武将の唯一の活躍の場所でもあり、南の攻撃隊に参加して屋根の上から矢を射ているが、
それよりも特筆すべきは堂洞城の岸信周が率いる兵士達だ。
美濃兵が強い事は分かっていたが、中でも群を抜いて強かった。
戦術などは関係ない。
堂洞城の信周の兵は城から突撃して退いての繰り返しである。
それだけで10倍の兵を要する織田軍の被害は甚大だった。
「強いな。たったあれだけの数の癖に」
信長は更に不機嫌になり、恒興が、
「鉄砲隊を前に出しますか?」
「あのような乱戦では味方に当たるわっ!」
「では、どのように料理なさいますか?」
「不細工な戦だが、このまま数で押し切る」
信長の決定でこの戦は堂洞城の兵達が力尽きるまで続く事となった。
◇
一方、織田軍に攻められている美濃斎藤家では、
稲葉山城に既に援軍の兵が集まっているのに出陣の触れを出さない龍興に家老の氏家直元が、
「殿、堂洞城へ援軍を送られませんのか?」
「送るが、どうせなら城攻めに疲れ果てた織田軍の背後を突きたいとは思わんか、ジイ?」
道三譲りの悪そうな笑い方をした龍興を見て、当主を育てる事も念頭にある直元が、
「悪くありませんな。それはいつ頃になると?」
「明日の昼だな。ジイは反対するか?」
「いいえ、やってみなされ。勝っても負けても戦は得るものがありますのでな」
「では、そうさせてもらおう。援軍の出発は日の出とする」
龍興は出陣の触れを明日出す事に決めたのだった。
◇
堂洞城では岸信周が率いる兵との戦いは夕暮れになっても続き、
「チッ、このまま続けるか、明日仕切り直すか」
信長が迷う中、堂洞城から味方の歓声が上がり、見れば織田の旗が城内に突入していた。
「おっ、味方が本丸に乗りこみましたよ、信長様」
「よし、そのまま攻め立てよっ!」
織田軍はそのまま攻め、堂洞城を一日で落城こそさせたが、
岸信周には辞世の句を読んで自害させるまでの余裕を与える辛勝となった。
織田軍の死傷者数も多い。
2400人はゆうに超えていた。
僅か700の兵にこの被害はさすがにばつが悪く、信長公記では織田軍の兵数を少数に修正した程である。
それはともかく、
◇
問題が起こったのはその後であった。
堂洞城での勝利に気を良くした信長が、
「夜も遅いし、本日は加治田城で泊まるとするか」
と言い出したのだ。
加治田城とは堂洞城の傍にある佐藤忠能の居城である。
つまりは斎藤方から寝返ったばかりの中美濃に。
「いけませんぞ、信長様っ!」
さすがに家老の森可成が信長を諫めたが、
「心配し過ぎだぞ、三左。問題などあるまいて」
「問題あり過ぎでしょうがっ! 勝、おまえからも信長様を止めろっ!」
そう話を振られた恒興だったが、
「えっ、どうしてです? 佐藤軍の本日の戦いぶりなら問題ないかと」
「おまえまで何を言ってんだっ! いくら昨年から内応の約束があるからって絶対に駄目に決まってるだろうがっ!」
可成がそう吠えたが、信長を止められる者はおらず、
この夜は本当に加治田城にて信長以下馬廻りは宿泊する運びとなった。
信長のその宿泊には加治田城主の佐藤忠能の方が恐縮して、
「ほ、本当によろしいのですか、尾張殿?」
「ああ、宿を借りるぞ」
「ははっ!」
信長に信用された佐藤忠能はそう大感激したが、
織田家に寝返る事自体反対だった次男の佐藤昌信は、
(尾張の総大将の首を取る絶好の機会じゃないのか、これって)
と思い、その夜、手勢を集めようとした。
だが、加治田城内での事だ。
加治田城主の佐藤忠能の耳に入らぬ訳がない。
そんな野盗崩れのような真似をされては佐藤家の面目が丸潰れなので、佐藤忠能が、
「何を考えておるだ、この馬鹿者がっ! 佐藤家の名を貶めさせる気かっ!」
怒りと共に次男の佐藤昌信を殴って、
「この馬鹿者を縛って金蔵に放り込んでおけっ! 絶対に外に出すなっ!」
との厳命で、昌信は隔離されたのだった。
それ以上に大変な目にあったのが、信長の護衛の為に一緒に加治田城に乗り込んだ800人の兵達である。
信長同様、池田恒興のように平気で休める者の方が稀で、家老の森可成や近習の岩室勘右衛門や佐脇良之は警戒過多で城内を見張りつつ、順番に仮眠だけを取る破目になったのだった。
何せ、加治田城が再度斎藤家に寝返ったら織田信長は袋の鼠となるので。
だが、どれだけ警戒しても何も起きず、
何事もなく翌日となった。
信長は堂々と加治田城内で堂洞城の首実験をしていた訳だが。
その頃には稲葉山城から堂洞城への援軍として朝一に出発した斎藤龍興が率いる援軍3000人が関城に到着しており、
「どうして堂洞城が一日と持たずに落城しているのだ?」
堂洞城の落城の事情を聴く破目となった。
当然、聞く相手は関城王の長井道利で、
「どういう事だ、長井?」
「そ、それは・・・」
道利が口を開く前に、 氏家直元が余りの使えなさに吐き捨てるように、
「腰抜けが堂洞城に援軍を送らず、織田軍を怖がって関城で縮こまっていたからでしょうよ」
「なっ、違います。援軍に出向きましたが途中で織田軍の妨害に遭い・・・」
道利がそう言い訳をする中、
「それでは仕方がないのう」
龍興が嘘臭い笑顔で理解を示し、
「それで? 信長は堂洞城を落として帰ったのか?」
「いえ、裏切り者の佐藤が治める加治田城に入ったと」
「兵数は?」
「1000人以下と聞いています」
その言葉を聞いて弾けるように龍興が直元を見て、
「ジイ、これって・・・」
「はい。やってみなされ」
「全軍、加治田城に向かうぞ。狙うは信長の首だっ!」
龍興の号令で斎藤軍3500人は加治田城へと向かったのだった。
◇
首実験を終えて犬山城へと帰る途中の信長の許に、
「報告、前方より斎藤軍が接近してきます。その数、3500人っ!」
伝令兵が伝えて、勝利気分の全員が真剣さを取り戻した。
「全軍、戦うなっ! 迂回して猿啄城、いや、その奥の宇留間城に入るぞっ!」
信長がそう命令して名馬を走らせて一目散に逃げたのだった。
美濃兵と言えば槍兵が有名である。
たが、ちゃんと騎兵も居る。
まあ、乗ってるのは家格が上の武士達だったが、その武士達に斎藤龍興が、
「信長の首を取れっ!」
「ははっ!」
「騎兵は突撃だ。槍隊は後から付いて来いっ!」
命令に従ったのは家老の日根野弘就と竹腰尚光である。
騎馬隊300人を突撃させた。
信長の部隊の700人は敵兵が3倍以上なので逃げの一手だ。
「構わず逃げよっ!」
信長はさっさと逃げたが、織田軍700人の中には歩兵も居る。
まあ、ただの歩兵ではなく鉄砲隊50人だが。
それらが、敵兵に追い付かれる、と独自の判断から鉄砲を出して射撃したのだった。
「ぐあああ」
先頭の竹腰尚光が被弾する。
「ちっ、鉄砲隊とは面倒な」
弘就が突進するのを躊躇し、斎藤軍の騎兵は足を止めた。
そして、この銃撃音に敏感に反応したのが遠方の宇留間城の城代の木下秀吉である。
「30挺以上の鉄砲の射撃音じゃと~? まさか、本日犬山城に帰る信長様が美濃兵に襲われておられるのか? 前野殿、出兵の準備だ。手柄を立てるぞっ!」
秀吉がそう言って兵を鼓舞した時には、伊木山城を城主の恒興から預かっていた留守居役の伊木忠次が、
「全軍出動だ。味方の危機だ。おそらくは上様と殿のっ!」
池田隊で、上様と言えば信長の事で、殿とは恒興の事である。
その出動命令で池田隊の指揮は高く、出陣し、
「ああ、伊木山城の兵が先にーーほら、ワシらも兵を外に出すぞっ!」
木下隊も兵を外に出したのだった。
日根野弘就が騎兵を突進させるか戸惑ってる間に、後方より馬に乗るのが下手な総大将の斎藤龍興が追い付いてきて、
「何をやってる、弘就っ!」
「それが鉄砲隊に阻まれまして。既に尚光が負傷をっ!」
「それよりも突進だっ!」
「しかし」
「ええい、臆病者は下がってろっ!」
渋る弘就を無視して龍興が騎馬で突進を始め、
「なっ、ーー全員続けっ!」
龍興の後に騎兵は続いたのだった。
一発放って逃げていた織田軍の鉄砲隊は徒歩なので当然、追尾した斎藤軍の騎兵の方が移動速度が速く、すぐに追い付かれた。
更に織田軍は撤退中なので背中を見せており、それを馬上から槍で突くだけの戦闘で斎藤軍からすれば楽な戦闘で、龍興は槍など持っていなかったが、それでも刀で騎上より雑兵を斬り捨てていたが、
「殿、前方に織田軍の新手が」
見れば本当に織田の旗を掲げた織田軍の新手が来ていた。
その数、2000人。
信長の方は一直線に宇留間城の中に入り、恒興もそれに従ったが、家老の森可成は違う。
「味方が来たぞ、体勢を立て直してここで敵を迎え討つぞっ!」
その作戦指示で、
「おおっ!」
織田軍が鬨の声を上げた。
斎藤軍に討たれてる織田軍は徒歩の鉄砲隊である。
正直、兵は死んでもいいが鉄砲は回収しないと洒落にならない。
斎藤軍に奪われたら、そのまま斎藤軍の鉄砲隊になるのだから。
全鉄砲の回収を試みるつもりで、森隊は戦闘する気満々だった。
一方の追撃していた斎藤軍の騎馬隊の兵数は300である。
最初の鉄砲の一斉射撃で40は減って260。
後方の槍隊がまだ追いついてきていないので、斎藤軍の方が数的に不利となった。
「殿、退きましょう」
龍興の身を案じて弘就が撤退を進言する中、
「クッ、信長を討てる好機だったのにっ!」
龍興も形勢不利だという事くらいは理解していたので、そこで撤退したのだった。
この一連の流れを信長公記では、野原で迎撃姿勢を見せて斎藤軍を躊躇させたという記載となったのだった。
尚、森隊は倒された織田軍の鉄砲隊の総ての鉄砲をその日の内に回収した。
登場人物、1565年度
佐藤忠康(28)・・・織田家の家臣。加治田城主、佐藤忠能の嫡男。通称、右近右衛門。
能力値、騎馬武者の忠康A、龍興を見限るA、黄金50枚で信長の味方B、信長への忠誠B、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇E
佐藤昌信(25)・・・織田家の家臣。加治田城主、佐藤忠能の次男。通称、石見守。
能力値、美濃贔屓C、聞かされず反発S、信長の寝首を狙うC、信長への忠誠E、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇E
金森可近(41)・・・織田家の家臣。美濃源氏土岐氏の支流。金森定近の次男。後の長近。尻尾振りの可近。
能力値、尻尾振りの可近A、格下には別の顔S、お坊ちゃん育ちA、信長への忠誠C、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇D
岸信房(21)・・・斎藤家の家臣。堂洞城主の岸信周の息子。父親譲りの武辺者。
能力値、豪傑の岸A、死にたがりA、決意を見せる為に息子を殺すA、龍興への忠誠A、龍興からの信頼D、斎藤家臣団での待遇C
岸信近(6)・・・堂洞城主の岸信周の孫。
能力値、大人の都合の巻き添えA、名が残るA、その儀式で堂洞城の兵を死兵にS
森可成(43)・・・織田家の家老。古参の美濃衆。織田二代に仕える。信長のお気に入り。美濃攻めの織田軍先鋒。攻めの三左。正室は林秀貞の系譜ではない。
能力値、攻めの三左S、豪傑が集うA、信長のお気に入りS、織田二代への忠誠S、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
日根野弘就(47)・・・斎藤家の家老。美濃本田城主。通称、徳太郎。兜作りの名人。先代、義龍の寵臣。斎藤喜平次、孫四郎を暗殺した事で有名。
能力値、美濃の家宰D、兜作りの日根野B、判断が悪いC、龍興への忠誠C、龍興からの信頼B、斎藤家臣団での待遇A
竹腰尚光(34)・・・斎藤家の家老。竹腰道鎮の息子。氏家直元に取られた大垣城の奪還を目論む。堂洞合戦で被弾。
能力値、美濃の家宰C、旧領奪還の悲願A、沈む舟から逃げずA、龍興への忠誠A、龍興からの信頼A、斎藤家臣団での待遇A
【佐藤忠康、1537年生まれ説、採用】
【佐藤昌信、1540年生まれ説、採用】
【堂洞合戦、寝返った加治田城主の佐藤忠能の兵500人説、採用】
【堂洞城、守兵700人説、採用】
【関城からの援軍500人説、採用】
【岸信房、1544年生まれ説、採用】
【岸信近、1559年生まれ説、採用】
【斎藤龍興、都合の良い事を考えて援軍を出すのを送らせる説、採用】
【織田信長、加治田城で一泊する説、採用】
【佐藤昌信、信長の寝首を掻こうとしたが父、忠能に止められた説、採用】
【織田信長、帰路に斎藤軍の援軍3500人と遭遇する説、採用】
信長本軍が遂に中美濃に侵攻した。
中美濃と遠山氏の領地以外の東美濃を平らげるつもりなのでその数は6900人。
夏だ。
増水してない普通の水量の木曽川なら兵も余裕で泳いで渡れた。
兵糧や火薬は濡らせられないが、そもそもそれらは一緒に運んではいない。
事前に伊木山城と宇留間城に輸送済みだった。
その信長本軍に先鋒隊の丹羽隊や木下隊が合流し、織田軍は8500人に膨れ上がった。
そして、信長の侵攻に呼応する形で、昨年からの盟約により加治田城主の佐藤忠能が織田軍へと寝返る。
この寝返りには少し問題が起こり、直前まで寝返る事を聞かされていなかった佐藤忠能の次男の佐藤昌信が、
「はあ? 織田に寝返るなど聞いてはおりませんぞ、父上っ!」
「父上が一々おまえごときの了承を取る訳がなかろうが」
嫡男の斎藤忠康が制し、
「では岸家に送った八重緑はどうなるのですか?」
「武家の掟に従うのみであろうよ」
「父上と兄上は死ぬと分かってて妹を送り出したのか?」
「五月蠅いぞ、昌信。これ以上、士気が下がるような事は言うな」
渋々と今回は従ったが、遺恨が残る結果となっていた。
こうして織田・佐藤軍は合計9000人にまで膨れ上がり、
◇
対する堂洞城の守兵は500人。
それと猿啄城から堂洞城へと逃げた多治見修理の兵が200人の計700人だった。
その為、織田・佐藤軍9000人が包囲した段階で堂洞城は降伏すると思われたが、
美濃源氏土岐氏というだけで使者に選ばれた金森可近(後の長近)が大誤算で、浪人崩れで尾張に拾われたはずが高位氏族特有のむかつくニヤニヤ顔で、
「悪いようにせんから降伏されよ、んん?」
高飛車に迫り、
「断る」
武辺者の岸信が断ると、
「貴殿の意地に付き合わされる息子殿達の事も考えられよ、のう?」
そう息子の岸信房に水を向けたら、その息子の信房が、
「信近、ちこう」
「何ですか、父上?」
近付いたまだ六歳の息子の信近の首をズシャッと一刀で刎ね、
「この岸家は例え、滅びようと織田には仕えぬっ! そう伝えいっ!」
「ひ、ひぃええええ」
腰を抜かしながら可近は逃げ帰る事となり、
信長の前で、
「む、息子の信房が、じ、自分の息子の首を刎ねて『織田には下らぬ』と・・・」
返り血を浴びた可近はそう報告する破目になり、
「チッ、どういう説得の仕方をしたんだ、おまえは?」
降伏する、と高を括っていたのに抗戦され、舐められた信長が当たり散らし、
「攻め殺せっ!」
信長の下知で堂洞城への攻撃が始まった。
堂洞城の西と南より丹羽長秀、河尻秀隆、森可成の部隊が、北より加治田城より合流した佐藤忠能の部隊が攻撃した。
信長の本隊3000人は高畑山に本陣を置き、三城盟約により関城から堂洞城へ援軍に向かう長井道利が率いる援軍500人を待ち伏せした。
何せ、道利の部隊の中に織田方に通じてる内通者が居るので動きは丸分かりで、道筋までを教えてくれたのだから、完全な待ち伏せとなり、
織田軍が兵を伏せる高畑の林の目の前を道利の軍が通過し、
「やれ、勝」
信長の指図を受けて臨時の鉄砲奉行も務める池田恒興が、
「鉄砲隊、撃てっ!」
号令し、鉄砲隊200人が一斉に林から射撃した。
その一撃で道利の部隊の500人の3分の1が被弾。
「弓隊も矢を射っ! 騎兵は突撃だっ!」
との恒興の命令を待たずに一騎が突撃し、それが信長だったので、
「って、ちょっと、馬廻り(親衛隊)は信長様を追えっ! 絶対に信長様に傷を負わすなっ!」
そう命令して恒興も馬に乗って信長の後を追い掛けたのだった。
攻撃をされた道利の方は、
「クッ、待ち伏せだとっ! これでは堂洞城に向かえん。やもえん、撤退だっ!」
元々援軍など送りたくはなかったが、三城盟約の言いだしっぺだった事もあり、渋々援軍に向かっていたところを攻撃されたので、これ幸いにと兵を退いたのだった。
逃げる道利の軍を見送りながら、信長は、
「ふん、話にならんな。堂洞城に戻るぞっ!」
その指示で本軍も堂洞城の包囲へと戻ったのだった。
この堂洞合戦は信長公記の著者の太田牛一という武将の唯一の活躍の場所でもあり、南の攻撃隊に参加して屋根の上から矢を射ているが、
それよりも特筆すべきは堂洞城の岸信周が率いる兵士達だ。
美濃兵が強い事は分かっていたが、中でも群を抜いて強かった。
戦術などは関係ない。
堂洞城の信周の兵は城から突撃して退いての繰り返しである。
それだけで10倍の兵を要する織田軍の被害は甚大だった。
「強いな。たったあれだけの数の癖に」
信長は更に不機嫌になり、恒興が、
「鉄砲隊を前に出しますか?」
「あのような乱戦では味方に当たるわっ!」
「では、どのように料理なさいますか?」
「不細工な戦だが、このまま数で押し切る」
信長の決定でこの戦は堂洞城の兵達が力尽きるまで続く事となった。
◇
一方、織田軍に攻められている美濃斎藤家では、
稲葉山城に既に援軍の兵が集まっているのに出陣の触れを出さない龍興に家老の氏家直元が、
「殿、堂洞城へ援軍を送られませんのか?」
「送るが、どうせなら城攻めに疲れ果てた織田軍の背後を突きたいとは思わんか、ジイ?」
道三譲りの悪そうな笑い方をした龍興を見て、当主を育てる事も念頭にある直元が、
「悪くありませんな。それはいつ頃になると?」
「明日の昼だな。ジイは反対するか?」
「いいえ、やってみなされ。勝っても負けても戦は得るものがありますのでな」
「では、そうさせてもらおう。援軍の出発は日の出とする」
龍興は出陣の触れを明日出す事に決めたのだった。
◇
堂洞城では岸信周が率いる兵との戦いは夕暮れになっても続き、
「チッ、このまま続けるか、明日仕切り直すか」
信長が迷う中、堂洞城から味方の歓声が上がり、見れば織田の旗が城内に突入していた。
「おっ、味方が本丸に乗りこみましたよ、信長様」
「よし、そのまま攻め立てよっ!」
織田軍はそのまま攻め、堂洞城を一日で落城こそさせたが、
岸信周には辞世の句を読んで自害させるまでの余裕を与える辛勝となった。
織田軍の死傷者数も多い。
2400人はゆうに超えていた。
僅か700の兵にこの被害はさすがにばつが悪く、信長公記では織田軍の兵数を少数に修正した程である。
それはともかく、
◇
問題が起こったのはその後であった。
堂洞城での勝利に気を良くした信長が、
「夜も遅いし、本日は加治田城で泊まるとするか」
と言い出したのだ。
加治田城とは堂洞城の傍にある佐藤忠能の居城である。
つまりは斎藤方から寝返ったばかりの中美濃に。
「いけませんぞ、信長様っ!」
さすがに家老の森可成が信長を諫めたが、
「心配し過ぎだぞ、三左。問題などあるまいて」
「問題あり過ぎでしょうがっ! 勝、おまえからも信長様を止めろっ!」
そう話を振られた恒興だったが、
「えっ、どうしてです? 佐藤軍の本日の戦いぶりなら問題ないかと」
「おまえまで何を言ってんだっ! いくら昨年から内応の約束があるからって絶対に駄目に決まってるだろうがっ!」
可成がそう吠えたが、信長を止められる者はおらず、
この夜は本当に加治田城にて信長以下馬廻りは宿泊する運びとなった。
信長のその宿泊には加治田城主の佐藤忠能の方が恐縮して、
「ほ、本当によろしいのですか、尾張殿?」
「ああ、宿を借りるぞ」
「ははっ!」
信長に信用された佐藤忠能はそう大感激したが、
織田家に寝返る事自体反対だった次男の佐藤昌信は、
(尾張の総大将の首を取る絶好の機会じゃないのか、これって)
と思い、その夜、手勢を集めようとした。
だが、加治田城内での事だ。
加治田城主の佐藤忠能の耳に入らぬ訳がない。
そんな野盗崩れのような真似をされては佐藤家の面目が丸潰れなので、佐藤忠能が、
「何を考えておるだ、この馬鹿者がっ! 佐藤家の名を貶めさせる気かっ!」
怒りと共に次男の佐藤昌信を殴って、
「この馬鹿者を縛って金蔵に放り込んでおけっ! 絶対に外に出すなっ!」
との厳命で、昌信は隔離されたのだった。
それ以上に大変な目にあったのが、信長の護衛の為に一緒に加治田城に乗り込んだ800人の兵達である。
信長同様、池田恒興のように平気で休める者の方が稀で、家老の森可成や近習の岩室勘右衛門や佐脇良之は警戒過多で城内を見張りつつ、順番に仮眠だけを取る破目になったのだった。
何せ、加治田城が再度斎藤家に寝返ったら織田信長は袋の鼠となるので。
だが、どれだけ警戒しても何も起きず、
何事もなく翌日となった。
信長は堂々と加治田城内で堂洞城の首実験をしていた訳だが。
その頃には稲葉山城から堂洞城への援軍として朝一に出発した斎藤龍興が率いる援軍3000人が関城に到着しており、
「どうして堂洞城が一日と持たずに落城しているのだ?」
堂洞城の落城の事情を聴く破目となった。
当然、聞く相手は関城王の長井道利で、
「どういう事だ、長井?」
「そ、それは・・・」
道利が口を開く前に、 氏家直元が余りの使えなさに吐き捨てるように、
「腰抜けが堂洞城に援軍を送らず、織田軍を怖がって関城で縮こまっていたからでしょうよ」
「なっ、違います。援軍に出向きましたが途中で織田軍の妨害に遭い・・・」
道利がそう言い訳をする中、
「それでは仕方がないのう」
龍興が嘘臭い笑顔で理解を示し、
「それで? 信長は堂洞城を落として帰ったのか?」
「いえ、裏切り者の佐藤が治める加治田城に入ったと」
「兵数は?」
「1000人以下と聞いています」
その言葉を聞いて弾けるように龍興が直元を見て、
「ジイ、これって・・・」
「はい。やってみなされ」
「全軍、加治田城に向かうぞ。狙うは信長の首だっ!」
龍興の号令で斎藤軍3500人は加治田城へと向かったのだった。
◇
首実験を終えて犬山城へと帰る途中の信長の許に、
「報告、前方より斎藤軍が接近してきます。その数、3500人っ!」
伝令兵が伝えて、勝利気分の全員が真剣さを取り戻した。
「全軍、戦うなっ! 迂回して猿啄城、いや、その奥の宇留間城に入るぞっ!」
信長がそう命令して名馬を走らせて一目散に逃げたのだった。
美濃兵と言えば槍兵が有名である。
たが、ちゃんと騎兵も居る。
まあ、乗ってるのは家格が上の武士達だったが、その武士達に斎藤龍興が、
「信長の首を取れっ!」
「ははっ!」
「騎兵は突撃だ。槍隊は後から付いて来いっ!」
命令に従ったのは家老の日根野弘就と竹腰尚光である。
騎馬隊300人を突撃させた。
信長の部隊の700人は敵兵が3倍以上なので逃げの一手だ。
「構わず逃げよっ!」
信長はさっさと逃げたが、織田軍700人の中には歩兵も居る。
まあ、ただの歩兵ではなく鉄砲隊50人だが。
それらが、敵兵に追い付かれる、と独自の判断から鉄砲を出して射撃したのだった。
「ぐあああ」
先頭の竹腰尚光が被弾する。
「ちっ、鉄砲隊とは面倒な」
弘就が突進するのを躊躇し、斎藤軍の騎兵は足を止めた。
そして、この銃撃音に敏感に反応したのが遠方の宇留間城の城代の木下秀吉である。
「30挺以上の鉄砲の射撃音じゃと~? まさか、本日犬山城に帰る信長様が美濃兵に襲われておられるのか? 前野殿、出兵の準備だ。手柄を立てるぞっ!」
秀吉がそう言って兵を鼓舞した時には、伊木山城を城主の恒興から預かっていた留守居役の伊木忠次が、
「全軍出動だ。味方の危機だ。おそらくは上様と殿のっ!」
池田隊で、上様と言えば信長の事で、殿とは恒興の事である。
その出動命令で池田隊の指揮は高く、出陣し、
「ああ、伊木山城の兵が先にーーほら、ワシらも兵を外に出すぞっ!」
木下隊も兵を外に出したのだった。
日根野弘就が騎兵を突進させるか戸惑ってる間に、後方より馬に乗るのが下手な総大将の斎藤龍興が追い付いてきて、
「何をやってる、弘就っ!」
「それが鉄砲隊に阻まれまして。既に尚光が負傷をっ!」
「それよりも突進だっ!」
「しかし」
「ええい、臆病者は下がってろっ!」
渋る弘就を無視して龍興が騎馬で突進を始め、
「なっ、ーー全員続けっ!」
龍興の後に騎兵は続いたのだった。
一発放って逃げていた織田軍の鉄砲隊は徒歩なので当然、追尾した斎藤軍の騎兵の方が移動速度が速く、すぐに追い付かれた。
更に織田軍は撤退中なので背中を見せており、それを馬上から槍で突くだけの戦闘で斎藤軍からすれば楽な戦闘で、龍興は槍など持っていなかったが、それでも刀で騎上より雑兵を斬り捨てていたが、
「殿、前方に織田軍の新手が」
見れば本当に織田の旗を掲げた織田軍の新手が来ていた。
その数、2000人。
信長の方は一直線に宇留間城の中に入り、恒興もそれに従ったが、家老の森可成は違う。
「味方が来たぞ、体勢を立て直してここで敵を迎え討つぞっ!」
その作戦指示で、
「おおっ!」
織田軍が鬨の声を上げた。
斎藤軍に討たれてる織田軍は徒歩の鉄砲隊である。
正直、兵は死んでもいいが鉄砲は回収しないと洒落にならない。
斎藤軍に奪われたら、そのまま斎藤軍の鉄砲隊になるのだから。
全鉄砲の回収を試みるつもりで、森隊は戦闘する気満々だった。
一方の追撃していた斎藤軍の騎馬隊の兵数は300である。
最初の鉄砲の一斉射撃で40は減って260。
後方の槍隊がまだ追いついてきていないので、斎藤軍の方が数的に不利となった。
「殿、退きましょう」
龍興の身を案じて弘就が撤退を進言する中、
「クッ、信長を討てる好機だったのにっ!」
龍興も形勢不利だという事くらいは理解していたので、そこで撤退したのだった。
この一連の流れを信長公記では、野原で迎撃姿勢を見せて斎藤軍を躊躇させたという記載となったのだった。
尚、森隊は倒された織田軍の鉄砲隊の総ての鉄砲をその日の内に回収した。
登場人物、1565年度
佐藤忠康(28)・・・織田家の家臣。加治田城主、佐藤忠能の嫡男。通称、右近右衛門。
能力値、騎馬武者の忠康A、龍興を見限るA、黄金50枚で信長の味方B、信長への忠誠B、信長からの信頼C、織田家臣団での待遇E
佐藤昌信(25)・・・織田家の家臣。加治田城主、佐藤忠能の次男。通称、石見守。
能力値、美濃贔屓C、聞かされず反発S、信長の寝首を狙うC、信長への忠誠E、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇E
金森可近(41)・・・織田家の家臣。美濃源氏土岐氏の支流。金森定近の次男。後の長近。尻尾振りの可近。
能力値、尻尾振りの可近A、格下には別の顔S、お坊ちゃん育ちA、信長への忠誠C、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇D
岸信房(21)・・・斎藤家の家臣。堂洞城主の岸信周の息子。父親譲りの武辺者。
能力値、豪傑の岸A、死にたがりA、決意を見せる為に息子を殺すA、龍興への忠誠A、龍興からの信頼D、斎藤家臣団での待遇C
岸信近(6)・・・堂洞城主の岸信周の孫。
能力値、大人の都合の巻き添えA、名が残るA、その儀式で堂洞城の兵を死兵にS
森可成(43)・・・織田家の家老。古参の美濃衆。織田二代に仕える。信長のお気に入り。美濃攻めの織田軍先鋒。攻めの三左。正室は林秀貞の系譜ではない。
能力値、攻めの三左S、豪傑が集うA、信長のお気に入りS、織田二代への忠誠S、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A
日根野弘就(47)・・・斎藤家の家老。美濃本田城主。通称、徳太郎。兜作りの名人。先代、義龍の寵臣。斎藤喜平次、孫四郎を暗殺した事で有名。
能力値、美濃の家宰D、兜作りの日根野B、判断が悪いC、龍興への忠誠C、龍興からの信頼B、斎藤家臣団での待遇A
竹腰尚光(34)・・・斎藤家の家老。竹腰道鎮の息子。氏家直元に取られた大垣城の奪還を目論む。堂洞合戦で被弾。
能力値、美濃の家宰C、旧領奪還の悲願A、沈む舟から逃げずA、龍興への忠誠A、龍興からの信頼A、斎藤家臣団での待遇A
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