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1562年、小牧山の城普請
小牧山の戦い
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【池田せん、1562年生まれ説、採用】
【池田恒興、武田の策略で甲斐滞在中に女中に手を付けていた説、採用】
【伊木忠次、香川長兵衛からの改名、時期は1561年説、採用】
【伊木忠次の改名の戦い、恒興、甲斐の使いで不参加説、採用】
【伊木忠次、信長の命令で、近習から恒興の家来に移動説、採用】
【小牧山築城の普請奉行が柴田勝家説、採用】
【小牧山の戦い、池田隊300人説、採用】
【小牧山の戦い、中島隊190人説、採用】
甲斐の躑躅ヶ崎館。
織田は甲斐武田とは誰を通じる事となり、雪解けを待って面識のある佐々成政がまた躑躅ヶ崎館に使わされた訳だが、
織田と武田の取り決めの交渉を無事終えて安堵する成政に最後の雑談で武田信玄が、
「そう言えば、前に来ていた池田が手を付けた女中が孕んだのだが、その娘と腹の子はどう扱えばいいか池田に聞いておいてくれないか?」
「御冗談を。いくら恒興が馬鹿でもそこまで馬鹿な事はしませんよ」
「何だ、聞いていなかったのか? ならば尾張で本人に確認するがよい」
と自信満々に言われて、成政は、まさかな、と思いながら尾張に帰り、
清洲城の広間にて。
信長に呼び出された恒興は揚々と、
「お呼びにより参上致しました。本日はどのような御用件でしょうか?」
信長の顔を見て、「あっ、怒ってる」と瞬時に気付き、先に座っていた更に使者として甲斐に遣わされていた成政が視線で何やら合図してくる中、
「勝、おまえ、甲斐に出向いた際に報告してない事があるだろ」
「と言うと?」
「戦が始まる前の躑躅ヶ崎館の別館の滞在中に武田の女中を抱いたそうではないか」
その言葉で、恒興も納得して、
「申し訳ございません、『津々木蔵人の妹』が居たのですが手打ちにし損ねました」
と言うと、信長が初耳なのか、
「続けよ」
「はっ、躑躅ヶ崎館の別館で夜、寝所に侵入してきた女に匕首で命を狙われまして。何事かと問い質したら今川の姫付きの女中で『今川軍を討ったのは尾張に攻め込んだ今川が悪いのだから逆恨みはお門違いだ』と諭したのですが、よくよく聞けば『津々木蔵人の妹』というではありませんか。ここは織田家を騒がした極悪人の蔵人の妹に御仕置きしなければとそのまま閏に」
恒興の説明に「普通の娘なら歯牙にも掛けないだろうが津々木蔵人の妹と名乗ったら抱くな」と全員が納得し、そして恒興の女癖の悪さに呆れ果てた。
同じく説明を聞いて呆れ果ててる信長が、
「その一夜だけか?」
「いえ、その後も何度も匕首で命を狙われてその度に返り討ちにして闇に」
「滞在中、食事に毒を盛られた事は?」
「いえ、ありません。おそらくは台所には近付けなかったのでしょう」
「肌や口移しで毒を盛られたなんて事は?」
「ありません」
「その娘、津々木蔵人に似ていたのか?」
「いえ、あの男のような妖しい美しさはありませんでした」
「何かがおかしいとは思わなかったのか?」
「実は『兄の蔵人を倒したオレに惚れちまったかな』とは薄々感じてはおりました」
と恒興がズレた事を言ったところで信長が、
「『津々木蔵人の妹』と名乗ったのはおまえの気を引く為の武田側の策略だ。その女はただの武田の歩き巫女の一人に過ぎん」
「はあ? そうなのですか?」
「更に『勝の子を孕んだ』と武田が言ってきた。歩き巫女ならば他の男の種も考えられるが、何度も抱いていたのであれば本当に勝の種の可能性もありえる」
「へ~」
「勝、武田がその娘と子をどうするのか聞いてきているのだが」
「無論、その身重の蔵人の妹と名乗った娘をこちらで引き取りましょう」
「ダメに決まっているであろうが。そんな事になったら織田の動きが筒抜けになるではないか」
「えっ、武田とは誼を結ぶのですよね?」
「美濃を取るまではな。領国が隣接したら分からんわ」
「では余計に娘はこちらで引き取るべきでは? 美濃を取るまでは武田とは誼を結んでいませんと」
「美濃を取った後はどうする?」
「信長様が殺せとおっしゃるのであれば、ちゃんとオレがこの手で」
「ふむ」
と考えた信長が、
「ったく、勝、今回の件はこのオレを不都合に追い込んだ失策であったと心に留めておくように」
「はっ」
この件に関しては恒興は御咎めなしとなったのだが。
◇
春になり、信長は尾張の二宮山の山頂に来ていた。
家老の林秀貞、佐久間信盛、森可成も参加なので百人以上の大所帯である。
「何も花見をするにしても、こんなところまで来なくても」
それが汗を掻きながら山を登った秀貞の感想で、恒興も大いに同感だったが、信長が、
「ここに城を築き、犬山城、そして美濃攻めの拠点とする。良いな」
と言い出した。
「嘘ですよね、信長様。こんな辺鄙なところに築城なんて?」
恒興が即座に反対したが、
「オレは本気だぞ。勝、おまえは何やら元気が有り余ってるらしいからな。城の普請奉行をやらせるからそう思え」
「嫌ですよ。そういうのは得意な者に――そうだ。秀吉などは如何でしょうか」
「そういう事でしたら、このサルめがやらしていただきまする」
秀吉がしゃしゃり出てきて、
「信長様、どちらに本丸を作りましょうか?」
「そうよな、やはりあの峰であろうか」
「えっ、あちらに? 信長様、城の規模はどうなさるおつもりなのですか?」
「清洲から家臣の屋敷も総て移す予定だからな。城下のあの辺りまでは総て武家屋敷だな」
「なるほどなるほど」
信長と秀吉が喋り出して、どんどんと普請の素案が語られ始めて、それを聞いていた家老達が大慌てで、
「お待ちを。清洲からこんな場所に拠点を移すのですか? 御冗談ですよね、信長様?」
「ここは不便過ぎますので、せめて別の山に」
「水はどうするのです? 水がないと人は生きてはいけませんよ」
止めようとしたが、出しゃばりの秀吉が胸を張って、
「このサルめに万事お任せ下さい。解決して御覧に入れますので」
「よくぞ言ったぞ、サル」
秀吉の追従に信長は終始御機嫌で、家老達が「拙い、本当に建築する」という顔をしたのだが、
花見の季節が終わり、若葉の季節に小牧山に登った際には、
「二宮山よりもこっちの方がいいか。よし、築城は小牧山とする」
と信長が裁定を下して、家老達も、
「まあ、二宮山なんかよりは」
「確かに」
「川もありますからな」
渋々と納得して小牧山への築城が開始された。
これが信長公記にも記載されている清洲城から小牧山城への拠点替えの有名な一節なのであるが。
その後の作業は当然、部下に丸投げとなった。
信長が関わっていないので信長公記には一切記されていない。
だが小牧山城建築を丸投げにされた部下の方はかなり大変な仕事だった。
まずは施工期間。
家を建築するのとは訳が違う。
建築するのは城である。
それも山の上。
木材や石垣の大石を運ぶ動力が牛馬や人力の時代である。
当然、一年以上の歳月が必要となった。
そして問題なのが立地である。
小牧山はあの犬山城の枝城、小口城の僅か2キロ弱の場所にあったのだから。
なので、まずは小牧山の麓に防衛用の砦を建築。
更には大工達が長期滞在する長屋も。
その防衛設備、住居設備を完成させた頃には普請の絵図面も出来ており、小牧山城の建築が始まる訳だが。
2キロ先の敵方、織田信清軍はそんな建築をさせる訳にもいかない。
妨害を試みてくる。
軍が動けば当然、それは戦いとなり、
それで勃発したのが信長が不参加な事で信長公記には未記載の「小牧山の戦い」だった。
◇
小牧山の築城建設の防衛の責任者に任じられたのは池田恒興だった。
恒興は近習幹部。
通常は信長の傍に侍ているのが仕事なのだが。
今回に限っては、荒尾騒動と武田の女中を孕ませた罰という形で、小牧山の築城の警備を押し付けられていた。
「おい、遊んでくれよ~、中島豊後守ぃ~。こっちは長門がやられた事をまだ忘れちゃあいないんだからよ~」
騎馬隊50で小牧山の防衛砦から出撃して、火縄銃が届かない小口城の200メートル手前に停止して小口を挑発するが、別に出てくる様子はない。
城壁に兵士達が慌てて並び始めてるのが良く見える。
「どうされます、殿」
と質問したのは、信長の近習だったが池田隊の強化の為に信長の命令によって恒興の陪臣に配置変えになった香川長兵衛改め伊木忠次である。
伊木の家名は美濃の伊木山での活躍を信長が見て与えたものだが、その戦いは1561年で恒興は甲斐に行っており詳しくは知らない。
伊木山に築いた砦も忠次の担当だったが、尾張と美濃の和議で撤退せねばならず、現在は恒興の傍に侍ていた。
「義兄上、敵は出て来ませんよ。今日はもう諦められては?」
更に恒興の正室の善応院の弟、荒尾善久が声を掛ける。
池田隊として荒尾家中も加わっていた。
「仕方ない。では、いつも通りにその辺を走って地形を頭に叩き込め。夜戦になっても場所が分かるようにな」
「あるんですか、夜戦が?」
善久が問う中、信長のやり方を知ってる元近習の忠次が、
「それが信長様流だよ、荒尾殿」
「そういう事」
恒興はそう言って馬を走らせたのだった。
小牧山築城の普請奉行に駆り出されたのは木下秀吉ではない。
この頃、秀吉は三河との謁見準備の方に回されていた。
代わりに普請奉行を任されたのが柴田勝家である。
信長の実弟で、抹殺された「信勝の家老」という立場が今も尾を引いて冷遇中な訳だが、この配置はもはやあからさまであった。
「犬山城方に駆け込んでいいんだぞ、権六、ハッハッハッ」
と信長が高笑いしてる姿までが想像出来るのだから。
その上、警備は池田恒興。
もし犬山城方がこの小牧山築城の妨害をして、恒興が防衛に失敗したら必ず、
「無理無理、柴田が内通してるんじゃあ守れませんって」
とか言って、勝家に全責任を押し付けてくるに決まっている。
そもそもあの信長が乳兄弟の恒興に責任を取らせる訳がない。
よって、勝家は小牧山の城普請をしながら犬山城側の動きにも眼を光らせなければならない、という重労働を課せられていた。
そして、川中島の上杉謙信が炊飯の煙で出撃を見抜いたという芸当をしなくても、チョイと金を掴ませれば、小口城の動きなどは筒抜けで、柴田家の家臣筆頭の中村文荷斎が、
「殿、今夜、小口城の中島が兵を率いて小牧山の普請を焼きにくるとの事です」
「警備隊の勝三郎は気付いているのか?」
「気付いてる訳がないでしょ、あのヌケサクが」
文荷斎の言葉に、勝家は嫌そうな顔で、
「なら今すぐ教えてやれ。城普請が失敗したらオレは内通者扱いで信長様に殺されるからな」
「いっそ、池田の首を土産に犬山城に馳せ参じてみれば?」
「文荷斎、乳兄弟の恒興ごときの首にどれだけの値打ちがあると思っているんだ?」
「一定の価値は・・・」
「それは織田家中の内側の人間だけが共有する認識だ。外部からではただの殿の腰巾着の近習程度だよ」
そんな訳で文荷斎が恒興の許に出向き小口城の動きを教えてやったのに、恒興から返ってきた言葉は、
「あれれ? どうして柴田がそんなに詳しく知ってるのかな~?」
「小口城の者に金を掴ませて動向を探っておりますので」
「本当にそうなのかな~?」
「どういう意味です?」
「夜襲をするから内応するように言われているんじゃないの~?」
「そんな訳ないじゃないですか、嫌だな~、池田様は」
「マジで殺してえ」と思いながらも文荷斎は我慢してヘラヘラと追従したのだった。
この小牧山の戦いは夜戦となった。
人数は、
防衛側が池田隊の300人。
攻撃側が中島隊の190人(全軍での出撃ではない。城防衛に兵を残してある)。
という小規模なものだ。
夜襲側の目標は防衛砦の陥落ではなく、無防備な小牧山に建設途中の普請の破壊なのだから、夜襲する方が断然有利な訳だが。
但し、それは情報が筒抜けでなければの話だ。
夜陰に乗じて、松明も点けずに突き進む中島隊は同じく松明も点けずに夜陰に紛れていた池田隊の弓の餌食となった。
池田隊の弓隊を率いたのは伊木忠次である。
「ホー、ホーッ」
との梟の鳴き真似の合図で弓隊は矢を放った。
弓と鉄砲の違いは飛距離や破壊力と色々あるが、今回で言えば音である。
ヒュンヒュンッと飛んできて、
「グアア」
「矢だ」
「攻撃されてるぞ」
と中島隊の兵士達が騒ぎ出した頃には50人が負傷しているのに、敵の位置が不明というあり得ない事態に陥っていた。
それに矢は連射が可能だ。
立ち止まっていると針鼠にされるので、
「クソ、バレていたかーー退却だっ!」
何も出来ずに尻尾を巻いて逃げた訳だが。
逃げ込む先は小口城という事は分かっている。
そして池田隊には小牧山の築城防衛の為に信長から火縄銃30丁が貸し与えられていた。
当然、夜陰に紛れて待ち伏せだ。
30の火縄が夜陰に灯っていても混乱状態で退却中に兵士達が気付く訳がない。
「撃て」
そんな訳で、移動してきたところを恒興率いる鉄砲隊30人が一斉に発射した。
最初に逃げた腰抜け達が一斉に撃たれる。
夜陰の中で響く火縄銃のドドドドッという発射音と共に。
火縄銃の場合は音が出る。
今ので敵に居る場所がバレた。
「よし、帰るぞ」
それが恒興の判断である。
松明の明かりもない真っ暗な夜陰の中で火縄銃の次弾装填など出来る訳がないのだから。
こうして悠々と恒興達は帰っていき、火縄銃の次の攻撃に備えて、夜陰の中でずっとしゃがんで震えてる中島隊を尻目に小牧山の防衛砦に凱旋したのだった。
中島隊の方は散々である。
190人で出発したのに小口城に退却した兵の数は130人だったのだから。
60人が死んだという意味ではない。
脱走だ。
実際に死んだのも居るだろうが、それ以上に絶対に脱走していた。
「クソ、高く付いた。もう夜襲は無理だ」
太股に矢を受けた中島豊後守はそう悔しがる他なかった。
こうして小牧山の戦いは恒興の勝利に終わったのだった。
登場人物、1562年度
武田信玄(41)・・・甲斐の虎。甲斐源氏の嫡流。法名は徳栄軒信玄。今川贔屓の義信に今川への裏切りを伝えず。川中島の戦いで多数の家臣を亡くす。
能力値、甲斐の虎SS、風林火山陰雷SS、家臣の層の厚さS、金山枯らしS、出身国の運の悪さS、義信との不仲B
佐々成政(26)・・・信長の近習。近江源氏の佐々氏の庶流。織田信安の元部下。政務が有能。正室は村井貞勝の娘。比良城王の城主。稲葉常通を討ち取り、良通の怨みを買う。
能力値、まさかの文官肌A、不運の佐々A、豪傑への尊敬A、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇B
林秀貞(49)・・・織田家の筆頭家老。織田の跡目相続では後見役ながら信長を裏切って信勝を支持する。
能力値、織田家の家宰B、歳で槍働きはもう無理S、信勝への寝返りは信長の密命B、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇SS
佐久間信盛(34)・・・織田家の第三家老。別名、右衛門尉。織田家中随一の知将。しまり屋なのが玉に瑕。
能力値、織田家の家宰A、しまり屋の信盛A、退き佐久間A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇SS
伊木忠次(21)・・・池田家の家臣。信長の元小姓。別名、香川長兵衛。姓の名付けは信長。池田家配属は信長の命令。
能力値、伊木は信長からの賜り姓A、池田家の家宰A、恒興の側近A、恒興への忠誠B、恒興からの信頼C、池田家臣団での待遇SS。
中島豊後守(35)・・・信清の家老。犬山城の枝城、小口城の城将。律儀者。岩室重休の死で信長や恒興、織田家中からの怨みを買っている。
能力値、律儀の豊後守A、勝算ありで奮戦D、うつけ嫌いB、信清への忠誠D、信清からの信頼E、信清家臣団での待遇A
【池田恒興、武田の策略で甲斐滞在中に女中に手を付けていた説、採用】
【伊木忠次、香川長兵衛からの改名、時期は1561年説、採用】
【伊木忠次の改名の戦い、恒興、甲斐の使いで不参加説、採用】
【伊木忠次、信長の命令で、近習から恒興の家来に移動説、採用】
【小牧山築城の普請奉行が柴田勝家説、採用】
【小牧山の戦い、池田隊300人説、採用】
【小牧山の戦い、中島隊190人説、採用】
甲斐の躑躅ヶ崎館。
織田は甲斐武田とは誰を通じる事となり、雪解けを待って面識のある佐々成政がまた躑躅ヶ崎館に使わされた訳だが、
織田と武田の取り決めの交渉を無事終えて安堵する成政に最後の雑談で武田信玄が、
「そう言えば、前に来ていた池田が手を付けた女中が孕んだのだが、その娘と腹の子はどう扱えばいいか池田に聞いておいてくれないか?」
「御冗談を。いくら恒興が馬鹿でもそこまで馬鹿な事はしませんよ」
「何だ、聞いていなかったのか? ならば尾張で本人に確認するがよい」
と自信満々に言われて、成政は、まさかな、と思いながら尾張に帰り、
清洲城の広間にて。
信長に呼び出された恒興は揚々と、
「お呼びにより参上致しました。本日はどのような御用件でしょうか?」
信長の顔を見て、「あっ、怒ってる」と瞬時に気付き、先に座っていた更に使者として甲斐に遣わされていた成政が視線で何やら合図してくる中、
「勝、おまえ、甲斐に出向いた際に報告してない事があるだろ」
「と言うと?」
「戦が始まる前の躑躅ヶ崎館の別館の滞在中に武田の女中を抱いたそうではないか」
その言葉で、恒興も納得して、
「申し訳ございません、『津々木蔵人の妹』が居たのですが手打ちにし損ねました」
と言うと、信長が初耳なのか、
「続けよ」
「はっ、躑躅ヶ崎館の別館で夜、寝所に侵入してきた女に匕首で命を狙われまして。何事かと問い質したら今川の姫付きの女中で『今川軍を討ったのは尾張に攻め込んだ今川が悪いのだから逆恨みはお門違いだ』と諭したのですが、よくよく聞けば『津々木蔵人の妹』というではありませんか。ここは織田家を騒がした極悪人の蔵人の妹に御仕置きしなければとそのまま閏に」
恒興の説明に「普通の娘なら歯牙にも掛けないだろうが津々木蔵人の妹と名乗ったら抱くな」と全員が納得し、そして恒興の女癖の悪さに呆れ果てた。
同じく説明を聞いて呆れ果ててる信長が、
「その一夜だけか?」
「いえ、その後も何度も匕首で命を狙われてその度に返り討ちにして闇に」
「滞在中、食事に毒を盛られた事は?」
「いえ、ありません。おそらくは台所には近付けなかったのでしょう」
「肌や口移しで毒を盛られたなんて事は?」
「ありません」
「その娘、津々木蔵人に似ていたのか?」
「いえ、あの男のような妖しい美しさはありませんでした」
「何かがおかしいとは思わなかったのか?」
「実は『兄の蔵人を倒したオレに惚れちまったかな』とは薄々感じてはおりました」
と恒興がズレた事を言ったところで信長が、
「『津々木蔵人の妹』と名乗ったのはおまえの気を引く為の武田側の策略だ。その女はただの武田の歩き巫女の一人に過ぎん」
「はあ? そうなのですか?」
「更に『勝の子を孕んだ』と武田が言ってきた。歩き巫女ならば他の男の種も考えられるが、何度も抱いていたのであれば本当に勝の種の可能性もありえる」
「へ~」
「勝、武田がその娘と子をどうするのか聞いてきているのだが」
「無論、その身重の蔵人の妹と名乗った娘をこちらで引き取りましょう」
「ダメに決まっているであろうが。そんな事になったら織田の動きが筒抜けになるではないか」
「えっ、武田とは誼を結ぶのですよね?」
「美濃を取るまではな。領国が隣接したら分からんわ」
「では余計に娘はこちらで引き取るべきでは? 美濃を取るまでは武田とは誼を結んでいませんと」
「美濃を取った後はどうする?」
「信長様が殺せとおっしゃるのであれば、ちゃんとオレがこの手で」
「ふむ」
と考えた信長が、
「ったく、勝、今回の件はこのオレを不都合に追い込んだ失策であったと心に留めておくように」
「はっ」
この件に関しては恒興は御咎めなしとなったのだが。
◇
春になり、信長は尾張の二宮山の山頂に来ていた。
家老の林秀貞、佐久間信盛、森可成も参加なので百人以上の大所帯である。
「何も花見をするにしても、こんなところまで来なくても」
それが汗を掻きながら山を登った秀貞の感想で、恒興も大いに同感だったが、信長が、
「ここに城を築き、犬山城、そして美濃攻めの拠点とする。良いな」
と言い出した。
「嘘ですよね、信長様。こんな辺鄙なところに築城なんて?」
恒興が即座に反対したが、
「オレは本気だぞ。勝、おまえは何やら元気が有り余ってるらしいからな。城の普請奉行をやらせるからそう思え」
「嫌ですよ。そういうのは得意な者に――そうだ。秀吉などは如何でしょうか」
「そういう事でしたら、このサルめがやらしていただきまする」
秀吉がしゃしゃり出てきて、
「信長様、どちらに本丸を作りましょうか?」
「そうよな、やはりあの峰であろうか」
「えっ、あちらに? 信長様、城の規模はどうなさるおつもりなのですか?」
「清洲から家臣の屋敷も総て移す予定だからな。城下のあの辺りまでは総て武家屋敷だな」
「なるほどなるほど」
信長と秀吉が喋り出して、どんどんと普請の素案が語られ始めて、それを聞いていた家老達が大慌てで、
「お待ちを。清洲からこんな場所に拠点を移すのですか? 御冗談ですよね、信長様?」
「ここは不便過ぎますので、せめて別の山に」
「水はどうするのです? 水がないと人は生きてはいけませんよ」
止めようとしたが、出しゃばりの秀吉が胸を張って、
「このサルめに万事お任せ下さい。解決して御覧に入れますので」
「よくぞ言ったぞ、サル」
秀吉の追従に信長は終始御機嫌で、家老達が「拙い、本当に建築する」という顔をしたのだが、
花見の季節が終わり、若葉の季節に小牧山に登った際には、
「二宮山よりもこっちの方がいいか。よし、築城は小牧山とする」
と信長が裁定を下して、家老達も、
「まあ、二宮山なんかよりは」
「確かに」
「川もありますからな」
渋々と納得して小牧山への築城が開始された。
これが信長公記にも記載されている清洲城から小牧山城への拠点替えの有名な一節なのであるが。
その後の作業は当然、部下に丸投げとなった。
信長が関わっていないので信長公記には一切記されていない。
だが小牧山城建築を丸投げにされた部下の方はかなり大変な仕事だった。
まずは施工期間。
家を建築するのとは訳が違う。
建築するのは城である。
それも山の上。
木材や石垣の大石を運ぶ動力が牛馬や人力の時代である。
当然、一年以上の歳月が必要となった。
そして問題なのが立地である。
小牧山はあの犬山城の枝城、小口城の僅か2キロ弱の場所にあったのだから。
なので、まずは小牧山の麓に防衛用の砦を建築。
更には大工達が長期滞在する長屋も。
その防衛設備、住居設備を完成させた頃には普請の絵図面も出来ており、小牧山城の建築が始まる訳だが。
2キロ先の敵方、織田信清軍はそんな建築をさせる訳にもいかない。
妨害を試みてくる。
軍が動けば当然、それは戦いとなり、
それで勃発したのが信長が不参加な事で信長公記には未記載の「小牧山の戦い」だった。
◇
小牧山の築城建設の防衛の責任者に任じられたのは池田恒興だった。
恒興は近習幹部。
通常は信長の傍に侍ているのが仕事なのだが。
今回に限っては、荒尾騒動と武田の女中を孕ませた罰という形で、小牧山の築城の警備を押し付けられていた。
「おい、遊んでくれよ~、中島豊後守ぃ~。こっちは長門がやられた事をまだ忘れちゃあいないんだからよ~」
騎馬隊50で小牧山の防衛砦から出撃して、火縄銃が届かない小口城の200メートル手前に停止して小口を挑発するが、別に出てくる様子はない。
城壁に兵士達が慌てて並び始めてるのが良く見える。
「どうされます、殿」
と質問したのは、信長の近習だったが池田隊の強化の為に信長の命令によって恒興の陪臣に配置変えになった香川長兵衛改め伊木忠次である。
伊木の家名は美濃の伊木山での活躍を信長が見て与えたものだが、その戦いは1561年で恒興は甲斐に行っており詳しくは知らない。
伊木山に築いた砦も忠次の担当だったが、尾張と美濃の和議で撤退せねばならず、現在は恒興の傍に侍ていた。
「義兄上、敵は出て来ませんよ。今日はもう諦められては?」
更に恒興の正室の善応院の弟、荒尾善久が声を掛ける。
池田隊として荒尾家中も加わっていた。
「仕方ない。では、いつも通りにその辺を走って地形を頭に叩き込め。夜戦になっても場所が分かるようにな」
「あるんですか、夜戦が?」
善久が問う中、信長のやり方を知ってる元近習の忠次が、
「それが信長様流だよ、荒尾殿」
「そういう事」
恒興はそう言って馬を走らせたのだった。
小牧山築城の普請奉行に駆り出されたのは木下秀吉ではない。
この頃、秀吉は三河との謁見準備の方に回されていた。
代わりに普請奉行を任されたのが柴田勝家である。
信長の実弟で、抹殺された「信勝の家老」という立場が今も尾を引いて冷遇中な訳だが、この配置はもはやあからさまであった。
「犬山城方に駆け込んでいいんだぞ、権六、ハッハッハッ」
と信長が高笑いしてる姿までが想像出来るのだから。
その上、警備は池田恒興。
もし犬山城方がこの小牧山築城の妨害をして、恒興が防衛に失敗したら必ず、
「無理無理、柴田が内通してるんじゃあ守れませんって」
とか言って、勝家に全責任を押し付けてくるに決まっている。
そもそもあの信長が乳兄弟の恒興に責任を取らせる訳がない。
よって、勝家は小牧山の城普請をしながら犬山城側の動きにも眼を光らせなければならない、という重労働を課せられていた。
そして、川中島の上杉謙信が炊飯の煙で出撃を見抜いたという芸当をしなくても、チョイと金を掴ませれば、小口城の動きなどは筒抜けで、柴田家の家臣筆頭の中村文荷斎が、
「殿、今夜、小口城の中島が兵を率いて小牧山の普請を焼きにくるとの事です」
「警備隊の勝三郎は気付いているのか?」
「気付いてる訳がないでしょ、あのヌケサクが」
文荷斎の言葉に、勝家は嫌そうな顔で、
「なら今すぐ教えてやれ。城普請が失敗したらオレは内通者扱いで信長様に殺されるからな」
「いっそ、池田の首を土産に犬山城に馳せ参じてみれば?」
「文荷斎、乳兄弟の恒興ごときの首にどれだけの値打ちがあると思っているんだ?」
「一定の価値は・・・」
「それは織田家中の内側の人間だけが共有する認識だ。外部からではただの殿の腰巾着の近習程度だよ」
そんな訳で文荷斎が恒興の許に出向き小口城の動きを教えてやったのに、恒興から返ってきた言葉は、
「あれれ? どうして柴田がそんなに詳しく知ってるのかな~?」
「小口城の者に金を掴ませて動向を探っておりますので」
「本当にそうなのかな~?」
「どういう意味です?」
「夜襲をするから内応するように言われているんじゃないの~?」
「そんな訳ないじゃないですか、嫌だな~、池田様は」
「マジで殺してえ」と思いながらも文荷斎は我慢してヘラヘラと追従したのだった。
この小牧山の戦いは夜戦となった。
人数は、
防衛側が池田隊の300人。
攻撃側が中島隊の190人(全軍での出撃ではない。城防衛に兵を残してある)。
という小規模なものだ。
夜襲側の目標は防衛砦の陥落ではなく、無防備な小牧山に建設途中の普請の破壊なのだから、夜襲する方が断然有利な訳だが。
但し、それは情報が筒抜けでなければの話だ。
夜陰に乗じて、松明も点けずに突き進む中島隊は同じく松明も点けずに夜陰に紛れていた池田隊の弓の餌食となった。
池田隊の弓隊を率いたのは伊木忠次である。
「ホー、ホーッ」
との梟の鳴き真似の合図で弓隊は矢を放った。
弓と鉄砲の違いは飛距離や破壊力と色々あるが、今回で言えば音である。
ヒュンヒュンッと飛んできて、
「グアア」
「矢だ」
「攻撃されてるぞ」
と中島隊の兵士達が騒ぎ出した頃には50人が負傷しているのに、敵の位置が不明というあり得ない事態に陥っていた。
それに矢は連射が可能だ。
立ち止まっていると針鼠にされるので、
「クソ、バレていたかーー退却だっ!」
何も出来ずに尻尾を巻いて逃げた訳だが。
逃げ込む先は小口城という事は分かっている。
そして池田隊には小牧山の築城防衛の為に信長から火縄銃30丁が貸し与えられていた。
当然、夜陰に紛れて待ち伏せだ。
30の火縄が夜陰に灯っていても混乱状態で退却中に兵士達が気付く訳がない。
「撃て」
そんな訳で、移動してきたところを恒興率いる鉄砲隊30人が一斉に発射した。
最初に逃げた腰抜け達が一斉に撃たれる。
夜陰の中で響く火縄銃のドドドドッという発射音と共に。
火縄銃の場合は音が出る。
今ので敵に居る場所がバレた。
「よし、帰るぞ」
それが恒興の判断である。
松明の明かりもない真っ暗な夜陰の中で火縄銃の次弾装填など出来る訳がないのだから。
こうして悠々と恒興達は帰っていき、火縄銃の次の攻撃に備えて、夜陰の中でずっとしゃがんで震えてる中島隊を尻目に小牧山の防衛砦に凱旋したのだった。
中島隊の方は散々である。
190人で出発したのに小口城に退却した兵の数は130人だったのだから。
60人が死んだという意味ではない。
脱走だ。
実際に死んだのも居るだろうが、それ以上に絶対に脱走していた。
「クソ、高く付いた。もう夜襲は無理だ」
太股に矢を受けた中島豊後守はそう悔しがる他なかった。
こうして小牧山の戦いは恒興の勝利に終わったのだった。
登場人物、1562年度
武田信玄(41)・・・甲斐の虎。甲斐源氏の嫡流。法名は徳栄軒信玄。今川贔屓の義信に今川への裏切りを伝えず。川中島の戦いで多数の家臣を亡くす。
能力値、甲斐の虎SS、風林火山陰雷SS、家臣の層の厚さS、金山枯らしS、出身国の運の悪さS、義信との不仲B
佐々成政(26)・・・信長の近習。近江源氏の佐々氏の庶流。織田信安の元部下。政務が有能。正室は村井貞勝の娘。比良城王の城主。稲葉常通を討ち取り、良通の怨みを買う。
能力値、まさかの文官肌A、不運の佐々A、豪傑への尊敬A、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇B
林秀貞(49)・・・織田家の筆頭家老。織田の跡目相続では後見役ながら信長を裏切って信勝を支持する。
能力値、織田家の家宰B、歳で槍働きはもう無理S、信勝への寝返りは信長の密命B、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇SS
佐久間信盛(34)・・・織田家の第三家老。別名、右衛門尉。織田家中随一の知将。しまり屋なのが玉に瑕。
能力値、織田家の家宰A、しまり屋の信盛A、退き佐久間A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇SS
伊木忠次(21)・・・池田家の家臣。信長の元小姓。別名、香川長兵衛。姓の名付けは信長。池田家配属は信長の命令。
能力値、伊木は信長からの賜り姓A、池田家の家宰A、恒興の側近A、恒興への忠誠B、恒興からの信頼C、池田家臣団での待遇SS。
中島豊後守(35)・・・信清の家老。犬山城の枝城、小口城の城将。律儀者。岩室重休の死で信長や恒興、織田家中からの怨みを買っている。
能力値、律儀の豊後守A、勝算ありで奮戦D、うつけ嫌いB、信清への忠誠D、信清からの信頼E、信清家臣団での待遇A
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