19 / 91
1561年、甲斐への使い
霧の八幡原
しおりを挟む
【妻女山急襲の武田軍別動隊は1万2000人説、採用】
【武田軍別動隊の大将、春日虎綱説、採用】
【武藤喜兵衛も別動隊に参加説、採用】
【武田軍本隊は1万6000人説、採用】
【池田恒興は本隊に参加説、採用】
【その日、八幡原は朝になっても濃霧が立ち込めていた説、採用】
【第4次川中島の戦い、霧の中での偶発的な遭遇説、採用】
【武田軍本隊、濃霧の中で同士討ちが発生説、採用】
【室住虎光(諸角虎定)、1516年生まれ説、採用】
【室住虎光、霧の八幡原で誤って武田信繁を討ち取り説、採用】
【上杉政虎と武田信玄の一騎打ち説、採用】
【上杉政虎と武田信玄の一騎打ちは四合説、採用】
【信玄を助けたのは足軽の横槍説、採用】
炊飯がいつもよりも長い刻上がっていた日の深夜。
海津城の武田軍のまずは別動隊の1万2000人が松明も付けずに静かに出発した。
松明もなく移動出来るのは戦場が北信濃だという「地の利」があったればこそだ。
その後、本隊1万6000人の方も夜明け前に松明なしで海津城から出発しており、当然、恒興もその武田本隊の中に居た。
眠そうに欠伸をしながらだが。
「ったく、どうして偉いさんは夜に動きたがるのかね~」
「夜陰に紛れて兵を動かす為であろうが」
と答えたのは恒興の監視役の虎吉ではない。
山本勘助本人だった。当然、勘助1人ではなく、勘助の隊に恒興は囲まれていた。
「何故、山本殿がオレの傍に居られるんですか?」
「今回の作戦の肝が如何に静かに移動出来るかに掛かっておるからだよ。尾張の客人がわざと越後方に知らせる為に騒ぎを起こすとも限らんのでな」
切れ者の勘助がそう疑う中、過大評価された恒興の方は、
「勝負を水に流す為に? あり得ませんな。勝てる勝負を捨てる馬鹿がどこに居るんです?」
「勝負で得る物は武田との誼だけだからのう。越後に勝たして越後との誼の方が旨味があると考えればーー」
「美濃と駿河を叩くのに越後は遠過ぎますって」
「――どういう意味だ?」
「えっ、織田と武田が誰を通じれば当然、協力してくれるんですよね?」
「いや、そうじゃなくて駿河の方じゃ。尾張は三河と同盟をしたのではなかったのか?」
「三河~?」
恒興が嫌そうな顔をして、
「あんな狂犬と本気で手を組む訳がないでしょ。いつ背後から寝首を掻くかも分からないのに」
「武田は疑っておらんのか?」
「疑ってますが、少なくともまだ隣国じゃありませんから。それに優先順位もありますから」
「なるほど、美濃か」
こうして夜陰の中、海津城から移動して八幡原へと向かったのだが、
この日の八幡原は夜が明けても濃い霧が立ち込めていた。
(拙いな、この霧は。オレを暗殺するには持ってこいだから)
恒興がそんな事を考え、勘助も、
(ーーん? いつも以上に霧が出ておるな、今日は。ここで尾張の客人を人知れず始末するのもやぶさかではないが)
と呑気に考えていたのだが、2人の思考を吹き飛ばす凶報が霧を進む前方の味方から飛び込んできた。
「て、敵襲だぁぁぁっ!」
◇
美濃の稲葉山城の早朝の物見台の上では竹中重治が、
「始まったか。頼みますよ、関東管領殿。後腐れのないよう甲斐の餓虎の首を斬り落として下さいますように」
北信濃に視線を向けてそう涼やかに笑ったのだった。
◇
北信濃の霧の八幡原では、
(何とっ! 読まれたのか、我が必勝の策が――)
と啄木鳥戦法を看破されて絶句する勘助の横で、
(拙い、武田が負けると勝負自体が流れる恐れがある。それは困るぞっ! 信長様は武田との誼を結びたがってるのに、任務失敗なんてのはっ!)
恒興が瞬時に織田軍の信長の隣に居る時の癖で大声で信長の代わりに、
「全員、浮き足立つなっ! 敵なんてどうせ、少数だっ! こっちは1万5000人以上居るんだからなっ! 閧の声を上げろっ! 法螺貝も鳴らして別動隊にこちらの急変を知らせろっ! それで挟み撃ちにして上杉軍なんて終わりだっ!」
普段通りに雑兵を鼓舞して副将の仕事をしたのだった。
それには勘助が、
(こやつ・・・見てくれ以上に使えるっ!)
更に恒興を見直し、
「全員、さっさと鬨の声を上げんかっ! 法螺貝もだっ!」
その勘助の声で、勘助が率いる山本隊がまずは率先して士気を高めた。
「ワシは御館様の許へと向かう。客人も付いて来い」
こうして勘助と恒興は霧の中を本陣の信玄を目指して進んだのだった。
本陣に居た武田信玄は本隊全体から上がる鬨の声を聞いて、
「逃亡寸前だった雑兵をここまで鼓舞するとは。さすがは勘助だ」
と感心しながらも、
「短期決戦を望んだが、長尾には策など通じんか」
霧の向こう側に居る上杉政虎を睨んでいると、勘助がやってきた。
「策は失敗に終わったようだな」
「申し訳ございません、御館様」
「だが、この軍の士気ならば問題なかろう。よくやった」
「いえ、それは手柄勝負をしてる客人の手柄でして」
勘助がそう真実を教えたのは正直者だからではなく、信玄へ「あの客人の事を軽く見るないように」との注意嶢起からだ。
その言葉に信玄は勘助の背後に控えてる恒興をチラ見してから、
「そうなのか?」
「はい、手柄勝負はもう決着しましたが、今回は何があるのか分かりませんので御館様の傍に客人を置く事をお勧めします」
「大丈夫なのであろうな?」
「美濃の攻略で武田と組みたいらしいですので」
「ああ、竹中か。良かろう」
との阿吽の呼吸で、
「山本隊は中軍に陣を張りますね」
「ああ、任せたぞ」
と勘助は信玄の許を離れていった。
濃い霧に包まれた八幡原の上杉軍8000人の中では、
「関東管領様がどこに居るのか、すぐに確認しろ」
柿崎景家が青ざめていた。
上杉政虎には悪癖があるのだ。
戦場で先頭を馬で駆けるという。
「それがーーどこにも見当たりません」
「拙い。部隊を武田の本陣に突っ込ませろ。関東管領職に就いたばかりの関東管領様が討たれたら越後は日の本中で笑い物になるぞっ!」
こうして上杉軍は武田軍に突撃を開始したのだった。
◇
霧で周囲が見えない状況での乱戦で、大勢と小勢、どちらが有利かと言えば小勢である。
何故なら周囲が全部敵だからだ。
逆に大勢の方は周囲が味方ばかりで不利だった。
そもそも乱戦なのが拙い。
陣形を整えての状況での激突ならば、霧が出た状態でも大丈夫なのだが、いきなり霧の中で両軍が混ざり合って乱戦状態に突入したのだから。
そして、乱戦の中で武田軍の頭を悩ませる事となったのが、
「突っ込めっ! 我が隊の前に立ち塞がった奴は、例え味方であっても構わんっ! 踏み潰してしまえっ!」
武田軍の突撃馬鹿こと、室住虎光(別名、諸角虎定)の暴走である。
霧の中で錯乱してこんな事を命令しているのではない。
この男は元々こういう大雑把過ぎる性格の男だったのだ。
そして、それが悲劇を生んだ。
「なっ、止めろっ! こちらは御舎弟、信繁様の陣だぞっ!」
「信繁様、お逃げ下さい――うわああああっ!」
まさかの信玄の弟の信繁隊に突っ込み、
「退け退け」
そして濃霧の中で槍を振ってた虎光が霧で人影だけの騎馬武者を突いたら、
「ーーへっ?」
「あっ」
濃霧でも相手が視認出来る距離まで接近して虎光と信繁は遭遇し、虎光は握る槍を慌てて引いたが、虎光が乗ってる馬の方は止まらず、槍が進み、
「グアアア」
槍先が信繁の首を貫いたのだった。
「ーーやべっ!」
突撃馬鹿の虎光でもさすがにそう思う。
何せ、当主信玄の実弟で影武者までやってる男だ。
こんなのを殺した日には絶対に責任を取らされて切腹をさせられる。
だが虎光は突撃馬鹿だが悪知恵もちゃんと働く男だった。
なので、
「武田信繁様、お討ち死にぃっ! 長尾軍に信繁様が殺されたぞぉぉっ! 信繁様の仇を取れぇぇっ! 全軍突撃だぁぁっ!」
そう喚き散らして、上杉軍の所為にして有耶無耶にしようとしたのだった。
その武田信繁の討ち死に情報が本当に拙かった。
一度は山本隊に居た池田恒興の鼓舞で持ち直した武田軍1万6000人が浮足立ったのだから。
無論、本当は誰が信繁を討ったのか見抜く者達も当然居た。
霧の八幡原に布陣した武田の本陣では、
「信繁様、お討ち死にされました」
「何で中軍の信繁が真っ先に死ぬ事になるんだぁぁぁぁっ! 虎光ぅぅぅぅぅっ! 勝手な事ばかりしおってからにぃぃぃっ!」
床几に座った信玄が握る軍配を強く握り、軽く悶えたが、
「はあ? これだけの兵力差なのに副将が討たれたの? 弱っ!」
近くでそんな率直な言葉が聞こえてきて、信玄が視線を向けると、恒興が隣の監視役の原大隅守に、
「今のはさすがに不敬だぞ、原大隅守」
「いやいや、オレが言ったみたいに誤魔化してますけど、自分で言ったんですから自分で責任を取って下さいね、池田殿」
とか喋ってて、さすがに信玄も冷静になった。
だが、武田軍の被害は副将の信繁だけに留まらなかった。
山本隊の横腹に室住隊が突っ込んできたのだから。
「ーーなっ、いくらワシでも、さすがに味方に攻撃されるのなんて読めるかっ!」
馬に乗った勘助が絶叫する中、眼の前を虎光が乗った馬が通り過ぎ、
「こら、虎光、貴様っ!」
そう叫んだが、虎光の与力である騎馬武者の成瀬正一が槍で、
「邪魔だ、ジジイ」
あっさりと擦れ違い様に勘助を騎上から落馬させて、更に後続の騎馬武者達が乗る馬蹄に踏み潰されて、
「ギャアアア」
圧死したのだった。
霧の八幡原の武田軍の本陣では、
「山本勘助様、お討ち死にっ!」
との報告までが届いた。
(ーー何の冗談だ? 誰か嘘だと言ってくれっ!)
信玄が軽い眩暈まで覚える中、恒興が何かに気付いて、
「その騎馬武者を近付けるなっ!」
そう大声で叫んでいた。
それで信玄以下本陣に居た近習も、霧の中を接近する騎馬武者に気付いた。
それが「使い番ではない」と看破したのは恒興の他は信玄だけだったが。
霧でまだ姿が見えない騎馬武者の違いを信玄と恒興が判別したのは馬の足音だった。
今、接近してる騎馬武者が乗る馬の足音は速度が出ている足音だ。
この濃霧の中でも馬を当たり前のように最高速度で走らせていた。
つまりは本陣の味方にぶつからないように遠慮してる使い番の馬の走りじゃない。
本陣の近習が異質さを見抜けなかったので、対応が遅れた為、その騎馬武者が床几に座る信玄の前に躍り出て、
「ふんっ!」
刀で斬り付けた。
「甘いわっ!」
恒興の言葉で警戒してたお陰で床几に座ったままの信玄が堂々と軍配で受ける。
受けながら相手を見た。
白頭巾を被った鎧姿の男。
乗ってる馬は月毛。
武田軍の使い番とは当然違う。
さすがに有名な男なので信玄も上杉政虎本人だと気付いたが、その時には政虎が二撃目の刀を振り降ろしていた。
信玄が軍配で受けたが、指を負傷した。
「――チッ」
続いて三撃目が来る。刀を軍配で受けたが、もう握力が残ってないと信玄が悟った時、最初に騎馬武者に気付いて、同時に大隅守から、
「貸せっ!」
槍を奪って突っ込んでた恒興が当然、騎馬に乗る将を狙った。
戦での手柄勝負をしてるのだから、
そして、もちろんの事だが、恒興は相手が誰か全く気付いていなかった。
顔を狙った槍先が右頬を振る。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」
政虎が頬を負傷しながらも刀で狙ったのは命を狙った恒興ではなく、床几に座る信玄だった。
(――コイツ、顔を狙った相手を無視するなんて凄いっ! ってか、眼の前の武田の殿様を殺されて堪るかっ! 信長様からの任務失敗は拙いんだよ、こっちもっ!)
仕方ないので手柄を下降修正。
敵将は諦め、信玄を守る事に手柄を切り替え、恒興は敵将の馬の顔を槍先で狙った。
さすがに馬は乗り手とは違い、槍で突かれるのは嫌だったらしい。
槍先の接近で、ヒヒンッと働いた馬が身体をズラした。
それで四撃目の信玄への刀の攻撃は空振りに終わり、政虎は信玄を睨んだまま、
「優秀な足軽に感謝するがよい」
そう捨て台詞を残して、遅蒔きに殺到した武田の兵の囲いが完成する前に脱出して馬で走り去っていったのだった。
「クソ、上将っぽかったのに首が取れなかったっ!」
そう悔しがってる恒興の言葉を聞いて、
(知らずに突っかかったのか。織田の若僧はいい側近を持っておるわ)
信玄は脱力しながらも、
「織田と誼を結んでやるよ、原大隅守」
そう恒興に声を掛けてきた。
恒興は使える時と使えない時の振り幅が大きく、
「オレの名前は池田恒興ですが?」
「ワシの真意を読まんか。原大隅守に今の手柄を譲ったら織田と誼を結んでやると言っているんだ」
「ええ~、オレが武田の殿様を助けたのに~」
心底不服そうだった恒興だったが、
「じゃあ、それで」
そう承諾した。
その言葉を聞いた信玄が満足そうに、
「馬を与える。客人はもう尾張に帰っても良いぞ。その姿なら尾張まで問題なく帰れよう」
「戦の最中に逃亡した風に見えませんか、それだと? 織田家の武名が・・・」
そう声に出して一瞬迷ったが、信玄が、
「最初から居なかったのだから何の問題もない」
「畏まりました」
恒興はそう気軽に決めて、信玄に馬を一頭貰うと、北信濃の八幡原から旅立ったのだった。
◇
遠く離れた美濃の稲葉山城の物見台の上に居た竹中重治が、
「ん? 甲斐の餓虎の首が落ちていない? どういう事だ? 関東管領殿は何をしている?」
そう訝んだのだった。
登場人物、1561年度
室住虎光(45)・・・武田の重臣。別名、諸角虎定。先代、武田信虎の側近。猪武者。第4次川中島の戦いを武田の敗北に導いた戦犯。この敗戦で武田二十四将から外された。
能力値、信虎の教えA、真っ向突撃の虎光SS、風林火山など知らんS、信玄への忠誠A、信玄からの信頼C、武田家臣団での待遇S
成瀬正一(23)・・・虎光の家臣。三河出身。三河の狂犬に仕えるのを嫌って甲斐に流れ着く。勘助を落馬させたのは虎光と同じ性格なだけ。裏の事情はない。
能力値、真っ向突撃の正一B、狂犬嫌いA、故郷が恋しいC、虎光への忠誠A、虎光からの信頼C、室住家臣団での待遇C
【武田軍別動隊の大将、春日虎綱説、採用】
【武藤喜兵衛も別動隊に参加説、採用】
【武田軍本隊は1万6000人説、採用】
【池田恒興は本隊に参加説、採用】
【その日、八幡原は朝になっても濃霧が立ち込めていた説、採用】
【第4次川中島の戦い、霧の中での偶発的な遭遇説、採用】
【武田軍本隊、濃霧の中で同士討ちが発生説、採用】
【室住虎光(諸角虎定)、1516年生まれ説、採用】
【室住虎光、霧の八幡原で誤って武田信繁を討ち取り説、採用】
【上杉政虎と武田信玄の一騎打ち説、採用】
【上杉政虎と武田信玄の一騎打ちは四合説、採用】
【信玄を助けたのは足軽の横槍説、採用】
炊飯がいつもよりも長い刻上がっていた日の深夜。
海津城の武田軍のまずは別動隊の1万2000人が松明も付けずに静かに出発した。
松明もなく移動出来るのは戦場が北信濃だという「地の利」があったればこそだ。
その後、本隊1万6000人の方も夜明け前に松明なしで海津城から出発しており、当然、恒興もその武田本隊の中に居た。
眠そうに欠伸をしながらだが。
「ったく、どうして偉いさんは夜に動きたがるのかね~」
「夜陰に紛れて兵を動かす為であろうが」
と答えたのは恒興の監視役の虎吉ではない。
山本勘助本人だった。当然、勘助1人ではなく、勘助の隊に恒興は囲まれていた。
「何故、山本殿がオレの傍に居られるんですか?」
「今回の作戦の肝が如何に静かに移動出来るかに掛かっておるからだよ。尾張の客人がわざと越後方に知らせる為に騒ぎを起こすとも限らんのでな」
切れ者の勘助がそう疑う中、過大評価された恒興の方は、
「勝負を水に流す為に? あり得ませんな。勝てる勝負を捨てる馬鹿がどこに居るんです?」
「勝負で得る物は武田との誼だけだからのう。越後に勝たして越後との誼の方が旨味があると考えればーー」
「美濃と駿河を叩くのに越後は遠過ぎますって」
「――どういう意味だ?」
「えっ、織田と武田が誰を通じれば当然、協力してくれるんですよね?」
「いや、そうじゃなくて駿河の方じゃ。尾張は三河と同盟をしたのではなかったのか?」
「三河~?」
恒興が嫌そうな顔をして、
「あんな狂犬と本気で手を組む訳がないでしょ。いつ背後から寝首を掻くかも分からないのに」
「武田は疑っておらんのか?」
「疑ってますが、少なくともまだ隣国じゃありませんから。それに優先順位もありますから」
「なるほど、美濃か」
こうして夜陰の中、海津城から移動して八幡原へと向かったのだが、
この日の八幡原は夜が明けても濃い霧が立ち込めていた。
(拙いな、この霧は。オレを暗殺するには持ってこいだから)
恒興がそんな事を考え、勘助も、
(ーーん? いつも以上に霧が出ておるな、今日は。ここで尾張の客人を人知れず始末するのもやぶさかではないが)
と呑気に考えていたのだが、2人の思考を吹き飛ばす凶報が霧を進む前方の味方から飛び込んできた。
「て、敵襲だぁぁぁっ!」
◇
美濃の稲葉山城の早朝の物見台の上では竹中重治が、
「始まったか。頼みますよ、関東管領殿。後腐れのないよう甲斐の餓虎の首を斬り落として下さいますように」
北信濃に視線を向けてそう涼やかに笑ったのだった。
◇
北信濃の霧の八幡原では、
(何とっ! 読まれたのか、我が必勝の策が――)
と啄木鳥戦法を看破されて絶句する勘助の横で、
(拙い、武田が負けると勝負自体が流れる恐れがある。それは困るぞっ! 信長様は武田との誼を結びたがってるのに、任務失敗なんてのはっ!)
恒興が瞬時に織田軍の信長の隣に居る時の癖で大声で信長の代わりに、
「全員、浮き足立つなっ! 敵なんてどうせ、少数だっ! こっちは1万5000人以上居るんだからなっ! 閧の声を上げろっ! 法螺貝も鳴らして別動隊にこちらの急変を知らせろっ! それで挟み撃ちにして上杉軍なんて終わりだっ!」
普段通りに雑兵を鼓舞して副将の仕事をしたのだった。
それには勘助が、
(こやつ・・・見てくれ以上に使えるっ!)
更に恒興を見直し、
「全員、さっさと鬨の声を上げんかっ! 法螺貝もだっ!」
その勘助の声で、勘助が率いる山本隊がまずは率先して士気を高めた。
「ワシは御館様の許へと向かう。客人も付いて来い」
こうして勘助と恒興は霧の中を本陣の信玄を目指して進んだのだった。
本陣に居た武田信玄は本隊全体から上がる鬨の声を聞いて、
「逃亡寸前だった雑兵をここまで鼓舞するとは。さすがは勘助だ」
と感心しながらも、
「短期決戦を望んだが、長尾には策など通じんか」
霧の向こう側に居る上杉政虎を睨んでいると、勘助がやってきた。
「策は失敗に終わったようだな」
「申し訳ございません、御館様」
「だが、この軍の士気ならば問題なかろう。よくやった」
「いえ、それは手柄勝負をしてる客人の手柄でして」
勘助がそう真実を教えたのは正直者だからではなく、信玄へ「あの客人の事を軽く見るないように」との注意嶢起からだ。
その言葉に信玄は勘助の背後に控えてる恒興をチラ見してから、
「そうなのか?」
「はい、手柄勝負はもう決着しましたが、今回は何があるのか分かりませんので御館様の傍に客人を置く事をお勧めします」
「大丈夫なのであろうな?」
「美濃の攻略で武田と組みたいらしいですので」
「ああ、竹中か。良かろう」
との阿吽の呼吸で、
「山本隊は中軍に陣を張りますね」
「ああ、任せたぞ」
と勘助は信玄の許を離れていった。
濃い霧に包まれた八幡原の上杉軍8000人の中では、
「関東管領様がどこに居るのか、すぐに確認しろ」
柿崎景家が青ざめていた。
上杉政虎には悪癖があるのだ。
戦場で先頭を馬で駆けるという。
「それがーーどこにも見当たりません」
「拙い。部隊を武田の本陣に突っ込ませろ。関東管領職に就いたばかりの関東管領様が討たれたら越後は日の本中で笑い物になるぞっ!」
こうして上杉軍は武田軍に突撃を開始したのだった。
◇
霧で周囲が見えない状況での乱戦で、大勢と小勢、どちらが有利かと言えば小勢である。
何故なら周囲が全部敵だからだ。
逆に大勢の方は周囲が味方ばかりで不利だった。
そもそも乱戦なのが拙い。
陣形を整えての状況での激突ならば、霧が出た状態でも大丈夫なのだが、いきなり霧の中で両軍が混ざり合って乱戦状態に突入したのだから。
そして、乱戦の中で武田軍の頭を悩ませる事となったのが、
「突っ込めっ! 我が隊の前に立ち塞がった奴は、例え味方であっても構わんっ! 踏み潰してしまえっ!」
武田軍の突撃馬鹿こと、室住虎光(別名、諸角虎定)の暴走である。
霧の中で錯乱してこんな事を命令しているのではない。
この男は元々こういう大雑把過ぎる性格の男だったのだ。
そして、それが悲劇を生んだ。
「なっ、止めろっ! こちらは御舎弟、信繁様の陣だぞっ!」
「信繁様、お逃げ下さい――うわああああっ!」
まさかの信玄の弟の信繁隊に突っ込み、
「退け退け」
そして濃霧の中で槍を振ってた虎光が霧で人影だけの騎馬武者を突いたら、
「ーーへっ?」
「あっ」
濃霧でも相手が視認出来る距離まで接近して虎光と信繁は遭遇し、虎光は握る槍を慌てて引いたが、虎光が乗ってる馬の方は止まらず、槍が進み、
「グアアア」
槍先が信繁の首を貫いたのだった。
「ーーやべっ!」
突撃馬鹿の虎光でもさすがにそう思う。
何せ、当主信玄の実弟で影武者までやってる男だ。
こんなのを殺した日には絶対に責任を取らされて切腹をさせられる。
だが虎光は突撃馬鹿だが悪知恵もちゃんと働く男だった。
なので、
「武田信繁様、お討ち死にぃっ! 長尾軍に信繁様が殺されたぞぉぉっ! 信繁様の仇を取れぇぇっ! 全軍突撃だぁぁっ!」
そう喚き散らして、上杉軍の所為にして有耶無耶にしようとしたのだった。
その武田信繁の討ち死に情報が本当に拙かった。
一度は山本隊に居た池田恒興の鼓舞で持ち直した武田軍1万6000人が浮足立ったのだから。
無論、本当は誰が信繁を討ったのか見抜く者達も当然居た。
霧の八幡原に布陣した武田の本陣では、
「信繁様、お討ち死にされました」
「何で中軍の信繁が真っ先に死ぬ事になるんだぁぁぁぁっ! 虎光ぅぅぅぅぅっ! 勝手な事ばかりしおってからにぃぃぃっ!」
床几に座った信玄が握る軍配を強く握り、軽く悶えたが、
「はあ? これだけの兵力差なのに副将が討たれたの? 弱っ!」
近くでそんな率直な言葉が聞こえてきて、信玄が視線を向けると、恒興が隣の監視役の原大隅守に、
「今のはさすがに不敬だぞ、原大隅守」
「いやいや、オレが言ったみたいに誤魔化してますけど、自分で言ったんですから自分で責任を取って下さいね、池田殿」
とか喋ってて、さすがに信玄も冷静になった。
だが、武田軍の被害は副将の信繁だけに留まらなかった。
山本隊の横腹に室住隊が突っ込んできたのだから。
「ーーなっ、いくらワシでも、さすがに味方に攻撃されるのなんて読めるかっ!」
馬に乗った勘助が絶叫する中、眼の前を虎光が乗った馬が通り過ぎ、
「こら、虎光、貴様っ!」
そう叫んだが、虎光の与力である騎馬武者の成瀬正一が槍で、
「邪魔だ、ジジイ」
あっさりと擦れ違い様に勘助を騎上から落馬させて、更に後続の騎馬武者達が乗る馬蹄に踏み潰されて、
「ギャアアア」
圧死したのだった。
霧の八幡原の武田軍の本陣では、
「山本勘助様、お討ち死にっ!」
との報告までが届いた。
(ーー何の冗談だ? 誰か嘘だと言ってくれっ!)
信玄が軽い眩暈まで覚える中、恒興が何かに気付いて、
「その騎馬武者を近付けるなっ!」
そう大声で叫んでいた。
それで信玄以下本陣に居た近習も、霧の中を接近する騎馬武者に気付いた。
それが「使い番ではない」と看破したのは恒興の他は信玄だけだったが。
霧でまだ姿が見えない騎馬武者の違いを信玄と恒興が判別したのは馬の足音だった。
今、接近してる騎馬武者が乗る馬の足音は速度が出ている足音だ。
この濃霧の中でも馬を当たり前のように最高速度で走らせていた。
つまりは本陣の味方にぶつからないように遠慮してる使い番の馬の走りじゃない。
本陣の近習が異質さを見抜けなかったので、対応が遅れた為、その騎馬武者が床几に座る信玄の前に躍り出て、
「ふんっ!」
刀で斬り付けた。
「甘いわっ!」
恒興の言葉で警戒してたお陰で床几に座ったままの信玄が堂々と軍配で受ける。
受けながら相手を見た。
白頭巾を被った鎧姿の男。
乗ってる馬は月毛。
武田軍の使い番とは当然違う。
さすがに有名な男なので信玄も上杉政虎本人だと気付いたが、その時には政虎が二撃目の刀を振り降ろしていた。
信玄が軍配で受けたが、指を負傷した。
「――チッ」
続いて三撃目が来る。刀を軍配で受けたが、もう握力が残ってないと信玄が悟った時、最初に騎馬武者に気付いて、同時に大隅守から、
「貸せっ!」
槍を奪って突っ込んでた恒興が当然、騎馬に乗る将を狙った。
戦での手柄勝負をしてるのだから、
そして、もちろんの事だが、恒興は相手が誰か全く気付いていなかった。
顔を狙った槍先が右頬を振る。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」
政虎が頬を負傷しながらも刀で狙ったのは命を狙った恒興ではなく、床几に座る信玄だった。
(――コイツ、顔を狙った相手を無視するなんて凄いっ! ってか、眼の前の武田の殿様を殺されて堪るかっ! 信長様からの任務失敗は拙いんだよ、こっちもっ!)
仕方ないので手柄を下降修正。
敵将は諦め、信玄を守る事に手柄を切り替え、恒興は敵将の馬の顔を槍先で狙った。
さすがに馬は乗り手とは違い、槍で突かれるのは嫌だったらしい。
槍先の接近で、ヒヒンッと働いた馬が身体をズラした。
それで四撃目の信玄への刀の攻撃は空振りに終わり、政虎は信玄を睨んだまま、
「優秀な足軽に感謝するがよい」
そう捨て台詞を残して、遅蒔きに殺到した武田の兵の囲いが完成する前に脱出して馬で走り去っていったのだった。
「クソ、上将っぽかったのに首が取れなかったっ!」
そう悔しがってる恒興の言葉を聞いて、
(知らずに突っかかったのか。織田の若僧はいい側近を持っておるわ)
信玄は脱力しながらも、
「織田と誼を結んでやるよ、原大隅守」
そう恒興に声を掛けてきた。
恒興は使える時と使えない時の振り幅が大きく、
「オレの名前は池田恒興ですが?」
「ワシの真意を読まんか。原大隅守に今の手柄を譲ったら織田と誼を結んでやると言っているんだ」
「ええ~、オレが武田の殿様を助けたのに~」
心底不服そうだった恒興だったが、
「じゃあ、それで」
そう承諾した。
その言葉を聞いた信玄が満足そうに、
「馬を与える。客人はもう尾張に帰っても良いぞ。その姿なら尾張まで問題なく帰れよう」
「戦の最中に逃亡した風に見えませんか、それだと? 織田家の武名が・・・」
そう声に出して一瞬迷ったが、信玄が、
「最初から居なかったのだから何の問題もない」
「畏まりました」
恒興はそう気軽に決めて、信玄に馬を一頭貰うと、北信濃の八幡原から旅立ったのだった。
◇
遠く離れた美濃の稲葉山城の物見台の上に居た竹中重治が、
「ん? 甲斐の餓虎の首が落ちていない? どういう事だ? 関東管領殿は何をしている?」
そう訝んだのだった。
登場人物、1561年度
室住虎光(45)・・・武田の重臣。別名、諸角虎定。先代、武田信虎の側近。猪武者。第4次川中島の戦いを武田の敗北に導いた戦犯。この敗戦で武田二十四将から外された。
能力値、信虎の教えA、真っ向突撃の虎光SS、風林火山など知らんS、信玄への忠誠A、信玄からの信頼C、武田家臣団での待遇S
成瀬正一(23)・・・虎光の家臣。三河出身。三河の狂犬に仕えるのを嫌って甲斐に流れ着く。勘助を落馬させたのは虎光と同じ性格なだけ。裏の事情はない。
能力値、真っ向突撃の正一B、狂犬嫌いA、故郷が恋しいC、虎光への忠誠A、虎光からの信頼C、室住家臣団での待遇C
10
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
満州国馬賊討伐飛行隊
ゆみすけ
歴史・時代
満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる