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英雄マルコスの像
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スタンピードがあった翌朝、多数の魔物に襲撃されて陥落した城塞都市エクレロイド内には魔物が1匹も居なかった。
昨夜、何かに取り憑かれたように城塞都市エクレロイドを陥落させた魔物達はその後、逃げ遅れた住民達をしばらくの間、喰らっていたが、また何かに取り憑かれたように東に移動を始め、本当に1匹も残っていなかったのだ。
魔物の思考など分かる由もないが、意味不明だ。
偵察に出た兵士達が『もう大丈夫だ』と教えてくれて、地下施設に避難していた住民達は恐る恐るエクレロイドの城塞街へと戻り、そして魔物群によって陥落した状態の街並みを見て愕然とした。エクレロイド内には魔物の死体と人間の残骸が残り、魔物の体液なども残ってる。建造物も魔物の攻撃で破壊されており、ゴーレムが破壊した穴が西城壁と東城壁(東に向かう際に破壊)に開いていた。
家族が死に、家屋が潰されて悲嘆にくれる住民達も居たが、それでも生き残った者達は魔物達に陥落された城塞都市エクレロイドの清掃を始めたのだった。
そのスタンピードに襲われた城塞都市エクレロイドにムゲル抹殺任務を帯びたブローゼン連合の暗部部隊は居た。
その数、10人。
ジェシカ隊の他にマッケンリーが率いる粛清部隊も合流していたのだ。
理由はムゲルがクロベーテ王国からソルトーヤ王国に移動すると予想したからだった。
ムゲルは偏屈なので交友関係が異常に狭い。クロベーテ王国に手配された装飾師テイジーの次に頼るとなればソルトーヤ王国のダークエルフの里ビルバンフィードくらいしかなかったのだ。
暗部部隊がダークエルフの里ビルバンフィードで待ち伏せしなかったのはダークエルフ達が他種族を嫌うからだ。それにムゲルはダークエルフからも嫌われていたらしく、ビルバンフィード側もムゲルの討伐に協力すると申し出てくれた。
なので、城塞都市エクレロイドで待ち伏せしていたのだ。
標的はムゲル。そしてもう1人、テイジーと一緒に手配された子供のカイルだ。ムゲルが脱走したあのタイミングでテイジーと一緒に手配されたのはどうも臭い。確認する必要があったからだ。
だが、待てど暮らせどムゲルもカイルも現れず、昨夜はとうとうスタンピードだ。全員が商人や旅人、旅の劇団員などに扮しており、避難場所に逃げた者、家屋に隠れた者、東門から逃げようとした者、色々居たが、全員が無事だった。
無事だったが、その後がよろしくない。
通常ならばともかく、スタンピードがあった直後だ。それなのに城塞都市エクレロイドに長く逗留を続ければ悪目立ちする。旅人なら誰だってこんな危険な場所からは旅立ちたいはずなのだから。
それに間もなく大量のクロベーテ王国の暗部部隊がこのエクレロイドに到着する。
エクレロイド城で炊き出しを貰いながら、暗部部隊は他人のフリをして、
(どうする。かなりヤバイぞ、オレ達の今のこの状況? 猶予は明朝ってところか)
(? どうしてです? スタンピードの魔物が居なくなって安全ですのに?)
(この、おバカ。エクレロイドのすぐ近くに暗部育成機関があるでしょ。ベーデから大量に人員が送られてくるって事よ。昨夜のスタンピードの時点で出発してるはずだから、駆け鳥なら明朝、遅くても明後日の晩には到着して、呑気にエクレロイドに残ってたらかち合って私達が狩られるって意味よ。何せ、相手は人員を無尽蔵に投入出来るんだから)
(た、大変じゃないですか)
(だから話し合ってるんでしょ、邪魔しないで―――ムゲルよりも私達の身の安全を優先して一端、エクレロイドから離れましょ)
(魔物が移動した東にか? そっちもヤバくないか? もしあの魔物のスタンピードがあの老人の仕業だったら老人の術中にハマる事になるし。だが南西のベーデはこの国の暗部部隊の総本山だ。いや、今のスタンピードの直後なら避難民に紛れる事も可能か?)
(いえ、それよりももっと確実なルートがあるわ。西よ)
(西って森の中? そうか、スタンピードで魔物が居なくなった空白地帯を突っ切るのか?)
(ええ、スタンピードの直後なら武具を買い漁っても誰にも怪しまれないし。装備を整えて冒険者のフリをして一気に森を抜けて城塞都市ズイロドまで戻りましょう。それしかないわ)
(確かにそれが一番安全か。人数分けはどうする?)
(それぞれの部隊で行動しましょ)
(分かった。では城塞都市ズイロドで落ち合おう)
と方針を固めて、それぞれが旅立ったのだった。
翌朝、カイルとマーベラは朝日が昇ると共に街道を進んで目的地の城塞街ベーデを目指していた訳だが、馭者席のマーベラは御立腹だった。
「本当に最悪だから」
「見られてないって。気にし過ぎだよ、ボクのマーベさん」
カイルが背後からハグをして優しく慰めた。
何の話をしてるのかと言えば、城塞都市エクレロイドが昨夜スタンピードに襲撃された速報は魔道具を使う事で殆どリアルタイムで城塞都市ズイロドにも届き、ズイロドからでは援軍が間に合う訳もないが、それでも先発隊の駆け鳥部隊と狼部隊が昨日の深夜の時点でズイロドを出発し、魔物に襲われているエクレロイドを目指したのだが。
その途中の夜の街道では呑気にカイルとマーベラが焚き火の前で情事に耽ってる最中で、カイルがいち早く騎士隊の接近に気付いて慌てて荷車の中にマーベラを押し込めようとしたが、マーベラが騎士隊の接近を信じず、本当にギリギリのギリギリで間一髪、足音に気付いて何とか敷物にしてたマントで身体を隠して恥を掻いていた。
という昨夜の顛末をマーベラは翌日になっても引きずって嘆いていたのだ。
「責任とって結婚してね、カーン」
まだマーベラはカイルの本名を知らない。
「うん、いいよ、ボクのマーベさん」
対するカイルの方はマーベルを愛称のマーベで呼んでいた。
「でも夜間に騎士隊が出動なんてね。何かあったのかな?」
「あったんでしょ。ただの訓練だったら私が許さないから」
まだマーベラは不機嫌でカイルは恋人らしくマーベラの身体を午前中から官能的に触って機嫌を取ったのだった。
◇
何があったのかマーベラ達が知ったのは3日後、城塞都市ズイロドと城塞街ベーデの中間地点にあるズラン監視塔での事である。
監視塔の目的はモルニードスの森の魔物の監視と、森から流れる小川の水源確保と小川を越えるショボイ石橋の管理だ。別に橋で通行税を取るような事はしていない。魔物が石橋に近付けば監視塔から矢で射抜くくらいはしたが。
「何度も騎士や兵隊に追い抜かれたけど、何かあったの、お爺ちゃん?」
小川から引いた魔道具のポンプで楽々とに水を補給しながらマーベラが問うと、監視塔の正規兵ではない雑用の人夫の頭を禿げ散らかしたお爺さんが、
「国境の城塞都市エクレロイドが落ちたらしいよ」
「えっ、ソルトーヤ王国と戦争になったの?」
「違う違う。魔物のスタンピードさ」
「へぇ~。物騒ね」
「お嬢ちゃんらも気を付けなよ」
「うん、ありがと、お爺ちゃん」
マーベラはちゃんとお礼を言ったが、冒険者の癖が抜けておらず最後まで年配者にタメ口だった。
その後、水の樽を魔道具のクレーンで楽々と荷車に載せてマーベラ達は城塞街ベーデを目指したのだった。
城塞都市エクレロイドがスタンピードに遭った4日後の昼下がり。
クロベーテ王国の王都オルクロリアにある聖シルバスタ教団の神殿の地下室では、とある組織の最高幹部会が開かれていた。
とある組織とは犯罪シンジゲート『黒き刃』である。
その末席に座ったキース・ライド男爵は上座の7人に視線を向けた。
組織のボスはオスノ・サイレード。80代の獣人で、もう白髪になって筋肉も萎んだ老人である。服装は平民風。だが先代の王家の影の長官だった。
ナンバー2はケーアール。70代の人間の人の良さそうな老婆で、服装は堂々と聖シルバスタ教団の神官服。現職でオルクロリア神殿の幹部でもある。
ナンバー3がテイジー。20代の外見の金髪眼鏡のエルフだ。キースが幹部になってからは最高幹部会を毎回欠席しており、キースは今回が初対面だった。というか先日まで指名手配されてた女だった。
他にも幹部達がズラリと並ぶが、その素性は豪商のトップや色街の顔役やらだった。
もうお分かりだろう。
犯罪シンジゲート『黒き刃』とはクロベーテ王国の裏社会を統治する為に王家の影が主導で作ったクロベーテ王国公認の非合法組織だった。無論、その事を知るのはクロベーテ王国側は先々代の国王や歴代の王家の影の長官、それに数名のみ、黒き刃側は最高幹部だけだったが。
今回の最高幹部の会議は大荒れどころか本題にも入らず、ボスであるオスノの、
「テイジー、おまえ、キンラス国王を殺したなっ!」
その激昂から始まった。
キースが『えっ、マジで?』と上座を見れば、冤罪を被せられたテイジーが嫌そうな顔で、
「私は殺してないわ」
「嘘をつけっ! おまえが自分を監視していた宮廷魔術師のガルタイルをリッチにして王城で暴れさせたんだろうがっ!」
「全然違うわ。まったくの的外れだから。そんなに疑うならこの組織を抜けてもいいけど? 嫌々所属させられてるんだしぃ~」
「ふざけるなっ! おまえのような危険人物を野放しになんか出来るかっ!」
「人聞きの悪い。私は常識人よ」
「常識人はバーサーカー化する額飾りを貴婦人達に20個以上もばら撒いてクロベーテ王国の貴族達を殺したりしないんだよっ!」
その言葉に、えっ、とキースは2人の顔を見た。
キースの父親の死はとち狂った情婦による痴情のもつれによる刃傷沙汰だったからだ。
息を飲んだ声がエルフの耳には聞こえたのか、テイジーがキースを見て、
「あら、変な誤解しないでね。私はアナタの父親の死には関与してないわよ。殺したのはこっちの怖い人間の女で、殺した理由は教団からの金の無心を断ったからだから」
ケーアールを指差して暴露した。
「人聞きの悪い事を言うでないよ、テイジー。聖シルバスタ教団が禁止してる邪教なんぞにハマったアヤツに天罰が下っただけの話を。それにお詫びに幹部の席に息子を座らせてあげたんだからこの話はこれで終わりだよ。いいね?」
「そうね。みんな忙しいんだし、さっさと本題に入りましょう」
「ふざけるなよっ! まだキンラス国王崩御の話が済んでないだろうがっ! こっちは先代にキンラス王子の事を頼まれてたんだぞっ! どうしてくれるんだ?」
「死後の世界で前王様に詫びたら? おっと前々王様だっけ」
「テメー」
「ほら、お止め。オスノ、話が進まないから」
この後も大荒れとなった最高幹部会は、本題の王弟ドーリオスの協力要請には誰もが批判的で一先ずオルクロリア王城の重臣達の決定には従うが『キンカーベンが成長して王の資質を兼ね備えていたら、どの立場であろうとドーリオスには御退場していただく』で決議したのだった。
◇
クロベーテ王国の東部の城塞都市ズイロドからモルニードスの森の最南端の城塞街ベーデまでの距離は陸亀の足で5日である。
だが、カイル達が乗る陸亀は7日の歩みでようやく城塞街ベーデに到着していた。
別にマーベラとカイルがイチャイチャして陸亀の歩みを遅らせた訳ではない。
城塞都市エクレロイドのスタンピード騒動の為、城塞都市ズイロドから城塞街ベーデへ向かう騎士隊が通る度に、昼間は部隊の先行を進む先駆けの騎士が、
「獣車を街道の横に寄せて停車しろ。クロベーテ王国の部隊が通るから」
と指図されて、一々横に寄せて停車を強制されたから移動日数が延びただけだった。
昼間だけで合計14回も騎士隊や兵隊に追い抜かれてる。その度に停車してれば移動も遅れるという物だ。
「ウンザリね」
正直者のマーベラがそんな事を言うから、内心ではカイルもそう思っていたが、
「仕事だからね、向こうも」
善人ぶる破目になった。
遅れた分、恋人になりたてだった事もあって夜は星空の下で情事に耽ったのだが。
城塞街ベーデの最大の特徴は城壁の高さだ。
高いのではない。これまでカイルが知る中で一番低かった。
5メートルも無い。2階の窓ぐらいの高さだった。お陰で城壁の内側の建造物が外側から見えるくらいだ。
だが、この城塞街ベーデの世間から隠された最大の特徴は魔法学校に偽装したクロベーテ王国の暗部養成機関が存在する事だった。
それでもテイジーの変身の魔道具を抜けるほどの魔眼持ちはそう居ないはずだ。問題ないだろう。カイルは気軽に考えていた。
「どう、私の故郷は?」
田舎者の貧農の次男坊のカイルは城塞街ベーデに来たのは初めてだったが、ムゲルは来た事がある。その為、ムゲルの知識と記憶を持つカイルは城塞街ベーデを見ても何の感動もなかったが、それでもべーデを初めて見たフリをして、マーベラの問い掛けに、
「城壁が低いんだね」
「やっぱりカーンもそう思う? 外から来た人間は絶対、それを言うのよね。まず最初に」
「大丈夫なの、この高さで?」
「ええ、その分、兵隊さんが多いから。ついでに魔法学校がある関係で魔術師も」
「へぇ~、そうなんだぁ~」
と答えながら、カイルは内心では、
(魔術師じゃなくて暗部崩れだろ。ムゲル時代に付けた目印がまだ3つも残ってたから。けどスタンピードのお陰で全員、城塞都市エクレロイドに移動してて、現在のベーデは安全だけどな。いいね、乗ってるね、風はオレに吹いてるぅ~♪)
御機嫌だった。
「まずは積み荷を納品しましょ。次に商業ギルドでオイシイ依頼の確認ね」
「えっ、実家があるんでしょ。寄らないの?」
「実は冒険者になった時点で勘当中だから」
バツが悪そうにマーベラが告げると、カイルが、
「ええっと、ボクの御家族への挨拶は?」
「お願いだからまだ待って、カーン。14歳の少年に手を出したってバレたら家族から私が軽蔑されるから」
この世界での一般平民の結婚適齢期は16歳だ。14歳だと無くはないが確かに少し早い。
逆に特権階級は少し遅くて18歳だった。
総ては魔物が存在する為だ。意外と簡単に死ぬので平民は婚期が早くて、特権階級は死亡リスクが低くなりその分、婚期が遅かった。
「そう」
「そんな訳で、まずは小麦屋よ」
城塞街ベーデの城門を潜る際、顔見知りだったのか門番と、
「どうも」
「お帰り、マーベラちゃん」
「18なんだからちゃんは止めてよ、オジサン」
「はいよ」
マーベラは気軽に挨拶をして、アーチ型の城門を潜った。
故郷だという事もあり、マーベラは迷う事なく進むが、街の中央広場の石像の前を通る際に軽く目礼したのでカイルも注目した。
斧槍を持った鎧姿の勇ましい人間の男の像で台座にはマルコスの名前が刻まれてあった。
(チッ、誰かと思ったらマルコスの像か。何が英雄マルコスだ。あんな雑魚ーーそもそもアイツの獲物は短槍だろうが)
実物のマルコスを知るムゲルの知識を有するカイルが内心で苛立ちを募らせてると、
「カーン、あれが私の曾祖父ちゃんよ」
マーベラがそう教えたので、カイルはブチギレるのも忘れて真顔になった。
(はあ? マーベってマルコスの曾孫なの? ならユリアの曾孫でもある訳だよな?)
仰天しながらも、ポーカーフェイスを保って、
「そうなの? 凄いんだね、マーベのお爺ちゃんって」
「まあね。昔、街を襲った巨大な岩の蛇を倒した英雄だから」
「へぇ~」
と答えながら、
(アタタターー頭痛がしてきた。ユリアの曾孫だったのか、マーベって。道理でマーベに惹かれた訳だ。ユリアへの恋慕を曾孫のマーベで成就させた訳ね)
そう納得しつつも、多くを語らないカイルであった。
語れないのだ、ムゲルの知識を受け継いだカイルには。
何せ、巨大な岩の蛇を作成した術者がムゲル本人だったから。それも動機はユリアに告白してこっぴどく振られた腹いせで、城塞街ベーデに蛇のゴーレムを嗾けたはいいが、ユリアに振られたショックからかゴーレム製造時に核として使った魔石の量を凡ミスしてしまい、特大サイズのゴーレムからしたら魔石が少量過ぎて、立ち向かったマルコスの前で自壊し、マルコスを街の英雄にしてユリアとゴールインさせてしまう、という顛末なのでカッコの悪い三枚目過ぎて語るに語れなかったのだ。
カイルとムゲルは別人格だが、知識を継承してる為にカイルは罪悪感はないにしても、少し警戒する破目になった。
その石像が見える中央広場沿いに納品先の小麦屋の店舗はあった。
「こんちわぁ~。ズイロドのディース倉庫から小麦30袋を届けにきたわよぉ~」
マーベラの挨拶で番頭らしき50代のハチマキをしてる人間の男が、
「御苦労さん。おっ、どこかで――ああ、靴職人トコのお嬢ちゃんか」
「どうも」
「荷を下ろせるかい?」
「まさか。そちらでお願いね」
「あいよ。みんな来てくれ」
その後、屈強な従業員達が小麦の入った大袋を下ろし始めた。
マーベラの方は書類を出して、
「サインもよろしくね」
「あいよ。ん? 7日も掛かったのかい?」
「兵隊が街道を通る度に脇に寄せて停めさせられたからね。先触れの後に脇に寄せて待っても本隊がなかなか来なくてずっと待たされたし」
「ああ、エクレロイドへ向かう?」
「ええ。何か聞いてる?」
「小麦の倉庫も襲われて魔物の粘液で全部オジャンらしい。エクレロイドに運んだら1・8倍で売れるぞ、今なら」
さすがは小麦屋。小麦の相場を教えてくれた。
だが、事情を知らないマーベラが、
「えっ、待って。スタンピードの魔物はもう全部退治したの?」
「うんにゃ。エクレロイドを襲った魔物の大群は何故か東に向かったそうだから」
との言葉が聞こえて、
(何だ、そりゃ?)
カイルも疑問に思ったが、そのカイルこそがスタンピードの元凶である。
だが、その事実をカイルは一生知る事はなかったが。
「へぇ~。なら、もうみんな救援物資を持って出発したの?」
「ああ、6日も前にね」
「あらら。出遅れたか」
世間話をしてる間に小麦袋は全部下ろされた。
「ちゃんと運んでくれて、ありがとな」
「いえいえ、じゃあ」
こうして荷を納品して、次に向かったのは商業ギルドだが、商業ギルドも中央広場沿いにあったので、無駄なく移動したのだった。
クロベーテ王国の城塞街ベーデには魔術師系の暗部育成機関が存在する。
とはいえ、ベーデ在住の凄腕の暗部隊員達は現在、スタンピードのあったエクレロイドに投入されていた。スタンピードの原因究明の為である。
お陰で現在、ベーデに残ってる暗部部隊は魔法学校の学生ーーつまりは見習いだけだった。
中央広場にも2人、その見習いが居た。ベンチに座ってる。無論、遊んでる訳ではない。ベンチに座りながら中央広場を警備していた。
その片割れの17歳の黒髪眼鏡の人間の男のコンドールが、
「ん? 見ろよ、あれ?」
最初にカイルに気付いた。
コンドールの服装は魔法学校の黒系の学生服だ。
「何?」
と返事したのは16歳の外見のピンク髪で右眼に眼帯をしたエルフの女、本名ジョルチベーカ、通称ジョルだ。こちらも学生服だが女なのでスカートだった。
「あの子供が背負ってるデカリュックの中身、魔石だらけだぞ」
「そうなの?」
ジョルが眼帯を外そうとした瞬間、2人は同時に睡魔に襲われて1秒後には熟睡した。
熟睡どころか爆睡である。
陽が暮れて夜になって兵士に起こされるまでベンチで強制的に眠り続け、コンドールがジョルの太股に顔を乗せて眠ってた事からスカートに涎を垂れてて、怒ったジョルがコンドールの顔面に蹴りを喰らせたのだが、それはまた別の話だ。
商業ギルドの施設はどれも冒険者ギルドよりも立派だ。
城塞街ベーデの商業ギルドもそうで、入ったマーベラはまずは納品依頼を達成した証明書を提出して報酬を受付カウンターで貰った。
報酬は金貨2枚。7日間掛けて金貨2枚だ。
食費や諸経費を引けば銀貨140枚程度の儲けだ。『危険な街道を移動したにしては割に合わない』と不満に思うか、『こんなに貰えるの』と喜ぶかは貰った側の金銭感覚次第だった。
マーベラは道中が安全だったので、悪くない、と思っていた。
その後、依頼書が貼られた掲示板に移動しようとした時、受付の内側に居る19歳の橙髪のショートの愛嬌のあるズイロド出身の人間の受付嬢チェリナが、
「マーベラさんは陸亀でしたよね?」
「それがどうしたの?」
陸亀が鈍速だから馬鹿にされたのか、と少しムキになったが、
「実はソンズの村への輸送依頼を受けてくれる人を探してて」
「へっ? ソンズの村はベルのオッチャンが独占してる販路よね?」
「それがベルさん。城塞都市エクレロイドに回復薬を届けに行っちゃって」
「お金に転んだ訳ね」
「まさか。ベルさんの生き甲斐は人助けですよ」
口を尖らせたチェリナが呆れ顔で訂正した。
「より困ってるエクレロイドに行ったって事?」
「はい、お陰でソンズに行ってくれる人が居なくて。ギルドの貢献依頼ですが受けて貰えませんか?」
「ええっと、貢献依頼って何だったっけ?」
「ギルド入会時に説明したはずですよ。早い話が商業ギルドのランクが上がりやすくなる依頼で、報酬にも色が付きます」
マーベラは報酬よりもギルドランクが上がる方に食い付き、
「なら、もうEになれるの?」
「何言ってるんですか、まだ商業ギルドに入会して2回しか依頼をこなしてなくて、その内1回は荷を破損ーー失敗の癖に」
「――だわよね。報酬は?」
「通常報酬の銀貨40枚に、商業ギルドから金貨2枚と銀貨60枚」
「ソンズまでなら陸亀だと5日よね?」
ソンズは山道なのでマーベラがそう確認したが、チェリナが、
「いえ、陸亀の足なら4日で着けますよ」
陸亀は遅い分、力が強い。多少の高低差の道なら速度は落ちない。
マーベラがカイルに視線を向けた。カイルの目的がソルトーヤ王国への国境超えで、その依頼料として既に魔石を3個貰ってたからだ。
視線を受けたカイルが右手の人差指と親指で○を作って許可したので、
「受けるわ」
「食糧は往復分持っていった方がいいですよ、マーベラさん」
「わかったわ。積み荷はどこで受け取るの?」
「ゾンズの村からの依頼ですから商業ギルドの倉庫の方で」
「了解」
商業ギルドの窓口で依頼を受けたマーベラとカイルは中央広場沿いに停めた陸亀が連結された荷車に乗り、途中で食糧の肉とパンと果物と干し果物を購入した。水も樽に補給する。水が腐らぬようにミント系の葉を2枚樽に浮かべた。
「本当は入浴したかったんだけどね」
「いい匂いだよ、マーベさんは」
「ったく、そういう事言わないの」
赤面しつつマーベラはその後、商業ギルドの倉庫でソンズの村に運ぶ積み荷ーー根菜と小麦の大袋と衣服とタオルと雑誌と野菜の種と鉄鍋とフライパンと農業用のフォークと武器の矢100本と防具の革兜等々、ともかく色々と入った木箱4箱を荷車に積んでその日の内にソンズの村に出発したのだった。
昨夜、何かに取り憑かれたように城塞都市エクレロイドを陥落させた魔物達はその後、逃げ遅れた住民達をしばらくの間、喰らっていたが、また何かに取り憑かれたように東に移動を始め、本当に1匹も残っていなかったのだ。
魔物の思考など分かる由もないが、意味不明だ。
偵察に出た兵士達が『もう大丈夫だ』と教えてくれて、地下施設に避難していた住民達は恐る恐るエクレロイドの城塞街へと戻り、そして魔物群によって陥落した状態の街並みを見て愕然とした。エクレロイド内には魔物の死体と人間の残骸が残り、魔物の体液なども残ってる。建造物も魔物の攻撃で破壊されており、ゴーレムが破壊した穴が西城壁と東城壁(東に向かう際に破壊)に開いていた。
家族が死に、家屋が潰されて悲嘆にくれる住民達も居たが、それでも生き残った者達は魔物達に陥落された城塞都市エクレロイドの清掃を始めたのだった。
そのスタンピードに襲われた城塞都市エクレロイドにムゲル抹殺任務を帯びたブローゼン連合の暗部部隊は居た。
その数、10人。
ジェシカ隊の他にマッケンリーが率いる粛清部隊も合流していたのだ。
理由はムゲルがクロベーテ王国からソルトーヤ王国に移動すると予想したからだった。
ムゲルは偏屈なので交友関係が異常に狭い。クロベーテ王国に手配された装飾師テイジーの次に頼るとなればソルトーヤ王国のダークエルフの里ビルバンフィードくらいしかなかったのだ。
暗部部隊がダークエルフの里ビルバンフィードで待ち伏せしなかったのはダークエルフ達が他種族を嫌うからだ。それにムゲルはダークエルフからも嫌われていたらしく、ビルバンフィード側もムゲルの討伐に協力すると申し出てくれた。
なので、城塞都市エクレロイドで待ち伏せしていたのだ。
標的はムゲル。そしてもう1人、テイジーと一緒に手配された子供のカイルだ。ムゲルが脱走したあのタイミングでテイジーと一緒に手配されたのはどうも臭い。確認する必要があったからだ。
だが、待てど暮らせどムゲルもカイルも現れず、昨夜はとうとうスタンピードだ。全員が商人や旅人、旅の劇団員などに扮しており、避難場所に逃げた者、家屋に隠れた者、東門から逃げようとした者、色々居たが、全員が無事だった。
無事だったが、その後がよろしくない。
通常ならばともかく、スタンピードがあった直後だ。それなのに城塞都市エクレロイドに長く逗留を続ければ悪目立ちする。旅人なら誰だってこんな危険な場所からは旅立ちたいはずなのだから。
それに間もなく大量のクロベーテ王国の暗部部隊がこのエクレロイドに到着する。
エクレロイド城で炊き出しを貰いながら、暗部部隊は他人のフリをして、
(どうする。かなりヤバイぞ、オレ達の今のこの状況? 猶予は明朝ってところか)
(? どうしてです? スタンピードの魔物が居なくなって安全ですのに?)
(この、おバカ。エクレロイドのすぐ近くに暗部育成機関があるでしょ。ベーデから大量に人員が送られてくるって事よ。昨夜のスタンピードの時点で出発してるはずだから、駆け鳥なら明朝、遅くても明後日の晩には到着して、呑気にエクレロイドに残ってたらかち合って私達が狩られるって意味よ。何せ、相手は人員を無尽蔵に投入出来るんだから)
(た、大変じゃないですか)
(だから話し合ってるんでしょ、邪魔しないで―――ムゲルよりも私達の身の安全を優先して一端、エクレロイドから離れましょ)
(魔物が移動した東にか? そっちもヤバくないか? もしあの魔物のスタンピードがあの老人の仕業だったら老人の術中にハマる事になるし。だが南西のベーデはこの国の暗部部隊の総本山だ。いや、今のスタンピードの直後なら避難民に紛れる事も可能か?)
(いえ、それよりももっと確実なルートがあるわ。西よ)
(西って森の中? そうか、スタンピードで魔物が居なくなった空白地帯を突っ切るのか?)
(ええ、スタンピードの直後なら武具を買い漁っても誰にも怪しまれないし。装備を整えて冒険者のフリをして一気に森を抜けて城塞都市ズイロドまで戻りましょう。それしかないわ)
(確かにそれが一番安全か。人数分けはどうする?)
(それぞれの部隊で行動しましょ)
(分かった。では城塞都市ズイロドで落ち合おう)
と方針を固めて、それぞれが旅立ったのだった。
翌朝、カイルとマーベラは朝日が昇ると共に街道を進んで目的地の城塞街ベーデを目指していた訳だが、馭者席のマーベラは御立腹だった。
「本当に最悪だから」
「見られてないって。気にし過ぎだよ、ボクのマーベさん」
カイルが背後からハグをして優しく慰めた。
何の話をしてるのかと言えば、城塞都市エクレロイドが昨夜スタンピードに襲撃された速報は魔道具を使う事で殆どリアルタイムで城塞都市ズイロドにも届き、ズイロドからでは援軍が間に合う訳もないが、それでも先発隊の駆け鳥部隊と狼部隊が昨日の深夜の時点でズイロドを出発し、魔物に襲われているエクレロイドを目指したのだが。
その途中の夜の街道では呑気にカイルとマーベラが焚き火の前で情事に耽ってる最中で、カイルがいち早く騎士隊の接近に気付いて慌てて荷車の中にマーベラを押し込めようとしたが、マーベラが騎士隊の接近を信じず、本当にギリギリのギリギリで間一髪、足音に気付いて何とか敷物にしてたマントで身体を隠して恥を掻いていた。
という昨夜の顛末をマーベラは翌日になっても引きずって嘆いていたのだ。
「責任とって結婚してね、カーン」
まだマーベラはカイルの本名を知らない。
「うん、いいよ、ボクのマーベさん」
対するカイルの方はマーベルを愛称のマーベで呼んでいた。
「でも夜間に騎士隊が出動なんてね。何かあったのかな?」
「あったんでしょ。ただの訓練だったら私が許さないから」
まだマーベラは不機嫌でカイルは恋人らしくマーベラの身体を午前中から官能的に触って機嫌を取ったのだった。
◇
何があったのかマーベラ達が知ったのは3日後、城塞都市ズイロドと城塞街ベーデの中間地点にあるズラン監視塔での事である。
監視塔の目的はモルニードスの森の魔物の監視と、森から流れる小川の水源確保と小川を越えるショボイ石橋の管理だ。別に橋で通行税を取るような事はしていない。魔物が石橋に近付けば監視塔から矢で射抜くくらいはしたが。
「何度も騎士や兵隊に追い抜かれたけど、何かあったの、お爺ちゃん?」
小川から引いた魔道具のポンプで楽々とに水を補給しながらマーベラが問うと、監視塔の正規兵ではない雑用の人夫の頭を禿げ散らかしたお爺さんが、
「国境の城塞都市エクレロイドが落ちたらしいよ」
「えっ、ソルトーヤ王国と戦争になったの?」
「違う違う。魔物のスタンピードさ」
「へぇ~。物騒ね」
「お嬢ちゃんらも気を付けなよ」
「うん、ありがと、お爺ちゃん」
マーベラはちゃんとお礼を言ったが、冒険者の癖が抜けておらず最後まで年配者にタメ口だった。
その後、水の樽を魔道具のクレーンで楽々と荷車に載せてマーベラ達は城塞街ベーデを目指したのだった。
城塞都市エクレロイドがスタンピードに遭った4日後の昼下がり。
クロベーテ王国の王都オルクロリアにある聖シルバスタ教団の神殿の地下室では、とある組織の最高幹部会が開かれていた。
とある組織とは犯罪シンジゲート『黒き刃』である。
その末席に座ったキース・ライド男爵は上座の7人に視線を向けた。
組織のボスはオスノ・サイレード。80代の獣人で、もう白髪になって筋肉も萎んだ老人である。服装は平民風。だが先代の王家の影の長官だった。
ナンバー2はケーアール。70代の人間の人の良さそうな老婆で、服装は堂々と聖シルバスタ教団の神官服。現職でオルクロリア神殿の幹部でもある。
ナンバー3がテイジー。20代の外見の金髪眼鏡のエルフだ。キースが幹部になってからは最高幹部会を毎回欠席しており、キースは今回が初対面だった。というか先日まで指名手配されてた女だった。
他にも幹部達がズラリと並ぶが、その素性は豪商のトップや色街の顔役やらだった。
もうお分かりだろう。
犯罪シンジゲート『黒き刃』とはクロベーテ王国の裏社会を統治する為に王家の影が主導で作ったクロベーテ王国公認の非合法組織だった。無論、その事を知るのはクロベーテ王国側は先々代の国王や歴代の王家の影の長官、それに数名のみ、黒き刃側は最高幹部だけだったが。
今回の最高幹部の会議は大荒れどころか本題にも入らず、ボスであるオスノの、
「テイジー、おまえ、キンラス国王を殺したなっ!」
その激昂から始まった。
キースが『えっ、マジで?』と上座を見れば、冤罪を被せられたテイジーが嫌そうな顔で、
「私は殺してないわ」
「嘘をつけっ! おまえが自分を監視していた宮廷魔術師のガルタイルをリッチにして王城で暴れさせたんだろうがっ!」
「全然違うわ。まったくの的外れだから。そんなに疑うならこの組織を抜けてもいいけど? 嫌々所属させられてるんだしぃ~」
「ふざけるなっ! おまえのような危険人物を野放しになんか出来るかっ!」
「人聞きの悪い。私は常識人よ」
「常識人はバーサーカー化する額飾りを貴婦人達に20個以上もばら撒いてクロベーテ王国の貴族達を殺したりしないんだよっ!」
その言葉に、えっ、とキースは2人の顔を見た。
キースの父親の死はとち狂った情婦による痴情のもつれによる刃傷沙汰だったからだ。
息を飲んだ声がエルフの耳には聞こえたのか、テイジーがキースを見て、
「あら、変な誤解しないでね。私はアナタの父親の死には関与してないわよ。殺したのはこっちの怖い人間の女で、殺した理由は教団からの金の無心を断ったからだから」
ケーアールを指差して暴露した。
「人聞きの悪い事を言うでないよ、テイジー。聖シルバスタ教団が禁止してる邪教なんぞにハマったアヤツに天罰が下っただけの話を。それにお詫びに幹部の席に息子を座らせてあげたんだからこの話はこれで終わりだよ。いいね?」
「そうね。みんな忙しいんだし、さっさと本題に入りましょう」
「ふざけるなよっ! まだキンラス国王崩御の話が済んでないだろうがっ! こっちは先代にキンラス王子の事を頼まれてたんだぞっ! どうしてくれるんだ?」
「死後の世界で前王様に詫びたら? おっと前々王様だっけ」
「テメー」
「ほら、お止め。オスノ、話が進まないから」
この後も大荒れとなった最高幹部会は、本題の王弟ドーリオスの協力要請には誰もが批判的で一先ずオルクロリア王城の重臣達の決定には従うが『キンカーベンが成長して王の資質を兼ね備えていたら、どの立場であろうとドーリオスには御退場していただく』で決議したのだった。
◇
クロベーテ王国の東部の城塞都市ズイロドからモルニードスの森の最南端の城塞街ベーデまでの距離は陸亀の足で5日である。
だが、カイル達が乗る陸亀は7日の歩みでようやく城塞街ベーデに到着していた。
別にマーベラとカイルがイチャイチャして陸亀の歩みを遅らせた訳ではない。
城塞都市エクレロイドのスタンピード騒動の為、城塞都市ズイロドから城塞街ベーデへ向かう騎士隊が通る度に、昼間は部隊の先行を進む先駆けの騎士が、
「獣車を街道の横に寄せて停車しろ。クロベーテ王国の部隊が通るから」
と指図されて、一々横に寄せて停車を強制されたから移動日数が延びただけだった。
昼間だけで合計14回も騎士隊や兵隊に追い抜かれてる。その度に停車してれば移動も遅れるという物だ。
「ウンザリね」
正直者のマーベラがそんな事を言うから、内心ではカイルもそう思っていたが、
「仕事だからね、向こうも」
善人ぶる破目になった。
遅れた分、恋人になりたてだった事もあって夜は星空の下で情事に耽ったのだが。
城塞街ベーデの最大の特徴は城壁の高さだ。
高いのではない。これまでカイルが知る中で一番低かった。
5メートルも無い。2階の窓ぐらいの高さだった。お陰で城壁の内側の建造物が外側から見えるくらいだ。
だが、この城塞街ベーデの世間から隠された最大の特徴は魔法学校に偽装したクロベーテ王国の暗部養成機関が存在する事だった。
それでもテイジーの変身の魔道具を抜けるほどの魔眼持ちはそう居ないはずだ。問題ないだろう。カイルは気軽に考えていた。
「どう、私の故郷は?」
田舎者の貧農の次男坊のカイルは城塞街ベーデに来たのは初めてだったが、ムゲルは来た事がある。その為、ムゲルの知識と記憶を持つカイルは城塞街ベーデを見ても何の感動もなかったが、それでもべーデを初めて見たフリをして、マーベラの問い掛けに、
「城壁が低いんだね」
「やっぱりカーンもそう思う? 外から来た人間は絶対、それを言うのよね。まず最初に」
「大丈夫なの、この高さで?」
「ええ、その分、兵隊さんが多いから。ついでに魔法学校がある関係で魔術師も」
「へぇ~、そうなんだぁ~」
と答えながら、カイルは内心では、
(魔術師じゃなくて暗部崩れだろ。ムゲル時代に付けた目印がまだ3つも残ってたから。けどスタンピードのお陰で全員、城塞都市エクレロイドに移動してて、現在のベーデは安全だけどな。いいね、乗ってるね、風はオレに吹いてるぅ~♪)
御機嫌だった。
「まずは積み荷を納品しましょ。次に商業ギルドでオイシイ依頼の確認ね」
「えっ、実家があるんでしょ。寄らないの?」
「実は冒険者になった時点で勘当中だから」
バツが悪そうにマーベラが告げると、カイルが、
「ええっと、ボクの御家族への挨拶は?」
「お願いだからまだ待って、カーン。14歳の少年に手を出したってバレたら家族から私が軽蔑されるから」
この世界での一般平民の結婚適齢期は16歳だ。14歳だと無くはないが確かに少し早い。
逆に特権階級は少し遅くて18歳だった。
総ては魔物が存在する為だ。意外と簡単に死ぬので平民は婚期が早くて、特権階級は死亡リスクが低くなりその分、婚期が遅かった。
「そう」
「そんな訳で、まずは小麦屋よ」
城塞街ベーデの城門を潜る際、顔見知りだったのか門番と、
「どうも」
「お帰り、マーベラちゃん」
「18なんだからちゃんは止めてよ、オジサン」
「はいよ」
マーベラは気軽に挨拶をして、アーチ型の城門を潜った。
故郷だという事もあり、マーベラは迷う事なく進むが、街の中央広場の石像の前を通る際に軽く目礼したのでカイルも注目した。
斧槍を持った鎧姿の勇ましい人間の男の像で台座にはマルコスの名前が刻まれてあった。
(チッ、誰かと思ったらマルコスの像か。何が英雄マルコスだ。あんな雑魚ーーそもそもアイツの獲物は短槍だろうが)
実物のマルコスを知るムゲルの知識を有するカイルが内心で苛立ちを募らせてると、
「カーン、あれが私の曾祖父ちゃんよ」
マーベラがそう教えたので、カイルはブチギレるのも忘れて真顔になった。
(はあ? マーベってマルコスの曾孫なの? ならユリアの曾孫でもある訳だよな?)
仰天しながらも、ポーカーフェイスを保って、
「そうなの? 凄いんだね、マーベのお爺ちゃんって」
「まあね。昔、街を襲った巨大な岩の蛇を倒した英雄だから」
「へぇ~」
と答えながら、
(アタタターー頭痛がしてきた。ユリアの曾孫だったのか、マーベって。道理でマーベに惹かれた訳だ。ユリアへの恋慕を曾孫のマーベで成就させた訳ね)
そう納得しつつも、多くを語らないカイルであった。
語れないのだ、ムゲルの知識を受け継いだカイルには。
何せ、巨大な岩の蛇を作成した術者がムゲル本人だったから。それも動機はユリアに告白してこっぴどく振られた腹いせで、城塞街ベーデに蛇のゴーレムを嗾けたはいいが、ユリアに振られたショックからかゴーレム製造時に核として使った魔石の量を凡ミスしてしまい、特大サイズのゴーレムからしたら魔石が少量過ぎて、立ち向かったマルコスの前で自壊し、マルコスを街の英雄にしてユリアとゴールインさせてしまう、という顛末なのでカッコの悪い三枚目過ぎて語るに語れなかったのだ。
カイルとムゲルは別人格だが、知識を継承してる為にカイルは罪悪感はないにしても、少し警戒する破目になった。
その石像が見える中央広場沿いに納品先の小麦屋の店舗はあった。
「こんちわぁ~。ズイロドのディース倉庫から小麦30袋を届けにきたわよぉ~」
マーベラの挨拶で番頭らしき50代のハチマキをしてる人間の男が、
「御苦労さん。おっ、どこかで――ああ、靴職人トコのお嬢ちゃんか」
「どうも」
「荷を下ろせるかい?」
「まさか。そちらでお願いね」
「あいよ。みんな来てくれ」
その後、屈強な従業員達が小麦の入った大袋を下ろし始めた。
マーベラの方は書類を出して、
「サインもよろしくね」
「あいよ。ん? 7日も掛かったのかい?」
「兵隊が街道を通る度に脇に寄せて停めさせられたからね。先触れの後に脇に寄せて待っても本隊がなかなか来なくてずっと待たされたし」
「ああ、エクレロイドへ向かう?」
「ええ。何か聞いてる?」
「小麦の倉庫も襲われて魔物の粘液で全部オジャンらしい。エクレロイドに運んだら1・8倍で売れるぞ、今なら」
さすがは小麦屋。小麦の相場を教えてくれた。
だが、事情を知らないマーベラが、
「えっ、待って。スタンピードの魔物はもう全部退治したの?」
「うんにゃ。エクレロイドを襲った魔物の大群は何故か東に向かったそうだから」
との言葉が聞こえて、
(何だ、そりゃ?)
カイルも疑問に思ったが、そのカイルこそがスタンピードの元凶である。
だが、その事実をカイルは一生知る事はなかったが。
「へぇ~。なら、もうみんな救援物資を持って出発したの?」
「ああ、6日も前にね」
「あらら。出遅れたか」
世間話をしてる間に小麦袋は全部下ろされた。
「ちゃんと運んでくれて、ありがとな」
「いえいえ、じゃあ」
こうして荷を納品して、次に向かったのは商業ギルドだが、商業ギルドも中央広場沿いにあったので、無駄なく移動したのだった。
クロベーテ王国の城塞街ベーデには魔術師系の暗部育成機関が存在する。
とはいえ、ベーデ在住の凄腕の暗部隊員達は現在、スタンピードのあったエクレロイドに投入されていた。スタンピードの原因究明の為である。
お陰で現在、ベーデに残ってる暗部部隊は魔法学校の学生ーーつまりは見習いだけだった。
中央広場にも2人、その見習いが居た。ベンチに座ってる。無論、遊んでる訳ではない。ベンチに座りながら中央広場を警備していた。
その片割れの17歳の黒髪眼鏡の人間の男のコンドールが、
「ん? 見ろよ、あれ?」
最初にカイルに気付いた。
コンドールの服装は魔法学校の黒系の学生服だ。
「何?」
と返事したのは16歳の外見のピンク髪で右眼に眼帯をしたエルフの女、本名ジョルチベーカ、通称ジョルだ。こちらも学生服だが女なのでスカートだった。
「あの子供が背負ってるデカリュックの中身、魔石だらけだぞ」
「そうなの?」
ジョルが眼帯を外そうとした瞬間、2人は同時に睡魔に襲われて1秒後には熟睡した。
熟睡どころか爆睡である。
陽が暮れて夜になって兵士に起こされるまでベンチで強制的に眠り続け、コンドールがジョルの太股に顔を乗せて眠ってた事からスカートに涎を垂れてて、怒ったジョルがコンドールの顔面に蹴りを喰らせたのだが、それはまた別の話だ。
商業ギルドの施設はどれも冒険者ギルドよりも立派だ。
城塞街ベーデの商業ギルドもそうで、入ったマーベラはまずは納品依頼を達成した証明書を提出して報酬を受付カウンターで貰った。
報酬は金貨2枚。7日間掛けて金貨2枚だ。
食費や諸経費を引けば銀貨140枚程度の儲けだ。『危険な街道を移動したにしては割に合わない』と不満に思うか、『こんなに貰えるの』と喜ぶかは貰った側の金銭感覚次第だった。
マーベラは道中が安全だったので、悪くない、と思っていた。
その後、依頼書が貼られた掲示板に移動しようとした時、受付の内側に居る19歳の橙髪のショートの愛嬌のあるズイロド出身の人間の受付嬢チェリナが、
「マーベラさんは陸亀でしたよね?」
「それがどうしたの?」
陸亀が鈍速だから馬鹿にされたのか、と少しムキになったが、
「実はソンズの村への輸送依頼を受けてくれる人を探してて」
「へっ? ソンズの村はベルのオッチャンが独占してる販路よね?」
「それがベルさん。城塞都市エクレロイドに回復薬を届けに行っちゃって」
「お金に転んだ訳ね」
「まさか。ベルさんの生き甲斐は人助けですよ」
口を尖らせたチェリナが呆れ顔で訂正した。
「より困ってるエクレロイドに行ったって事?」
「はい、お陰でソンズに行ってくれる人が居なくて。ギルドの貢献依頼ですが受けて貰えませんか?」
「ええっと、貢献依頼って何だったっけ?」
「ギルド入会時に説明したはずですよ。早い話が商業ギルドのランクが上がりやすくなる依頼で、報酬にも色が付きます」
マーベラは報酬よりもギルドランクが上がる方に食い付き、
「なら、もうEになれるの?」
「何言ってるんですか、まだ商業ギルドに入会して2回しか依頼をこなしてなくて、その内1回は荷を破損ーー失敗の癖に」
「――だわよね。報酬は?」
「通常報酬の銀貨40枚に、商業ギルドから金貨2枚と銀貨60枚」
「ソンズまでなら陸亀だと5日よね?」
ソンズは山道なのでマーベラがそう確認したが、チェリナが、
「いえ、陸亀の足なら4日で着けますよ」
陸亀は遅い分、力が強い。多少の高低差の道なら速度は落ちない。
マーベラがカイルに視線を向けた。カイルの目的がソルトーヤ王国への国境超えで、その依頼料として既に魔石を3個貰ってたからだ。
視線を受けたカイルが右手の人差指と親指で○を作って許可したので、
「受けるわ」
「食糧は往復分持っていった方がいいですよ、マーベラさん」
「わかったわ。積み荷はどこで受け取るの?」
「ゾンズの村からの依頼ですから商業ギルドの倉庫の方で」
「了解」
商業ギルドの窓口で依頼を受けたマーベラとカイルは中央広場沿いに停めた陸亀が連結された荷車に乗り、途中で食糧の肉とパンと果物と干し果物を購入した。水も樽に補給する。水が腐らぬようにミント系の葉を2枚樽に浮かべた。
「本当は入浴したかったんだけどね」
「いい匂いだよ、マーベさんは」
「ったく、そういう事言わないの」
赤面しつつマーベラはその後、商業ギルドの倉庫でソンズの村に運ぶ積み荷ーー根菜と小麦の大袋と衣服とタオルと雑誌と野菜の種と鉄鍋とフライパンと農業用のフォークと武器の矢100本と防具の革兜等々、ともかく色々と入った木箱4箱を荷車に積んでその日の内にソンズの村に出発したのだった。
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