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ヒリスの最後の願い㉘
しおりを挟むぶつかり合う甲高い木製音が訓練場に鳴り響く。二階の吹き抜けの廊下から見下ろすと、イグリート卿の部下たちを相手に木製の剣を振るっているベルナルドの姿があった。
魔力暴走が落ち着き、人並みの生活が送れるようになったベルナルドは衰えた筋力と剣術を鍛え直すためほぼ毎日訓練場にいた。どんなに優れた治癒魔法だったとしても一度落ちてしまった体力や衰えてしまった筋力を復活させることはできないようだ。
彼らの姿を見ながら昨日のことを思い出す。
「時を遡る魔法?」
裾の長いローブを羽織った眼鏡姿の妙齢の男が目を瞬かせた。男はこの国にある魔塔の主だ。
魔塔には見習いから熟練者の魔導士がおり、中は研究材料や資料などで溢れかえっていた。案内された男の部屋も同様だったがそこには触れない。
「なんだ? 何か失態でもしたのか? あ、もしかしてあの姫様に不埒なことでもしたか?」
「そんなことするわけがないだろう」
「艶な噂が絶えないお前がか?」
「……仕事上そういった雰囲気を作っていただけで………関係を持ったことはない」
「色男の風貌で童貞とか面白いっ!」
声を上げて笑う男を無言で睨むと、「子猫の威嚇のようで可愛いぞ」と言われてしまった。この男、相手が王族だろうが態度を改めることはない。決して王族を見下してるわけではない。長い時を生きてきた男にとって王族の者たちは自分の子どものような存在なのだ。「はぁ……」と俺はため息をついた。
「……あるのか、ないのか?」
「結論から言うと不可能だ」
「不可能……」
「ああ。誰もが一度は考えたことだろう。過去に戻れたらと……。かつて私もそれが可能かどうか長い間探究した」
ふっと男が遠くを見るような眼差しを浮かべた。
「その結果、我々人間ごときが成せる業ではないと分かった。………できるとしたらそれは神か悪魔……はたまた彼らに近い魂をもった者かだ……」
「………神か悪魔に近い魂を持った者?」
「例えば神に寵愛された人間だとか、悪魔と人間の間に生まれた子どもだとか、……あとは罪を犯し下界に落とされた神の生まれ変わり……とか。まぁ、本当にいるかどうかわからないし、いたとしても力を持っているかどうかなど知らない」
男は肩を軽くすくめた。
「時を遡る魔法についてはあくまでも私個人が出した結論だ。もしかするとそれを可能にした人間がどこかにいるのかもしれない」
「………」
「……で、それを聞きに来た理由を聞こうか?」
笑みを深める男に俺は深いため息をついた後、ベルナルドから聞かされた一度目の人生の記憶について話した。
一度目の人生でもオルディウス帝国にヴァルトス国は滅ぼされ、自分は捕虜となったこと。非道な扱いを受けたが第四王子殿下に喉や目を潰されることはなかったこと。そして俺が計画していた爆破による救出作戦は成功していたこと。
なお、あのガラス瓶に入った眼球は今は亡き皇帝のものと判明した。一度目の人生の時はオルディウス帝国の城を攻め落とした後に発見したという。……どちらにしても覚醒しなければベルナルドの目は使い物にならなかったわけだが……。
「なるほど。で? 結果としてどうなった? 奪還できたのか?」
「ああ。そしてオルディウス帝国は地図上から消え去った」
「ほう」
男が関心したような声を漏らした。男の顔から懐疑的な様子は感じられない。
魔塔の主に話すことはベルナルドから了承を得ている。正直言って俺は彼の話を完全に信じることはできない。時を遡るなどあまりにも非現実的過ぎる。まだ予言のほうが納得できる。だが、商人としての勘だがベルナルドが嘘をつている様子はないし、魔法について専門外の俺が頭ごなしに否定するのは良くない。
なら、専門分野の人間に意見を聞くのが一番いい。目の前の男は誰よりも博識で口も固く、信頼のおける人間だ。……性格以外は、だが。
「……時を遡った上に記憶もある」
「俺が潜り込ませた人間を全員把握していたのも、そして計画が阻止されたのも、第四王子殿下に記憶があったからだという」
フィーネ嬢はここに避難してから数か月後に、ベルナルドはあの力を覚醒させた時に思い出したという。
「敵国に同じ記憶を持つ者がいる以上、一度目と同じように奪還できるかどうか分からない、か」
ベルナルドも同じことを言っていた。
「しかし、なぜ四番目の王子はヴァルトスの皇子を生かした? 自分の国が滅ぼされることが分かっていれば、彼を殺すはずだ」
それは俺も同意見だ。俺はセザールがイグリート卿に告げた言葉、そしてヒリスのことを話した。
一度目の人生の時、ヒリスは人目を盗んで捕虜になったベルナルドに痛み止めの薬草を度々渡しにきていたこと。それがルシウスにバレて両足首を切り落とされたこと。……ベルナルドがオルディウス帝国の城を攻め落した時、彼は三階から身を投げ、自ら命を絶っていたということ。彼が命の恩人だと気付いたのは、身元を調べた時だったということ。
そして今回もまた彼は同じ運命を辿っているということ。
彼のことを語るベルナルドは苦しみと悲しみが入り混じった表情を浮かべていた。
「今度は救えるといいな……。ふむ、今度は……。彼を生かした理由。両足首の切断……」
男はブツブツ呟きながら何かを考えていた。
「ヴァルトスの皇子は彼を救いたいと言ったか?」
「あ、ああ……。出来るのなら彼の死を回避したいと」
「六番目の王子は自ら命を絶ったのだろ? 余計なお世話では?」
「俺もそのことは言った。第四王子殿下が第六王子殿下に何かしら仕掛けている可能性だってある。第一、我が国が協力するのはあくまでヴァルトス国の奪還だ。私情でこの国の兵士から無駄な犠牲者を出したくないことも伝えた」
「それは正しいことだ。…………で、お前個人としては?」
男はどこか楽しそうに俺のことを見た。バレている。
「個人のために国の兵士を動かすことはできないが、俺個人が動かしてる商団の者を使って探ることにした。……ただし、第四王子殿下に把握されている以上、少しでも危険だと感じたら身を引くことを告げている」
ベルナルドのためにというよりも、ベルナルドを慕うフィーネ嬢のためだ。
「くくく。信じられぬと言っときながら、惚れた女のために動くか」
楽しそうに笑う男に俺はばつが悪くなった。
「四番目の王子の思惑がなんなのか、時を遡る魔法を使ったのは彼なのか。 それとも他にいるのか。なぜそうしたのか。………ふむ。イーダ、お前に一つ頼みがある」
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