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ヒリスの最後の願い⑯
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俺は壁に付けた日数を指でそっとなぞる。ここに来て三か月が過ぎた。時期的には雪が降る頃だろうが、この国は降らないと聞いた。俺の国は雪は降るが峰の山頂が白くなるだけで積もることはなかった。
この牢屋は壁のどこかに火魔石が埋め込まれているのか暖かく、寒さに耐える必要がなく助かった。
(慈悲を受けているみたいで癪に触るが……)
こんなところで肺炎などを起こして無様に死ぬよりはマシだ。俺は鉄格子が嵌められた小さな窓を見上げた。冬だから夜の暗さが一層増している。
『ヴァルトス国の希望の光』
あいつの言葉が脳裏に浮かぶ。同情でそう言ったのか、それとも別の理由があるのか。
(上手くあいつを利用して仲間と連絡を取れれば……)
そう思いあいつに声を掛けようと試みるが、あれ以来あいつは窓に近づかず薬草を投げ入れては逃げるように去って行ってしまう始末だ。一瞬シルビィのことも浮かんだが、彼女の置かれている状況では難しいだろう。
不意に施錠の音が聞こえ扉が開いた。
「こんばんわ、坊や」
姿を現したのはランプを持った黒髪に黒目の女だった。年は俺の母と同じぐらいだろうか。薄手の寝間着のようなものにガウンを羽織っただけの姿に俺は目のやり場に困った。
「この間の魔獣との戦い面白かったわ」
女の言葉に数日前の出来事が脳裏に蘇る。突然、兵士たちに闘技場のような場所に連れていかれ魔獣と戦わされた。魔法が使えない上、初めて見る個体にかなり苦戦した。なまくら同然の剣は魔獣の攻撃によって真っ二つに折れ、かなり焦った。
腹が弱点だと分かった時は砂利を投げつけ魔獣の目を潰し、魔獣の下に潜り込んで心臓を突き刺した。地面と魔獣の腹との間の距離が近かったため、刃が折れてなかったら剣を心臓に向けて真っ直ぐと立てることは難しかっただろう。また刃が短かったお陰で狙いも定めやすかった。
「あんなに興奮したのは久しぶりだったわ」
なんの躊躇もなく近づてきた女に俺は身構えた。咽るような甘ったるい匂いが鼻をつく。
「ただの綺麗なだけのお人形さんじゃなかったのね」
女はそう言って俺に手を伸ばした。
バシッ!
俺は女の手を払った。その瞬間身体に激痛が走ったがグッと堪えた。女は一瞬目を見開いたかと思うと深く笑みを浮かべた。
「ふふ、私ね大人しい子より、あなたみたいな躾のなっていない子が好きなの。………”動かないで„」
「……ッッ‼」
身体に意識を飛ばしてしまうほどの激痛が走り、俺はその場に崩れ落ちた。女は床にランプを置くと、ガウンと共に薄手の寝間着のようなものを脱ぎ裸体を晒した。
「さあ、楽しみましょう? 坊や」
***************
「ああああああああああっ‼‼‼」
私は叫び鏡台に置いてあった化粧道具やお気に入りの小物を怒りのままに払い除け床にぶちまけた。
汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ!!!!!!!
「………ンの女ぁぁぁっ!!!!」
黙っていつものように男娼たちお気に入りと遊んでればいいものをっ!!!!!!!
私は苛立たち親指の爪をガリガリと噛んだ。
やめてとあの女に言いたかったけど、私の素を彼にバラされそうで言えなかった。
「あーあー、荒れてんなぁ」
背後から聞きたくない声が聞こえ、私は後ろを睨んだ。部屋の入口にセザールお兄様がニヤニヤしながら立っていた。
「出てってよ」
「おい、おい。折角俺が可哀想な妹を慰めてやろうと思ってきたのに、その態度はないだろ?」
ムカつく。私は奥歯をギリッと噛んだ。
「まさか自分の息子と大して年の変わらない奴に手を出すとは思わなかったぜ」
セザールお兄様は肩を竦め、床に割れて散らばったガラス瓶を拾い上げた。その中には私のお気に入りの一部が入っていたけど、今は床の上に転がっている。
「俺は暫くあいつの所に行かないことにした」
「………」
「出来損ないもあれを見れば来なくなるかもな」
「まあ」とセザールお兄様は言葉を続けた。
「あとはあの女がいつ飽きるかどうか、だがな?」
そう言ってセザールお兄様は瓶を放り投げゲラゲラ笑いながら私の部屋を出て行った。私はスカートをギリッと握りしめた。
***************
窓越しに見上げた空は灰色の分厚い雲に覆われていて今にも雪が降り出しそうだが、一度もその光景を目にすることはなかった。
冬……。
(小説ではこの頃だっただろうか……)
ベルナルドが妃二人……カトリーヌとセレスティーヌの性の捌け口になるのは……。
あの部分の写生は余りにも生々しく、嫌な記憶と重なって読むことができなかった。
脳裏に嫌な記憶と共に弱弱しく笑う前世の母の顔が浮かんだ。
「…………母さん」
この世界にはいない母を呼ぶ。不意にノック音が聞こえ、慌てて目じりに浮かんだ涙を拭って扉を少しだけ開くと、案の定アイザックがそこにいた。
「兄さんが呼んでいる」
アイザックはそれだけを告げ、俺に背を向けて歩き出す。俺は部屋を出てアイザックの後を追った。
ガラス張りの温室の中は、城内と同じように加工された火魔石があちこちに設置され暖かく、花壇にはどこかの国から取り寄せたであろう小さな白い花が所狭しと咲いていた。三年前初めてこの光景を見た時は一瞬雪かと勘違いをした。
(この花が好きなやつでもいるんだろうか)
冬の間この白い花以外の花を見かけたことがない。
「西の牢のアレは極度の女性恐怖症のようだ」
「え?」と俺は白い花からルシウスのほうを見た。ルシウスは静かにお茶を飲んでいた。
「シルビィを見てアレは錯乱し嘔吐した」
ティーカップから口を離し、そう続けたルシウスの言葉に俺は自分の耳を疑った。
「アレが一度も和合会に出席しなかった理由もそれだろう」
ベルナルドが女性恐怖症? 一度も和合会に出ていない?
(小説と……違う……)
俺はなんとか平静を装っていたが内心ではかなり動揺していた。
(魔獣の時もそうだ)
小説ではもっと苦戦していたし、ルシウスに向かって剣を投げつけたりなどしなかった。俺がベルナルドに接触したせいかと思ったが、あれしきのことで小説の内容に影響を与えるとは到底思えなかった。
(あるとしたら………)
俺がヒリスに転生したように、誰かがベルナルドに転生したということだ。
(そして俺と同じくこの小説を読んだことがある人間………)
それなら魔獣の倒し方を知っていてもおかしくない。そしておそらく女性恐怖症は転生した人間が抱えていたものだ。
(だとしたらいつ前世を思い出した?)
小説を知っているのならイレギュラーな存在である俺に気付くはずだ。それとも知っていて黙っているのか……。
(もし本当に転生者だとしたら………)
この先小説のように行動を……ルシウスに復讐をするかどうかなんてわからない。
(それじゃまずい……)
膝の上に置いた掌にじわりと汗が滲む。
(そいつには小説と同じように行動をしてもらわなくてはならない……)
だけど転生者がどんな奴か知らない上、そう仕向ける方法も、時間も俺にはない。
「お前に渡すものがある」
ルシウスの言葉に俺はハッと我に返り顔を上げると、侍女がカートを押してきて俺の真横につけた。カートの上には布をかぶった高さ三十センチぐらいの筒状らしきものが載っていた。
「お前が気に入るものだ」
侍女がかぶせていた布を取った。
「…………ッッ!」
布の下から現れたソレに俺はガタッ! と席を立ち、布を取った侍女が短い悲鳴を上げた。背後から控えていた侍女たちの動揺した声が聞こえる。
美しく装飾された筒状のガラス瓶の中に浮かんでいる二つの眼球。
海をそのまま閉じ込めたような美しい青い目が俺のことを見ていた。
心臓が痛いほど脈打つ。
「お前は海を見てみたいと言っていただろう?」
ルシウスの言葉に血の気が引いた。
そんなことルシウスに言った覚えはない。
「大切にするといい」
俺は震える手でソレを抱え、ふらつきながら温室を出て行った。
この牢屋は壁のどこかに火魔石が埋め込まれているのか暖かく、寒さに耐える必要がなく助かった。
(慈悲を受けているみたいで癪に触るが……)
こんなところで肺炎などを起こして無様に死ぬよりはマシだ。俺は鉄格子が嵌められた小さな窓を見上げた。冬だから夜の暗さが一層増している。
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あいつの言葉が脳裏に浮かぶ。同情でそう言ったのか、それとも別の理由があるのか。
(上手くあいつを利用して仲間と連絡を取れれば……)
そう思いあいつに声を掛けようと試みるが、あれ以来あいつは窓に近づかず薬草を投げ入れては逃げるように去って行ってしまう始末だ。一瞬シルビィのことも浮かんだが、彼女の置かれている状況では難しいだろう。
不意に施錠の音が聞こえ扉が開いた。
「こんばんわ、坊や」
姿を現したのはランプを持った黒髪に黒目の女だった。年は俺の母と同じぐらいだろうか。薄手の寝間着のようなものにガウンを羽織っただけの姿に俺は目のやり場に困った。
「この間の魔獣との戦い面白かったわ」
女の言葉に数日前の出来事が脳裏に蘇る。突然、兵士たちに闘技場のような場所に連れていかれ魔獣と戦わされた。魔法が使えない上、初めて見る個体にかなり苦戦した。なまくら同然の剣は魔獣の攻撃によって真っ二つに折れ、かなり焦った。
腹が弱点だと分かった時は砂利を投げつけ魔獣の目を潰し、魔獣の下に潜り込んで心臓を突き刺した。地面と魔獣の腹との間の距離が近かったため、刃が折れてなかったら剣を心臓に向けて真っ直ぐと立てることは難しかっただろう。また刃が短かったお陰で狙いも定めやすかった。
「あんなに興奮したのは久しぶりだったわ」
なんの躊躇もなく近づてきた女に俺は身構えた。咽るような甘ったるい匂いが鼻をつく。
「ただの綺麗なだけのお人形さんじゃなかったのね」
女はそう言って俺に手を伸ばした。
バシッ!
俺は女の手を払った。その瞬間身体に激痛が走ったがグッと堪えた。女は一瞬目を見開いたかと思うと深く笑みを浮かべた。
「ふふ、私ね大人しい子より、あなたみたいな躾のなっていない子が好きなの。………”動かないで„」
「……ッッ‼」
身体に意識を飛ばしてしまうほどの激痛が走り、俺はその場に崩れ落ちた。女は床にランプを置くと、ガウンと共に薄手の寝間着のようなものを脱ぎ裸体を晒した。
「さあ、楽しみましょう? 坊や」
***************
「ああああああああああっ‼‼‼」
私は叫び鏡台に置いてあった化粧道具やお気に入りの小物を怒りのままに払い除け床にぶちまけた。
汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ! 汚されたっ!!!!!!!
「………ンの女ぁぁぁっ!!!!」
黙っていつものように男娼たちお気に入りと遊んでればいいものをっ!!!!!!!
私は苛立たち親指の爪をガリガリと噛んだ。
やめてとあの女に言いたかったけど、私の素を彼にバラされそうで言えなかった。
「あーあー、荒れてんなぁ」
背後から聞きたくない声が聞こえ、私は後ろを睨んだ。部屋の入口にセザールお兄様がニヤニヤしながら立っていた。
「出てってよ」
「おい、おい。折角俺が可哀想な妹を慰めてやろうと思ってきたのに、その態度はないだろ?」
ムカつく。私は奥歯をギリッと噛んだ。
「まさか自分の息子と大して年の変わらない奴に手を出すとは思わなかったぜ」
セザールお兄様は肩を竦め、床に割れて散らばったガラス瓶を拾い上げた。その中には私のお気に入りの一部が入っていたけど、今は床の上に転がっている。
「俺は暫くあいつの所に行かないことにした」
「………」
「出来損ないもあれを見れば来なくなるかもな」
「まあ」とセザールお兄様は言葉を続けた。
「あとはあの女がいつ飽きるかどうか、だがな?」
そう言ってセザールお兄様は瓶を放り投げゲラゲラ笑いながら私の部屋を出て行った。私はスカートをギリッと握りしめた。
***************
窓越しに見上げた空は灰色の分厚い雲に覆われていて今にも雪が降り出しそうだが、一度もその光景を目にすることはなかった。
冬……。
(小説ではこの頃だっただろうか……)
ベルナルドが妃二人……カトリーヌとセレスティーヌの性の捌け口になるのは……。
あの部分の写生は余りにも生々しく、嫌な記憶と重なって読むことができなかった。
脳裏に嫌な記憶と共に弱弱しく笑う前世の母の顔が浮かんだ。
「…………母さん」
この世界にはいない母を呼ぶ。不意にノック音が聞こえ、慌てて目じりに浮かんだ涙を拭って扉を少しだけ開くと、案の定アイザックがそこにいた。
「兄さんが呼んでいる」
アイザックはそれだけを告げ、俺に背を向けて歩き出す。俺は部屋を出てアイザックの後を追った。
ガラス張りの温室の中は、城内と同じように加工された火魔石があちこちに設置され暖かく、花壇にはどこかの国から取り寄せたであろう小さな白い花が所狭しと咲いていた。三年前初めてこの光景を見た時は一瞬雪かと勘違いをした。
(この花が好きなやつでもいるんだろうか)
冬の間この白い花以外の花を見かけたことがない。
「西の牢のアレは極度の女性恐怖症のようだ」
「え?」と俺は白い花からルシウスのほうを見た。ルシウスは静かにお茶を飲んでいた。
「シルビィを見てアレは錯乱し嘔吐した」
ティーカップから口を離し、そう続けたルシウスの言葉に俺は自分の耳を疑った。
「アレが一度も和合会に出席しなかった理由もそれだろう」
ベルナルドが女性恐怖症? 一度も和合会に出ていない?
(小説と……違う……)
俺はなんとか平静を装っていたが内心ではかなり動揺していた。
(魔獣の時もそうだ)
小説ではもっと苦戦していたし、ルシウスに向かって剣を投げつけたりなどしなかった。俺がベルナルドに接触したせいかと思ったが、あれしきのことで小説の内容に影響を与えるとは到底思えなかった。
(あるとしたら………)
俺がヒリスに転生したように、誰かがベルナルドに転生したということだ。
(そして俺と同じくこの小説を読んだことがある人間………)
それなら魔獣の倒し方を知っていてもおかしくない。そしておそらく女性恐怖症は転生した人間が抱えていたものだ。
(だとしたらいつ前世を思い出した?)
小説を知っているのならイレギュラーな存在である俺に気付くはずだ。それとも知っていて黙っているのか……。
(もし本当に転生者だとしたら………)
この先小説のように行動を……ルシウスに復讐をするかどうかなんてわからない。
(それじゃまずい……)
膝の上に置いた掌にじわりと汗が滲む。
(そいつには小説と同じように行動をしてもらわなくてはならない……)
だけど転生者がどんな奴か知らない上、そう仕向ける方法も、時間も俺にはない。
「お前に渡すものがある」
ルシウスの言葉に俺はハッと我に返り顔を上げると、侍女がカートを押してきて俺の真横につけた。カートの上には布をかぶった高さ三十センチぐらいの筒状らしきものが載っていた。
「お前が気に入るものだ」
侍女がかぶせていた布を取った。
「…………ッッ!」
布の下から現れたソレに俺はガタッ! と席を立ち、布を取った侍女が短い悲鳴を上げた。背後から控えていた侍女たちの動揺した声が聞こえる。
美しく装飾された筒状のガラス瓶の中に浮かんでいる二つの眼球。
海をそのまま閉じ込めたような美しい青い目が俺のことを見ていた。
心臓が痛いほど脈打つ。
「お前は海を見てみたいと言っていただろう?」
ルシウスの言葉に血の気が引いた。
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