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あなたは知らない
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(本当に鬱陶しい連中だ)
私はアスコットタイを解き、襟元のボタンを外しながら苛立ちの息を吐き出した。
王城に顔を出すたびに面倒な連中が絡んできて、自分の娘を押し付けようとしてくる。
私が伯爵の地位や第二騎士団長に上り詰めたのは、お前らの薄汚い欲を満たすためのものではない。
最低限の灯りだけを点けた薄暗い廊下を歩き、ある部屋に辿り着く。扉を開け中に入ると、カーテンが開いたままの窓から差し込む月明りが、三人掛けのソファに凭れ掛かって眠る彼を照らしていた。
私は彼を起こさぬよう隣に静かに腰掛け、指でそっと彼の頬を撫でた。私と同年代とは思えないほどの幼い顔立ちに、強く抱きしめれば簡単に折れてしまいそうな細い身体。身を寄せれば彼からハーブの香りがし、先ほどまで抱えていた苛立ちが雪解け水のように消えていく。
(私がこの地位についた理由は、ただ一つだけ)
あなたを見つけ出すため。
(あなたは知らない…)
あなたが跡形もなく忽然と姿を消していたことを知ったときの私の絶望を。
(あなたは知らない…)
あなたの慈悲のおかげで私の心が完全にあの女に落ちなかったことを。
(あなたは知らない…)
あなたの存在が私の心をかき乱していることを。
『今日からあなた様のお世話係になりました』
『あのお方にあなた様のことを任されたのです。僕にとってはこの上ない喜びなのです』
『あのお方の目に映らなくてもいいのです。僕はただあのお方のお傍にいるだけで幸せなんです』
(いつからだろうか……)
あの女に捨てられたくない一心で慈悲を乞う一方で、あなたに心から崇拝されるあの女に嫉妬するようになったのは。
(あなたは知らない……)
あの部屋からあなたの薬草畑を見下ろすことができることを。いつもカーテンの隙間からあなたのことを見ていたことを。
「一体何があなたの心を変えた?」
当然別人のように変わってしまった貴方。あの女を信仰していると言葉にするが、そこに以前のような熱を感じられなかった。
「ん……」
不意に彼が小さく身じろいたかと思うと、目を覚まして私を見上げてきた。
私を真っ直ぐと見つめる不思議な光沢を持った新緑色の瞳。
ひと月前、百年振りの聖女誕生を祝うための宴が王城で行われた時、対面した少女も同じ瞳の色をしていた。そして髪の色も……。
顔立ちは全然違っていたが、まさかと思い聖女の身元周辺を調べたが、彼とはなんの関係性もなかった。
(周りはどこにでもある色だと言っているが……)
彼ほど美しい瞳を持った人間を私は知らない。
「ヴィルヘルム?」
「はい」
返事をすると、彼はもう一度「ヴィルヘルム…」と呟いた。気のせいだろうか、彼の様子がどことなくおかしい。
「マジかー夢にまで出てくるって…。インパクト、デカすぎるだろ……」
「イン…? なんですか? それは?」
「うわー…声まで再現されてるし……あー声がいいとか腹立つー…」
「ルカ?」
ゆらゆらと身体を揺らす彼を怪訝に思った私は、ふと彼の足元に転がっている瓶が目に入った。それを拾い上げラベルを見た私は軽く頭痛を覚えた。
なぜ製造中止の酒がここにあるのだ。
この酒は無味無臭で水とそれほど変わらない。しかし度数が高く、無味無臭を良いことに女に飲ませ拉致したり、栄誉ある騎士の戦いで対戦相手に飲ませたりと色々と問題が出たため国から製造禁止令が言い渡された。
「ルカ、これをどこで手に入れた?」
彼は簡単に外に出ることは出来ない。一体どうやって禁止された酒を?
「あー…地下の隠し部屋にあった……」
「隠し部屋?」
私は眉間に皺を寄せた。あの女の死後、この教会を隈なく調査したはず。まさか隠し部屋があったとは……。
「おれも初めて入った。……信者たちが出入りしているところを何度か見たことがあったから……。これ、水みたいでぐいぐい飲んじまったわー」
ケラケラ笑う彼に私は軽く頭痛を覚えた。
「ルカ、これは…」
「ヴィルヘルム!」
「水のようだが、度数が高い」と言うとした時、パシンッ!と彼の両手に頬を挟まれた。驚いて思わず目を見張った。
「いいかーヴィルヘルム。 聖女を殺しちゃダメだからな! 監禁もよくないけどもっ!」
「ルカ?」
彼は何を言っている? 私が聖女を殺す?
「彼女に優しくしろー。そうすればちゃんとお前のこと見てくれてー。好きになってもらえ……」
それ以上彼の言葉は続かなかった。彼を抱き寄せ、その小さな唇に私が噛みついたからだ。驚いて逃げようとする彼をソファに押し倒し口付けを深くする。あの女の唇と違って彼の唇は薄く潤いなんてなかったが、私を興奮させるのに十分だった。
私が唇を離すと彼は肩で息をついていた。涙で濡れた新緑の瞳が私を睨む。
「おまっ…、なに…けほっ……ふざけるのも、限度ってもんが…」
「あなたがあまりにも下らないことをいうものだから、ついね」
「下らないって……」
「私が聖女に優しくする理由などないし、私のことを見てもらう理由もない」
「え? いや、だって…お前は、聖女のこと……」
なぜ、彼は私が聖女に思いを寄せていると勘違いしているのだろうか。
「私は聖女に対してなんの感情も抱いていない。私が優しくするはあなただけで、私のことを見てほしいのはあなただけだ」
酷く困惑する彼の頬を私は撫でた。ビクッと彼が震える。
「私が愛しているのはただ一人、あなただけだ」
彼の新緑の瞳が大きく見開いた。
「あなたと生涯を共にしたい。どうか私を……」
愛してほしい。
彼の瞳が揺れ動いた。
(私は卑怯だ……)
こんな状態の彼に思いを告げるなど。
(あなたは知らないだろう……。あなたを愛せば、愛するほどこんなにも臆病になる私を……)
彼は一度目を閉じ、再び私を見上げた。
「それは無理だ」
彼ははっきりとそう告げた。途端、私の身体から熱が一気に引いた。
「私が男だからか?」と聞こうとしたが、声が震えて言葉にならなかった。不意に彼の手が私の頬に触れた。
「近いうち、俺は死ぬ」
ドッと心臓が嫌なを音を立てた。
「それは一体…どういう意味だ?」
「魔女が呼んでいるんだ」
「魔女?一体誰な…」
「ベアトリクス」
私は目を見開いた。脳裏にあの日々の嫌な光景が浮かんだ。
「彼女は死んだ。私がこの手で殺した」
「死んでいない」
新緑の瞳が真っ直ぐと私を見る。
「あいつは魔女となって蘇る。 俺はあいつに魂を握られてる。お前が殺した信者たちの魂もあいつの手の中にある。俺たちの魂を使ってあいつは……っ‼」
彼がビクッと体を跳ね上げた。私が彼の顔のすぐ側でソファを殴り付けたからだ。
「……なぜ、なぜもっと早く……、もっと早く私に言わなかった?!」
「お前に言って何になるんだよっ⁉」
彼が叫んだ。
「最初から何も変わんねぇだよっ! お前に殺されるのを分かっていたから逃げた!逃げて!逃げて!ひたすら逃げた! …………だけどどうだ? 結局お前に見つかってここに……本来死ぬべき場所に戻ってきてしまった……」
新緑の瞳から止めどなく涙が溢れ出す。彼の悲痛な叫び声に私は言葉がでなかった。
私があなたを殺す? ここがあなたの死ぬべき場所?
「最近、あいつの声が聞こえるんだよ……。お前に殺されなくても、別の奴に殺されるんだ。……俺が死ぬことは最初から決まってたんだよ……全部。ぜん……ぶ……」
「ル………」
「……なんで……なんで俺なんだよっ! 俺が何したっていうんだよっ! 嫌だ!嫌だ!嫌だっ!死にたくないっ‼」
泣き叫び暴れる彼を私は抱きしめた。ただただ、抱きしめることしかできなかった。
「………だれでもいい………たすけてくれ……」
空を掴むように手を伸ばしていた彼は、糸が切れたかのように事切れた。
私は彼の涙で濡れた目元をそっと拭った。
不意にどこからともなくあの女の嘲笑う声が聞こえた。
《あなたと私はとても似ているわ。強欲で自分が欲しいものは卑怯な手を使ってでも手にいれないと気がすまないところが》
「……違う」
《あなたは私と同じことを彼にしている》
「違うっ!私はっ!……わたしは……」
《あなたと私は同類………。ふふ、ふふふ、ふふふふふふふふ》
女の笑い声が暗闇の中に消えていった。
私は彼を抱きしめた。自分の腕が震えているのが嫌なほど………わかった。
私はアスコットタイを解き、襟元のボタンを外しながら苛立ちの息を吐き出した。
王城に顔を出すたびに面倒な連中が絡んできて、自分の娘を押し付けようとしてくる。
私が伯爵の地位や第二騎士団長に上り詰めたのは、お前らの薄汚い欲を満たすためのものではない。
最低限の灯りだけを点けた薄暗い廊下を歩き、ある部屋に辿り着く。扉を開け中に入ると、カーテンが開いたままの窓から差し込む月明りが、三人掛けのソファに凭れ掛かって眠る彼を照らしていた。
私は彼を起こさぬよう隣に静かに腰掛け、指でそっと彼の頬を撫でた。私と同年代とは思えないほどの幼い顔立ちに、強く抱きしめれば簡単に折れてしまいそうな細い身体。身を寄せれば彼からハーブの香りがし、先ほどまで抱えていた苛立ちが雪解け水のように消えていく。
(私がこの地位についた理由は、ただ一つだけ)
あなたを見つけ出すため。
(あなたは知らない…)
あなたが跡形もなく忽然と姿を消していたことを知ったときの私の絶望を。
(あなたは知らない…)
あなたの慈悲のおかげで私の心が完全にあの女に落ちなかったことを。
(あなたは知らない…)
あなたの存在が私の心をかき乱していることを。
『今日からあなた様のお世話係になりました』
『あのお方にあなた様のことを任されたのです。僕にとってはこの上ない喜びなのです』
『あのお方の目に映らなくてもいいのです。僕はただあのお方のお傍にいるだけで幸せなんです』
(いつからだろうか……)
あの女に捨てられたくない一心で慈悲を乞う一方で、あなたに心から崇拝されるあの女に嫉妬するようになったのは。
(あなたは知らない……)
あの部屋からあなたの薬草畑を見下ろすことができることを。いつもカーテンの隙間からあなたのことを見ていたことを。
「一体何があなたの心を変えた?」
当然別人のように変わってしまった貴方。あの女を信仰していると言葉にするが、そこに以前のような熱を感じられなかった。
「ん……」
不意に彼が小さく身じろいたかと思うと、目を覚まして私を見上げてきた。
私を真っ直ぐと見つめる不思議な光沢を持った新緑色の瞳。
ひと月前、百年振りの聖女誕生を祝うための宴が王城で行われた時、対面した少女も同じ瞳の色をしていた。そして髪の色も……。
顔立ちは全然違っていたが、まさかと思い聖女の身元周辺を調べたが、彼とはなんの関係性もなかった。
(周りはどこにでもある色だと言っているが……)
彼ほど美しい瞳を持った人間を私は知らない。
「ヴィルヘルム?」
「はい」
返事をすると、彼はもう一度「ヴィルヘルム…」と呟いた。気のせいだろうか、彼の様子がどことなくおかしい。
「マジかー夢にまで出てくるって…。インパクト、デカすぎるだろ……」
「イン…? なんですか? それは?」
「うわー…声まで再現されてるし……あー声がいいとか腹立つー…」
「ルカ?」
ゆらゆらと身体を揺らす彼を怪訝に思った私は、ふと彼の足元に転がっている瓶が目に入った。それを拾い上げラベルを見た私は軽く頭痛を覚えた。
なぜ製造中止の酒がここにあるのだ。
この酒は無味無臭で水とそれほど変わらない。しかし度数が高く、無味無臭を良いことに女に飲ませ拉致したり、栄誉ある騎士の戦いで対戦相手に飲ませたりと色々と問題が出たため国から製造禁止令が言い渡された。
「ルカ、これをどこで手に入れた?」
彼は簡単に外に出ることは出来ない。一体どうやって禁止された酒を?
「あー…地下の隠し部屋にあった……」
「隠し部屋?」
私は眉間に皺を寄せた。あの女の死後、この教会を隈なく調査したはず。まさか隠し部屋があったとは……。
「おれも初めて入った。……信者たちが出入りしているところを何度か見たことがあったから……。これ、水みたいでぐいぐい飲んじまったわー」
ケラケラ笑う彼に私は軽く頭痛を覚えた。
「ルカ、これは…」
「ヴィルヘルム!」
「水のようだが、度数が高い」と言うとした時、パシンッ!と彼の両手に頬を挟まれた。驚いて思わず目を見張った。
「いいかーヴィルヘルム。 聖女を殺しちゃダメだからな! 監禁もよくないけどもっ!」
「ルカ?」
彼は何を言っている? 私が聖女を殺す?
「彼女に優しくしろー。そうすればちゃんとお前のこと見てくれてー。好きになってもらえ……」
それ以上彼の言葉は続かなかった。彼を抱き寄せ、その小さな唇に私が噛みついたからだ。驚いて逃げようとする彼をソファに押し倒し口付けを深くする。あの女の唇と違って彼の唇は薄く潤いなんてなかったが、私を興奮させるのに十分だった。
私が唇を離すと彼は肩で息をついていた。涙で濡れた新緑の瞳が私を睨む。
「おまっ…、なに…けほっ……ふざけるのも、限度ってもんが…」
「あなたがあまりにも下らないことをいうものだから、ついね」
「下らないって……」
「私が聖女に優しくする理由などないし、私のことを見てもらう理由もない」
「え? いや、だって…お前は、聖女のこと……」
なぜ、彼は私が聖女に思いを寄せていると勘違いしているのだろうか。
「私は聖女に対してなんの感情も抱いていない。私が優しくするはあなただけで、私のことを見てほしいのはあなただけだ」
酷く困惑する彼の頬を私は撫でた。ビクッと彼が震える。
「私が愛しているのはただ一人、あなただけだ」
彼の新緑の瞳が大きく見開いた。
「あなたと生涯を共にしたい。どうか私を……」
愛してほしい。
彼の瞳が揺れ動いた。
(私は卑怯だ……)
こんな状態の彼に思いを告げるなど。
(あなたは知らないだろう……。あなたを愛せば、愛するほどこんなにも臆病になる私を……)
彼は一度目を閉じ、再び私を見上げた。
「それは無理だ」
彼ははっきりとそう告げた。途端、私の身体から熱が一気に引いた。
「私が男だからか?」と聞こうとしたが、声が震えて言葉にならなかった。不意に彼の手が私の頬に触れた。
「近いうち、俺は死ぬ」
ドッと心臓が嫌なを音を立てた。
「それは一体…どういう意味だ?」
「魔女が呼んでいるんだ」
「魔女?一体誰な…」
「ベアトリクス」
私は目を見開いた。脳裏にあの日々の嫌な光景が浮かんだ。
「彼女は死んだ。私がこの手で殺した」
「死んでいない」
新緑の瞳が真っ直ぐと私を見る。
「あいつは魔女となって蘇る。 俺はあいつに魂を握られてる。お前が殺した信者たちの魂もあいつの手の中にある。俺たちの魂を使ってあいつは……っ‼」
彼がビクッと体を跳ね上げた。私が彼の顔のすぐ側でソファを殴り付けたからだ。
「……なぜ、なぜもっと早く……、もっと早く私に言わなかった?!」
「お前に言って何になるんだよっ⁉」
彼が叫んだ。
「最初から何も変わんねぇだよっ! お前に殺されるのを分かっていたから逃げた!逃げて!逃げて!ひたすら逃げた! …………だけどどうだ? 結局お前に見つかってここに……本来死ぬべき場所に戻ってきてしまった……」
新緑の瞳から止めどなく涙が溢れ出す。彼の悲痛な叫び声に私は言葉がでなかった。
私があなたを殺す? ここがあなたの死ぬべき場所?
「最近、あいつの声が聞こえるんだよ……。お前に殺されなくても、別の奴に殺されるんだ。……俺が死ぬことは最初から決まってたんだよ……全部。ぜん……ぶ……」
「ル………」
「……なんで……なんで俺なんだよっ! 俺が何したっていうんだよっ! 嫌だ!嫌だ!嫌だっ!死にたくないっ‼」
泣き叫び暴れる彼を私は抱きしめた。ただただ、抱きしめることしかできなかった。
「………だれでもいい………たすけてくれ……」
空を掴むように手を伸ばしていた彼は、糸が切れたかのように事切れた。
私は彼の涙で濡れた目元をそっと拭った。
不意にどこからともなくあの女の嘲笑う声が聞こえた。
《あなたと私はとても似ているわ。強欲で自分が欲しいものは卑怯な手を使ってでも手にいれないと気がすまないところが》
「……違う」
《あなたは私と同じことを彼にしている》
「違うっ!私はっ!……わたしは……」
《あなたと私は同類………。ふふ、ふふふ、ふふふふふふふふ》
女の笑い声が暗闇の中に消えていった。
私は彼を抱きしめた。自分の腕が震えているのが嫌なほど………わかった。
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