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<第二巻:温厚無慈悲な奴隷商人>

第二十八話:奴隷商人は襲撃される

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 浅い眠りだった。廊下を走る足音が遠くから聞こえ、そして続くドアを叩く音が眠っていても感じた。
 そこで俺は目が覚めた。やはり、誰かが部屋のドアを叩いている。こんな早朝に何の用だろ。

「旦那様! 旦那様起きておいでですか?」

 パオリーアの声だ。いつもの落ち着いた声ではなく、恐怖と焦りの混ざった引きつった声だ。
 何事かと、慌ててベッドから降りたところでパオリーアが部屋に入って来た。

「旦那様、大変です。大変なのです!」
「なんだ、いったい何をそんなに慌てている?」

 息を切らし、肩を上下させながらパオリーアは、息を大きく吸い込む。

「門の外に、人だかりが。手にくわや棒を持った男たちが大勢集まっていて、旦那様を出せと……」

 俺は急いで廊下へと出て窓の外を見る。パオリーアも横に並んで指差した。たしかに人だかりができている。

 門の外に十数人ほどの男たちが、武器を持ってしがみついているのが見えた。よじ登り門を越えようとする者までいる。
 正面門と塀は高さは三メートルほどあるため、そう容易たやすく登れないが男たちは、下になった男の肩に足を掛け、必死に門の頂上目指している。

「まずいな。入ってくるぞ。奴隷たちは、部屋に入って鍵を閉めろと伝えるんだ。それと、マリレーネはどうした?」
「マリは既に、門に向かっています!」

 あの人数の男たちに、いくらマリレーネが頑丈な体をしているからといって、無事なわけはない。衝突は避けて怪我人を出さないようにしなければ。
 俺が出てくることが望みなら、俺は出て行こう。それで、奴隷たちの安全が保障されるのなら安いものだ。

 入り口を出ると、既にマリレーネは門をよじ登る男たちを棒で叩き落としているところだった。
 柵を持つ手を狙って棒を叩き込んでいるのは、誰かに教えられた者ではないのだろう。ぎこちない戦い方だ。
 目を剥いて罵声を浴びせながら柵を登る男たちを前に、一歩もひるむことなく対峙しているマリレーネに感心するとともに、何かあってはいけないと不安になった。

「マリレーネ! 危険だ、離れていろ!」

 必死になって門の格子をよじ登ろうとする男たちを叩き落としているマリレーネが振り返る。

「旦那様。こっちに来てはいけませんっ! すぐお屋敷の中に! さぁ!」

 そう声をかけるマリレーネに俺は片手を上げ、首を振って答えた。

「マリ、離れておけ。こいつらは俺に用事があるんだ。聞いてやるまで帰らないだろう」

 門に近づくと、男たちの動きがピタリと止まる。怯えた表情の者、怒りをあらわにする者などが見えた。
 マリレーネは、俺の後ろへ下がると、本当に大丈夫でしょうかと耳打ちしてきたので頭を撫でてやる。

「用件を聞かないと大丈夫かどうかもわからん。こいつらの身なりから奴隷のようだが……」

 柵を登るのをやめ、全員が門の向こう側に立つと一人の男が前に進み出た。こいつがリーダーか。
 こいつらを扇動してここに集め、襲撃をしたのだろうか。

「お前が代表者か? 俺に何の用だ?」
「お、お前……お、オンハルトをどこにやった! 殺したのか!」

 目が怒りで血走っている。

「オンハルト……? 我が屋敷に火を放った男だったな。お前がやらせたのか?」
「違うっ! オンハルトをどこにやった。殺したのか?」

 俺が殺したと思っているということは、俺がこの体に宿る前のニートを知る奴隷か。
 酷い扱いをして恨みを買い、トラブルに巻き込まれるのもこれで二回目だ。
 俺もニートを恨んでやりたい気分だよ。

 奴隷たちは、手に山で拾って来たような枝が残った棒を持っている。こんな物で俺を殴り殺すつもりか。
 おそらく恐怖のため何か手に持っていないと落ち着かないというのが本音ではないだろうか。

 男たちは、ざっと十三人。若いものは十代だろうか、三十代ほどの男もいる。
 リーダー格の男は俺と同い年くらいに見えるが、この世界の男は見た目では年齢がわかりにくい。
 俺も、自分の姿を見た時は、とても二十歳には見えなかった。西洋風の顔立ちだからだろう。
 この男たちも、汚れてどす黒い顔色をしているが、洗えばそれなりになりそうだ。
 俺は男たちをひとりずつ値踏みするように見ると、話し合いでなんとかなりそうな連中だと判断した。

 念のため距離を取っているが、おそらくこいつらは襲ってくることはないと俺は考えた。
 門を挟んでいるため、すぐに襲い掛かられない安心感もある。

 俺を見る目に怯えがあり、過去の記憶から恐怖心が見えて取れる。こういう奴は腹をくくると危ない。
 おそらくこいつらは、俺が話しに応じず、問答無用で粛清すると思って来ているはずだから、話を聞いてやれば落ち着く可能性がある。

 俺は、ゆっくりとした口調で、なだめるように優しく話しかけた。

「オンハルトはここで罪を償ってもらっている。だから返すことはできない。だが、あとで会わせてやろう」
「あ、会えるのか? 罪を償っているって……何をさせているんだ」

 思った通り、俺が答えたからか安堵して、先ほどまでの強張った顔が幾分か緩んだ。
 しかし、心配そうな顔をしていることに変わりはない。

「お前たちは、どこから来た。主人の所から抜け出してきたのか?」

 奴隷なら、所有者がいるはずだ。だが、脱走することなどできないだろう。
 所有者までグルになっているとは考えられない。アンハルトと同じ雇い主に野に放たれ、行き場をなくしたのだ。

「……今は毎日ゴミを漁り残飯を恵んでもらっている。仕事がしたくても何をしたらいいのかわからないんだ……」

 この世界でホームレスはきついだろう。飽食の元いた世界ならいざ知らず、
 その時、背後から女の子甲高い声が聞こえた。

「お前たちっ! ニート様の前でタメ口とはどういうことだ! 分をわきまえなさい!」

 びしっと地面を鞭打つ音が聞こえ、砂ぼこりが舞う。男たちはたじろいで一歩後ずさり、俺は驚いて腰を抜かしそうになった。
 ライラか……。あいかわらず怖いな。

 黒い革のボディースーツに、赤い髪を一つに結び手には一本鞭を持っている。
 見事なプロポーション、美しい肢体をおしげもなく出した露出度の高い衣装も、こういう時は迫力があった。

「もう一度言います。お前たち、その場で膝をつきなさい!」

 ヒーッ! なんて怖さだよ。男たちと同じく、俺まで正座しようとして思いとどまった。

「いいんだ、ライラ。こいつらはもう俺の物でもなんでもない。」
「ですが、礼儀というものがあります。こんな早朝に押しかけて、門をよじ登ったり叩いたりしていいわけがありません。きちんと躾なければこの者たちの為にもなりません」

 俺が叱られている気分になったが、どうやらライラは男たちに言っているようで目は男たちを見据えていた。
 男たちも、ライラの迫力の押され、一人、また一人と土下座しはじめた。
 十三人の男たちが、門の外で正座して頭を下げている。さすが、ライラだ。オシッコちびりそうになったぞ。

「土下座はしなくていい。立ってくれ。まずは、事情を話してくれ。オンハルトが心配なら会わせてやる」

 文字通りの飴と鞭だ。もちろん、ライラが鞭で俺が飴のほうだ。
 リーダーの男が、俺を見あげたので頷いてやると立ち上がった。他の男たちも立ち上がる。

「し、失礼しました。どうかお許しください。お許しください」

 何度も頭を下げる男を見て、他の者たちも頭を下げた。一人として反抗しないのは、奴隷だからだろうか。

「いいんだ。誰も怪我しなくて良かった。ところで、お前たちはオンハルトを助けに来たのか?」
「はい。実は、オンハルトが仕返しに火をつけに行くと言い始めて、我々は止めたのですが飛び出して行きまして」


 ひと通りの事情を聞いたが、簡単に言えば同じ所で雇われていた奴隷仲間が、跳ねっ返りのオンハルトを追って俺のところに来たということらしい。オンハルトと同じくこいつらも解放された奴隷だという。
 それにしても、心配してくれる仲間がいるっていいことだ。
 助け合って生きてきたのだろう。
 女奴隷しか接する機会がほとんどない俺には、男奴隷の仲間意識が高さが部活動をする男子学生のノリのようで羨ましかった。何しろ俺は仲間と呼べる友達もいなかったからな。

「ライラ、大広間にこいつらを通してやってくれ。話を聞いてやる」
「はい、かしこまりました、旦那様」
「俺は着替えてから、後で行く。アーヴィアに聞いて、何か飲み物と軽い食べ物があれば出してやってくれ」

 門を開けたマリレーネは、男たちに棒や鍬を外に捨てるように言うと、中に招き入れた。
 マリレーネは、男たち全員が中に入ると、再び門を施錠してから男たちを先導して大広間へと向った。

「あの者らを入れて良かったのでしょうか? あのまま追い返せば良かったのでは? 中で暴動が起きても制圧できません」
「暴動なんかおきん。こんなにあっさりと引き下がるような奴らだ。ライラの鞭一発で腰を抜かすほどな。それに、あいつらは俺がまだ冷酷で残虐だと思っている。そう簡単に逆らったりせんだろう」

 ライラが男たちの後ろ姿を見ながら、俺の袖を引いて言った。追い返すより、取り込む方が手っ取り早い。
 それに、また襲撃されるのはまっぴらごめんだ。面倒なことに巻き込まれたくはない。
 以前の俺がしでかした鬼畜な所業の尻拭いを俺がするのも、おかしな話だが中身が入れ替わっていることなど誰も知らないのだ。
 言っても信じてもらえないだろうし、いまさら言ったところで混乱するだけだ。
 俺は、もう一度ライラに大丈夫だと返すと、自室へと戻った。

 ◆

 男たちは、大広間に通されると目を見開いて驚いていた。豪華とは言えないが、それなりに金のかかった装飾が施された天井と柱。壁には絵画も掲げられている。男たちは、ここに入ったのは初めてだったため、キョロキョロと見回していた。
 マリレーネが、「飲み物を頼んでくるから座って待っていて」と言って部屋を出た。

「なぁ、こんなところに来て大丈夫なのか。あのニート様のことだ。何か魂胆があるんじゃないのか?」

 やせ細り無精髭を生やした男が、リーダーに耳打ちをした。
 奴隷時代、この屋敷に入ったことがなかった。売られた後、出荷までの間ここの奴隷小屋に入れられていたのだ。こんな大広間があることさえ知らない。
 しかも、ここに通されるまでに多くの美しく着飾った女性を見た。
 侍女らしき純白の貫頭衣を着た女も見かけたが、物腰やわらかく頭を下げていた。
 屋敷の中はこんなに別世界なのかと、男たちは周囲を見回してはため息をついた。

「とりあえず、座らないか……」

 リーダーの男が男たちをうながすと、思い出したように頷いて座った。
 こんな部屋に通されて、俺たちはどうなってしまうのだろうと誰かが呟く。
 ある者は、マリレーネが出て行った扉を凝視し、ある者は入ってきた大広間の入り口を見ていた。

「なぁ、獅子人族の女が戻って来る前に逃げ出した方がいいんじゃないのか? 見張りがいない今なら逃げられるだろう」
「馬鹿かお前。見張りがいないわけないじゃないか。きっとこの部屋のどこかで監視されているに違いない。俺たちをどうするつもりかわからないが、オンハルトに会わせてくれると言ったんだ。無事を確認するまでは今さら逃げられないぞ」

 男たちは、神妙な面持ちでしばらく無言で待った。
 誰が来るのか……不安な顔をしている者ばかりだった。

「ちょっと、あんたたちどこに座ってんのよ!」

 マリレーネは、厨房から戻ると驚いて言った。
 大広間の中央に大きなテーブル。十人ほど座ることができる背もたれのついた椅子が置かれている。
 それに座るという発想がない男たちは、テーブルの横のスペースに、すし詰めのように肩を寄せ合って正座をしていた。

「ごめんね。私がちゃんと言えば良かったね。こっちの椅子に座っていいんだよ。さぁ、さぁ、どこでもいいから座って」

 マリレーネは、手招きすると男たちに椅子を指し示した。
 男たちは顔を見合わせているが、動こうとしない。

「心配する気持ち、すっごいわかるんだけど、この椅子に座っても大丈夫だから」
「いいのか? 俺たちがそんな立派な椅子に座っても……」
「いいの、いいの。そんなところに座っていたら、ライラ先生に鞭打たれるわよ」

 マリレーネの言葉で、男たちは門のところで見たおっかない猛獣使いのような女を思い浮かべた。
 黒い鞭が砂埃を上げて地面を叩く音が脳裏を横切り、ブルっと体が震えた。
 あの女には逆らってはいけないと本能が言っている。

「早く座って。飲み物が来るから、とにかく立ち上がって! さぁ!」

 マリレーネが促すと、男たちはおずおずと近くの椅子に座った。
 落ち着きなく目が動いていて、唾を飲み込むほど緊張しているのがわかる。
 緊張しなくてもいいから、とマリレーネがやさしく言ったところで男たちの耳に届いていないようだ。

 扉が開き、アーヴィアが飲み物を持って入ってきた。

「これでも飲んで、旦那様がいらっしゃるまでくつろいでいてください……ポモとシトローノの果汁ジュースよ。どうぞ召し上がってください」

 アーヴィアは、ジュースをテーブルに置いて行くと、男たちに説明した。
 白濁した液体から、甘い香りが立ち上って男たちの目を惹きつけている。配り終わったアーヴィアは、続いて入ってきた女奴隷が運び込んだパンを配って行った。
 白い陶器の皿に、こんがりとキツネ色に焼かれたパンも香しく、男たちの鼻腔を刺激した。
 しかし、男たちはただ呆然と見ている。これは、俺たちに出されたものなのだろうか。それとも、これを各自でどこかに運ぶのか……。男たちは、自分が現在置かれている状況を飲み込めないでいた。

「旦那様から、みなさんに飲み物と軽い食事を出すようにと仰せつかっているので、遠慮なく召し上がってください」
「お、俺たちに? あ、あの……なぜ?」
「うーん、なぜと聞かれても……理由はわからないけど……。みなさんが訪ねて来たからお迎えしただけだと思いますよ。旦那様がお着替えされている間、待たせるからじゃないかな?」
「しかし、お嬢様。俺たちはこの屋敷を襲撃しようとしたんだ。そんなわけないじゃないか。後でおしおきされるんじゃないのか?」

 マリレーネは男たちが、青い顔をして緊張した面持ちで言うので、クスっと笑うと首を振って否定した。

 その時、広間の入り口が開く。全員が、そちらを振り返るとそこには、ニートとライラが立っていた。
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