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<第一巻:冷酷無慈悲の奴隷商人>

プロローグ①:奴隷商人の鬼畜な男

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 スティーンハン国のダバラの街。大陸の南に位置し、年間通して気温は初夏ほどのため過ごしやすい。
 大らかな気候が、大らかな人を作るかのように、街は活気に溢れ笑い声も絶えない、明るい雰囲気が街を包んでいる。
 だが、この屋敷は笑い声よりも、悲鳴や怒声、すすり泣きのほうが多い。
 アルノルトは、鞭打たれる音を廊下で聞きながら、早く折檻が終わってくれることを祈っていた。
 彼もまた、元はこの屋敷の奴隷であった。現在は、この館の執事として仕えている。

 ダバラの街で唯一の奴隷商を営むソレ家。奴隷商が認可制となり、国の許可が必要になってから羽振りがさらに良くなっていた。
 館の主人は、横柄だが奴隷を大切に扱ってくれていたが、一人息子のニート・ソレは幼少の頃から乱暴であった。
 奴隷を、虫けらのように扱い、執拗にいじめ、暴力を躊躇なく振るう男に育った。

 アルノルトは、室内から聞こえる女性の悲鳴に耐えられず、耳をふさぐ。悲痛な叫びだ。聞くだけで気持ちが萎える。
 聞くに耐えないと思った。
 そして、頼むから命までは取らないでやってくれ、と願うように何度もつぶやいた。

「アルノルト!」

 ドアの向こうから呼ぶ声がする。アルノルトは、慌てて室内に入ると、それを見て……目を背けた。
 そこには、泡を吹いて仰向けに倒れた裸の女が床に転がっていた。薄汚れてはいるものの、白い肌には鞭で叩かれたミミズ腫れが無数にあった。
 特に尻は、元の白い肌が見えなくくらい赤黒く痣になり、ところどころ血がにじみ出ていた。
 また顔の形まで変わるかのように腫れ上がっている。何度も殴られたのだろう。目、口、鼻から血が流れ出し無残な姿があった。
 今月になって何人目だろうか……

「おい、そのゴミが生きていたら檻に入れろ! 死んだのなら片付けておけ」

 チラッと、壁側に立つ奴隷の女たちを見ると涙を流し、鼻水を垂らし、それでも声を出さずにじっと立ち尽くしている。
 見せしめになぶり倒したのだろう。もし、泣き叫べば同じような目にあわされるため、震えていた。
 奴隷の少女を助けてやれなかった悔しさが全身から滲み出ている。
 ぎゅっと握られた手が物語っていた。

「仕方がないのだ……」

 アルノルトは、そう独り言ちた。
 この息子は成人してからはさらに奴隷をゴミのように扱い、命を粗末にして来た。だから、こういうことは毎晩のことだ。
 だが、慣れることはない。人を人として扱わない男に嫌悪すら抱くが、アルノルトは何も言えなかった。

「さっさと連れて行け。もっとマシなやつはいないのか!」
「はっ、どの奴隷も従順に躾けておりますが、何かお気に触るようなことがありましたでしょうか?」
「こやつは、俺の足の裏をくすぐりやがった。俺は、気持ちよくなるように足の裏を掻けと命じたのにだ!」

 アルノルトは、男の話が終わるのを待って、壁に立つ奴隷に、この者を連れ出せと命じた。
 足の裏を掻いたらくすぐったいもんではないのか、なぜ気持ちよくせよと命じたのだ?
 虐めではないかと心の中で苦々しく毒づいたが、口答えは厳禁だ。
 この男の扱いには、主人でさえ手を焼いている。

「おい、みんな出ていってどうする。そこの狐耳! おい、お前だ。お前は残れ」

 指さされた獣人族の女は、恐る恐る振り返る。そして、自分のことだとわかると肩をすくめ震えた。

「……はい」

 消え入りそうな怯えた声で返事をした少女は、ボロ布を斜めに体に掛けているのみだ。
 まだ年端もいかない少女のようにも見える、その奴隷は震える手を自分の手で押さえながら壁際に立った。
 この後何をするのか理解しているのだろう。身にまとった布をゆっくりと脱ぐ。

「おぼっちゃん、奴隷は商品です。くれぐれもそれをお忘れないように……」
「ああ、わかってる。躾がなってない者は、躾けなくちゃな。まともに主人に仕えられない奴隷は売り物にもならん」

 アルノルトは、もう一度振り返り、ニートに会釈をするとドアを閉めた。

「なにがわかっているだ。何もわかっていない。自分勝手な解釈だ」

 アルノルトは吐き捨てるように独り言ちた。

 館の別館が奴隷の部屋となっている。もちろん、個室ではなく大きな空間に押し込められているので部屋とも呼べない。
 ここには、主に僻地の山の森人と言われる獣人族の女たちが入れられていた。
 ほとんどが、盗賊に攫われて奴隷商に売られた女たちだ。息子の意向で近頃は男の奴隷は買取していない。
 残っている男の奴隷は、この屋敷で庭の整備や掃除、水汲みなどのために働かされている。
 アルノルトもまた、執事という立場だが奴隷。ただ、男の奴隷たちは館の主人が引き立てた者たちのため、息子から暴力を振るわれることはなかった。
 だが、暴言は日常茶飯事だ。
 ゆっくりと、女を寝かせる。鼻先に手を当て息を確認するが、息をしていないようだった。紫色にまだらな痣のある乳房の上を押し、胸の鼓動を確認する。
 奴隷たちは、心配そうに見ているがこの光景は毎晩のことだ。だから、助からないことも皆がわかっていることだった。
 それでも一縷の望みをかけ祈る者、泣き崩れる者がいる。そして静かに目を閉じて見なかったことにする者たちも多い。

 恐怖に支配された奴隷商の館だが、この街の奴隷たちはほとんどがこの奴隷商から買うことになっていた。
 多くの奴隷がいるため、冷酷な息子の餌食にされる前に買い取られていく者もいるためだ。
 だが、売れ残った奴隷には地獄でしかない。

 息を引き取った奴隷を、荷車に乗せると墓地へと運び出したときは、すでに真夜中になっていた。
 せめて安らかに異世界に旅立って欲しいと、アルノルトと二人の奴隷の女は遺体に土をかぶせながら祈った。

 ◆

 その頃、人の輪廻転生を司る女神が、天界から地上の様子をうかがっていた。最近、魂に傷を負った者が多いことに気づいたのだ。
 傷を負った魂とは、寿命以外で死を迎える者の魂で、それが目立つ世界があった。
 女神はすぐに監視することにし、傷ついた魂の出所を探しだした。

 傷ついた魂とは、人と人の戦いや、人と獣や魔物との戦い、或いは何らかの不慮の事故とは別の、無念のまま死んだ魂を指す。
 我が子を嬲り殺す親がいる世界もある。奴隷を人と扱わず酷い死を与える人がいる世界もある。
 女神が管理するどの世界にも一人や二人は、魂を傷つける人の姿をした悪魔がいる。

<人の心を持たぬ鬼畜の所業。魂まで疲弊した者は輪廻転生の輪に戻すこともできぬというのに、無駄に殺戮しておる>

 傷ついた魂は修復は不可能。神のもとで消滅となる。転生し、異世界に飛び立つこともできない。
 当然、消滅した魂は無に帰る。
 どの世界でも鬼畜はいる。だが、我が子を殺す親も、子供が何人もいるわけではない。
 多くの場合、悪事は必ず明るみなり人が人を裁き、罪を償わせることができる。そこに神は介在しない。
 だが、女神が見ている光景は誰からも咎められず、密室で起こっていた。このような鬼畜は生かしておくべきではない。
 だからといって、女神とはいえ、人の命を奪うことはできない。ただ見守るだけだ。
 しかし、目に余るものがあり、女神の怒りは頂点に達していた。

<命は奪わぬ……だが、こやつの魂を一度綺麗に浄化しなければならん。さて、どうしたものか>

 女神は、いくつかの世界を覗きながら思案した。
 そして、ちょうどその時、別の世界の片隅で一人の男が不慮の事故で亡くなった。階段から落ちたという。
 一度死んだ者の魂は、元の体には戻せないため、輪廻転生することになる。
 女神は、そこで気がついた。妙案を。

<鬼畜から魂を抜き、残った肉体にこの不慮の事故で亡くなった男の魂を入れてやればいいか……>

 こうして、奴隷商の息子ニート・ソレの魂は抜かれ、入れ違いに日本の片山仁人にいとの魂を入れることになった。
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