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第三章:ヴァンパイア王妃
第一話:フェリーチェ
しおりを挟むオーガスト邸の一階は冒険者ギルドになっている。広大な敷地に、コの字型に建てられた建物は立派だが装飾も特になく、無骨な印象を受ける者も多いだろう。
勇者ベルは、ひたすら生涯冒険者であり、後継の育成に注力していた。
そのため、自宅にも派手さや豪華さには無縁だ。
その、裏手には大きな庭が作られている。
勇者ベルの妻が花が好きだったため、池や岩などを配置した庭には多くの花が年中咲いている。天気の良い日は、冒険者もこの庭で寝転んで昼寝する者もいるくらいたおやかな時間が流れる静かな空間だ。
その、静かな裏庭に今は甲高い声が響き渡っていた。
「ちょっと~! さっきの何?」
「な、何がだよっ?」
「何がじゃないわよ、あんたバカなの? 今のが真剣だったら死んでるところよ」
「別にいいだろ。寸止めなんだから……それに、練習だし」
キッドは、ティルシーの勢いに飲まれ、尻すぼみに小さな声で言った。
キッドの言葉に、ティルシーはさらに怒り心頭のようで、今にも殴りかからんとするところだった。
だが、ティルシーが俺の姿に気づいて、パッと顔が明るくなり、俺の方に駆け寄って腕にしがみついた。
「ちょっと、セイヤ~聞いてよ。キッドったら、私の打ち込みを躱しもせずに突っ込んで来るの!」
「ああ、見ていた」
「しかも、寸止めだからいいだろうーって言うのよ! それじゃ練習にならないじゃない!」
「そうだな…………」
「ねぇ、キッドに何か言ってやってよぉ」
ティルシーは、俺の右腕に自分の胸を押し付けているが、おそらく無意識だろう。
俺は、腕を振り払うとティルシーとキッドを見た。
まだあどけなさが残る十六歳の二人は、額に玉のような汗が吹き、喉元へ向けて流れていた。
「キッドと仲良くやっているようだな」
「ど、どこがよ! ほんと、キッドってポンコツなんだから!」
「そう言うな。さっきから見ていたが、二人の技量はほぼ互角だ」
ティルシーの勢いに飲まれて大人しくしていたキッドの顔が、パッと明るくなる。
「本当ですか! セイヤさんから見て僕は強くなってますか?」
キッドは自信が持てたのか、背筋を伸ばし胸を張った。毎日ティルシーの相手をしているのだ、上達もするだろうし、速さもついていけるようになってきている。
まだまだ、ダンジョンに入れるかどうかわからないが、ずいぶん仕上がってきている。
「初めに見た時に比べたら、少しはマシになってきた。そろそろダンジョンに入って経験を積むのも悪くはない」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
キッドとの会話を聞いていたティルシーが、自分にも褒め言葉を期待したのか、笑顔で俺の次の言葉を待っていた。
「ティルシーは、進歩していないな」
「はぁ?」
ティルシーは口を尖らせ、ふくれっ面でプイッと横を向く。
「ううっ……それは……キッドの下手くそが移っただけよ」
「それは違う。ティルシーは、キッドの攻撃に合わせようとしているだろう。だから、どうしても動きが一拍子ズレる。思うように動けていないだろう?」
「まぁ、そうだけど……褒めてくれてもいいのに……」
オーガスト邸の裏口からアスガーが出て来るのが見え、お互いに目があったので俺たちは軽く会釈を交わす。
アスガーは、笑顔を浮かべてゆっくりと近づいてきて言う。
「さすがですな、セイヤさん。……ティルシーよ、セイヤさんの言うとおりじゃよ。ティルシーが苛立っているのはキッドが悪いのではなく、自分自身に苛立っていると言うことじゃ」
アスガーは、俺も感じていたことを代弁した。
さすが、歳は取っていてもよく見ている。
アスガーが言ったことの意味が理解できていないティルシーは、首を傾げた。
「ティルシーは、自分のイメージした動きと実際の動きとの隔たりに苛立っている、と言うことだ」
「そんな~。やっぱりそれって、下手になったってこと?」
ティルシーの顔が赤色に染まり、再びふくれっ面になる。
十六歳にしては、少々子供っぽい仕草だが、感情を素直に出すところはティルシーの良いところだと思っている。
何を考えているのかわからない女ほど、扱いにくいものはない……。
キッドは初めに比べたら動きは早くなってきていた。ティルシーの剣を受ける力もついてきているので、毎日の水汲みやアスガーの体力作りは役立っているのだろう。
それにひきかえ、ティルシーは持ち前の素早さがなくなっていた。
「ティルシーは、キッドの剣を受けに行っているだろう。お前の剣速なら、キッドが動くよりも早く打ち込めるはずだが、そうしていない。……なぜだ?」
「うーん、意識したことはないんだけど…… 練習だから、キッドの剣を受けた方がいいかなって思って……それってダメだった?」
アスガーはニコッと笑うとティルシーに、ダメじゃないが、それではティルシーの練習にはなっていないと言った。
「ティルシーもキッドも打撃練習は、真剣勝負だと思ってやらないと身につかない。そんな練習を何回繰り返しても上達はしないと思っておけ」
キッドは、はいっと元気良く返事をしたが、ティルシーは不服そうだ。
「まず、ティルシーはキッドに確実に打ち込め。キッドが動くよりも早く攻撃できるはずだ」
「うん、わかった」
「キッドは、ティルシーの攻撃を見てから動いているが、それでは間に合わん。予測して受ける。これができるように相手の筋肉の動き、目線、あらゆることに敏感になれ」
「はいっ! 予測するか、難しそうですが頑張ります!」
俺の言葉に、二人はお互いに顔を見合わせ火花を散らした。
いいライバル関係になってきた。
アスガーは、それでは少し休憩しますかというと手を二度打ち鳴らした。
裏庭には、いくつかテーブルと椅子が置かれ、談笑したり、食事をすることができる。
ティルシーとキッド、俺はアスガーに案内された近くのテーブルについた。
裏口から一人の少女が飲み物を持って、やってきた。
太陽の光が透き通る金色の長い髪。彫りの深い目鼻立ちだが、幼さが残る大きな瞳。
愛らしい人形のような少女になっていた。
「フェリーチェ、元気にしてるか?」
俺は、悪魔爪組の二代目組長だった少女に声をかけた。
あの後、このオーガスト邸で女らしくなるよう、一から教育してもらっていたのだが、少々行きすぎた感がある。
何しろ、元々はオレ女で男たちに囲まれていた生活からか、作法もなっていなかった。
音を立てて食べる、大口開けてあくびはする、言葉遣いも悪かった。
このオーガスト邸には三姉妹がいる。どの娘も上流階級の貴婦人に負けず劣らずの躾を受け、育てられている。
あの、ティルシーでさえ、勇者ベルの葬儀では、故人を偲ぶ参列者に、別人かと思うほどソツなく対応していたのだ。
俺も、フェリーチェを預けたままで、しばらく会っていなかったが、どうやら見た目だけは、おしとやかな少女になったようだ。
「セイヤさん、久しぶりかしら」
「ああ、見違えるほど女の子らしくなったな」
「そうかしら。前から私は可愛いかったのに気づかなかったのかしら」
フェリーチェは、テーブルに紅茶のカップを静かに置いた。
その所作は優雅に、指先まで美しく見せようとしてるかのように丁寧な動きだ。
「ところで、セイヤさん。私はいつまでこのお屋敷にいたらいいのかしら?」
「どうした。ここの生活は嫌か?」
フェリーチェは、俺の横に来ると耳元に囁くために口元を手で隠しながら、顔を近づけてくる。
そして、ヒソヒソと小声で話しかけて来た。
「早く父の仇が取りたいの。まだなのかしら? ちゃんと調べているのかしら?」
そう言うフェリーチェに向かって、俺は言葉に出さずに首を横に振った。まだ時期尚早だ。裏で手を引いていた奴らの目星は大体はついているが決定打がなかった。
証拠がないうちに動くと、逆襲に会う可能性は高い。
フェリーチェは、残念そうにため息をついた。
復讐したい気持ちはわかるが、急いだところで勝ち目はないのだ。相手は、強大な組織力を持っている。
俺は、紅茶を一気に飲み干し、カップをフェリーチェに渡して言った。
「ティルシー、キッド。十日後にダンジョンで実践だ」
突然のダンジョン入りを俺が言ったからか、二人は一瞬呆けた顔をしていたが、すぐに立ち上がって返事をした。
二人とも、ダンジョンに入れるのが嬉しいようで小躍りしそうなほど喜んだ。
「フェリーチェ様も、ダンジョンに入られますか? そろそろ体が動きたくてウズウズしてるのではないですか?」
アスガーは、髭をさすりながらフェリーチェに向かって言う。
「いいのかしら? 私が一緒に入ったら、この人たちが活躍できなくなるのでは?」
「はぁ? いま、聞き捨てならないことを言ったよね!」
ティルシーは、飲んでいた紅茶を飲み干すと、持ったカップをテーブルに叩きつけ、立ち上がってフェリーチェに食ってかかった。
「あら、荒々しくて怖いわ。私はあなたたちに活躍して欲しいと言ってるのにかしら」
「えーい、かしら、かしら、うるさいっちゅーの! いい、一緒に行ってあげてもいいけど、邪魔はしないでちょうだいね!」
ティルシーは、短期でカッとなりやすいが根は優しい。
なんだかんだと言ってもフェリーチェの同行を認めているあたり、ある程度の信頼関係もできているのだろう。
「行ってあげてもって、ずいぶん上から目線で態度が大きいお姉様だことかしら。大きいのはおっぱいだけにして欲しいのに」
「……ツルペタ」
ティルシーが、挑発に挑発で返す。
少女二人がじゃれ合っているようにしか見えないが、本気になって剣と魔法で戦われてはかなわん。俺は、二人を止めようと立ち上がろうとした時、アスガーがよしなさいと言いながら、二人の前に割って入った。
「お前たち、ダンジョンに入って喧嘩していると、命を落とすぞ。これから十日間でさらに強くなれ。そして、連係して攻撃出来るように練習しておくことだ」
「わかったわよ……」
「はいっ、連係出来るように頑張ります!」
ティルシーは、渋々と言う感じで返事をした。
やや、食い気味でキッドも元気に返事をする。
フェリーチェは、スカートの裾を軽くつまむと膝を曲げてお辞儀をした。
「今からでも私は行ってもいいくらいですわかしら。この二人が成長するのを待っていたら、おばあちゃんになってしまうかしら」
「な~に~! 私とあまり年は変わらないくせにぃー!」
フェリーチェとティルシーが、再び取っ組み合いをしそうな勢いに、キッドはオロオロしていた。
この三人で、まずは地下一層で経験値を稼ぎ技量を上げて行くしかない。
十日後、この三人を俺が引率してダンジョンに入る。
それまでに、フェリーチェの父親、元悪魔爪組の組長を殺し、俺を犯人に仕立て上げようとした奴の尻尾を捕まえたい。
「ご歓談中にすみません。セイヤさん、どうやらお客様がお見えになっているようです」
アスガーの元に駆け寄ったメイドの一人が、俺に会いに来た客人がいると伝えた。
このメイド、足音も出さずに俺の気づかない間に近づいてくるとは、ただのメイドではないだろう。
このオーガスト邸には、何人ものメイドが雇われている。住み込みのメイドたちは、黒いワンピースに白いフリルのついたエプロンをつけている。
センスのいいデザインだ。生地も羊毛ではなく、ダンジョンにいるシルクワームが吐く糸で作られているようだ。
しかも仕立てがいいのは、縫製職人がよほど良い腕をしているのだろう。
そんなメイドの中には、護衛のための者も何名かいると聞いた。
おそらくこの女も護衛なのだろう。
「俺に客人とは……思い当たる奴もいないが」
「お待ちいただいているようですので、セイヤさん、どうぞこちらへ」
アスガーが、俺をギルド館の裏口から通してくれて、冒険者が何組か談笑している脇を通って、談話所の奥にある個室に案内してくれた。
「どうぞ、こちらでお待ちです。お入りください」
アスガーは、ドアを開け、深々とお辞儀をした。
俺は、アスガーに続いて部屋に入った。
そこに立っていたのは、頭が禿げ上がった老人、領主のスピアーズだった。
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