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第一章
旧制松山高校生のコスプレをした私
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井桁模様の伊予絣の着物に片貝木綿の馬乗り袴を履き、旧制松山高校の帽章を付けた白線帽子を被った私は神奈川県の自宅から愛媛県の松山市へとたどり着いた。それは2022年の3月の下旬の事であった。この時の私は所謂「コスプレ」をしていた。イメージとしては明治時代や大正時代の書生さんのような恰好を思い描いてもらうと分かりやすいだろう。ただ率直に言うと私は旧制松山高校生になりきったつもりだったのである。私が映画「ダウンタウンヒーローズ」を初めて視聴したのは確か2019年の5月の1日の深夜だったであろうか。その時の世間は改元の話題で持ち切りであったが、私にとってそれは関心のない事であったので特に印象はない。それよりも初めて「ダウンタウンヒーローズ」を鑑賞して抱いた興奮や感動の方が色濃く心に刻まれているのである。
「ダウンタウンヒーローズ」は脚本家の早坂尭氏の自伝的小説で昭和六十三年に中村橋之助(八代目の中村芝翫)主演で映画化されている。内容は昭和二十三年の旧制松山高校生達の青春を描いた物語になっているが映画と小説では大分話が異なるのでどちらが良いかは人それぞれできっと分かれるに違いない。ちなみに「旧制松山高校」なので現在この学校はない。「旧制松山高校」に限らず旧制高校は昭和二十五年に全て廃止されてしまったのである。太平洋戦争の敗戦後のGHQの占領による6・3・3・4制施行の教育改革の下に廃校の運命を辿る事になった存在で当然1992年生まれの私にとっては縁遠いのだが、私はこの映画を観ていて何だか懐かしくて愛しい気持ちになった事をよく覚えているのだ。それは白線帽子を被りマントを羽織って寮歌を放歌高吟して街を闊歩している旧制高校生の独特の雰囲気に対する憧れと中村橋之助が演じる主人公が薬師丸ひろ子が演じるアガーテと呼ばれる女学生に初恋をする物語だからだろうか。私もこの主人公と同じ19歳の頃に地元東村山市の合気道の道場に通っており、そこの七歳年上の先輩に初恋をしたのだが、あっさりとフラれた経験がある。映画でも主人公とアガーテは結局恋人として結ばれなかった。そんなところが私の心を捉えて離さなかったのだろう。
さてこのように映画「ダウンタウンヒーローズ」に魅せられてしまった私はそのロケ地廻りをしにはるばる四国の地にやって来たのだった。岡山駅で新幹線を降り、そこから在来線での車中では私は瀬戸内海の景色の美しさと四国の所々に咲き誇る桜の木に見惚れていた。太平洋の黒々として波が荒い海と違い瀬戸内海の海は静謐な雰囲気の波間に太陽の光が穏やかに照っていて関東の海しか基本的には知らない私にとっては新鮮且つ優しい印象があった。それは桜に関しても同じで四国に咲く桜は関東の桜と違って桜の木の本数が多く、満開だった事も相俟って豪奢と言ってもいい程の様態であった。たまに国道を歩いているお遍路が目に映る事も風情があっていい。なんだか私はこの段階で四国という土地が気に入ってしまったようで、まだ見ぬ松山市への期待感で胸が高鳴ったようでもあった。
こうして松山駅にたどり着いたのは午後三時を過ぎた頃であったであろうか。松山市は愛媛県の県庁所在地だと云うのに松山駅は非常にこじんまりとしていてちょっと私は拍子抜けしてしまった。ただ松山駅の改修工事はなされているようで、数年後には真新しい近代的な駅舎が出来てしまうのだとすれば、今ある牧歌的で旧時代的な駅舎を見られた事は得難い事のような気もした。その駅前にはこれから道後温泉に向かうであろう団体旅行の観光客が陣取っていてここで私は「ああ遂に松山市へ来たのだなぁ」なんて実感しながらも大学生と思しきカップルが仲良く連れ添っている場面を見て深い嫉妬も沸く。願わくば私も恋人と共に道後温泉を訪れてみたいものだが今の私には恋人はいないのだ。ちなみに私がこの初日に宿泊するのは道後温泉の近くにあるユースホステルだった。路面電車やバスを使用してそこへたどり着く方法もあったが地方都市へ旅行しに来た際には歩く事でその土地の雰囲気を味わう事を重視している私はスマートフォンのグーグルマップを駆使して目的地へと向かったのだった。道中やはり私の風体は周囲の注目を浴びているようで異様に人の視線を感じる。都会であればコスプレイヤーに対する見方は優しい物があると思われるが、地方では秩序を乱す異物としてしか見られていないのかもしれない。だが私は満足であった。昭和二十三年当時と今とでは七十四年の歳月の違いがあり松山市の風景は何もかも変わってしまったのだろうが、かつてこの街を旧制松山高校生達が歩いていた事に変わりはない。その街を今年三十歳になる私が旧制松山高校生(ほとんど応援団のようなスタイルでもあるが)の恰好をして歩いているのである。私にとってはただそれだけで満足であった。
目的のユースホステルは道後温泉の一角の丘の奥にあった。坂道を上った先に聳えていた四階建てぐらいの建物で築年数はかなりの年月が経っていそうである。チェックインの際伺ったところだと個室ではなく相部屋との事だったが今日も明日も私の他にそこで宿泊する客はいないようである。なので実質個室と云う事だ。他人のいびきや寝息がうるさくて寝られない事もある程音に神経質な私にとってはそれは僥倖であった。案内された部屋へ入ると私は早速和服を脱ぎジャージに着替えてベットに潜り込みひと眠りする事にした。思えば今日は午前三時に起きて始発電車に乗って来たのだから疲れていて当然だろう。関東の地から四国松山まで来るのは文明が発達し切った令和の世とは云え、一苦労なのである。
やがて目が覚めた私はユースホテルから提供された夕食を食べ終えると夜の松山の街へと繰り出した。勿論白線帽子を被り和服を着込んで旧制松山高校生になったつもりで。少し歩くと道後公園へとたどり着いたがこの時は公園内の夜桜がライトアップされていて屋台も出ており道後温泉に浸かりに来たカップルや家族連れで大変賑わっていたものだった。しばしそこで夜桜を眺めながら私はとりあえず松山城の城山公園まで歩いてみよう、とふと思い立った。するとそんな私を見てある老人夫婦が「珍しい恰好ですね?坊ちゃんの恰好でしょ?」と告げて来たので心の中で「いや夏目漱石の坊ちゃんじゃなくて早坂暁のダウンタウンヒーローズなんだけど」と思いつつ、苦笑いしながら「そうです」と言い私はその場を立ち去ったのである。
道後公園から約一時間程歩いたが、昼間も実感したように当然の事ながら映画「ダウンタウンヒーローズ」の中で観られるような風景は皆無であった。それはそうであろう。昭和二十三年当時はモータリゼーションさえ起きていないのだから。今でも松山市民の脚として親しまれている路面電車に往時の面影を見るのみである。しかしこの頬に当たる瀬戸内の生暖かいような夜風は昭和二十三年も令和四年の今も変わらないはずである。そう思うと私は何とも贅沢な体験をしているような気がして気分が高揚したものだった。
ようやく城山公園へとたどり着いたのは午後九時半頃の事だった。お堀端の夜桜も見事であったが、城山公園内のやすらぎ広場の中でライトアップされている夜桜は一段と壮観な眺めである。ここは市民の憩いの場として愛されているらしく松山市内の若者達が集っており、私はその風体によって彼らから注目を浴びちょっと気恥ずかしかった。おそらくインスタグラムにでも上げるのであろうが彼らは盛んにスマホで夜桜を撮りながら茣蓙を敷いた上で酒盛りをして笑いあっている。その様子を見て率直に私は羨ましさを感じ寂しさも同時に感じた。故郷から遠く離れた四国の地の風は暖かくて心地よいものの心の底までは優しく包んではくれなかった、と言えば大げさだろうか。その時の城山公園の闇に私は馴染めなかったのかもしれない。松山市に限らず知らない土地を夜中に一人で歩いていると異様に私は孤独感を抱えてしまう。夜桜の美しさを堪能しつつも言いようのない不安にも襲われそうになった私はそそくさとユースホステルへと戻って眠ったのだった。
「ダウンタウンヒーローズ」は脚本家の早坂尭氏の自伝的小説で昭和六十三年に中村橋之助(八代目の中村芝翫)主演で映画化されている。内容は昭和二十三年の旧制松山高校生達の青春を描いた物語になっているが映画と小説では大分話が異なるのでどちらが良いかは人それぞれできっと分かれるに違いない。ちなみに「旧制松山高校」なので現在この学校はない。「旧制松山高校」に限らず旧制高校は昭和二十五年に全て廃止されてしまったのである。太平洋戦争の敗戦後のGHQの占領による6・3・3・4制施行の教育改革の下に廃校の運命を辿る事になった存在で当然1992年生まれの私にとっては縁遠いのだが、私はこの映画を観ていて何だか懐かしくて愛しい気持ちになった事をよく覚えているのだ。それは白線帽子を被りマントを羽織って寮歌を放歌高吟して街を闊歩している旧制高校生の独特の雰囲気に対する憧れと中村橋之助が演じる主人公が薬師丸ひろ子が演じるアガーテと呼ばれる女学生に初恋をする物語だからだろうか。私もこの主人公と同じ19歳の頃に地元東村山市の合気道の道場に通っており、そこの七歳年上の先輩に初恋をしたのだが、あっさりとフラれた経験がある。映画でも主人公とアガーテは結局恋人として結ばれなかった。そんなところが私の心を捉えて離さなかったのだろう。
さてこのように映画「ダウンタウンヒーローズ」に魅せられてしまった私はそのロケ地廻りをしにはるばる四国の地にやって来たのだった。岡山駅で新幹線を降り、そこから在来線での車中では私は瀬戸内海の景色の美しさと四国の所々に咲き誇る桜の木に見惚れていた。太平洋の黒々として波が荒い海と違い瀬戸内海の海は静謐な雰囲気の波間に太陽の光が穏やかに照っていて関東の海しか基本的には知らない私にとっては新鮮且つ優しい印象があった。それは桜に関しても同じで四国に咲く桜は関東の桜と違って桜の木の本数が多く、満開だった事も相俟って豪奢と言ってもいい程の様態であった。たまに国道を歩いているお遍路が目に映る事も風情があっていい。なんだか私はこの段階で四国という土地が気に入ってしまったようで、まだ見ぬ松山市への期待感で胸が高鳴ったようでもあった。
こうして松山駅にたどり着いたのは午後三時を過ぎた頃であったであろうか。松山市は愛媛県の県庁所在地だと云うのに松山駅は非常にこじんまりとしていてちょっと私は拍子抜けしてしまった。ただ松山駅の改修工事はなされているようで、数年後には真新しい近代的な駅舎が出来てしまうのだとすれば、今ある牧歌的で旧時代的な駅舎を見られた事は得難い事のような気もした。その駅前にはこれから道後温泉に向かうであろう団体旅行の観光客が陣取っていてここで私は「ああ遂に松山市へ来たのだなぁ」なんて実感しながらも大学生と思しきカップルが仲良く連れ添っている場面を見て深い嫉妬も沸く。願わくば私も恋人と共に道後温泉を訪れてみたいものだが今の私には恋人はいないのだ。ちなみに私がこの初日に宿泊するのは道後温泉の近くにあるユースホステルだった。路面電車やバスを使用してそこへたどり着く方法もあったが地方都市へ旅行しに来た際には歩く事でその土地の雰囲気を味わう事を重視している私はスマートフォンのグーグルマップを駆使して目的地へと向かったのだった。道中やはり私の風体は周囲の注目を浴びているようで異様に人の視線を感じる。都会であればコスプレイヤーに対する見方は優しい物があると思われるが、地方では秩序を乱す異物としてしか見られていないのかもしれない。だが私は満足であった。昭和二十三年当時と今とでは七十四年の歳月の違いがあり松山市の風景は何もかも変わってしまったのだろうが、かつてこの街を旧制松山高校生達が歩いていた事に変わりはない。その街を今年三十歳になる私が旧制松山高校生(ほとんど応援団のようなスタイルでもあるが)の恰好をして歩いているのである。私にとってはただそれだけで満足であった。
目的のユースホステルは道後温泉の一角の丘の奥にあった。坂道を上った先に聳えていた四階建てぐらいの建物で築年数はかなりの年月が経っていそうである。チェックインの際伺ったところだと個室ではなく相部屋との事だったが今日も明日も私の他にそこで宿泊する客はいないようである。なので実質個室と云う事だ。他人のいびきや寝息がうるさくて寝られない事もある程音に神経質な私にとってはそれは僥倖であった。案内された部屋へ入ると私は早速和服を脱ぎジャージに着替えてベットに潜り込みひと眠りする事にした。思えば今日は午前三時に起きて始発電車に乗って来たのだから疲れていて当然だろう。関東の地から四国松山まで来るのは文明が発達し切った令和の世とは云え、一苦労なのである。
やがて目が覚めた私はユースホテルから提供された夕食を食べ終えると夜の松山の街へと繰り出した。勿論白線帽子を被り和服を着込んで旧制松山高校生になったつもりで。少し歩くと道後公園へとたどり着いたがこの時は公園内の夜桜がライトアップされていて屋台も出ており道後温泉に浸かりに来たカップルや家族連れで大変賑わっていたものだった。しばしそこで夜桜を眺めながら私はとりあえず松山城の城山公園まで歩いてみよう、とふと思い立った。するとそんな私を見てある老人夫婦が「珍しい恰好ですね?坊ちゃんの恰好でしょ?」と告げて来たので心の中で「いや夏目漱石の坊ちゃんじゃなくて早坂暁のダウンタウンヒーローズなんだけど」と思いつつ、苦笑いしながら「そうです」と言い私はその場を立ち去ったのである。
道後公園から約一時間程歩いたが、昼間も実感したように当然の事ながら映画「ダウンタウンヒーローズ」の中で観られるような風景は皆無であった。それはそうであろう。昭和二十三年当時はモータリゼーションさえ起きていないのだから。今でも松山市民の脚として親しまれている路面電車に往時の面影を見るのみである。しかしこの頬に当たる瀬戸内の生暖かいような夜風は昭和二十三年も令和四年の今も変わらないはずである。そう思うと私は何とも贅沢な体験をしているような気がして気分が高揚したものだった。
ようやく城山公園へとたどり着いたのは午後九時半頃の事だった。お堀端の夜桜も見事であったが、城山公園内のやすらぎ広場の中でライトアップされている夜桜は一段と壮観な眺めである。ここは市民の憩いの場として愛されているらしく松山市内の若者達が集っており、私はその風体によって彼らから注目を浴びちょっと気恥ずかしかった。おそらくインスタグラムにでも上げるのであろうが彼らは盛んにスマホで夜桜を撮りながら茣蓙を敷いた上で酒盛りをして笑いあっている。その様子を見て率直に私は羨ましさを感じ寂しさも同時に感じた。故郷から遠く離れた四国の地の風は暖かくて心地よいものの心の底までは優しく包んではくれなかった、と言えば大げさだろうか。その時の城山公園の闇に私は馴染めなかったのかもしれない。松山市に限らず知らない土地を夜中に一人で歩いていると異様に私は孤独感を抱えてしまう。夜桜の美しさを堪能しつつも言いようのない不安にも襲われそうになった私はそそくさとユースホステルへと戻って眠ったのだった。
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