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午前九時~午前十時。
最後の抵抗を試みる椎崎中佐と芹沢鴨
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しかしながら宮城で監禁されていた下村情報局総裁と川本秘書官の二人は鈴木首相が内閣総辞職を考えている事など露知らず、首相官邸では夜通し閣議が続いているものだと錯覚し、朝食も取らずに宮城から首相官邸へと移動した。だが首相官邸へと到着してみると正門は木っ端微塵に破壊され、見渡す限り窓は割られていた。ここにも反乱軍がやって来た事は明らかであった。用心深い下村情報局総裁は自らが先ず入る事はせずに川本秘書官に単独で首相官邸を探索させる事とした。中に入ってみるとどうやら人っ子一人いない様子である。当然閣議など行われていない事はよく知れた。
下村情報局総裁や川本秘書官と入れ替わるようにして宮城へ戻ってきたのが畑中少佐と芹沢鴨だった。二人は椎崎中佐が待機している警備司令部の近くの桜田門から宮城へと入った。幸い桜田門は警備が手薄だったので難なく入る事が出来たのである。警備司令部へと入ると椎崎中佐が目を爛々とさせて出迎えた。両手には数百枚ののビラを抱えている。椎崎中佐は何の躊躇いもなく「ビラを撒いて民間人に決起を促そう。早くやろう」と畑中少佐に言った。まるで参加する事は当然と云ったような物言いである。しかし畑中少佐はきっぱりと「申し訳ありませんが私は参加しません」と答えた。希望を失っていない男と希望を失った男の明暗がはっきりと分かれた瞬間だったと言っていい。椎崎中佐は唯一無二の同志の離反が信じられなくて愕然とした。
「どうしたんだよ、畑中。放送会館でも本土決戦を国民に訴える事は出来なかったようだし。このまま玉音放送が流れたら本当に敗戦だぞ。帝国陸海軍が解体されたら、おそらく永久に米軍が日本列島を占領する事になるだろう。それでいいのか?畑中。俺達は最後の最後まで抗うべきではないのか?」
「まぁそうでしょうけど・・・・」と畑中少佐は口ごもった。本当は阿南陸相自決の事実を椎崎中佐にも伝えるべきなのかもしれないが、それを伝えた時椎崎中佐の精神が崩壊するような気がして出来なかったのである。要はビラを撒く事に協力する気にはなれなかったが、そのやる気を削ぐような事はしたくなかったのだった。その二人の微妙な空気感を察して芹沢鴨は
「仕方あるまい。椎崎君、俺が一緒に撒くよ」と言った。阿南陸相の自決を知って全てを諦めた畑中少佐の気持ちも、椎崎中佐の飽くまでも本土決戦を望む気持ちも両方理解出来た芹沢鴨は妥協策として自身がビラ撒きに参加する事で決着させようとしたのである。そして二人は「二重橋と坂下門の間の芝生で待っている」と言い残した畑中少佐と別れて宮城の外へと駆け出した。芹沢鴨は馬に乗り、椎崎中佐はサイドカーに乗り込んで宮城の外へと向かったのである。二人は宮城周辺の麹町区を走れるだけは走った。しかし二人の目に映ってくるのは瓦礫と炭の廃墟と化したビルや木造家屋の跡地ばかりで、いくらビラを撒いても群がってくる民間人は誰一人としていなかった。それはまごうことなき敗戦国の姿だった。
陸相官邸に阿南陸相の妻で竹下中佐の姉である阿南綾子が到着したのは午前九時四十分頃の事だった。出迎えたのは憲兵下士官で一枚の置き手紙を渡してきた。それは竹下中佐からのもので竹下中佐が憲兵司令官に姉が来たら渡すようにと言伝していたのである。見れば「義兄さんは姉さんの事を愛している、今まで支えてくれてありがとうと言っていました。義兄さんは敗戦の大罪を償う為に自決したようです。正直愚かだと思いました。生きて敗戦の大罪を償ってこそ本物であろうと、そう義兄さんに説いたのですが通じませんでした。義兄さんの気持ちを翻意させる事が出来ず申し訳ありません」と記してある。阿南夫人は慟哭した。
下村情報局総裁や川本秘書官と入れ替わるようにして宮城へ戻ってきたのが畑中少佐と芹沢鴨だった。二人は椎崎中佐が待機している警備司令部の近くの桜田門から宮城へと入った。幸い桜田門は警備が手薄だったので難なく入る事が出来たのである。警備司令部へと入ると椎崎中佐が目を爛々とさせて出迎えた。両手には数百枚ののビラを抱えている。椎崎中佐は何の躊躇いもなく「ビラを撒いて民間人に決起を促そう。早くやろう」と畑中少佐に言った。まるで参加する事は当然と云ったような物言いである。しかし畑中少佐はきっぱりと「申し訳ありませんが私は参加しません」と答えた。希望を失っていない男と希望を失った男の明暗がはっきりと分かれた瞬間だったと言っていい。椎崎中佐は唯一無二の同志の離反が信じられなくて愕然とした。
「どうしたんだよ、畑中。放送会館でも本土決戦を国民に訴える事は出来なかったようだし。このまま玉音放送が流れたら本当に敗戦だぞ。帝国陸海軍が解体されたら、おそらく永久に米軍が日本列島を占領する事になるだろう。それでいいのか?畑中。俺達は最後の最後まで抗うべきではないのか?」
「まぁそうでしょうけど・・・・」と畑中少佐は口ごもった。本当は阿南陸相自決の事実を椎崎中佐にも伝えるべきなのかもしれないが、それを伝えた時椎崎中佐の精神が崩壊するような気がして出来なかったのである。要はビラを撒く事に協力する気にはなれなかったが、そのやる気を削ぐような事はしたくなかったのだった。その二人の微妙な空気感を察して芹沢鴨は
「仕方あるまい。椎崎君、俺が一緒に撒くよ」と言った。阿南陸相の自決を知って全てを諦めた畑中少佐の気持ちも、椎崎中佐の飽くまでも本土決戦を望む気持ちも両方理解出来た芹沢鴨は妥協策として自身がビラ撒きに参加する事で決着させようとしたのである。そして二人は「二重橋と坂下門の間の芝生で待っている」と言い残した畑中少佐と別れて宮城の外へと駆け出した。芹沢鴨は馬に乗り、椎崎中佐はサイドカーに乗り込んで宮城の外へと向かったのである。二人は宮城周辺の麹町区を走れるだけは走った。しかし二人の目に映ってくるのは瓦礫と炭の廃墟と化したビルや木造家屋の跡地ばかりで、いくらビラを撒いても群がってくる民間人は誰一人としていなかった。それはまごうことなき敗戦国の姿だった。
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