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午前七時~午前八時。
全てを諦めた畑中少佐と芹沢鴨
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畑中少佐らが向かった陸相官邸では阿南陸相が完全に息絶えたところだった。阿南陸相の自決は壮絶で割腹した後首の頸動脈も深く刺したが、未だ意識は途絶えず何十分間も朦朧としていたので最後は竹下中佐が介錯する事で止めを刺した形だった。竹下中佐は阿南陸相の遺言通り遺体の上に阿南陸相の軍服を掛けた。その軍服には天皇から下賜された勲章が全て貼り付けられている。阿南陸相が自決の際着用した白シャツは真っ赤に染まったが、それは元々天皇が召していたもので特別に天皇から阿南陸相に拝領されたのだと云う。竹下中佐はどこまでも天皇に忠義を尽くそうとした阿南陸相を帝国軍人の鑑だとは思ったものの、天皇だけに忠誠を尽くす軍隊では国民は守れないだろうと今更ながらに思った。事実この戦争はサイパン島陥落以降天皇の地位の保全を巡って連合国側と何度も和平工作を試み、失敗してきたのである。もっと早く敗戦していれば人命は計り知れない程救えたかもしれないのだ。天皇一人の命の為に何百万人もの同胞が亡くなった事実に竹下中佐はうそ寒いものを感じた。それから竹下中佐は阿南陸相の私邸に連絡を入れた。家族に阿南陸相が自決した事を伝え、陸相官邸まで遺体を引き取りに来る事を頼んだのだった。電話に出たのは阿南陸相の妻である自身の姉だった。「義兄さんは自決したよ。遺体は陸相官邸にある」と伝えるだけがやっとであった。電話を終えて竹下中佐は最終段階へと入った。事後報告を行いに陸軍省へと向かったのである。一方で井田中佐はまた宮城へと戻っていた。陸相官邸は遺体となった阿南陸相と見張りの憲兵下士官がいるだけである。
さて宮城のクーデターもいよいよ最終段階へと入った模様である。警備司令部の近くの粗末な小屋の一室に監禁されていた大橋会長や下村情報局総裁らの捕虜も田中軍司令官が宮城に到着して以降、偽の近衛師団命令が解かれた為に一斉に解放される事となった。一晩中狭い部屋に閉じ込められ、おまけに窓も暗幕が垂下げられて閉塞感で息が詰まりそうな思いをしてきた後だっただけに晴天の青空の下に立った爽快感は皆ひとしおであった。その青空は敗戦の日に全く相応しくない程青く澄み切っている。だが今日は大日本帝国にとって全く晴れ晴れしくない一日であるので、歴史の悪戯を感じる者も少なからずいた。田中軍司令官が御文庫に到着した後、宮城内を歩いて大橋会長を探していた日本放送協会の演芸部員である森永武治はこの時解放された一団の中に大橋会長の姿を認めた。ここでやっと森永部員は放送会館が兵隊達によって占拠されたと云う特命情報を大橋会長に伝える事が出来たのだった。
クーデターを無事鎮圧した立役者である田中軍司令官は御文庫で藤田侍従長に挨拶とクーデターを止められなかった反省の弁を述べた後宮内省へと向かった。宮内省では未だ近衛兵達が玉音盤探しに躍起となっていた。しかしそれも田中軍司令官が宮内省に到着して、中にいる大隊長を呼び出し事の真相を明かすと立ちどころに反乱は収まっていく。まず田中軍司令官は宮内省に入ると蓮沼蕃(しげる)侍従武官長を探した。ところが蓮沼侍従武官長の姿は武官長室には見当たらなかった。それはそうである。蓮沼侍従武官長は古賀参謀が軟禁していたのだから。その事を近衛兵から伝えられた田中軍司令軍は古賀参謀が待機する一室へと急いだ。田中軍司令官はその一室の前に着くと扉を強くノックして「開けろ!」と怒鳴った。中からは古賀参謀と見られる人間の声で「入るな」と返答があった。数回同じように「開けろ!」「入るな」と問答が続いた後埒が明かないと思った田中軍司令官は軍刀でドアノブを叩きつけて破壊し中へと入った。目に映ったのは古賀参謀が蓮沼侍従武官長を跪かせて軍刀を首に突き付けている姿だった。古賀参謀は
「これ以上近づくな。近づいたら侍従武官長を斬るぞ!」と威嚇した。構わず田中軍司令官は
「東部軍の田中軍司令官だ!直ぐに蓮沼侍従武官長を解放しろ」と呼びかけたが古賀参謀は全く応じようとしない。むしろ
「解放などするものか、それより玉音盤は宮内省のどこにあるか!教えろ!」と怯まないのである。既に田中軍司令官との階級の差も忘れているようであった。また良く見れば蓮沼侍従武官は老齢である事も関係して疲労困憊と云った様子であり、昨夜も人質となっていた事からよく眠っていないのだろう。このまま放っておけば蓮沼侍従武官は衰弱死してしまうかもしれないと思った田中軍司令官は思い切った行動に出た。ピストルで古賀少佐を撃ち殺したのである。それは一瞬の出来事だった。弾丸が古賀少佐の額を撃ち抜いて息の根を止めた事を確認し終えて田中軍司令官は蓮沼侍従武官長を保護した。蓮沼侍従武官長は息も絶え絶えに「すまぬ」と言い、憔悴しきっているのにも拘わらず押し止める田中軍司令官を振り切って御文庫へと向かった。天皇に宮城事件について報告する為にである。田中軍司令官の立場では天皇には拝謁出来ないのだった。午前七時三十五分頃蓮沼侍従武官長は御文庫で天皇に拝謁し、森師団長が殺害され、偽の近衛師団命令が反乱将校達によって発令された事実を伝えた。実は天皇はこれまでずっと寝ていた。結局蓮沼侍従武官長が拝謁に来たと云う事で渋々起きたのである。青年将校達が真剣に祖国と天皇の前途を憂いて反乱まで起こしたのに天皇は我関せず焉と云った様子で寝ていたのである。無責任と云うよりも一人の人間を神と崇めて元首とし国家運営を行う形態は滑稽且つ現実性に乏しいと云う事例の良い例ではないだろうか。天皇は敗戦等さらさら気にしていなかったのだ。明治維新以来イギリスやイギリス王室と密接な関係を持った天皇家は恐らく連合国側から敗戦後の天皇の地位の保全に関する確約を取ったから敗戦したのだろう。決して原爆投下やソ連参戦によってこれ以上の国民の犠牲を生みたくないが為に敗戦した訳ではないのだ。
丁度時を同じくして陸相官邸には畑中少佐らが到着したところだった。玄関口で大声で「畑中少佐です」と名乗ったものの何の返事もない。しばらくして見張りの憲兵下士官がやって来「お待ちしておりました」と言った。竹下中佐や井田中佐は憲兵下士官に畑中少佐がやって来たら阿南陸相の遺体を見せるようにと言伝していたのである。畑中少佐は芹沢鴨と共に陸相官邸内へと足を踏み入れた。だが玄関を上がってすぐ強烈に血の匂いがした。容易に大量の血が流れた事が想像出来る程にである。畑中少佐の悪い予感は当たった。縁側に面した一室に軍服を掛けられて仰向けになっている人がいる。顔に掛けられた白い布を取ってみるとやはりそれは阿南陸相の顔であった。畑中少佐は暗然とした。芹沢鴨も屈んでいる畑中少佐の上から覗き込むようにして阿南陸相の顔を見て「この方が阿南陸相か?」と聞いた。無骨な面構えがどことなく憎かった近藤勇に似ていなくもない。畑中少佐は「そうだ」と言い、それから
「もうこれまでだ。阿南陸相が死んでしまった以上我々のクーデターを義挙として承認してくれる立場の人はもういない」と呟いた。既に畑中少佐には先頃まで剥き出しにしていた闘争心はまるで見られず、希望を全く持たない敗残者の顔となっていた。その姿を見て芹沢鴨は
「空しいな」と思わず言ってしまった。これまでの東奔西走の働きが全て水の泡となってしまった事実にうんざりしてしまったのである。それは畑中少佐も同様だったようで
「全くだ」と言い、さらに
「いや本当に空しいな。明治維新以来薩摩や長州に日本は支配されてきたが、それがたった一日でアメリカが支配する戦後日本に変わってしまったような気がする。たった一日だよ。それだけの為に我が同胞は何百万人と死んでいったのだから。阿南陸相が自決する前に玉音盤さえ奪取して破壊する事が出来れば我々は歴史の流れを大きく変えてしまえたのに。無念だなぁ」とも付け加えた。そして途端にむせび泣くのである。しかし湿っぽい事が嫌いな芹沢鴨は畑中少佐を励ますでもなく
「おい、これからどうする?」と今後の去就を尋ねた。まさかここでずっと阿南陸相の遺骸と過ごすはずもなかろうと思ったからである。すると畑中少佐は意外な言葉を口にした。自身も自決すると云うのである。
「ここでか?」と芹沢鴨は聞くと畑中少佐は
「いや、宮城に戻ってそこで自決したいと思う。陛下に敗戦の大罪とクーデターを起こした罪を謝罪した上で自決したいのだ。かくなる上は芹沢殿に介錯を頼みたい。よろしいか?」と言うのである。芹沢鴨は「恐らく天子様は畑中君の事など全く気にかけてはいないだろう」と思ったがそれを口にはせず
「相分かった」とだけ言った。これ以上畑中と云う勇者を傷つけたくなかったからである。と同時に芹沢鴨もこれ以上ポツダム宣言受諾阻止に向けて工作する気は失せた。井田中佐、椎崎中佐、畑中少佐と云った水戸天狗組時代の同志達と比べても全く遜色ない程の憂国の士と出会えた事で満足する事としたのである。現世にいられる刻限もあと残りわずかである。二人は陸相官邸を後にして宮城へと戻っていったのだった。
さて宮城のクーデターもいよいよ最終段階へと入った模様である。警備司令部の近くの粗末な小屋の一室に監禁されていた大橋会長や下村情報局総裁らの捕虜も田中軍司令官が宮城に到着して以降、偽の近衛師団命令が解かれた為に一斉に解放される事となった。一晩中狭い部屋に閉じ込められ、おまけに窓も暗幕が垂下げられて閉塞感で息が詰まりそうな思いをしてきた後だっただけに晴天の青空の下に立った爽快感は皆ひとしおであった。その青空は敗戦の日に全く相応しくない程青く澄み切っている。だが今日は大日本帝国にとって全く晴れ晴れしくない一日であるので、歴史の悪戯を感じる者も少なからずいた。田中軍司令官が御文庫に到着した後、宮城内を歩いて大橋会長を探していた日本放送協会の演芸部員である森永武治はこの時解放された一団の中に大橋会長の姿を認めた。ここでやっと森永部員は放送会館が兵隊達によって占拠されたと云う特命情報を大橋会長に伝える事が出来たのだった。
クーデターを無事鎮圧した立役者である田中軍司令官は御文庫で藤田侍従長に挨拶とクーデターを止められなかった反省の弁を述べた後宮内省へと向かった。宮内省では未だ近衛兵達が玉音盤探しに躍起となっていた。しかしそれも田中軍司令官が宮内省に到着して、中にいる大隊長を呼び出し事の真相を明かすと立ちどころに反乱は収まっていく。まず田中軍司令官は宮内省に入ると蓮沼蕃(しげる)侍従武官長を探した。ところが蓮沼侍従武官長の姿は武官長室には見当たらなかった。それはそうである。蓮沼侍従武官長は古賀参謀が軟禁していたのだから。その事を近衛兵から伝えられた田中軍司令軍は古賀参謀が待機する一室へと急いだ。田中軍司令官はその一室の前に着くと扉を強くノックして「開けろ!」と怒鳴った。中からは古賀参謀と見られる人間の声で「入るな」と返答があった。数回同じように「開けろ!」「入るな」と問答が続いた後埒が明かないと思った田中軍司令官は軍刀でドアノブを叩きつけて破壊し中へと入った。目に映ったのは古賀参謀が蓮沼侍従武官長を跪かせて軍刀を首に突き付けている姿だった。古賀参謀は
「これ以上近づくな。近づいたら侍従武官長を斬るぞ!」と威嚇した。構わず田中軍司令官は
「東部軍の田中軍司令官だ!直ぐに蓮沼侍従武官長を解放しろ」と呼びかけたが古賀参謀は全く応じようとしない。むしろ
「解放などするものか、それより玉音盤は宮内省のどこにあるか!教えろ!」と怯まないのである。既に田中軍司令官との階級の差も忘れているようであった。また良く見れば蓮沼侍従武官は老齢である事も関係して疲労困憊と云った様子であり、昨夜も人質となっていた事からよく眠っていないのだろう。このまま放っておけば蓮沼侍従武官は衰弱死してしまうかもしれないと思った田中軍司令官は思い切った行動に出た。ピストルで古賀少佐を撃ち殺したのである。それは一瞬の出来事だった。弾丸が古賀少佐の額を撃ち抜いて息の根を止めた事を確認し終えて田中軍司令官は蓮沼侍従武官長を保護した。蓮沼侍従武官長は息も絶え絶えに「すまぬ」と言い、憔悴しきっているのにも拘わらず押し止める田中軍司令官を振り切って御文庫へと向かった。天皇に宮城事件について報告する為にである。田中軍司令官の立場では天皇には拝謁出来ないのだった。午前七時三十五分頃蓮沼侍従武官長は御文庫で天皇に拝謁し、森師団長が殺害され、偽の近衛師団命令が反乱将校達によって発令された事実を伝えた。実は天皇はこれまでずっと寝ていた。結局蓮沼侍従武官長が拝謁に来たと云う事で渋々起きたのである。青年将校達が真剣に祖国と天皇の前途を憂いて反乱まで起こしたのに天皇は我関せず焉と云った様子で寝ていたのである。無責任と云うよりも一人の人間を神と崇めて元首とし国家運営を行う形態は滑稽且つ現実性に乏しいと云う事例の良い例ではないだろうか。天皇は敗戦等さらさら気にしていなかったのだ。明治維新以来イギリスやイギリス王室と密接な関係を持った天皇家は恐らく連合国側から敗戦後の天皇の地位の保全に関する確約を取ったから敗戦したのだろう。決して原爆投下やソ連参戦によってこれ以上の国民の犠牲を生みたくないが為に敗戦した訳ではないのだ。
丁度時を同じくして陸相官邸には畑中少佐らが到着したところだった。玄関口で大声で「畑中少佐です」と名乗ったものの何の返事もない。しばらくして見張りの憲兵下士官がやって来「お待ちしておりました」と言った。竹下中佐や井田中佐は憲兵下士官に畑中少佐がやって来たら阿南陸相の遺体を見せるようにと言伝していたのである。畑中少佐は芹沢鴨と共に陸相官邸内へと足を踏み入れた。だが玄関を上がってすぐ強烈に血の匂いがした。容易に大量の血が流れた事が想像出来る程にである。畑中少佐の悪い予感は当たった。縁側に面した一室に軍服を掛けられて仰向けになっている人がいる。顔に掛けられた白い布を取ってみるとやはりそれは阿南陸相の顔であった。畑中少佐は暗然とした。芹沢鴨も屈んでいる畑中少佐の上から覗き込むようにして阿南陸相の顔を見て「この方が阿南陸相か?」と聞いた。無骨な面構えがどことなく憎かった近藤勇に似ていなくもない。畑中少佐は「そうだ」と言い、それから
「もうこれまでだ。阿南陸相が死んでしまった以上我々のクーデターを義挙として承認してくれる立場の人はもういない」と呟いた。既に畑中少佐には先頃まで剥き出しにしていた闘争心はまるで見られず、希望を全く持たない敗残者の顔となっていた。その姿を見て芹沢鴨は
「空しいな」と思わず言ってしまった。これまでの東奔西走の働きが全て水の泡となってしまった事実にうんざりしてしまったのである。それは畑中少佐も同様だったようで
「全くだ」と言い、さらに
「いや本当に空しいな。明治維新以来薩摩や長州に日本は支配されてきたが、それがたった一日でアメリカが支配する戦後日本に変わってしまったような気がする。たった一日だよ。それだけの為に我が同胞は何百万人と死んでいったのだから。阿南陸相が自決する前に玉音盤さえ奪取して破壊する事が出来れば我々は歴史の流れを大きく変えてしまえたのに。無念だなぁ」とも付け加えた。そして途端にむせび泣くのである。しかし湿っぽい事が嫌いな芹沢鴨は畑中少佐を励ますでもなく
「おい、これからどうする?」と今後の去就を尋ねた。まさかここでずっと阿南陸相の遺骸と過ごすはずもなかろうと思ったからである。すると畑中少佐は意外な言葉を口にした。自身も自決すると云うのである。
「ここでか?」と芹沢鴨は聞くと畑中少佐は
「いや、宮城に戻ってそこで自決したいと思う。陛下に敗戦の大罪とクーデターを起こした罪を謝罪した上で自決したいのだ。かくなる上は芹沢殿に介錯を頼みたい。よろしいか?」と言うのである。芹沢鴨は「恐らく天子様は畑中君の事など全く気にかけてはいないだろう」と思ったがそれを口にはせず
「相分かった」とだけ言った。これ以上畑中と云う勇者を傷つけたくなかったからである。と同時に芹沢鴨もこれ以上ポツダム宣言受諾阻止に向けて工作する気は失せた。井田中佐、椎崎中佐、畑中少佐と云った水戸天狗組時代の同志達と比べても全く遜色ない程の憂国の士と出会えた事で満足する事としたのである。現世にいられる刻限もあと残りわずかである。二人は陸相官邸を後にして宮城へと戻っていったのだった。
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