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午前六時~午前七時。

田中軍司令官、宮城に到着す

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 四面楚歌となった御文庫ではこの状況をどう切り抜けるかが焦点となっていた。椎崎中佐ははっきりと「御文庫へ連れて行け。陛下に会わせろ」と言ったし、周囲を機関銃を据えて占拠している兵隊達の有り様を見ても天皇を奪取する為に御文庫へと乗り込んでくる事は明らかである。その際陛下に流れ弾が当たる可能性もなきにしもあらずであり、いち早く天皇を安全な場所へと移す事は喫緊の課題だった。するとここに突然の訪問者が現れた。三井侍従と宮城にいる録音関係者である大橋会長に特命を伝えに来た日本放送協会の演芸部員の森永武治である。森永演芸部員は宮城に入るなり近衛兵がうろついている中にあって三井侍従と出会い、三井侍従に引き連れられてここにやって来たのだった。二人はやってくるなりこれまで見てきたあらましを入江侍従や戸田侍従に話した。特に森永演芸部員の証言が大きかった。今日は平時と宮城の様相が異なっていたので、乾門や坂下門や大手門など一通りの宮城の門を確かめたが乾門から田中軍司令官らしき人物が入っていくのを見た云うのである。自身は比較的警備がゆるいと見た桔梗門から入ってきたと云う。戸田侍従達はそれを聞いて喝采した。

 当の田中軍司令官は師団司令部を離れて御文庫へと行こうとした矢先に芳賀連隊長と遭遇した。芳賀連隊長は「森師団長は畑中少佐らによって殺され、今発令されている師団命令は反乱軍による偽命令らしいですが本当ですか?」と聞いた。田中軍司令官は「本当だ」と肯定し、「爾後この田中静壹が森師団長の代わりに近衛師団の指揮を執る。異存はないな?」と念を押し、芳賀連隊長は同意した。そして芳賀連隊長はすぐさま歩兵第二連隊にクーデターの真相を教える為に走り去っていった。こうして宮城の騒乱は急速に静まっていく事となる。それから田中軍司令官は御文庫へと続く一本道を走り出したが、間もなく北門付近になって行く手からランプを片手にこちらに向かってくる者があった。それは三井侍従であった。森永部員の証言から田中軍司令官が宮城に到着している事が分かったので迎えを出す事にしたのだった。その役割が三井侍従であったのである。三井侍従は暗がりの中で前から走って来る軍人の襟章を夜目に眺めて「ひょっとして田中軍司令官では?」と思った。それはその通りだった。軍人は三井侍従を見つけるなり
「私は東部軍の田中静壹軍司令官だ。貴方は侍従か?」と聞いたからである。三井侍従は待ってましたとばかりに
「はいそうです。田中軍司令官の事を首を長くして待っておりました。御文庫に一緒に来てくださいますか?」と言った。田中軍司令官は
「勿論だ」と頷き、二人は一緒に御文庫へと駆けていった。

 一方放送会館では緊迫状態が続いていた。放送員の館野守男が銃口を畑中少佐に向けていたが、畑中少佐は構わず説得を続けていた。曰く「このままポツダム宣言を受諾したら日本は永遠にアメリカの植民地となる事、それを阻止したいが為に我々は宮城でクーデターを起こしたと云う事。だからこそ最後にラジオで国民に本土決戦を行う事の意義と価値を伝えたいと云う事」などを懇々と説くのである。だが館野守男にしろ、その場にいた同僚である和田信賢(のぶかた)にしろ「空襲警報が発令されている間はあらゆる放送が出来ない。放送する場合には東部軍の許可がいる」の一点張りで畑中少佐のその要望を一蹴するのだった。また放送会館側は最悪の場合に備えて奥の手を使った。技術局の人間によって放送会館から放送所への連絡線を断たせたのだった。これでどうあがいても畑中少佐が国民に自らの主張を訴える事は不可能となってしまったのである。そんな中第十二スタジオに電話のベルが鳴った。恐る恐る和田信賢が取ると相手は東部軍の参謀だった。相手は畑中少佐に代わって欲しいとの事である。和田信賢は黙って畑中少佐に受話器を渡した。それから十分間程畑中少佐は一方的に自説を述べ立てて東部軍に放送の許可を仰いだ。既に当初の無鉄砲さは失せており、平身低頭して懇願する様子である。畑中少佐はひたすら「五分だけでいいんです。お願いです。五分間だけ我々に話させて下さい」と繰り返していた。ほとんどそれは駄々をこねる子供のようであった。その様子を近くで見ていた館野守男も和田信賢もこれ程までに敗戦を受け入れようとしない同胞がいる事に驚き呆れもしたが、最後の最後まで信念を貫き行動する姿には称賛したい気持ちにもなった。やがて畑中少佐は「えっ!」と大きな声を出して受話器を手から離した。受話器は事務机の上に落ちた。すかさず芹沢鴨が「どうした、畑中君?」と尋ねた。畑中少佐は戦慄きながら「阿南陸相が切腹されたらしい」と一言漏らした。おそらく陸相官邸にいた竹下中佐か井田中佐が東部軍に阿南陸相の自決について電話で報告したのだろう。芹沢鴨は当然阿南陸相の事を知らないので「アナミリクショウ?それは偉大なお方なのか?」と聞き返した。畑中少佐は「例えるなら阿南陸相は我が帝国陸軍にとって芹沢殿の故郷の水戸藩の藩主に当たるような方だ。宮城のクーデターがどうなろうと、陸軍大臣が亡くなってしまってはもう終わりだ」と言ってその場に座り込んだ。万策尽きたと云った様子である。これに芹沢鴨は全く動じず「諦めるな。取り合えずその阿南陸相が本当に切腹したのかどうか確かめに行くぞ。本当は切腹していないのかもしれないではないか。早く立て」と畑中少佐に軍刀を突きつけ半ば脅迫するようにして促した。畑中少佐は芹沢鴨の「本当は切腹していないかもしれないではないか」と云う言葉に反応した。確かにそれはそうかもしれない、と畑中少佐は思った。そして我々にクーデターを諦めさせる為に東部軍が阿南陸相が切腹したなどと云うデマを流した可能性はなきにしもあらずではないか、とも畑中少佐は思った。そう思ったら居ても立っても居られなくなった畑中少佐は芹沢鴨を引き連れて三宅坂の陸相官邸へと走り出した。

 佐々木武雄大尉率いる国民神風隊は鈴木首相の私邸を焼き討ちにした後、西大久保にある男爵の平沼騏一郎枢密院議長の私邸を訪れていた。今回も鈴木邸と同様平沼邸を焼き討ちにする肚だった。間一髪のところで逃れた鈴木首相はと云うと芝白金の実弟である鈴木孝雄大将の下に向かっていた。因みに鈴木孝雄大将は陸軍大将である。佐々木武雄大尉はありとあらゆうる和平派の、特に米英贔屓の要人を一人残らず抹殺するつもりだった。おそらく神奈川県大磯の吉田茂の邸や千葉県東葛飾郡田中村(現柏市)の牧野伸顕(のぶあき)の邸も焼き払おうと考えていただろう。つまりは本土決戦を止めようとする者は全て殺そうと云うのである。この時平沼邸は女中達がいるだけで平沼男爵はいなかった。平沼男爵は妻と共に近くを散歩しに行ったのだった。鈴木邸同様門を手榴弾で爆破した後、佐々木武雄大尉を先頭に国民神風隊は平沼邸へと突入した。女中達は見知らぬ兵隊達が土足で踏み込んできて、火をあちこちに付け始めたので慌てて逃げ出した。やがて火は鈴木邸と同じように立ちどころに燃え広がった。
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