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午前三時~午前四時。
玉音盤の奪取が開始される
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けれども取り合えず三井侍従は徳川侍従を起こしに行きそれから二人で武官室へ異変を報せに走った。中で眠っていた清家武夫侍従武官と中村俊久侍従武官は二人から起こされてそれを告げられるなり仰天してしまった。思わず「信じられない。何かの間違いではないか?」と清家侍従武官も中村侍従武官も口を揃えたが、三井侍従は「いやいや間違いない。窓の外では近衛兵が武装して走り回っていた」と口を酸っぱくして言うのである。事態を重く見た清家侍従武官と中村侍従武官は真っ先に蓮沼侍従武官長を起こしに行った。蓮沼侍従武官長も当初は二人と同じように「信じられない」と云う言葉を連呼したが、二人が「どうやら事実のようです」と告げると面前が真っ青になっていく。今から九年前の昭和十一年の二・二六事件をよく知る蓮沼侍従武官長にとっては宮城がクーデターの舞台となる事など想像するだに恐ろしかったからであろう。一方宮城の異変を武官側に知らせ終えた後、文官である三井侍従は次なる行動に出ようとしていた。即ち宮城の異変を天皇にも報せる為御文庫に行こうと云うのである。だが宮内省の表玄関は武装した近衛兵がうろつき回っているのでそこから御文庫までたどり着くのは容易ではない。仕方なく三井侍従は北口から出てみた。だが敢え無く巡回していた近衛兵に捕まり宮内省へ戻されてしまい、且つその際の近衛兵の迫力が凄まじかった為三井侍従は酷く萎縮してしまった。
一方で同じ宮城内にあって全く萎縮しておらず溌剌として動いている男もいた。希望を抱いて目を爛々と輝かせている男である。それは畑中少佐であった。畑中少佐は警備司令所の外でそれまで宮城内を走り回っていた古賀参謀と共に東部軍から舞い戻ってきた井田中佐を迎えた。警備司令部の中には椎崎中佐と芹沢鴨が控えている。井田中佐は憂い顔で開口一番
「もうダメだ。森師団長が殺害された事が東部軍にバレてしまった。もうじき田中大将が東部軍を率いて鎮圧軍として宮城に進軍してくるだろう。畑中、もう潮時だよ。止めよう」と言った。井田中佐は畑中と云う親友をこれ以上過った道に突き進ませたくなかったのである。しかし畑中少佐は井田中佐の心を汲まなかった。
「いや私は諦めません。今宮城は我々の手中にあると言っても過言ではないのです。天皇陛下もきっと我々の至誠の行為を理解して下さるはずです。私は天皇陛下に直諌しポツダム宣言の受諾について御翻意して頂くつもりです」と言ったからだ。井田中佐は
「馬鹿野郎!」と大喝すると同時に畑中少佐の左頬を右手で張ってしまった。そして
「お前は森師団長を殺してしまった事を忘れたのか!森師団長が殺害された事が近衛師団の兵隊達に発覚するのも時間の問題だろう。そうなればクーデターは水の泡だよ。畑中、止めよう。分かったよな?」と言い畑中少佐の反応を待った。しかし畑中少佐は何時までも無表情のまま口を開かない。痺れを切らした井田中佐は
「東部軍が来る前に絶対にクーデターを中止しろよ。俺はこれからまた別の所へ行くからこの場を離れるが、くれぐれも軽挙妄動などはするな」と告げ、自動車へ乗り込んだ。井田中佐はこの宮城内の騒乱について陸相官邸にいる阿南陸相に一応報告しに行こうと思ったのである。事ここに至って井田中佐は帝国陸軍の統率を完全に乱してしまった罪を痛感していた。やがて畑中少佐は井田中佐が乗り込んだ自動車を見送りながら傍にいた古賀参謀に対して
「古賀参謀、陛下の御声が入った玉音盤を隈なく探すんだ。そして玉音盤を破壊しろ。それはもしかしたら宮城の外の放送会館にあるかもしれないが、取り合えずまずは宮城内を探せ。徹底的に探すんだ」と命令した。東部軍が決起しない事が分かった以上既定の作戦は無謀と判断した畑中少佐は芹沢鴨が提案した「玉音盤の奪取と破壊」計画に乗ったのである。こうして「戦後日本」に対する最後で最大の反抗である玉音盤の奪取が開始された。
古賀参謀はまず玉音盤について放送局関係者から情報を聞き出そうとして「守備隊大隊本部」の入り口に赴き捕虜となっている矢部局長を呼び出してくるように部下の兵隊達に命じた。まもなく矢部局長は兵隊に引き立てられて古賀参謀の前に現れた。古賀参謀はピストルを矢部局長に向けながら単刀直入に聞いた。
「玉音の録音はもう済んだのか?」
「はい」
「玉音は明日の何時頃放送されるのか?」
「正午と伺っています」
「放送は宮内省からされるのか?それとも放送局でされるのか?」「放送局でされると聞いています」
「では玉音盤は放送局で管理しているのだな?」
「いや宮内省で管理していると思います」
「それは何故だ?何故放送局で放送するつもりなのに宮内省で管理しているのだ?」
「どうやら空襲の危険性も考慮してより安全が担保されている宮城で管理する事になったようです」
「なるほど」古賀参謀はこうして矢部局長とのやり取りから素直に合点がいったので目標を宮内省に定めた。そして古賀参謀は近くにいた相浦(あいうら)中隊長を呼び
「この矢部局長を案内人として宮内省に赴きそこで陛下の御声が入った玉音盤を探し出してこい。見つけ出したら丁重に扱い私に差し出すように」と指示するのだった。それを受けて相浦中隊長は矢部局長を先頭に歩かせ配下の兵隊達(約百名)に隊伍を組ませて宮内省へと向かった。一方で付近の警備司令部では畑中少佐と芹沢鴨と椎崎中佐らが玉音盤の奪取を待ち焦がれている。ただ芹沢鴨は待機している事が我慢出来ずに
「わしも玉音盤を探しに行きたい」と言ったが畑中少佐と椎崎中佐がそれを押し止めたので叶わなかった。ここで芹沢鴨が単独的に動いたとしてもリスクが大きくなるだけだと二人共熟知していたからである。
さてこれから騒ぎの中心となる宮内省では侍従達が慌ただしく立ち働いていた。その侍従の中の一人である戸田康英(やすひで)侍従はたまたま近衛兵の会話を盗み聞きした大金(おおがね)益次郎次官から先程「どうやら外の近衛兵達は木戸内大臣と石渡宮内大臣を捕まえたいようだ」と教えられた為三階の内大臣室へと階段を駆け上って行った。しかし内大臣室に入ってみると木戸内大臣はそんな事は予期していたとばかりに「慌てるな」と飽くまでも悠揚迫らざる態度である。それ故戸田侍従は思わず拍子抜けしてしまったものの執拗に早く逃げる事を提案した。けれども尻に火が付かない木戸内大臣は戸田侍従が「一刻も早く侍医室へ隠れましょう」と促すのに途中で便所へ入ったりとそんな余裕を見せているのである。するとその最中にも一階で兵隊達がガラスを叩き割っている音が聞こえてくる。どうやら相浦中隊長の率いる一隊が宮内省に突入したようであった。これに戸田侍従は切羽詰まったものを感じた為用を足している木戸内大臣を便所から引っ張り出して背中に背負い侍医室に運び込んでしまった。背中が木戸内大臣の小便で濡れてしまった事やそれにより木戸内大臣が激怒している事など気にも留めずにである。それは寸暇を惜しんだ末の決死の行為であった。片や石渡宮内大臣である。彼は徳川侍従に助けられる形となった。徳川侍従が侍従職事務官室の前の廊下を歩いていた際に石川秘書官に連れられて逃げ惑う石渡宮内大臣の一行に遭遇したからだった。聞いてみれば隠れる所を探していると言う。徳川義寛侍従には心当たりがあったのですぐそこへと誘導した。たどり着いたのは三階の女官の物置部屋でここから秘密の階段が地下の金庫室まで伸びているのだった。早速石渡宮内大臣と石川秘書官と猪喰(いくい)清一秘書官と護衛の二宮巡査の四人は階段を下って金庫室へと入って行った。
ところが宮城内の反乱は急速に終息へと向かっていく事になる。この頃宮城からそう隔たっていない東部軍司令部では参謀長の高嶋少将が近衛師団は東部軍の管轄であるが故に近衛師団の各部隊長を緊急に呼び出して、現今発令されている近衛師団命令は偽命令である事、森師団長は反乱企画者達によって殺されてしまった事、今後一時的に近衛師団の指揮は東部軍管区司令官が執る事、宮城と外部とを遮断している護衛部隊は直ぐにその警戒を解く事などを下達したからだ。クーデターが単に一部の暴徒達によって扇動された事が発覚し各部隊長達は愕然としてしまった。時を同じくして愕然とした者達に高嶋少将の配下の板垣参謀と不破参謀がある。彼らは森師団長が本当に殺害されているのか視察する為に近衛師団司令部の師団司令室へと入っていた。入る前には見張り役だった石原参謀と小競り合いがあったものの、無理やり石原参謀を押しやって部屋に入ってしまったのである。森師団長は確かに死んでいた。おまけにもう一人将校が死んでいるではないか。二人はその陰惨を極める現場を見て思わず固唾を呑んだ。
一方相浦中隊長率いる一隊はそんな事になっているとも露知らずに血眼になって宮内省を探索していた。鍵が掛かっている部屋があれば時間短縮の為窓ガラスを割りそこから侵入して捜索したし、行き違う侍従の一人一人に玉音盤の在りかを尋ねもした。しかし全く手掛かりが掴めないのである。この時戸田侍従や三井侍従には遭遇したが玉音盤を皇后官職事務官室の軽金庫に隠した徳川義寛侍従には会わなかった事が災いしたのだろう。次第に一隊の間を諦観が支配しつつあった。そして諦観を抱き始めたのは第二連隊の芳賀連隊長も同じであった。彼は一向に阿南陸相も森師団長も姿を見せない事に疑義を感じていた。畑中少佐も古賀参謀も私にクーデター計画を打ち明け説得する際に「阿南陸相と森師団長の了解は得た」とはっきりと申していたではないか。それがクーデターが始まって以来三時間近く経つのに何故まだ姿を見せないのか。芳賀連隊長は畑中少佐らが待機する警備司令部を訪ね不審な点を明らかにしようとした。しかし畑中少佐は御茶を濁して明確に答えようとしない。痺れを切らした芳賀連隊長は畑中少佐を怒鳴りつけると畑中少佐はのっぴきならない事を痛感したのか「森師団長は死んでしまった」と憮然として答えた。それに芳賀連隊長は呆然として二の句が継げなかった。だが畑中少佐はそんな芳賀連隊長を思いやる事なく
「森師団長の代わりに近衛師団を指揮して下さい」と頼んでくるではないか。芳賀連隊長は
「何を言うか。阿南陸相も来ない上に森師団長が死んでしまっているのではもうクーデターもへったくれもあるものか。早く兵を引くのだ」と一喝した。ただそれに反応したのは畑中少佐ではなかった。近くにいた芹沢鴨が
「何を言うか、貴様は!男が一度決めた事を反故にするなど言語道断だ。兵を引く事はわしが許さん。反対するなら今すぐ貴様を斬捨てるぞ」と怒髪天を衝く如く怒り狂ったからである。芳賀連隊長は仰天してしまい芹沢鴨の着用している軍服を見たが、近衛師団の兵隊でもない上に階級も下である。しかしその芹沢鴨の迫力は尋常ではなく芳賀連隊長は呆気に取られて絶句してしまった。
騒乱の坩堝と化している宮内省でも新たな動きがあった。侍従達が次なる行動を起こす為に対策を練っているのである。即ち三井侍従が思い立った、宮城内で反乱が起きている事を御文庫にいる天皇に伝えようと云う動きが本格化し始めたのである。二・二六事件の時も鎮圧軍を率いて率先してクーデターを鎮めたのは天皇であった。その天皇であれば今回の反乱も容易に鎮めてくれるのではないか?と侍従達は咄嗟に踏んだが故にである。しかしそれは簡単な事ではなかった。宮内省の周囲や御文庫までの主要な道は武装した近衛兵達が占拠しているからである。それ故御文庫まで行く事は生死を賭けた冒険とさえ言えた。伝達役となった戸田侍従や徳川侍従は仕方なく比較的近衛兵の動員が手薄と見た紅葉山トンネルから道灌濠を渡っていく新道を選んだ。ここは新道であったので近衛兵達が把握していなくて穴場だとも思ったからである。実際それは正解だった。穴場であるが故に二人に対してまともに誰何さえしない近衛兵しかおらず、二人は何ら危険な目に会う事もなく御文庫へとたどり着けたからである。二人は早速熟睡している入江侍従を叩き起こして陛下に宮城で反乱が起きている事実を伝えるように促した。
先刻宮城を離れた窪田少佐が陸相官邸に着いたのは午前三時四十五分頃の事だった。まず応対したのは竹下中佐で応接間で窪田少佐を迎えた。窪田少佐は宮城でクーデターが着々と進行している経緯を訴え阿南陸相の賛同を仰いだが、竹下中佐はそれには明確に反応せず森師団長が本当にクーデターに同意したのかどうかを尋ねた。しかし窪田少佐の答えは竹下中佐にとっては想定外のものであった。何しろ森師団長は畑中少佐によって射殺され、森師団長の傍にいた某将校も陸軍航空士官学校附の芹沢大尉と云う竹下中佐の知らない将校によって斬殺されたのだと云うではないか。竹下中佐は思わず耳を疑った。そしてこれではクーデターは台無しではないか、とさえ思った。やがて一通り宮城内で起きている事を報告し終えると窪田少佐は竹下中佐に阿南陸相の説得を強固に要請してその場を走り去って行った。因みに窪田少佐はその後宮城事件が終結してからも憲兵の捜索網を潜り抜けて徹底抗戦工作を続けた。最終的には畑中少佐の遺志を引き継ぐ形で九日後の八月二十四日に埼玉県川口市にて川口放送所占拠事件まで引き起こしている。結局竹下中佐にはなにやら窪田少佐が告げてきた内容も窪田少佐の行動も、突拍子もなく映りまるで台風に一人で遭遇したような気分になってしまったものだった。事態があらぬ方向へと進んでしまった事を重く受け止めた竹下中佐は臍を固めて宮城のクーデターについて洗いざらい阿南陸相に打ち明ける事に決めた。早速竹下中佐は阿南陸相がいる居間へと戻り、今窪田少佐から伝えられた事も含めて簡潔にクーデターについて説明をした。しかし阿南陸相は「そうか」と一言言ったきり酒を飲み干すばかりである。動揺は全くなくあくまでも泰然自若としている。竹下中佐は阿南陸相のその無言の圧力からクーデターに対しての阿南陸相の気持ちを斟酌したものの、はっきりとした言質を取りたいと思ったので「陸相はこのクーデターを陸軍大臣として承認して頂けますか?」と聞いた。無理を承知で敢えて聞いたのである。だが阿南陸相はそれには答えず「その森師団長の傍にいた某参謀を惨殺した陸軍航空士官学校附の芹沢大尉とやらをお前は見知っているのか?」と言った。どうやら白石中佐を斬り殺した芹沢鴨の事が気になっている様子である。竹下中佐は同じく陸軍航空士官学校附の上原重太郎大尉とは面識があったが芹沢鴨とは面識がなかったので、「芹沢大尉に関しては存じていません」と答えた。これに阿南陸相も「だよな?私も数ヶ月前に陸軍大臣として豊岡町の航空士官学校を視察した際にはそんな名前の大尉はいなかったはずなのだが・・・・。まぁいい。いずれにしろ森師団長が畑中によって殺された以上東部軍は決起しないだろうし、私としてもそれを認める事など出来ない。正彦、お前も畑中達の気持ちが痛い程分かるだろうが、男は潔さが大切だ。これ以上陛下を苦しめるな。分かったな?」と形相を変えて同意を迫ってくる。竹下中佐は「分かりました」と頷くばかりだった。
一方で同じ宮城内にあって全く萎縮しておらず溌剌として動いている男もいた。希望を抱いて目を爛々と輝かせている男である。それは畑中少佐であった。畑中少佐は警備司令所の外でそれまで宮城内を走り回っていた古賀参謀と共に東部軍から舞い戻ってきた井田中佐を迎えた。警備司令部の中には椎崎中佐と芹沢鴨が控えている。井田中佐は憂い顔で開口一番
「もうダメだ。森師団長が殺害された事が東部軍にバレてしまった。もうじき田中大将が東部軍を率いて鎮圧軍として宮城に進軍してくるだろう。畑中、もう潮時だよ。止めよう」と言った。井田中佐は畑中と云う親友をこれ以上過った道に突き進ませたくなかったのである。しかし畑中少佐は井田中佐の心を汲まなかった。
「いや私は諦めません。今宮城は我々の手中にあると言っても過言ではないのです。天皇陛下もきっと我々の至誠の行為を理解して下さるはずです。私は天皇陛下に直諌しポツダム宣言の受諾について御翻意して頂くつもりです」と言ったからだ。井田中佐は
「馬鹿野郎!」と大喝すると同時に畑中少佐の左頬を右手で張ってしまった。そして
「お前は森師団長を殺してしまった事を忘れたのか!森師団長が殺害された事が近衛師団の兵隊達に発覚するのも時間の問題だろう。そうなればクーデターは水の泡だよ。畑中、止めよう。分かったよな?」と言い畑中少佐の反応を待った。しかし畑中少佐は何時までも無表情のまま口を開かない。痺れを切らした井田中佐は
「東部軍が来る前に絶対にクーデターを中止しろよ。俺はこれからまた別の所へ行くからこの場を離れるが、くれぐれも軽挙妄動などはするな」と告げ、自動車へ乗り込んだ。井田中佐はこの宮城内の騒乱について陸相官邸にいる阿南陸相に一応報告しに行こうと思ったのである。事ここに至って井田中佐は帝国陸軍の統率を完全に乱してしまった罪を痛感していた。やがて畑中少佐は井田中佐が乗り込んだ自動車を見送りながら傍にいた古賀参謀に対して
「古賀参謀、陛下の御声が入った玉音盤を隈なく探すんだ。そして玉音盤を破壊しろ。それはもしかしたら宮城の外の放送会館にあるかもしれないが、取り合えずまずは宮城内を探せ。徹底的に探すんだ」と命令した。東部軍が決起しない事が分かった以上既定の作戦は無謀と判断した畑中少佐は芹沢鴨が提案した「玉音盤の奪取と破壊」計画に乗ったのである。こうして「戦後日本」に対する最後で最大の反抗である玉音盤の奪取が開始された。
古賀参謀はまず玉音盤について放送局関係者から情報を聞き出そうとして「守備隊大隊本部」の入り口に赴き捕虜となっている矢部局長を呼び出してくるように部下の兵隊達に命じた。まもなく矢部局長は兵隊に引き立てられて古賀参謀の前に現れた。古賀参謀はピストルを矢部局長に向けながら単刀直入に聞いた。
「玉音の録音はもう済んだのか?」
「はい」
「玉音は明日の何時頃放送されるのか?」
「正午と伺っています」
「放送は宮内省からされるのか?それとも放送局でされるのか?」「放送局でされると聞いています」
「では玉音盤は放送局で管理しているのだな?」
「いや宮内省で管理していると思います」
「それは何故だ?何故放送局で放送するつもりなのに宮内省で管理しているのだ?」
「どうやら空襲の危険性も考慮してより安全が担保されている宮城で管理する事になったようです」
「なるほど」古賀参謀はこうして矢部局長とのやり取りから素直に合点がいったので目標を宮内省に定めた。そして古賀参謀は近くにいた相浦(あいうら)中隊長を呼び
「この矢部局長を案内人として宮内省に赴きそこで陛下の御声が入った玉音盤を探し出してこい。見つけ出したら丁重に扱い私に差し出すように」と指示するのだった。それを受けて相浦中隊長は矢部局長を先頭に歩かせ配下の兵隊達(約百名)に隊伍を組ませて宮内省へと向かった。一方で付近の警備司令部では畑中少佐と芹沢鴨と椎崎中佐らが玉音盤の奪取を待ち焦がれている。ただ芹沢鴨は待機している事が我慢出来ずに
「わしも玉音盤を探しに行きたい」と言ったが畑中少佐と椎崎中佐がそれを押し止めたので叶わなかった。ここで芹沢鴨が単独的に動いたとしてもリスクが大きくなるだけだと二人共熟知していたからである。
さてこれから騒ぎの中心となる宮内省では侍従達が慌ただしく立ち働いていた。その侍従の中の一人である戸田康英(やすひで)侍従はたまたま近衛兵の会話を盗み聞きした大金(おおがね)益次郎次官から先程「どうやら外の近衛兵達は木戸内大臣と石渡宮内大臣を捕まえたいようだ」と教えられた為三階の内大臣室へと階段を駆け上って行った。しかし内大臣室に入ってみると木戸内大臣はそんな事は予期していたとばかりに「慌てるな」と飽くまでも悠揚迫らざる態度である。それ故戸田侍従は思わず拍子抜けしてしまったものの執拗に早く逃げる事を提案した。けれども尻に火が付かない木戸内大臣は戸田侍従が「一刻も早く侍医室へ隠れましょう」と促すのに途中で便所へ入ったりとそんな余裕を見せているのである。するとその最中にも一階で兵隊達がガラスを叩き割っている音が聞こえてくる。どうやら相浦中隊長の率いる一隊が宮内省に突入したようであった。これに戸田侍従は切羽詰まったものを感じた為用を足している木戸内大臣を便所から引っ張り出して背中に背負い侍医室に運び込んでしまった。背中が木戸内大臣の小便で濡れてしまった事やそれにより木戸内大臣が激怒している事など気にも留めずにである。それは寸暇を惜しんだ末の決死の行為であった。片や石渡宮内大臣である。彼は徳川侍従に助けられる形となった。徳川侍従が侍従職事務官室の前の廊下を歩いていた際に石川秘書官に連れられて逃げ惑う石渡宮内大臣の一行に遭遇したからだった。聞いてみれば隠れる所を探していると言う。徳川義寛侍従には心当たりがあったのですぐそこへと誘導した。たどり着いたのは三階の女官の物置部屋でここから秘密の階段が地下の金庫室まで伸びているのだった。早速石渡宮内大臣と石川秘書官と猪喰(いくい)清一秘書官と護衛の二宮巡査の四人は階段を下って金庫室へと入って行った。
ところが宮城内の反乱は急速に終息へと向かっていく事になる。この頃宮城からそう隔たっていない東部軍司令部では参謀長の高嶋少将が近衛師団は東部軍の管轄であるが故に近衛師団の各部隊長を緊急に呼び出して、現今発令されている近衛師団命令は偽命令である事、森師団長は反乱企画者達によって殺されてしまった事、今後一時的に近衛師団の指揮は東部軍管区司令官が執る事、宮城と外部とを遮断している護衛部隊は直ぐにその警戒を解く事などを下達したからだ。クーデターが単に一部の暴徒達によって扇動された事が発覚し各部隊長達は愕然としてしまった。時を同じくして愕然とした者達に高嶋少将の配下の板垣参謀と不破参謀がある。彼らは森師団長が本当に殺害されているのか視察する為に近衛師団司令部の師団司令室へと入っていた。入る前には見張り役だった石原参謀と小競り合いがあったものの、無理やり石原参謀を押しやって部屋に入ってしまったのである。森師団長は確かに死んでいた。おまけにもう一人将校が死んでいるではないか。二人はその陰惨を極める現場を見て思わず固唾を呑んだ。
一方相浦中隊長率いる一隊はそんな事になっているとも露知らずに血眼になって宮内省を探索していた。鍵が掛かっている部屋があれば時間短縮の為窓ガラスを割りそこから侵入して捜索したし、行き違う侍従の一人一人に玉音盤の在りかを尋ねもした。しかし全く手掛かりが掴めないのである。この時戸田侍従や三井侍従には遭遇したが玉音盤を皇后官職事務官室の軽金庫に隠した徳川義寛侍従には会わなかった事が災いしたのだろう。次第に一隊の間を諦観が支配しつつあった。そして諦観を抱き始めたのは第二連隊の芳賀連隊長も同じであった。彼は一向に阿南陸相も森師団長も姿を見せない事に疑義を感じていた。畑中少佐も古賀参謀も私にクーデター計画を打ち明け説得する際に「阿南陸相と森師団長の了解は得た」とはっきりと申していたではないか。それがクーデターが始まって以来三時間近く経つのに何故まだ姿を見せないのか。芳賀連隊長は畑中少佐らが待機する警備司令部を訪ね不審な点を明らかにしようとした。しかし畑中少佐は御茶を濁して明確に答えようとしない。痺れを切らした芳賀連隊長は畑中少佐を怒鳴りつけると畑中少佐はのっぴきならない事を痛感したのか「森師団長は死んでしまった」と憮然として答えた。それに芳賀連隊長は呆然として二の句が継げなかった。だが畑中少佐はそんな芳賀連隊長を思いやる事なく
「森師団長の代わりに近衛師団を指揮して下さい」と頼んでくるではないか。芳賀連隊長は
「何を言うか。阿南陸相も来ない上に森師団長が死んでしまっているのではもうクーデターもへったくれもあるものか。早く兵を引くのだ」と一喝した。ただそれに反応したのは畑中少佐ではなかった。近くにいた芹沢鴨が
「何を言うか、貴様は!男が一度決めた事を反故にするなど言語道断だ。兵を引く事はわしが許さん。反対するなら今すぐ貴様を斬捨てるぞ」と怒髪天を衝く如く怒り狂ったからである。芳賀連隊長は仰天してしまい芹沢鴨の着用している軍服を見たが、近衛師団の兵隊でもない上に階級も下である。しかしその芹沢鴨の迫力は尋常ではなく芳賀連隊長は呆気に取られて絶句してしまった。
騒乱の坩堝と化している宮内省でも新たな動きがあった。侍従達が次なる行動を起こす為に対策を練っているのである。即ち三井侍従が思い立った、宮城内で反乱が起きている事を御文庫にいる天皇に伝えようと云う動きが本格化し始めたのである。二・二六事件の時も鎮圧軍を率いて率先してクーデターを鎮めたのは天皇であった。その天皇であれば今回の反乱も容易に鎮めてくれるのではないか?と侍従達は咄嗟に踏んだが故にである。しかしそれは簡単な事ではなかった。宮内省の周囲や御文庫までの主要な道は武装した近衛兵達が占拠しているからである。それ故御文庫まで行く事は生死を賭けた冒険とさえ言えた。伝達役となった戸田侍従や徳川侍従は仕方なく比較的近衛兵の動員が手薄と見た紅葉山トンネルから道灌濠を渡っていく新道を選んだ。ここは新道であったので近衛兵達が把握していなくて穴場だとも思ったからである。実際それは正解だった。穴場であるが故に二人に対してまともに誰何さえしない近衛兵しかおらず、二人は何ら危険な目に会う事もなく御文庫へとたどり着けたからである。二人は早速熟睡している入江侍従を叩き起こして陛下に宮城で反乱が起きている事実を伝えるように促した。
先刻宮城を離れた窪田少佐が陸相官邸に着いたのは午前三時四十五分頃の事だった。まず応対したのは竹下中佐で応接間で窪田少佐を迎えた。窪田少佐は宮城でクーデターが着々と進行している経緯を訴え阿南陸相の賛同を仰いだが、竹下中佐はそれには明確に反応せず森師団長が本当にクーデターに同意したのかどうかを尋ねた。しかし窪田少佐の答えは竹下中佐にとっては想定外のものであった。何しろ森師団長は畑中少佐によって射殺され、森師団長の傍にいた某将校も陸軍航空士官学校附の芹沢大尉と云う竹下中佐の知らない将校によって斬殺されたのだと云うではないか。竹下中佐は思わず耳を疑った。そしてこれではクーデターは台無しではないか、とさえ思った。やがて一通り宮城内で起きている事を報告し終えると窪田少佐は竹下中佐に阿南陸相の説得を強固に要請してその場を走り去って行った。因みに窪田少佐はその後宮城事件が終結してからも憲兵の捜索網を潜り抜けて徹底抗戦工作を続けた。最終的には畑中少佐の遺志を引き継ぐ形で九日後の八月二十四日に埼玉県川口市にて川口放送所占拠事件まで引き起こしている。結局竹下中佐にはなにやら窪田少佐が告げてきた内容も窪田少佐の行動も、突拍子もなく映りまるで台風に一人で遭遇したような気分になってしまったものだった。事態があらぬ方向へと進んでしまった事を重く受け止めた竹下中佐は臍を固めて宮城のクーデターについて洗いざらい阿南陸相に打ち明ける事に決めた。早速竹下中佐は阿南陸相がいる居間へと戻り、今窪田少佐から伝えられた事も含めて簡潔にクーデターについて説明をした。しかし阿南陸相は「そうか」と一言言ったきり酒を飲み干すばかりである。動揺は全くなくあくまでも泰然自若としている。竹下中佐は阿南陸相のその無言の圧力からクーデターに対しての阿南陸相の気持ちを斟酌したものの、はっきりとした言質を取りたいと思ったので「陸相はこのクーデターを陸軍大臣として承認して頂けますか?」と聞いた。無理を承知で敢えて聞いたのである。だが阿南陸相はそれには答えず「その森師団長の傍にいた某参謀を惨殺した陸軍航空士官学校附の芹沢大尉とやらをお前は見知っているのか?」と言った。どうやら白石中佐を斬り殺した芹沢鴨の事が気になっている様子である。竹下中佐は同じく陸軍航空士官学校附の上原重太郎大尉とは面識があったが芹沢鴨とは面識がなかったので、「芹沢大尉に関しては存じていません」と答えた。これに阿南陸相も「だよな?私も数ヶ月前に陸軍大臣として豊岡町の航空士官学校を視察した際にはそんな名前の大尉はいなかったはずなのだが・・・・。まぁいい。いずれにしろ森師団長が畑中によって殺された以上東部軍は決起しないだろうし、私としてもそれを認める事など出来ない。正彦、お前も畑中達の気持ちが痛い程分かるだろうが、男は潔さが大切だ。これ以上陛下を苦しめるな。分かったな?」と形相を変えて同意を迫ってくる。竹下中佐は「分かりました」と頷くばかりだった。
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歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
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