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午前一時~午前二時。

芹沢鴨、白石中佐を斬殺す

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 やがて森師団長はゆっくり口を開いた。曰く「井田中佐、椎崎中佐、君達の赤心から来る率直な意見にはただただ頭が下がるばかりである。これから私は明治神宮へ行って神前に額ずこうと思う。日露戦争と云う国難を勝利に導いた明治大帝であるから、何かの啓示をここで私に与えてくれるかもしれないと思うからだ」と。それを聞いてその場にいた井田中佐も椎崎中佐も窪田少佐も破顔一笑した。するとそこへ近衛師団の参謀長の水谷一生(かずお)大佐が突然現れた。森師団長はその水谷大佐を認めて井田中佐にクーデター計画について参謀長の立場にいる水谷大佐の意見も聞いてみるように、と告げた。井田中佐は事の成り行きがクーデター実現へ動いている事に達成感を感じながら水谷大佐と共に師団室を離れて参謀長室へと移ろうとした。丁度その時廊下で戻って来た畑中少佐と芹沢鴨に鉢合わせした。井田中佐は畑中少佐に対して「やったぞ!」と微笑みながら声を掛けた。畑中少佐は井田中佐のその言葉から森師団長がクーデター計画に賛同したと早とちりをしてしまった。運命の悪戯としか言いようがないかもしれない。喜び勇んだ畑中少佐は師団長室に入るなり森師団長に向かって「では閣下早く宮城占拠の旨の師団命令を出して下さい。お願いします」と威勢よく言った。すると森師団長は血相を変えて「なんだ貴様は。私はまだ貴様らの要望を聞き入れた訳ではない。そもそも陛下の聖旨に背くなど皇軍の面汚しもいい所である。さっさと帰れ」と怒鳴ったのである。これがいけなかった。「皇軍の面汚し」と云う文言に畑中少佐が激高して、ピストルを森師団長に向けて放ってしまったからである。森師団長は即死した。そしてすぐに白石中佐がピストルを撃ち終えてボーっと佇む畑中少佐に向かって軍刀で斬りかかってきたのでそれに気付いた芹沢鴨が上原重太郎大尉の軍刀で白石中佐を先に斬りつけて斃した。間一髪のところで畑中少佐は芹沢鴨のお陰で命を留めたのである。

 畑中少佐が放ったピストルの銃声を聞いて参謀長室から井田中佐と水谷大佐が師団長室に戻ってきた。見れば森師団長と白石中佐が血まみれの死体となって斃れており、畑中少佐がピストルを片手に立ち尽くし、芹沢鴨が軍服を血まみれにして軍刀を鞘に仕舞っていた。椎崎中佐と窪田少佐は茫然と立ち尽くしている。事態が直ぐに呑み込めなかった井田中佐は畑中少佐に対して「なんてことをしてくれたんだ、畑中。もうこれで全てが台なしだぞ」と漏らした。対して畑中少佐はか細い声で「私とした事が・・・・でももう時間がないから仕方なかったんです」と零すのだった。とにかくこれで宮城占拠のクーデター計画は完全に覆されてしまった。しかし彼らは留まる所を知らなかった。「蛮勇を以てしてもクーデターを実行するべきだ」と云う救国の思いから来る熱情が彼らを決して冷静にはさせなかったからである。取り合えず青年将校らのグループは二手に分かれて、井田中佐と水谷大佐はクーデターの支援を求めて自動車に乗って東部軍へ直行した。田中静壹東部軍管区司令官からクーデター容認の言質を得ようと云うのである。森近衛師団長が殺された以上それは無謀と云う他なかった。一方椎崎中佐、畑中少佐、芹沢鴨、窪田少佐らは偽の近衛師団命令の発令作業へと移った。具体的に偽の近衛師団命令の命令文を作成したのは近衛師団参謀の古賀参謀と石原参謀だったが、両者共畑中少佐らによって森近衛師団長と白石道教中佐が殺された事実を知るとひとかたならぬ動揺を示したものの、クーデター実行を断念しようとはしなかった。むしろ弾みがつく様子でもあった。こうして偽の近衛師団命令は「近衛師団命令 八月十五日午前二時 一、師団ハ敵ノ謀略ヲ破摧 天皇陛下ヲ奉持我カ国体ヲ護持セントス 二、近歩一長ハ其ノ主力ヲ以テ東二東三営庭(東部軍作戦室周辺ヲ含ム)及本丸馬場附近ヲ占領シ外周二対シ皇室ヲ守護シ奉ルへシ 又約一中隊ヲ以テ東京放送局ヲ占領シ放送ヲ封止スへシ 三、近歩二長ハ主力ヲ以テ宮城吹上地区ヲ外周二対シ守護シ奉ルへシ 四、近歩六長ハ現任務ヲ続行スへシ 五、近歩七長ハ主力ヲ以テ二重橋前宮城外周ヲ遮断スへシ 六、近衛騎兵連隊長ハ戦車中隊ヲ代官町通二前進セシムルト共二主力ハ待機スへシ 七、近砲一長ハ待機スへシ 八、近工一長ハ待機スへシ 九、近衛機砲大隊長ハ現態勢ヲ以テ宮城ヲ奉護スへシ 十、近衛一師通長ハ宮城❘師団司令部間ヲ除ク宮城通信網ヲ遮断スへシ 十一、予ハ師団司令部ニ在リ」と発令された。偽の近衛師団命令に森師団長の印を押したのは畑中少佐だった。これにより近衛師団の生殺与奪の権は一時的にではあるが畑中少佐らの一派が掌握する事となった。

 そして直ちに彼らは宮城内で工作を始める事となった。ただ窪田少佐は陸相官邸へと赴き竹下正彦中佐と共に阿南陸相にクーデターを容認して貰えるように説得する為一旦宮城から離脱し、一方で古賀参謀と石原参謀は森師団長と白石中佐の遺体の見張り役として師団長室に留まった。故に具体的に宮城内でクーデターの実現に向けて工作に挺身するのは椎崎中佐と畑中少佐と芹沢鴨の役目である。そこでまずはクーデターを既に容認している芳賀第二連隊長を訪ねて歩兵第二連隊の兵力使用を促す事が先決され、三人は師団長室を離れて自動車に乗り込み宮城内を警備司令部まで走るのだった。車内では椎崎中佐が運転席に座り、後部座席には畑中少佐と芹沢鴨が並んで座った。緊迫した空気が車内を包む中それを打ち破るように畑中少佐が「芹沢殿、先程は助かった。ありがとう。今こうして工作に当たれるのも芹沢殿のお陰だな」と吹き出しながら零した。それは自らが森師団長を殺してしまった事実を信じたくないが故に笑っているようでもあった。それを芹沢鴨も何となく察知したからか、「気にするな。それよりも怪我はなかったか?」と言った。しかし畑中少佐はこれには答えず「俺は芹沢殿が幕末の新選組局長だったと云う事を信じるよ。俺も人を実際に殺してみて初めて武士の気持ちが分かったような気もする」と呟いた。驚いたのは運転している椎崎中佐である。思わず椎崎中佐は「何だって?」と大きく声を出したが畑中少佐はそれ以上何も言わなかった。芹沢鴨も畑中少佐のその言葉を聞いて思わず水戸にいた頃に天狗組の同志を口論の末に斬捨ててしまった時の事を思い出して胸がつまった。初めて人を殺した時の独特の高揚感と倫理観の崩壊は非常に強烈な意識改革をもたらすからである。ただこれにより畑中少佐と芹沢鴨の間には強い連帯感が芽生えたと言ってもいいだろう。芹沢鴨は数十秒程間を置いて「畑中君、その気持ちを絶対に忘れるでないぞ」と言ったのだから。

 やがて自動車は警備司令部に着いたので、芹沢鴨だけ自動車に待機させて椎崎中佐と畑中少佐は芳賀第二連隊長に面会し、交渉に当たった。芳賀第二連隊長は近衛師団命令が発令された事を知ると素直に二人の主張に従った。それが偽の近衛師団命令であると何ら疑う事もせずにである。これにより宮城は完全に外部からの連絡は遮断され隔離状態に入りつつあった。他方井田中佐と水谷大佐も第一生命館の東部軍管区司令部に到着したところだった。(因みにこの第一生命館は敗戦後連合国最高司令官総司令部として使用されている)ところで井田中佐には一つの魂胆があった。森師団長と白石中佐を殺してしまった事実を伏せた上で田中東部軍管区司令官にクーデターの容認と東部軍のそれへの協力の言質を取ろうと云うのである。それは一つの賭けとも言えた。だがそれは呆気なく崩されてしまった。同行していた水谷大佐が参謀長室で二人を迎えた参謀長の高嶋辰彦少将に「森師団長が殺されて、反乱軍が宮城を占拠しました」と報告したからである。水谷大佐は報告し終えるとその場にへたりこんだ。故に仕方なしに水谷大佐は別室に連れて行かれ、参謀長室では井田中佐一人で高嶋参謀長とやり取りを行う事となった。井田中佐は萎える心を奮い立たせて言った。「陛下の玉音が放送されてしまったら取り返しのつかない事になります。我々は近衛師団と共に決起しました。東部軍も死中に活を求めるべきです」と。それは悲鳴にも似た叫び声だった。対して高嶋参謀長は井田中佐に並々ならぬ闘争心と決意を感じ取った為まず井田中佐を落ち着かせようとした。そして「思う所を全て述べよ」と言い井田中佐に吐露する事を促した。井田中佐が遵法精神の強い軍人である事を知っていた高嶋参謀長は冷静さを取り戻せば井田中佐は現状を認識出来ると思ったのだった。心置きなく語り尽くさせる事で冷静さを取り戻して欲しいと期待したのである。結果的にその作戦は功を奏した。一通り井田中佐に語らせた後高嶋参謀長が「田中軍司令官の許しを得る前に作戦主任参謀の意見も聞いておくべきだ」と言い作戦主任参謀の板垣徹(とおる)中佐を呼びに行こうとすると井田中佐が「いや、結構です。申し訳ありませんでした」と態度を改めたからである。井田中佐の心はもうクーデターの実現には傾いてはいなかった。むしろ全てが水泡に帰した今反乱軍と鎮圧軍による皇軍相撃つの事態を避ける為畑中少佐らを止めなくてはならない、と決意を新たにするのだった。

 さて宮城内のクーデターは着々と進行しつつあった。まずその被害を受けたのは玉音放送の録音に携わった下村情報局総裁らや日本放送協会の関係者達だった。何れも録音作業を終えて宮内省で休憩した後宮城から出ようとした際に坂下門で反乱軍の兵隊に足止めを食らったのである。何しろ皇宮警察の武装を解除して反乱軍の兵隊が門を封鎖していたので通れるはずがなかった。中でも下村情報局総裁は録音関係者の中の最重要人物としてマークされていたのである。不運と云う他はない。彼らは反乱軍の兵隊によって坂下門から二重橋近くの「守備隊大隊本部」と書かれた看板が掲げられている兵舎に連行され、監禁された。そこは五坪にも満たない蛸部屋のような所で外部の様子を察知させないように窓も暗幕が垂下げられてあった。こんな閉塞感が漂う空間に十六人もの人間が押し込められたのだから当事者達は堪ったものではなかったであろう。しかもこれから何時間も閉じ込められるのである。それに部屋の中で移動する際も一々見張りの兵隊の許可を取らなければならず、非常に過ごしにくい状況であった。
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