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午後一時~午後二時。
いよいよ敗戦処理が開始される
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敗戦処理はいよいよ本丸を迎えていた。首相官邸の閣議室では鈴木貫太郎を首班とする鈴木内閣の閣僚達が勢揃いし、閣議が開かれようとしていた。この時、鈴木貫太郎は齢七十七。この老齢の総理には敗戦処理は余りにも荷が重いはずだったが、閣僚の誰よりも泰然自若としていた。鈴木首相は日清戦争、日露戦争にも従軍した海軍軍人で、天皇の侍従長を務めた程の経歴の持ち主でもあった。「軍人は政治には関わらず」をモットーとし、軍人一筋に歩んできたはずだったが、小磯国昭内閣の後継が決まらぬ中で天皇から総理を務めて欲しいと直に依頼され、今回の鈴木内閣に至ったのだっだ。その彼は、まず八月九日、そして今日の午前に開かれた御前会議の開催で天皇のポツダム宣言受諾の御聖断を二度も仰ぎ、陛下の御宸襟を煩わせてしまった非を自らを含めた閣僚全てに問い、反省の言葉を口にした。閣僚達は黙ってそれを聞いたが、その中には先程青年将校達にポツダム宣言受諾を伝えた阿南大臣の姿も見えた。やがて議題は今回の閣議の目的である、天皇が玉音放送で読む予定の終戦詔勅案の審議決定に移るのであった。
こうして閣議での話し合いが続けられている頃、大橋八郎を会長とする日本放送協会(NHK)の幹部達は内閣官房から「玉音放送について相談があるから、至急情報局まで来るように」と連絡を受けた。情報局とは大東亜戦争開戦前に戦争に向けた世論形成や思想統制を目的に軍部が創設した内閣直属の情報機関である。大橋会長、国内局長矢部謙次郎、技術局長荒川大太郎らが連れ立って内務省内にある情報局に出頭すると、「これから終戦の詔書が出るが、陛下の御声を直接に放送するか、録音で放送するかを、今官邸で協議中である。とにかく決まったら知らせるから、いずれにせよ準備を至急整えておくように」と云う重大情報が伝えられた。思わず、彼らは自らの耳を疑った。突然に戦争の終了を告げられて動揺した事もさることながら、現人神である天皇がマイクの前に立ち、国民に直接何かを知らせると云う驚天動地の企画に反応したからだった。大正十四年にラジオ放送が始まって以来それは初めての試みだったから、彼らはこれから歴史的場面に立ち会おうとしている光栄と言いようのない感動に身を震わせるのだった。一方で戦争がやっと終わると云う安堵感を感じる余裕はなかった。陛下の終戦放送に携わる新たな任務が生まれたからだろう、強い責任感と連帯感が彼らを支配し始めたのだった。ともあれ、大橋会長ら三人は士気高揚する精神のままに放送局へ引き返した。「直接放送になるのか、それとも録音放送になるのか」彼らは気になって仕方がなかったが、その両方に対応出来るように放送準備を粛々と進め始めた。そしてその放送準備が一通り落着いた頃、情報局から閣議決定が届けられた。終戦放送は録音放送に決まったと云う。「午後三時までに録音班を連れて宮内省へ出頭せよ」との事であった。
その頃芹沢鴨は陸軍省の庭で相変わらず茫然と立ち尽くしていた。脳裏に浮かぶのは先程小競り合いとなった三人組の青年達であったが、彼らが話しかけてきた内容の半分も分からなかった。彼らはいったい何者で自分は今どこにいるのか全く見当がつかなかったし、分かっている事は今日がアメリカやイギリスとの戦に降伏するかどうかを左右する重要な一日であると云う事だけで、あとは何も分からないのである。時折自身の眼に入ってくる洋風の陸軍省の建物が不気味に思えてならない。先刻からひっきりなしに人の出入りが繰り返され、猛烈に泣き叫ぶ者、刀を放り出してから走り出してどこかへ逃げていく者、はたまた庭で割腹し出す者、何かこの世の終わりを具現化させたようなそんな情景をそこは現出させ始めていたからだった。
こうして閣議での話し合いが続けられている頃、大橋八郎を会長とする日本放送協会(NHK)の幹部達は内閣官房から「玉音放送について相談があるから、至急情報局まで来るように」と連絡を受けた。情報局とは大東亜戦争開戦前に戦争に向けた世論形成や思想統制を目的に軍部が創設した内閣直属の情報機関である。大橋会長、国内局長矢部謙次郎、技術局長荒川大太郎らが連れ立って内務省内にある情報局に出頭すると、「これから終戦の詔書が出るが、陛下の御声を直接に放送するか、録音で放送するかを、今官邸で協議中である。とにかく決まったら知らせるから、いずれにせよ準備を至急整えておくように」と云う重大情報が伝えられた。思わず、彼らは自らの耳を疑った。突然に戦争の終了を告げられて動揺した事もさることながら、現人神である天皇がマイクの前に立ち、国民に直接何かを知らせると云う驚天動地の企画に反応したからだった。大正十四年にラジオ放送が始まって以来それは初めての試みだったから、彼らはこれから歴史的場面に立ち会おうとしている光栄と言いようのない感動に身を震わせるのだった。一方で戦争がやっと終わると云う安堵感を感じる余裕はなかった。陛下の終戦放送に携わる新たな任務が生まれたからだろう、強い責任感と連帯感が彼らを支配し始めたのだった。ともあれ、大橋会長ら三人は士気高揚する精神のままに放送局へ引き返した。「直接放送になるのか、それとも録音放送になるのか」彼らは気になって仕方がなかったが、その両方に対応出来るように放送準備を粛々と進め始めた。そしてその放送準備が一通り落着いた頃、情報局から閣議決定が届けられた。終戦放送は録音放送に決まったと云う。「午後三時までに録音班を連れて宮内省へ出頭せよ」との事であった。
その頃芹沢鴨は陸軍省の庭で相変わらず茫然と立ち尽くしていた。脳裏に浮かぶのは先程小競り合いとなった三人組の青年達であったが、彼らが話しかけてきた内容の半分も分からなかった。彼らはいったい何者で自分は今どこにいるのか全く見当がつかなかったし、分かっている事は今日がアメリカやイギリスとの戦に降伏するかどうかを左右する重要な一日であると云う事だけで、あとは何も分からないのである。時折自身の眼に入ってくる洋風の陸軍省の建物が不気味に思えてならない。先刻からひっきりなしに人の出入りが繰り返され、猛烈に泣き叫ぶ者、刀を放り出してから走り出してどこかへ逃げていく者、はたまた庭で割腹し出す者、何かこの世の終わりを具現化させたようなそんな情景をそこは現出させ始めていたからだった。
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