上 下
20 / 80

第二十話 となりの大陸。

しおりを挟む
「アーシェくん、アーシェくん」
「……お姉ちゃん。僕またやっちゃったの?」

 アーシェリヲンは額あててくれていた手を握って、薄く目を開けた。

「お姉ちゃん、……そう呼ばれるのも悪くないわね」
「……あれ? お姉、ちゃん、……じゃないの?」

 グランダーグ王国の港を出てあれから一日と少し。昨夜は少しだけ海が荒れてしまったせいか、アーシェリヲンは船酔いしてしまった。
 具合を悪くして寝込んでしまったせいか、魔力を枯渇させて寝込んでしまったときの夢を見たのかもしれない。

「そうね。でも、レイラお姉ちゃん、と、呼んでくれたら嬉しいわ」
「あ、あれれ?」
「駄目よ、無理に身体を起こしたりしたら――」

 アーシェリヲンが身体を起したときはまだ、船の揺れが酷かった。そのせいもあって、彼の頭の中がどろっと溶けるような感覚蘇ってくる。

 部屋に備え付けのトイレに駆け込んで、アーシェリヲンは胃袋の中身を空っぽになるまで便器にしがみつく。トイレから出てくると、げっそりした表情。船の揺れが収まらない限りは、本調子になるには時間がかかりそうだ。

 天気は回復したのだが、まだ海は荒れている模様。海が荒れていなければ一日の航海だが、こうなってしまうとなかなか進まないのが船である。

 このままだと、海を越えるまであと二晩くらいかかるそうだ。予定からいえば、明後日の朝くらいだろうという話らしい。

「僕、運がないね」
「そんなことはないわ。これでもまだね、大したことはないそうよ」
「うーわ……」
「だから今は寝ていたほうがいいわね」
「はぁい……」

 大人しく寝ることにしたアーシェリヲンの額に、レイラリースは手のひらを置く。するとなぜか、気持ち悪さが和らいでくる感じがしたのだった。

 ▼

 その日の夜、思ったよりも早く海は静かななぎの状態へ戻った。この調子なら明日の朝には陸が見えてくるとのことだった。

 予定ではいまごろ陸の上を移動中だったのだが、あいにく外は時化しけ。海の状況は変わりやすく、ちょっとした風でもうねりが出てしまうことも多い。

  ただその点この商船は大きく丈夫で、乗っている分では安全だという。だが、アーシェリヲンが船酔いするというのは予想できない事故のようなものだった。

「アーシェくん。食べられそう?」
「うん。レイラさん。少しなら」
「レ・イ・ラお姉ちゃん、でしょう? 船を下りるまではそう呼んでくれるって約束してくれたじゃないの?」

 確かに約束した。なによりレイラは、アーシェリヲンが具合を悪くしていた間、かいがいしく面倒をみてくれたから。感謝の意味もあって、そう呼ぶことを了承したわけだ。

「レイラ、お姉ちゃん?」
「えぇそうよ。ちょっと待っててね。食堂で消化の良いものをもらってきてあげるから」
「うん。ありがとう、レイラお姉ちゃん」
「くーっ、いいわね。その響き」

 そう言って部屋を出て行くレイラ。ここは一等船室らしく、部屋の中に風呂とトイレがついている。別々に三室確保できているとのことで、ここはアーシェリヲンの部屋。

 それでも昨日は一晩中レイラがつきっきりで看病をしてくれた。昼頃に様子を見に来たエルフォードが『まるで姉弟きょうだいみたいだな』と笑っていた。

 貴族のアーシェリヲンとそうでないレイラを見比べても、髪の色も瞳の色もそう変わりはない。だから、そのように見えたとしても不思議ではないのかもしれない。

 ▼

 昨夜はあまり揺れなかったおかげで、アーシェリヲンも眠ることができた。

「おはよう、アーシェくん。準備はいいかしら?」
「はい。おはようございます、レイラさ――」
「お・ね・え・ちゃん」
「レイラお姉ちゃん」

 アーシェリヲンはつい笑いそうになってしまう。親元を離れて今日で二日目。二人が入れ替わり立ち替わり訪れてくれたおかげで、寂しいと思ってしまう暇を与えてくれなかった。

 気持ち悪くなって駆け込んだこのトイレにもお世話になった。そのようなことがあったからか、二日お世話になった部屋を出る前にちょっとだけぺこりと頭をさげる。

 船室を出て、甲板に上がるとまもなく接岸のようだった。グランダーグよりもちょっと古め。それでも賑わいをみせる港。これだけ大きな商船が着岸するのだから、それなり以上に大きな港でないと駄目だからだ。

 レイラに連れられて馬車へ向かう。エルフォードは既に御者席に座っていた。

 この客車の側面と後ろに刻まれたユカリコ教のシンボルマーク。お皿の上にフォークとナイフが交差している絵。

 エルフォードが教えてくれた。『余程のもの知らずでない限り、ユカリコ教の馬車にちょっかいをかける愚か者はいない』とのこと。

 護衛の任についているエルフォードは、神官でありながら騎士団で剣の実戦訓練を行っているとのこと。レイラリースも優秀な魔法使いだと教えてもらった。

 会ったばかりのときは何の魔法を使うか聞いたのだが、『そのときになったらわかるわよ』とはぐらかされた。だが、この二日間であっさりわかってしまう。なぜならアーシェリヲンが具合を悪くしているときに、治癒魔法を使ってくれたからだった。

「それじゃ、ここから二日だ。頑張っていこうか」
「何を頑張るのよ」
「あ、そうだったな」
「あははは」

 商船から下りて港の外れ、街道に出る前に入国を管理する場所がある。だがユカリコ教の馬車は挨拶を交わす程度で素通りできている。ユカリコ教といえば『れすとらん』、だからどの国からも歓迎されていると聞いているからだろう。

 半日少し、日が暮れる前あたりで宿場町へ到着。そこで今日は一泊する。普通なら野営をするところらしいが、アーシェリヲンとレイラリースがいるからそれはしないとのことだ。

 商船の中での食事もそこそこ美味しかった。この宿の食事もやはり美味しい。利用客が途切れないというのは、それなりの理由があるのだろう。アーシェリヲンはそう思っていた。だが、レイラリースがぼやき始めたのだ。

「『れすとらん』で『はんばーぐ』を食べちゃうと、物足りなくなるのよね」
「レイラお姉ちゃん。は、『はんばーぐ』って何ですか?」
「肉料理なのよ。とても柔らかくて美味しいの……」

 どこか遠くを見るようなレイラリースの表情。

「そうだな。神殿の食堂でも、たまにでるんだよな……」

 エルフォードもやや上を見ながら思いを馳せるように言う。

「『はんばーぐ』以外も、美味しいのよねー」
「あぁそうだね」

 ユカリコ教は『れすとらん』の経営をしている。もちろん、神殿で働く人の食事も同じ料理人が作ってくれるそうだ。

「ヴェンダドールに着いたら『はんばーぐ』食べましょうね」
「いいの?」
「えぇ。もちろんよ」

 翌朝早くに出発。日が暮れるあたりにはヴェンダドールへ到着するらしい。本来なら三日で到着するところだったが、時化のため一日多くかかってしまった。
 それでも頑張れる、まだ見ぬ『はんばーぐ』ためであったなら。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

異世界に落ちたら若返りました。

アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。 夫との2人暮らし。 何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。 そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー 気がついたら知らない場所!? しかもなんかやたらと若返ってない!? なんで!? そんなおばあちゃんのお話です。 更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!

あるちゃいる
ファンタジー
 山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。  気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。  不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。  どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。  その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。  『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。  が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。  そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。  そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。   ⚠️超絶不定期更新⚠️

外れスキル?だが最強だ ~不人気な土属性でも地球の知識で無双する~

海道一人
ファンタジー
俺は地球という異世界に転移し、六年後に元の世界へと戻ってきた。 地球は魔法が使えないかわりに科学という知識が発展していた。 俺が元の世界に戻ってきた時に身につけた特殊スキルはよりにもよって一番不人気の土属性だった。 だけど悔しくはない。 何故なら地球にいた六年間の間に身につけた知識がある。 そしてあらゆる物質を操れる土属性こそが最強だと知っているからだ。 ひょんなことから小さな村を襲ってきた山賊を土属性の力と地球の知識で討伐した俺はフィルド王国の調査隊長をしているアマーリアという女騎士と知り合うことになった。 アマーリアの協力もあってフィルド王国の首都ゴルドで暮らせるようになった俺は王国の陰で蠢く陰謀に巻き込まれていく。 フィルド王国を守るための俺の戦いが始まろうとしていた。 ※この小説は小説家になろうとカクヨムにも投稿しています

異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜

青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ 孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。 そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。 これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。 小説家になろう様からの転載です!

異世界に召喚されたが勇者ではなかったために放り出された夫婦は拾った赤ちゃんを守り育てる。そして3人の孤児を弟子にする。

お小遣い月3万
ファンタジー
 異世界に召喚された夫婦。だけど2人は勇者の資質を持っていなかった。ステータス画面を出現させることはできなかったのだ。ステータス画面が出現できない2人はレベルが上がらなかった。  夫の淳は初級魔法は使えるけど、それ以上の魔法は使えなかった。  妻の美子は魔法すら使えなかった。だけど、のちにユニークスキルを持っていることがわかる。彼女が作った料理を食べるとHPが回復するというユニークスキルである。  勇者になれなかった夫婦は城から放り出され、見知らぬ土地である異世界で暮らし始めた。  ある日、妻は川に洗濯に、夫はゴブリンの討伐に森に出かけた。  夫は竹のような植物が光っているのを見つける。光の正体を確認するために植物を切ると、そこに現れたのは赤ちゃんだった。  夫婦は赤ちゃんを育てることになった。赤ちゃんは女の子だった。  その子を大切に育てる。  女の子が5歳の時に、彼女がステータス画面を発現させることができるのに気づいてしまう。  2人は王様に子どもが奪われないようにステータス画面が発現することを隠した。  だけど子どもはどんどんと強くなって行く。    大切な我が子が魔王討伐に向かうまでの物語。世界で一番大切なモノを守るために夫婦は奮闘する。世界で一番愛しているモノの幸せのために夫婦は奮闘する。

外れスキル「両替」が使えないとスラムに追い出された俺が、異世界召喚少女とボーイミーツガールして世界を広げながら強くなる話

あけちともあき
ファンタジー
「あたしの能力は運命の女。関わった者に世界を変えられる運命と宿命を授けるの」 能力者養成孤児院から、両替スキルはダメだと追い出され、スラム暮らしをする少年ウーサー。 冴えない彼の元に、異世界召喚された少女ミスティが現れる。 彼女は追っ手に追われており、彼女を助けたウーサーはミスティと行動をともにすることになる。 ミスティを巡って巻き起こる騒動、事件、戦争。 彼女は深く関わった人間に、世界の運命を変えるほどの力を与えると言われている能力者だったのだ。 それはそれとして、ウーサーとミスティの楽しい日常。 近づく心の距離と、スラムでは知れなかった世の中の姿と仕組み。 楽しい毎日の中、ミスティの助けを受けて成長を始めるウーサーの両替スキル。 やがて超絶強くなるが、今はミスティを守りながら、日々を楽しく過ごすことが最も大事なのだ。 いつか、運命も宿命もぶっ飛ばせるようになる。 そういう前向きな物語。

処理中です...