上 下
9 / 36
第二章 新しい生活を始めよう

第3話 ほんと、馬鹿なんだから

しおりを挟む
 どれくらい夢中になっていただろう? 林の中は常に薄暗く、時間がわかりにくい。

(ぽちっとな)

 システムメニューにある時間、そこには十七時半を表示していた。インベントリを確認すると、薬草の枠が七つになっている。
 これだけ買い取ってもらったのなら、宿屋に十日分収めても、お腹いっぱい晩ご飯を食べても、それこそ新しい帽子も買えたりするかもしれない。

 そのような妄想を膨らませていたからか? 摘んでも摘んでも目の前から薬草がなくならないからか? どちらにせよ、やめ時を間違えてしまった。油断してしまったのは間違いなかった。

『――こんな大雨じゃ無理よ。こんな日はね、林のところにも、魔物が出てくることがあるんですからね?』

 そんな、カナリアの忠告も、頭の隅に追いやってしまったからだろうか?

 そろそろ帰ろうと、振り向いたその先には、育江の知るサイズを超えた野犬がいた。

(あれ? 狼? 犬? これも魔物に入ったっけ?)

 PWOあっちでは元々、イシシアティブ制やターン制のようなゲームではなく、よりリアルに近づくようにと、常に駆け引きが必要な戦闘だった。もちろん、現実となったこの場にいる、野犬と思われる生き物には遠慮はないのが当たり前なのだろう。

 逃げようと思ったときにはもう、首のあたりに激痛が走る。ただそれは一瞬だった。野犬が、育江の首筋に噛みついているのは間違いないのだが、何だろう? それは、PWOの死亡時に感じるあの不快感に似ていた。

 目の前が真っ赤に染まる。視界の外側には、何やら黒いちりのようなものが舞い上がっているように見える。

(あー、これがもしかしたら、『灰』? なのかな?)

 客観的に見てしまった、自分自身の状況。

(あ、そだ。ぽちっと、な)

 赤く染まる背景へ重なるようにして、システムメニューが見えてきた。その『状態』のステータスには『死亡』の二文字が表示されていた。

(あー、しんじゃったんだ――)

 似たような経験は、PWOではあった。けれどこんなふうに、フェードアウトする感じではなかった――

 ▼

 目の前が明るくなる。首を中心にあった不快感、あれがないように思える。目に前にはさっきいた野犬のようなものが背中を向けている。

「……あ、さっきの、いる、あ、――ちょ、こっちくんなっ」

 今度は首筋じゃなく、腹部に噛みついていた。おかしい。今は痛みじゃなく、最初から不快感がある。

(あ、また視界がぼやけて、灰が飛んでる、あ、あたし多分死――)

 システムメニューをもし育江が見ていたとしたら、『状態』の部分には『死亡』と表示されていたのだろう。
 そう、育江は死亡したと同時に、灰に転じて霧散してたのだった。

 先ほどと同じように、視界がはっきりしてくる。けれど、あの犬のような魔物がどいてくれない。

(あ、まだいる。……てか、書いてあった『死んだら灰になるが、一定時間で再生する。死んだら経験値が下がる』って、このことだったのかな? まるで現実じゃなく、PWOのときみたいな感覚があったし。あ、そだ、ぽちっとな)

 声に出さないように、なるべく動かないように、育江はシステムメニューを見た。身体レベルの経験値欄をみて、ぎょっとする。

「あ、まじで――すか……」

 声を出してしまったからか、犬みたいな魔物に感づかれてしまい、また腹部を貪られてしまっている。徐々に不快感が強くなり、意識が遠のいて、さっきと同じパターンにおちいってしまう。

(ちーん……)

 ブラックアウトする視界。

(何度目の蘇生? ううん、再生だっけかな? てかおまいさん、飽きないね? 正直あたしはもう、飽きちゃったよ……)

 何度の死亡体験だろうか? ついさっき見たシステムメニューの身体レベルの経験値欄。そこにあった数値は一。経験値が一になっていたのだ。

(いや、これ以上落ちないってやつですね-。せっかく上げたのに、あぁ、魔力も減ってる。あぁあああちょっと待って、治癒魔法のレベルも下がってるじゃないのさ? あぁ、一になってるぅ。どうしてくれるのよ? もう、このままじっとして――あ、こっち見た)

「やめてやめてやめてこっちくんなー」

 育江の声に力が入っていない。野犬のような魔物は知能が単純なのか? それとも、育江を襲って何かメリットがあるのかは、襲われた本人はわからない。

 辺りはもう、真っ暗になっているようだが、その割に、思ったよりも辺りがはっきり見える。さっきの犬みたいな魔物がこちらへ、じわりじわりとこちらへにじり寄ってくる姿も見える。

(また食べられるんでしょ? あの不快感、嫌だな、……痛いよりはマシだけど)

 また食べられる、不快感がどこにでるのかわからない。また死ぬんだろうな、そう思ったときだった。

 犬に似た魔物より小さくて、それなのに両腕を大きく左右に広げて、育江と魔物の間に立って立ち塞がっていた。
 どこか遠くで見たことがあるこの小さな背中。忘れるはずはないのに、ぼうっとしか思い出せないもどかしさを育江は感じただろう。

(あれ? 誰か助けてくれたの?)

 助かった、そう育江は内心思った。力の入りにくい身体を、両手を地面について、どっこいしょと腹筋に力を入れて、なんとか身体を起こすことに成功した。

「あ、その。ありがとう、ございます――」
「ぐあっ」
「え? あれ? も、もしかしてシルダ? シルダだったりするの?」

 その後ろ姿は見覚えがある。育江が座った目の高さより少しだけ高い位置にある、くりくりと丸い目がこっちを見ていた。
 鱗の色味が若干違っている感じはあるけれど、あの小さな角。紅葉の葉が咲いたような可愛らしい手。身体の割に立派な尻尾。背中の飛べないかもしれない、一対の翼。

 もし目の前にいるのが本物のシルダだとしたら、あんなに小さく見えても育江が育てた獣魔のうち、最強の一匹。獣魔ペットとしての最大レベル二百五十五、それを目指して頑張ってきた相棒だった。

 シルダの名前はそれなりに有名だった。町中を勝手に出歩いても、誰も文句は言われなかったし、それより『いてくれたら安心する』とまで言われたことがある抑止力のひとつでもあったといわけだ。

「ぐあっ」

 シルダは正面を向き、野犬のような魔物に相対し、じっとにらみつけているようだ。野犬が痺れをきらして先に動いた。シルダを無視して、育江に向かおうとする。
 だが、シルダは回り込んでまた、育江の前に両手を広げて通せんぼ。仕方ないと思ったか、それとも本能がそうさせたのか? 野犬はシルダの顔向けて、噛みつこうと迫ってくる。

「馬鹿な犬。相手はあたしが育てたあの、シルダなのよ? お前なんて敵うわけ――」

 そうドヤろうとしたとき、シルダは間一髪で避けると、後ろ足をしっかりと蹴って、その反動で野犬の頰あたりを右拳で打ち抜く。

「え? シルダ、あんた何やってのよ?」

 育江の記憶が定かであったのなら、この程度の野犬、PWOにいたころのシルダだったら、ワンパン終了だったはず。それこそ、指先であしらうほどのレベル差があったはずなのだから。

 どれだけの時間、シルダの背中を見ていただろう? シルダは体中傷だらけにして、それでもなんとか野犬を倒してくれた。

 育江は、シルダの背中から抱きついた。

「シルダ。ありがとう。ほんとに、ありがとう」
「ぐあっ」

 そう口を大きく開けて、返事をする。

「あ、そうだ。ぽちっとな」

 そのままの状態で、育江はシステムメニューを立ち上げる。獣魔の欄に『シルダ』の名があった。

「あんた、本当にシルダだったのね。……ほんと、どこいたのよ? 寂しかったんだから?」
「ぐあ?」

 シルダはこっちを向いて、膝立ち状態の育江に抱きついて、頰をすり寄せてくる。鱗だからか、少し痛みを感じるが、それでも懐かしい感じがする。

 よく見ると、シルダのレベル表示がおかしい。前は二百三十くらいだったはずなのに。

「……レベル六ってどういう――あ、もしかして」
「ぐあ?」
「シルダ。あんたまでこっちに来ること、ないじゃない……、ほんと、馬鹿なんだから……」

 おそらくシルダは、育江同様こちらへ転移してきた。その際のなんらかの要因で、レベルが初期値にもどってしまう。たしか、レッサードラゴンであるシルダの初期レベルは五くらいだったはずだ。

 ということは、今の野犬はレベルが六以上はあったということ。そりゃ育江じゃ敵わないというオチだったようだ。

「ほら、こっちいらっしゃい」

 育江は両手に魔力を集めるようにして、シルダの身体のうち、傷ついた部分をゆっくりと撫でる。こうすることで、今シルダにしてあげられる唯一の『ありがとう』、調教スキルの初期スキル『癒やしの手』を使う。効果は、獣魔の傷を癒やすというもの。

 そうこうしてる間に、徐々にシルダの傷が癒えていく。シルダも気持ちいいのか『ぐぁ……』と声を漏らす。
 治癒魔法のレベルがまた初期値へ戻ってしまってはいたが、こうして獣魔ペットの傷を癒やす方法が残っているのが、調教師テイマーだったりするのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

神に同情された転生者物語

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。 すると、神様と名乗った青年にこれまでの人生を同情された異世界に転生してのんびりと過ごしてと言われる。 悠翔は、チート能力をもらって異世界を旅する。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

異世界転移したけど、果物食い続けてたら無敵になってた

甘党羊
ファンタジー
唐突に異世界に飛ばされてしまった主人公。 降り立った場所は周囲に生物の居ない不思議な森の中、訳がわからない状況で自身の能力などを確認していく。 森の中で引きこもりながら自身の持っていた能力と、周囲の環境を上手く利用してどんどん成長していく。 その中で試した能力により出会った最愛のわんこと共に、周囲に他の人間が居ない自分の住みやすい地を求めてボヤきながら異世界を旅していく物語。 協力関係となった者とバカをやったり、敵には情け容赦なく立ち回ったり、飯や甘い物に並々ならぬ情熱を見せたりしながら、ゆっくり進んでいきます。

神の使いでのんびり異世界旅行〜チート能力は、あくまで自由に生きる為に〜

和玄
ファンタジー
連日遅くまで働いていた男は、転倒事故によりあっけなくその一生を終えた。しかし死後、ある女神からの誘いで使徒として異世界で旅をすることになる。 与えられたのは並外れた身体能力を備えた体と、卓越した魔法の才能。 だが骨の髄まで小市民である彼は思った。とにかく自由を第一に異世界を楽しもうと。 地道に進む予定です。

処理中です...