3 / 3
治療法
しおりを挟む
いつものように仕事を終え、家に帰ると、扉の前に一人の女の子が座っていた。
とても不思議な光景だった。
見慣れた家の扉だというのに、女の子が一人座っているというだけで、まるで自分の家ではないような感覚になる。
「この家の人ですか?」
雪の降る中、女の子は消え入りそうな声で俺にそう尋ねた。
「どうもありがとうございます。」
あの後、そのまま少女を家に入れてしまった。
それが世間的に見て良いかどうかは分からないが、少なくとも雪の中で凍えている少女を見捨てるよりかはいくらかマシだろう。
「あなたは優しいのですね。」
女の子はさっきまでの、消え入りそうな雰囲気は無くなり、猫舌なのかホットミルクをちびちびと飲んでいる。
「ところで、君名前は?どこから来たの?」
「残念ながら、私がそれにお答えすることはできません。言えるのは、家出をしてきたという事だけです。」
そう説明する女の子の表情は、何処までも暗かった。
それから彼女が話してくれたのは、帰る家が無いという事。ただそれだけだった。
俺は、彼女を警察に連れて行こうとも考えた。だが、自分の家に女の子が転がり込んでくるという漫画でしか見たことのない展開に俺は高揚していた。
結局、何んとも答えを見いだせないまま、彼女の名前も知らぬまま、ずるずると時間だけが過ぎていった。
彼女が来てからの日々は、俺の色褪せた日常に色を付けてくれるような毎日だった。
毎日のようにご飯が出てきて、一人暮らしだった俺に「お帰り」と言ってくれる人がいる。
正直幸せだった。今までのどの瞬間よりも。
彼女が来てから2週間ぐらいが過ぎた頃、彼女が突然外に外出しようと言い出した。
そうして、連れられるがまま訪れたのは、いつも俺が通勤に使っている駅のホームだった。
「お兄さん。本当に申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございます。」
駅のホームに立った時、彼女は俺にそう告げた。
正直、突然のことに困惑し、意味が分からなかったが、彼女の言葉を待つことにした。
「私の名前は樫木美月です。父の暴行に対して謝罪します。そして兄の最後を見て頂いたことに感謝します。」
初めて聞いた彼女の名前は、決して心躍るものでは無く、この世で最も聞きたくない名前だった。
「今まで隠していてごめんなさい。いつかは言わなければとは思っていたんですけれど、なかなか言い出せなくて。」
「お父さんは元気?」
あれから、樫木さんの所在については聞いてはいない。
俺を殴った人であり、会社から消えた人の所在を気にするほど俺はできた人間じゃない。
「父は、兄が無くなってからどこかおかしくなってしまいました。兄が自殺をするはずがない。俺以上に出来た息子なんだと。それだけで済めばよかったのですが、会社を辞めた後、酒癖が悪くなり、私にも手を出し始めて、それが怖くなって家を出ました。」
「お母さんはなんて?」
「母も同様、あなたのせいなのねと。」
彼女が話すからには、あの人が会社を辞めてから彼女自身にも被害が行ったようだ。
しかし、聞けば聞くほど、上司に報告してあの人を止めさせた俺が悪いのではないかと思ってしまう。
「そんな時思い出したのが、父があなたが兄を殺したと言っていたことです。それから、父の居た会社とその名前を頼りにあなたの家まで来ました。」
「すぐに警察に行った方がいいよ。」
「あれでも、今まで育ててくれた親ですから。」
それから彼女は持ってきていた荷物を置いた。
そして、線路の方をまっすぐ向く。
あの時と、あの子と同じように。
「待って!」
俺はすかさず彼女の腕を掴んだ。
目の前で誰かが死ぬのはたくさんだ。
あんな思いをするのは二度とごめんだ。
あの子が死んだから、俺は警察に連れていかれ、殴られたんだ。物も取られた。そんなのたくさんだ。
あれ?じゃあ、俺は俺のために彼女を助けたのか?
目の前で誰かが死ぬ。それが嫌だと思ったのに、想像したのは自分がひどい環境にあったことだけ。
それ以外は何も思いつかなかった。
そのことに、俺はなんて情けない人間なんだと、自己嫌悪すら覚える。
「痛いです。」
彼女の痛がる声にハッとする。
「兄は最後、どんな顔をしていましたか?」
彼女がどんな気持ちで聞いたのかは想像するしかないが、きっとそれは辛いものなのだろう。彼女の顔がそう物語っている。
「彼は...」
答えようとしたが、やはり俺と俺の隣で死んだ少年は無関係であり、語れることなど無かった。
何より一度はあの少年を憎んでしまった俺に、あの少年のことを軽々と彼女に話す資格すらない。
そう考えると、開きかけた口は自然と閉じてしまった。
「いいんです。でも、これだけは知っておいてください。父もあなたも兄も、そして私自身もみんな自分勝手で、それを認めてくれる人が居なくて、独りぼっちなだけなんです。でも、あなたは自分勝手な私を許してくれた。その優しさが私を救ってくれたことを。」
「さようなら。」それだけを言い残して、彼女は俺の前から消えた。
”独りぼっち”確かにそうかもしれない。樫木さんもあのホームレスも、あの兄弟たちも、俺も。
みんな独りぼっちなんだ。だから、こんなに空虚な気持ちになる。
みんな独りぼっちでおかしくなってしまったのだ。
そうやって、自分でも分からない答えになぜか納得してしまった。
そう吹っ切れたら、自然と心が軽くなった気がした。
今日も、やけに電車とサイレンの音がうるさかった。
とても不思議な光景だった。
見慣れた家の扉だというのに、女の子が一人座っているというだけで、まるで自分の家ではないような感覚になる。
「この家の人ですか?」
雪の降る中、女の子は消え入りそうな声で俺にそう尋ねた。
「どうもありがとうございます。」
あの後、そのまま少女を家に入れてしまった。
それが世間的に見て良いかどうかは分からないが、少なくとも雪の中で凍えている少女を見捨てるよりかはいくらかマシだろう。
「あなたは優しいのですね。」
女の子はさっきまでの、消え入りそうな雰囲気は無くなり、猫舌なのかホットミルクをちびちびと飲んでいる。
「ところで、君名前は?どこから来たの?」
「残念ながら、私がそれにお答えすることはできません。言えるのは、家出をしてきたという事だけです。」
そう説明する女の子の表情は、何処までも暗かった。
それから彼女が話してくれたのは、帰る家が無いという事。ただそれだけだった。
俺は、彼女を警察に連れて行こうとも考えた。だが、自分の家に女の子が転がり込んでくるという漫画でしか見たことのない展開に俺は高揚していた。
結局、何んとも答えを見いだせないまま、彼女の名前も知らぬまま、ずるずると時間だけが過ぎていった。
彼女が来てからの日々は、俺の色褪せた日常に色を付けてくれるような毎日だった。
毎日のようにご飯が出てきて、一人暮らしだった俺に「お帰り」と言ってくれる人がいる。
正直幸せだった。今までのどの瞬間よりも。
彼女が来てから2週間ぐらいが過ぎた頃、彼女が突然外に外出しようと言い出した。
そうして、連れられるがまま訪れたのは、いつも俺が通勤に使っている駅のホームだった。
「お兄さん。本当に申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございます。」
駅のホームに立った時、彼女は俺にそう告げた。
正直、突然のことに困惑し、意味が分からなかったが、彼女の言葉を待つことにした。
「私の名前は樫木美月です。父の暴行に対して謝罪します。そして兄の最後を見て頂いたことに感謝します。」
初めて聞いた彼女の名前は、決して心躍るものでは無く、この世で最も聞きたくない名前だった。
「今まで隠していてごめんなさい。いつかは言わなければとは思っていたんですけれど、なかなか言い出せなくて。」
「お父さんは元気?」
あれから、樫木さんの所在については聞いてはいない。
俺を殴った人であり、会社から消えた人の所在を気にするほど俺はできた人間じゃない。
「父は、兄が無くなってからどこかおかしくなってしまいました。兄が自殺をするはずがない。俺以上に出来た息子なんだと。それだけで済めばよかったのですが、会社を辞めた後、酒癖が悪くなり、私にも手を出し始めて、それが怖くなって家を出ました。」
「お母さんはなんて?」
「母も同様、あなたのせいなのねと。」
彼女が話すからには、あの人が会社を辞めてから彼女自身にも被害が行ったようだ。
しかし、聞けば聞くほど、上司に報告してあの人を止めさせた俺が悪いのではないかと思ってしまう。
「そんな時思い出したのが、父があなたが兄を殺したと言っていたことです。それから、父の居た会社とその名前を頼りにあなたの家まで来ました。」
「すぐに警察に行った方がいいよ。」
「あれでも、今まで育ててくれた親ですから。」
それから彼女は持ってきていた荷物を置いた。
そして、線路の方をまっすぐ向く。
あの時と、あの子と同じように。
「待って!」
俺はすかさず彼女の腕を掴んだ。
目の前で誰かが死ぬのはたくさんだ。
あんな思いをするのは二度とごめんだ。
あの子が死んだから、俺は警察に連れていかれ、殴られたんだ。物も取られた。そんなのたくさんだ。
あれ?じゃあ、俺は俺のために彼女を助けたのか?
目の前で誰かが死ぬ。それが嫌だと思ったのに、想像したのは自分がひどい環境にあったことだけ。
それ以外は何も思いつかなかった。
そのことに、俺はなんて情けない人間なんだと、自己嫌悪すら覚える。
「痛いです。」
彼女の痛がる声にハッとする。
「兄は最後、どんな顔をしていましたか?」
彼女がどんな気持ちで聞いたのかは想像するしかないが、きっとそれは辛いものなのだろう。彼女の顔がそう物語っている。
「彼は...」
答えようとしたが、やはり俺と俺の隣で死んだ少年は無関係であり、語れることなど無かった。
何より一度はあの少年を憎んでしまった俺に、あの少年のことを軽々と彼女に話す資格すらない。
そう考えると、開きかけた口は自然と閉じてしまった。
「いいんです。でも、これだけは知っておいてください。父もあなたも兄も、そして私自身もみんな自分勝手で、それを認めてくれる人が居なくて、独りぼっちなだけなんです。でも、あなたは自分勝手な私を許してくれた。その優しさが私を救ってくれたことを。」
「さようなら。」それだけを言い残して、彼女は俺の前から消えた。
”独りぼっち”確かにそうかもしれない。樫木さんもあのホームレスも、あの兄弟たちも、俺も。
みんな独りぼっちなんだ。だから、こんなに空虚な気持ちになる。
みんな独りぼっちでおかしくなってしまったのだ。
そうやって、自分でも分からない答えになぜか納得してしまった。
そう吹っ切れたら、自然と心が軽くなった気がした。
今日も、やけに電車とサイレンの音がうるさかった。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
息子の日記を発見したから読んでみた話
kkkkk
現代文学
息子の結婚式を来月に控える父親は、息子の部屋から高校時代の日記を発見した。
娘の日記を読む父親はクズだと思う。かと言って、息子の日記を読んでいいのかと聞かれると返答に困る。
この物語は、勇気を出して息子の日記を読む父親の話である。
前半はおじさんが日記を読みながらブツブツと感想を言っているだけの内容です。読む人によっては嫌悪感しかない描写かもしれません。
最後まで見ると、この話が何か分かると思います。5話完結を予定しています。
【補足】
この話は2人の知人の話を参考にした物語です。2人のノンフィクションを組み合わせて、性別、年齢、場所などを変えました。これをフィクションと呼ぶのかノンフィクションと呼ぶのかは分かりません。
物語全体としては、ホームドラマ、恋愛、ミステリーを組み合わせたような内容になっています。
なお、この話は当時の社会背景を基にしていますが、政治的思想について言及するものではありません。
×××回の人生に餞を
有箱
現代文学
いじめを苦に命を絶つ度、タイムリープによって時間が戻される。
もう何度、同じ人生を繰り返しただろうか。少なくとも、回数を忘れるほどには繰り返した。
抜け出すためには戦うしかない。そう頭で分かっていても体が拒絶してしまう。
もう、繰り返すのは嫌だよ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる