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感染経路
しおりを挟む今日で、この会社に就職してからちょうど1年になる。
高校を首席で卒業した俺は、この会社で内定を取ってから一度も休むことなく務めてきた。
毎日同じ電車に乗り、会社で仕事をし、また同じ電車に乗って家まで帰る。そんな、なんとでも無い毎日だったが、俺にとっては充実した毎日だった。
今日も今日とて仕事が終わった俺は、いつものように20時ぴったりに出発する電車を待っていた。
隣には、中学生ぐらいの男の子がスマートフォンを一生懸命にいじっていた。
「まもなく~電車が参ります。ご注意ください。」と、電車が到着することを伝えるアナウンスが駅のホームに鳴り響く。
隣にいる男の子はスマートフォンをいじるのを辞め、鞄を地面に置いた。
これから電車が来るというのに、鞄を地面に置くというのは不思議ではあったが、それを気にする以上に仕事での疲れが勝っていた。
そんな何ともくだらないことを考えている間に、電車がやってきた。電車が俺の目の前を通り過ぎると共に、男の子も線路へと走り去ってしまった。
声を上げることもできなかった。目の前で自分よりも年下の男の子が自殺をしたというのに、現実感の無さからか、仕事の疲れからかはわからないが、何も感じることが出来なかった。
気づけば電車は人身事故のため止まっており、駅のホームは悲鳴と雑言で騒がしくなっていた。サイレンの音がうるさい。
唖然とする俺に誰かが何かを言っていた気もするが、何も頭に入ってこない。
言われるがまま、連れられるがまま。俺は手錠を掛けられ、パトカーに乗せられた。サイレンの音がやけにうるさい。
「あんたがやったのか?」
意識がはっきりした時、俺の眼前に広がる光景は、昔ドラマで見た光景そのものだった。少し違うのは、俺が画面の向こう側ではなく、内側にいるということくらいだろう。
しかし、現実はドラマよりも酷く「お前がやったんだろ!」「さっさと吐け!」などの罵声を散々浴びせられた。ドラマの犯人の気持ちはわかりはしないが、ここで折れてしまわないあの姿勢には敬意を表したくなった。
ここで「俺がやりました。」と言うか、「俺はやっていません。」と言うかですごく迷ったが、結局俺はどちらも口にすることが出来なかった。
頭に入ってこない罵声を浴びせられるうちに月は沈み、日が昇った。
結局、監視カメラの映像を確認した結果、俺は無罪であることが判明した。無罪であると分かった瞬間、俺は追い出されるように警察署から出された。
今から仕事に向かっても間に合わないだろう。
ポケットから携帯を取り出し、会社の番号を眺める。
休むように電話をするつもりだったが、何ていえばいいのか分からなかった。結局電話をすることもなく、携帯をポケットにしまい、帰路に就く。
初めて会社を休んだ俺は、せっかくの休みだと思い、何かをしようと息巻いていた。
でも、誰も待っていない自分の部屋に帰ってきて一番に思い浮かんだのは、線路へと消えていった男の子のことだ。何をすればいいかもわからず、何もする気が起きないまま枕に顔を埋める。
なぜ、あの男の子は自ら命を絶つことを選んだのか?なぜ、ちょうど俺のいる時間帯だったのか?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?
考えても答えの出ない疑問が頭から溢れ出し、こびりついて離れない。
寝付くことも出来なかった俺は、結局会社へ行った。
会社に社長出勤した時には、上司に散々言われたが、隣で自殺があったこと、殺人者と間違われたことを上司に説明すると、「大変だったな。」との一言で、それ以上は何も言わなかった。
仕事はいつものように、とは行かなかった。
やり慣れたはずの仕事もろくに手がつかず、業務を終われないまま退社の時間になってしまった。
それを見兼ねてか、年上の部下である樫木さんに「飲みに行かないか?」と誘われた。
昨日の出来事、今感じる現実感の無さを忘れたいこともあり、樫木さんについていくことにした。
樫木さんの後ろについて歩く。
居酒屋、スナック、カラオケ店と電飾等がやけにうるさい商店街を通り抜け、社会に適応することが出来なかった人たちの間を通りぬけた。その間、会話をすることもなかった。
もともと口数の多くない樫木さんのことだから、どこか穴場を知っているだろうと、黙ってついていった。
最終的にたどり着いたのは、誰もいない静かな川辺だった。
「お前、今どんな気分だ?」
「え?」
咄嗟に投げかけられた質問に、俺は間の抜けた声でしか返事をすることが出来なかった。
質問を投げかけた本人も、怒りなのか、悲しみなのか、何とも言えない面持ちでいる。
それがなぜなのか、俺には到底理解できない。
「お前がやっても、あいつが自分でやっても、どっちにしろ、俺はお前を許さない。」
「だからどういう、」
俺が理由を聞くよりも早く、樫木さんは拳を振りかざした。
俺の体は宙を舞った。地面に叩きつけられ、背中、頬に痛みが走る。
そこから樫木さんは、俺の体を何度も何度も殴り、蹴った。
気が済んだのか、やる意味を失くしたのか、樫木さんはその場に座り込んだ。
顔は見えないが、頬には涙が流れている。
「なんで、お前がのうのうと生きられて、俺の息子が死ななければならないんだ?いっそのことお前が死んでしまえばよかったのに。」
浴びせられる暴力と雑言。それにやり返してやる体力も残っていない。
これ以上やることが無くなったのか、樫木は俺を放置したまま立ち去って行った。
俺の頬を涙が流れているのがわかる。
殴られた痛みからではない。罵詈雑言を浴びせられたからでもない。世界に見放された気がしたからだ。
あの男の子は自殺したというのに、災禍はちょうど隣に居合わせただけの俺に降りかかった。
誰も俺の味方をしてくれなかった。
誰も助けてくれなかった。
誰も見てくれなかった。
溢れ出てくる悲しさに涙する。誰もいない川辺の静けさが俺の思いをさらに加速させた。
痛みと悲しみ。それに、底知れない孤独さを胸に抱いたまま、俺は涙を遮るために力強く目を閉じた。
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