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第十章 混乱と動乱
第245話 茶番
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「あーもう! あのおっさん! むかつくっ!」
ハルスベルク公爵家の屋敷での軍議を終え、宿の自室に戻ってきたノエインは、椅子の上にどかりと腰を下ろしながら言った。
ノエインがおっさん呼ばわりしているのは、敬愛すべき君主であるオスカー・ロードベルク三世その人だ。
「ずいぶんとご立腹だな。何か問題でもあったのか?」
少し眉を上げながらそう尋ねたのはユーリだ。
造りは豪奢だが大して広くもないハルスベルク公爵家の屋敷に、50人以上もの上級貴族が好き勝手に馬車で押しかけたら大混雑になる。そのため、貴族たちはなるべく同じ馬車に乗り合わせて軍議に来るよう言われていた。
ノエインはアルノルドと一緒にベヒトルスハイム侯爵の馬車に乗せてもらったので、今回ばかりは側近のユーリたちも宿で留守番だった。なので宿に帰って来て早々、自分とマチルダの部屋にユーリとペンスを呼んで報告会をすることにしたのだ。
ノエインが泊まっているのも貴族向けの高級宿ではなく、平民向けの少々安い造りの宿だ。人口5000人程度で宿屋もさほど多くない公爵領で貴族が一堂に会したため、高級宿の部屋は大貴族たちに優先的に回され、このような部屋しか残っていなかった。
「いやーそんなことないよ? もう事前の打ち合わせ以上に大成功。最っっ高の茶番だったよ」
そう皮肉を零しながらノエインはマチルダの淹れてくれたお茶をすすり、今日の軍議の流れをユーリとペンス、そしてマチルダに語って聞かせる。
ノエインの言う通り、今日の軍議は茶番だった。オスカーはノエインに対してあの場で初めて意見を問うような言い方をしていたが、全ては事前に伝えられていたのである。
軍議の数日前に公爵領に到着したノエインは、ベヒトルスハイム侯爵の手回しでオスカーへの謁見の機会を与えられ、貴族たちから「悪魔の発想」と評された例の意見を具申した。最初こそオスカーも、同席していたブルクハルト伯爵も衝撃を受けた様子だったが、その有効性を認め、選択の余地もないことから最後には採用を決めたのだ。
さらに、ミレオン聖教伝道会の総本山セネヴォア伯爵領から来たミネリエン男爵もグルである。男爵から事前に『天使の蜜』の原液の生産量を聞き出し、ノエインの策が実現可能か話し合われていた。
こうした前準備の末に、「当日に適当なタイミングで話を振るからその策を貴族たちにも説明しろ」とノエインはオスカーから指示を受けていたのだ。
ノエインが聞かされていたのは「最初は貴族たちも抵抗を示すだろうが、国王自身がノエインの策を認めるかたちをとって反対意見を封じるから問題ない」というだけのもの。しかし、結果はあのザマだ。
「すごいよね、僕は皆から悪魔だの下衆だの変態だの言われ放題だったのに、僕の策を実行すると決めた国王陛下は皆からかしづかれて忠誠誓われちゃってさ。まるで悲劇の英雄だよ。ほんっと名演だった。皆にも見せたかったよ」
結果的に貴族たちのヘイトは全てノエインに押しつけられ、オスカーはノエインの案を採用しながらも貴族たちのプライドを上手くくすぐって支持を獲得した。
王国を救う起死回生の案を出してやったのに、貴族たちからドン引きされて嫌われただけに終わったノエインはまるで道化だ。ここまで一方的な筋書きになっていたとは聞いていない。
「それは……」
「何と言うか……凄いですね」
「卑劣な男ですね、オスカー・ロードベルク三世は。これではノエイン様だけが損をさせられたことになります。許せません」
話題の対象が国王陛下ということで言葉選びに悩んだユーリとペンスとは違い、マチルダは愛する主人を体よく利用したオスカーを容赦ない言葉で批判する。ユーリたちはぎょっとした表情で彼女を見る。
「ありがとうマチルダ。まあ陛下も状況が状況だから仕方ないんだろうけどさあ……途中でぶち切れてノルトリンゲン伯爵と喧嘩しちゃった僕も悪いといえば悪いし。だけどあの流れを作ったのもきっと陛下の狙いなんだろうねえ」
本来なら最初にノルトリンゲン伯爵たちがギャーギャー言い出した時点で、ブルクハルト伯爵が「国王陛下の御前であるぞ!」と一喝して黙らせて然るべきだった。
しかし伯爵も、そしてオスカーも、黙って貴族たちに好き放題言わせてあの場で不満を発散させていたのだ。それを一身にぶつけられ、ついでにマチルダとの関係を「変態」と罵られたノエインもあまりの言われようについ怒鳴り返してしまったが、その展開さえオスカーたちは狙っていたように思えてならない。
王国が滅びるかどうかの状況で貴族たちの不満をを王家に向けられたくないというオスカーの都合も分かるが、貧乏くじを押しつけられるノエインとしてはたまったものではない。
「だが、オスカー陛下は基本的には善良な君主なんだろう? 緊急事態で臣下を利用したのなら、戦争が終わればちゃんと相応の褒美を与えて借りを返してくれるんじゃないか?」
「まあ多分そうだろうけど……っていうか何が何でも返させるよ。倍にして、いや十倍にして返してもらわなきゃ。上手くいけば僕の策で王国が救われるんだからさ」
鼻息を荒くして言うノエインに、ユーリもペンスも苦笑する。
「……まあ、剣を自分に向けて『この場で私を斬れ』はなかなか凄かったけどね。あの覚悟に免じて、今は憎まれ役を務めてあげてもいいかな」
オスカーのあの行動には、ベヒトルスハイム侯爵をはじめとした領主貴族たちはもちろん、ブルクハルト伯爵でさえも素で驚いていたように見えた。あれはオスカーのアドリブで、本心からの覚悟の表れだったのだろう。
貴族たちの感情を揺さぶって国王への支持を確かなものにするためだったのだろうが、その根性だけは認めてやらないでもない。
「今日の軍議で大体の方針がまとまったってことは、明日からは具体的な編成なんかの話し合いに入るってことですか?」
「そうだねー、まあそれも事前に筋書きはほとんど決まってるから、また素敵な茶番になるんだろうけど。たぶん一日あれば終わるんじゃないかな。僕たち貴族もあんまりここで時間を使っていられないし」
一日目の今日は「ノエイン・アールクヴィスト子爵の提案した策を採用する」という大筋を全員一致で決めて終了し、部隊編成だの具体的な戦略だのの話し合いは明日あらためて行われることになっている。
しかし、それも大筋はブルクハルト伯爵がこの数日で考えてまとめているはずだ。
現在の軍務大臣であり、王国軍の元第一軍団長という輝かしい実績を持つブルクハルト伯爵の立てた戦略なら大きな反対も出ないだろう。明日の軍議もきっと楽なものだ。
・・・・・
そんなノエインの予想通り、その後の軍議は大過なく終わった。
ブルクハルト伯爵が戦略の大枠を提示し、北西部閥と北東部閥の中核を成す貴族たちがそれをもとに部隊編成について話し合う。
さらに、その他の貴族も加わって各家の兵力の供出数やおおよその集結の日時なども決められ、初日の大騒ぎが嘘のようにスムーズに話がまとまった。
これも神が王国の勝利を運命づけているからだと貴族たちは上機嫌になり、「アールクヴィスト子爵の策を聞いて一晩でこれほど整った策を考えられるとはさすが軍務大臣殿」とブルクハルト伯爵を持ち上げ、それを聞いていたノエインは他の者に見えないように白けた表情を浮かべていた。
軍議を終えた貴族たちは、ただちに戦の準備を整えるために各自の領へと帰還する。
こうして王国北部で反撃の用意が進められる一方で――王国南部の貴族と王都の軍人たちは、その命を賭してベトゥミア共和国に立ち向かい、時間を稼いでいた。
ハルスベルク公爵家の屋敷での軍議を終え、宿の自室に戻ってきたノエインは、椅子の上にどかりと腰を下ろしながら言った。
ノエインがおっさん呼ばわりしているのは、敬愛すべき君主であるオスカー・ロードベルク三世その人だ。
「ずいぶんとご立腹だな。何か問題でもあったのか?」
少し眉を上げながらそう尋ねたのはユーリだ。
造りは豪奢だが大して広くもないハルスベルク公爵家の屋敷に、50人以上もの上級貴族が好き勝手に馬車で押しかけたら大混雑になる。そのため、貴族たちはなるべく同じ馬車に乗り合わせて軍議に来るよう言われていた。
ノエインはアルノルドと一緒にベヒトルスハイム侯爵の馬車に乗せてもらったので、今回ばかりは側近のユーリたちも宿で留守番だった。なので宿に帰って来て早々、自分とマチルダの部屋にユーリとペンスを呼んで報告会をすることにしたのだ。
ノエインが泊まっているのも貴族向けの高級宿ではなく、平民向けの少々安い造りの宿だ。人口5000人程度で宿屋もさほど多くない公爵領で貴族が一堂に会したため、高級宿の部屋は大貴族たちに優先的に回され、このような部屋しか残っていなかった。
「いやーそんなことないよ? もう事前の打ち合わせ以上に大成功。最っっ高の茶番だったよ」
そう皮肉を零しながらノエインはマチルダの淹れてくれたお茶をすすり、今日の軍議の流れをユーリとペンス、そしてマチルダに語って聞かせる。
ノエインの言う通り、今日の軍議は茶番だった。オスカーはノエインに対してあの場で初めて意見を問うような言い方をしていたが、全ては事前に伝えられていたのである。
軍議の数日前に公爵領に到着したノエインは、ベヒトルスハイム侯爵の手回しでオスカーへの謁見の機会を与えられ、貴族たちから「悪魔の発想」と評された例の意見を具申した。最初こそオスカーも、同席していたブルクハルト伯爵も衝撃を受けた様子だったが、その有効性を認め、選択の余地もないことから最後には採用を決めたのだ。
さらに、ミレオン聖教伝道会の総本山セネヴォア伯爵領から来たミネリエン男爵もグルである。男爵から事前に『天使の蜜』の原液の生産量を聞き出し、ノエインの策が実現可能か話し合われていた。
こうした前準備の末に、「当日に適当なタイミングで話を振るからその策を貴族たちにも説明しろ」とノエインはオスカーから指示を受けていたのだ。
ノエインが聞かされていたのは「最初は貴族たちも抵抗を示すだろうが、国王自身がノエインの策を認めるかたちをとって反対意見を封じるから問題ない」というだけのもの。しかし、結果はあのザマだ。
「すごいよね、僕は皆から悪魔だの下衆だの変態だの言われ放題だったのに、僕の策を実行すると決めた国王陛下は皆からかしづかれて忠誠誓われちゃってさ。まるで悲劇の英雄だよ。ほんっと名演だった。皆にも見せたかったよ」
結果的に貴族たちのヘイトは全てノエインに押しつけられ、オスカーはノエインの案を採用しながらも貴族たちのプライドを上手くくすぐって支持を獲得した。
王国を救う起死回生の案を出してやったのに、貴族たちからドン引きされて嫌われただけに終わったノエインはまるで道化だ。ここまで一方的な筋書きになっていたとは聞いていない。
「それは……」
「何と言うか……凄いですね」
「卑劣な男ですね、オスカー・ロードベルク三世は。これではノエイン様だけが損をさせられたことになります。許せません」
話題の対象が国王陛下ということで言葉選びに悩んだユーリとペンスとは違い、マチルダは愛する主人を体よく利用したオスカーを容赦ない言葉で批判する。ユーリたちはぎょっとした表情で彼女を見る。
「ありがとうマチルダ。まあ陛下も状況が状況だから仕方ないんだろうけどさあ……途中でぶち切れてノルトリンゲン伯爵と喧嘩しちゃった僕も悪いといえば悪いし。だけどあの流れを作ったのもきっと陛下の狙いなんだろうねえ」
本来なら最初にノルトリンゲン伯爵たちがギャーギャー言い出した時点で、ブルクハルト伯爵が「国王陛下の御前であるぞ!」と一喝して黙らせて然るべきだった。
しかし伯爵も、そしてオスカーも、黙って貴族たちに好き放題言わせてあの場で不満を発散させていたのだ。それを一身にぶつけられ、ついでにマチルダとの関係を「変態」と罵られたノエインもあまりの言われようについ怒鳴り返してしまったが、その展開さえオスカーたちは狙っていたように思えてならない。
王国が滅びるかどうかの状況で貴族たちの不満をを王家に向けられたくないというオスカーの都合も分かるが、貧乏くじを押しつけられるノエインとしてはたまったものではない。
「だが、オスカー陛下は基本的には善良な君主なんだろう? 緊急事態で臣下を利用したのなら、戦争が終わればちゃんと相応の褒美を与えて借りを返してくれるんじゃないか?」
「まあ多分そうだろうけど……っていうか何が何でも返させるよ。倍にして、いや十倍にして返してもらわなきゃ。上手くいけば僕の策で王国が救われるんだからさ」
鼻息を荒くして言うノエインに、ユーリもペンスも苦笑する。
「……まあ、剣を自分に向けて『この場で私を斬れ』はなかなか凄かったけどね。あの覚悟に免じて、今は憎まれ役を務めてあげてもいいかな」
オスカーのあの行動には、ベヒトルスハイム侯爵をはじめとした領主貴族たちはもちろん、ブルクハルト伯爵でさえも素で驚いていたように見えた。あれはオスカーのアドリブで、本心からの覚悟の表れだったのだろう。
貴族たちの感情を揺さぶって国王への支持を確かなものにするためだったのだろうが、その根性だけは認めてやらないでもない。
「今日の軍議で大体の方針がまとまったってことは、明日からは具体的な編成なんかの話し合いに入るってことですか?」
「そうだねー、まあそれも事前に筋書きはほとんど決まってるから、また素敵な茶番になるんだろうけど。たぶん一日あれば終わるんじゃないかな。僕たち貴族もあんまりここで時間を使っていられないし」
一日目の今日は「ノエイン・アールクヴィスト子爵の提案した策を採用する」という大筋を全員一致で決めて終了し、部隊編成だの具体的な戦略だのの話し合いは明日あらためて行われることになっている。
しかし、それも大筋はブルクハルト伯爵がこの数日で考えてまとめているはずだ。
現在の軍務大臣であり、王国軍の元第一軍団長という輝かしい実績を持つブルクハルト伯爵の立てた戦略なら大きな反対も出ないだろう。明日の軍議もきっと楽なものだ。
・・・・・
そんなノエインの予想通り、その後の軍議は大過なく終わった。
ブルクハルト伯爵が戦略の大枠を提示し、北西部閥と北東部閥の中核を成す貴族たちがそれをもとに部隊編成について話し合う。
さらに、その他の貴族も加わって各家の兵力の供出数やおおよその集結の日時なども決められ、初日の大騒ぎが嘘のようにスムーズに話がまとまった。
これも神が王国の勝利を運命づけているからだと貴族たちは上機嫌になり、「アールクヴィスト子爵の策を聞いて一晩でこれほど整った策を考えられるとはさすが軍務大臣殿」とブルクハルト伯爵を持ち上げ、それを聞いていたノエインは他の者に見えないように白けた表情を浮かべていた。
軍議を終えた貴族たちは、ただちに戦の準備を整えるために各自の領へと帰還する。
こうして王国北部で反撃の用意が進められる一方で――王国南部の貴族と王都の軍人たちは、その命を賭してベトゥミア共和国に立ち向かい、時間を稼いでいた。
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