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第十章 混乱と動乱

第242話 軍議

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 王国北端、王都から見てほぼ真北に位置するハルスベルク公爵領は、初代国王の従兄弟によって興された領地とされている。

 総人口は五〇〇〇人ほどで、そのほぼ全てが領都レーゼンドルフに暮らし、規模としては貴族領の中でも特別大きくはない。しかし、王家の縁戚として、王国北部における王家の目や耳として、いざというときの王家の避難場所として、重要な役割を担ってきた。

 オスカー・ロードベルク3世の妻であるイングリッドも、もとはハルスベルク公爵家の人間だ。

 そんな公爵領の領都レーゼンドルフにあるハルスベルク家の屋敷が、今は王都から避難してきた国王とその家族の居所となっている。

 そして十一月下旬の午後。この屋敷の中にある広間で、ロードベルク王国の命運を決める軍議が開かれようとしていた。

「……王国貴族の諸君、まずはこの国の王として、礼を言わせてほしい。今日この日、この時、この軍議の場に集ってくれたことを感謝する」

 当代ハルスベルク公爵である小柄な老人と、参謀のブルクハルト伯爵を伴いながら会議室に入室したオスカーは、既に部屋に集い、片膝をついて臣下の礼をとっていた貴族たちに言葉をかける。

「我々は陛下の忠実なる臣であり、王国を守る責務を持つ貴族であります。陛下の命に応え、馳せ参じるのは、当然の務めと考えます」

 貴族たちを代表して答えたのはジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵だ。同格の貴族としては北東部閥の盟主であるシュタウフェンベルク侯爵もこの場にいるが、先代の早逝によって三十代の若さで家督を継いだシュタウフェンベルク侯爵よりも年上であるという理由から、ベヒトルスハイム侯爵がこの役割を務めていた。

「汝らの忠節、確かに受け取った……では早速だが、本題といこう。我々には時間がないからな。皆楽にしてくれ」

 オスカーに言われ、貴族たちは立ち上がって広間の中央に置かれた大きな机を囲む。ブルクハルト伯爵がその机の上に地図を広げる。

 縦幅が人の身長を優に超えるほど大きなこの地図は、可能な限り正確に王国内の地形や街道、主な都市などの位置を記録したもの。軍事上の国家機密が詰まった、王家に代々伝わる最重要の財産のひとつだ。

「具体的な話は私からさせていただく。まずは偵察と、一部だが『遠話』によって得られた情報から、ベトゥミア共和国軍の主な位置を説明していく」

 言いながら、ブルクハルト伯爵は軍議や机上演習などに利用される駒を地図上に配置していく。

「敵の戦闘部隊の本隊と思われるのが、王都リヒトハーゲンを包囲している部隊。総勢は五万だ。他に、王国南西部ガルドウィン侯爵領を落とした部隊がおよそ二万強。さらに南東部ビッテンフェルト侯爵領を包囲している部隊がこちらも二万強。これらがベトゥミアの主力と考えられる」

 伯爵は地図の中央よりやや下側に大きな駒を五つ、左下の端の方に二つ、右下の中央右寄りに二つ置いていく。

「そして、キヴィレフト伯爵領とアハッツ伯爵領に二万ずつの軍勢がいると思われる。これはどちらも古い情報だが、敵も本国からの補給拠点の守りは固めておきたいはず。今もそう大きく変わってはいないだろう。その他にも、パラス皇国とランセル王国との国境にもそれなりに大きな部隊が配置され、国境を封鎖しているようだ。ここまでが総勢十五万」

 また大きな駒を置きながら伯爵が語る。

「残る五万の敵だが、これは補給や支配域の制圧のための部隊のようだ。千人規模の比較的大きな隊もあれば、数十人規模の小部隊も多く確認されている」

 さらに小さな駒が、地図の下側三分の一ほどの範囲にいくつも置かれる。

「南部の民の反応は様々だ。難民化しながら北側へ逃れてくる者もいれば、飢饉と戦争で飢え死にするくらいならと自らベトゥミアの奴隷になる者も多くいる。ベトゥミア兵の一部は暴行や強姦などかなり乱暴な振る舞いをしているようで、それに対する抵抗も見られるという……以上が、王国南部の大まかな状況だ」

 簡単な説明、そして駒の配置を終えたブルクハルト伯爵は、顔を上げる。

「……何とも、あらためて見ると凄まじい規模の軍勢ですな」

 その場に集う貴族の一人が思わずといった様子で呟いた。無理もないだろう、と広間の後ろの端に立つノエインも思う。

 アドレオン大陸南部では屈指の大国とされるロードベルク王国でも、人口の一パーセント程度、二万人も動員すればそれは大戦と呼ばれるのだ。そのさらに十倍にも及ぶ軍勢を、船で海の向こうから送ってくるなど、ベトゥミア共和国の国力は想像を絶する。

「同感だが、今さらそんなことを言っていても仕方がない。我々はこの状況から勝利の道を探し出すしかないのだ。今日は立場も爵位も関係ない。諸君らの忌憚なき意見と活発な議論を求める。どんな案でもいい。提示してくれ」

「では僭越ながら、私が申し上げます!」

 ブルクハルト伯爵が言うと、真っ先に一人の貴族が発言の許可を求めた。北東部閥の中心的な貴族の一人で、猪突猛進型の武将として知られるノルトリンゲン伯爵だ。

「我々は既に動員兵力の総数で敵に劣る現状、一塊の強固な軍勢となって王都を包囲する敵の本隊を撃滅することが最も有効と愚考いたします! その後は勢いを保ったまま南西部のアハッツ伯爵領まで攻め込み、敵の本国との補給を断ち――」

「ふっ、本当に愚考だな」

 机を挟んで広間の左側に固まる北西部貴族の一人が呟き、ノルトリンゲン伯爵が頭に血を上らせる。

「何だと!」

「王国の現状では、農民までかき集めても総兵数は五万程度だろう。敵の本隊には運が良ければ勝てるかもしれんが、こちらの損害も計り知れん。消耗した軍勢でさらに国の南西端まで進軍するだと? 途中で他の敵部隊に囲まれて全滅だ。それに、軍が南進している間、無防備な王国北部はどうするつもりだ? これだから猪武者は……」

「黙れ! 最弱の北西部閥の分際で!」

「おい、それは我々北西部貴族の全員を侮蔑する言葉だぞ!」

「ここ数年で勢力を伸ばしたからといって調子に乗るなよ!」

「うるさい! 北東部閥こそ最近はろくな成果も上げていないくせに……」

 個人同士の言い合いに他の何人かの貴族も口を挟み、北西部閥と北東部閥の罵り合いへと発展しそうになる。

「黙れ!」

「喋るな」

 それを止めたのはベヒトルスハイム侯爵の鋭い怒声と、決して大きくはないのによく響いたシュタウフェンベルク侯爵の声。派閥盟主たちの一言だった。

「失礼した。侮辱するような否定の仕方になったことを、北西部閥を代表して謝罪する」

「こちらも、卿らの派閥を無意味に貶める発言が出たことを申し訳なく思う……陛下。ブルクハルト大臣。私からもひとつ案を提示してよろしいでしょうか?」

 ベヒトルスハイム侯爵と謝罪を交わし、そのまま話し始めるシュタウフェンベルク侯爵。若くして侯爵家の当主の座についた彼だが、その才覚は派閥盟主として既に申し分ないものと貴族社会では評されている。

「よかろう」

「是非、お願いしよう」

「感謝いたします。では……全軍による正面突撃には、確かに先ほど意見が出たように問題があります。なので私は総兵力の六割、およそ三万を主力とし、これを以てまずは王国南東部を攻めることを提案いたします。その間、残る二万の軍勢は守りに徹し、王国中央部や西部の敵を抑えます」

 地図上に置かれた赤い駒とは別の、青い駒を持って説明するシュタウフェンベルク侯爵。

「正規軍人を中核とした三万の軍勢であれば、南東部ビッテンフェルト侯爵領まで到達し、東部の敵の主力に打ち勝つこともできましょう。侯爵領の残存部隊との合流も叶います。そうしてラーデンまで進軍し、港を奪還。こればかりは気を張って力づくで成し遂げるしかありませんが……叶えば敵の首を強く絞めることができます」

 シュタウフェンベルク侯爵は先ほどのノルトリンゲン伯爵とは違い、淡々と語る。

「その時点で、残る二万も一挙に進軍し、ラーデンを取り返した主力と共に敵の本隊を南北から挟撃して殲滅。合流した大軍勢でアハッツ伯爵領も奪還。国内に残る敵戦力を各個撃破します……これならば、勝ち目も見えるのではないかと」

 最初の意見よりはまだいくらか実現可能性のある提案に、貴族たちの表情も少しだけ明るくなる。

「……いや、一度ラーデンを奪還しても、ベトゥミアが異国に多くの兵を捨て置いたまま諦めるとは思えん。すぐに敵の本国から増援が来て、再びラーデンを奪い返されるだろう。そうなれば今度はこちらの本隊が海と内陸から挟撃される」

「……なるほど。確かに大臣の仰る通りです」

 それを否定したのはブルクハルト伯爵だった。王国内にいる現時点の敵だけでなく、ベトゥミア本国のことまで考慮したその意見に納得したのか、シュタウフェンベルク侯爵も苦い表情で頷く。

 その後も何人かの貴族から案が出るが、どれもあまりにも楽観的な予測に基づくものだったり、賭けに出るにしても分が悪すぎたりと、希望は見えない。

 意見が出尽くし、広間に絶望的な空気が漂い始める中で、その正面中央に立つオスカーが口を開いた。

「……アールクヴィスト子爵。いるか?」

「はっ。ここに」

 会議室の左側後方の端から一歩前に進み出て、それまでひと言も発言していなかったノエインが答える。

「汝はかつて南西部国境の大戦で小勢をもって要塞の死守を成し、二年前にはカドネ・ランセル一世の親征を、こちらも小勢で退けた英雄だ。汝に何か良き案があれば聞かせてほしい」

 オスカーの言葉を聞きながら、貴族たちもノエインに視線を移す。以前にも奇跡のような勝利を挙げたアールクヴィスト子爵なら、何か夢のような提案をしてくれるのではないかと期待の眼差しをノエインに向ける。

「……ひとつだけ、案がございます」

 全員の視線を一身に受けながら、ノエインは口を開いた。
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