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第十章 混乱と動乱

第237話 苦渋の決断

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「陛下、南東部のビッテンフェルト侯爵領の情報が伝令によってもたらされました。侯爵領領都はベトゥミア共和国軍の攻勢に対して未だに持ち応えており、当面は陥落の心配はないとのことです」

 ロードベルク王国の王都リヒトハーゲン。その北側に位置する広大な王宮内の、さらに奥にある王家の居所たる王城、その中の国王専用の執務室で、オスカー・ロードベルク3世は軍務大臣のラグナル・ブルクハルト伯爵から報告を受け取った。

「そうか、ようやく悪くない報せが入ったな。さすがは王領に次ぐ大領を治めるビッテンフェルト侯爵だ……にしても、『遠話』ではなく伝令か。やはり南部の通信網は崩壊したようだな」

「そのようです。ロードベルク王国の『遠話』通信網も、元はベトゥミア共和国から聞いた制度を参考に構築したものですので……敵も真っ先に潰しに来たのでしょう」

 硬い表情のオスカーに、ブルクハルト伯爵は淡々と答える。二人とも目の下には隈を作り、誰が見ても疲労が溜まっていることが分かる顔になっていた。

 ベトゥミア共和国の大使がオスカーへと謁見するなり宣戦布告を告げ、交渉の余地なしと言い放って帰っていったのがおよそ1か月前。その日のうちにはキヴィレフト伯爵領の領都ラーデンにベトゥミア共和国軍が上陸したと『遠話』通信網で急報が入った。

 以降、オスカーもブルクハルト伯爵も、他の宮廷貴族たちも、軍人も、誰もがその対処に追われている。ベトゥミアの侵攻は異常なペースで王国南部に広がっており、何度策を練っても新たな凶報によってその前提が覆り、新たな対応を考える羽目になる。

 重臣たちとの話し合いに追われ、地方貴族たちとも連絡を取りつつ反撃の策を考え、何より、このままでは本当にロードベルク王国が滅びるという危機感に追い詰められ、オスカーは特にここ数日ろくに眠れていない。

「……南西部のガルドウィン侯爵領はどうだ? その後の続報は?」

「……相変わらずですな。敵が到達したという報せが一週間前に来てから、音沙汰はありません。偵察部隊を送りましたが、その報告もまだです」

「そうか。考えたくはないが、最悪の事態を想定しなければならないだろうな……」

 ガルドウィン侯爵領は、王領を除けばビッテンフェルト侯爵領に次いで国内二番目の規模を誇る大領だ。ランセル王国カドネ派との戦いで力が弱っていたとはいえ、あそこが簡単に敵の手に落ちるとはにわかには信じ難い。

「……陛下、ここはやはり」

「そうだな……王国南部については遅滞戦闘に努めさせて冬に入るまで時間を稼ぎ、北部貴族たちと共に部隊編成を行って冬明けと同時に反転攻勢に出る。それしかあるまい」

 それは実質的に王国南部を丸ごと囮にする作戦だった。野戦ならともかく籠城しての防衛戦を行えばロードベルク王国側も数の不利は補えるが、それでも冬明けまでにどれほどの貴族領が落ち、貴族や民が殺されるかは計り知れない。

 それをしたとて、王国中央部と北東部、北西部だけでは動員できる兵力はたかが知れている。飢饉の影響は来年まで引きずることになるだろう。無理をして農民までかき集めても、五万~六万も動員できれば御の字といったところだ。

 ベトゥミア共和国を撃退したとしても、後に残るのは荒廃した街や村、壊れた流通や交通。領地を犠牲にさせた南部貴族の生き残りにも相応の褒美を与えなければ忠誠が失われてしまう。社会的にも政治的にも再建の道は遠い。

 とんでもない時代に王位に就いてしまったものだと、自分の運命を嘆きたくなるのをオスカーは堪える。

「敵の侵攻は必ず南部までで食い止める。南部から北部へと続く主要な街道上に、周辺貴族を集めさせて防衛線を構築させよう。それ以外の南部貴族は冬明けまで、籠城による持久戦、森や山に隠れての遊撃戦に努めるよう指示を出す。冬明けには必ずや救援に向かうと伝えよ。北部貴族には――」

「ほ、報告! 緊急報告!」

 そのとき、部屋に騎士が飛び込んできた。許可も待たず入室した騎士を、オスカーも伯爵も咎めはしない。今は非常事態であり、1か月前から通常の儀礼は省略されて久しい。

「お、王領南側のリンメル子爵領より伝令が参りました! 子爵領の南部にベトゥミア共和国軍が接近! その数およそ三万! リンメル子爵は領軍を率いて防衛を試みるものの、長くは持たないだろうとのことです!」

「な、何だと!」

「あり得ん! 早過ぎる!」

 騎士の言葉に、オスカーもブルクハルト伯爵も椅子を蹴倒すように立ち上がりながら怒鳴った。

 王国中央部は王領を囲むように建国当初からの譜代の貴族たちの領地が並んでおり、リンメル子爵領もそのひとつだ。譜代の貴族とはいえ一子爵領では、三万の軍勢の急襲を受ければひとたまりもあるまい。玉砕覚悟で戦っても、一日も持つかどうかといったところだ。

「敵の足はどうなっているのだ。上陸から一か月で三万の軍勢をここまで近づけるとは……」

「それに関してですが……ベトゥミア共和国軍は異様に足の速い馬車を兵の輸送に用いているとのことです!」

「馬車だと?」

「はっ。何でも二頭立ての馬車に30人以上の兵を乗せ、通常の倍以上の行軍速度を保ちながら進軍していたとの報告が……」

 オスカーとブルクハルト伯爵は揃って絶句した。二頭立ての馬車なら載せられるのは多くて10人、それだけ載せれば行軍速度は多少遅くなるのが普通だ。

「誤報……ということもあるまい。我々の知らない技術を使った新型の馬車でしょうか?」

「あるいは新種の馬かもしれんな。それは今はどうでもいい。目の前の危機に対応せねば」

 報告の騎士を下がらせ、オスカーは険しい顔でブルクハルト伯爵を見た。

「ラグナル、敵がリンメル子爵領を突破し、王領内を進軍してこの王都にたどり着くまでどれほどかかると思う?」

「……敵の進軍速度に、リンメル子爵領の時間稼ぎを考慮して……四日。いえ三日で到達すると考えるべきでしょうな」

「そうか。ではその三日後までにどのような対応ができる? 策はあるか?」

「……………………ひとつございます。まず、王国軍第二軍団長を――王弟アレキサンダー殿下をここへお呼びさせていただきたい」

 問われたブルクハルト伯爵は、しばらく黙り込んで長考した末に言った。

 それからさほど待たず、オスカーの弟である王弟アレキサンダー・ロードベルクが参上する。王族でありながら若くして軍で才覚を発揮したアレキサンダーは、現在は王都防衛を任とする王国軍第二軍団の軍団長にまで登り詰めている。

「国王陛下、ブルクハルト閣下、お呼びでしょうか」

 今は王族ではなく一軍人の立場で二人に敬礼を示すアレキサンダーに、ブルクハルト伯爵が口を開いた。

「ご苦労、軍団長。ベトゥミア共和国軍がこの王都に迫っているという話は聞いたか?」

「はっ。先ほど報告を受け、存じております。すでに防衛態勢を整えるために第二軍団と第十軍団を動かし、王領内に点在する第三、第四軍団にも伝令を送っております」

「よし。それに際してだが……王家存続のための脱出計画は生きているな?」

「……もちろんでございます。直ちにでも実行できます」

 伯爵の言葉に、アレキサンダーは無表情で頷いた。

「……お前たち、何を言っている?」

「陛下。ご即位の際にご説明があったかと思いますが、王国軍は緊急時に国王の直系一族を王領より脱出させるための計画を常に用意しております」

「それは知っている。なぜ今その話をするのかと聞いているのだ!」

 オスカーが怒鳴るが、ブルクハルト伯爵もアレキサンダーも表情は動かさない。

「陛下。第二軍団と第十軍団、王家の親衛隊や王都の衛兵を全て動員しても、総兵力はせいぜい5000。王領内に点在する第三、第四軍団も三日後までに全軍集結とはいかないでしょう。王都の民から徴兵するとしても、編成もままなりません。今ここでは、決戦には到底臨めません。このままでは陛下が北部貴族と合流できなくなります」

「だからといって私に逃げろというのか! 王が真っ先に都から逃げ出せと!」

 それに対して今度はアレキサンダーが口を開く。

「幸い、私は陛下の弟でありますから、背格好も声も似ています。私が陛下の予備の鎧を着用して敵の前に一度姿を見せれば、陛下が今だ王都内に留まっていると思わせ、敵を引きつけておくことは叶いましょう。陛下が一度王都を去るとしても、後に北部貴族の増援を連れて王都に舞い戻り、勝利を収められれば、王家の評価に傷もつきますまい」

「お前まで何を言うか、アレキサンダー! 私は自分の評判の話をしているわけではない! 王としての責任の話をしているのだ! 南部貴族たちにはその場に留まって戦わせるというのに、私だけ王都を捨てて――」

「兄上!」

 オスカーの言葉をアレキサンダーが切る。

「あなたは王なのですぞ! 確かにあなたには、その命を賭すべき場面がありましょう。しかし、それはここではないはずだ。あなたは王都や王領だけでなく、国そのものを守るためにその命を賭けねばならない!」

「王弟殿下の仰る通りです。陛下は一地方領主とは違います。この国の唯一無二の君主なのです。王都を脱出して未だ健在な北部の貴族たちと合流し、一つにまとめ上げ、以て侵略者への反撃に転ずる。それこそが陛下にしかできないお役目なのです。聡明な国王であらせられるあなたなら、お分かりのはずです」

 ブルクハルト伯爵も意見を重ねると、オスカーは一度黙り込んだ末に答えた。

「……それしか手段はないのだな」

「はい。それこそが勝利を掴み、ロードベルク王国を存続させる唯一の道でしょう。どうかご決断を」

 ブルクハルト伯爵がオスカーから目を逸らさずに答えると、オスカーは苦い表情で頷いた。

「……分かった。お前たちに従おう」

「では、ただちに準備を整え、本日深夜に王都外へ脱出。その後に北のハルスベルク公爵領へと避難していただきます。陛下とイングリット王妃殿下、そしてルーカス王太子殿下をはじめとした嫡子の皆様全員に脱出いただきます」

「また、今後の軍事参謀としてブルクハルト伯爵閣下にも陛下へご同行いただきます。王都防衛については私が指揮を担います」

 ブルクハルト伯爵の説明をアレキサンダーが補足する。

 オスカーは軍事に関しては特別に秀でた人間ではない。特に実務面に関しては不慣れだ。ブルクハルト伯爵も助言役として共に脱出するのは妥当な判断だった。

「分かった……アレキサンダー、死ぬなよ」

「もちろんです、兄上。王国軍第二軍団は、守りに関しては国内最強を自負しております。ここには王宮魔導士の面々もおり、周辺には未だ健在な中央部貴族たちもおります。反撃のときまで見事に王都を守り抜いてご覧に入れましょう」

 アレキサンダーはニヤリと笑い、自信に満ちた表情でオスカーに答えた。
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