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第十章 混乱と動乱
第233話 襲来③
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キヴィレフト伯爵領ラーデンの港は、ベトゥミア共和国軍によって瞬く間に制圧された。
港の沖には一応は警備船と呼ばれる軍船も出ていたが、ロードベルク王国の造船技術はベトゥミア共和国の足元にも及ばず、その大きさも兵装もたかが知れている。そもそもこの警備船は検問や、パラス皇国など文明レベルの近い隣国に対する海辺の警戒を任としている。
ベトゥミアのような遠い大国との交戦を想定していない十隻ほどの警備船は、虫が踏み潰されるがごとく容易く沈められた。
当時港に駐在していた陸上兵力は、キヴィレフト伯爵領軍の警備隊が100人ほど。こちらも船から降ろされる荷の監視や、港で起こる盗みや喧嘩沙汰などへの対処が主な役目であり、ベトゥミアの侵略にまともに抵抗できる戦力にはなり得なかった。
港に最初に到達したベトゥミア共和国の輸送船は五隻。その甲板から無数の矢が港に降り注ぎ、さらに火魔法『火炎弾』や水魔法『氷弾』、風魔法『風刃』などの攻撃魔法が放たれる。警備兵も商人も荷運びの人夫も、港にいた人々は等しく死体に変わる。
そこへ、船から兵士が上陸する。最初の五隻から降り立ったのは総勢3000人。さらに、未だ沖にいる船からも小舟が出され、それに乗って次々に兵士が上陸する。
ラーデンの都市内に侵入した兵士たちは、逃げる民を見境なく襲い、女子どもに至るまで容赦なく殺していった。
港の異変はすぐに都市内に伝わり、誰もが荷物をまとめる時間も惜しんで必死に逃げようとする。
平時でも三万の人口を抱えるラーデンは、今はさらに過密化していた。ベトゥミアから届く食糧を買い付け、ベトゥミアの求める金属資源や馬を売ろうとやって来ていた商人たちが千人単位で滞在していたのだ。そのため、都市の出入り口である門の周辺は瞬く間に避難者でごった返す。
「おい、早く行けよ! 早くしないと敵が来ちまう!」
「前が詰まってんだ! 進まないんだよ!」
「潰れる! 子どもが潰れる! 押さないでえぇ!」
「おい踏むな! 妻が倒れてるんだ! 頼む踏まないでくれ!」
住民と商人が門へと殺到し、さらには防衛の任を放棄した一部の領軍兵士までもが逃げ出そうとする。四方から押されて圧死する者、転んで後続の群衆に踏み潰されて死ぬ者も出る。
マクシミリアンとディートリンデはそんな門から離れた、大通りでもまだ多少は余裕のある場所を選びながら港の方へと進んでいた。数人の領軍兵士に先導されながら。
「う、狼狽えるなぁ!」
周囲を逃げ惑う民や兵士に向かって、マクシミリアンは精いっぱい声を張る。思いのほか大きな声が出て自分で少し驚く。
「女子どもは逃げろ! お、男は私についてこい! 妻と子を生かして逃がしたければ、私と共に戦えぇ! 侵略者を食い止めるために、私と戦うのだぁ!」
その言葉が、逃げる領民や兵士の間に響く。立派な鎧と兜を身につけ、(当人の内心はともかく見た目上は)この事態にも怖気づくことなく、堂々と港の方向へと進む領主の姿を多くの民と兵士が目にする。
マクシミリアンの言葉を聞き、後ろに続く者も現れる。怖気づいていた兵士は意を決して勇気を奮い立たせ、一般領民の男たちも家族に「先に行け」と言って、門とは逆方向に進むマクシミリアンの後を追う。
「私に続け! 女子どもを逃がすために私と共に戦え!」
声が裏返ろうと枯れようと気にせず、マクシミリアンは叫ぶ。その後ろに続く者は少しずつ増える。
その光景を見ながら、尚も叫びながらマクシミリアンは願う。この女と子どもたちが一人でも多く生き延びてほしいと。
生き延びて「マクシミリアン・キヴィレフト伯爵は侵略者に立ち向かい、大貴族にふさわしい立派な最期を遂げた」という話を広めてほしいと。
畏れ多くもこの自分が、息子と孫と見栄を守るついでとはいえ、民をも守って死んでやるのだ。大した税も納めていない貧乏人どもが。せめて領主の好評を語り広めるくらいの働きはしろ。そう思いながら馬を進める。
マクシミリアンが防御陣地にたどり着く頃には、後ろに続く者は数百人にまで増えていた。
領都の中心にある大きな広場を拠点に、周囲に伸びる道を塞ぐよう馬車や樽や木箱、さらにはどこかから持ち出された家具などが積まれて防壁が築かれていく防御陣地。その中央で指揮をとっているのは、キヴィレフト家に仕える武家貴族のサトゥルノ士爵だ。
「は、伯爵閣下!? それに奥方様も!?」
大勢の男を引き連れて来たマクシミリアンたちを見て、サトゥルノ士爵は素っ頓狂な声を上げる。
「待たせたな! 私たちも戦うぞ! 増援も連れてきたが、不満か?」
「……いえ、決してそのようなことは。ただ、少しばかり驚いただけです」
「私らしくないと思ったか?」
「正直に申し上げると、そうですな。あまりの異常事態に気でも触れられましたか?」
「ははは! 言いおるわ!」
内心で主君を馬鹿にしているのがいつも態度の節々から見えて気に食わなかったが、有能ではあるので雇い続けていたサトゥルノ士爵。彼の露骨な皮肉が、今のマクシミリアンには愉快だった。
「それで、状況はどうだ?」
広場の全方位に防衛線を敷いている領軍を見ながら、マクシミリアンは尋ねる。
「どうもこうも、ろくでもないですな。閣下が軍事費を減らされていたおかげもあって、我ら領軍に勝ち目はないでしょう。まあ敵がここまで完全な奇襲に成功した以上は、どこの領軍でも結果は大差なかったでしょうが……結局、領都内でまともな防衛拠点を構築できたのはここだけのようです」
主君の問いかけに、サトゥルノ士爵は肩を竦めながら遠慮のない言葉選びで答えた。
「港だけでなく、領都内からも侵略が起こっていますよ。ベトゥミア人どもの商会や工房に、事前に兵が隠れていたようです。その兵どもが至るところで破壊活動を行っています……あなたの子飼いの大商会からもベトゥミア兵がぞろぞろ出てきていると報告がありました」
「何だと!? ……あの強欲なクソ商人どもが、散々可愛がってやったくせに寝返っておったのか!」
マクシミリアンは豪商たちの顔を思い出しながら怒鳴る。
「これからここは敵に囲まれるでしょう。留まられるなら生きては帰れないと思いますが……閣下はそれでよろしいのですかな?」
「構わん! わ、私は領主だ! 逃げも隠れもせんぞ! ここでベトゥミアのクソ共と刺し違えてやるわ!」
「ははは、これは頼もしい」
言葉とは裏腹に鼻で笑うサトゥルノ士爵の横で、マクシミリアンは「お前たちも防壁作りを手伝え!」と付いてきた領民や兵士たちに命令する。
「ところで閣下、アレッサンドリ士爵はどうされました? 閣下へ報告に向かったはずですが」
「あれにはジュリアンたちを預けて逃がした。キヴィレフト家の血を絶やすわけにはいかんからな」
「ということは、これから戦って死ぬ私と違って、彼は若様と共に生き残るわけですか。羨ましいことだ」
「分からんぞ。あの大馬鹿息子の面倒を見ながら、ただでさえ飢饉で荒れている国内を逃げねばならんのだ。私ならここで死んだ方がよほど楽だったと思うだろうな」
「ははは、それもそうですな」
サトゥルノ士爵と軽口を言い合いながら、マクシミリアンは戦いを前に、妙に気分が高揚しているのを感じていた。
そのとき、領軍兵士の一人が叫んだ。
「敵です! ベトゥミア軍が来ました!」
その言葉に兵士も領民も浮き足立つ。サトゥルノ士爵がそれを「静まれ! 落ち着いて戦闘の用意をしろ!」と一喝する。
南に続く通りの向こうから、見慣れないデザインの鎧を身につけた軍勢が進んでくるのがマクシミリアンにも見えた。
「閣下、奥方様。私は最前で指揮をとりつつ戦います。お二方は広場の中央で騎乗して他の騎兵とともに待機し、防壁が突破されたらそこへ突撃でもされるとよろしい。さぞ爽快な最期を遂げられることでしょう」
「それはいいな。キヴィレフト伯爵家当主にふさわしい、派手な散り様だ」
「そうね、語り草になるような突撃をかましてやりましょう」
マクシミリアンは騎乗したまま広場の中央に移動した。ディートリンデもそれに続く。その周囲を領軍の騎兵が固める。都市内ということもあって騎兵は少ない。わずか十数騎ほどだ。
「いいかお前たち! 気張って戦えよ! 領主閣下も共におられるのだからな!」
そう声を張りながら自らも剣を抜くサトゥルノ士爵。その号令は先ほどまでのマクシミリアンよりよほど迫力に満ちていた。
隊列を組んで接近してくるベトゥミア軍を、兵士も領民も入り混じった防衛部隊が迎え撃つ。ベトゥミア軍の最前列が防壁を乗り越えようとするところへサトゥルノ士爵が切りかかり、他の兵士たちも続き、防壁を挟んで戦闘が始まった。
矢が乱れ飛び、剣や槍がぶつかり合い、男たちの怒号が響く。
防壁の向こうから迫るベトゥミア軍を見ながら、マクシミリアンは口を開いた。
「……ディートリンデ」
「はい、何ですか?」
「もう二十年以上も前、婚姻前に妾と庶子を抱えることになった馬鹿な私のもとに、お前はそれでも嫁いできてくれたな。理由を聞いても頑なに教えてくれなかったが……最後に教えてはくれんか?」
尋ねられたディートリンデは数秒だけ黙り込み、フッと笑う。
「……実家にいたくなかったのよ」
ディートリンデは王国北東部のとある伯爵家の生まれだ。
「家督を継ぐはずだった兄が成人前に病死して、私は自分が家督を継げるように必死に努力したわ……だけど父は私の努力に応えなかった。武門の名家だからって男子に家督を継がせることにこだわって、妾の一人と正式に再婚して、それまで庶子だった息子に家督を継がせると決めたのよ」
「……それは腹も立つだろうな。それで、一刻も早く実家を出るために私のもとへ来たわけか」
「そうよ。キヴィレフト家との縁談を蹴ったら、私は年齢的にも行き遅れて、一生独身で肩身の狭い思いをしながら実家の穀潰しになるかもしれなかった。そんな人生は御免だったのよ」
「……はははは!」
妻の嫁入りの謎を明かされたマクシミリアンは、愉快そうに笑った。
「なるほどな、お前が庶子のノエインを異常なまでに嫌うわけだ」
「ふんっ、男子の庶子なんて、いるだけで厄介ごとの種にしかならないのよ。嫡子より優秀な庶子なんてもってのほか。離れに軟禁なんて甘いことをせずに、多少の醜聞を気にせずとっとと絞め殺してしまえばよかったのよ」
「そうだったかもしれんな……まあ、それも今さらだ」
その間も戦いは続く。威勢よく立ち向かっていた防衛部隊だが、気合だけではどうにもならない。しだいに犠牲者が増える。
火炎弾が防壁の一部を吹き飛ばし、爆炎と破片を浴びた領軍兵士の身体が千切れ飛ぶ。
ベトゥミア兵と刺し違えた領民の男が倒れる。
「……だから、こんな面倒くさい性格の私を嫁に迎え入れて、あの実家から出してくれたあなたには感謝してるのよ、これでも」
一部の敵兵が防壁の横の家屋に浸入し、その窓から広場に入りこもうとする。それを防ごうと領民の男たちが農具や棍棒、拾った石で攻撃する。
「そうか……」
ディートリンデの言葉に、マクシミリアンはそれだけ返した。
同時にいくつもの魔法攻撃が着弾し、防壁が半分以上吹き飛んだ。そこから敵兵が入り込んでくる。
「キヴィレフト閣下! やるなら今です!」
防衛線の破綻を見たサトゥルノ士爵が怒鳴る。
いよいよ突撃しなければならない。自分はこれから、本当に死ぬのだ。
そう思うと、また手が震え出す。
それを別の手が包む。隣を見ると、ディートリンデが馬を寄せてマクシミリアンの手を握っていた。
「あなた、私も一緒よ」
「……ああ。今までありがとう、ディートリンデ」
「何言ってるの、これから地獄に行っても一緒よ」
「……ふっ、それもそうだな」
ディートリンデの言葉にマクシミリアンは苦笑する。今まで散々好き勝手に生きたのだ。自分たちは地獄行きが道理だろう。
手の震えはもう収まっていた。
マクシミリアンは剣を抜き、しっかりと掲げる。ディートリンデもそれに倣う。周囲を固める騎兵たちも続く。
「……私はロードベルク王国貴族、マクシミリアン・キヴィレフト伯爵である! ここは我が領地、異国の侵略者どもが土足で踏み荒らすなど断じて許さん! 覚悟せよ! はあああっ!」
妻と並び、後ろに騎兵を引き連れながら、マクシミリアンは剣を掲げて敵の只中に突き進んだ。
キヴィレフト伯爵領ラーデンの防衛力は極めて脆弱であり、領主は軍事面では無能。占領は日暮れを待たずに完了する。それが、ベトゥミア共和国軍の当初の予想であった。
しかし、伯爵領軍は都市内に防御陣地を構築し、領民まで加わって思いのほか多い兵力で立ち向かって来た。さらにマクシミリアン・キヴィレフト伯爵の鼓舞が広まって都市内各地で散発的な抵抗がくり広げられたことで、戦闘は夜まで長引いた。
その結果、ベトゥミア共和国軍はこの日のうちにラーデン周辺まで侵攻を広げることを断念。多くの避難者が夜のうちに逃走の距離を稼ぐことができた。その中にはジュリアン・キヴィレフトの一行もいた。
港の沖には一応は警備船と呼ばれる軍船も出ていたが、ロードベルク王国の造船技術はベトゥミア共和国の足元にも及ばず、その大きさも兵装もたかが知れている。そもそもこの警備船は検問や、パラス皇国など文明レベルの近い隣国に対する海辺の警戒を任としている。
ベトゥミアのような遠い大国との交戦を想定していない十隻ほどの警備船は、虫が踏み潰されるがごとく容易く沈められた。
当時港に駐在していた陸上兵力は、キヴィレフト伯爵領軍の警備隊が100人ほど。こちらも船から降ろされる荷の監視や、港で起こる盗みや喧嘩沙汰などへの対処が主な役目であり、ベトゥミアの侵略にまともに抵抗できる戦力にはなり得なかった。
港に最初に到達したベトゥミア共和国の輸送船は五隻。その甲板から無数の矢が港に降り注ぎ、さらに火魔法『火炎弾』や水魔法『氷弾』、風魔法『風刃』などの攻撃魔法が放たれる。警備兵も商人も荷運びの人夫も、港にいた人々は等しく死体に変わる。
そこへ、船から兵士が上陸する。最初の五隻から降り立ったのは総勢3000人。さらに、未だ沖にいる船からも小舟が出され、それに乗って次々に兵士が上陸する。
ラーデンの都市内に侵入した兵士たちは、逃げる民を見境なく襲い、女子どもに至るまで容赦なく殺していった。
港の異変はすぐに都市内に伝わり、誰もが荷物をまとめる時間も惜しんで必死に逃げようとする。
平時でも三万の人口を抱えるラーデンは、今はさらに過密化していた。ベトゥミアから届く食糧を買い付け、ベトゥミアの求める金属資源や馬を売ろうとやって来ていた商人たちが千人単位で滞在していたのだ。そのため、都市の出入り口である門の周辺は瞬く間に避難者でごった返す。
「おい、早く行けよ! 早くしないと敵が来ちまう!」
「前が詰まってんだ! 進まないんだよ!」
「潰れる! 子どもが潰れる! 押さないでえぇ!」
「おい踏むな! 妻が倒れてるんだ! 頼む踏まないでくれ!」
住民と商人が門へと殺到し、さらには防衛の任を放棄した一部の領軍兵士までもが逃げ出そうとする。四方から押されて圧死する者、転んで後続の群衆に踏み潰されて死ぬ者も出る。
マクシミリアンとディートリンデはそんな門から離れた、大通りでもまだ多少は余裕のある場所を選びながら港の方へと進んでいた。数人の領軍兵士に先導されながら。
「う、狼狽えるなぁ!」
周囲を逃げ惑う民や兵士に向かって、マクシミリアンは精いっぱい声を張る。思いのほか大きな声が出て自分で少し驚く。
「女子どもは逃げろ! お、男は私についてこい! 妻と子を生かして逃がしたければ、私と共に戦えぇ! 侵略者を食い止めるために、私と戦うのだぁ!」
その言葉が、逃げる領民や兵士の間に響く。立派な鎧と兜を身につけ、(当人の内心はともかく見た目上は)この事態にも怖気づくことなく、堂々と港の方向へと進む領主の姿を多くの民と兵士が目にする。
マクシミリアンの言葉を聞き、後ろに続く者も現れる。怖気づいていた兵士は意を決して勇気を奮い立たせ、一般領民の男たちも家族に「先に行け」と言って、門とは逆方向に進むマクシミリアンの後を追う。
「私に続け! 女子どもを逃がすために私と共に戦え!」
声が裏返ろうと枯れようと気にせず、マクシミリアンは叫ぶ。その後ろに続く者は少しずつ増える。
その光景を見ながら、尚も叫びながらマクシミリアンは願う。この女と子どもたちが一人でも多く生き延びてほしいと。
生き延びて「マクシミリアン・キヴィレフト伯爵は侵略者に立ち向かい、大貴族にふさわしい立派な最期を遂げた」という話を広めてほしいと。
畏れ多くもこの自分が、息子と孫と見栄を守るついでとはいえ、民をも守って死んでやるのだ。大した税も納めていない貧乏人どもが。せめて領主の好評を語り広めるくらいの働きはしろ。そう思いながら馬を進める。
マクシミリアンが防御陣地にたどり着く頃には、後ろに続く者は数百人にまで増えていた。
領都の中心にある大きな広場を拠点に、周囲に伸びる道を塞ぐよう馬車や樽や木箱、さらにはどこかから持ち出された家具などが積まれて防壁が築かれていく防御陣地。その中央で指揮をとっているのは、キヴィレフト家に仕える武家貴族のサトゥルノ士爵だ。
「は、伯爵閣下!? それに奥方様も!?」
大勢の男を引き連れて来たマクシミリアンたちを見て、サトゥルノ士爵は素っ頓狂な声を上げる。
「待たせたな! 私たちも戦うぞ! 増援も連れてきたが、不満か?」
「……いえ、決してそのようなことは。ただ、少しばかり驚いただけです」
「私らしくないと思ったか?」
「正直に申し上げると、そうですな。あまりの異常事態に気でも触れられましたか?」
「ははは! 言いおるわ!」
内心で主君を馬鹿にしているのがいつも態度の節々から見えて気に食わなかったが、有能ではあるので雇い続けていたサトゥルノ士爵。彼の露骨な皮肉が、今のマクシミリアンには愉快だった。
「それで、状況はどうだ?」
広場の全方位に防衛線を敷いている領軍を見ながら、マクシミリアンは尋ねる。
「どうもこうも、ろくでもないですな。閣下が軍事費を減らされていたおかげもあって、我ら領軍に勝ち目はないでしょう。まあ敵がここまで完全な奇襲に成功した以上は、どこの領軍でも結果は大差なかったでしょうが……結局、領都内でまともな防衛拠点を構築できたのはここだけのようです」
主君の問いかけに、サトゥルノ士爵は肩を竦めながら遠慮のない言葉選びで答えた。
「港だけでなく、領都内からも侵略が起こっていますよ。ベトゥミア人どもの商会や工房に、事前に兵が隠れていたようです。その兵どもが至るところで破壊活動を行っています……あなたの子飼いの大商会からもベトゥミア兵がぞろぞろ出てきていると報告がありました」
「何だと!? ……あの強欲なクソ商人どもが、散々可愛がってやったくせに寝返っておったのか!」
マクシミリアンは豪商たちの顔を思い出しながら怒鳴る。
「これからここは敵に囲まれるでしょう。留まられるなら生きては帰れないと思いますが……閣下はそれでよろしいのですかな?」
「構わん! わ、私は領主だ! 逃げも隠れもせんぞ! ここでベトゥミアのクソ共と刺し違えてやるわ!」
「ははは、これは頼もしい」
言葉とは裏腹に鼻で笑うサトゥルノ士爵の横で、マクシミリアンは「お前たちも防壁作りを手伝え!」と付いてきた領民や兵士たちに命令する。
「ところで閣下、アレッサンドリ士爵はどうされました? 閣下へ報告に向かったはずですが」
「あれにはジュリアンたちを預けて逃がした。キヴィレフト家の血を絶やすわけにはいかんからな」
「ということは、これから戦って死ぬ私と違って、彼は若様と共に生き残るわけですか。羨ましいことだ」
「分からんぞ。あの大馬鹿息子の面倒を見ながら、ただでさえ飢饉で荒れている国内を逃げねばならんのだ。私ならここで死んだ方がよほど楽だったと思うだろうな」
「ははは、それもそうですな」
サトゥルノ士爵と軽口を言い合いながら、マクシミリアンは戦いを前に、妙に気分が高揚しているのを感じていた。
そのとき、領軍兵士の一人が叫んだ。
「敵です! ベトゥミア軍が来ました!」
その言葉に兵士も領民も浮き足立つ。サトゥルノ士爵がそれを「静まれ! 落ち着いて戦闘の用意をしろ!」と一喝する。
南に続く通りの向こうから、見慣れないデザインの鎧を身につけた軍勢が進んでくるのがマクシミリアンにも見えた。
「閣下、奥方様。私は最前で指揮をとりつつ戦います。お二方は広場の中央で騎乗して他の騎兵とともに待機し、防壁が突破されたらそこへ突撃でもされるとよろしい。さぞ爽快な最期を遂げられることでしょう」
「それはいいな。キヴィレフト伯爵家当主にふさわしい、派手な散り様だ」
「そうね、語り草になるような突撃をかましてやりましょう」
マクシミリアンは騎乗したまま広場の中央に移動した。ディートリンデもそれに続く。その周囲を領軍の騎兵が固める。都市内ということもあって騎兵は少ない。わずか十数騎ほどだ。
「いいかお前たち! 気張って戦えよ! 領主閣下も共におられるのだからな!」
そう声を張りながら自らも剣を抜くサトゥルノ士爵。その号令は先ほどまでのマクシミリアンよりよほど迫力に満ちていた。
隊列を組んで接近してくるベトゥミア軍を、兵士も領民も入り混じった防衛部隊が迎え撃つ。ベトゥミア軍の最前列が防壁を乗り越えようとするところへサトゥルノ士爵が切りかかり、他の兵士たちも続き、防壁を挟んで戦闘が始まった。
矢が乱れ飛び、剣や槍がぶつかり合い、男たちの怒号が響く。
防壁の向こうから迫るベトゥミア軍を見ながら、マクシミリアンは口を開いた。
「……ディートリンデ」
「はい、何ですか?」
「もう二十年以上も前、婚姻前に妾と庶子を抱えることになった馬鹿な私のもとに、お前はそれでも嫁いできてくれたな。理由を聞いても頑なに教えてくれなかったが……最後に教えてはくれんか?」
尋ねられたディートリンデは数秒だけ黙り込み、フッと笑う。
「……実家にいたくなかったのよ」
ディートリンデは王国北東部のとある伯爵家の生まれだ。
「家督を継ぐはずだった兄が成人前に病死して、私は自分が家督を継げるように必死に努力したわ……だけど父は私の努力に応えなかった。武門の名家だからって男子に家督を継がせることにこだわって、妾の一人と正式に再婚して、それまで庶子だった息子に家督を継がせると決めたのよ」
「……それは腹も立つだろうな。それで、一刻も早く実家を出るために私のもとへ来たわけか」
「そうよ。キヴィレフト家との縁談を蹴ったら、私は年齢的にも行き遅れて、一生独身で肩身の狭い思いをしながら実家の穀潰しになるかもしれなかった。そんな人生は御免だったのよ」
「……はははは!」
妻の嫁入りの謎を明かされたマクシミリアンは、愉快そうに笑った。
「なるほどな、お前が庶子のノエインを異常なまでに嫌うわけだ」
「ふんっ、男子の庶子なんて、いるだけで厄介ごとの種にしかならないのよ。嫡子より優秀な庶子なんてもってのほか。離れに軟禁なんて甘いことをせずに、多少の醜聞を気にせずとっとと絞め殺してしまえばよかったのよ」
「そうだったかもしれんな……まあ、それも今さらだ」
その間も戦いは続く。威勢よく立ち向かっていた防衛部隊だが、気合だけではどうにもならない。しだいに犠牲者が増える。
火炎弾が防壁の一部を吹き飛ばし、爆炎と破片を浴びた領軍兵士の身体が千切れ飛ぶ。
ベトゥミア兵と刺し違えた領民の男が倒れる。
「……だから、こんな面倒くさい性格の私を嫁に迎え入れて、あの実家から出してくれたあなたには感謝してるのよ、これでも」
一部の敵兵が防壁の横の家屋に浸入し、その窓から広場に入りこもうとする。それを防ごうと領民の男たちが農具や棍棒、拾った石で攻撃する。
「そうか……」
ディートリンデの言葉に、マクシミリアンはそれだけ返した。
同時にいくつもの魔法攻撃が着弾し、防壁が半分以上吹き飛んだ。そこから敵兵が入り込んでくる。
「キヴィレフト閣下! やるなら今です!」
防衛線の破綻を見たサトゥルノ士爵が怒鳴る。
いよいよ突撃しなければならない。自分はこれから、本当に死ぬのだ。
そう思うと、また手が震え出す。
それを別の手が包む。隣を見ると、ディートリンデが馬を寄せてマクシミリアンの手を握っていた。
「あなた、私も一緒よ」
「……ああ。今までありがとう、ディートリンデ」
「何言ってるの、これから地獄に行っても一緒よ」
「……ふっ、それもそうだな」
ディートリンデの言葉にマクシミリアンは苦笑する。今まで散々好き勝手に生きたのだ。自分たちは地獄行きが道理だろう。
手の震えはもう収まっていた。
マクシミリアンは剣を抜き、しっかりと掲げる。ディートリンデもそれに倣う。周囲を固める騎兵たちも続く。
「……私はロードベルク王国貴族、マクシミリアン・キヴィレフト伯爵である! ここは我が領地、異国の侵略者どもが土足で踏み荒らすなど断じて許さん! 覚悟せよ! はあああっ!」
妻と並び、後ろに騎兵を引き連れながら、マクシミリアンは剣を掲げて敵の只中に突き進んだ。
キヴィレフト伯爵領ラーデンの防衛力は極めて脆弱であり、領主は軍事面では無能。占領は日暮れを待たずに完了する。それが、ベトゥミア共和国軍の当初の予想であった。
しかし、伯爵領軍は都市内に防御陣地を構築し、領民まで加わって思いのほか多い兵力で立ち向かって来た。さらにマクシミリアン・キヴィレフト伯爵の鼓舞が広まって都市内各地で散発的な抵抗がくり広げられたことで、戦闘は夜まで長引いた。
その結果、ベトゥミア共和国軍はこの日のうちにラーデン周辺まで侵攻を広げることを断念。多くの避難者が夜のうちに逃走の距離を稼ぐことができた。その中にはジュリアン・キヴィレフトの一行もいた。
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