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第十章 混乱と動乱

第228話 困ったときはお互い様①

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 七月の後半。アールクヴィスト子爵家の従士バートと、子爵家の御用商人フィリップは、レトヴィクのマイルズ商会本店を訪れていた。商会長のベネディクト・マイルズに呼び出されたのだ。

「バート殿、フィリップ殿。このような慌ただしい世情の中でお呼び立てして申し訳ない」

 応接室に通されたバートとフィリップを、ベネディクトが出迎える。

「いえ、私どもに御用があるのでしたら、いつでも参りますよ」

「マイルズ商会には常日頃からとてもお世話になっていますから」

「いや、そう仰っていただけると助かります。当商会はこれからもアールクヴィスト子爵家とスキナー商会と良きお付き合いをさせていただきたく……」

 バートたちの言葉に何度もペコペコと頭を下げるベネディクト。その腰の低さを奇妙に思い、バートとフィリップは顔を見合わせた。

 マイルズ商会にとってアールクヴィスト家とスキナー商会は大口の取引先。一方でアールクヴィスト領にとってマイルズ商会は遠方への輸出を仲介してくれる重要な商会。どちらも持ちつ持たれつで、力関係はほぼ対等だ。

 貴族のノエインが直々に訪問したならともかく、その遣いでしかない自分たちにこれほど腰を低くするのはおかしい。

「……それで、本日はどのようなお話を?」

 表情は穏やかさを保ったまま、フィリップが尋ねる。

「は、はい。実は……誠に申し上げにくいお願いなのですが……毎月卸していただいている鉱山資源について、私どもからのお支払いをお待ちいただけないかと思いまして。向こう三か月ほど」

「……なるほど」

 汗をだらだらと流しながら言ったベネディクトに、バートは表情を動かさずに短く答えた。

「理由をお訪ねしてもよろしいでしょうか?」

「はい、もちろん……今年は王国全体が大凶作に見舞われているのはお二方もご存知かと思います。ケーニッツ子爵領も例外ではなく、麦の収穫量は例年の四割にも届かず、当代ご領主のアルノルド・ケーニッツ閣下は民を救済するために大幅な減税を決断されました。ほぼ無税に近い措置です」

「ほう、さすがは民への御慈悲が深いと評されるケーニッツ閣下ですね」

 感心したような表情を作ってバートは返す。今年はよほどの悪徳領主でない限り、どこも大なり小なり減税を行っている。珍しい話でもない。

「ええ、私も民の一人としてケーニッツ閣下をますます敬愛いたしました……ただ、我がマイルズ商会はケーニッツ家の御用商会です。税として徴収した麦の現金化を毎年依頼されているのですが、今年はそれがなく、大幅に利益が減るかたちとなりました」

「それは……大変でしょうね。状況はお察しいたします」

 気の毒そうにフィリップが言う。フィリップも今年は同じ理由で利益が減っていたが、もともとアールクヴィスト領は麦への依存が小さかったから小さな傷で済んだのだ。ベネディクトの傷がどれほど深いかは想像に難くない。

「ありがとうございます。そのような理由で、今は手元の現金が枯渇寸前でして……ただ、三か月後にはまとまった現金が入るあてがあるのです」

「……それは、どのようなあてかお聞きしても?」

「はい。お二方は、南東部のキヴィレフト伯爵領という貴族領をご存知でしょうか?」

「ええ、もちろんです。王国で最大の港を持ち、南の海を越えた先にあるベトゥミア共和国と積極的な貿易を行っている大領ですね」

「……私も、存じています」

 ベネディクトの問いかけにフィリップはすらすらと答え、ノエインとキヴィレフト伯爵の因縁を知るバートは一瞬の間をあけて、努めて平静を保って答えた。

「そのキヴィレフト伯爵領に、ベトゥミア共和国から大量の食糧が届くことが決まったのです。当代キヴィレフト伯爵閣下がベトゥミアの商人たちと結んだ取引の成果だそうで……食糧を積んだ船団が到着するのが、九月の終わりから十月の初め頃と見られています」

「ということは……食糧を下ろしたベトゥミア共和国の船団が、国に帰る際に持っていくものを売れる、ということですか」

 ベネディクトの狙いを察してフィリップが呟いた。

「さすがフィリップ殿、仰る通りです。ベトゥミアの船団は帰還時にロードベルク王国のさまざまな物資を積むつもりのようで……特に鉄などの金属、そして馬を求めているそうです。なのでケーニッツ子爵領で採掘されている鉱山資源と、アールクヴィスト領から卸していただいた鉄と銅をベトゥミアに輸出しようと考えておりまして」

「……なるほど、それなら確実に現金を得られるでしょうね」

 ベネディクトの話にバートも頷いた。アールクヴィスト領とケーニッツ子爵領は今の王国内では極めて珍しく、食糧にある程度の余裕のある領地だ。ベトゥミアから輸入されるという食糧を慌ててまとめ買いしなくていい分、鉱石を売ったらその売り上げをほとんどそのまま持ち帰れる。マイルズ商会の手元資金不足も一気に解消されるだろう。

「はい。なので三か月後、十月の終わりから十一月の前半にかけて確実に鉱山資源のお支払いをさせていただきます。私どもの都合で勝手を申し上げて大変申し訳ないのですが、どうかお願いさせていただきたく……」

「ご事情は理解しました」

 縮こまって頭を下げるベネディクトに、バートはやはり穏やかに答える。

「ですが、私はあくまでアールクヴィスト閣下の遣いであり、フィリップ殿もアールクヴィスト閣下の所有されている鉱山から得られた資源の輸出を委託されているに過ぎません。ベネディクト殿のご相談を閣下がご承諾されるかは、今はまだ分かりかねます」

「は、はい。それはもう、ごもっともなお話です」

 口調は柔らかく、しかしはっきり言ったバートに、ベネディクトもぺこぺこと頷く。

「このお話は一度閣下のもとへお届けし、ご指示を仰ぐことになります。こちらとしても重要な案件ですので、できる限り迅速にお返事させていただくと約束しましょう。今日のところはそれでご容赦ください」

 話し合いを終えて、バートとフィリップはすぐにマイルズ商会本店をあとにする。

 時刻は既に午後になっていたが、二人は馬を飛ばしてその日のうちにアールクヴィスト領へと帰った。

・・・・・

「……なるほど、支払い待ちね」

 日暮れ近くになってアールクヴィスト領へと帰ってきたバートとフィリップから「急ぎの報告」があると言われ、ノエインは領主執務室に二人を招いていた。

「どうされますか? 手元資金で言えば、アールクヴィスト領も決して余裕があるとは言えないと思いますが……」

「そうなんだよねえ……今年は鉱山資源だけが頼みの綱だからねえ」

 バートの言葉にノエインも頷く。麦と商品作物から得られる収益が壊滅し、今年のノエインの見込み収入はほとんどレスティオ山地からの利益だけになっている。

 それでさえラピスラズリの需要減によって打撃を被っているのだ。それが一時的にとはいえ、まったくのゼロになるのは相当に痛い。もし三か月後に予定通り支払いがされなければ、今年でアールクヴィスト家の現金の予備費を使い切ることになるかもしれない。

「……かといって、断ったところでマイルズ商会との取引が途切れるだけなんだよねえ」

「あちらもない袖は振れないでしょうからね……」

 ノエインの呟きにフィリップが答えた。

 これでノエインが支払いを待たないと言えば、マイルズ商会との取引が中止されるだけだ。今から鉱山資源を卸せる、信用のおける大商会などそうそう見つけられない。国内が正常に戻ったあとのマイルズ商会との関係もぎこちなくなるだろう。

「選択肢はないか。マイルズ商会を頼みを飲もう……ただ、何のお礼もなく善意だけで頷くわけにはいかないな。こっちもそれなりに危うい思いをするんだから」

「……どのような礼を要求しますか?」

 バートに問われたノエインは、不敵な笑みを浮かべた。

「マイルズ商会にどうしても仕入れてほしいものがある。ちょうどこっちからお願いしようと思ってたんだ。交渉は……僕が直接出向くよ」
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