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第十章 混乱と動乱

第222話 食糧増産計画

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 四月の半ば。アールクヴィスト領の景色は様変わりしていた。

 まず、領都ノエイナ周辺。昨年までは計画的に農地が整備されていたが、今年に限ってはとにかくジャガイモの生産量を増やすことを目的に、強引な耕作地拡大が行われている。

 異国では「救国の作物」の異名を持つジャガイモは、荒地でも育つ。以前まで森だった肥沃な大地なら、開墾が多少雑でも問題なく育っている。クレイモアの魔法使いたちが操るゴーレムによってざっくりと開墾された土地からは、今は茎が伸び、葉が生い茂っていた。

 耕作の主な人手は、ここ数年で移住してきた小作農だ。

 移住して働き始めてから年月が浅く、まだ自分の土地を持つには至っていない小作農たちだが、稀に見る大凶作の年でも飢えずに生き延びられそうなことに感謝しながら、アールクヴィスト領に住むことができている幸運を噛みしめながら、農作業に勤しんでいた。

「ん?」

 領都ノエイナ周辺に広がるジャガイモ農地の端。領都の門から離れて森に近い位置に作られた畑で農作業をしていたとある小作農は、森の中からガサガサと音が聞こえてそちらを振り向く。

 音は次第に近づいて来て――茂みの中から、一匹のコボルトが飛び出してきた。

 コボルトは魔物の中では弱い方だが、それでもゴブリンよりは強い。大人でも一人で対峙するのは少々危険だ。

「……こ、……こっ」

 目を見開いて驚く小作農。それを見て、コボルトはいい獲物を見つけたと思う。こいつを噛み殺し、死体を巣に持ち去ってじっくり食おうと考える。

「……こっ……小遣いだーー!!」

 小作農の男は突然そう叫ぶ。目をぎらつかせ、手に持っていた鉄製の鋤を構える。

 まったく怯えていない男を見て、コボルトは少し混乱した。さらに、男の声を聞いて近くにいた別の小作農も三人ほど走り寄ってくるのを見て余計に戸惑った。幼児程度の知能しかないコボルトにも、今の状況は異常だと分かった。

 獲物を襲うというよりは、自らの身を守るためにコボルトは牙を剥いて男に飛びかかる。

「くたばれこんにゃろ!」

 が、男に鉄製の鋤でどつき倒されて転ぶ。そこへ、走り寄ってきた他の小作農たちが合流する。

「おい! 小遣いってほんとか!?」

「おおっ! コボルトじゃねえか!」

「囲め囲め! 殺せ殺せ!」

 コボルトを囲んだ四人の小作農たちは、それぞれの持つ農具を振り下ろし始める。

 現在アールクヴィスト領では、種芋に回したジャガイモの分の食糧を確保するため、「獣や魔物を狩って肉を得れば、領主ノエイン・アールクヴィスト子爵が相応の金額で買い取る」というお触れが出ていた。そのため、休日には近くの森に出向いて獲物を探す領民も多くいた。

 そんな状況で目の前にコボルトが現れたのだ。小作農たちにとっては、小遣いが自分から歩いてきたようにしか思えなかった。見た目こそ二足歩行の犬といった様のコボルトだが、その肉は十分に食える味なのだ。

 小作農たちが手にしているのは、鉄製品が比較的安いアールクヴィスト領に移住してから買った自慢の鉄製農具だ。それを存分に振るってコボルトを袋叩きにする。

 コボルトは反撃するどころか立ち上がることさえままならず、一分もしないうちに死んだ。

「よっしゃ死んだぞ! 小遣い確保だ!」

「なあ、俺が見つけたんだから俺の分け前が一番多いよな?」

「馬鹿、最後の一撃を食らわせたのは多分俺だぞ! 俺が功労者だ!」

「いや、『複数人で仕留めたら報酬は平等』って領主様のお触れにあったじゃねえか」

「そうだけどよお、お前らやっぱり発見者の俺を少しは尊重してくれてもいいんじゃねか?」

 物言わぬ肉塊と化したコボルトを囲んでああでもないこうでもないと盛り上がり始めた小作農たち。

「おい、お前ら魔物を狩ったんだろう? アールクヴィスト閣下に献上するのなら早く持って行かないか! そして農作業に戻るんだ! 遊んでる暇はないぞ!」

「ひいっ! ケノーゼ様!」

「す、すいやせん!」

 彼らへ説教をしたのは、農業担当の従士ケノーゼだ。叱られた小作農たちはペコペコと頭を下げながらコボルトの死体を抱えて領都の門へ向かう。

 移住当初は獣人の若者に上からものを言われることに不満もあった小作農たちだが、この領では領主さえ獣人奴隷を重用して傍に侍らせているのだ。ここでの安泰な生活を守るためにもほどなく現状を受け入れ、今ではすっかり従士との身分差をわきまえた態度をとっていた。

・・・・・

 臨時の耕作地として使われているのは、領都ノエイナ周辺だけではない。

 ランセル王国との国境を守るアスピダ要塞の周囲さえも、今はジャガイモ畑へと姿を変えていた。要塞に配置された兵士たちは国境の防衛も担いつつ、待機の時間が多いことを利用して開墾作業にも勤しんでいる。

 そして、ベゼル大森林道の周辺を見回る際には、ついでに肉を確保するための魔物狩りも行っていた。

「そっち行ったぞ! 気をつけろ!」

「大丈夫っす! 任せてください!」

 森の中にラドレーの声が響き、それにアレインが応答する。

 ゴーレム使いが2人と、兵士が一個小隊10人から構成される見回り部隊。それが2部隊合同で追いかけているのは、グレートボアと呼ばれる角の生えた馬鹿でかい猪の魔物だ。寒波の影響で森の中も餌が不足しているのか、大森林道の付近まで出てきた個体を狩ろうとしているところだった。

 場所はアスピダ要塞よりさらに西側。ラドレー率いる部隊に追い立てられたグレートボアが、大森林道を挟んだ反対側の森へ逃げようとしたところで、その進路をアレインの隊が塞ぐ。先頭に立つアレインのゴーレムが、グレートボアに負けない勢いでまさに猪突猛進する。

 鼻先にゴーレムのタックルを受けてグレートボアが怯む。そこへ兵士たちがクロスボウで矢を放つ。分厚い毛皮に阻まれて大したダメージは与えられないが、それでも痛みは感じるらしくグレートボアは嫌がるそぶりを見せた。

 アレインと組むもう一人のゴーレム使いが、グレートボアの西側にゴーレムを動かす。先ほどグレートボアを追い立てたラドレーたちの隊も合流し、2隊がかりで獲物を東側――すなわちアスピダ要塞のある方へ追い立てるように半円状に囲む。

 得体の知れない木製人形と大勢の人間に囲まれて、グレートボアは逃げようとベゼル大森林道を走り出す。狙い通りだ。

「よし行ったぞ! ジェレミー、合図出せ!」

「はいっ!」

 ラドレーの指示を受けて、副官ポジションが定着したジェレミーが鏑矢を空に放ち、甲高い音が鳴り響く。獲物がアスピダ要塞の方へ向かったことを、要塞の兵士たちに知らせる合図だ。

「逃がすな! 陣形を崩さずに追え!」

「マジででけえ! これ仕留めたら大手柄だ!」

 体高だけでゴーレムの身長を超える大きさのグレートボアを、ラドレーの指示で着実に追い立てる。アレインの興奮する声が響く。

 間もなく、アスピダ要塞が見えてくる。

「よし、もういい! 退避しろ!」

 ラドレーが叫び、見回り部隊は左右の森に隠れる。

 興奮したグレートボアはもはや止まらない。大森林道をまっすぐにアスピダ要塞の方へ走り続ける。

 その正面で待ち構えているのはリックだ。ちょうど西門の上あたりに設置されているバリスタで、グレートボアを狙う。

 狙うのは頭のど真ん中。もし胴体に当ててしまって、胃や腸を破けば肉が汚れて駄目になる。なので一撃必殺を狙う。

 リックが狙いを外した場合に備えて、他にも数人の狙撃兵がバリスタでグレートボアを狙っている。

「……っ」

 短く息を吸って止め、リックが引き金を引く。

 結果的に、他の狙撃兵の出番はなかった。リックの撃った極太の矢が狙い違わずグレートボアの眉間に命中。一気に脳まで貫き、グレートボアは前のめりに倒れた。即死だ。

「……よしっ」

 周囲の兵士たちが歓声を上げる中、リックはそれだけ呟いて静かに自身の成果を喜ぶ。

 一方で、グレートボアを追い立てていたラドレーやアレインたちも、巨大な肉の塊となったグレートボアを囲んで喜ぶ。

「うっひょお! すっげえ! 何食分だろ!」

「……本当に大きいですね。ランセル王国軍で、ベゼル大森林道の開拓時にグレートボアも何度も見かけましたが、ここまでの個体は初めて見ます」

「こいつはグレートボアでも最大級だろうな……身体がでかい分、餌が足りなくて森をうろついてるうちにここまで出てきちまったんだろうよ」

 アレインがはしゃぐ横で、ラドレーはジェレミーと仕留めた獲物について語る。

 ジャガイモの備蓄を春植えの種芋に回したため、現在のアールクヴィスト領では食糧はいくらあっても困らない。何百人もの腹を満たせるであろうグレートボアを仕留めたのは大手柄だった。

「よし、よくやったおめえら! あとはこの猪野郎を運んで解体するぞ!」

「「おぉ!!」」

 ラドレーの声に、兵士とゴーレム使いたちが応えた。

 アスピダ要塞の門が開けられ、魔物を引き摺って運ぶためのそりが運ばれてくる。さらに、要塞に配置されている他のクレイモアたちもゴーレムを連れて出てくる。グレートボアが相当な大きさなので、運ぶのを手伝ってくれるつもりらしい。

 領軍が狩った魔物は領主ノエインに引き取られ、それが格安で商人ギルドに卸され、領民たちに提供されることになる。

 このグレートボアも、数日後には肉になって店頭に並ぶか、料理屋や宿屋で調理されて出されるか、塩漬けや燻製にされて保存食に変わるだろう。
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