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第十章 混乱と動乱

第219話 忙しい冬明け

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 二月中旬。年明けから一か月以上続いた寒波は去り、気候はある程度正常に戻った。今は例年の同時期と比べると少し寒いだろうか、という程度だ。

 しかし、一か月もの異常気象は大地に大きな爪痕を残した。麦の育ちは悪く、枯れたものも多く、収穫できる量は例年の四割前後と見られている。概ねエドガーの予想通りだ。

 また、領全体で一年の商業・工業活動のスタートが遅れたことも多方面に影響を与えており、ノエインは領主としてその対処に追われていた。

 アールクヴィスト領だけでなく王国全体で同じような事態が起こっているため、物資の輸出入は滞り、生活も経済も、平常通りに回っているとは言えない。王国全体が大きな混乱に包まれ始めていた。

 そんなある日の午後、領主執務室で書類仕事に追われていたノエインのもとに、従士長ユーリが訪ねてくる。

「ノエイン様、俺だ」

「はーい。入っていいよー」

 許可を得て入室したユーリは、執務机の上で書類を散らかして疲れた顔をしているノエインを見て眉を上げた。

「……忙しそうだな」

「もぉ~~~ね、勘弁してほしいよ。山の方はまだ雪も残ってるから鉱石採掘にもうしばらく支障が出るし、雪で道がぬかるんでるせいで資源をキルデからノエイナに運ぶのも滞ってるし、領内で生産できない物資を領外から仕入れるのも滞ってるし……色んな遅れで混乱が重なって、商人ギルドとか開拓村とか各方面から要請やら陳情やらも来てるし」

 嘆くノエインの横では、マチルダが自身の机で黙々と書類の束を種類ごとに整理していた。その書類の量も、今のノエインの負担の重さを物語っている。

「そうか、大変だな……今は領主にしか捌けん仕事も多いだろうしな」

「大変だよぉ~。まあ頑張るしかないけどさ……それで、ユーリは何かの報告かな?」

「ああ。王家からの連絡が『遠話』で届いたとコンラートから報告があってな。王領からの移民の一時停止について、国王陛下の承諾があったそうだ。それを伝えに来た」

「……そっか。よかった」

 王女派連合とのやり取りが始まった昨年からケーニッツ子爵領レトヴィクにも王宮魔導士の対話魔法使いが置かれており、コンラートも含めると王都から領都ノエイナまで『遠話』通信網が繋がっていた。

 ノエインはそれを経由して「大凶作の影響が酷いので移民の移送を一時的に止めてほしい」と王家に要望を送っていたのだ。

「領内の混乱への対処でそれだけ忙しいなら、移民は止めて正解だったな」

「だねー、こんなときに100人単位で移民が来ても、住むとこやら仕事やら、とても捌ききれないよ……領民たちも、いくら食うには困らないからって、大凶作の年に領外からの移民が百人単位で来るのを見たら嫌だろうしね」

「……確かにな。ただでさえパンを食える機会が減るのに、移民のせいでそれがさらに少なくなるとしたら、気にくわないと感じる奴も多そうだ」

 エドガーに食糧の生産量を再計算してもらった結果、食用として領内で保管されていたジャガイモも一旦全て種芋に回し、大豆も多くを油の原料ではなく食用に充てるのならば、現在のアールクヴィスト領の人口に対して十分以上の食糧生産が可能だと分かった。

 むしろ、そこまで全力を尽くすのならば、量だけなら前年より多くの人間を食わせられる食糧を作れるという。さすがは「救国の作物」と評されたジャガイモと、それに負けず劣らずの栽培効率を誇る大豆だ。

 しかし、そこまでするなら本来は農地ではない場所にまでジャガイモや大豆を植えることになる上に、今年はパン食を減らして芋と豆ばかり食う生活になる。そんなところ移民が大挙して押し寄せたら「あいつらのせいでパンの取り分が減った」と既存の領民たちの反感を招きかねない。

 古参領民と新移民たちの融和について、ノエインは相当に神経を使ってきたのだ。こんなところで領内に対立の火種を作るわけにはいかない。

「それに、今年は王国全体で大凶作だったんだ。うちの領内はお腹いっぱいになれても、ケーニッツ子爵領みたいな付き合いの深い領地が飢饉で荒れたら結局こっちにも大きな影響が出る。余剰分の食糧は移民に食べさせるんじゃなくて、そういうところへの援助に使いたいな」

 今はどこも去年からの備蓄が残っているからいいが、収穫期以降は王国各地で、ほぼ間違いなく食糧不足による混乱が起こる。

 そのときは隣のケーニッツ子爵領だってどうなるか分からない。王国社会の一員である以上、自分たちだけ大丈夫だから安泰というわけではない。せめて関わりの深い貴族領にも穏やかであってほしかった。

「……なるほどな。確かにそういう用意も必要そうだ」

「まあ、これは僕も移民の停止要請をした後で思いついたんだけどね」

 感心するユーリに、ノエインは微苦笑しながら返す。

「あとはそれ以前に……そもそも、大勢の移民の面倒を見るには今年の僕の収入が心許ないよね」

 最後の方は肩を落としながら呟くノエイン。

 鉱山村キルデでの資源採掘は予定通りに進まず、油の原料となるはずの大豆は今年は多くが食用に回される。そして、ラピスラズリや砂糖などの贅沢品は、王国全土で飢饉が起こるであろう今年はいつものようには売れないだろう。バリスタなど兵器の注文も減るはずだ。おまけに今年は麦は無税にした。

 どう考えても、ノエインの貴族としての収入は激減する。こんなときのために予備費は用意しているし、大幅な収入減になるのはどこの貴族も同じだろうが、それでもため息をつきたくなる状況だ。

「アンナの計算によると、今年の見込み収益は半分以下だってさ」

「それは……まあ、今年ばかりは仕方ないだろう。どうしても厳しいなら、俺の給金はツケにしてもいいぞ?」

「あははは、いくらなんでもいきなりそこまで切羽詰まったりしないけどさ」

 ユーリの冗談に、ノエインも笑顔を作る。今年は想定外のトラブルばかりで、多少無理してでも笑わないとやっていられない。

・・・・・

 三月の上旬。ランセル王国からの使者がベゼル大森林道を通ってやってきた。いつものごとく、代表はバルテレミー男爵だ。

 アスピダ要塞から使者到来の報告を受けたノエインは、参謀ユーリと副官マチルダ、護衛にペンスたち親衛隊を連れて要塞へと向かう。

「閣下、お疲れ様です」

「ご苦労、ラドレー」

 要塞の東門で敬礼しながらノエインたちを出迎えたのは、国境防衛の指揮を取る立場になったラドレーだ。

 王女派連合がカドネ派に勝利したという報せを受けて、この冬明けで北西部貴族たちの駐留軍はついに完全撤退した。異常気象や大凶作に伴う混乱に対処するため、北西部貴族たちが領軍を領地に戻したがったというのも理由だが。

 その分、アールクヴィスト領軍兵士とクレイモアのゴーレム使いを多めに要塞に配置することで国境の防衛力は維持されている。

「それで、バルテレミー男爵は?」

「会議室に通してあります。『新年のご挨拶と、喜ばしい報せを持って参りました』だそうです」

「喜ばしい報せねえ……まあいいや。それじゃあすぐに会おう」

 ラドレーに先導されて、要塞の本部施設の会議室に向かう。入室したノエインを見たバルテレミー男爵は、立ち上がって笑顔で挨拶してきた。監視役の文官と武官を連れていないということは、ついに王女派連合からの信用を得たのだろうか。

「お久しぶりにございます、アールクヴィスト子爵閣下。ご壮健そうで何よりです」

「ありがとうございます。あなたもお元気そうで、バルテレミー卿」

 ノエインも笑顔を見せながら男爵と握手をして着席し、その後も何だかんだと挨拶の言葉を述べる彼に適当に応える。

 長い挨拶がひと段落したところで、バルテレミー男爵は少しばかり背筋を正した。

「……本日こうしてお目通りをいただいたのは、実はお伝えすべき朗報があるからでして。きっと閣下にもお喜びいただけるものと存じます」

「それは、ぜひお聞かせ願いたいです」

 ようやく本題か、と思いながらノエインも姿勢を整える。

「この度、アンリエッタ・ランセル女王陛下と我々親王女派連合は、カドネ前国王の一派に勝利し、カドネを大陸北部へと追放いたしました。また、この三月の頭には戴冠式を執り行い、アンリエッタ陛下が正式にランセル王国の女王となりました」

「それは……おめでとうございます。アンリエッタ・ランセル女王陛下の治世の下、貴国がますますの繁栄を遂げられることを隣国の貴族として願うばかりです」

 一瞬だけ眉を上げて驚いた後、ノエインは微笑を作って答えた。

 ランセル王国の内乱に決着がついたという話は昨年末に聞いていたが、戴冠式まで終わったというのは初耳だった。

「ありがたき御言葉、ランセル王国を代表してお礼申し上げます。今ごろは同じ報せがオスカー・ロードベルク3世陛下のもとへも届けられていることでしょう。ほどなくオスカー陛下から閣下へもお報せがあるかと思います」

「なるほど……それにしてもめでたい。嬉しい驚きでした。陛下もきっと驚かれることでしょうね」

 もう戴冠式を済ませたなんて、こっちの国は事前に何も聞いていないぞ、ということを暗に言うノエイン。その意図を汲んだのか、バルテレミー男爵は少し申し訳なさそうな顔になる。

「事後報告になり申し訳ない。本来は事前にお伝えし、ロードベルク王国の王族の方もお招きするのが礼儀なのでしょうが……今年は年明けに異常な寒波が続きましたからな。今後のことを鑑みて、政治的な空白を避けるために戴冠式を早くに終えたのです。この件に関しては、女王陛下からオスカー陛下への親書にも謝罪の意が記されているはずです」

「……やはりそちらも寒波の影響を受けておられましたか」

 一月の寒波はロードベルク王国だけでなく、どうやら大陸南部全域を襲ったらしいという話が広がっていた。すぐ隣のランセル王国も大凶作になっているのだろうし、今後の迅速な対応のためにできるだけ早く戴冠式を済ませたのも仕方あるまい。

 正式に戴冠を終えた女王なら、ただの王女にはない強制力も発揮できる。内乱からの凶作を乗り越えるために、今すぐに絶対的な君主が必要だったというのも納得だ。

「ランセル王国の事情はお察しいたします。オスカー陛下がどのように受け取られるかは私には分かりかねますが、少なくとも私のことはお気になさらず」

「そう仰っていただけると助かります……それで、これはまだオスカー・ロードベルク3世陛下のお返事次第のお話ではあるのですが」

 そう言いながら、バルテレミー男爵は少しばかり緊張を滲ませる。

「今年は両国共に凶作で大きく混乱することでしょう。そのため、アンリエッタ陛下からオスカー陛下へ、講和締結の時期の延期が打診されます」

「……なるほど、それも仕方のないことでしょうね」

「ええ。ですが、停戦協定についてはこのまま互いに厳守を……少なくとも、ランセル王国の側は絶対に協定の破棄などしないとお約束いたします。我々が食糧欲しさに侵攻することはアンリエッタ陛下の名に誓ってあり得ないとお約束しますので、閣下におかれましても……」

 これが、オスカー国王への連絡と同時にわざわざここに使者を寄越した目的か、とノエインは思った。

 内乱と凶作に続いて、飢えたロードベルク王国の侵攻など受けたら、ランセル王国は本当に滅びるだろう。ランセル王国の死に物狂いの抵抗を受けたらロードベルク王国だってただでは済まないし、そうなれば両国共倒れだ。

 それを防ぐためにアンリエッタ女王はオスカー国王に呼びかけ、一方でバルテレミー男爵は、国境に接する領地を持つノエインに早めに釘を刺しに来たわけだ。

 普通に考えて一貴族のノエインが勝手にランセル王国に攻め入ることなどあり得ないが、追い詰められた人間は何をするか分からない。昨年のカドネ派残党のアスピダ要塞襲来の例もある。

 アールクヴィスト領は今年も食糧に余裕があると見込んでいるが、ランセル王国はそんな事情は知らない。

「もちろんです。私は誇り高きロードベルク王国貴族であり、オスカー国王陛下の忠実なる臣下でありますから。いくら凶作に悩んだとしても、それは自領の問題として自力で解決に努めます。そちらへ侵攻することなどあり得ないと固く誓いましょう」

 自信と心の余裕を感じさせる声で言ったノエインに、バルテレミー男爵も緊張を解いてほっとした様子で答える。

「……ありがとうございます。我々はロードベルク王国との友好的な関係の維持を強く望んでおります。まずは両国が互いにこの苦難を乗り越え、末永く平和を享受できますよう」

「ええ、お互いに頑張りましょう」

 言葉は穏やかに保ちつつ、ノエインとバルテレミー男爵は「今はお互い国内が大変だから、絶対に揉めないようにしよう」と確認し合った。
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