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第九章 アールクヴィスト領は平和

第213話 家族

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「……今ごろはうちの従士と御用商人も、アルノルド様の御用商会の商会員たちも、南東部あたりに入ってるでしょうか」

「だろうな。今は国内も平和だ。あれだけ大規模な隊商が騒動に巻き込まれることもそうそうあるまい」

 十月の中旬。レトヴィクのケーニッツ子爵家屋敷の応接室で、ノエインは領主としての隣人であり、義父でもあるアルノルド・ケーニッツ子爵と顔を合わせていた。

 会談の主な目的は、季節の挨拶と情報交換……つまり隣人領主としての社交だ。その挨拶と情報交換もひと段落し、ただの雑談に移りつつあったが。

「戦争自体も、ロードベルク王国の奇襲に近いかたちで始めるのだ。大過なく終わるだろうな」

「……不思議ですね、人口規模はパラス皇国が上なのに、軍事力ではロードベルク王国の方が強いなんて」

 ふと疑問を口にするノエイン。

 パラス皇国の国土はロードベルク王国よりも広く、その分人口も多い。広い国土に人が散らばっているので人口密度は大差なく、王都の規模などはこちらのリヒトハーゲンの方が大きいらしいが、それでも国土と人口の差は、普通は国力の差に繋がるものだ。

 おまけにロードベルク王国は、少し前まで西ではランセル王国と睨み合っていた。二正面作戦のようなことをしながら、それでも尚ロードベルク王国がパラス皇国に対して優勢を保っていたのは奇妙に思えた。東の国境には武闘派貴族が領地を構え、王国軍も常駐しているというが、それにしても変な話だ。

「君は南東部の貴族家の生まれなのに、パラス皇国軍の事情については知らんのか?」

「……あのキヴィレフト伯爵が、冷遇していた庶子に隣国の軍事情勢なんて教えてくれたと思いますか? 伯爵自身も軍事に興味がなさすぎて、上級貴族とは思えないくらい理解が浅いのに?」

「……そうだな。すまん」

 ノエインが顔をしかめながら言うと、アルノルドもばつの悪そうな顔になる。

 生まれが南東部だろうと、今のノエインは完全に北西部貴族だ。おまけに少し前まではろくな情報網も持たない下級貴族だった。縁の薄い王国東部や東の隣国の情報は能動的には収集していないので、あちらの事情には疎い。

「答えは単純だ。パラス皇国の軍は弱い。数はともかく、質が悪いのだよ」

「質、ですか?」

「ああ……あの国の中枢にまでミレオン聖教組織が入り込んでいるのは知っているな?」

「はい、それくらいは」

 頷くノエイン。その程度の一般常識は貴族なら誰でも知っている。

「あちらの宗派……正統会は、ミレオン聖教の教えを文字通りに解釈しようとするきらいがある。『どの種族も平等であるべし』という教えをな。その思想が軍にまで及んでいるそうだ。するとどうなると思う?」

「どの種族も平等に、の教えを文字通りにですか……どの種族の将兵も、同じ基準で評価して出世させる? いや、それなら軍の質的には問題ないはずだから……士官や将官の人数を、個々の能力に関係なく種族ごとに同数にする、とか?」

「……やはり君は頭がいいな。正解だ」

 アルノルドは少し驚いたように眉を上げた。

「聖教組織が国軍の人事にまで口を出し、軍団長から小隊長までの各指揮官職について、普人と亜人と獣人がなるべく等しくなるようにしてきたらしい。近年はその流れがさらに過激になって、より厳格に平等を達成するための昇格や降格が相次いでいるとか」

「えぇ……役職の配分について人口比の考慮は?」

 この大陸南部では普人が八割、獣人が二割弱、亜人が残り少数、という人口比の国が多い。パラス皇国もその例に漏れない。常識的に考えれば、優秀な将官士官は普人ほど多くなり、獣人や亜人ほど少なくなるはずだ。種族の優劣ではなく、単に母数の違いによって。

「考慮されていないそうだ。なので普人の軍団長が百人隊長に格下げされたり、獣人や亜人に至っては小隊長だった者がいきなり軍団長に任ぜられたりと、それはひどい混乱ぶりだと。敵国にまで軍内の事情が漏れ聞こえるのだから、相当なものなのだろうな」

「うわぁ……パラス皇国軍人に同情しますよ」

 その話を聞いたノエインはドン引きした表情で唸る。

「将官士官が戦死したり引退したりする先から、またそういう滅茶苦茶な任命をするから今もその混乱は収まらんと。あの国は貴族の保有する軍備を厳しく制限して、その代わりに皇帝家の保有する国軍の拡充を成しているからな。その国軍の編成がそんな有り様だと……」

「……強い軍を、強い国を作れるわけがありませんね」

 少なくともロードベルク王国では、国軍は原則的に能力を重んじる組織だと言われている。武家の名門出身の将官が多いのは、彼らが英才教育を受けて努力し、しっかり実力を身につけているからだ。家柄で多少の配慮はあるだろうが、それだけで無能な人間がいきなり大きな部隊を率いるようなことはない。

 身分が種族に変わろうが同じだ。種族に関わらず同じ基準で能力を評価するというなら分かるが、個人の能力や実績を無視して、ただ単に種族だけを見て指揮官のポストを動かして、まともに軍が機能するわけがない。

 種族だけを理由に無能な者を重用するのは、種族だけを理由に有能な者を排除するのと同じくらいの愚策だ。

「ついでに言うと、末端の兵士までそうして種族ごとに揃えようとしているそうだ。同じ部隊内に普人も、大柄な獣人も小柄な獣人も、エルフもドワーフもなるべく均等に配属されているらしいぞ」

「……呆れ果てますね」

 駄目押しのような話を聞いてノエインの顔がまた引きつる。身体能力も体力も体格も違う兵士を一まとめにしては、戦闘での連携はもちろん行軍さえやり辛いことだろう。

「まったくだ。私も初めて聞いたときは絶句したよ……まあ、そういうわけでパラス皇国軍は、兵数だけならこちらより多いが軍隊として弱い。質ではこちらに勝てないのを数で補っていると言ってもいい」

「納得です。そんな軍を相手に、国境沿いの武闘派貴族領軍や精強な王国軍が負けるわけありませんね」

 言いながら、ノエインは目の前のテーブルに置かれているお茶を一口啜った。

「戦いは数だ」とはよく言われるが、数さえ揃えればいいというものではないだろう。そんなガタガタの軍隊が相手なら、多少の戦力差など簡単に覆せそうだ。

「……あー、ところでノエインよ。そろそろ場所を移さんか? もう当主としての挨拶も情報交換も終わったのだし」

 そう言ってそわそわし始めたアルノルドを、ノエインはきょとんとした顔で見る。

「アルノルド様、もしかして……早くエレオスと遊びたいのですか?」

「ん? んん……まあ、言ってしまえばそうだな」

 今回ノエインは、義父母に孫の顔を見せる目的もあり、クラーラとエレオスも連れてレトヴィクに来ている。今ごろは義母のエレオノールは娘と孫と触れ合っているだろうが、アルノルドはノエインと当主同士の硬い話を済ませるまでおあずけを食らっていた。

 だが、もう孫と触れ合いたい欲を抑えきれないらしい。それを察したノエインはニマニマと笑いながら答える。

「んふふ……なるほど、僕があまりお義父様を独り占めするのも可哀想ですね。それじゃあ堅苦しい会談はおしまいにしますか」

「義父をからかうんじゃない……だが、会談を終わるというのは大賛成だ」

 照れ隠しに苦い顔をしたアルノルドとともに、ノエインは応接室を出て居間の方に移動する。そこではやはり、クラーラとエレオスがエレオノールと触れ合っていた。

 さらに、ノエインにとっては義兄夫婦である、フレデリックとレネットも同席している。レネットはフレデリックとの第一子を腕に抱いていた。

「あらあなた、お仕事の話は終わったんですね」

「お疲れさまです、父上」

「お帰りなさい、お父様」

「ああ、ようやく孫とゆっくり触れ合える時間だ……さて、私にもエレオスを抱かせてくれ」

 答えながら、アルノルドはエレオノールとクラーラの間に座り、エレオスを受け取る。好奇心旺盛な性格のエレオスは、自身を抱きかかえる祖父をじっと見つめると、興味を持ったのかその顎の整った髭へと手を伸ばし始めた。

 先ほどまで上級貴族家の当主らしい空気を纏っていたアルノルドも、今はただ孫と戯れる祖父の顔になる。ことさらに大事に育てた末娘の子ともなれば、可愛さは格別なのだろう。

 アルノルドを見てそう思いながら、ノエインも空いている椅子に座る。その後ろにはマチルダが、今は影のように控える。

 すると、ノエインの隣にフレデリックが移動してきた。自身の赤ん坊を抱いたレネットも近くに席を移してくる。

「ノエイン殿、今日はクラーラとエレオスを連れてきてくれて感謝するよ。あらためて礼を言わせてくれ」

「そんな、お礼なんて……これも家族として当然のことをしたまでですよ」

 フレデリックの言葉に、ノエインも今は本心で答える。自分は家族の温かさを知らずに育ったからこそ、クラーラやエレオスにはできるだけ家族と触れ合う幸福を味わってほしいと思っていた。

「うちの子も従兄弟に会えて嬉しそうですし、ありがとうございます。ノエインさん」

「サミュエルも元気に大きくなってるみたいで、僕も嬉しいです。レネット様」

 フレデリックとの長男――サミュエルを抱いて笑うレネットに、ノエインも微笑んで答えた。

 エレオスより数か月早く生まれたというサミュエルは、このままいけばフレデリックの次代のケーニッツ子爵家当主になる。歳も同じで立場も近いエレオスとは、いい幼馴染になるだろう。

 二人が仲良く交流しながら育てば、少なくともノエインたちの次の代までは両家の友好が保たれる。貴族である以上どうしてもこうした政治的な意図が挟まれてしまうが、それを抜きにしても我が子と義兄の子が友人になれればとノエインは思っていた。貴族が友人を作れる機会はそう多くないのだから。

「おっと、こらこら……」

「ああまた、駄目よエレオス」

「まあまあ、お爺様のお髭が気になるのかしらね」

 そんな声が聞こえてノエインがクラーラたちの方を向くと、例のごとくエレオスが好奇心のままにアルノルドの髭を引き寄せて口に頬張ろうとし、それをクラーラとエレオノールが止めているところだった。

「ははは、うちのサミュエルもあれくらいの大物になってほしいものだよ。少しおとなしすぎるからな」

 フレデリックの言った通り、レネットの腕に抱かれたサミュエルはぽけっとした顔で、黙ってアルノルドたちの騒動を見ている。

「大胆すぎるのとおとなしすぎるのと、どっちがいいんでしょうかねえ……」

 平和そのものの光景を見ながら、ノエインは義兄と笑い合う。

 義父母と義兄夫婦との穏やかな交流は、その後もしばし続いた。
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