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第九章 アールクヴィスト領は平和
第207話 停戦
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オスカー・ロードベルク3世は、アンリエッタ・ランセル王女からの停戦の申し入れを受け入れる。王女とその一派こそを次なる国政の担い手として認め、支持する。
その答えを聞いたバルテレミー男爵が、明らかにほっとした顔で小さく息を吐く。これまで表情をほとんど変えていない両横の補佐役二人も安心した様子だった。
「……ただし、無条件というわけではありません。こちらは二度、大規模な戦闘で勝利した。そして貴国が戦争状態を終わらせたいと頭を下げてきた。すなわちこちらが戦勝国であるわけです。なので、あなた方には国として、相応の謝罪の意思を示してもらわなければならないと陛下はお考えです」
ノエインが続けると、バルテレミー男爵は一瞬ゆるめた気を再び引き締めた。
「それは……ごもっともですな」
「ひとまず、停戦協定そのものには条件を求めません。あなた方王女派連合はカドネ派との戦いに注力したいでしょうから。これは陛下の善意によるご配慮です」
「ありがとうございます。オスカー・ロードベルク3世陛下のご配慮に、アンリエッタ王女殿下も感謝されるでしょう」
もちろん、オスカーが純粋な善意で無条件の停戦を結ぶわけではない。ロードベルク王国に対して穏健な姿勢を取るアンリエッタ王女の一派に早くランセル王国を掌握させ、その後で取るべきものを取る方がいいと判断しただけだ。
ノエインは国王からその意図を知らされているし、おそらくバルテレミー男爵たちも気づいているだろうが、この場では互いに建前のみを口にする。
「陛下が条件を求められるのはその後、アンリエッタ王女殿下がランセル王国の王位に就かれて実権を握り、ロードベルク王国と正式に講和を結ぶ際のことです。この講和の条件を、今のうちに確約していただきたい」
「……その条件をお伺いしましょう」
「確実にお約束いただきたい大きな条件はひとつ。ずばり申し上げますと、賠償金です。金額は10億レブロ」
「っ!!」
バルテレミー男爵と二人の官僚が息を呑む。無理もない。立場が逆ならノエインだって同じ顔をする。
例えば今年のノエインの見込み収入が、領民からの税収と鉱山からの収益、油や砂糖の加工と販売、武器の他領への輸出などを全て合わせて5000万レブロほどだ。
ただし、ここから領地運営に必要なあらゆる支出が引かれる。人件費、軍事費、市壁や道や公共設備の整備維持費、移民への支援費用などを差し引くと、純粋にアールクヴィスト家の使える金は五分の一も残らないだろう。
さらにそこから屋敷の維持費や使用人の給金、社交費用など貴族としての体面を維持する生活費も出ていくのだから、本当の意味でノエインやクラーラが好きに使える金は100万レブロも残るかどうか。
アールクヴィスト領は一般的な貴族領と比べると経済事情がかなり特殊だが、それでも中堅規模の一貴族家の収入がこの程度である。
それと比べると、ロードベルク王国側が求める賠償金の額はまさに国家規模だ。人口から推測できる平時のランセル王家の推定年間予算のおよそ三分の一に値する。いや、ランセル王国の通貨であるデュシェンはレブロよりやや価値が低いので、実質三分の一以上だ。
王家としての格の維持費、軍事費、宮廷貴族や文官への俸禄、公共事業の費用などを全て含めた予算の三分の一以上の賠償金。国内を掌握した後には疲弊した社会の立て直しが待っているアンリエッタ王女にとって、あまりに大きい負担だ。
「もちろん、講和と同時にいきなりそれだけの賠償金を用意するのが現実的に無理だということは陛下も承知しておられます。講和を結んだ翌年から五年かけて、分割でお支払いいただきたい。ご相談いただければ物納にも応じる用意があるとのことです」
そこまで聞いて、明らかにほっとした様子を見せるバルテレミー男爵たち。
ノエインとしてはこれでもそれなりに厳しい要求だと思うが、オスカーからの非公式の私信では、ランセル王国に散々悩まされた王国南西部を納得させるにはこれくらいの大金をむしり取る必要があるのだという。
賠償金は王が私腹を肥やすために要求しているわけではない。南西部の完全復興のためにその多くが注ぎ込まれる。
補佐役の官僚のうち、文官の方が何やらバルテレミー男爵の耳元にささやく。男爵はそれに頷くと、ノエインに言った。
「……その条件であれば、おそらくアンリエッタ王女殿下も前向きに検討されるはずです。私はあくまで使いでありますのでまだ確かなことは申し上げられませんが」
おそらく、さっき耳打ちした文官はロードベルク王国側が賠償金を請求することを見込んだ上で、王女派連合がどの程度まで許容できるか把握しているのだろう。五年で10億レブロは想定内か。
「ええ、理解しています……賠償金以外にも国境線の再画定や、そちらが国境へ駐留させる軍の規模の制限、向こう数年の関税のことなど細かな要求はありますが、詳細はこちらの親書の方に。アンリエッタ王女殿下へお届け願います」
「はっ。確かに」
前回とは逆でノエインの方が差し出した親書を、バルテレミー男爵が丁寧に受け取る。これで、ノエインの使者としての仕事はひとまず終わりだ。
「両国の融和と正常な国交回復のため、アンリエッタ殿下もきっとご承諾されることでしょう」
「ええ、良いお返事をいただけることを陛下もお望みです」
バルテレミー男爵が握手を求めてきたので、ノエインも完璧な作り笑顔を浮かべながら応じた。
「……ところで、戦況の方はどうですか?」
「軍事情報ですのであまり細かなことは申し上げられないのですが……我々の勝利は揺るがないものと考えます。王女派連合に下る元軍閥貴族も日に日に増え、カドネ派は組織的な抵抗もままならない様子。私見ですがおそらく来年の春にも、アンリエッタ殿下が女王に即位されるかと」
つまり、終戦から即位までの準備期間を差し引いても、今年の冬頃までには内乱も終わるといったところか。
もともとカドネ派の軍閥が弱まっていた上に、離反した貴族がそのまま王女派連合の戦力として加わっていくのだ。その上カドネ本人はノエインたちが再起不能にしてやったのだから、もはや彼に勝ち目はあるまい。
「それはよかった。ロードベルク王国としても、私個人としても、王女派連合の皆様の勝利を心より願っています」
「これは心強いお言葉を……感謝いたしますぞ」
他国との友好などいつまで続くか分かったものではないが、少なくともアンリエッタ王女と王女派連合が国政を担えば、国境に面するアールクヴィスト領も当面は平和を得られるだろう。
自分の利益を見てのこととはいえ、ノエインは本心から彼らを応援した。
・・・・・
ノエインが使者としてランセル王国に出向いてからおよそ二週間後。ロードベルク王国側の要求を受け入れる旨が記されたアンリエッタ王女からの親書が再び届き、これが再び王都リヒトハーゲンへと全速力で届けられた。
オスカー・ロードベルク3世がアンリエッタ・ランセル王女に送った親書の中には、講和の際の条件――賠償金10億レブロの分割払いなどについて両者が同意することを示す署名欄付きの誓約書も同封されていた。
文面が同じ二通の誓約書に両者が署名し、一通ずつを持つことで誓約が交わされたものとし、それをもってひとまず停戦協定を結ぶ、という仕組みだ。
親書とともにこの誓約書もオスカー・ロードベルク3世へと渡されたことで、四月の終わりには、ロードベルク王国とランセル王国――正式にはランセル王国内の掌握を進めるアンリエッタ王女や親王女派貴族連合との停戦協定が成立。
およそ十年に及ぶロードベルク王国とランセル王国の対立は、ここに一応の収束をみせた。
★★★★★★★
貨幣価値や物価については、物語としての分かりやすさを重視しているのでご了承ください。
普通の貴族の収入は「税収(地税や人頭税や通行税)+事業収入(特産品生産とか店の経営とか)が少し」くらいですが、アールクヴィスト領は人口あたりの税収がかなり少ない代わりに領主の事業収入がめっちゃ多く、一方で軍事費や領地開発費などの支出も莫大という歪な領地です。
開拓開始から十年足らずで一気に領地規模を拡大するために仕方ないことではありますが、ノエインも自領の歪さは分かった上で、これから人口が増えて五年~十年くらい経てばそれも健全化されていくと考えています。
収入から支出を引いた今のノエインの可処分所得(生活や社交や趣味に使えるお金)は、標準的な男爵と子爵の中間くらいです。
その答えを聞いたバルテレミー男爵が、明らかにほっとした顔で小さく息を吐く。これまで表情をほとんど変えていない両横の補佐役二人も安心した様子だった。
「……ただし、無条件というわけではありません。こちらは二度、大規模な戦闘で勝利した。そして貴国が戦争状態を終わらせたいと頭を下げてきた。すなわちこちらが戦勝国であるわけです。なので、あなた方には国として、相応の謝罪の意思を示してもらわなければならないと陛下はお考えです」
ノエインが続けると、バルテレミー男爵は一瞬ゆるめた気を再び引き締めた。
「それは……ごもっともですな」
「ひとまず、停戦協定そのものには条件を求めません。あなた方王女派連合はカドネ派との戦いに注力したいでしょうから。これは陛下の善意によるご配慮です」
「ありがとうございます。オスカー・ロードベルク3世陛下のご配慮に、アンリエッタ王女殿下も感謝されるでしょう」
もちろん、オスカーが純粋な善意で無条件の停戦を結ぶわけではない。ロードベルク王国に対して穏健な姿勢を取るアンリエッタ王女の一派に早くランセル王国を掌握させ、その後で取るべきものを取る方がいいと判断しただけだ。
ノエインは国王からその意図を知らされているし、おそらくバルテレミー男爵たちも気づいているだろうが、この場では互いに建前のみを口にする。
「陛下が条件を求められるのはその後、アンリエッタ王女殿下がランセル王国の王位に就かれて実権を握り、ロードベルク王国と正式に講和を結ぶ際のことです。この講和の条件を、今のうちに確約していただきたい」
「……その条件をお伺いしましょう」
「確実にお約束いただきたい大きな条件はひとつ。ずばり申し上げますと、賠償金です。金額は10億レブロ」
「っ!!」
バルテレミー男爵と二人の官僚が息を呑む。無理もない。立場が逆ならノエインだって同じ顔をする。
例えば今年のノエインの見込み収入が、領民からの税収と鉱山からの収益、油や砂糖の加工と販売、武器の他領への輸出などを全て合わせて5000万レブロほどだ。
ただし、ここから領地運営に必要なあらゆる支出が引かれる。人件費、軍事費、市壁や道や公共設備の整備維持費、移民への支援費用などを差し引くと、純粋にアールクヴィスト家の使える金は五分の一も残らないだろう。
さらにそこから屋敷の維持費や使用人の給金、社交費用など貴族としての体面を維持する生活費も出ていくのだから、本当の意味でノエインやクラーラが好きに使える金は100万レブロも残るかどうか。
アールクヴィスト領は一般的な貴族領と比べると経済事情がかなり特殊だが、それでも中堅規模の一貴族家の収入がこの程度である。
それと比べると、ロードベルク王国側が求める賠償金の額はまさに国家規模だ。人口から推測できる平時のランセル王家の推定年間予算のおよそ三分の一に値する。いや、ランセル王国の通貨であるデュシェンはレブロよりやや価値が低いので、実質三分の一以上だ。
王家としての格の維持費、軍事費、宮廷貴族や文官への俸禄、公共事業の費用などを全て含めた予算の三分の一以上の賠償金。国内を掌握した後には疲弊した社会の立て直しが待っているアンリエッタ王女にとって、あまりに大きい負担だ。
「もちろん、講和と同時にいきなりそれだけの賠償金を用意するのが現実的に無理だということは陛下も承知しておられます。講和を結んだ翌年から五年かけて、分割でお支払いいただきたい。ご相談いただければ物納にも応じる用意があるとのことです」
そこまで聞いて、明らかにほっとした様子を見せるバルテレミー男爵たち。
ノエインとしてはこれでもそれなりに厳しい要求だと思うが、オスカーからの非公式の私信では、ランセル王国に散々悩まされた王国南西部を納得させるにはこれくらいの大金をむしり取る必要があるのだという。
賠償金は王が私腹を肥やすために要求しているわけではない。南西部の完全復興のためにその多くが注ぎ込まれる。
補佐役の官僚のうち、文官の方が何やらバルテレミー男爵の耳元にささやく。男爵はそれに頷くと、ノエインに言った。
「……その条件であれば、おそらくアンリエッタ王女殿下も前向きに検討されるはずです。私はあくまで使いでありますのでまだ確かなことは申し上げられませんが」
おそらく、さっき耳打ちした文官はロードベルク王国側が賠償金を請求することを見込んだ上で、王女派連合がどの程度まで許容できるか把握しているのだろう。五年で10億レブロは想定内か。
「ええ、理解しています……賠償金以外にも国境線の再画定や、そちらが国境へ駐留させる軍の規模の制限、向こう数年の関税のことなど細かな要求はありますが、詳細はこちらの親書の方に。アンリエッタ王女殿下へお届け願います」
「はっ。確かに」
前回とは逆でノエインの方が差し出した親書を、バルテレミー男爵が丁寧に受け取る。これで、ノエインの使者としての仕事はひとまず終わりだ。
「両国の融和と正常な国交回復のため、アンリエッタ殿下もきっとご承諾されることでしょう」
「ええ、良いお返事をいただけることを陛下もお望みです」
バルテレミー男爵が握手を求めてきたので、ノエインも完璧な作り笑顔を浮かべながら応じた。
「……ところで、戦況の方はどうですか?」
「軍事情報ですのであまり細かなことは申し上げられないのですが……我々の勝利は揺るがないものと考えます。王女派連合に下る元軍閥貴族も日に日に増え、カドネ派は組織的な抵抗もままならない様子。私見ですがおそらく来年の春にも、アンリエッタ殿下が女王に即位されるかと」
つまり、終戦から即位までの準備期間を差し引いても、今年の冬頃までには内乱も終わるといったところか。
もともとカドネ派の軍閥が弱まっていた上に、離反した貴族がそのまま王女派連合の戦力として加わっていくのだ。その上カドネ本人はノエインたちが再起不能にしてやったのだから、もはや彼に勝ち目はあるまい。
「それはよかった。ロードベルク王国としても、私個人としても、王女派連合の皆様の勝利を心より願っています」
「これは心強いお言葉を……感謝いたしますぞ」
他国との友好などいつまで続くか分かったものではないが、少なくともアンリエッタ王女と王女派連合が国政を担えば、国境に面するアールクヴィスト領も当面は平和を得られるだろう。
自分の利益を見てのこととはいえ、ノエインは本心から彼らを応援した。
・・・・・
ノエインが使者としてランセル王国に出向いてからおよそ二週間後。ロードベルク王国側の要求を受け入れる旨が記されたアンリエッタ王女からの親書が再び届き、これが再び王都リヒトハーゲンへと全速力で届けられた。
オスカー・ロードベルク3世がアンリエッタ・ランセル王女に送った親書の中には、講和の際の条件――賠償金10億レブロの分割払いなどについて両者が同意することを示す署名欄付きの誓約書も同封されていた。
文面が同じ二通の誓約書に両者が署名し、一通ずつを持つことで誓約が交わされたものとし、それをもってひとまず停戦協定を結ぶ、という仕組みだ。
親書とともにこの誓約書もオスカー・ロードベルク3世へと渡されたことで、四月の終わりには、ロードベルク王国とランセル王国――正式にはランセル王国内の掌握を進めるアンリエッタ王女や親王女派貴族連合との停戦協定が成立。
およそ十年に及ぶロードベルク王国とランセル王国の対立は、ここに一応の収束をみせた。
★★★★★★★
貨幣価値や物価については、物語としての分かりやすさを重視しているのでご了承ください。
普通の貴族の収入は「税収(地税や人頭税や通行税)+事業収入(特産品生産とか店の経営とか)が少し」くらいですが、アールクヴィスト領は人口あたりの税収がかなり少ない代わりに領主の事業収入がめっちゃ多く、一方で軍事費や領地開発費などの支出も莫大という歪な領地です。
開拓開始から十年足らずで一気に領地規模を拡大するために仕方ないことではありますが、ノエインも自領の歪さは分かった上で、これから人口が増えて五年~十年くらい経てばそれも健全化されていくと考えています。
収入から支出を引いた今のノエインの可処分所得(生活や社交や趣味に使えるお金)は、標準的な男爵と子爵の中間くらいです。
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