209 / 255
第九章 アールクヴィスト領は平和
第202話 予想外の再会
しおりを挟む
ベゼル大森林道のロードベルク王国側の端、前線基地のある位置に建造されていた砦は、冬の間に兵士たちが体を動かして温まるために建設作業に励んだ結果、冬明けにはほぼ完成していた。
四方を石造りの城壁が囲み、出入口は西側と東側の二か所。最終的にはアールクヴィスト領軍だけで防衛することになるため、大きさはさほどでもない。
しかし、その堅牢さは凄まじい。
まず、城壁の上や城壁に開けられた銃眼から周囲を向く合計20台ものバリスタ。砦の中に大量に備蓄された爆炎矢。これだけでも、数百程度の軍隊なら壊滅させられるほどの火力となる。
これらのバリスタは筆頭鍛冶職人ダミアンによってさらに改良が加えられ、普人一人でも弦を引ける機構や、城壁上のものは左右にそれぞれ90度回転させられる台座を備えている。移動させなくていいため、固定砲台としての機能が特化されているのだ。
さらに、砦の周囲には堀が張り巡らされ、東西の出入口には城内からゴーレムが素早く飛び出せるよう内側に頑丈な足場が設置されている。敵が出入口から侵入を試み、ゴーレムによる攻撃をかいくぐったとしても、門の周囲には無数の銃眼が開けられているのでクロスボウの一斉射を浴びることになる。
砦の内部も要塞化され、火矢などから食糧やゴーレムを守る半地下の石造りの倉庫、兵士たちがしっかり雨風を凌げる兵舎も備える。
敵の侵攻の迎撃に徹底的に特化した、ハリネズミのような砦。敵が侵攻するなら必ずこの砦を突破しなければならず、仮に周囲の森を抜けて砦を迂回しても、今度は後方からゴーレムの群れに襲いかかられることになる。
これに対峙させられるランセル王国軍からしたら、とんでもなく目障りな要害だろう。一方でアールクヴィスト領にとっては頼もしい盾となるここは、古典語でそのまま「盾」を意味するアスピダ要塞と名づけられた。
三月下旬、ある日の昼過ぎ。すでに駐留軍の司令部として運用が開始されているアスピダ要塞内に、西の森林道側から一騎の騎兵が全速力で走ってくる。見回りに出ていた駐留軍兵士だ。
見回りの兵が大急ぎで戻ってくるというのは、何か異変が起きたことを意味する。要塞内に飛び込んだ兵士のもとへ、駐留軍指揮官である第九軍団の副軍団長とマルツェル伯爵が駆け寄った。
「何事だ! 報告しろ!」
「ら、ランセル王国軍です! ランセル王国軍の騎兵部隊が接近してきます! 数はおよそ30!」
その言葉を聞いて、周囲に集まっていた駐留軍の兵士たちがざわつく。
しかし、指揮官である副軍団長とマルツェル伯爵は冷静に目を合わせて頷き合うと、
「私は一応戦闘態勢をとらせましょう」
「頼む。私は敵を出迎える前提で動こう」
役割を分担して動いた。
副軍団長が「敵の攻撃に備えよ! 各員配置につけ!」と叫ぶ一方で、マルツェル伯爵は見回りの兵士に尋ねる。
「その騎兵部隊は30人だけで後続はいないのだな? 様子はどうだった? 急いでいたか?」
「……その30人だけです。様子は……急ぐこともなく、堂々と接近してきていたかと」
「そうか、ご苦労」
威力偵察としても数が少なすぎるし、襲撃を試みるのであればこちらの見張りに気づかれることも見越して急速接近してくるはず。これは十中八九、使者とその護衛だろうとマルツェル伯爵は考える。
総勢30騎と護衛が多いのは、ベゼル大森林内で魔物と遭遇する可能性を考えてのことか。
「騎兵部隊はおそらく使者の一団だ。こちらの防衛態勢を見せるためにも戦闘準備は続けろ。それと、使者を出迎える者を……」
「閣下、その役目、アールクヴィスト領軍にお任せ願えないでしょうか」
マルツェル伯爵が周囲の士官に指示を出すと、そこへ声をかけたのはラドレーだ。伯爵もそちらを振り返る。
マルツェル伯爵はノエインという男が好きではないが、アールクヴィスト領軍に関しては、創設から浅いわりによく鍛えられた軍隊だと認めている。士官クラスの従士も粒ぞろいで、なかでも駐留部隊を率いるこのラドレーという男は優れた武人だと気に入っていた。
冬に飢えたホフゴブリンが何匹か前線基地に侵入するという事件があったが、その時にこのラドレーは単独で2匹ほどを相手取って仕留めてしまった。それを見たときは、叶うなら自分の部下に欲しいと思ったほどだ。
「……よかろう。使者の出迎えはお前たちに任せる。くれぐれも油断するなよ」
「はっ」
ここはノエイン・アールクヴィスト子爵の領地だ。その領軍が最初に敵の使者を出迎えるのは道理にかなっている。そう考えたマルツェル伯爵は、ラドレーに許可を出した。
・・・・・
名誉従士コンラートから『遠話』による報告を受けて一時間後には、ノエインは準備を整えてアスピダ要塞に出発した。
参謀に従士長ユーリを、副官兼護衛にマチルダを、さらに護衛部隊としてペンス率いる精鋭の親衛隊10人とクレイモアからグスタフ以下5人を連れ、自らもゴーレムを連れていくという、傍から見ればやや過剰ともとれる軍勢で周囲を固めての移動。
これは敵が万が一罠を張っていた場合に、意地でもそれを切り抜けて領都ノエイナに逃げ帰るための戦力だ。
さらに、領都ノエイナでは従士ダントが指揮を取って領軍の正規兵と予備役を招集している。いざというときはすぐに防衛戦に突入できる。
現時点でとれる最大限の警戒態勢をとりながら、しかしノエインたちは何事もなくアスピダ要塞に到着。防衛態勢がとられてものものしい雰囲気の漂う要塞の東門をくぐり、マルツェル伯爵に出迎えられた。
「お待たせしました」
「……随分と大所帯で来たな」
10騎以上の騎兵と何体ものゴーレムに囲まれたノエインを見て、マルツェル伯爵は少し怪訝な顔を見せる。
「もし敵の罠だったら戦いになるかと思いまして、念のためです」
「……まあ、そうだな。警戒するに越したことはないだろう」
ここは敵と対峙する最前線で、今は終戦どころか停戦も結ばれていない状況。ノエインの言うことはもっともであり、マルツェル伯爵も特にそれ以上は言及しない。
「それで、ランセル王国軍の使者はどちらに?」
「司令部の会議室を応接室代わりにして待たせてある。卿が着いて早々だが、会談を始めるぞ……使者をあまり待たせても無礼になるからな」
「……そうですね、礼を失することはできませんからね」
憮然とした表情で言ったマルツェル伯爵に、ノエインもニヤリと笑いながら返す。二人の皮肉の対象はもちろんランセル王国軍だ。
10年ほど前の宣戦布告以来、これまで蛮族もかくやという振る舞いでロードベルク王国を困らせてきた敵国。しかし、相手が礼儀正しく外交の手順を踏んでくるのなら、こちらも丁寧に応えないわけにはいかない。相手の三倍もの歴史を持つ文明国家の貴族として、マルツェル伯爵にもノエインにもプライドがあるのだ。
・・・・・
アスピダ要塞の司令部となっている石造りの建物。その中にある軍議用の会議室は、今はランセル王国軍の使者を待たせるために使われていた。
その部屋に向かって要塞内を歩きながら、第九軍団の副軍団長がノエインに言う。
「相手の到着時に確認しましたが、使者はランセル王国で男爵位を持つ貴族とのことです。やって来た目的は停戦協定を結ぶことだそうで」
「停戦ですか……やはりあちらは国内の混乱で戦争継続どころではないみたいですね」
思いのほか素直に、これといった小細工もなく敵が停戦を申し入れてきたことに内心で驚きつつも、これもまた無理のないことだろうとノエインは考えた。カドネという旗頭を欠いて軍閥が勢力を弱めているであろう今、ランセル王国は挙国一致で戦争になど望めまい。
「それにしても、浅はかではないかと思うがな。敵が弱った好機と見て、こちらが停戦を拒否して侵攻するとは考えないのか」
「……そうですよね。黙っていれば膠着状態を維持できたかもしれないのに」
マルツェル伯爵が物騒なことを言うが、確かにその通りだとノエインも気づく。
今のロードベルク王国北西部にはそれなりに余力があるので、敵がご丁寧に作ってくれたベゼル大森林道を利用して本格的な侵攻に出ることもできるのだ。停戦の申し入れをわざわざ受け入れる義理はない。
自分がランセル王国の指導者層なら、わざわざ停戦など申し入れずに睨み合いを続ける。そうすれば、ランセル王国の現状がはっきり分からない以上ロードベルク王国側からも安易に攻め込めないのだから。
なぜ自分たちの国が弱っていることをわざわざ明示しに来たのか疑問だ。
「そのあたりの敵の思惑が、今からの会談で探る要点になるでしょうな……あの扉の先が会議室です。アールクヴィスト閣下、準備はよろしいですかな?」
「ええ、問題ありません。行きましょう」
副軍団長に問われて、ノエインは努めて冷静に答えた。
会議室の扉の前に立っていた衛兵が、ノエインたちに敬礼して扉を開ける。
爵位の順に、まずマルツェル伯爵が、続いてノエインが、そして副軍団長が入る。ノエインはマチルダとユーリを連れ、伯爵と副軍団長もそれぞれの副官を伴っていた。
ロードベルク王国側の指揮官の到着を見たランセル王国軍の使者が椅子から立ち上がる。後ろに護衛兵を二名連れ、両横には助言役の官僚なのか文官と武官を一人ずつ伴った使者は――なぜかノエインの顔を見るなり「ほぅ」と意味ありげに呟いて一歩近づいてきた。
次の瞬間、
「っ!」
「閣下!」
「えっ?」
マチルダがノエインを庇うように自身の背に隠し、さらにユーリが自らを盾にするようにノエインとマチルダの前に出た。ユーリは腰の剣に手をかけており、今にも抜かんとしている。
当のノエインは、いきなりの状況変化で呆気にとられながら間の抜けた声を上げただけだ。
「なっ!?」
「ちぃっ!」
副軍団長もマルツェル伯爵も、反射的に剣の柄を握る。室内で警備に就いていた数名の駐留軍兵士も、困惑した表情を浮かべながらも剣を構えた。
それを受けて、ランセル王国軍側の護衛兵も驚いた様子で剣に手をかけ、武官が使者を庇うように前に出る。
十数名がいる会議室に、緊迫した空気が漂う。
「……マチルダ、ユーリ、どうした?」
数瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのはノエインだ。
ランセル王国軍の使者も、官僚や護衛も、敵対行動は何もとっていなかったはずだ。むしろマチルダとユーリの急な動きを見てから護衛兵と武官が対応してきた。
最初に使者が一歩こちらに歩み寄ったのも、ここまで警戒するほど不審な行動というわけではない。明らかに、先に過剰に動いたのはこちらだ。
「……ノエイン様」
「閣下、あの男は……」
「いやはや、これは面白い。何たる偶然か、世間とは狭いものですなあ」
答えようとしたマチルダとユーリを遮り、機嫌良さげにべらべらと話し出したのは使者の男だ。
自分を庇っていた武官を手で制し、敵対の意思はないと示すように両手を広げながら、一人でノエインに近づいてくる。
顔を見た印象だと、年齢は40代ほどか。いかにも武人という雰囲気の男だが、同時に貴族らしい知性があることも感じさせる。声と同じく表情も上機嫌そうで、やはり敵意があるようには見えない。
その様子を見て、両陣営はようやく少しばかり緊張を解く。マチルダもノエインを背から離し、ユーリも剣の柄から手を離すが、二人ともいつでもノエインの前に飛び出せるよう緊張を保っていることが分かる。
使者は口調からしてノエインのことを知っているらしいが、顔見知りと言えるほどの知人はランセル王国にはいないはずだとノエインは訝しむ。
「お久しぶりですな。三年前の大戦、バレル砦の戦いでは良き戦をさせていただきました」
「……あ゛っ!!」
言われてノエインは思い出した。と、同時に顔をこわばらせた。
ランセル王国軍の使者は、目の前にいる男は、
バレル砦の戦いの際に、ノエインが砦の中に引きずりこんで足に矢を突き刺すという手荒な尋問をした後、外に放り出して敵にお返しした貴族だった。
四方を石造りの城壁が囲み、出入口は西側と東側の二か所。最終的にはアールクヴィスト領軍だけで防衛することになるため、大きさはさほどでもない。
しかし、その堅牢さは凄まじい。
まず、城壁の上や城壁に開けられた銃眼から周囲を向く合計20台ものバリスタ。砦の中に大量に備蓄された爆炎矢。これだけでも、数百程度の軍隊なら壊滅させられるほどの火力となる。
これらのバリスタは筆頭鍛冶職人ダミアンによってさらに改良が加えられ、普人一人でも弦を引ける機構や、城壁上のものは左右にそれぞれ90度回転させられる台座を備えている。移動させなくていいため、固定砲台としての機能が特化されているのだ。
さらに、砦の周囲には堀が張り巡らされ、東西の出入口には城内からゴーレムが素早く飛び出せるよう内側に頑丈な足場が設置されている。敵が出入口から侵入を試み、ゴーレムによる攻撃をかいくぐったとしても、門の周囲には無数の銃眼が開けられているのでクロスボウの一斉射を浴びることになる。
砦の内部も要塞化され、火矢などから食糧やゴーレムを守る半地下の石造りの倉庫、兵士たちがしっかり雨風を凌げる兵舎も備える。
敵の侵攻の迎撃に徹底的に特化した、ハリネズミのような砦。敵が侵攻するなら必ずこの砦を突破しなければならず、仮に周囲の森を抜けて砦を迂回しても、今度は後方からゴーレムの群れに襲いかかられることになる。
これに対峙させられるランセル王国軍からしたら、とんでもなく目障りな要害だろう。一方でアールクヴィスト領にとっては頼もしい盾となるここは、古典語でそのまま「盾」を意味するアスピダ要塞と名づけられた。
三月下旬、ある日の昼過ぎ。すでに駐留軍の司令部として運用が開始されているアスピダ要塞内に、西の森林道側から一騎の騎兵が全速力で走ってくる。見回りに出ていた駐留軍兵士だ。
見回りの兵が大急ぎで戻ってくるというのは、何か異変が起きたことを意味する。要塞内に飛び込んだ兵士のもとへ、駐留軍指揮官である第九軍団の副軍団長とマルツェル伯爵が駆け寄った。
「何事だ! 報告しろ!」
「ら、ランセル王国軍です! ランセル王国軍の騎兵部隊が接近してきます! 数はおよそ30!」
その言葉を聞いて、周囲に集まっていた駐留軍の兵士たちがざわつく。
しかし、指揮官である副軍団長とマルツェル伯爵は冷静に目を合わせて頷き合うと、
「私は一応戦闘態勢をとらせましょう」
「頼む。私は敵を出迎える前提で動こう」
役割を分担して動いた。
副軍団長が「敵の攻撃に備えよ! 各員配置につけ!」と叫ぶ一方で、マルツェル伯爵は見回りの兵士に尋ねる。
「その騎兵部隊は30人だけで後続はいないのだな? 様子はどうだった? 急いでいたか?」
「……その30人だけです。様子は……急ぐこともなく、堂々と接近してきていたかと」
「そうか、ご苦労」
威力偵察としても数が少なすぎるし、襲撃を試みるのであればこちらの見張りに気づかれることも見越して急速接近してくるはず。これは十中八九、使者とその護衛だろうとマルツェル伯爵は考える。
総勢30騎と護衛が多いのは、ベゼル大森林内で魔物と遭遇する可能性を考えてのことか。
「騎兵部隊はおそらく使者の一団だ。こちらの防衛態勢を見せるためにも戦闘準備は続けろ。それと、使者を出迎える者を……」
「閣下、その役目、アールクヴィスト領軍にお任せ願えないでしょうか」
マルツェル伯爵が周囲の士官に指示を出すと、そこへ声をかけたのはラドレーだ。伯爵もそちらを振り返る。
マルツェル伯爵はノエインという男が好きではないが、アールクヴィスト領軍に関しては、創設から浅いわりによく鍛えられた軍隊だと認めている。士官クラスの従士も粒ぞろいで、なかでも駐留部隊を率いるこのラドレーという男は優れた武人だと気に入っていた。
冬に飢えたホフゴブリンが何匹か前線基地に侵入するという事件があったが、その時にこのラドレーは単独で2匹ほどを相手取って仕留めてしまった。それを見たときは、叶うなら自分の部下に欲しいと思ったほどだ。
「……よかろう。使者の出迎えはお前たちに任せる。くれぐれも油断するなよ」
「はっ」
ここはノエイン・アールクヴィスト子爵の領地だ。その領軍が最初に敵の使者を出迎えるのは道理にかなっている。そう考えたマルツェル伯爵は、ラドレーに許可を出した。
・・・・・
名誉従士コンラートから『遠話』による報告を受けて一時間後には、ノエインは準備を整えてアスピダ要塞に出発した。
参謀に従士長ユーリを、副官兼護衛にマチルダを、さらに護衛部隊としてペンス率いる精鋭の親衛隊10人とクレイモアからグスタフ以下5人を連れ、自らもゴーレムを連れていくという、傍から見ればやや過剰ともとれる軍勢で周囲を固めての移動。
これは敵が万が一罠を張っていた場合に、意地でもそれを切り抜けて領都ノエイナに逃げ帰るための戦力だ。
さらに、領都ノエイナでは従士ダントが指揮を取って領軍の正規兵と予備役を招集している。いざというときはすぐに防衛戦に突入できる。
現時点でとれる最大限の警戒態勢をとりながら、しかしノエインたちは何事もなくアスピダ要塞に到着。防衛態勢がとられてものものしい雰囲気の漂う要塞の東門をくぐり、マルツェル伯爵に出迎えられた。
「お待たせしました」
「……随分と大所帯で来たな」
10騎以上の騎兵と何体ものゴーレムに囲まれたノエインを見て、マルツェル伯爵は少し怪訝な顔を見せる。
「もし敵の罠だったら戦いになるかと思いまして、念のためです」
「……まあ、そうだな。警戒するに越したことはないだろう」
ここは敵と対峙する最前線で、今は終戦どころか停戦も結ばれていない状況。ノエインの言うことはもっともであり、マルツェル伯爵も特にそれ以上は言及しない。
「それで、ランセル王国軍の使者はどちらに?」
「司令部の会議室を応接室代わりにして待たせてある。卿が着いて早々だが、会談を始めるぞ……使者をあまり待たせても無礼になるからな」
「……そうですね、礼を失することはできませんからね」
憮然とした表情で言ったマルツェル伯爵に、ノエインもニヤリと笑いながら返す。二人の皮肉の対象はもちろんランセル王国軍だ。
10年ほど前の宣戦布告以来、これまで蛮族もかくやという振る舞いでロードベルク王国を困らせてきた敵国。しかし、相手が礼儀正しく外交の手順を踏んでくるのなら、こちらも丁寧に応えないわけにはいかない。相手の三倍もの歴史を持つ文明国家の貴族として、マルツェル伯爵にもノエインにもプライドがあるのだ。
・・・・・
アスピダ要塞の司令部となっている石造りの建物。その中にある軍議用の会議室は、今はランセル王国軍の使者を待たせるために使われていた。
その部屋に向かって要塞内を歩きながら、第九軍団の副軍団長がノエインに言う。
「相手の到着時に確認しましたが、使者はランセル王国で男爵位を持つ貴族とのことです。やって来た目的は停戦協定を結ぶことだそうで」
「停戦ですか……やはりあちらは国内の混乱で戦争継続どころではないみたいですね」
思いのほか素直に、これといった小細工もなく敵が停戦を申し入れてきたことに内心で驚きつつも、これもまた無理のないことだろうとノエインは考えた。カドネという旗頭を欠いて軍閥が勢力を弱めているであろう今、ランセル王国は挙国一致で戦争になど望めまい。
「それにしても、浅はかではないかと思うがな。敵が弱った好機と見て、こちらが停戦を拒否して侵攻するとは考えないのか」
「……そうですよね。黙っていれば膠着状態を維持できたかもしれないのに」
マルツェル伯爵が物騒なことを言うが、確かにその通りだとノエインも気づく。
今のロードベルク王国北西部にはそれなりに余力があるので、敵がご丁寧に作ってくれたベゼル大森林道を利用して本格的な侵攻に出ることもできるのだ。停戦の申し入れをわざわざ受け入れる義理はない。
自分がランセル王国の指導者層なら、わざわざ停戦など申し入れずに睨み合いを続ける。そうすれば、ランセル王国の現状がはっきり分からない以上ロードベルク王国側からも安易に攻め込めないのだから。
なぜ自分たちの国が弱っていることをわざわざ明示しに来たのか疑問だ。
「そのあたりの敵の思惑が、今からの会談で探る要点になるでしょうな……あの扉の先が会議室です。アールクヴィスト閣下、準備はよろしいですかな?」
「ええ、問題ありません。行きましょう」
副軍団長に問われて、ノエインは努めて冷静に答えた。
会議室の扉の前に立っていた衛兵が、ノエインたちに敬礼して扉を開ける。
爵位の順に、まずマルツェル伯爵が、続いてノエインが、そして副軍団長が入る。ノエインはマチルダとユーリを連れ、伯爵と副軍団長もそれぞれの副官を伴っていた。
ロードベルク王国側の指揮官の到着を見たランセル王国軍の使者が椅子から立ち上がる。後ろに護衛兵を二名連れ、両横には助言役の官僚なのか文官と武官を一人ずつ伴った使者は――なぜかノエインの顔を見るなり「ほぅ」と意味ありげに呟いて一歩近づいてきた。
次の瞬間、
「っ!」
「閣下!」
「えっ?」
マチルダがノエインを庇うように自身の背に隠し、さらにユーリが自らを盾にするようにノエインとマチルダの前に出た。ユーリは腰の剣に手をかけており、今にも抜かんとしている。
当のノエインは、いきなりの状況変化で呆気にとられながら間の抜けた声を上げただけだ。
「なっ!?」
「ちぃっ!」
副軍団長もマルツェル伯爵も、反射的に剣の柄を握る。室内で警備に就いていた数名の駐留軍兵士も、困惑した表情を浮かべながらも剣を構えた。
それを受けて、ランセル王国軍側の護衛兵も驚いた様子で剣に手をかけ、武官が使者を庇うように前に出る。
十数名がいる会議室に、緊迫した空気が漂う。
「……マチルダ、ユーリ、どうした?」
数瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのはノエインだ。
ランセル王国軍の使者も、官僚や護衛も、敵対行動は何もとっていなかったはずだ。むしろマチルダとユーリの急な動きを見てから護衛兵と武官が対応してきた。
最初に使者が一歩こちらに歩み寄ったのも、ここまで警戒するほど不審な行動というわけではない。明らかに、先に過剰に動いたのはこちらだ。
「……ノエイン様」
「閣下、あの男は……」
「いやはや、これは面白い。何たる偶然か、世間とは狭いものですなあ」
答えようとしたマチルダとユーリを遮り、機嫌良さげにべらべらと話し出したのは使者の男だ。
自分を庇っていた武官を手で制し、敵対の意思はないと示すように両手を広げながら、一人でノエインに近づいてくる。
顔を見た印象だと、年齢は40代ほどか。いかにも武人という雰囲気の男だが、同時に貴族らしい知性があることも感じさせる。声と同じく表情も上機嫌そうで、やはり敵意があるようには見えない。
その様子を見て、両陣営はようやく少しばかり緊張を解く。マチルダもノエインを背から離し、ユーリも剣の柄から手を離すが、二人ともいつでもノエインの前に飛び出せるよう緊張を保っていることが分かる。
使者は口調からしてノエインのことを知っているらしいが、顔見知りと言えるほどの知人はランセル王国にはいないはずだとノエインは訝しむ。
「お久しぶりですな。三年前の大戦、バレル砦の戦いでは良き戦をさせていただきました」
「……あ゛っ!!」
言われてノエインは思い出した。と、同時に顔をこわばらせた。
ランセル王国軍の使者は、目の前にいる男は、
バレル砦の戦いの際に、ノエインが砦の中に引きずりこんで足に矢を突き刺すという手荒な尋問をした後、外に放り出して敵にお返しした貴族だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,106
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる