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第八章 予期せぬ戦いと状況変化

第188話 陞爵準備②

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「エレオノール様、ならびに教師団の皆様。アールクヴィスト領にお越しいただきありがとうございます。心より歓迎いたします」

 そう言いながらノエインが屋敷の入り口で出迎えたのは、エレオノール・ケーニッツ子爵夫人、そしてケーニッツ子爵家に仕えるさまざまな職種の人々だ。

 ノエインが子爵に陞爵するにあたって、今回このようにケーニッツ子爵領から教師団が来訪していた。

 子爵ともなれば、家の運営ノウハウや求められる礼儀作法が下級貴族とは多少異なる。ノエインの知識や、一般平民出身者ばかりのアールクヴィスト領の人員の知識では不足する部分も多い。

 そこで、アールクヴィスト家を貴族家として垢抜けさせるために、ノエインの義理の実家であるケーニッツ子爵家が協力してくれることになったのだった。

「歓迎ありがとうございます、アールクヴィスト卿。あらためて、この度は陞爵おめでとうございます」

「ありがとうございます。今回は当家のためにこのようなかたちでご助力いただき、何とお礼を言えばいいか……」

「いいのですよ。あなたは私と夫にとって義理の息子なんですから。その陞爵を祝って、助けになれることをするのは当然です」

「そう仰っていただけると嬉しいです。感謝申し上げます……ひとまず、屋敷の中へどうぞ。皆様にご滞在いただく客室をご案内します」

 ノエインはそう言って教師団を招き入れる。ノエイン自身はエレオノールを案内し、教師団の他の者にはメイドたちがついた。

 これから数日、役職によっては一週間ほどかけて、ノエインや一部の部下、使用人が上級貴族家の人間として必要な知識を学ぶことになる。

・・・・・

「――でありますから、上級貴族となるノエイン殿も、その妻となるクラーラも、より一層立ち振る舞いを意識しなければなりません。あなたの部下や使用人との関わり方についてもそれは言えます」

 教師団を迎えた翌日、ノエインは妻クラーラと共に、早速エレオノールから指導を受けていた。

 ただし、クラーラは実家にいた頃に上級貴族の令嬢として一通りの教育を受けていたので、今回は復習の意味が強い。メインはあくまでノエインだ。

「ノエイン殿が部下に対して優しい方であるのは、私も見ていて分かります。信頼し、気を許せる配下が多いのは良いことでしょう。しかし……一般領民や領外の人間、特に他貴族が見ている前では、あなたは大貴族の当主としてそれ相応の言動を部下に示さなければなりません。分かりますね?」

「はい、理解できます」

 エレオノールにノエインは頷く。

 これまでは和気あいあいと領地運営に励んできたノエインと部下たちだが、これからはただ仲よしこよしではいられない場面も増える。

 ノエインは偉くなる。なので、その地位にふさわしい振る舞いを示さなければならない。身内以外の人間が見ている場ではあえて偉そうな口調で部下に話しかけ、上から命令し、自分はできるだけ動かず部下をこき使って見せなければならない。

 そうしなければ、礼儀や身分に甘い領主が治める規律の乱れた貴族家だと見なされる。ノエインはもちろん、その下に仕える者たちにも悪評が及ぶ。所詮は一般平民出身の成り上がり者たちだと笑われる。

「あなた自身が上級貴族らしく振る舞うのはもちろん、あなたの部下や使用人が上級貴族に仕える者として礼儀を守っているかを監督し、ときに叱るのもあなたの役目です。そうすることが、部下や使用人を守ることにも繋がります。特にあなたの連れているそちらの彼女」

 エレオノールはノエインの斜め後ろに控えるマチルダを見る。

「獣人奴隷を従者とすることが単なるあなたの酔狂ではないと示すには、彼女には特に厳格な振る舞いが求められます……今まで私が見ている限り、彼女はいつも正しい作法で動いているように思えますが」

 それはそうだろう、とノエインは思う。

 キヴィレフト伯爵家の離れで暮らしている頃から、マチルダは礼儀作法の書物を熱心に読み込み、ノエインの誇れる従者であろうと努力していた。ノエインの部下で最も正確に作法をわきまえているのはおそらく彼女だ。

「……だからこそあなたも、領外では彼女との関わり方により一層気をつけなければなりません。それもまた所有する奴隷への愛情です」

「……はい、心に留めておきます」

 その後も、心構えの話から細かい作法まで、エレオノールによる教育は続く。

・・・・・

「――下級貴族には功績を挙げて平民から叙爵された方も多く、その部下もまた一般平民の出身者が多くいます。なので下級貴族の外交官は、能力があり、最低限の礼を失することがなければそれで良しとされます。あなたも今まではその立場でした」

 アールクヴィスト家の外交官としての役割が定着しているバートも、この機会に教育を受ける一人だ。指導役はケーニッツ子爵家の外交担当従士の一人で、ノエインの遣いとしてバートも何度か会ったことがある相手だった。

「ですが、上級貴族のもとで外交を行う者には、より厳格な礼儀作法が求められます。本来ならば代々外交を務める従士家で知識が受け継がれるものですが……新たに子爵となられるアールクヴィスト閣下のもとで初代の外交担当の従士となるあなたは、一からこれを学ばなければならないわけです」

「……はい」

 神妙な面持ちで頷くバート。整った容姿から相手に与える好印象と、社交的な性格でこれまで上手いこと仕事をこなしてきたが、これからはただ愛想よくできるだけでは駄目らしいとあらためて実感する。

「あなたは元傭兵だと聞きましたが、仕事相手とそつなくやり取りする会話能力などは私から見ても申し分ありません。礼儀作法についても、見よう見まねではあるのでしょうがそれなりにこなせています……ですが、それをもう少し洗練させなければなりませんね。でなければ、所詮は成り上がり貴族の使者だとあなたも、あなたの主であるアールクヴィスト閣下も侮られかねません」

「……分かりました。そのようなことがないよう、心して学ばせていただきます」

 戦士としては中の上程度の実力しか持たない自分が最もノエインの役に立てるのは、外交・渉外担当としての今の仕事だとバートは考えている。領主の遣いとしての役目を果たせて、元傭兵なので自衛もできる外交官。それが今のバートだ。

 これからもそうであるために、全力で学ぼうと覚悟を決めるのだった。

・・・・・

 領主や従士たちが教師団から学ぶ一方で、使用人の責任者格の者たちも、上級貴族家の家内を支える者として体系的な指導を受ける。

 屋敷の厨房で学んでいるのは、正式に料理長となったロゼッタだ。

「――なので、客人をもてなす際には料理にも一定の格というものが求められます。領外から軍を迎えているアールクヴィスト領には他家の貴族が出入りする機会も増え、アールクヴィスト閣下がそうした要人を屋敷に招かれることも増えるでしょうから、あなたの作る料理もアールクヴィスト家の評価基準のひとつとなります」

「なるほど~。それじゃあ私もますます頑張らないといけませんね~」

「ええ、そうですねぇ」

 指導役は、ケーニッツ子爵家で料理長に次ぐ立場にあるというベテランの料理人。小太りな体型とニコニコした表情が優しい印象を感じさせる中年女性だった。彼女に負けず劣らずにこやかなロゼッタが並ぶと、厨房内には和やかな空気が漂う。

「会食であれば料理の品数や使用する食器、食材も見られます。今後は晩餐会などが行われることもあるでしょうから、大量に作れて見栄えのする料理の作り方も大切な知識になります。そして……せっかくですから、アールクヴィスト領の特産品のジャガイモや大豆油、砂糖も使いたいですね」

「はい~、アールクヴィスト領らしさを見せたいです~」

「分かりますよぉ。アールクヴィスト領のジャガイモは他の領のものと比べてもまるまると肥えていて味もいいですし、さらっとして新鮮な大豆油も、真っ白な砂糖も、私も大好きでよく使わせてもらってます。貴族料理にこうした特産品を取り入れて、独自性も見せていきましょうねぇ」

「よろしくお願いいたします~」

 微笑みが溢れるほんわかとした雰囲気の中で、厨房での指導は進んでいく。

・・・・・

「……あなたは非常に、いや異常に優秀ですね。教えたことは全て一度で完璧に覚えてしまう。素晴らしいです」

「恐縮です」

 ケーニッツ子爵家の家令である初老の男性使用人からそう評されて、これからアールクヴィスト家の家令となるキンバリーが答える。

 どちらも無表情で、声は決して大きくないのによく通って聞き取りやすく、使用人の鑑のような話し方だ。

「……いや本当に、うちの使用人と比べても優秀すぎるほどです。ただの町娘だったとは思えない。使用人として天性の才能を持っている。私の部下に欲しいくらいだ」

「光栄です。ですが、私はアールクヴィスト家にお仕えし、忠節を尽くすと自分に誓っておりますので。そうすることで、行き場のなかった自分や家族を救っていただいたご恩をお返ししていきたいと考えております」

「……まあ、そうでしょうね」

 キンバリーも、指導役の男性使用人も、淡々と言葉を交わす。

 部屋の外からは「なるほどっ! 分かりましたっ! しっかり覚えますっ!」とメイド長メアリーの元気な声が聞こえてくる。あっちはあっちでケーニッツ子爵家のベテランメイドから指導を受けているのだろう。

「……正直言って、もう私から教えるべきことはありません。あなたなら申し分なく家令としてアールクヴィスト家の屋敷の仕事を運営していけるでしょう」

「ありがとうございます」

 今回教育を受けた者の中で、キンバリーが誰よりも早く予定の指導内容を身につけてしまったのだった。
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