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第八章 予期せぬ戦いと状況変化

第184話 勝利の後

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「ベゼル大森林を越えてランセル王国軍が王国北西部に侵攻してきた」

 その事実は、王宮魔導士の対話魔法使いによる『遠話』通信網を用いて、王国全土に広められた。

 その報せを受けた王家も、貴族たちも、衝撃に包まれた。とんでもないことになったと戦慄した。

 ロードベルク王国にとっては完全に想定外の奇襲だ。北西部に一体どれだけの被害が出るか分からない。そもそも北西部だけで被害が収まるかも分からない。下手をすれば王国存亡の危機だ。

 北西部閥の貴族はもちろん、北東部、南西部、さらには南東部の一部の貴族までもが大急ぎで軍備を整え始めた。今こそ王国貴族としての義務を果たすために、少しでも多くの援軍を送らなければと焦った。もちろん王家も王国軍の派遣を急ぎ、ひとまず王国北端の公爵領に駐留する第九軍団から援軍を送った。

 そして、それからおよそ一週間後。さらに衝撃的な報せが王国全土を駆け巡った。

「敵の侵攻に最初にさらされる位置にあったアールクヴィスト準男爵領が、単独でその侵攻を退けた。さらに敵国の王であるカドネ・ランセル1世に深手を負わせた」

 アールクヴィスト準男爵といえば、先の大戦ではそこそこの活躍を見せて陞爵された将来有望な若手貴族として少しばかり名が知られている。だが、いくらなんでも下級貴族が単独で一国の侵攻を退けられるわけがない。

 その報せを聞いた貴族の多くは、最初は誤報かと思った。

 そしてその次に、敵が流した偽情報の可能性を疑った。アールクヴィスト準男爵領はとっくに滅ぼされ、周囲の貴族領も蹂躙されて北西部の一帯はランセル王国の勢力下となり、敵がこちらを混乱させるために嘘を流しているのかもしれないと。

 一部の貴族は構わず兵を引き連れて王国北西部を目指した。偽情報が巡るほど戦況が悪いのだと考えて行軍を急いだ。

 そして北西部にたどり着き――報せが誤報でも偽情報でもないと知った。

「アールクヴィスト準男爵は本当に独力で敵を退け、敵の侵攻路には北西部貴族の連合軍や王国軍が集結して守りを固めつつある。戦力は現状でも十分足りているので、お帰りいただいて問題ない」

 と王国軍の伝令から対面で言われたら、さすがに信じて領地に帰るしかない。とんだ無駄足である。

 その後も敵の侵攻に関する新たな情報は国内を巡り、事の次第が少しずつ明らかになっていった。

・・・・・

「あーもう、毎日忙しいったらないね。戦いは終わったのに勘弁してほしいよまったく」

 アールクヴィスト準男爵領の領都ノエイナ。その南端に位置する領主家屋敷の執務室で、愛するマチルダの淹れてくれたお茶を啜りながらノエインはぼやいていた。

 隣にはそのマチルダが座り、ノエインは遠慮なく彼女に寄りかかって甘え、頭を撫でられている。口の端にこぼれたお茶までマチルダに指で拭いてもらう始末。まるで5歳児だ。

 執務室内でだらしないことこの上ないが、ここ最近は仕事詰めでわずかな休息しかとれていないので勘弁してほしいところである。

「仕方ないだろう。この領がいきなり敵国と接する最前線になってしまったんだからな」

 仕事の報告ついでに領主の茶飲み休憩と愚痴に付き合わされているのは、従士長ユーリだ。ノエインが休憩モードになって気を抜くと威厳もへったくれもなくなるのは今さら分かりきっていることなので突っ込まない。

「それは分かってるけどさ……あーあ、せっかく平和な辺境領として今までやってきたのに」

 ランセル王国軍親征部隊の侵攻を退けた激戦からおよそ一か月。アールクヴィスト領の状況は大きく変化していた。ユーリの言う通り、ここは今や対ランセル王国の最前線だ。

「……ランセル王国、というよりはカドネ国王と軍閥貴族たちか。どうなるのかな、今後」

「さあな……カドネ国王に関しては、親征に失敗した上に自分の足で立つこともできなくなって、権勢を維持できるとは思えんが」

 国を傾けながら成そうとした一発逆転の親征が、期待外れの結果に終わったのだ。おまけに『天使の蜜』の原液をもろに食らって、今後は武人として戦地に立つことも叶うまい。カドネの求心力は地に堕ちただろうし、軍閥貴族の勢いも大きく削がれただろう。

「だよねー、下手をすれば暗殺されるかもね。そうでなくても軍閥とその他の貴族で割れて、内乱一直線かな。とても再侵攻してくる余裕があるとは思えないよ」

「それは俺も同感だが……かといって、守りを固めないわけにもいくまい」

「領外の軍を多く駐留させるのは、領主としてはあんまり面白くないけどね……今は仕方ないか」

 アールクヴィスト領は人口規模のわりに軍事力があるが、それでも敵国と対峙する最前線としては頼りない。必然的に、王国軍や北西部閥の貴族領軍を援軍として受け入れ、駐留させることになる。この状況を解消したければ、単独で十分な防衛力を身につけるしかない。

 敵が侵攻の際に利用した野営地をそのまま拝借し、仮の前線基地に。そこへ領外から出入りする百人単位の兵士。彼らの消費する食糧や物資を運び込んでくる輜重隊や酒保商人。領都周辺の人口は、一時的に激増していた。

 そんな中で、援軍に来た王国軍や各貴族領軍の指揮官と話し合いをしたり、人の出入りが増えた領都内の治安を維持したり、王家に今回の戦いの詳細を報告したり、領主のすべき仕事は多い。なのでノエインは、今とてもとても忙しかった。

 自領の平和を脅かしたうえにこんな大騒動まで呼び起こしてくれたのだから、カドネへの恨みも深まるばかりだ。

「とはいえ、悪いことばかりでもないだろう。現にこうして、ランセル王国への逆侵攻がされている間も俺たちは領都内にいられるんだからな」

「まあ、そうなんだけどさー」

 現在ロードベルク王国軍は、カドネの作った侵攻路を利用してランセル王国側へ逆侵攻をかけている真っ最中だ。一方的に攻められてばかりで弱腰と見られてしまうので、かたちだけでも逆侵攻をかまして強気の姿勢を見せる必要があるとオスカー・ロードベルク3世が判断したためである。

 しかし、その逆侵攻部隊を構成しているのは王国軍と、わざわざ遠方から駆けつけてきたマルツェル伯爵が指揮を務める北西部貴族連合軍だった。アールクヴィスト領から従軍しているのは、敵側の地理に明るいから力になりたいと志願したジェレミーと、アールクヴィスト領軍代表として随行したラドレーだけだ。

 自領から敵国への侵攻作戦にノエインが軍を出さずに済んでいるのも、領内に王国軍や連合軍の駐留を認めているからこそだ。今ばかりは、領外からの援軍を素直に受け入れている方がいい。

「……うちの領単独で国境の防衛を担えるようになるには、どれくらいの戦力が要るかな?」

「……単純な兵力で言えば、一個軍団1000人は必要じゃないか? それを賄うには……どんなに少なくとも一万人の人口が要るか」

「うわあ、何年かかるんだろ」

 げんなりした顔になるノエイン。アールクヴィスト領の現在の人口は1500人強だ。ゴールがあまりにも遠い。

「だが、例えば今の前線基地の位置に砦を築いてバリスタを大量に配備するとか、ゴーレム使いをもっと集めて訓練して、クレイモアを増員するとかすれば、兵の頭数の不足は補える。そっちの路線で戦力拡充をする方が現実的だろうな」

「あー、その手もあるか。それなら数年以内に整えられそうだね」

 ユーリの現実的な提案を受けてノエインが少しほっとした様子で頷いていると、領主執務室の扉が控えめに叩かれた。

「あなた、今お時間はよろしいでしょうか?」

「クラーラか。いいよ、入って」

 ノエインの返事を聞いて扉を開け、入室するクラーラ。ノエインがマチルダに寄りかかって甘えている光景を見て、微笑みを浮かべる。それに気づいたマチルダがクラーラに微笑み返す。

 そんな場面を見せられたユーリは微妙な顔をした。奴隷に甘えまくる貴族家当主とそれを見て微笑む夫人というのは、王国社会の常識から見るとかなり変だ。この三人はそれで納得しているのだろうし、突っ込むのも今さらなことではあるが。

「クラーラ、何かあったの?」

「実は、先ほど王家からの使者の方がお見えになりました。国王陛下からの書簡を届けに来られたそうです……ひとまず私が応対して、応接室に入っていただきました」

「そっか、ありがとう……もう来たんだね」

 王家からの使者、と聞いてノエインはそう呟いた。ユーリも状況を察した顔になる。

 ランセル王国軍との戦闘については王家が抱える対話魔法使いの『遠話』通信網で報告を行っており、手紙のやり取りをする必要はない。そんな中でわざわざ使者が書簡を持ってくるということは、十中八九あれだ。

 戦功へのご褒美の話だ。

「王家の使者をあんまり長く待たせたら問題になるね。さっそく皆で行こっか」

 領主とその妻、護衛役の副官と従士長。王家からの使者と会う顔ぶれとしては、ここにいる面子で申し分ない。

 ノエインは少しばかり名残惜しそうな表情を浮かべてマチルダに寄りかかっていた体を起こすと、立ち上がって応接室に向かった。
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