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第八章 予期せぬ戦いと状況変化

第182話 勝利と痛み

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「リックがやりましたな」

「みたいだね。左肩に直撃か、あれじゃあ生き延びても不自由するだろうね」

 敵の後方を見ながら、ノエインはユーリとそんな言葉を交わす。

 リックたちには狙撃の際に『天使の蜜』の原液を矢に塗らせている。その矢をもろに受けたカドネは、たとえ死ななかったとしても体のどこかに長期にわたって麻痺が残るはずだ。武人としては終わりだろう。

「どうかなジェレミー? カドネ国王を殺せたかは分からないけど、相当な深手を負わせることはできたよ」

「……あのカドネ国王を本当に……閣下のお力に感服いたしました」

 かつて仕えた暴君が倒れ伏すのを目の当たりにしたジェレミーは、半ば茫然としていた。

「ありがとう。僕の方についててよかったでしょう?」

「はい、閣下のような偉大な主君に新たにお仕えできる自分の幸運を噛みしめています」

 間接的にとはいえ自身の妻と子を死なせたカドネへの復讐を、ノエインは果たしてくれたのだ。一兵士のジェレミーには決して果たせなかったであろう復讐を。それだけでもジェレミーにとってはノエインに忠誠を誓う理由になる。

「……敵が退きはじめたね」

「カドネ国王と敵の将軍を無力化した上に、これだけ損害を与えましたからな」

 実質的な指揮官であるエヴァアルド・ロットフェルト伯爵が死に、侵攻部隊の柱であるカドネも倒れた。陣のど真ん中ではゴーレムが暴れ、後方からの援軍も来ない。この状況では敵は退却するしかないだろう。

「御輿のカドネ国王なしで親征を続けるとも思えないし、このまま追い返してしまえばこの戦いも終わり――」

「左から敵!」

 勝利が見えて緊張を緩めながらノエインが言ったのを遮り、本陣の直衛部隊を指揮するペンスが叫ぶ。

 本陣の右側を警戒する兵士以外の全員が左に意識を向けると、森の中から敵部隊が出てくるところだった。数は20人強。

 その中の一人は弓を構えており、ノエインを狙い――矢を放った。

「閣下!」

 ジェレミーが咄嗟にノエインの前に身を乗り出す。矢は真っすぐにジェレミーに向かって飛び、

 そのさらに手前に飛び出したマチルダの盾に阻まれた。

「……」

「迎撃しろ! ノエイン様を守れ!」

 死を覚悟して身を盾にしたのが意味をなさず、何とも言えない顔になるジェレミーをよそに、直衛を率いるペンスが叫んで兵士たちが敵に向かう。ノエインも自身の傍に控えさせていたゴーレムを突っ込ませる。

 ユーリも剣を抜き、主を守るために構えた。

「くそったれ!」

「あいつさえ仕留めれば!」

「させるか!」

「一兵も通すな!」

 ノエインのゴーレムが腕や足を振るい、敵兵はそれを躱しつつノエインに接近しようとする。

 しかし、おそらく後方から森の中を移動してきたためか疲弊しているらしい。おまけにペンスたち直衛からも攻撃を受ける状況だ。対応しきれず一人ずつ斬られて倒れていき、あるいは直衛兵に気を取られた隙にゴーレムに殴り殺される。

 動きを見たところ敵も手練れのようだが、万全ではない状態でゴーレムと最精鋭の直衛部隊から波状攻撃を受けては敵わないらしい。それなりの時間を持ちこたえながらも、ついにノエインにたどり着くことなく全滅した。

「……ちょっとだけヒヤッとしたね。ありがとうマチルダ、それにペンスたちも。助かったよ」

「私は自分の役目を果たしたまでです、ノエイン様」

「俺たちの当然の務めでさあ」

 大将首をとれば勝ちになるのは敵も同じだ。そのためノエインは直衛に左右の森を警戒させていたが、それでも敵の今の奇襲はなかなか鮮やかだった。

 マチルダがいなければ矢に倒れていたかもしれないし、ペンス率いる最精鋭を傍に配置していなければ敵に防衛線を抜かれていたかもしれない。

「……ジェレミーもありがとう。君が身を挺して僕を守ろうとしたのは確かに見届けたよ」

「……恐縮です」

 決死の行動が少々締まらないかたちで終わったジェレミーは、ややばつが悪そうに答えた。だが、武器も盾も持たされていない彼が、それでも身ひとつで命を捨ててノエインを守ろうとしたのは事実である。

「……ノエイン様、撤退する敵の追撃はどうされますか?」

 前線に目を向けたユーリが尋ねる。

「追撃するべきかな?」

「私は不要かと思います。というより、こちらの兵も疲弊しているので難しいでしょう。敵が転進して再侵攻してきたら気づけるよう、見張りだけ置けば十分かと」

 こちらの歩兵部隊もクロスボウ部隊も、ラドレーたち別動隊も、いくら士気が高いからといって無限に戦い続けることはできない。敵の精鋭と戦い続けたことで疲労し、死傷者も出ている。

「ユーリがそう言うならそうしよう。余力のある者を侵攻路の見張りに充てつつ、負傷者の治療や戦場の片づけに移って……あとは夜のもう一押しの準備だ。領都ノエイナに伝令を送って、予備軍やケーニッツ子爵領からの援軍にも手伝ってもらおう」

「はっ」

 ノエインが決断し、ユーリが頷いて士官たちに具体的な指示を飛ばし始めた。

 ・・・・・

 昼過ぎ。先ほどまで激戦がくり広げられた森の中の侵攻路では、アールクヴィスト領軍とケーニッツ子爵領からの援軍による片づけが進んでいた。

 最優先で行われているのは、負傷者の救護や死者の遺体回収だ。敵兵は軽傷者は自力で撤退し、助かる見込みのある重傷者も仲間によって運ばれたようで、残されているのは死を待つばかりの者だけだった。そんな虫の息の敵に、兵士たちは最後の情けとして極力痛みを感じさせないよう止めを刺していく。

「その人は重傷なのでこっちへ! あなたは軽傷なのであっちで軍人さんから応急処置を受けてください! この人は……奥の方へ寝かせてください。強い痛み止めを打てば楽になれます」

 臨時で作られた救護所で指示を飛ばしているのは、数年前に医師セルファースのもとに弟子入りし、今では一定の実力を持った医師となっているリリスだ。彼女は自ら志願して従軍しており、他にも新たに医師見習いとなっている若者数人が忙しく立ち働いていた。

 重傷者、軽傷者、そして助かる見込みのない者。リリスがその判断を下し、怪我人を振り分けていく。

 また別の場所では、兵士たちがまだ使えそうなクロスボウの矢を回収し、さらに敵の死体から金になりそうな武具を取る。隊列後方の敵が倒した魔物の死体からは魔石が回収され、角や牙など高く売れる一部の素材も切り取られていた。

「……すげえなこりゃあ。宝の山だ」

「滅多にお目にかかれない強い魔物が山のように死んで放置されてるからな。こんなこと二度とないぞ、きっと」

 熾烈な戦いを終えて緊張を解きほぐそうとするように、兵士たちは軽口を言い合い、乾いた笑い声を上げる。

 さらに、おびただしい敵兵の死体を運ぶのも重要な仕事だ。魔物に襲われて死んだ敵兵は数百人に及び、それらは有効利用できる。例えば、この侵攻路の只中に壁のように積み重ねてさらしておくだけでも、敵がもし再侵攻してきたら戦意をくじける。

 そうしてしばらく活用した後は、腐敗による害を防ぐために焼けばいい。

「……もの凄い激戦だったみたいだが、よくこれだけの戦力で戦えたな、お前ら」

 凄惨な死体の山を見ながらそうこぼしたのは、ケーニッツ子爵領から援軍として来ている兵士だ。それにアールクヴィスト領軍の兵士が応える。

「土地と家族を守るためだからな」

「俺たちにはここ以外にもう行けるところはないんだ。何が来たって戦うさ」

 平然と言って笑うアールクヴィスト領軍兵士たち。元難民が人口の大半を占めるアールクヴィスト領では、土地を守ろうという領民たちの意思はことさらに強い。人生に絶望していたときにノエインから与えられた今の幸福を、何が何でも守りきろうと多くの者が決意しているのだ。

 戦場のあちらこちらで兵士や医師が働く様を、ノエインは眺めていた。傍にはマチルダが護衛として控え、またケーニッツ子爵領からの援軍を率いるフレデリック・ケーニッツも近くにいる。

「フレデリックさん、助かりました。この有り様を疲弊したアールクヴィスト領軍だけで片づけるのは相当堪えたでしょうから」

「これくらいお安い御用さ……というより、戦場の片づけでしか貢献できないのが申し訳ないくらいだ。私としては、君たちだけでランセル王国軍の精鋭を退けてしまったことに驚くばかりだよ」

 フレデリックは苦笑しながら言った。ノエインたちは準男爵領ひとつで隣国の侵攻を防いだのだ。間違いなくロードベルク王国の歴史に残る功績だろう。

「色んな幸運が重なった結果ですよ。敵の侵攻を事前に知ることができたのも偶然ですし、今回の戦いも策がひとつでも上手くいかなかったらきっと僕たちが敗走してました」

 ノエインも微苦笑を浮かべてそう返す。謙遜ではなく本心だった。奇策に頼って綱渡りのような戦いをすること自体、ノエインにとっては不本意なことだ。正攻法で勝てる力を身に付けるか、そもそも戦わずに済むようになることが真の強さだとノエインは考えている。

 と、そこへ従士ダントが近づいてくる。ノエインの前で立ち止まって敬礼をすると、口を開いた。

「報告します。こちらの戦死者は14人。領軍兵士が6人、徴集兵が8人です。また、重傷者は32人。そのうち手や足を失うなど特に重傷の者が6人、助かる見込みのない者が4人です」

 ダントの報告を聞いて、ノエインは少しの間、ほんの数秒だけ目を閉じて戦死者を偲ぶ。

 敵に大損害を与えながら、こちらの死者は全軍の一割に満たない。安い犠牲だ……などとは思えない。死んだ14人にも、これから死ぬ4人にも人生があったのだ。

 しかし、彼らを憐れだなどと、領民が死ぬのが嫌だなどと領主の自分が今さら思ってはいけない。彼らはアールクヴィスト領を、自分の家や家族を守るために自らの意思で戦ったのだから。その死を無駄にしないのがノエインの役目であり義務だ。

「そうか、報告ご苦労……君も早く治療を受けるといい」

「はっ、失礼します」

 そう言ってもう一度敬礼するダントは顔に刃を受けたらしく、眉間から左の頬にかけて傷が走り、まだ軽く血が流れていた。おそらく一生消えない傷跡が残るだろう。

「……すみませんフレデリックさん、僕は瀕死の兵士たちを見舞ってきます」

「ああ、分かった」

 そう断って、ノエインは救護所の端に設けられた、助かる見込みのない者たちの横たわるスペースへ向かう。

 彼らは新たな故郷であるアールクヴィスト領を守るために戦い、これから死にゆくのだ。そんな英雄たちに労いの言葉をかけ、お前たちの家族のことは心配するなと伝えてやるのも領主である自身の役目だろうとノエインは考える。

 既に戦死した14人には言葉をかけることさえできなかったのだから、このくらいするべきだとノエインは思う。
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